レオナルドダヴィンチの声

昨日、ブロックチェーンで有名な方々と一緒に新しい世の中について語り合いましたがその中でレオナルドダヴィンチの話が出ました。今から500年以上前の人になりますが、これまで多くの芸術家をはじめ様々な技術者たちに多大な影響を与えた方です。

改めて、どのような生き様だったのかと調べてみると共感することが多く私の目指している生き方にも共通するところがあります。普遍的なその生き様は500年の歴史の篩にかけられてもまったく色褪せることがない、その生き様で遺した言葉を少し紹介していきたいと思います。

「私の仕事は、他人の言葉よりも自分の経験から引き出される。経験こそ立派な先生だ。」

「その理論が経験によって確証されないあの思索家たちの教訓を避けよ。」

「知恵は経験の娘である。」

何より「経験」することを重んじ、経験から自らの答えを導きだしていきました。経験を尊ぶということは、「訪れるご縁を最も尊ぶ」という生き方でしょう。

そして何かに取り組むとき、その経験とご縁から直接かたちどることで連なり重なり産まれる新たな存在に対してこうも言います。

「あらゆるものは、他のあらゆるものと関連する。」

「あらゆるものの部分はそれ自身のうちに全体の性質を保っている。」

「五感は魂に仕える従僕だ。」

「目は魂の窓である。」

「その手に魂が込められなければ、芸術は生まれないのだ。」

「川の中ではあなたが触る水が一番最後に過ぎ去ったものであり、また、一番最初に来るものである。現在という時も同じである。」

ご縁を結べば、そのご縁から導き出されたものを捉えるとも言えます。まさに全体快適であることを大切にしたことがわかります。これはいのちの実相が観えているということでしょう。

最後に私がとても共感したレオナルドダヴィンチの言葉たちです。

「失われうるものを富と呼んではならない。徳こそ本当のわれわれの財産で、それを所有する人の本当の褒美なのである。」

「理解するための最良の手段は、自然の無限の作品をたっぷり鑑賞することだ。」

「充実した一日が幸せな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらす。」

シンプルで洗練されたその人生は、与えられたご縁に真摯に生きた好奇心と思いやりの日々だったように直観します。お会いしたことはありませんし異国の人ですが、遺した作品や生き様から学び直すことばかりです。面白いことを豊かに楽しく、暮らしフルネスを追求していきたいと思います。

  1. コメント

    ダヴィンチの言葉にあるように、「失われうるもの」は本当の富とは言えないでしょう。「富」とは真の「豊かさ」を現すものであり、その有無や多寡で一喜一憂するようなものではありません。そういう意味では、「所有」という言葉も相応しくないかもしれません。「徳」のように、そのもののためではなく、純粋な思いやりの心、利他の心の実践の褒美として与えられる「失われない豊かさ」を、自分の実人生で証明しながら生きたいものです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です