見せかけと本物

昨日、旧長崎街道塩田塾の傍にある友人の古民家甦生のお手伝いのために色々とアドバイスをしてきました。昭和初期の古民家ですが、立地の環境がとてもよく風通しも日の入りもさらに間取りも居心地が善く、ここで手入れすれば家がまだまだ長生きするのを感じます。

ちょうどこのころの家から、木材もかつてのような本物の松や檜、欅などを使わなく合板やベニヤ板、ツケ板などが増えてきました。大量生産に木材の成長や量が追い付かず、表面を剥がして加工し直した板材によって内装を施していきました。

日本家屋は木材ばかりですから、天井、壁、床板にいたるすべてにこの合板を使っています。最近は、プリント技術が進み、プリント合板も本物と見分けがつかないほどになり、壁もほとんどクロスなどを貼ることで仕上げられています。

本来の日本家屋は土と木で壁も床も仕上げてられてきたものです。木も土も生きていますから調湿をし、気候の変化に合わせて呼吸をし続けます。これがプリントやクロスになるとそうはならず、見た目はいくら日本家屋のようになっていたとしても実際には見た目だけということになります。

本来の木材であれば、磨けば木肌が出てきます。しかしプリントは磨けばベニヤが出てきますから磨くことができません。また土も塗り直しや上塗りができますがクロスは張り替えるしかありません。

長い目でみて、どちらがランニング費用が安くなるかそれは自然のままであることが一番なのは一目瞭然です。しかし、大量生産大量消費の世の中では安いということは、ほんの目先の損得勘定だけで評価判断されていきます。

見た目だけというのは見せかけの家ということです。見せかけの家では、いいはずがなく、中身が薄いのですから住んでみるとすぐに居心地の悪さが出てきます。大切なのは中身であり見せかけではありません。

時代がどうだというのもありますが、見せかけをやってもいいという意識が広がっていくことは大変危険なことです。昔の人たちは、後世の人が見てもそん色ない本物の仕事を世の中に遺そうと切磋琢磨してきました。それが伝統であり、伝承として受け継がれて今の日本人や日本文化が醸成されてきました。

私は、見せかけを見せかけで直すような甦生はやりません。見せかけをどう本物にするか、そして本物をどうさらに甦生させ新生させるかということにこだわります。

子どもたちに与える環境や影響は多大であり、本物であるか見せかけであるかはそののちの子どもたちの判断基準に大きな影響を与えます。子どもたちが安心して育ち醸成できるような環境を見守っていきたいと思います。

 

  1. コメント

    「見せかけ」というのは「その場しのぎ、一時しのぎ」の発想でもあるでしょう。人は、「その場しのぎ」の生き方をし出すと、その後も「しのぎ続ける」ことになります。この「なんとかその場をしのげてホッとする」という生き方には、「蓄積」というものがありません。何年たっても、黒光りしてこないのです。真の豊かさはこの黒光りするような「蓄積」から生まれますから、いろんなものを「蓄積する生き方」に切り換えていくことが大事なのではないでしょうか。

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