保育とは

私は思い返すと約20年間「保育」ということを学び、それを稼業にしてきました。直接的に子どもを保育園で保育するのではなく、保育をしようとする人たちの「場」を見守り支えてきたとも言えます。私にとっての今の暮らしフルネスは、この保育を探求し磨き高めてきたことの集大成だとも言えます。

それを少し整理してみたいと思います。

そもそも「保育」とは何かということを考えると、私は「いのちを見守る仕組み」であると定義しています。例えば、その一つは発達を保障することです。いのちはみんな発達しようとします。その発達をしたいという主体的な成長を邪魔しなければ生きものたちは最適な環境を求めて自由に伸び伸びと育っていきます。

無理に育てようとしたり、環境を抑制したり、発達段階を無視するように何かを仕込んだりやってあげたらそのいのち本来の発達が阻害されていきます。もっとも大切なのは、何かをやってあげるのではなく見守ることです。

そしてその保育の質とは何かというと、私は暮らしの質のことを言います。

つまり日々の暮らしの質が高ければ高いほどに、保育の質もまた高いということです。この時の暮らしは、単なる日常生活をいうのではなく学びの質が高いということです。言い換えれば、日々が豊かに充実しているということです。

私たち人間は、人間関係を通して人生を磨き合う生き物です。日々のご縁を味わい如何に学び成長していくか。ありとあらゆる感覚が研ぎ澄まされ、日々の一期一会の中で健やかに成長していきます。心と体と感情などのバランスを整えながら、社會の中で一人の自分を謳歌していきます。

一人ひとりの子どもたちが安心して暮らしていける社會をみんなで築き上げることができれば、仕合せな世の中にしていけるように思います。私たち人間を含め、あらゆる生きものたちはこのような伝承のバトンをつなぎながら仕合せの輪を結んでいきます。

暮らしがフルネス(充実する)というのは、心が豊かで仕合せに暮らしていくということです。私たち大人がどのように子どもたちを見守るか、その見守り合う世の中が保育の質を一層高めていくと思います。

子どもは宝。

これからも保育を高め、磨き続けていきたいと思います。

  1. コメント

    一人ひとりの主体的な成長を支える環境があり、それを見守る目がある「暮らしフルネス」は、それぞれのいのちが輝く豊かな日々となるでしょう。そのためには、現在生じている「無理」や「抑制」という環境、それに「無視」という目など、阻害要因となっている働き方や生き方の背景にある思想を見直す必要があります。それは、「人生の意味」を根底から問い直すことになるでしょう。

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