精進潔斎の暮らし

例大祭の準備を兼ねて、精進潔斎を行っています。これは肉類を食べず、酒を飲まずに心と体を清めることをいい、「精進」は肉類や酒を飲まずに、心と体を清めて修行すること。そして「潔斎」は不浄なものを避けて、心と体を清らかな状態に保つことと言われます。

語源辞典によれば「潔」という字は、潔白や潔いなど、「 流れる 水 」の象形と「 刀で切り刻む 象形・より 糸 の象形 」 (「 罪・けがれを取り除く為、刀で刻み、糸を結んで 清める 」の意味)から出来た字です。斎は、会意兼形声文字です(斉+示)。「穀物の穂が伸びて生え揃っている」象形(「整える」の意味)と「神にいけにえを捧げる台」の象形(「祖先神」の意味)から、「心身を清め整えて神につかえる」、「物忌みする(飲食や行いをつつしんでけがれを去り、心身を清める)」を意味する「斎」とあります。書斎や斎食なとどもいい、物忌みの意味もあります。この物忌み(ものいみ)はある期間中、ある種の日常的な行為をひかえ穢れを避けることといいます。

神社本庁によれば、「斎戒に関する規定」として大祭、中祭は当日および前日、小祭は当日斎戒するものと定めている。斎戒中は、「潔斎して身体を清め、衣服を改め、居室を別にし、飲食を慎み、思念、言語、動作を正しくし、汚穢、不浄に触れてはならない」とあります。

祭祀に合わせて身を慎み神様と一心同体になるように心を整えていくことのように思います。もともと神道には依り代という思想もあり、神様が器に宿ります。その宿るものを清浄に保つことで、その宿る魂を穢さないということでしょう。

そのためには不純物を入れないようにする、言い換えれば「透明」にしていくということです。この透明とは、「いのち」のままでいる、「魂」のままであるという状態に近づけるということです。

私たちは日々の暮らしの中で様々な穢れ、雑念と共に生きています。それをどう祓い、清らかで素直な落ち着いた心で日々に真心で接していくことができるかはその精進や修行によります。

こういう例大祭などの機会があることで、それに意識を合わせて神様の状態に近づいていくことが暮らしの醍醐味でもあります。丁寧に、明日の例大祭の準備を丹誠を籠めて取り掛かっていきたいと思います。

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