適者生存の本質

適者生存という言葉があります。これは一般的には 「生存競争において、環境に最も適したものだけが生き残り繁栄できる」という意味で用いられます。自然界は、環境に適応していくものが遺り、そうではないものは淘汰されていきます。

つまり環境が変わるということは常に生き残りをかけてしなければならないということになります。その環境は、決して自然環境のことをいうだけではなく組織の環境であったり、関係性の環境であったりします。環境といっても、あらゆるものは環境の影響下にありますからそこには運もあるように思います。

ただ、一つ言えるのは環境に対してそれぞれがそれぞれに決断をして自分の道を決めているということです。大きな目でみたら、この地球上で私たちのいのちは循環しています。種を遺すということをたとえしなくても、他のものに食べられ、土になり、他のいのちを活かす存在してこの世に出てきます。

その時、その場、その空間において私たちは尊重し合いながら支え助け合い生きている存在であることは間違いないことです。

競争原理においての適者生存ということになれば、強いものが生き残り弱いものが死ぬ。そして変化するものが残り、変化できないものが滅びるということになっています。

しかし先ほどいったように相対的な物事の見方をやめて、全体的で総合的な見方でみればそれぞれに役割がありその役割を全うしているということになるのです。

この役割とは、この世での自分の役割のことです。

生き残るものだけが正しいのではなく、役割を果たすことが最適であるということです。それが本質的な「適者」ということでしょう。その再適者は、役割を通していつまでもこの世での役割を果たし続けます。そういう意味で生存というのは、役割が存在し続けているということでしょう。

私たちの日本人も、親祖の時から子孫に役割をたくさん担ってもらいその初心を伝承し続けています。御縁と役割は、どの時代の人々にも与えられその物語を生きてきました。ある意味では、私たちの人生は一つの記憶媒体でもあり、宇宙の中の記憶の一つとして適者生存を続けているのでしょう。

子どもたちにも、真摯に役割を生き切る生き方を示していきたいと感じます。日々を大切に生き切り、味わいたいと思います。

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