出逢い

人は生きていると多くの人たちに出会う。

どんなに離れていても常に心にいる人も在る。
そして、必ず何かある時に方向性を示してくれる人も在る。
何かピンチの時に現れて颯爽と救ってくれる人も在る。

人の出逢いとは、自分の中にいるその人の存在が今の世界に現れるのだろう。

そしてそれは志やその人へ引き継がれた思いの連鎖であるものではないかとも私は思う。

だからこそ、日々どれだけの精神で今を生き切っているかが自分へ問われる。

今、英語で書かれたヤヌシュ・コルチャック「Loving Every Child: Wisdom for Parents」の本を読んでいる。

世界子ども人権宣言の理念になったといわれる方だ。

コルチャック先生の文章を抜粋しているものを紹介する。

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=子どもは愛される権利をもっている。自分の子だけでなく、他人の子どもも愛しなさい。「愛」は 必ずや返ってくる。
=子どもを一人の人間として尊重しなさい。子どもは「所有物」ではない。
=子どもは未来ではなく、今現在を生きている人間である。十分に遊ばせなさい。
=子どもは宝くじではない。一人ひとりが彼自身であればよい。
=子どもも過ちを犯す。それは、子どもが大人より愚かだからではなく、人間だからだ。完全な子どもなどいない。
=子どもにも秘密を持つ権利がある。大切な、自分だけの世界を。
=子どもの持ち物や、お金を大切に。大人にとってつまらぬ物でも、持ち主にとっては大切な宝。
=子どもには、自分の教育を選ぶ権利がある。よく話を聞こう。
=子どもの悲しみを尊重しなさい。たとえそれが失ったオハジキ一つであっても、また死んだ小鳥のことであっても。
=子どもは不正に抗議する権利を持っている。圧制で苦しみ、戦争で苦しむのは子どもたちだから。
=子どもが自分たちの裁判所を持ち、お互いに裁き裁かれるべきである。大人もここで裁かれよう。
=子どもは幸福になる権利を持っている。子どもの幸福無しに、大人の幸福はあり得ない。

・・・・

子どもを思う気持ちがどこまで貫徹できるかということを思うと、世界にはまだまだ凄い人たちがたくさんいる。

そういう人たちも引き寄せて、自分にしかできないことを求道する。

出逢いというご縁とは、何ものにも代え難い真理のようにも思える。

これからももっと自分を高めて修養することを忘れず、日々を律して怠らず、自分にしかできないことでよりたくさんの子ども達をこれからも自分らしく自分らしい人たちとともに理念を体現しながら実践し見守って生きたいと思う。

私の今、在るのは過去の人たち、そして未来の人たちが繋いでくれている「掛け替えのない命の思い」だということを座右に置きながら大事にしていき出逢いを念じて歩んでいきたい。

  1. コメント

    最近では自分の中での子どもを思う気持ちをしっかりと持っていれば、同じ思いの方と出会う事が出来るし、同じ思いの方と仕事を通して更に高め合う事が出来るというのを実感しています。その事を考えるとやはり自分自信の成長がいかに大事なのかという事を感じます。又、コルチャック先生の文章を見るとまだまだ自分の中の刷り込みの多さに気づかされます。まだまだ中途半端な自分の意識を改めて、子どもの事を真剣に考えて生きていけたらと思います。

  2. コメント

    何にでも言えることかと思いますが、子どもに対しての思い、社会に対しての思い、
    世の中に対しての思いなど、自分自身の思いを醸成させて、より考えを深めていくことで
    繋がる事の出来る拡がりを感じます。もっと自分自身が素直に、純粋な思いで子どもの
    声を聞き届けることが出来るように、変わり続けていきたいと思います。
    コルチャック先生の言葉からももっと多くのことを感じることが出来る様に、子どもの
    その純粋さや可能性、個性を認めて受け容れることが出来る様に、子どもだけでなく、
    自分の関わる人たちに対しても他を認めるということを考えなおしていきたいと思います。

  3. コメント

    ヤヌシュ・コルチャックのシンポジウムを聞いて、保育士の時にどれだけ子どものことを思えていたのか考えさせられました。
    コルチャックのような、自分の命を懸けてまで、子どもたちを守った人がいることは、事実だと思いますが、逆に、命を奪う人もいるという事実を知った上で、どのように考えるかが大切だと思います。
    現在の保育園は正しい保育をし、子どもたちのことを守っているのだと思っていますが、考えてみるとコルチャックさんの関わりは命を使って子どもと接していることから本気を感じます。
    保育園で働いていた時の話しになりますが、子ども同士のトラブルが起きた時の解決方法は、子ども同士で解決できそうな子は、子ども同士で話し合わせていました。それが正しいと思っていたからです。
    コルチャックの子ども裁判の話を保育士の時に知っていたら、実際にやってみたいと思いました。
    大人の刷り込みによって得た知識で子どもたちが判断してしまうことは良くないとさらに感じました。
    現場の先生たちが刷り込みに気付いてもらえるように、自分から課題を見つけ、改善して成長できることが、最善だと感じています。

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