思い出の日々

思い出は色褪せないという言葉がある。

この色褪せないものというのは、いつまでも不変な真実の記憶であるということです。
そしてその真実の記憶というものが、心の記憶というものだと思います。

心というものは、目には見えないけれど確かに何かの出来事と同時に動いています。頭で認識する世界とは別に、心というものは別のところで通じ合っているように思います。頭でいくらコントロールしてみても、 心は隠せず心はすべてを認識しているとも言えるのです。

しかしこの心というものは眼には見えないところで感じているので言葉になりません。
ただ涙が出たり、体が震えたり、全身が痺れたりといった感動で気づくのです。

子どもは、素直に正直であるから出来事をそのままに感じて動きます。そこに作意はなく、悲しい時は悲しい、嬉しい時は嬉しい、寂しい時は寂しいとそのままにいるのです、それを我慢しないのです。みんなからどう見られるかを気にしながら反応しているわけではないのです。

大人になってくると、心で感じたことを頭で組み立てて表現したりもします。それに今に感じるよりも後先を考えや周囲との関係性でスイッチを使い分けたりもします。つまりは頭と心がバラバラになるようにそういう自分の日々の生き方そのものが、様々なところで素直になれない理由にもなってきたりもするのです。

だからといって、そのまま子どものように表現すればいいということではありません。自分の心を感じて正直にしていることが自分を大切にしていることにもなるのです。

一番身近な自分を一番身近な自分が抑え込んでいては、誰かがその人を大事にしてくれているとしても自分がそれをあるがままに受け容れることはできません。如何に周囲に心を開くかは、自分から素直な感性にあるがままに感動していくことであるのです。

どんな小さなことにも感動できるのは、頭で考える前に心が感じているままに相手を信頼しているからです。他人から傷つけられることは確かに怖いことでもありますが、それ以上に他人から信頼されることや大切にされることは代えがたい素敵な思い出のワンシーンを演出するのです。

心は丸ごと認められていると信頼するとき、もっとも素直にむき出しになるのだと思います。そしてそのむき出した心が感じたことが、もっとも色褪せない思い出になっていくのでしょう。

自分の心に正直に、感動し続ける思い出多い日々を楽しみたいと思います。

 

  1. コメント

    ここ2週間ほど意識的に物事を見るようにしています。その中で感じていることとしてこれまでいかに、物事を見過ごしてきたのかと気付かされています。意識を少し変えるだけで、起きるすべてが感動的で意味を考えれば考えるほど、日常当たり前になりつつあることから、気付かされることが多くあります。見過ごしてきた自分から気が付く自分へ、実践を通して学びを深めていきたいと思います。

  2. コメント

    お客様と接している中で感じるのは、言葉や知識は信念から発信しているのか、それとも信念ではなくスキルとして発信しているのかという事の違いに驚く日々が続いています。同じ言葉、同じ説明でも、信念からかどうかでまったく伝わり方が違ってくるのだと感じました。そして、聞いて下さる方も、頭で違いを理解するのではなく心で違いを感じるのだという事でした。心からの言葉を心で受け取って頂けることの喜びと言ったら、それこそ言葉では表現できないものであり、そういった日々をより充実させ、保育の素晴らしさを全国に広げていければと思います。

  3. コメント

    何の刷り込みもなければやはり子ども達の様に心で感じ取ったものをそのまま表現できるのだと思います。よく子どもの頃に素直に言いなさいと言われ、素直に言ったら怒らないからと言われ、言ったら物凄く怒られた記憶があります。いつの間にか心ではなく頭で考えた方で表現する事がいいんだと思い込んでいた自分もいます。しかしこのような事を遣っていれば人間関係にしてもよくなるとは思えません。先ずは自分自身が大人だからだとかという刷り込みをとり、心で感じたものを表現できる自分でありたいと思います。

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