光を観直す

何もしないというのは味わい深いものがあります。

人は焦りから目先の解決ばかりを追い出すと、ものごとが観えなくなっていきます。
目に映るのは、足らないものを探しては頭を廻らせ悩み惑いの中に入りこみます。

そういう時は、都会のネオンの中で星が何処にあるのかまた観えなくなるのです。

自然の中に一人身を置き、暗闇の中にじっと佇むと星々が観えてきます。
また森の中で独り身を置き、静かに澄ませると音が聴こえてきます。

そういう境地に置いて、はじめてものごとは観えてくるように思います。

有事の時は齷齪しないで、凡事にこだわり、当たり前を徹底することが人事を尽くしていることになるように思います。何かの派手な解決策に身を乗り出すのは迷いの中に居る船のようです。

灯りが燦々と光っている中でいることは、確かに一時的には安心するのかもしれません。
しかしその安心は、目に見える安心であって心がついているようでついていないようです。

本来の安心とは、心の安着であり揺るぎない信念であろうと思います。
大事なのは、速やかに原点回帰していくことのように思います。

だからこそここでまた目を閉じ、眼を開く、そして光を観直すことが私の所以です。

志の火に燃料をくべ、自分の使命を確認していこうと思います。

 

  1. コメント

    自分が流されていないかを常に意識しなければ、つい無意識のうちに何が不自然なのかすらも解らなくなり、流されている事が多くあります。特に東京生活をしていると時間の感覚も解らないくらいに麻痺している自分もいます。流されるのではなく、時に足を止めてゆったりしたり、五感を使うという事をもっと意識していきたいと思います。

  2. コメント

    目先に囚われず、未来を見据えて今を生きる事が改めて大切なのだと感じました。ロードマップもやる事は地味ですが、今を未来の為に使い、どうするかを考えるのではなく、何の為かを考えていくと言うことは原理なのだと感じました。まだまだ、変わっていくのりしろだらけである事に気付きました。行動に変えたいと思います。

  3. コメント

    「なにもしない」ことと「なにもできない」とでは意味が異なりますが、「なにもできない」状態において、いつまでも続くような先の見えない不安と苦しみを感じました。過ぎてしまえばあっという間の出来事のように思えますが、その時は一生続くような思いをします。一人では何もできないことを感じると、温もりという光を感じると人工的には作り出すことはできない美しさを感じました。
    元の生活に戻ることと原点回帰では捉えるものの量と質の差を感じ、「なにもできない」の意味も考えさせられるものです。

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