調和

先日、見守るためのチームワークについてある園にて研修を行った。そこはもう深く関わり3年目になるけれど、とても変化が著しく見守っていくための環境や心構えなどの基礎ができてきているように思う。いつも思うけれど、仕事がこんなに豊かに感じるのはともに同じ目的を持ち、そのために楽しみながら信じあいながら進められることによる。

御縁とは素晴らしいもので、いつもそこに一期一会を感じることができる。
人は、出逢うことで新たな幸せや新たな豊かさを実感できる。
同じ場所、同じ時間、同じ空気を味わえることが無二の喜びとなり、それを子ども達を通じて共有できるとは本当に有難いことだと思います。

私はいつもコンサルティングで思うのは、今、もっとも何をやることが初心を忘れないことであり、全体を真に益するかを園長が理念で方向を示し、その方向に対して皆が共通理解を持ち、協力してしていくことが何よりも子どもたちの情緒の安定につながっていくし、周囲との穏やかで信頼できる関係を構築していくことができると信じている。

誰かが自分勝手に自分の価値観を優先し、皆との繋がりを断絶すればそれでは優先順位がつけられることもない。

また、全体での決定事項に於いて自らが選択して主体的に参画しようとしなければ責任は取れるはずもない。

そして、一人にさせないようにお互いが思いやり助け合おうとしなければ配慮や心配ができず信頼関係は築けない。

それに全部完璧にこなそうとして肩に力が入り頑なになってしまえば柔軟性を失い、余裕を持ち平常心で豊かさを味わうというような遊び心なども持てはしない。

結局は、一人では何もできないと思って皆を信頼し協力していこうと自分が決めなければ何をするにもその上辺の距離感では手伝うことも喜びも感じ合うこともできないということに気付くことだと思う。

本音本心の距離感とは上記したように、相手を尊重し合うために自分から心を開き素直に正直に信じるための具体的な実践が必要になる。

それは仕事や作業に跳びつき、そこにしがみ付いているうちに何とか変わるだとうと考えないことではなく、もっと全体のために自分を活かそうとする努力、つまりは聴いたり話したり、味わったりというコミュニケーションをすることを言う。

コミュニケーションとは、心で行うものであり口や頭で行うものではない。

本当のコミュニケーションは、人間として相互に伝え理解し合うというお互いを尊重することを言う。

つまり「あなたはどうしたい?」という声と、「自分はこうしたい」という声、その話し合いによってこそ本当の対話が行うことができる。

その人がどうしたいかを聴かないことだったり、その人がどうしたいかを言わないことでは対話ができない。一斉画一教育が最も私が善くないと信じているのは、自分で考えさせず誰かの意見に従っていれば安全だと楽を選んで自分の人生を自分で持とうとしないことに依存体質の刷り込みがあったのではと感じている。

もしも軍隊や何か大集団で動かしたいのなら、意見を言わせず周りがそうだや一部の権力者の言いなりになるようにするのだけれど、個々の人間の幸福が全体の幸福と思うとき、決してこの一斉画一は人を幸せにはしないと私は思う。

人は自分と言う世界で無二の存在を受け容れる権利は、生命そのものの中にあるがままの光が証明している、私のかんながらでも八百万の神々とあるようにすべての無限の価値がそのものに宿るという考えによるものである。

だからこそ、一斉画一で自分で決めずやらされてきたし、それでいいとし便利に従ったことを此処で見直し、本来、自分の生き方の在り方を自らで見つめ自分がどうしたいかを決めることで役割を持ち自立することが大事であると思う。

世界はこれからは、それぞれの志のある人たちが持ち場持ち場で強く優しい実践で人々を平和に導く成熟した時代に入っていくと私は思う。

だからこそ、何より子どもたちにはそういう大人の背中を見せ、自らが自分で決めて迷わずに自分の意志で決めて豊かに楽しく生きられるような心地よい社会を切り開いていくために見守る保育を広げていかなければならない。

子どもたちには、そういう自分で決めた大人たちが自分で決める子どもたちを見守る環境が必要となっている。何かやりたいことがあって生まれてきているし、自分の役割を掴んで幸せに生きたいと思って産まれてくる。

そういう子どもたちに明るい未来を遺していきたい。常に調和とは、そういう個々の無限の価値の繋がりにおいてのみ見出だすことができる。

私自身、見守るということを信じ自らの内面にあるあらゆる心と向き合いまだまだ子どもにできることで正直に純粋なままの自分でお役にたっていきたいと思います。

  1. コメント

    園との関わりの中でも自分の都合を優先し、話を進めてしまうことがあるのではと反省させられます。
    誰にだって言いたいことがある。それは言いたいことがないということもちゃんとした意見だと思いますが、それをちゃんと聴いてあげれる環境や自分の意志を表現できる自由が必要だと思います。
    最近、地上波でもよく取り上げられているHarvard大学のサンデル教授のディベートの進め方も温かく気さくで、誰かのどんな少数派の意見にも経緯をし、受けれる空気を醸し出す素晴らしいコーディネートする工夫が伺えます。
    人の意見を傾聴すること、自分の意見を誤解なく伝える力の必要性を実感します。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です