性格学

せっかちという意味を調べてみる。

すると語源由来に、「急ぎ勝ち」というところから来ている。急くという字と、勝ちという言葉の組み合わせで、どちらかというと急ぐ方が多いという意味になる。似た言葉に、気早、おっちょこちょい、生き急ぐ、先走る、性急などがある。

対義語は、のんきといい、当て字に暢気や呑気を使いますが本来は中国の暖気から来ているようで性格がのんびりしていて、無頓着、気楽で気が長いなどという意味になります。

もともとせっかちな性格というのは、言い換えれば行動力があり思い立ったらすぐに実行せずにおられない性分だということです。またのんびりというのは、事がなるまでじっくりと待ち冷静に楽観的に信じるという性分だともいうことです。

それぞれが善く出ているときは長所であり、それが状況に反して悪く出ているときを欠点だと呼ばれるものです。どうしても自分の時に合わせようと相手に求めてしまいますが、御互いが御互いを認め合うとき、その両方がはじめて活かされて調和していくように思います。

また一人の人間としてもその両方を状況にあわせて生涯にかけて活かしていく必要があります。そういうものも周りから学び、自分の性格を活かしていくことができるからです。しかしそんなに簡単器用にはいかないもので、だからこそ多様な人たちの中で一生をかけてその両方を得ていくようにも思うのです。

例えば、せっかちの人は歳とともに、次第に落ち着いていくものです。これはせっかちの善し悪しを学び、どの状況の時にどうあればいいかを気づき身についてくるからです。そしてのんびりの人は同じく歳とともに、どのときは直観に従い行動すべきか、危機感をどう持てばいいかというのを学び身についてくるのです。

そう考えてみると、人は一人ではなく大勢の中で様々な性格の人が集まっていることがもっとも現在に対応し対処できるように思います。自分だけの判断では、そのような自分の性格がぴったりと当てはまる事柄と、そうではない事柄の時があるからです。

もちろん、人間として完全になっていくのに色々な性格が次第に陶冶されて円みを帯びていくことに人間の学びの意味があるように思います。

同時に、自分以外の性格の人達いてその人たちの御蔭で物事が正しく乗り越えていけるという実感と歓び、そして多様であることへの共生や貢献、感謝などを学ぶこともまた大きな意義があるのです。

自分がどのような性格かを知ること、同時に周りの性格がどうかを知ることは、御互いの持ち味を活かすためにとても大切なように思います。そのままでいいけれど、こうありたいよねと本音で言い合えることもまた仲間も定義であろうと思います。

色々と自分もせっかちな性格を直そうと苦心してきましたが、どうせどうにもならないことに当たれば道草を楽しもうという境地にいくしかなく、やはり天はうまく調整してくださっていると思います。

諦めるところから、認めることから、自他の性を、人間を深く学んでいきたいと思います。

  1. コメント

    自分の感情に任せ人の話を聞かないのではなく、相手の話を聞いているうちにはっとすることも傾聴というのかもしれません。一人で考えているうちは考えたいように自由に考えをめぐらせますが、はっとしたことで新たな一面を感じ見直す機会ともなりました。目標に近づいていくよう相手にも歩み寄りたいと思います。

  2. コメント

    「個性」とは優劣ではなく「持ち味」の違いです。それが長所と出ようと短所と出ようと、その持ち味自体が「魅力」です。自分の個性を知るには、違う個性の他人が必要であり、その魅力を生かすには、それを持ち味として受け入れてくれる他人の存在が必要です。こうしてお互いを活かし合える関係も愛ではないでしょうか。

  3. コメント

    三尺三寸箸の話で自分の口元に運ぼうとすると長すぎて食べれず、誰かに届けようとすると相手が満たされ、相手が自分に食べさせてくれる。という天国での話を聞きましたが、性格も同じようなことが在るのではないかと感じました。自分の為に性格を使うと苦しみ、人の為に性格を使うと幸せになる。自分の性格は自分では変えられないこと、自分の為ではないことをしっかりと自覚することから行動を変えて行きたいと思います。

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