現場主義

現場主義とは、現場実践主義のことだと以前のブログで書いたけれど改めて整理したいと思う。現場で起きていることは現実であるというのは、そこに嘘も偽りもない本当のことがあるからであり、実践とはその現実から目を逸らさずに取り組んでいるから気づくことがあるということ。

そして気づいたことから観得てきた全体像に対して、普遍的な今までの大切なものを守るために何を変えるべきかを明確に話せるということでもある。それを現場で継続してやろうともせず、分析した内容や安易な洞察、知識だけを詰め込んだ識者がさも分かったように話すというのでは理想と現実がかけ離れていることにならないだろうか。

王陽明に、「知行合一」があるけれどこれは単に原理原則や真理を知ったからとわかった気にならないことをいい、その実践が常にバランスよく維持できていることであり現場と智慧がいつまでも一体となっていることをいう。

もっとわかりやすく言えばちゃんと現場が言行一致するものが永続できていることである。そしてその現場で気づいたことを同じく現場で気づいた人と協力し共通理解をもって議論することで時代にあわせていくというのが本業や本筋を守り時代を生きるものの責任であるとも思う。

以前、ウォルマートの会長が今でもスーパーマーケットの現場で皆と一緒に働いていると聴いたけれどこれも同じくし、現場にあわせて今の時代にあうようにと会社の制度やシステムを変えているのだろうとも私は思う。

現場の実践、つまりは現実とは理想のことでありその現実を知り尽くしているから理想を実現できるのだと思う。私も今の仕事は、過去から今もずっと現場の傍にいるから理想を追えるのであり、そうでなければ理想などはなく現実もないただの虚像と妄想になってしまうのをよく知っている。

理想と現実とはイコールであり、それは真摯に現場実践主義を貫くということもであると私は思う。現場にいなければ実践しなければ単なる論語読みの論語知らずでは論語の心は継承していくことも受け継ぎ渡して譲ることもできなくなってしまうものだ。

そしその道理である原理原則とは分かるものではなく行うものであり、本当は原理原則は現場実践していくことではじめて知っていることになるのである。それをするのをやめればすぐに原理原則を知っているだけの人になるだけで何か現実が変化するわけでもない。単なる物知りというだけになる。今はこれをはき違えている人が多いと先日、師との話の中で感じることがあった。

たとえば、動物園でいえばどんなに動物園の園長がこうあるべきだということを膨大な知識を得て語っているとしても自分の動物園での現場実践が疎かになっているところで本当のことについて議論できるはずはない。

世界でも、同じく動物を観察し、心を澄ませて動物の声が聴け、動物のことを自分のことのように感じることができる人たちが、何のためやるのかということを正しく持ち、その現場の気づきで語っていることでしか世界標準であることにはならないと私は思う。

子どもでいえば、全世界が持っている普遍的な「子ども像」という太古の昔から脈々と変わらないものがあり、また変えてはいけないものがあり、それは未来を担うのが子どもたちなのだからこそ大人の都合で押し付けたり刷り込んだりしないで、子どもたちがやろうとすることを生き方の実践を示して見守るということと同じことを言う。

大人が子どものことが話せるというのは、子どもから感じてこちらが現場実践で取り組んでいくなかでたくさんの気づいたことを代弁することをいう。それをどうしていくかを話すのが影響力を持った人たちの使命だとも私は思う。

しかし子どもの心になるには、よく自分の心を澄ませて同じ現場で子どもが何を望んでいるのかをちゃんと聴き、あるがままに受け取れる感性と温故知新する伝統の精神性が必要になる。

このような時代だからこそ、本業は何のために行うのかを考え切り、初心に帰り、正しく現場主義を貫くことの延長線上に常に真の世直しがあるのではないかと私はいつも感じている。

言葉だけが強くなっても、知識や知恵だけがいくら鋭敏になっても、本来の現場ができていなければやはりそこは真実のイノベーションは興りはしない。

現実とは理想のことであり、その現実をちゃんと実践し気づき尽くしているからこそ理想を実現できるのだと思う。

常に、実践の中に普遍的なものがあるとし永遠にそこから離れず、わかった気にならないように戒め、現場から気づいたことを本質的な学びとし、その質を高めまた厚くし、永遠に深めることを実践とするようにしいきたい。

子どもの仕事を行うからこそ、自分が独善的にならないように注意し、ずっと今まで変わらずにあった本当の子どもの姿を見守っていけるように本業の現場主義に専念していきたいと思う。

  1. コメント

    保育というものには多くの考えがあると思います。又、時代に合わせ変わるものとずっと変わらないものがあるのだと思います。その中で正しい答えは一体何かという事は、やはり自分自身の実践なんだと思います。知識はあくまで知識であり頭だけでの理解だと思います。大切なのは心も体も使い自らが実践し腹に落ちたことが正しい答えではないかと思いますし。もちろん知識は必要だと思いますが、そこからの実践を私も大事にしていきたいと思います。

  2. コメント

    真実は一つしかないと思死ますが、真実やモノゴトの本質を見続ける力は誰にでもあるものではないと思います。
    どうしてもわからないことをわかりたい、またわかったこととすることで自分を満たそうとしたり、
    自信を持とうとする気持ちが現実にある真実から離れていってしまうのだと思います。
    以前、本で読んだ言葉で「知識は現実逃避できる最良のものである」とあったことを思い出しましたが、何が大切なことなのか、自分は何をする為に存在しているのかからぶれずに実践し、真理に近づいていきたいと思います。

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