人間関係にも自然農

昨日、ある園の取材の中で自然にまた気づくことがありました。不思議ですがいつも全身の真心で取り組むときはいつも自分に必要な叡智を何ものかに与えてくださっている感覚になります。自他一体にはいつも感謝することばかりです。

話を進めれば、私はここ数年で自然農をはじめて自然というものを考えるようになりましたが一度はじめてみると人間関係のことばかりで悩むことが増えてなぜだろうと思っていたのです。

色々な人たちの関わりの中で、自分の遣りたいことをやろうとすれば様々な人との関わりが発生してきます。その中では、自然の気候が自分の思い通りではないように、人との付き合い方もまた思い通りではありません。

自分を貫こうとすれば、障壁のようなものに遮られそこで自分の傲慢さを学び、そして自分の方を柔軟に変えていくことを知るに至るのです。自然から学ぼうとするとき、謙虚でなければ自然に一人で立つことができないこともまた自覚するのです。

それはやってみながら楽しんでいたのですが、自然と人間を分けていたせいかどこか人間の方との関わりは自然のようにはいかないと少し諦めていたように思います。

しかし昨日、それが一致したのは人は人にも自然があるということです。

自分が正しいと片意地を頑固に貫くことだけが自然ではないということもまた自然を学ぶことになるのです。昨日は、しなやかさの話の中で、三味線の弦を張り過ぎないことの大切さや、負けて克つお話などを拝聴することができました。

人に対しても色々な人たちがいるのだから、自然に包みこむような大らかさを掴んでいくこともまた自然から学ぶことに他なりません。

自然の定義を分けずに人間関係からも見直していきたいと思います。

此処に来て恩師の言うことの本質が少しだけ覗けた気がしました。恩師の仰っていた宮本武蔵や孫子などの「兵法」というものをもう一度学び直してみたいと思います。

  1. コメント

    「自然」に興味を持ちだしたのは、この1,2年です。いま改めて、木村秋則さんの言葉等を聞き直してみると、自然の中に孤立して生きている命はなく、すべての命が他の命と関わり合い支え合って最適な環境をつくり続けているその仕組みのすごさに、素直に感嘆します。しかし、同時に、その奇蹟的な豊かさを、何も知らないで生きてきたことに愕然ともします。本来は、人間もその仏性そのままに素直に生きられれば、自然と同じように、生かし合い力を引き出し合う最適な環境と関係をつくれるのでしょう。しかし、自然同様、人間の仕組みについても、何も知らずにわがままに生きてきたのかもしれません。結局、本質を知らないから、そもそもの「前提」から間違っており、それが、傲慢さや自己中、あるいは自己嫌悪や自信のなさといったあらゆる「不自然さ」を生み出しているのではないでしょうか。ほんとうの世界を知りたいと心から思います。

  2. コメント

    内省する方向を誤ればいくら時間を費やしても同じところで同じことを繰り返し、それは聞くことから始まるのだと感じています。聴くほどの熱意を相手に持っているか、同じように熱を込めて取り組んでいることがあるか、まだまだ至らない自分を感じます。手に収まるようなプランターから外での仕事を考えたいと思います。

  3. コメント

    自分の考えを主張していく事と相手を尊重して自分を変える事との折り合いをつけるのは難しいと感じますが、お互いに善くなりたいと思う気持ちからの主張であれば、私は話し合いから進めたいと思っています。家でも妻と話し合うことが多いですが、どのような家庭にしていきたいのかをしっかりと意識して、家庭内にも自然のような調和した関係を築いていきたいと思います。

  4. コメント

    自然農の畑や、森を見ると、自然にある草花や虫、動物達にもそれぞれの正義があり、しかし、それぞれの正義をだれかに求めるわけでも主張するわけでもなく、それぞれが苦しみながらも共に生きることを助け合っているのだと、ブログから学ばせていただきました。本当の正義とは、困っている人を助けることだと、アンパンマン作者のやなせさんはおっしゃいましたが、自然界のように、厳しく、優しいく、大きな見守りが出来る人間になりたい!と強く思う日となりました。今出来ることを変え、積み上げて行きたいと思います。

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