継続と心棒

何でもそうだけれど、一度決めて進めていることを続けていくには日頃から心が怠けないようにしていなければ継続していくことはできない。

そしてそれを継続させていくには、自分なりに仕組みを考えてそれを続けられるように工夫していかなければならない。仕事で言えば、一度大事だからと上司と話て決めたことをきちんと続けている人とすぐに時間が経つとやらなくなる人がいる。

誰かに進捗を管理されればできても、自分で工夫してやろうとしなければ結局は仕事の質は下がっていくことになる。常に何かを継続するには、心で決めてそして強い意志を働かせていることが必要になる。

例えば、それは心が宙ぶらりんになっている状態を継続することにも似ている。当然、人は目に見える形にしてしまって早く安心したいという心がある。結果に対してすぐにそれを要求し結果を欲しがるという心がある。しかしよく考えてもみると、一つの結果ができたとしてもすぐに次の結果を求められるもの。

なんでもかんでもすぐに終わらせたいという気持ちは、その心が不安を嫌がり不安を怖がるからそうしてしまいたいという欲であり本当に大事なことをじっくりと見つめ続けながら最終的な姿まで時間をかけて取り組んでいこうという姿勢の方ではない。

心が宙ぶらりんというのは、ある意味で早く安定したいすぐに安心したいと落ち着かない状態でも、その心の方針がブレナイということ。つまり確固とした強い意志の力や信念で、どんなに状況や環境が変わっても心の針は動じない状態になるということを言う。

そういう心の針がいつも同じ場所へ戻るような実践を通じてブレ幅を小さくしていくことや早く定位置へ回帰する力をつけることでもある。それも心棒(辛抱)ともいう人もいた記憶がある。

そうして心棒強く継続していく最中に、いつも原点に戻れば常に穏やかに心が澄んで大局的な見地で物事に冷静に取り組んでいくことができるのであろうと思う。

そうではない人は、朝に焦っていたかと思えば夕べには慢心し、ちょっとやったからと安心していたかと思えば、すぐにできないんですと不安になっている。

いつまでもこんなにブレて現象にいちいち振り回されていたら、本当に大切にしているものを守ることはできるのかと思えることもある。継続するということは、大事なものを忘れないという強い気持ちや何よりも優先したものを守るという怠けない心の姿勢を自戒して問い続けることを言う。

毎回丁寧にそれを明確に形にするのは、それをきちんとできているかどうかを自他ともに確かめ合い、お互いに協力するためにも必要なことだ。もっともこの世の中で人に迷惑をかけるのは、その人だけの自己本位と自己都合という欲を周囲にばらまき自分の方へばかり周囲を手繰り寄せようとする傲慢な心の態度であると私は思う。

その欲が、もしも全体や皆のための欲であるならば大きければ大きいほど素晴らしい偉業に繋がるのだろうけれどあまりにも自分勝手な狭い自己中心的な世界を押し付けていてはいつまでたってもマイナスにしか働かない。

迷惑の反対は貢献だし、貢献の反対が迷惑である。
その紙一重のことは、全ては自分の心の姿勢で決まるということを忘れてはいけない。

楽しく働き、周囲との幸せな関係を築き、豊かに生きていくためにも、心の意思や強い決意で覚悟を持って日々の継続に取り組んでほしいと思う。

継続することで、不動心を養い自立し、皆で大切にしてきたものを守り抜く強さを子どもたちにも伝えていきたい。まずは、自らが率先垂範することで示していこうと思う。

  1. コメント

    決めたことから逃げないということは、自分が自分らしく生きていく中で最も大事なことなのだということを感じる機会を日々頂いています。逃げているかどうかは自分が一番わかることだと思います。私自身を振り返ると、家庭を理由に逃げていることがありますので、これを改めていきたいと思います。

  2. コメント

    何かの事象に踊らされるのではなく、不動心を持ち、維持し続けるという心の強さが必要であることを実感します。逆に何かが起きていたとしても変わらないものがあり一つひとつが積みあがっていくことで充実していくことも大事かと思いました。出来事や事件は自分の中でも必要なことであり、動いていくことで積みあがる確かな意味を感じることが出来る様にしていくことを大事としていきたいと思います。

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