ひとつのもの

私たちは一つのものを皆で分け合い使いながら生きてきた、これは不滅の真理であり循環の理を指すものであり生きている以上はこの中で私たちは幸福を味わうようにとできている。

それは最初から今まで私たちは地球の資源である、水や大地や空気やその他様々なものを皆で共有しながら生きてきたからである。

今回の原発事故などにしても、そういう人間の欲望を垣間見ることができる。

一人で買占めをしようとしたり、いくら自分は関係ないからと外から眺める人がいようが地球は繋がっているのだからどうしようもない。そういう社会があるのだからそれをするのは危機管理の一つであろうとも思う。

しかしそんな社会の根幹に疑問を持つ人たちはどれくらいいるのだろうか?

自分だけの地球という視野の狭い世界にして自分だけはといくら思ったとしてもこの地球は一つであるし、もともと私たちは一つの惑星の上で万物を共有し生きているものである。世界は一つであり、対岸の火事などは決して存在はしない。

それをお金で全て手に入るなどと勘違いし傲慢になっているから、いつまでも痛ましい事件は続いているのだろうと歴史を観てはよく思う。

私がもっとも心を痛めている環境問題についても、もともとは動植物など生命が皆で分け合い生きていくための大切な資源を人間の利権を人間社会という狭い世界でだけで搾取し尽くそうとするから様々な生物や生命が失われていくのであろうとも思う。これが今の時代は急速になっているというと、欲望が世界中へ蔓延していることを意味している。

なぜ奪い合うのか、なぜ分け合わないのか、痛みも悲しみも、その心ですら分け合えば一つになるのに他人事のように語る人たちがいる。自分には関係がないと思っていたって、世界は繋がっているし一つであるからいつかは自らの身に降り注ぐことを待つだけである。逃げられるはずもない。

世界の隅で行われた出来事であれ、世界の何処かで隠れて何かをしようが、世界の上で私たちは生活するのだからそんなものはどうせすべて明るみになっていくもの。それを内政干渉しないでや、自分のことだから別にいいだろうなどと開きなっている人がいるけれどこれは矛盾に満ちている。

これは個人単位で例えても、自分の人生だから関係ないだろうや、誰にも迷惑はかけていないつもりだなどと、平気で自分と他人を分けて語る人がいる。しかし、そもそも一つの地球、一つの生活の繫がりの上での出来事であるからそれは他人事ではなく皆で共有している一つの大事な事なのである。

だからこそ、すべて関係があるものだし、すべて迷惑もかかるもの、そして出来事は世界中の皆で共有すべき関心事であるはずである。一人では生きられないというのは、そういう意味を含むのである。

今のように世界が見渡せるようなIT社会、情報が瞬時に駆け巡る時代に私たちが成熟さを求められるのは何だろうか?

それは、真理が私たちが目に見えて耳に聞こえてくるということである。

昔の人間は、動植物と同じようにそれぞれが自分の分限を定めそれに従い慎ましく生きた時代があった。それが人間の欲望が科学により助長され、目にはみえない叡智や偉大な存在を感じることをしなくなり遂にはこういう資源の取り合いという事態になっている。

今は地球46億年でもっとも裕福な大地がある時代だとも言う。大地が海によって世界中に散らばっているからである。つまり多様化された時であるのに、人は裕福さに満たされればこういう風に欲望に走るのであろうと思うと悲しくなってしまう。

心が何のためにあるのかを思えば、欲望を管理し、正しい方へと叡智を活かすためであろうとも私は思う。

地球は一つ、私たち生命も一つのものの上で成り立っている。

子ども達には、自分が周囲と分け合い生かされているからこそ自分だけのことを考えずもっと広い視野で繋がっている感覚を身に着けていってほしいと願う。

まずは、私自身の身の周りから思いやりと感謝という実践を積み上げていきたい。

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