野生の直観~柔軟性と調和~

私たちは本来、自然界の中で野生に栄えた生物です。

自然農をはじめ田畑に出ても、植物や虫たち、それぞれが自由自在にあるがままに生きています。そのものがそのものらしく生きているのを邪魔しないでいるのと同時に、そのものの特性を活かしつつ共生するために調和をはかっています。

自然界というものは、常に相手を変えるのではなく自分を変えることで調和するのです。

長い時間をかけて、御互いの持ち味を如何に活かせるかをそれぞれに活かそうとします。

それは自然界が活かし活かし合う関係で成り立つからなのでしょう。

自然界から離れるというのは、自分の思い通りにしようとすることかもしれません。進化が停滞し退化するというのは、自分の方を変えようとしないことをいうのでしょう。

自分を変えるには、相手の持ち味を善いと感じる観察眼や心から周囲によって自らが活かされるという真理に気づくことなのかもしれません。

今の人間社会の中で生きれば、それぞれが自分の思い通り生きることを自分らしくあるかのように錯覚して報道します。しかし実際の自分らしさというのは、あるがまま、言い換えれば難に対しても柔軟性を以て対応できるということなのでしょう。

つまりは、自分が周囲を尊重しているからこそあるがままということです。

昨日から小笠原流流鏑馬という古武道を習いはじめましたが、馬との阿吽の呼吸からですが自分の中の筋力や体幹がまだまだ合わせられずあちこちが痛みます。一つのことをするにも痛みを伴うのは、それだけ自分が成長しているあかしであり鍛錬しているからこそ進化できるのです。

新しいことに対する筋力は常に痛みを伴いますが次第にその痛みは新しい自分、新しいステージに向けての準備段階なのです。

仲間が新しいことに挑戦するのを一番身近で見守る自分が、何よりも挑戦することを触発されたようにも思います。子ども達のモデルになるために、自らが変化の源になりたいと日々に願うばかりです。

プロセスを楽しみ、自らの変化から自然との共生、野生の直観を磨いていきたいと思います。

  1. コメント

    「大自然に対する畏敬の念」と「生かされているという謙虚さ」を忘れないことが、天地自然の理に素直に従い、大宇宙の意志と一体となることの大前提であることが、ようやくわかりかけてきた気がします。徳目修養の原点をここに置き、ここから外れないように克己の工夫を重ねたいと思います。

  2. コメント

    挑戦している最中は自分のことで精一杯になってしまいますが、ふと考えるとその機会を頂いたおかげで挑戦が出来ていると思うと感謝の気持ちが湧いてきます。きっと機会は何度も形を変えて現れているのだと思いますが、自分自身の姿勢がその機会を活かせるかどうかにも繋がっているのだと思います。周りの挑戦も自分事として感謝する自分で在りたいと思います。【●】

  3. コメント

    活かし活かし合う関係と言うものを本当に今感じることが出来ています。この挑戦の機会に少しでも道具の本質を掴もうとし、ろくに寝ずとも不思議と頭が冴えているのは、ひとたび志立てば気もまたこれに従うという、師の教えによるものなのかもしれません。初心を大切に努力を続けたいと思います。

  4. コメント

    いかにして自分を変えていくかということも、想定外の変わり方に気付くまで、何度も想定の中でもがいている状態です。ただ、自分の頭よりも感じる違和感に従う事を大切にしています。違和感は、自分や他人を区別せずに伝えてくれますが、向き合うことがしんどいですが、大切にして行きたいと思います。

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