体験~人生二度なし~

人生には一切の無駄がないという言葉があります。これはなぜそうなるのか、その意味を深めてみます。

人は必ず自分の体験が誰かのお役に立つようにできています。それはその時は感じていなくても時間が経つとあの体験がなければ今はなかったというような感覚を持つようになるからです。

そしてこれはその人個人の体験に限らず、その体験を必要とする人に巡り合い、その人が自分の体験を糧にその人の人生に役立てるからです。

この体験が尊いというのは、もともと人間が分かれていない存在であることに立脚しています。人間はつながっている存在です、それは歴史を観れば必然ですが分かれているものは本来何もないのです。

だからこそ自分の体験は必ず何かとつながっているし、自分の人生体験は必要だから発生しているともいえます。だからこそ自分の体験は他の人たちの体験にもなっているのです。

自分の人生を一生懸命に生きる意味とは、それがお役に立てると信じているからです。自分一人だけの世界で物事を見てしまったら、お役に立つという観念もまた自分の都合で考えてしまうかもしれません。しかし八百万の神々といった全体から自分を省みれば、存在そのものが大いに役に立っていることに気付くのです。

それ故に人は役に立ちたいと強く願うのです。本来の役立ちというものは体験を大事に自分の使命を尽くしていくことのように思います。

言い換えれば、体験そのものをどれだけ充実させているか、体験させていただけることに感謝しその体験を如何なる高みにまで昇華させるかということでしょう。

何気ない日々も体験ですが、二度とない一期一会の日々もまた体験なのです。体験そのものが役立ちだと気付くことができたなら、人生に無駄がないことにも同時に気付けるのです。

無駄がない人生だからこそ、体験を大切にしなければなりません。

どんな体験もそれはかけがえのないご縁ですから、そのご縁が結ばれていく世界に存在しているのだから無駄にはしないという覚悟もまた必要なのでしょう。

結果を求めるのではなく、どれだけ真心を籠めて生きたか、どれだけ至誠を盡して生きたかというのが体験させていただいたことへの感謝の現れなのでしょう。

正に人生二度なし、二度とない出会い(体験)を大切にしていきたいと思います。

  1. コメント

    人は、出逢いやその場その場の関係性の中で絶えず変わり続け、また、その経験を原因としてどんどん新しい未来を創造しながら生きています。すべてのものが留まることなく影響しあっています。そうしたご縁と変化を楽しむと同時に、そのつながりのなかで、お互いの人生に責任を背負っている関係でもあるでしょう。自分の都合を安易に持ち出さないように、そして、本来のご縁の約束を果たせるように生きたいと思います。

  2. コメント

    「結果ではなく真心を込めたか」。遣った後、遣ったことについて振り返ることは出来ますが、そこに心があったかと問うのはこれまで避けていたのかもしれません。形の上ではいくら取り繕えても真心を込めたかは、自分自身のことを欺くことはできません。「人生二度なし」、「一期一会」まだまだ日々をそう送れていません。日々ことから心を込めて過ごしていきたいと思います。【●】

  3. コメント

    森信三先生の「人生二度なし」の言葉に出会った時、何を今更と思ってしまいましたが、頭ではそれを分かっても本当の意味は容易に分かるものではないと感じます。人生二度なしは、全てに二度目の体験は来ないということなのだと思います。それを考えれば、あなたに出逢うこと、今日やろうとしていること、不意に起こった出来事、その全てがたった一度の機会なのだとどこまで本気で思えていただろうかと感じます。似たようなことはあっても、そのものは一度だけ、その積み重ねが人生なのだと、今日も一度切りの大切な機会に臨む姿勢で生きたいと思います。

  4. コメント

    明日があると思えば、今日の一日はいくらでも言い訳ができますが、明日は「今」の積み重ねであることを思うと、今をどれほど大事に過ごしたかが大切なのだと学ばせて頂きました。
    お客様や結果、ご縁はうそを付きません。自分を自分の価値観だけで振り返るのではなく、全体のメッセージを受け取れる自分でありたいと思います。

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