自然の心

日々に太陽が照りつけ、日々に水が流れ、日々に草木の中で虫たちが営む、生き物たちの命の循環、自然は素のままであるがままに移ってゆく。

心にわだかまりもなく、思い思いに命の華を咲かせそして実をつけまた枯れはじまりとおわりの中に生きている。

形があるのもののなかに形にならない心があり、その心が純粋に素直であれば自然体の自分に出逢うのであろうと思う。

人は自分のことを一番知っているのが自分のようで、それは感情を通しての自分であるから本当の自分を知り尽くしているのではない。

日々に色々な感情が左右し、不自然な自分を形成し本来の素直な自分というものを見失っていくもの。

自然に生きていた時と違い、何かを人工的に感知するようになれば人工的で形どられた自然という名の不自然の中での調和を維持するために様々な苦しみを味わうようになった。

何かを自分の分別で解釈し、そのことからより感情が波打つようになる。

もともとの姿、心のままに生きるということはそれだけで人々の調和を生み出していくものであると私は思う。

そうではない生き方をすれば、常に自分が不自然を振る舞うことになるのだから周りが素直になれないような環境を作り出す手助けをしてしまっていることになる。

自分が素直になるというのは、それだけで人々との調和に貢献するということである。

皆にあわせて無理をすることが素直ではなく、本来の素直さというのは自分自身が素直になりたいと強く願い日々に素直にいるように心がけることで世の中はより善くなっていくのであると思う。

自然の生き物に習い、自然の心でいるというのは素直になるということである。

そういう生き方ができるよう、自分自身との感情とうまく付き合いながら素直の実践を楽しんでいきたい。

素晴らしい人々との出会いがあるから世の中はより素晴らしいものになっていくもの。人生の醍醐味と知り、今の心を楽しんでいこうと思います。

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