心の在り処

人生はゆっくりでいいと言いつつも、この世の中のスピードは目まぐるしく変化していきます。周りを見ては比較をし、遠くをみては不満ばかりを募らせ焦ることも多々あります。

人間は自分の思い通りでなければ不安を感じるものですし、執着がありますから様々なストレスがかかってくるものです。しかし論語の「速やかならんを欲するなかれ、 小利を見るなかれ。 速やかならんを欲すればすなわち達せず、 小利を見ればすなわち大事成らず。」にあるように、なんでも急ぎ、自らの我欲を満たそうとすればそもそもの初心や原点を忘れてしまうものです。

如何にそうならないようにするには、一つ一つの実践を踏み締めていくことでしょうがもう一つ別の心境もあるように思います。

先日、ある場所で下記のような詩に出会いました。作者はちょっと難しい名前で○石と書かれていましたがこの○のところの漢字がどうしても読めませんでした。その詩に、今を生きることの大切さ、焦ることの愚かさ、現実の只中で生きていくことの真価を学んだような気がしましたので紹介します。

「足元ばかり見てたら 行く先がわからなくなった。
遠くの夢ばかり見ていたら 足元の石ころにつまずく。
だから休みながら のんびりのんびり
遠くを見たり 近くを見たり
ゆっくりゆっくり 今を楽しみながら。
あしたもきっと しあわせないちにち。」

焦る気持ちが今との直視を避けるものです。心が着いてきていない日々はまるで迷いと不安で心落ち着かない状態になっていることになります。そんなときは、一度立ち止まり何度も内省し、大事なことを思い出し、今の有難さや御蔭様に気づくことのように感じます。

人間、畢竟、天を敬い足るを知ることで心の本来の在り処に気づけるのかもしれません。まだまだ物来順応の境地には程遠いですが、見守りに逆らわずに子ども第一義の道草を味わい尽くしていきたいと思います。

 

  1. コメント

    一昨日山に入り、暑い、寒い、苦しい、疲れた、先が見えないなど様々な感情と向き合っていくなかで、そもそも何故こんなところへ?というシンプルな問いかけが湧きますが、心はそんな素直な問いの時はいつも、その感情を味わう為という初心を見せてくれます。暑ければ脱げ、寒ければ着ろ、苦しければ笑え、疲れたら体のペースに合わせろ、先が見えないなら立ち止まり地図を見ろ、と単純な事も初心を忘れれば不満の感情に満たされる事に気付きます。仕事も生き方も同じく、初心を忘れないように何度も何度も振り返りたいと思います。

  2. コメント

    「焦りの内容」には、まだ着かない、届かないという「距離的なもの」と、まだその域まで達しないという「レベル的なもの」がありますが、「焦りの原因」は、すべて「時間的なもの」です。すなわち、時間軸を外し、時間を気にしなくてよくなれば、焦らなくて済みます。しかし、「待てない」という性格的な傾向性を持っている人には、すべてが「焦り」の対象になる可能性があります。「焦るとき」に注意すべきは、「現実のスピード」と「自分都合のスピード」の違いです。また、「他人に対する焦り」は暴力的に感じることがあります。真の「余裕」は、「謙虚さ」から生まれるのではないでしょうか。

  3. コメント

    詩の中にある「のんびりのんびり、ゆっくりゆっくり」を詠むと自分の奥の方まで沁み渡るような感覚があります。ベランダで小麦を育てていますが、毎日ではなく定期的に水をあげていますが、乾いて欲しそうな時にあげると吸収力が半端ありません。求めているときは何度も吸収する小麦のように、自分自身も心をそう育てていきたいと思います。【●】

  4. コメント

    足元ばかりを見ているのも、遠くの夢ばかりを見ているのも違う。でも、だからと言って、ある一点だけを凝視し続けるのもまた違うのだと思います。どちらにも偏らないとはこの場合、一点に留まるのではなく、両方に揺れ動きながら段々と一点に定まるというイメージと受け取りました。そういった意味では、今が足元ばかりを見ていても遠くの夢ばかりを見ていてもそれは善いことで、ただ一点にそれを定めていけばいいのだと感じます。日々の実践から原点回帰を続けたいと思います。

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