お気楽極楽

昨日、「お気楽極楽」について書きましたが少しこの意味を深めてみようと思います。

このお気楽極楽とは、天国というものではありません。よく極楽が天国だと言われますが、天国には地獄もあります。天国とは、自分の願望がなんでもかなっていくのを天国だと思われています。逆に地獄は、自分の思いどおりにならない状態、苦しく辛い状況のときに地獄だと使われます。

それに対してお気楽極楽というのは、心の状況のことを言います。よく西洋の考え方の基準に「正・反・合」という見方があります。正しいではなく反対でもなく、合わさった場所が中庸だという意味です。私はこれに対して「正・反・福」というように正しいでもなく反対でもなく福であることが本来の中庸だと思っています。禍転じて福にする、人間万事塞翁が馬とも言いますが、お気楽極楽とはそういう何があっても「福」だと考える見方のことを言います。

人は自分の願望がかなったことを天国にし、思いどおりではないことを地獄にしてしまうと常に心は天国と地獄の狭間を行き来し、天国の時は幸せだといい、地獄の時は不幸だと言います。そういう心境はとてもお気楽でも極楽でもありません。

新潟の方言で「じょんのび」というのを聴いたことがあります。これはのんびりとゆったりとするという意味だそうです。漢字で書くと「寿命延」と書きます。心が穏やかで安らか、豊に伸びやかに落ち着いていると寿命も延びていくという意味でしょう。

心配事や不安なことは、自分の中にある天国と地獄という物の見方の方に問題があるように思います。TODOリストを出しては、それが叶ったら幸せで叶わないと不幸という捉え方をするのではなく、足るを知り、頂いている方をよく観ると本当に膨大な恩恵を与えてくださったことに感謝の心に包まれるものです。

物が増えて使い捨ての文化が蔓延することで、「ないものねだり」の刷り込みはますます分厚くなっていきます。今の時代の不幸の元凶は、感謝できなくなってくることのように思います。

人は思った通りにいかなくても、思った以上のことをいただいているものです。ないものをみては焦り、周りに矢印を向けるのではなく、いただいている御恩の大きさをみては自分に矢印を向けて内省することで心は落ち着いてくるものです。

お気楽極楽の境地というものは、安心している心境であるということです。きっと福になる、きっと善いことになると運を信じて今此処に集中することは福を呼び込みます。

福を呼び込むというのは、信じるということであり、私たちはそれを聴くという実践によってその福を広げていきます。日本の祖親には、「アメノウズメ」という先祖がいました。踊りの神様であり、和来の神様です。世の中が暗闇に沈むとき、踊り詠うことで福を呼び込みました。争い世の中が乱れるときもまた、踊り詠うことで福を呼び込みました。

私たちカグヤの理念の原点には、このアメノウズメの実践があります。

引き続き、お気楽極楽を広げて今の刷り込みの社會に真の豊かさと智慧を広げて子どもたちの未来が笑いに満ちるように生き方を精進していきたいと思います。

  1. コメント

    笑って泣いて、そんな研修でしたが本当に研修?と思う程、終わったあとに漂う気持ちは幸せに包まれたものを感じました。実践する姿が先生の勇気になり、そこでお役に立てることは本当に有り難いことです。そう思うときっと、アメノウズメもみんなの知らないところで、たくさんの経験を通して実践を積んでいたのだろうと感じます。これから益々よくなっていく、そう思える安心感を携え、ここからまた実践をはじめていきたいと思います。

  2. コメント

    鍵山秀三郎さんは、「人間は、人から愛されたり、守られたりしていることには極めて鈍感で、逆に、意に添わないことに対しては、とても敏感にできている」とおっしゃっていますが、この「何に敏感であるか?!」ということが問題です。あまりに、心配事や不足ばかりに心を奪われていると、常に構えていなければならず、心の手足が伸びません。まずは、「構えなくていい」ような生き方をしたいと思います。

  3. コメント

    「こんなに大きな声を出して笑ったのは久しぶり、人の手って温かいんだなぁ、こんな風に先生たちが愉しめばそれが子ども達に伝わっていくと思う、話をしたことが無かった人とでもこんなにオープンに話せるんだ…」という先生方の声から、先生方が心から望んでいること、そして自分自身がその環境の中にいられる有難さと仕合せを感じました。子ども達の為であり、それが伝わっていくことを願い、感謝の気持ちで実践を積み上げていきたいと思います。

  4. コメント

    今ある環境の中で、頂いているものを丸ごと福として頂く幸せは、「笑いも泣くもあっていい」と円満祝福唄の歌詞の様です。どんなことがあってもいい、全部福だからとそう思える世界を先生たちと歩んでいけたら、そこにいる子ども達もきっと幸せなのだと思います。まだまだ始まったばかりですが、歩みを深めて行きたいと思います。

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