場数とは

色々と挑戦する人は「場数」というものの質量が高まってくるものです。この場数を踏むというのは、経験を積んだ量のことであり、それだけ体験をして馴染んできたということです。

現在は知識や知った気になるばかりでこの場数というものをあまり重んじていないようにも思います。子どもの頃から様々な体験を積んできた人は挑戦することが学ぶことになっていますが、体験がない人は学ぶことが挑戦することとつながっていないようにも思います。

改めてこの「場数」ということについて少し整理してみたいと思います。

この場数の「場」は、単なる場所のことを言っているのではなくこの時の場は「道場」としての場であると私は定義しています。自分の道を定めて初心を決めたら日々は常に道場になります。道場になるということは、実践が必要になります。その実践をするときに場が産まれ、その場を繰り返し向上し続けることで場数が増えて経験値が高まり道が拓けていくのです。

場数を踏んでいる人の言葉というのは説得力があります。なぜならその人は単に知識で覚えたことを伝えているのではなく、自ら体験して経験したことを伝えているからです。裏付けられた経験値からくる真実は嘘偽りがなく、その言葉にはチカラがあります。

言葉というものも、単に文字遊びで使う道具ではなく文字通り道具として真実を伝えるために使われてはじめて効果があるのです。自分の体験したこと、そして実践したことを自分の言葉で伝えることほど思いやりや真心が入ります。

論語の三省に「習わざるを伝えしか」がありますが、知った気になったことを人に教えていないかということです。これもまた場数を踏んで体験し経験して掴んだものだけを伝えなさいと言うことでしょう。

場数を踏むことの大切さは、自分のやったことを内省しそれが何だったのかを意味づけしていく中で気づけます。単にやることに意味があるのではなく、何のためにやるのかと実践を続けていくことが場数を高めて道場としての精進を続けていくことになるのでしょう。

私は場数を大切にするタイプなので、色々なことをあらゆるジャンルであらゆる角度から学びたいといつも思っています。このブログが多岐にわたるのも、欲張りだからか全ての体験を場数にしたいと思っているからかもしれません。

実践こそ何よりの真実であることを伝え、子ども達にも素敵な場数を弘げていきたいと思います。

  1. コメント

    一回一回が真剣勝負、自分自身の覚悟が問われている、そういったことを最近感じています。これまで感じていなかったものを感じるようになり、なおさらその分本当に自分の言葉なのかと思うところもあります。あの表情、あの声、やりたいけどできないという思い、背中をそっと押せる自分であれるよう、自分に打ち克ち真心からの行動を大事にしたいと思います。

  2. コメント

    「場数」とは、単なる量ではなく、ある「質」を伴った実践の積み重ねです。それは、「真剣勝負」の積み重ねでもあるでしょう。「量は質に転化する」といいますから、その「質が変わるところまで」積み重ねる必要があります。そして、プロとしては、その「質が落ちないところまで」積み重ねなければなりません。せっかく積み重ねるなら「挑戦」を積み重ねていきたいものです。

  3. コメント

    先日、仲間が提灯職人に製作をお願いする際に、会社のこと聴福庵のことなどを写真を見せながら伝えたと言います。こちらが何者であるか、どんな思いを持っているか、だから何を協力して欲しいのか、それが伝わらなければ相手の心が動くことはないように思います。同じように、相手の声を聴き、心が呼応しなければお互いの本当の覚悟は生まれないのかもしれません。昨日は会社の実践のお蔭様を感じました。その時発せられた言葉が全て、その時とった行動が全て、嘘偽りない生き方・働き方しか出来ないからこそ、真実のみを積み上げていきたいと思います。

  4. コメント

    挑戦も、やり方を色々と挑戦するときと、在り方を色々と挑戦する時と、深まり方が違ってくる事を感じます。昨日、深さ、浅さの話をお聞きしましたが、やはり深く潜るにはその在り方に対する挑戦の場数がモノを言うように感じます。どんな挑戦も振り返れば自分の在り方が見えてくるからこそ、そのメッセージを逃さないようにしたいと思います。

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