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田上の記事一覧

「心を保つ」

2009年10月 6日

最近のことですが
自分の心持ち次第でどんなことからでも学べることがある
ということを良く思います。

自分以外のどんな人の言葉からでも
どんな機会からでも様々なことを
学ぶことができるのではないかと思うようになりました。

学ぶ意欲の低いときや気づける力が足りないときの自分は
傲慢になっていたり、わかった気になっていたり
向上心がなかったりしている自分があるのではないか。

常に心穏やかに謙虚な自分でありたい
と思いますが、難しさを実感しています。

傲慢さを無くし謙虚さを持つためにも
自分の周りにあるありがたいことに
気づき感謝できる力をつけていきたいと思います。

                         
                         オルタナティブコンサルタント
                         田上 貴士


「つながり」

2009年10月20日

私の自宅の部屋には
ささやかではありますがご先祖様を祀ってあります。

水、生花、お線香を供え、手を合わせます。

毎日、朝起きたときと寝る前にご先祖に感謝の気持ちで手を合わします。
時には相談ごとや報告、人様から何か頂いたときにはまずはご先祖様に
あげるようにしています。

たまにはお酒などもあげようと思うのですが、
私のご先祖様は日本酒派なのか、
焼酎派なのか、もしくはお酒が苦手なのではととても気になってしまいました。

そんな問題ではないのでしょうが・・・。

1週間などの地方出張に出るときは花が枯れてしまわないか気になりますので
出張に出る日に生花を買って活けます。

夏にはご先祖様にも夏気分を味わってもらおうと、ひまわりを買ってきて活けたことが
ありましたが少し不謹慎ではないかと思ったりもしました。

そのためか、朝寝坊をするときに朝寝坊ぎりぎりで起きることがよくあります。
恐らくご先祖様が起してくださったのだと実感しています。

ご先祖様の生きた証が自分の血と肉になって受け継がれていることを認識し、
だからこそ、次の祖先に正しく受け継がなければならない責任を感じます。

地球上の生き物全てに命の引継ぎがされていることがまぎれもない事実では
ないでしょうか。

その昔、氷河期が訪れた時代に保護色として体毛が白くなる遺伝子を進化させた
ホワイトタイガーやパンダなども長い歳月をかけて蓄積された生きる力をDMA
レベルで引きついているんでしょうか。

これからも日々の暮らしや人との出会いを当たり前だと思わず、
感謝を深めていければと思います。

                             オルタナティブコンサルタント
                             田上 貴士


一期一会

2009年11月 4日

私がカグヤの中での役割として、
現在ご縁を頂いている園さんへ訪問し、
園で困っていることや地域で取り組んでおられることなど
色々なご事情をお聞きして、カグヤができるお園さんへの手伝いを
させてもらっていますが、
ギビングツリーに関わっていらっしゃる園長先生を始め、
先生方が子どものことを何よりも第一に考え、
少しでも子どものためになるのならと園の保育環境を工夫されたり、
行政へ働きかけたりと努力されている
姿を見ると勇気を頂きます。

世の中に対して同じ思いを抱いている人と関わり、
立場は様々ですが互いに力を合わし協力しながら、
成長させてもらえることはとてもありがたく感じます。

私一人が生きることを許される間に
どれほどの人と出会うのかわかりませんが
目の前の人との一期一会の思いで関わっていきたいと思います。

きっと幕末の志士達も世の中に対して
同じ思いの人達をを引き寄せながら
世の中を変革していったのでしょう。

                    オルタナティブコンサルタント
                    田上貴士


「温故知新」

2009年11月18日

こんにちは、田上です。

先日、日本家屋で昔の生活環境を再現し、
実際に様々な体験ができるところに行ってきました。

6メーターほどの深さの井戸から実際に水をくみ上げたり、
手こきポンプで水を出したり、薪を割って運んだりと
体験できるものを一通りやるだけで汗をかきましたが、
その中で気づかされたのは昔の人の生活は自然との関わりが
無理がなく共存しているように感じました。

水も自分達が使う分だけ井戸からくみ上げ、
大変な思いで運んできた水だけに大切に使う。
日頃の自分の水の使い方は蛇口をひねると簡単に出続けるので
使い方も無駄があると反省しました。

家の中心にある囲炉裏も食べ物を焼いたり、洗濯物を乾かしたり、
部屋の明かりとしての機能もあったと説明されていました。

昔の生活の中の一つひとつの家事は身体を動かすことが常に必要とされ、
現代の便利な生活環境のように手早く、楽で簡単、便利な生活を得るためにお金を出し、
結果、身体が鈍り、お金を出してスポージジムに行って身体を動かしている。

ん~、矛盾を感じます。

そんなときふっと、
以前読んだインドのM・K・ガンジーの本の中に
書かれていた言葉を思い出しました。

『インド人の生活が悪くなったのは
イギリス人がインドを植民地にして居座っているからではありません。

インドが惨めな状態にある原因は
インド人自ら進んで近代文明を受け入れたことにある。

イギリスからではなく自分達が近代文明から自由になれば
インドも元のように自由になります』

「ガンジー自立の思想~自分の手で紡ぐ未来~」(原著)M.K.ガンジー 地湧社

そのときはよく理解できていませんでしたが
M・K・ガンジー思想の根源は、
人と自然との共生に真の豊かさがあると説いていて、
人間にとっての敵は人間にとっての本質的な豊かさを
変えてしまう近代文明にあるということ言われていました。

自分の身の回りにある便利なものをもう一度見直し、
本来の人としてのあり方や価値に気づき、
改めてみたいと思います。
 
                         オルタナティブコンサルタント
                         田上 貴士


「日々の言動」

2009年12月 2日

次の時代を創る子ども達のためにと日々の社業に務めておりますが、
自分の人としての未熟さや実践の浅さ、教養の無さを実感しております。

そんな中最近、「良からぬ習慣に狎れるべからず。人生は習慣の織物と心得べし」
という言葉に出会いました。

良くも悪くも日々の習慣化した言動が自分自身の存在や人生を創っていると思うと
何事に対しても意味を重んじ、自分自身に恥じないように向き合っていきたいと思います。

改めて習慣が人を創りあげていくだと改めて気づかされます。
結果として成功だとか失敗など現れますが、そこに到る日々の自分自身の習慣が
結果を生み出していることを忘れないように内省したいと思います。

また今の自分にもまだまだ足りていないと痛感する意識として、
松下幸之助さんの言葉にある「成功するまでやる。成功するまでその志を変えない
極めて簡単なことだけれど往々にしてそれができない」という言葉に強く共感します。

困難なことも自分自身の中で諦め、終わらせてしまえばそれは挫折となる。
全ては自分自身が決めているのだということを自覚し、心穏やかに周りの環境や一緒に
思いを同じく持っている人達の支えに感謝の思いを忘れず、
強く前向きな思考を、社業を通じ養っていきたいと思います。

                               オルタナティブコンサルタント  
                               田上 貴士


「料理は愛情」

2009年12月15日

「料理は愛情」

こんにちは!田上です。

仕事上出張が多く
家を空けることが多いですが
家にいるときはなるべく
自炊を心がけています。

昔、「夕食バンザイ」という
テレビ番組を何となく観ていましたが
料理コメンテーターで頑固親父キャラの
結城貢さんがいつも番組の最後に

「うまいもまずいも人しだい、料理は愛情」というコメントで
締めくくるのを今、自分で料理をするようになって
その大切さと奥の深さを実感しています。


食材選びから
下ごしらえや調理方法を調べたり
たまねぎが目に沁みたり
みょうがが切りずらかったりと
それはもう大変ですし
手間ひまをかけようと思えば
いくらでもできるのでしょう。

夕方に食べようと思って
造りはじめたご飯が夜遅くなることも珍しくありませんが
そうやってやっと食卓に上がる料理には愛情、愛着があり、
残すことはやっぱりしないんですね。

食べ切れなければ明日に取っておき
簡単に外食することなく
家に戻って食事を取る自分の生活があります。

これは仕事でも同じことだなと気づかされます。

自分の関わり方一つで
仕事への思い入れが違い
雑な仕事になってしまって後悔したり。
安易な見落としをして迷惑をかけてしまったり。

どんな仕事も
日々の関わりの中で自分の思いを精一杯注ぎ
愛情を持って理念の実現に向け
取り組んでいきたいと思います。


いつの時代も
愛情の量は変わらないのであれば
現代では愛情がお金や物に多く費やし
人にかける愛の量が希薄になっているのでしょうか。

人を思う心
世の中を思う心を育てていくためにも
これからも料理から学んでいきたいと思います。

                        オルタナティブコンサルタント
                        田上 貴士


「世界の新たな営みについて」

2010年1月 4日

こんにちは。
コンサルティング事業部の田上です。

先進国において日々の生活は
商いとの密接な関係しているように思いますが、
戦後のモノの無い時代において大量生産大量消費の商いから、
モノが行き渡ると

今度はモノへの欲望の無い人たちにどう欲望を掻き立てるか、
本来必要としていない人たちにどうやって必要性を生み出していくか
というプローチに特化し、欲望を肥大化させる時代だったように思います。

これまでの欲望を肥大化させ、
需要と供給を生み出していく経済成長には既に人口の減少や
環境問題などの観点からもこれ以上、
継続することに限界を感じていますが、

今までのモノに対し消費する
サイクルから自然界の営みに属した
持続可能な新たな豊かさを創出していかなければ
ならない時代のように感じますが、

自分の生活で最近よく考えるキーワードは

温故知新です。


昔の人の生活は自然と共存した中で
人としての豊かさを見出していたように思え、
現在、巷で声高々に叫ばれているリサイクルや
省エネをその当時から当然のように日々の生活で
行っていたことが伺えます。

食器の洗いモノ一つとっても
全ての食器に洗剤を使用する必要性はないことや
夜は家の明かりを最小限に過ごし、
なるべく夜の時間を短く朝早く起きるようにこころがけています。

今後の人のあり方が問われている今だからこそ、
先人の残してくれた生活の知恵を改めて学んでいきたいと思います。

                         オルタナティブコンサルタント
                         田上 貴士


「節目」

2010年1月19日

今年になり初めてのブログになります。

「新年明けましておめでとうございます。
  昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願い致します。」

と今年も新年を迎え何度もご挨拶させて頂きました。

今まで一日経っただけで改まることが
自分自身よく理解できず教えられた通りの挨拶を
繰り返していましたが、今年はふと考えることがありました。

年末から年始のご挨拶
卒業式や入学式、成人式や銀婚式など
人生には色々と節目があります。

日々の生活の中で自分自身で意味を持たせ
節目を作ることで人は誰でも一度きりの人生ですが
気持を新たに生きることが何度でもできるのではないか。

毎日に流されることなく
自分の行いを振り返り
改たな気持ちで仕事に取り組み
周囲の方とのお付き合いをさせて頂くことではないか。

今まであまり改まる場の必要性や
真意を考えることなく生きていましたが
自分の人生に節目をつける。

そのためには
日々の生活から真理に気付き
学んでいくこと、自分を成長させていくこと。

人生に節目、けじめをつけることで
また人として伸びようとする姿がそこに
垣間見れるのではないでしょうか。

昨年一年を振り返り
全国の多くの先生方とのありがたい
出会いを頂戴致しました。

みなさん子どものために
ご尽力頂いておりますが自分自身
子どもへの思いを先生方と共有し
精一杯お手伝いできればと
気持を新たに取り組んでいきたいと思います。

今年もよろしくお願い致します。

                    オルタナティブコンサルタント
                    田上 貴士


「愛情 愛着」

2010年1月29日

こんにちは!田上です。

自分は日々の生活の中で
様々な外発的な出来事に
影響を受けながら生かされていますが
その中で自分自身を保つことは
非常に難しいことだと実感しています。

無意識のうちに気持ちがイライラしてしまったり
余裕がなかったりしていることがあります。

そうならないために
最近取り組んでいることは

「様々な人や物などに愛情、愛着を持つ」
そして「 その思いを表現する」ことを
意識しています。

感謝の気持ちにもつながっていることだと思いますが
自分自身のことで心をいっぱいにしてしまえば
身の周りの出来事や人モノの存在に
気を配れないのは当然ですよね。

自分のパソコンに対しても
365日立ち上げない日はないですから
一緒に仕事していると思うと
自分のために働いてくれると愛着が湧きますし
改めて頼もしい存在だと自覚します。

自宅に置いている観葉植物も
部屋の空気を循環し気持ちに落ち着きを与えてくれる
と思うと観葉植物の域を超えて同居人です。
自分の心がイライラするのは
悪い方に使うことから。

良い方に使う習慣を身につけ
前向きに明るく生きていけるように
なれればと思っています。

そのためにも自分のあり方を
日々の内省で心と向き合っていきたいと思います。

                        オルタナティブコンサルタント
                        田上 貴士


「受け身」

2010年2月10日

こんにちわ!営業部の田上です

カグヤで仕事をさせて頂くと
色々なことに気付ける機会がありますが
ここ最近特に強く思うのが人生を受け身で生きることの弊害を
ここ最近のニュースや身近な出来事でよく感じます。

人は本来、生きるということは自分で考え
自分で決めなければならないということだと思います。

自然界の動物たちは皆、当たり前に行っていますが
世の中を見渡せば大事なことを人任せにしてしまい
自分の力で生きているつもりが生かされていることに
気付きにくい社会になっているのではないでしょうか。

周りの関わりに感謝する意味での生かされている
共生の概念であれば良いのでしょうがよく洞察すると
権力者側の都合良く作り上げられた関わりなのではないか。

しかし、そんな当事者意識のある人たちだけではなく
刷り込んでいることに気付かずまた、刷り込まれていることに気付かない
正しいこと良いことを行っていると信じている人
正しいことだと認識している人が今の日本社会を
構築しているのであればどんな手を打っても物事は
良い方向に進むことは難しくなるのではないか。

お金や物が豊かになり
様々なものが整っていて発展途上国から見ると
生きる上で多くの選択肢が用意されている日本ではありますが
生きるということとはどういうことか。

日本という国が世界で果たすべき役割とはなにか
その中で自分という存在とはなにか
自分にはどんな役割があるのか
また周りの人々との様々なご縁や機会をどう感じ、生かし
成長し合えることができるのかを社業を通じて
一つひとつ向き合っていきたいと思います。

                      オルタナティブコンサルタント
                      田上 貴士


「致知新春セミナーに参加して」

2010年2月23日

田上です。

致知新春セミナーは昨年も参加させて頂き
今回は2度目の参加となります。

昨年は龍源寺前住職の松原泰道さんと
作家の五木寛之さんの講演でした。

その際の感想としては世の中にはものごとを深く考え、
深く生きている方がいらっしゃるのだと感じましたが、

今回は、慈眼寺住職の塩沼亮潤さんと
筑波大名誉教授の村上和雄さんの講演を聴かせて頂きました。

両社のお話をお聴きすると
本当に道の上に生きている人とは本質を捉え、捉えるだけではなく、
ご自身の志から深く洞察し、新たな境地を見出されている。
またそのことにも執着せず、謙虚な姿勢で学び続けることを実践されておられる。


特に感じたことは
人一倍人生と向き合い、悩まれ、苦しまれているのに、
とても明るく、前向きであること、そして、その言葉の奥底に
必ず「感謝の念」があることを実感しました。

本当の苦しみ、悲しみ、自分の弱さを知っているからこそ、
表面的な明るさではなく、良心からにじみ出る前向きさ、明るさ、
苦悩の先にある楽観的な姿勢で身の周りの人たちの心を明るく照らし、
勇気や温かさを提供されているのだと思いました。


そんな人に自分もなれればと思う気持ちもあり、
とてもすぐになれる訳ではないということも認識していますが、
少しでも自分の人生を深めていけるよう一つひとつの実践と
向き合っていきたいと思います。

またカグヤに入社し、お付き合いさせて頂く方、ご縁を頂く方々が
人としてのお手本になる方ばかりで、自分がこうなりたい、真似したいと
尊敬できる人ばかりであるという恵まれた環境に感謝の念でいっぱいです。

改めて今回の機会を頂きありがとうございました。

                          オルタナティブコンサルタント
                          田上 貴士


「沖縄研修を終えて」

2010年3月 5日

田上です。

先日カグヤのビジョン(理念)研修の為
沖縄にて研修を行いました。

沖縄という地は、歴史的背景から自分自身、
考えさせられる地ですが今回沖縄での研修を向かえる上で
これまでの日本の歩みや現状の諸事情、これからの方向性
そしてその中でのカグヤの役割、カグヤに所属した自分に何ができるのか
研修が近づくにつれ自分の中で深まり考えていました。

また行きの飛行機の中で
月刊誌「致知」掲載記事「全盲のピアニスト辻井伸行さん」と
「ホンダを支えた№2の藤沢武夫さん」の特集に感銘し
一人飛行機の中で涙していました。

そんな自分を沖縄で出迎えて頂いたのが
沖縄民族衣装をまとった末吉先生を初めとする先生方が
いらっしゃって心が一気に和まして頂き一気に沖縄モードに心変わりしました。

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小橋川園長、末吉先生の素晴らしさは存じ上げておりましたが
園へ訪問し見学をさせて頂き、そして今回の合同研修の一円対話で
やまびこ保育園の先生方のお一人おひとりのお話などお聞きし
素晴らしい人達だと感動し、もっと時間があればもっと深いお話が
互いにできたにと残念でなりませんでした。

その後は先生方から手作りの食事と共に
踊りや太鼓、獅子舞などの芸能を披露して頂きました。
私たちを迎えて頂くなかでのおもてなし、
そしてホスピタリティーの高さに感動し人との出会いの豊かさ
子どもへの思いを共有する人達と同じ時間を過ごせることの
素晴らしさが自分の心に深く沁み入りました。

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今回やまびこ保育園さんのおもてなしの心に触れさせて頂き
自分のこれからの人生にとってとても大切なことを学んだ気がします。

人をもてなすことの豊かさ、喜んでもらうことの楽しみ
生きている喜びを分かち合う至福の感謝と豊かさがこみ上げてきます。
またそれが人生を豊かにする重要な要素だと実感します。

書きたいことはたくさんあり自分の気持ちに
活字がついてこない何とも言えないもどかしさがありますが
沖縄という日本の特別な地でカグヤのビジョンを改めて確認し
自分の志を再確認できたことに改めて節目として心新たに
社業に務められる機会に感謝の気持ちを伝えたいと思います。

ご参加ご協力頂いた皆様には心からありがとうございました。
これからも子どもたちの豊かな未来のために。
宜しくお願い致します。

                          オルタナティブコンサルタント
                          田上 貴士


「リヒテルズさんとの研修にて」

2010年3月17日

田上です。

先日オランダ「イエナプラン」の普及に務める
リヒテルズ直子さんにご来社頂き
リヒテルズ直子さんとカクヤクルーとの研修と
ディスカッションできる貴重なお時間を頂きました。

わざわざオランダから来られ
直接お話しができることは何度もあるわけではない
貴重な機会、お時間ですので、研修日前より
クルー同士でどんなことをリヒテルズさんに質問したいか
質問事項を出し合い、整理して質問事項の優先順位をつけ
短い時間の中で皆が聞きたいことを一つでも多く
お聞きできるようにと準備していました。

またリヒテルズさんに自分たちの質問が
どんな問題意識から生まれているのか
ご理解頂いた方が質問に答えやすいのではないかと考え
自分たちがどんな理念で日々の仕事をしているのか
所属する事業部がどのように保育会や世の中との関わりを
持っているのかなど、質問の前にご説明、差し上げました。

カグヤに入社して以来
社業を通じて教育の重要性を痛感している日々ですが
昨今の様々な調査で日本人のレベル低下などの状況を目の当たりにし
このままでは日本はどうなるのかと危惧すると共に
カグヤとしての時代的、社会的な役割、使命を感じずにはいれません。

講演活動などご多忙でお疲れの中にも関わらず
多くの質問をさせて頂きまたEUやオランダなどの実例をもとに
非常に解り易くまた的確にお答え頂きました。

その中でも強く共感したのが
教育を語るということは国を語ることであり経済を語ることであり
人としての営みを語ることであるということ。

自分も日本を変えるのは教育を変えることだと
日々、考えて社業に務めていましたが
教育を変えるためにはその教育が様々な立場の異なった人達にも
密接に関わり合っていること、今が良くないことは皆さん感じてはいるが
では何をどこからどう変えていけば良いのか
こうすれば世の中がよくなるという明確なものを持っていないのではないか。

だからこそ、教育という根幹が変わることで様々なことへの
強く影響し変わっていけることを示すことがカグヤとして
自分自身としての役割ではないかと再確認しました。

今回の貴重なリヒテルズさんとの研修では自分自身
教育に対する知識の狭さ、浅さ、自分なりの思想の薄さを実感し
まだまだ、まだまだ、勉強が足りない自分に落胆しながら
改めてリヒテルズさんから世界の教育を感じ取り
自分自身を知る機会となりました。

大変ご多忙の中来社頂き
貴重な機会を創って下さったリヒテルズさん
また社長へ感謝致します。

ありがとうございました。


「成長」

2010年3月30日

こんにちは、営業部の田上です。

先日、ある経済誌の特集記事に
「人材育成が追いつかない状況でシェア世界一になってしまったトヨタの悲劇」
という見出しに目を奪われました。

その後、特集記事の内容通りのプレスカンファレンスの場で
豊田社長の声明を聞き、色々と考えさせられました。

どんな人も自分の成功を望んでいると思いますが
成功するまでの経緯や自分自身の成長の関係など
身の丈にあった実力に伴った成長、成功(結果)が必要だと実感します。

これを二宮尊徳先生の残した教えで言えば
分度ではないかと思いますが、急に宝くじが当たったり
バブルなどで急に所得が増えたり、芸能や人気店などの世界では
急に有名になったり、自分の実力以上の結果を得たとき、得てしまったとき
自分の人生や生活、価値観や考え方、心のありようが変わり
人の道を見失い多くの尊いものを失ったことに気付かされる。

だからこそ、自分自身の身の丈の課題や問題と精一杯向き合い
まじめに努力し、今できる精一杯の成長を遂げることが大切ではないか
目の前の課題と向き合わなければ成長はできないのではないかと感じます。

自然界では急な成長はあり得ない、
成長には順序も連続性もあり、近道は存在しない。

人間界だけが良く大きな見返りや拡大を求めて
不自然な成長をあたかも素晴らしいことだと
捉えていることもよく感じます。

毎日の自分の在り方を内省し、自分を律し、学問を進めていきたいと思います。

                            オルタナティブコンサルタント
                            田上 貴士


「当たり前のこと」

2010年4月 9日

こんにちは、営業部の田上です。

ある時にふと考えることがありました。
自分の意識の中で「人はこう生きなければならない」と思う気持ちが強くあり、
カグヤの社内でも理念、志、初心、色々と大切な価値観が存在している中で
仕事や自分のミッションに対して人としての姿勢を企業理念のもと、
社業に務めておりますが、最近、考えるのは今が当たり前ではないことを
どれだけ意識できているか、今ある一つひとつの目の前のことに、
どれほど心で実感し今、自分は生きているという事実に
どれほど感謝できているのかと振り返り反省しています。

モノゴトの本質を知りたいと色々な本を読んだ知識も大事な気付き、学びになりますが、
身の回りにある小さな当たり前の中に本質が存在しているのではと気付かされます。

花を上から観察すると太い茎から別れている
一つひとつの枝は互いに違う方向に生え伸び
一枚一枚の葉や花びらが日差しを浴びれるように
精一杯重なることなく広がっている。
当たり前と言ってしまえばそれまでですが、
誰が指示した訳でもなく、生きることに必要なことを知っていて
生きることに必要なこと以外、余計なことはしていない姿に自分の
日々の生活での言行のブレを改めて実感させられます。

仕事で言えば、例えば同じ仕事をしているように見えても
行き当たりばったりの今日の仕事をしているのか
明日以降の仕事をしているのかで先を見た仕事、責任を
果たすべく取り組む姿勢が違ってくる。
こんな法則のようなことが
「当たり前」の中には沢山、存在していることを知ると
人生のヒントは色々なところにあるのだと思いますが
気付けるには難しいのでしょう。

カグヤの理念ブックの中にある
「わかった気にならない」という価値観がありますが、
当たり前を鵜呑みにせず、全てに対して大いなる本質を
見出していきたいと思います。

毎日のニュースでも様々な世情や多くの方々の訃報を耳にしますが、
人の数だけ人生があり、人生の奥深さというか、味わい深さを身にしみています。

日々日々「ありがたい」思いを忘れず
謙虚に生かされていることに手を合わせ、心で感じていきたいと思います。

                               オルタナティブコンサルタント
                               田上 貴士


シリーズ第一弾(全二話)「昴研修~日本人としての存在意義~」

2010年4月21日

シリーズ第一弾(全二話)「昴研修~日本人としての存在意義~」

こんにちは、田上です。
先日、藤森先生を講師にお招きし、
「昴」研修と題し、社内研修を実施しました。

僕は「昴」と聞くと、
自動車メーカーの富士重工のコーポレーションシンボルで掲げている
六連星を思い浮かべますが、一つひとつの星が光り輝き、一つの集まりとなる。

組織に置き換えると経営理念の元に
クルー一人ひとりの持っている持ち味、個性を発揮していくことだと思います。

カグヤへ入社して藤森先生と関わりを持たせて頂くたびに、
藤森先生の素晴らしさ、思考の深さ広さを実感しておりますが、
今回の藤森先生のお話をお聞きし、喜びや感動に満ち溢れている自分がいました。

誰を貶すわけでも比べる訳でもなく、
温和で難しい問題をとても思考の浅い自分にも分かりやすく易しい
言葉でご説明して下さり、何とも言えない安心感や豊かさを抱かせて頂く
藤森先生と時間を共にしているだけで心地よくなってしまいます。
藤森先生の周りに多くの人達が寄り集まってくる理由がわかる気がします。

研修に参加させえ頂き、藤森先生へ質問させてもらえるのであれば
是非、お聞きしたいと思っていたことは今後のギビングツリーの方向性として
藤森先生がこの先、どのようなことをされようとしているのかを率直にお聞きしました。

まずこれまでの日本人とヨーロッパ人との営みの違いとして、
ヨーロッパ人は狩猟民族が多く、人を出し抜いて人取り分を多く得ることなどがあるが、
日本人は昔から自然と寄り添う国民性があり、農耕民族として集団を作り、
品種改良などの創意工夫、他の田畑を真似ながら農作業を向上してきた
日本人としての気質がある。

今、世界の保育にはニュージーランドのテファリキをはじめとする
5つほどの保育カリキュラムがあるが、
日本人としての特性を生かした保育カリキュラムを
世界に打ち出していきたいとご説明を頂きました。

「見守る保育」の見守るという考え方も
日本人特有の子どもに対する大人の姿勢ではないでしょうか。
藤森先生のお話に感動していたらところどころメモを取るのを忘れてしまい、
少し抜けている部分があると思いますが・・・。

僕は昔、友人が話してくれた理論物理学者の
アルベルト・アインシュタインが日本に残した言葉をなんとなくですが、
心にとめていましたが、彼の言葉の末節をご紹介すると、


「前略~ 世界は進むだけ進んでその間幾度も戦争を繰り返してきたが、
最後には闘争に疲れる時が来るだろう。
このとき人類は必ず真の平和を求め、
世界の盟主を挙げなければならない時が来るに違いない。
その世界の盟主こそは武力や金の力ではなく、あらゆる国の歴史を超越した、
世界で最も古くかつ尊い家柄でなくてはならない。
世界の文化はアジアで始まりアジアに帰る。
それはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならない。
我々は神に感謝する。神が我々人類に日本という国を作っておいてくれたことである」

当時はよく意味を理解できませんでしたが、
社内で儒家の始祖である孔子の論語や、農村復興からの実践を思想として
受け継がれた二宮尊徳の報徳仕法など学ぶ習慣があり、
少しずつではありますが日本人が生きてきたこれまでの歴史や
日本人が大切にしてきた生きる姿勢や世界観などに触れることで
日本人の特性と同時に、アメリカやヨーロッパ諸国とのこれまでの生き方や
宗教的思想の違いなども感じるようになりました。

自分にも日本人としての先人達から脈々と受け継がれてきた
日本人にしか生み出せない思想や価値基準があることに
藤森先生からのお話にあった世界に提供する
6つ目の保育カリキュラムを体現し発信することに感動し、
その発信していく役割の一部を担えることの
喜びと誇りを改めて自分の心に深めました。

そして自分にも日本人の血が流れているという
日本人として誇りや所属意識なども芽生えてきました。

この時代の日本に生まれおちた自分はいったい何ができるのか、
自分の役割とは何かを考えさせられる貴重な機会となりました。

次回はシリーズ第2段(最終回)「昴研修~時代は移り変わること~」

                         オルタナティブコンサルタント
                         田上 貴士


シリーズ第2段(最終回) 「昴研修~時代は移り変わること~」

2010年5月 7日

こんにちは、田上です。

先日の藤森先生を講師にお招きし実施した
昴研修についての所感をこの場でお伝えしたいと思いましたが
藤森先生がお話下さった内容が一度では書ききれなかったので
2回に分けて書かせて頂きましたが今回は最終回になります。

以前、筑波大学名誉教授の村上和雄博士の
お話をお聞きし著書も拝読させて頂きましたが
科学の世界では2001年ごろから極小世界である
遺伝子研究が進み、DNA細胞の遺伝子数や染色体、
遺伝子情報の解読など様々なことが解明される中の一つに、
ほとんどの人間が自分の潜在能力の2%ほどしか使っておらず、
98%が眠ったままで一生を終えているとのことでした。

時代が進み、科学の力で今まで知る由もなかったことや、
今まで常識とされていたことが間違いだったと新たな解明が生まれています。

藤森先生のお話の中にも、
1970年ごろから脳に対する科学的な考え方が変わってきたことから、
今までは育児過程で子ども自身が色々な能力を身につけていくと考えられていたことが、

現在の脳科学の研究から、
元々赤ちゃんの段階で全ての能力が備わってこの世に生まれおち、
生きていくために使わないであろう能力を減らし、
残った能力を高めていくのではないかということでした。
また成長する過程の中で使わない能力を
うまく減らせない子が多動だったりすることも分かってきたとのことで、
何もできない子という認識ではなく、能力をうまく減らせないという新たな認識があるとのことでした。

今回の藤森先生のお話の中で考えさせられたことの一つに、
藤森先生がギビングツリーで提唱されている
「見守る保育」の概念と必要性を改めて深く認識することになりましたが、
お母さんがわが子へ母乳を与える事例として、
元々子どもは生きる力を持ってこの世に生まれてきたが、
母乳を飲む量は違っても子ども自身が増やす体重は一定しているということ。

母乳をどれだけ飲むかではなく、
身体の成長として体重を増やすことは子どもの主であるのに対して、
大人の考えで決められた時間に決められた量のミルクを飲ませることが主になっていると、
元々の子どもの生きる力である体重を増やすことよりも与えられたミルクを
飲むことに合わせようと変化してしまう。

本来受け継がれてきた人が成長する上での
生きる力がそのときの大人の関わりにより、
子どもは合わせてしまい変わってしまう。

そのせいで子どもはこの先の人生で
苦しむことになってしまうということの怖さを覚えます。

カグヤでは「刷り込み」と呼んでいますが、
子ども自身の自立しようとする力を大人の勝手な偏見や価値観、
思い込みで邪魔しないようにすること。自分を含め、大人が「こう在るべきだ」と
価値観を刷り込むことで子どもの人生を捻じ曲げてしまうことになりかねない。

だからこそ、藤森先生の「見守る保育」の子ども主体の保育観や
カグヤの「子ども第一主義」のような考え方、価値観が重要だと実感しました。

時代はいつの時代も常に移り変わっていきますが、
特に現代はIT環境の構築と共に情報化社会が訪れ、
目まぐるしい変化が起きています。

様々なことが技術躍進し、
新たな発見が繰り返されている中、
「これで良いのだ」「間違いない」という思考は通用しなくなっていると思いますが、
本質からぶれないためにも目の前にいる子どもからの気付きを
大切にしていきたいと思います

最後にカグヤは社内研修の機会が多い会社だと思いますが、
そのたびに上質な場と、クルーの成長を洞察され、
最適なタイミングと最適な講師の方や学びの機会を
用意して頂く代表の野見山には感謝の気持ちでいっぱいです。

このような研修を通して場を他者のために最善の場、
機会を用意する心を自分も大切にし、
日々の自分の仕事でも実践していきたいと思います。

またいつも実感させてもらっていますが、
カグヤの一員として自分の存在を受け入れてもらい、
深い学びと成長させて頂けるカグヤクルー皆さんに感謝です。

                   オルタナティブコンサルタント
                   田上 貴士


「メンターという存在」

2010年5月19日

こんにちは、田上です。

先日(株)アントレプレナーセンター 代表取締役 福島正伸さん
の講演を拝聴させて頂きました。

福島さんはメンターとして多くの第一線で活躍されている方に
関わっていますが、ちなみにメンターという存在のご説明として
国際メンターシップ協会で説明されている言葉をお借りすると、

メンター(Mentor)の語源は、
古代ギリシャ時代の有名な叙述誌
「オデュッセイア(The Odeyssey)」の登場人物である
「メントール(Mentor)」という男性の名前にあります。
メントールと言う男性はオデュッセウス王のかつての親友であり、
王の息子テレマコスの教育を任され、
王が遠征している間息子の良き支援者、指導者、理解者となり
見事にテレマコスに帝王学を身につけさせました。

この由来に基き、今日では、
メンターという言葉は人生経験の豊富な人、支援者、指導者、後見人、
助言者、教育者の役割を全て果たす人を包括的に意味する言葉として
用いられるようになりました。

以前からカグヤ社内でもメンターシップについては
少しずつ学び始めていましたが今回、福島さんの
メンターとしての姿勢や人に対する考え方や関わり方をお聞きし、
今まで自分は他者に対しての関わり方、考え方の未熟さに愕然としました。

その福島さんのメンターとしての言葉にこうありました。

誉めても、叱りつけても
どのように接したとしても
人は、それに応じた育ち方をする
子をみれば、親がわかり
部下をみれば、上司がわかり
社員をみれば、社長がわかる
人が勝手に一人で育つことはない
人は育てたように、育っている
自分のまわりにいる人は、自分の鏡である
相手がそうしているのは、自分がそうしてきたから
相手が本気にならないのは、自分が本気になっていないから
怒らないとやらないのは、怒ってやらせてきたから
まわりが助けてくれないのは、自分がまわりを助けてこなかったから
部下が上司を信頼しないのは、上司が部下を信頼してこなかったから
収入が少ないのは、価値を与えていないから
つまり 得るものを変えるためには、まず与えるものを変えれば良い
他人を変えたければ、自分を変えれば良い
人を育てたければ、自分が育つ姿を見せることである

自分は他者のことをどこまで真剣に関わろうとしてきたのか?
自分都合で関わって来なかったか?
相手にとって最良の人脈になろうと真剣に悩んでいるのか?

自分自身、言葉では共生が必要だとか、一人では生きれないとか、
周りに迷惑をかけてはいけないので、自立しなければならないとか、
一期一会を大切にとか、日々の中で頻繁に飛び交っていますが改めて、
自分自身、何もわかっていなかったと実感させられました。

今、自分があるのも今まで出会い、
関わって頂いた方々の存在があってこその自分であることを
心より感謝、感動し、目の前の人を心から尊敬し
自分にできることを惜しまず関わらせてもらいたいと思います。

その為にも自分自身が人のお役に立てれるだけの実践を積み
実力をつけなければなりません。

日々、自己啓発の努力を進めていきたいと思います。

                 オルタナティブコンサルタント
                 田上 貴士


「水の必要性」

2010年5月31日

こんにちは、営業部の田上です。

先日、友人から体調管理の一環として
一日2リットル程度の水分補給が必要だとアドバイスを頂きました。
人間の体内からの水分排出量は
静かに横たわった状態で一般的な成人男子で、
1日2,3リットルもの水分が何もしなくても
排出されるのがその理由だそうです。

健全な身体の活動を維持するためには
絶えず人間は水分補給し、循環させる必要があり、
水の循環がスムーズにされている間は生命活動が保たれ、
この循環が滞ると生命活動がストップしてしまうということになるそうですが、
日本語にある「瑞々しい」という表現にも関係しているように感じます。

体内での水分の役割はとても重要な存在で
例えば、体内で起こる化学反応はすべて、
水に溶けて初めて進行することや栄養物やホルモンなどを溶かし、
血液などの形で身体全体に運搬するのも水であること、
体温を一定に保つ上でも重要な役割を果たしていることは
よく知られていることだと思います。

人間の身体の60%は水であることは
よく聞く話しですが、身体の部分で説明すれば、
血液の90%が水分、脳の80%が水分、網膜の92%は水分で
成り立っているとのことでこれは人間に限ったことではなく、
トマトであれば90%が水分、リンゴは85%、魚は75%が水分だそうで
人間だけではなく、地球上のすべての生命体に
とって水との関わりの重要さを感じます。

そんな水のことを考えると
今飲んでいる水はどこからきているのか。
地球の表面の3分の2が水に覆われていますが
そのほとんどが海水で、海水は飲料水にも生活水にも適さないため、
つまり3%の水で地球上の68億人の人間の命をうるおしており、
この3%の水も水蒸気や地下深くに沈む地下水、南極や北極の雪や氷など、
ほとんど現実に使用されることのない状態で存在するため、
人間が直接使用できる水はたった全体の0.0001%に過ぎないとされています。

地球の水は太古の時代からほとんど変わることなく、
ただただ地球規模での循環を繰り返しているだけで、
地球に降り注ぐ雨の量もほとんど一定量で、地球誕生と共につくられた水は
20億年程前から現在まで同じ循環を繰り返しているだけなのだとありました。

この貴重な水ですが人は太古の昔から
水辺に生活拠点を置き、水と共に文明や民族の発展を遂げてきました。
現代では水の使用量が文化のバロメーターとして例えられるほど、
文化的な生活になればなるほど、水を多く使用し、
先進国の人が日頃の生活の中で洗面したり、洗濯や食事する
基本的な営みで使用する水の量は235リットルにもなり、
更に高層ビルや大病院、ホテルなどなど水使用量は
都市を構成する重要な要素であることから、
都市環境で使われる水も合わせると
先進国では1人1日あたり400~500リットルの水を
使用していることになるそうです。

WHO(世界保健機構)によれば
発展途上国など人間が人間らしい生活を送るための
最低限の営みに必要な水の量が、1日5リットルだとされています。

友人からのアドバイスを頂き、
水という存在を改めて知っていく上で、
身体にとって水分補給の大切さや、水の質が問われてくること、
発展途上の国々と比べ、大量の水を使用する先進国としての責任も実感します。

そして命の源である水を、
綺麗な水を愛する子ども達へ残してあげるためにもまずは、
自分の生活の中で使用している洗剤やせっけんなど環境に配慮したものを使用し、
自分から離れた水が自然の中でなるべく綺麗なまま循環されるためにも
使い続けたいと思います。

                           オルタナティブコンサルタント 
                           田上 貴士


「絵画」

2010年6月11日

こんにちは、田上です。

最近、休みの日には絵画を観に行くことがあります。

東京には50館以上の大小の様々な美術館がありますが、
いくつかご紹介すると、上野にある国立西洋美術館は名前通り、
西洋絵画を中心とした企画展が人気の美術館です。

企業が社会貢献の一環として運営している美術館としては
「京橋のブリジストン美術館」、「赤坂にあるサントリー美術館」、
丸の内の「出光美術館」などが有名です。

少し変わったところでは、
三鷹の「森ジブリ美術館」や『さざえさん』でおなじみの
世田谷にある「長谷川町子美術館」なども
親しみを感じる美術館として愛されており
日本の文化意識の高さを伺わせています。

先日も六本木で開催されていた
「ボストン美術館展」に行ってきました。
今企画は80展以上の西洋の印象派を中心とした
作品が展示され、モネ、セザンヌ、コロー、マネ、ピカソ、ゴッホなど
人気の高い画家の作品が展示されていることもあり、
大変な賑わいを見せていました。

僕は西洋絵画を好んで観にいきますが
作品の一つひとつには、作品の背景にあるこれまでの歴史観、
その画家の人生観などを汲みとりながら作品と向き合い、
観ていて自分がどこに心を動かされるのか、
なぜ自分の心が突き動かされているのかなど、絵画と向き合い、
画家の人生観と向き合い、歴史背景と向き合いながら、
自分の心の深いところにある自分自身を感じるようにしていますが
作品を観れば観るほど、画家自身の人生の生きざまに圧倒されます。


画家だけに限った話ではないと思いますが、
その人の生い立ちや身を置いた環境が作品に色濃く反映されている
分かりやすい作家として僕がすぐに思い浮かべるのが
エドヴァルド・ムンクです。

ノルウェー出身のエドヴァルドの代表作として
「叫び」が有名ですが、彼が5歳のときに母を、
14歳のときに姉を結核で失っていて、
自身の身体も虚弱で成人までに生きていられないのではと
医者からの診断を受けていたようですが、
そんな彼の作品には強烈な「死」への恐怖や、生きることへの「不安」、
幼いころに与えられなかった「愛」など心の闇、苦悩が強烈に作品として
表現されていて、彼の作品を観ている自分の心の中にある
無意識な不安や生きることへの戸惑い、
孤独感をかきたてられ、観ていてぐったりしてしまいます。

彼の立場や心境を思うと心に持ち続けた苦悩や恐怖感などを
画として自分の外に吐き出すように表現することで
自分を保っていたのではと勝手に想像しています。

多くの画家の中でも一際、
自分の感性が引き寄せられる画家にルノワールがありました。
とても優雅で、明るく、背景に溶け込むような柔らかさを
感じる方も多いと思いますし、
多くの画家達もルノワールの眼がほしいと
言わせるほどだったそうですが、
ルノワールの作品を見てパリに行きたいと
思われる方も多いのではないでしょうか。

そんなルノワールの作品に足を止め見入っていましたが、
ふっと気付くと絵画を眺めるお母さんの横で乳母車に寝かされ、
なんとも言えないやさしく、穏やかで透きとおった寝顔で眠っている赤ちゃんに
眼が奪われ、自分の心の中にどんなに多くの人達から賞賛される絵画も
この眼の前に赤ちゃんに抱いてしまう人類としての希望や未来、
心の豊かさの象徴のような赤ちゃんの存在に強く胸を打たれたと同時に、
生命の営みの豊かな循環に感動している自分自身の感性にびっくりしました。

カグヤ社内にはカフェスペースがありますが、
カフェスペースはパーテーションで区切られています。
そのパーテーションにはカグヤの子どもへの思いを
イメージした絵が描かれています。

その絵は淡く抽象的なタッチで表現されていて、
絵の存在感は強くはっきりした質感ではないため、
圧迫感がなく空間に馴染み溶け込んでいるようで、
見ていて飽きが来なく、日に日に味わい深く感じます。

東京にお越しの際には是非、カグヤ本社をご訪問下されば幸いです。

               オルタナティブコンサルタント
               田上 貴士


「予兆」

2010年6月22日

こんにちは、田上です。
 
仕事は自分の成長のための社業と考え、
毎日務めておりますが、とても厳しく、困難で、その中で最近、
感じていることに「予兆」という感性が自分には足りていないと感じています。
仕事においても当然、人生においても大きな問題やもめ事などが
降りかからないように務めたいと思うことは人間として自然な考えだと思います。

一事が万事という言葉もありますが、
大きな問題は最初から大きな問題だったのではなく、
些細なことがきっかけで問題が進行してしまうケースが多いように感じます。
 
毎朝、カグヤクルーの間で読まれている二宮尊徳のエピソードに秋茄子の話があります。

 「ある初夏のこと、金次郎は茄子を食べていた。すると秋茄子の味がしたので、
 まだ初夏だというのに秋茄子の味がするのはおかしい、何かの予兆ではないかと察し、
 畑の作物を寒さに弱い葉物野菜から芋や大根などの地下にできるものや冷害に強い稗などに
切り替えさせたことで、秋に起きた冷害の飢餓を切り抜けた」

と、ありました。

二宮尊徳は常に自分の天命を生き、どんなときも、問題意識や危機感に感性を働かせ、
自分の背負う責任と向き合っているように感じ、二宮尊徳の生きざまを感動しました。

またカグヤの理念ブックに掲載されている中の
「禁煙(16ページ)」にはこう書かれています。

 「人間は小さな悪いことを繰り返していると、魔がさしたり、取り返しのつかないことをしてしまう
 弱い生き物です。特に周囲に迷惑をかけたり、自分の体に悪いことをしたり、自分中心に考え、
 我慢をしない生活を長い年月続けていると、信頼や尊敬などの掛け替えのない大切なものを
 失くし一生後悔することがあります」

その後の文章に続く言葉として
「一つのことが守れれば他の全てのことは守れるのが人間の意志のパワーです」
と付け加えられています。

自分は弱い人間なので、この最後の言葉には救われる思いがしますが、
全てにおいて一事が万事であること、そのためには常に自分の感性を鈍らせないこと、
怠慢にならず謙虚な気持ちを維持させること、日々、自分自身の行いを
改め内省を深め改めることなど日ごろの習慣が良くも悪くも自分を
創り上げていくのだと実感しています。

今日一日、どんなことに対しても
自分自身の望む姿勢で臨めたかを常に自分自身に
問いながら人格を磨いていきたいと思います。

                     オルタナティブコンサルタント
                     田上 貴士


「生きる役割」

2010年7月 2日

こんにちは、田上です。

先日、前職の友人から映画に誘われ、休日を共にしました。
今は互いにその会社を退社し新たな会社へ就職していますが
たまに会ってはこんなことを学んだとか、こんなすごい人にあったとか
こんな感動する話を聞いたとか、互いの成長の為の情報交換をさせて頂いています。

映画の前に昼食を共にしながら
自分がカグヤでの仕事で取り組んでいることや
世の中の問題に対してお互いの考えなどを話合っていると
隣で食事をされていた女性の方が僕達の話をお聞きになられていたようで
「若いのに全うな考えをもっている」と賞賛の言葉でお声をかけて頂きました。

その方は(株)世界地図という会社で
世界各国の民族や文化、特産物など、色々と特色ある
メッセージを世界地図に表現して子ども達に提供し得た利益で
カンボジアやベトナムに井戸を掘って子ども達に綺麗で
安全な飲み水を確保しているとのことでした。

後進国の子ども達に世界地図を通して知ることの喜びと
綺麗な飲み水として井戸を提供できることに強い使命感が伝わってきて
自分のできること、自分の立場での役割を全うしようとする姿勢を実感しまた。
こんな形で貧困と取り組んでおられる
同じ日本人がいらっしゃることに勇気を頂きました。

お互いの仕事のことを共有し合い
互いに世の中の為に自分にしかできないことで
良くして行きましょうとエールを送り合いました。

そんな出会いの後
友達から進めてもらった映画を見ることになりますが
ビルマのドキュメント映画の「ビルマVJ消された革命」を観に行きました。
1998年から続く軍事政府の民主化デモ弾圧を追いかけた作品で、
アカデミショー長編ドキュメンタリー賞にノミネートされ、
世界40ヵ国以上で国際的な賞を受けています。
ビルマは軍事政権が政治を独裁的に支配し国民を極端に抑圧している中、
外国人ジャーナリストが自由に取材することは愚か、
国内人であってもカメラ・ビデオカメラの撮影は禁止の状態の中で、
ビデオ・カメラを隠し持ち、密かに撮影を続ける勇敢な
ビデオ・ジャーナリスト(VJ)がこの映画の主役で、
彼らは秘密警察に見つからないようカメラを隠し持ち、
時にはカバンの中に入れ、時には群衆にまぎれて撮影を行いながら
現実のビルマの姿を命がけで撮影し、インタネットでビルマ国内外へ
配信し続けているというドキュメント映画です。

市民デモが数日続くと軍がデモ会場にやってきては
無差別発砲で鎮圧することの繰り返し。
ジャーナリストの長井健司さんも
その無差別発泡の中で撮影中に銃弾に倒れてしまうことになります。
武力で国民を制圧する軍事政権に多くの国民が強い絶望感を抱く中、
ビルマにいる40万人の僧侶が立ち上がり、軍事政権に抗議を行う。
ビルマの国民も軍事政権に対抗できる勢力は
僧侶しかいないことは認識しており、国民の希望を
一心に背負っていることがひしひしと伝わってきますが、
残念ながらこの映画は途中で終わっています。

その理由はビルマは今も内乱が続き、
国民や僧侶の血が流れているのですが、
この映画を通して軍事政権の暴挙に怯えている国民に
勇気を与える僧侶の姿が印象的でまさしく国民のヒーローでした。
国は違えど、カグヤも世直しの為に日々社業に務めておりますが、
お昼にお会いした方のように、ビルマの僧侶のように、
危険を顧みないジャーナリストのように勇気と志を持って困難に立ち向かい
自分の役割を果たして行きたいと思います。

今日は色々な方から勇気を頂く感謝の深い日になりました。

                   オルタナティブコンサルタント 
                   田上 貴士


「社会の中で格差感」

2010年7月15日

こんにちは、田上です。

先日、福島県の白河市へ伺う機会がありました。
白河市は6万5千人ほどの市ですが
有名なところで言えば新撰組が攘夷軍と戦った地であったり、
封建時代の藩主で領内の殖産振興に最も意を用い、名君と仰がれたのが松平定信です。
特に天明の大飢饉の際には、緊急に食糧を調達して領民を救済したため、
東北諸藩の中で米沢藩と白河藩の2藩だけが餓死者を出さずに
済んだエピソードが残っています。

その松平定信公によって
1801年(享和元年)に日本初で最古とされる
公園、南湖公園がある自然の豊かな印象を持つ市です。

そんな白河市にアウシュヴィッツ平和博物館という
少し意外とも思える博物館がありました。

私の実家がある広島県福山市にも
アイシュヴィッツ資料館があるのですが、
里帰り時期には資料館は開園しておらず、気になってはいるものの
拝見する機会がなかったこともあり、今回の白河市の
アウシュヴィッツ平和博物館の存在を知り、足を運びました。

博物館へ訪問し、なぜこの町でぜアウシュヴィッツなのか、
現館長にお聞きしたところ、資料館を創設された創立館長さんは
デザイン関係のお仕事をされておられたそうですが、
ポーランドを訪問された際に戦争を体験した子ども達の
その当時の絵を見て心が痛み、同じ過ちを繰り返さないためにも
日本でドイツ、ポーランドでおきたことを伝えようと
このアウシュヴィッツ平和博物館の開設に至ったそうです。

開園当初は栃木県にあったそうですが
借地だったことから、この白河市の地元の地主さんから
現在の土地を寄付して頂き、建物は長野県の建築関係の方が
無償で建てて下さったりと、全て手作りで運営しているとのことでした。

博物館には当時のアウシュヴィッツで何が行われていたのか
アウシュヴィッツ解放に至るまでの経緯やその後などがわかる資料が
展示してあったり、アウシュヴィッツへの集団搬送を想像させる
貨物列車のコンテナ内にポーランドの子ども達が書いた
戦争体験の絵を展示していたり、アンネ・フランクの家をモチーフにした
レンガ調の建物の展示室などが併設されています。

アウシュヴィッツ博物館ということで、
アウシュヴィッツで何が行われていたのか、
様々な展示物から説明されていますが、その中で考えさせられたのが、
ドイツがアウシュヴィッツを造り出すまでの経緯です。

1921年、第一次世界大戦の敗戦国になったドイツに勝戦国、
主にフランスから賠償金額が増額され、賠償金は200億マルクから
1320億マルクに6倍という膨大な増額で、
たちまち賠償金の支払いが滞り、
1923年、フランス、ベルギーは賠償金が支払われないことを理由に、
ドイツのルール地方を差し押さえということで占領されます。

ルール地方はドイツ工業の心臓部で、物資の生産がたちまち滞り、
モノが不足し物価が上がり結果、常識を超えたインフレがドイツ国内で起き始めます。
ドイツ国内では第一次世界大戦前敗戦前に比べ、
物価は一兆3000億倍にも達し、ドイツ紙幣は紙きれになり、
町には失業者があふれ、失業率は25%から30%、
失業者実数は550万人にたっし、市民生活は完全に破壊され、
人としての尊厳を保つことさえ難しい状況だったこと、
このときアメリカからの資金援助も世界大恐慌が起き、
アメリカ自身の内需が傾いた為、ドイツへの資金援助が途絶え
ドイツ国内は生き地獄のような現実社会の中でドイツ国民に
強く満盈した憎悪がヒトラーを生み出し、ポーランドへの侵略、
ユダヤ人浄化のためのアウシュヴィッツへと繋がったとされています。

人間の基本的な営みである衣食住に不安なく、
仕事に生きがいを持ち、家族と心穏やかに過ごすことができれば、
人の心が大きく偏ることもないのではと思いますが今、当時の
ドイツと似たようなことが日本国内でも現実に起きているように感じます。

今の日本は経済発展主義、成果主義の強い思考の中で
かつての平等神話が崩壊し格差社会が構築され、強い二極化が進んでいます。
企業も生き残りをかけ、勝ち組、負け組がはっきり分かれ、
企業が安定した正社員の雇用から派遣社員やパートなどの雇用に
シフトすることで不安定な職を選ばざるおえない職業格差、
夕張市の行政破綻などに見られる地域格差、親の経済状況で進路が
限定されてしまう教育格差など様々な格差が影を落とし根付いてきています。
収入が低い、努力が報われない、将来に希望が持てない
など不安定感が犯罪へと繋がり経済苦から若いホームレスや自殺者が
ここ最近、増えています。

カグヤクルーとして強く考えさせられるのは教育的格差です。
有名私立大学などは世間からエリート校として認知され
そこに入学すればエリートだと見られ
またそのような大学は中高一環制をとっていることが多く
高額な入学金が必要となったり、入学試験対策には塾へ
通わなくてはならないなど経済的な負担も多く
親の経済力に強く影響されます。

健全な社会、健全な国民を育てるには
健全な教育がなくてはならないと思います。

特に生涯学習のスタートである幼児期には
人間の基礎作りとなる重要な時期ですので、ここに
格差があってはならないと思います。
この時期、選挙戦などで政権争いや増税などが話題になっていますが
今一度、社会政策の観点から日本の社会全般を見直す必要が
迫られている時期ではないでしょうか。

そして先進国としての日本の役割として
世界の後進国への自立支援を果たしていくことが
世界から求められる日本の姿ではないでしょうか。

                 オルタナティブコンサルタント
                 田上 貴士


「社会の中で格差感」

2010年7月15日

こんにちは、田上です。

先日、福島県の白河市へ伺う機会がありました。
白河市は6万5千人ほどの市ですが
有名なところで言えば新撰組が攘夷軍と戦った地であったり、
封建時代の藩主で領内の殖産振興に最も意を用い、名君と仰がれたのが松平定信です。
特に天明の大飢饉の際には、緊急に食糧を調達して領民を救済したため、
東北諸藩の中で米沢藩と白河藩の2藩だけが餓死者を出さずに
済んだエピソードが残っています。

その松平定信公によって
1801年(享和元年)に日本初で最古とされる
公園、南湖公園がある自然の豊かな印象を持つ市です。

そんな白河市にアウシュヴィッツ平和博物館という
少し意外とも思える博物館がありました。

私の実家がある広島県福山市にも
アイシュヴィッツ資料館があるのですが、
里帰り時期には資料館は開園しておらず、気になってはいるものの
拝見する機会がなかったこともあり、今回の白河市の
アウシュヴィッツ平和博物館の存在を知り、足を運びました。

博物館へ訪問し、なぜこの町でぜアウシュヴィッツなのか、
現館長にお聞きしたところ、資料館を創設された創立館長さんは
デザイン関係のお仕事をされておられたそうですが、
ポーランドを訪問された際に戦争を体験した子ども達の
その当時の絵を見て心が痛み、同じ過ちを繰り返さないためにも
日本でドイツ、ポーランドでおきたことを伝えようと
このアウシュヴィッツ平和博物館の開設に至ったそうです。

開園当初は栃木県にあったそうですが
借地だったことから、この白河市の地元の地主さんから
現在の土地を寄付して頂き、建物は長野県の建築関係の方が
無償で建てて下さったりと、全て手作りで運営しているとのことでした。

博物館には当時のアウシュヴィッツで何が行われていたのか
アウシュヴィッツ解放に至るまでの経緯やその後などがわかる資料が
展示してあったり、アウシュヴィッツへの集団搬送を想像させる
貨物列車のコンテナ内にポーランドの子ども達が書いた
戦争体験の絵を展示していたり、アンネ・フランクの家をモチーフにした
レンガ調の建物の展示室などが併設されています。

アウシュヴィッツ博物館ということで、
アウシュヴィッツで何が行われていたのか、
様々な展示物から説明されていますが、その中で考えさせられたのが、
ドイツがアウシュヴィッツを造り出すまでの経緯です。

1921年、第一次世界大戦の敗戦国になったドイツに勝戦国、
主にフランスから賠償金額が増額され、賠償金は200億マルクから
1320億マルクに6倍という膨大な増額で、
たちまち賠償金の支払いが滞り、
1923年、フランス、ベルギーは賠償金が支払われないことを理由に、
ドイツのルール地方を差し押さえということで占領されます。

ルール地方はドイツ工業の心臓部で、物資の生産がたちまち滞り、
モノが不足し物価が上がり結果、常識を超えたインフレがドイツ国内で起き始めます。
ドイツ国内では第一次世界大戦前敗戦前に比べ、
物価は一兆3000億倍にも達し、ドイツ紙幣は紙きれになり、
町には失業者があふれ、失業率は25%から30%、
失業者実数は550万人にたっし、市民生活は完全に破壊され、
人としての尊厳を保つことさえ難しい状況だったこと、
このときアメリカからの資金援助も世界大恐慌が起き、
アメリカ自身の内需が傾いた為、ドイツへの資金援助が途絶え
ドイツ国内は生き地獄のような現実社会の中でドイツ国民に
強く満盈した憎悪がヒトラーを生み出し、ポーランドへの侵略、
ユダヤ人浄化のためのアウシュヴィッツへと繋がったとされています。

人間の基本的な営みである衣食住に不安なく、
仕事に生きがいを持ち、家族と心穏やかに過ごすことができれば、
人の心が大きく偏ることもないのではと思いますが今、当時の
ドイツと似たようなことが日本国内でも現実に起きているように感じます。

今の日本は経済発展主義、成果主義の強い思考の中で
かつての平等神話が崩壊し格差社会が構築され、強い二極化が進んでいます。
企業も生き残りをかけ、勝ち組、負け組がはっきり分かれ、
企業が安定した正社員の雇用から派遣社員やパートなどの雇用に
シフトすることで不安定な職を選ばざるおえない職業格差、
夕張市の行政破綻などに見られる地域格差、親の経済状況で進路が
限定されてしまう教育格差など様々な格差が影を落とし根付いてきています。
収入が低い、努力が報われない、将来に希望が持てない
など不安定感が犯罪へと繋がり経済苦から若いホームレスや自殺者が
ここ最近、増えています。

カグヤクルーとして強く考えさせられるのは教育的格差です。
有名私立大学などは世間からエリート校として認知され
そこに入学すればエリートだと見られ
またそのような大学は中高一環制をとっていることが多く
高額な入学金が必要となったり、入学試験対策には塾へ
通わなくてはならないなど経済的な負担も多く
親の経済力に強く影響されます。

健全な社会、健全な国民を育てるには
健全な教育がなくてはならないと思います。

特に生涯学習のスタートである幼児期には
人間の基礎作りとなる重要な時期ですので、ここに
格差があってはならないと思います。
この時期、選挙戦などで政権争いや増税などが話題になっていますが
今一度、社会政策の観点から日本の社会全般を見直す必要が
迫られている時期ではないでしょうか。

そして先進国としての日本の役割として
世界の後進国への自立支援を果たしていくことが
世界から求められる日本の姿ではないでしょうか。

                 オルタナティブコンサルタント
                 田上 貴士


「どんな思いで仕事と向き合うのか」

2010年7月29日

田上です。

人の基本的な生活には衣食住が満たされなければならない。
そのためには仕事をしなければならない。
仕事と言っても人それぞれ色々な捉え方があると思いますが
最近、よく考えるのは自分はどれぐらいのことを思って
仕事として向き合っているのか、そんなことを考えているときに
ある言葉と出会いました。

大正、昭和初期の医師、政治家でありまた
「市民から愛されるようにというに」という願いを込めた「シチズン時計」
と命名した後藤新平氏の「財を残すは下 仕事を残すは中 人を残すは上」
という言葉が残されています。

この言葉が広く知られることとなったのが
プロ野球の楽天の監督を退団される際
楽天と日本ハムの教え子たちに胴上げされ
グランドを去る際のインタビューで
「人間の価値はこの世を去った後、何を残すかでその人の価値が見える。
私はグランドを去る日に教え子たちに胴上げされ、幸せだ」

として引用されました。

中国の医学古典にも
「小医は病を治し、中医は人を治し、大医は国を治す」
とありますが、自分がどのレベルを意識し日々の仕事をするのかによって
同じ環境、同じ仕事していても、全く違った意味や価値を
見出していくのだと思います。

どんな仕事でも世の中のことを考え
仕事の中に社会との繋がり、貢献を見出し
遣り甲斐や誇り、自分に自信を持って
仕事と向き合えることができれば自分の命や能力を
発揮できるではないでしょうか。

仕事においてボクの中で大切にしていることがありますが
どんな仕事にも雑用なんて言われる仕事はない。
自分で雑用だと思った瞬間から仕事が雑用になってしまう。
仕事に一流の人は雑用も一流だと聞きました。

仕事に対して大きい仕事も小さい仕事もなく
些細なことからどれだけ大きなことを考えることができるか
一事が万事という言葉もありますが
どんな些細なことも全てに繋がっていくことを忘れず
謙虚な気持ちで仕事に取り組んでいきたいと思います。

どうすればカグヤの皆が、
園の先生方が毎日を気持ちよく仕事ができるのか
その先の子ども達が毎日を楽しく過ごせるのか
そして世直しに繋がっていくことを考え願い
一つひとつの仕事に心を入れ、皆さんに
自分成りに貢献させて頂きたいと思います

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「一人の小さな思いから始まること」

2010年8月10日

田上です。

一滴の雫が大河になるように、世の中に大きな変化を
もたらすことの源流はとても小さな動機から始まることをよく感じさせられます。

以前、四国でノンプロの公式野球独立リーグの
四国アイランドリーグに足を運ぶ機会がありました。
当初の自分の認識ではちょっとしたブームのようなもので、
立ち上げ当初の一時的な盛り上がりで、リーグの運営も経済的に難しく、
何年続くのかというぐらいだったのですが、スタジアムに足を運ぶと
まさにボールパークで様々な目的で多くの方々がスタジアムに足を運ばれていました。
地元地域の小売店の方々が多くの出店を出し、
特産物を始め、ゲームやホームチームグッツなどが並んでいました。

各県を本拠地にしたチームの応援団には
地元地域の高校生ブラスバンド部が有志で応援を盛り上げ、
試合の途中には地元のリトルリーグの子ども達がグランドに降り、
直接選手に野球の指導を受けたり、グランド整備を手伝ったり
ボールボーイも当然、地元の子ども達が活き活きと大役を果たしていました。

このリーグには、交流戦として福岡ソフトバンクホークスの2軍も参加していて、
甲子園を沸かせた選手や昨シーズン1軍で活躍された選手も多く、
子どもから大人までプロのプレーをとても身近かで感じるリーグになっています。

日本の最北端にある旭川動物園も一度廃園が決まった動物園を
当時の小菅園長が動物が自然の中で見せる行動を動物園でも
来園者にも知ってもらえるように工夫した行動展示を始め、
世界でも例のない、首都圏にない動物園で年間300万人の来場者が足を運んでいます。

今では旭山動物園を目指して、旭川に観光客や異業種の方が
視擦訪問に訪れ、お土産品のメーカー、近隣の駐車場経営、観光ホテルなど
様々な立場の多くの人達が関わり、旭山動物園の価値を共有しています。

ギビングツリーでも藤森先生の子どもや保育にかける思いを今では
全国で250ヵ園もの園さんの思いと重なり合い、繋がりを共有し、深め合っています。

そして新たな動きとして、各地の先生方がリーダーシップを発揮され、
色々な活動が始まり、新たな出会い、広がりが生まれています。

どんな大きな変化も最初は誰かの小さな一人の思いから始まったことだと思いますが、
思いが共感者を生み、思いを繋いでくれて、信じ続けてくれる人がいることが、
人としてとても美しくありがたく心に沁みてきます。

これからも自分の思いや皆さんの思いを大切にし、一つずつ形にして、
広げ深め、皆さんの人生がハッピーになれるよう
社業を通じて自分の思いを実現させて生きたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「好調・不調」

2010年8月23日

モノゴトの理では陰と陽のような常に相反するものが同居し、繰り返し表裏することを
人生の中で感じることが多くあります。
モノゴトが自分の思い通りに運んでいる時期を好調と感じることがあります。
しかし、陰と陽が繰り返されることを思うと、すでにこの好調期に不調の芽が生まれ、育っている
のだと思います。
かつての古来より言い伝えられてきた「勝って兜の緒を締めろ」という格言もありますが、表裏一体という
モノゴトの理を知る人であれば好調の時ほど謙虚に次の不調のための準備を欠かさないのだと思います。

また自分の実力、進化が問われる、試されるのは好調なときではなく、不調なではないでしょうか。
人は誰も追い風のときには実力以上の勢いを感じやすくなりますが、向かい風の不調なときにどう前のめりに
進めるか、不調な状況を明るく楽しく味わい、自分の実力以上の力を発揮できるかが問われるのだと思いますし、
不調なときの強い姿勢が次の好調を生み出していけるのだと考えます。

皆、生きている以上、後戻りできる道は一つもないので、常に前向きでより良い未来の姿を強固に信じ、
今できる最良の行動で自分を支えていきたいと思います。

そして、この日常で当たり前なことは何一つない、全てありがたい皆様の恩恵を受けて今があること、
人間の驕り、怠慢が当たり前をつくり、感謝の念を忘れさせる。
謙虚な姿勢でやってあげるではなく、させて頂くからこそ、過去様々な形で受けてきた恩を自分の役割と
責任のもと、少しでも返していくことができること。

ありがたく生きていくための目には見えない人生の本当価値に気付けるためにも、
毎日、目的を持って生き、至らぬ自分を内省していきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「探究心」

2010年9月 2日

先日、自分の人生観を変えさせてもらえるいくつかの出来事に出会いました。
最近、つくづく思うことは生きるということはわかったつもりでいても、
想像を超えた色々なことがあり、色々な豊かな価値があるのだということです。

この年で人生をわかったように言うと人生の諸先輩方に怒られてしまいますが、苦悩もあれば、
心から感謝する良いこともあり、人間の一生には春夏秋冬のように毎日の繰り返しの中に
お金やモノでは満たされることのない大切な価値に気付く出来事が突然やってきて衝撃を受け、
無駄な出来事は何一つないと実感しています。

よく人生を旅に例えられますが、旅路の途中に生きることの苦悩や人生の素晴らしい景色を
見れることがあるのだと思うと、自分の人生の終着地がどこになるのか、そこにはどんな景色が見渡せる
のか今は想像もつきませんが、目的地までの飛行機で最短、最速で行ってしまうのではなく、
各駅のように一つ一つの人生の分岐点との出会いを大事に生きること、何事においても、わかった気にならず、
謙虚な気持ちを忘れることなく、強い探究心で、一度しかない人生の醍醐味を味わっていきたいと思います。

これからも皆様の関わりの中でより良い人生を感じていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「明るく生きることが全てだから」

2010年9月13日

自分は知らず知らずのうちにうまくできないことや自分にとって都合の悪い出来事などが
起きると苦しくなっていきます。
そんな心の状況の時に手にしていたのがブッタの教えをスリランカ仏教界、長老の
アルボムッレ・スマナサーラ氏の本でした。

当然、この本には色々なことが書かれていますが自分の心の状況から共感したのが、
人は楽と苦を選んでいるようで実は生きるということは全てにおいて苦しいということ。
例えば新入社員のときは仕事が分からず苦しい。中堅になればなったで責任が生じ苦しい。
出世しても部下を育てるのは苦しい。退職したら今日は何をしようかと退屈で苦しい。
老いて身体が動かなくなれば苦しい。病気になれば苦しい。死ぬのは苦しい。

苦しさから逃れたいからといって、何かから逃げることや止めることは生きる道ではないこと、
苦しいという根源は自分自身の心がいやだと思うこと、いやだと思う分だけ苦しみが増えること。
生きるということは様々な苦しみの中から自分にとってどちらの苦しみを有意義なこととし、
自ら苦を選ぶのかということ。
人生とは苦しみの質が変わるだけのことだということ。

ブッタの悟りに触れて、生きること自体は決して楽ではなく苦しいということを受け入れ、生きる上で
大切なことは将来のことを心配することも大事ですがそれよりも「いま」「この瞬間」を充実感と喜びを
いかに感じられるかが人生の価値ではないかと感じました。

ボクの学生時代は360日部活動で体調が悪くとも練習を休むという選択肢がなく、練習も先輩後輩の関係もとても厳しく、毎朝5時に起きて朝練に参加し、夜12時に部室を出るという毎日で今日が無事に終わって
くれるよう、いつも神様にお願いしていました。
そのころに聴いていたミュージシャンの一曲の中に「人は明るく生きるそれが全てだから」という歌詞が
学生当時から何となく気になり、ずっと心に留めていました。
ただこの言葉の意味を深く考えることはありませんでしたが、今回ブッタの悟りに触れる中で、苦しいことを
避けることができないのが人生であれば、自ら積極的に苦を選ぶこと、苦が自分の人生を豊かにすることを
自覚するとあのとき聴いていた明るく生きるそれが全てだからということに繋がっていきます。

苦しさに押しつぶされそうなときには周りを見る余裕もなくなり、苦しみのことばかりに気を取られ、
周囲への感謝の気持ちを無くしてしまいますが、苦の中で「今」「この瞬間」を明るく前向きに生きることを
大切にして、苦しく辛いときこそ、自分を責め過ぎることなく、自分らしい自分を保ち、
自らを愛して生きたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「会話力」

2010年9月24日

仕事柄、多くの方とお会いしお話させて頂く機会が多くありますが、会話の中にはその方の日ごろの習慣や生き方、価値観をよく感じます。

最近では日本人のコミュニケーション能力の低下を言われていますが、会話することは当然、苦手な人、望まない人との会話はストレスの原因になりうることが多くあります。

人に話すことが好きだから会話がうまくできることにはならず、自分の考えや気持ちを言う前に相手が言いたいことの要点を自分の言葉ではなく、相手の言葉で確かめ、共感しながら進めていくなどの、会話にはマナーやルールが存在し、相手の目を見て話すことや、相手の話を良く聞くこと、共感する言葉でうなずくことなど色々とあるとおもいますが、会話の基本的なことに受容、共感、傾聴を行いながら会話は成り立っていくのではないでしょうか。

相手が話している意味を自分はどれぐらい理解できているのか、自分の理解した内容を反復したり、相槌をうって相手の反応を確認したりしながら、相手との信頼関係を深めながら自分の考えを伝えていくことが会話の大切な姿勢だと実感します。

この世は人と人との関係性の中で成り立っている以上、素敵な人との出会いを実感できるのも、大きな学びを得ることも、自分の協力者を募るにも、国と国、人と人とが争うことも、全て会話から始まっているのだと考えると会話の大切さを実感し、会話が自分の人生に与える影響は重大で、自らの会話の質によってより良い人間関係、より良い人脈づくり、より良い人生が送れるのだと思います。

カグヤでは一円対話という相手の話を受容、共感、傾聴するコミュニケーションの取り方を毎朝、実践し社内の共通理解を深めています。
この会話の大切さを自覚し、日々の実践を深めていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「モノを大事にする思い」

2010年10月 5日

先日、家の掃除をしましたが、一人暮らしの割に掃除をすると意外とゴミが出てきます。
モノを捨てなければ片付かないこともありますが、モノの多い時代になったのだと実感します。
家電などは特に言えることですが、新商品など入れ替わるサイクルが早いこともありますが、
一番の改善はモノを購入するときの意識が大切だと反省感しました。

各メーカーはモノを売るためにより便利なモノを生み出し、市場に供給してきますが、
購入する側の意識としてゴミにならないための目線で、本当に自分の生活の中で必要としているモノなのか、今あるモノで代容ができないか、長く使うためには修理しやすい作りなのかを考えて、購入していきたいと思います。

今回の掃除で押入れの奥にしまってもう何年も電源を入れていないレコードプレイヤーを引っ張り出し、
また聞き始めました。
CDに比べ、手間が取られる操作になりますが、それもまた愛着が湧く関わりの一つだと感じ、こういったモノを楽しめる心の余裕の無い自分にも気付かせてもらいました。

ゴミを分別すること、リサイクルを実践することも大切ですがその前に、
大元の無駄を出さない、無駄を生まないモノの購入がエコに繋がっていくのだと思いました。

また、身近にあるモノに心をこめて愛着心を持って大事に扱っていけばより長く活用することができるのだとも思います。
大事する人やモノが増えれば増えるほど、心が満たされ、自分の人生の豊かさになっていくのだと感じました。


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「一日一善」

2010年10月15日

人が生き続けるということは何かを犠牲にしているということを自覚し、他の命を頂くことばかりではなく、少しでもお返しする意味でも一日一善を心がけています。

何かの犠牲のもと、自分の存在が許されているからこそ、何かのお役に立てることを
考えて実践する。
それはどんな小さなことでも些細なことでも、自らその意識を持ち、行動することが大切だと思います。
困っている人にお役に立てることができれば良いのですが、そうでなくても自分がゆとりを持って人に接することも、笑顔でいることも人の役に立てることに繋がっているのだと思います。

日本は八百万の神という思想にも象徴されていますが、謙虚に自然の恵みに感謝することを大事にしている日本独自の文化があり、食事の際も「頂きます」と挨拶をしますが、狩猟民族であるフランスやドイツでは「旺盛な食欲を!」という掛け声で食事を始めます。

また食事の挨拶が特に無い国も多いようで、日本のように農耕民族として自然の恵みの恩恵を受け、他の命を犠牲にして受け継ぐことで自分の命を繋いでいることに感謝する日本人の生きる姿勢を大事にしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「豊かさの見直し」

2010年10月26日

先日、オランダからリヒテルズ直子さんとアナマイケさんが来日され、コーポラティブゲームを体験させて
頂き、世界がなぜ教育の中で協働的な他者との関わりを体験する機会を必要しているのか、改めて
考える貴重な機会となりました。

ヨーロッパではEU諸国の中で移住が活発に行われ、民族性や宗教観の違いを乗り越えたシチズンシップの
想像を図る意味でも幼児教育の中で、協働的な体験からの他者理解や他者支援の必要性を実感し体得されているようですが単一民族である日本では肩書や年齢、役職、雇用主と雇用される我話など、互いの立場に上下をつけ結果、権力や立場を保守したり、社会に依存したりと、コミュニケーションの障害に繋がっているように感じられます。

世界の幼児教育に眼を向けると、世界の5大保育とされている中の一つであるイタリアのレッジョ・エミリア市で実践されている保育では、今日まで協働的で豊かな営みが街文化として受け継がれ、その文化の中にレッジョ・アプローチと言われる幼児教育の独自性ある保育メソッドが確立され、子ども一人ひとりの様々な主体的な発想ややり方だけでなく、他者との関わり合い、互いの表現の違いを受け入れ合うことで、
新たな価値を生み出し、レッジョ・エミリアという街が昔から大切にしてきた文化に子ども自身が体現し、
学んでいること、OECDの学習到達度調査において世界第1位で知られる教育先進国のフィンランドでも、
日本のような幼児期からの早期教育とは真逆で、日本より幼児期を1年ほど長くとって、子どもが子どもで
いられる時期を保障し、幼児期のころに子ども同士の関わり合いや自然の中での様々な経験、体験を充実させている取り組みがあると聞いています。

日本国として経済成長を優先し、生産性や成果、所得から見た価値観が強くなった日本社会では
誰かより早いとか、誰かよりもうまくやれることが他者が自分を評価する基準になっていることが
多くあるのではないか、残念ながら今の日本社会の中では生産性が無いとされる子どもや老人、病人のような立場の人は粗末に扱われているように感じます。

現代の日本には人が人として安息し、本来の自分らしく暮らせる環境が足りていないのではないか、
よく何かうまくできない人を障害者と表現しますが、現代社会の大人達も自分らしく生きづらい障害者では
ないかと強く感じてしまいます。

20世紀の資本主義経済、生産、消費社会に限界を感じている今、もう一度、人としてどのような
生涯を生きることがよいのか、人としての本質的な豊かさの価値を自分の中でも見直していきたいと思います。

世界の一人ひとりが自分らしくよりよく生きること、自分が誰かの役に立っていることを
実感できる社会を作ることが平和な社会へ繋がるような気がします。


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「宗教感覚の違い」

2010年11月 5日

クラシックを聴き出してから、機会があれば一度、ホールで聴いてみたいと願っている曲の一つにベルディのレクイエム(怒りの日)という曲がありましたが先日、都内で聴ける機会があり、足を運びました。

キリスト教の死者の安息を願うこと、死者の為の祈りをレクイエムとされていますが、
宗教的な意味からも離れ、死を悼むという意味でもレクイエムという言葉を使われることも多くあります。

クラシックの世界でも多くのレクイエムというタイトル曲がありますが、その代表的な曲にモーツアルト、フォーレ、ベルディの偉大な3人の作曲家が作られた3大レクイエムがあり、その中でもベルディのレクイエムをクラシック界では「ベルレク」と略し愛されているようです。

クラシックや17世紀の宗教絵画など西洋文化に触れていくと宗教観の違い、大元の思想の違いを感じてしまいますが、ユダヤ教徒やキリスト教徒の信仰の拠り所となっている「旧約聖書」に登場するヤハウェやイスラム教徒のアラーも唯一の存在として世界の創造主であること、一神教の神であることから、人はその神に対して「服従」し神の意向に従って生きることになり、意向に背くと罰を受けることになる。
また、神を信じない人間(異教徒)には神に変わって罰を与える聖戦を推し進めることで今までに様々な衝突があります。

日本の宗教観を考えると古代人からの考え方である世界は多くの霊魂によって作られている「精霊崇拝」を掲げ、生きている人間も含め、動植物、器などにも平等な霊魂が宿るとし死者の霊魂も不滅であるとされ、
八百万の神という思想を持ち、「アメノミナカヌシノカミ」という国造りの神と「タカミムスヒノミコト」「カミムスヒノミコト」の国譲りの神とで最初の日本国を造るとされ、造化三神の存在が日本書記には記されていますが、民は神に見守られながら、多くの霊魂の力の影響を頂き、生かされているという宗教観を持っているのだとわかります。

世界には現在68億人の人達が一緒に生きていますが、みんなルーツが違い、違うからこそ、互いの文化、芸術に触れる楽しみがありますが、互いの違いが衝突、争いに繋がることも残念ながら事実です。
だからこそ、もっと互いを知ることが大事だと感じています。

これは日本人と外国人の関係だけではなく、日本人同士の間でも同じことが言えるのだと思いますが、これからは共働的な価値が必要とされ、共働的な関わりの中で互いの違いを発輝し、新たな価値を創造していく、されていくことが望ましいことだと感じます。

互いの違いを豊かな特徴として受け入れることができれば、もっと楽しく豊かな世界が広がるような気がします。


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「豊かさの代償」

2010年11月16日

先日、ノーベル賞受賞者に振る舞う席で出されているハーブティを頂く機会がありました。
初めて感じる、とても深いハーブの香りで心が落ち着く上質な味わいを今でも鮮明に覚えています。
今年も日本からノーベル化学賞を2名の大学教授が受賞されましたが、日本人にとってとても誇らしく
感じます。

このノーベル賞はご存じの通り、ダイナマイト発見者のアルフレッド・ノーベルの遺言から
1901年から始まった世界的な賞になりますが、スウェーデンに生まれたノーベルがダイナマイトの
開発に成功し、トンネル工事や様々な大規模な工事の場でダイナマイトは画期的で、ダイナマイトで巨万の富を築いたノーベルは「ダイナマイト富豪」と呼ばれていた半面、軍事の場面でも多用され戦争によって巨万の富をなしたとされ「死の商人」とも世間から非難されていたようですがその後、自分の開発で多くの人が
命を落としていることへの後悔から自身の遺産を基金としてノーベル財団の設立の経緯があり、
人間社会は良いものを開発する一方で同時に苦悩を生み出しているように見えます。


世界がアメリカとロシアを中心に二分し、世界規模で戦争を推し進めていた時には、
高額な戦闘機や巨額な建造物をまた高額なミサイルで破壊し合う時代に終わりを告げ、
破壊の時代から生産の時代に移り変わり今、世の中で起きている、行き過ぎたデフレも物を作ることに
専念できる平和の産物だと思います。
この平和の産物の影響もあり物があまり、それでも利益を生み出したいと考える人達が先物に投資し、
リーマンショックのような幻想を作り投資し、今世界中で苦しんでいる人が多くいるように思います。

便利な移動手段として発展してきた自動車の登場で人類の生活に豊かさを提供してくれて
いますがその半面、自動車での交通事故で命を落とす多くの人がいます。

便利なモノの影響で人類の生活が豊かになりながらその便利なモノで苦しみ、命を落とし苦しんでいるという
事実があること、どんなものにも光と影があるこの世の中に対して深い矛盾を感じます。
 
発明家のアルベルト・アインシュタインの残した言葉を思い出します。
「核連鎖反応の発見が人類の滅亡に繋がる訳ではない。
それはマッチの発明が人類を滅ぼすことに繋がらないのと同じことだから」

文明の豊かさが人類の悲惨さも生み出していること、便利とされていることが多くの障害になってしまって
いること、光には影が存在していることを忘れることなく、モノゴトの本質に光を当て続ける人格に結びついた教養や学問を身につけていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「近代化からの脱却」

2010年11月26日

世界が過渡期を迎えていることは毎日のニュースから感じますが、
先進国はこれまでの国の在り方を見直し、脱近代化としてこれまでの経済中心の国の発展から脱却し、
今まで目を向けてこなかった人としての本質的な価値や本当の豊かさである共に生きる、共生する社会を
創造、構築していかなければならない時期にきているように感じます。

また広大な国土と人口、資源に恵まれているBRICsと呼ばれているブラジル、ロシア、インド、中国の
各国は国内に貧富の差が激しいことなど様々な問題を抱えながらも発展し続けていますが、後発発展途上国として注目されるネクスト11と呼ばれる各国も含め、地球環境、CO2排出規制などで、これまでの先進国のような右肩上がりの経済成長だけを求め続けるやり方での自国の発展はできなくなっている中、今世界に求められているものは地球上のすべての生命との共生と次世代に向けての持続可能な社会構築の歩みとして、環境、エネルギー、食糧政策とそれを支える思想の教育だと思います。

その思想を明確にしたのが二宮尊徳も言われていた経済と道徳の一致だと感じます。

インドがイギリスの植民地当時に訴えていたマハトマ・ガンジーの思想にも「インドがこんなに苦しんでいる
のはイギリスの植民地になっているからではなく、イギリスの持ち込んだ近代化が大型機械による大量生産を生み、人が手仕事を通して自然と共生してきたことを忘れ、私利私欲にまみれ自然と離れた人間中心主義の社会へ導いてしまう」からだと見通されていました。

カグヤの理念である「子ども第一主義」も経済と道徳の一致が不可欠で、
経済と道徳の一致の中に子どもを中心とした豊かな社会の姿が見え、そこに世の中を変えていくほどの
感化力を見出していくことになると思います。
だからこそ、カグヤクルーは壮大で難しい思想と向き合い、思想を深め、高めていくための理念の実践力が
不可欠で、一つひとつの理念の実践を大切に取り組み、GT会員園さんと子どもが子どもとして尊重された
存在である社会づくりを進めていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


有難いこと

2010年12月 7日

ありがとうということは有難い、有ることが難しいものだからこそ、
感謝の気持ちが湧いてくるのだと思います。
今こうしていれることは当たり前ではなく、有難いことなのだと気付けること、
何もないと思えることから幸せを生み出せる力が自分には弱いように感じます。

日本人の思想には全てのモノにも魂が宿るとされ、心の在りようが言霊として、
自分が発した言葉通りのことが現実として起きるとされていますが、もっと意識して
感謝の気持ちで前向きな言葉を発していきたいと思います。

二宮尊徳の教えにある分度も自分の分を弁えること、自分を律して所得以上の暮らしを求めない
ことではありますが、もうひとつあるのが、今の与えられた暮らしの中で有難い感謝の気持ちを得ることと、
世の中への恩返しの気持ちが他者への推譲へと繋がっていくのだと思います。

世の中では人生の目標や自己実現が大切だと高々と言われていますが、自分を必要としてくれる
場所で人智を尽くしきることが与えられた自分の命を無駄にしない人として幸せな生き方ではないかと
思います。

自分が自分がとなっていると視野が狭まり、もがいているだけの苦しい生き方になってしまいます。
柔道で言えば自分を守るために相手を攻撃する投げばかり磨き、受け身を学ぼうとしない。
人生には受け身の力も必要で受けて立てること、それが我慢できる量であり、余裕であり、
我慢をため込まないためのユーモアだと思います。

まだまだ、まだまだ人生を味わえていない日々ですが、魂を豊かにしていくことの素晴らしさを
実践していけることに有難い気持ちを持って生きていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「生きている実感」

2010年12月16日

日常の環境の中で無意識のうちに業務に追われ、業務をこなしていくことが目的になっていること
業務は大切なことだけど、それが自分の何に繋がっているのか、どんな価値を守ることになるのかなど
離れたところで業務を進めてしまい、心を亡くして忙しい状況の自分に気づくことがあります。

そんなときは自分自身が今、生きているという喜びや感謝の念を実感しないまま、
多くのことが当たり前のこととしていて、自分が生きていることがどれほど
二度とない人生の限られた時間や自分の存在がどれほど奇跡的なことで、崇高なことなのか
自覚が薄れているように感じます。

これまでの現代社会では業務の効率やスキル、できる、できないに目を向け、優遇されがちで、
日本の戦後教育も知識、学力を優先してきた中で人が人であるための重要な感性とのバランスを
崩しているのだと自分の状況から改めて実感します。

人の笑顔や綺麗な空が見れる目を持ち、朝の新鮮な空気や豊かな香りを楽しむ嗅覚があり、
人に感謝の気持ちや励ましの言葉を伝えることができる口があり、
好きな人に会いに行ったり、どこへでも学びに行ける足があること、

生きている以上、二度とない人生を自分はどう生きるべきかという問いから逃れる
ことはできませんが、少し止まるとして「歩く」とありますが、人生を流されず、立ち止まり、
自分は一体何がしたいのか、自分が世の中に対してどんな役割を果たすことができるのか内省し、
胎児が母親のおなかにいる十月十日からきている「朝」という字のように毎朝、新たな自分へ生まれ変わっていくこと、だからこそ新たな感覚で全てのことに携わっていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


人間学

2010年12月28日

山形県の庄内平野で江戸時代に栄えた、酒井氏が永年一代で治めた庄内藩があります。

庄内藩と聞くと日本が明治へと変革した大政奉還後、薩摩・長州藩を中核とした天皇親政の復活、新政権倒幕派への抵抗勢力として江戸薩摩藩邸を焼き討ちし、戊辰戦争のきっかけを作った事件のことを思い出しますが、庄内には古くからの藩校として「致道館」があり、約70年の間、庄内藩の優れた人材を輩出してきたとのことです。

致道館の名称は論語にある「君子学ンデ以テソノ道ヲ致ス」に由来し、その教育方針の特色は「天性重視・個性伸長」と「自学自習と会業(小集団討議)の重視」にあります。
人は一人ひとりの生まれつき、得意、不得意があり、個性に応じてその才能を伸ばすことを基本にしながら、受け身で知識を詰め込むのではなく、自ら考え学ぶ意識を高めることを重んじ、年齢に関係なく、個々の学力に応じて進級する形をとり、一斉でのテストなどが有るわけではなく、日頃の学問への取り組み方や習熟度、成果など総合的に判断し進級していたようです。
当時の致道館では現在の小学校から大学院にあたる10歳から30歳前後の350名ぐらいの生徒が通っていたとのことです。

一人ひとりの個性や長所を伸ばし地元への貢献を果たす人材育成を140年ほど前の教育現場で行われていたことを考えると、日本はいつのころから一斉画一的な教育に変わって行ったのか疑問に感じますが、自分成りに考えてみると明治以降の日本社会の近代化が教育の目的を、知識を得ることに赴きを置き過ぎたこと、モノの生産が活発になるとモノや権力が人の価値を有る意味で超えてしまったりしたことが人を育てる教育現場で人を画一的に育てようとする発想にいきついてしまったのではと考えてしまいます。

最近の日本では歴史認識における領土問題から格差社会、虐待の増加など様々な問題が起きている中、一つの特徴として人として高めてきた人間力が失われつつあり、だからこそ大河ドラマで見る日本人として誇れる偉人をモデルとして改めて感じ学び取り戻そうとしているように思います。

自分も日頃、色々な啓発本を手にしますが、知ることで終わることなく、知行合一を実践するためにも日々の知覚動考の積み重ねを大切にして生きたいと思います


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「潜在する真理」

2011年1月14日

先日、都内で友人と食事の中で絵画の話に花が咲き、食事を終えてどこか近くの美術館へ行こうということで、一番近いところにあった六本木の国立新美術館へ友人と足を運びました。
この時期の新美術館では、ゴッホ展を開催していましたが、最後の週末だったこともあり、多くの来場者で
かなりの混雑ぶりで僕は開催当初にすでに観に来ていましたが改めて観ることになりました。

今回の企画展の中心になる画はゴッホが南仏アルルに移住したとき住居である黄色い家のゴッホの部屋を
描いた「アルルの寝室」がメインになっていることもあり、このアルルで共同制作を共にしたゴーギャンと
ゴッホとの人間関係などが注目を集めています。

ゴッホは弟のテオに画家としての活動資金の援助を受けていたこともあり、ゴーギャンはそのゴッホの資金が目的でゴッホの待つアルルに足を運んだというのが歴史的な共通理解のようです。
ゴーギャンは画家としては異色な経歴の持ち主で、海軍に在籍したのち証券会社での経験があることからも、
絵画好きな人がゴーギャンへ抱くイメージは自信家でエゴイスト、孤独な人ということのようで、
ゴッホが自ら耳を割いたとされる事件は、実はゴーギャンではとの新説が出るほどですが、
アルルでゴッホの作品を観たゴーギャンはゴッホの高い技術に驚きを覚えたほどで、あのゴッホの名画ひまわりもこの時期に描いていますが、色彩にこだわりを持つゴッホは黄色もただの黄色ではなく、黄色を際立たせるために黄色の保護色である紫をキャンバスの裏地に使い、黄色に深みを与えていること、印象派にはなかなか表現できなかった夜の風景もこだわりの黄色を駆使し、「夜のカフェテラス」などで観てとれます。

2人が出会った当時、ゴッホはゴーギャンに深く尊敬の念を抱き、ゴーギャンがゴッホに指導する立場でしたがアルルに赴き、ゴッホの「ひまわり」を見たとき、計算されつくした巧みな技術を目の当たりにしたことで、プライドの高かったゴーギャンがゴッホとの共同作業にのめりこんでいきます。
真実はいつもキャンバスの中にしかない画家の本当のことは今となってはわからないものの、
互いに刺激し合ったこと、認め合い尊敬しあったことは両者が残した作品を観ると、言うまでもない
事実だと思います。

そんな中、足を止めて観てしまった画が作者は有名な方ではありませんでしたが、とても大きなキャンバスに海と海岸のいくつかの岩に波が打ち寄せている画で大きなキャンバスなのに、なんとも殺風景で冷たい海に人の気配もなく、観る者をとても寂しく不安にさせ、作者は何でこんな殺風景な画を書くのかと疑問に思うほど
でしたが、冷たい画を観たとき、どうしてこんなに自分の心が焦ってしまうのだろう、とても不安になるのだろうと思い、無意識の中に存在している感性がここまで表れてしまうあの画の凄味を実感します。

人には誰にも感性が存在しますが普段、外部からの刺激や関わりの中で、自分自身の心の機微を感じながら
生きているほど、向き合っていないこと、自分の心の奥底に自覚しないまま存在する不安や迷い、心の深さを知れる良い機会になったと同時に他者の心に共感することは簡単ではない難しさも感じます。

ぼくはよく思うことは毎日のニュースなどで残酷な事件の報道の際、コメンテーターの方が容疑者に対して、「許せない行為」だとか「不愉快極まりない」などの厳しいコメントをされていますが、そうなる前に
誰かがその人の心の苦しさや絶望感など解決まで行かなくても話を聞いてくれる人の存在があるだけで、
結末は違っていたのではないかと思います。

人は一人では生きていけないということもわかりますし、人から生きることが難しくなるほどの絶望感を
受けることもわかります。
だからこそ、多くの人の助け手が届く関係性、コミュニティーの創造が必要ではないでしょうか。
落ちれば行くところまで自分を追いつめてしまうのも心なら、無限の豊さを想像できるのも人の心、
美や光に心を向けることの大切さを改めて考える今回の美術館めぐりでした。

よく画と写真の違いを聞かれることがありますが、表面的な色、形を写実し視覚で理解する写真にはない、
人としての感性を真理としキャンバスへ具現化する印象派絵画の本質が歴史の風雪を耐え、現代の人たちの心に届いているのだと思います。
人が持つ感性を追求し表現する芸術は芸術家だけのものではなく、みんなの人生そのものが芸術に値する
のだと思います。
自分とは一体何者なのか、自分は何を大切に生きているのか、仕事を通して自分という人間を表現して
みたいと思いますし、他者に対して人生の最高の支援者、応援者でいたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「偉大なるユーモアの力」

2011年1月25日

年末年始のお休みの間に手にした本にドイツの偉大なる哲学者ニーチェのある言葉と出会いました。
それは「あなた自身を笑うことを学べ」と言われた言葉でしたが、以前から自分に自信が無かったり、思うようにならない現実の中で、自分の感情に押しつぶされないためにも自分の思いつめた気持ちを切り替えることのできるユーモア力の必要性を自分自身、感じていました。

ユーモアと聞くとおもしろさや滑稽な様をイメージしますが、モノゴトを多面的に捉え、柔軟に思考し、自分や状況を客観視する力を必要とする人間にしかない高度な知性とされ、ユーモアと感じれるのは自他との関係性の中で相互認識されることに難しさを感じます。

ユーモアに長けている民族としてよくユダヤ人を採り上げられますが、国を追われ、差別を受け、大虐殺を味わったユダヤ民族は厳しい現実の中で生き抜く知恵としてジョーク、ユーモアのセンスを高め自分の身に多大な危険を感じる中で、明るく生きるためにユーモアを身に着け、迫害や差別など理不尽なことや人間の悲しさを痛感した上で、「にも関わらず笑う」という、過酷な自分達の生い立ちまでもユーモアを持って楽しんでしまう、ユーモアの天才だと言われています。

日本人は立食パーティーなどの場で初対面の人との話しが苦手で、かみ合わず沈黙が生まれてしまい、カラオケなどの余興が無いと場が持たなかったり、様々な面談、商談の場でも互いに固い空気を作ったりとしてしまいがちだとされています。

元々の民族的な背景や文化の違いもあると思いますが、アメリカ人を始め、諸外国の人達と会話をする際はそういった苦労はなく、初めて会った人同士で気軽に下の名前で呼び合えるようなフランクさを感じてしまいます。

今、日本では地域での近所付き合いが希薄になっている中で通りすがる際に挨拶を踏まえ、声をかけ合えれる関わりが地域を再構築することにも繋がっているようにも思います。
そう思えば自分が子どものときも近所のあまり面識の無いおじちゃんに「そんなに急いでも日本は狭いぞ」など、ちょっとした面白い言葉をかけてもらった記憶が甦ってきます。

スヌーピーの作者であるチャールズ・M・シュルツ氏が「幸福な状態の時にユーモアは生まれない」という言葉を残していますが、人生にはその時々の自身の感情が判断を大きく左右してしまうことを痛感しています。
だからこそ、追いつめられたとき、視野が狭くなったとき、余計に緊張しているときの
自分の心を取り戻すためのユーモア力を大事にしていきたい、ユーモアが人を助けることにも繋がっていくのだと思います。
「楽しく生きる」とても奥の深い生き方だと実感していますが、日々の中で楽しんで実践を深めていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「努力の質の違い」

2011年2月 3日

昨年、栗城史多さんというアルピニストを知り、活動を見守っています。
彼は北海道生まれの160cmとアルピニストのイメージからしては小柄な人ですが、
 これまでの世界第8位の標高「マナスル(8163m)」や第7位の「ダイラギリ(8167m)」、第6位の「チョ・オユー(8210m)」を日本人では初となる単独、無酸素登頂を成功している方です。
  単独、無酸素登頂は5%の成功率と50%の生環率だと言われていますので、とても大変な登頂だということがわかりますし、成功すれば日本人初となる「エベレスト(8848m)」にこれから挑戦しようとしていることは、とても心配です。

  登山家とアルピニストの違いとして7 summit(セブンサミット)と呼ばれる世界7大陸の最高峰の山々を指す登山家の方を指してアルピニストと表現されていますが、より高くより困難な登頂を高度な技術を用いて望んでいく考え方をアルピニズムと呼び、栗城さんはこれまでの登山の考え方を大きく変えた一人としても注目を浴びています。

 7000mクラスの山では酸素が地上の1/3ほど薄くなり、ヘリコプターもそれ以上浮上できないほどです。気温はマイナス40度、30メーターの強風が吹き荒れ、7500m辺りから先はdeathゾーン(死の地帯)と呼ばれ、全ての生命の存在を拒絶してしまう標高であり、そもそも人間が入り込んではいけない領域であるとされています。

そんな過酷な状況での登頂でインターネット中継用のビデオカメラと電波の送受信機を担ぎ登頂し、リアルタイムに動画で登頂の苦しみや自身の惨めな姿、登頂を成功した様子などを日本の人達に配信してくれています。
登山が厳しいことは聞いていましたが、実際に栗城君から配信される映像を見ると想像を超えた過酷さを感じ、改めてアルピニストや山への尊敬の念が湧いてきます。

今までのアルピニストは身体が大きいことや鍛えて筋肉をつけ、登頂することが常識とされていましたが、
栗木さんの登頂への考え方は酸素が薄い標高では身体を動かす上で酸素を多く消費する筋肉をなるべく身体につけないことで、限られた酸素を有効利用するよう考えています。

山登りと一言に行ってもトレッキングやロッククライミングなど色々なモノがありますが、
どんな山に登るのか、どのように山を登ろうとするのかによってアプローチは変わってくること、山が変われば身につけなければならない技術も考え方も変わってしまうことを学びました。

登頂の中で特に共感したことは、栗城さんは酸素が薄く高山病になりながら極寒の雪山で、前に進むことを止めて、この場でゆっくり身体を横にして休みたい、このまま寝ることができれば、どれほど幸せなことなのかと栗城さんは何度も言葉にし、誘惑に駆られますが、気付くと眼の前には既にご遺体となってしまったアルピニストの姿がある。
彼は登ることを自ら辞めてしまった人、この山では登ることを辞めてしまうと未来永劫、この場で眠りにつかなければならない。極寒の地では腐敗することもなければ、遺体を回収されることもない。
自分はそうならないようにとまた、歩き出す栗城さんの姿を見ると生と死の間で自分と対話しているように感じますし、自分の人生に置き変えても今のレベルで甘んじていることと共感しました。

これまでの自分の人生はエベレストに登っているつもりで苦しいことに向き合っていたように思っていましたが、実はエベレストなどではなく、エベレストへ向かう道中のただの坂道だったのではないか、
自分が登るエベレストにはまだ到着もしていないのではないかと考えると、これからが自分の人生の登頂のように思えてきます。

 生きている上で感じる苦しみや悲しみ、不安は自分をダメするもの、追いつめるものではなく、自分自身を感じるもの、自分自身、そのものであることに気付かされました。
受け入れず、拒絶するのではなく、不安や苦しみと向き合い、自分自身を知ること。
今まで自分が進みたい方向に立ちふさがっていた壁は過去の自分が積み上げてきた自分自身であること、
 人生の山を登り、そこで息を引き取った場所が自分としての頂きであり、
自分の人生の山頂ではないでしょうか。自分の山頂からの最後の景色を楽しみに生きていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 田上貴士



「不安」

2011年2月15日

生きている上で不安や迷いはつきものだと思います。
日々の自分を省みても、不安に心が駆られ、問題を先送りしてしまったり、自分にはできないと決めつけて行動へと移さないことが多々あり、あんなことがしたい、こんな自分になりたいなど、思いはありますが、思いと現実が伴わないという状況に苦しんでいます。

将棋棋士で有名な羽生善治名人は、幼いころから地元八王子にある将棋クラブへ、広島東洋カープの赤い帽子をかぶって通い、当時、「恐怖の赤ヘル」とクラブ仲間から恐れられていたそうです。
その羽生名人が対局のときに手にする扇子には「混沌」という二文字が書かれています。
ある羽生名人へのインタビューの中で羽生名人の独創的な対局スタイルの確立はどのように作られたのかと取材を受けられた際の羽生名人の返答に、『将棋の世界ではどの将棋棋士も名人になればなるほど、難しい対局を勝てば勝つほど、自分のさし方、将棋の戦術がより絞り込んだ陣形を取るようになり、戦術が似通り、決まりきった流れになることが多い。その中で対局の中で何回か戦局に迷いを感じることがある。その迷いを感じる局面こそ自分自身を感じ、その一手に自身の個性を用いている』と羽生名人は言われています。
多くの将棋ファンもこの局面でよくそこに差せるなと思わせる「羽生マジック」と言われる名人の局面を一気に変えてしまうほどの大胆さや凄みを感じるのだそうです。

羽生名人の話をお聞きし、不安が自分自身もあり、個性であること、成し遂げたい目標を明確にすること、そのための行動計画を立てること、立てた行動計画に対して積極的にリスクヘッジすることで、不安や迷いが計画の中に落とし込まれると既に不安ではなり、不安が原動力にもなり得ることを感じ取りました。

日本には「なるようになる」という昔からの言葉があります。
自分の中でこの言葉が自然と出るまで精一杯動くことで不安に対しての弱気な気持ちを乗り越えていくことで不安が自分の生きる活力、原動力になるよう努めていくためにも、目標を見続ける創意工夫が必要だと思います。

サッカーの試合でもゲームを制する中で重要になるのが90分の中でバイタリエリアでのプレーが何度できるのかだと言われています。
バイタリエリアとはゴール付近で敵のプレッシャーが掛からない選手のパフォーマンスが充分発揮されるエリアのことですが、1日24時間、有限な中で成し遂げたい目標のために計画性のある行動で自分のバイタリエリア(余裕)を創出し、自身を高めていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「時代の限りと新たな希望」

2011年2月23日

先日、致知出版主催の新春セミナーに参加させて頂きました。
 月刊誌「致知」を愛読されている多くの方々のご参加ということで、会場は熱気に満ち溢れていましたが、人間学に造詣の深いお三方の講演を拝聴させて頂きました。

 その中のお一人であるアサヒビール名誉会長の中條高徳氏の講演の中に、人類の歴史の中で民族が滅びる理由の一つに社会が人の価値よりモノやお金に偏ったことを挙げられていました。
 
現代でも2008年9月15日チャプターイレブン(民事再生法)を申請したとNEWSが飛び込んで以来、各国が破綻へと傾き、世界経済がこのように混乱するなど想像もできませんでしたが、よくよく考えてみるとモノはあまり、不自由の無い中で新たな購買意欲をかき立てる商品開発や広告戦略に企業は凌ぎを削り、政府も世界で自国の存在感を維持するためにより生産し、より消費することを国力とする。金融業界もお金をお金で売買し、一喜一憂する。

 これまでの先進国が経済成長によって国の全ての病を解決させるという盲目に信じた世紀に終わりを告げ、今こそ、先進国となった国が新たな豊かさへとシフトチェンジしていく世紀を迎えたのだと実感します。

経済を知ろうとすればするほど人間学に行きつき、人間学の学びを深めることの繰り返しになります。

 致知出版社社長である藤尾氏の講演の中で、世界で200年永続している会社はどれほど存在しているのかという問いに中国は9社、韓国は0社、日本は3000社ほど存在しているとのこと。
 
それは昔から日本の先人達は成功による傲慢が身を滅ぼすことを知り、感謝と恐れを決して忘れないこと。
 自分が生きている間のことだけを考え生きるのではなく、遠きを慮り、次の世代のための種まき、準備を怠らない優秀な民族だということを教えて下さりました。

また最後に藤尾社長から、良い本を読み、良い言葉に触れ、学ぶこと教えることを惜しまず、自分の心を育て自分の人生は尊いもの、自分が生き抜く姿で周囲を照らしていき、国を立派にするには自分の力が必要なことを自覚し、若い人に伝えなさいとの言葉を頂きました。

 先人が残して頂いた偉大な財産に感謝し心から学ばせて頂き、自分の命がカグヤという社業を通じて、次世代へと引き継がれる価値のある社会貢献を果たしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「beginner’s luck」

2011年3月 3日

よく釣りやゴルフ、かけごとなど色々な場面でbeginner’s luckが起こることがよくあります。
初めてのど素人が成功してしまうという現象ですが、とても不思議なことです。
うまくやれてしまった人へ何でできたのと聞くと、なんとなく感じたとか、そう思ったなど、よくわからない返答が返ってきますが、それもそのはずで本人の中には何の経験も情報も無い中でのアプローチですので正直な感想だと思いますし、自分自身も同じことを言ったことを思い出します。

beginner’s luckの現象を改めて考えてみると、何の知識も情報、経験が無いので、
自分の感じるものしか頼るものがなく、ある意味、感性が呼び起こしている結果だと言えると思います。

しかし人間は一度成功するとそのやり方だけをマネして繰り返そうとしてしまいます。
当然、前回と状況や背景が違ったりすることの方が多いのですが、先ほど出した結果は心、感性を研ぎ澄まし、
その状況をありのまま、認識することを自分の感性を使って感じることができたことがあったにも関わらず、成功したことからのやり方、頭で考えた方を優先してしまう、その瞬間、beginner’s luckではなってしまうのだと思います。

近代文明の飛躍的な発展の中で、今までより手間暇をかけることなく、できてしまうことを求める、便利なものが世の中や身の周りに溢れ、感じるための時間や関わりを面倒とし省かれてしまい、もっと時間をかけて味わい感じることの大切さを実感します。

人が移動することだけをとっても、恐らく日本で初めての旅行をテーマにした傑作、歌川広重の「東海道五十三次」から見ても、当時の人は人に会うというために何日もかけて自身の足で歩いて会いにいく時間が会うことへの考え深さが増していくのだと感じますし、参勤交代でも薩摩から江戸までは2ヶ月かけて上洛していたとのことです。
その間に色々な苦労がありながら、また自然と共にしながら自分の心との対話を深めていたのではないでしょうか。

日頃の生活の中で心を意識し、心を育てていくためにも、よい映画や本、芸術や文化に触れ、人の本質に迫り、自身の心の汚れを落とし、生きる上で人の素晴らしさに感動することを有意義なことし、大切にしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「人のタイプ」

2011年3月14日

 先日、5年前に日本に来られたフロリダ出身のアメリカ人の方と食事を共にしました。
私から見れば白人のアメリカ人としか見えませんが、ポルトガル人の父と琉球人の母を持つアメリカ人で 奥さんは純粋な白人のアメリカの方です。

日本に来て良かったことをお聞きすると、日本では自分はアメリカ人、もっと広く言えば外国人として生きていけると話されます。その答えがよくわからなかったので詳しくお聞きすると、アメリカに住んでいたときには自分は白人ではない。
ポルトガルとアジア系の血をひく人間として生きていかなければならない。
アメリカでは何かを購入したり、契約するときなど、ことあるたびにアンケート用紙の質問事項に応える機会が多いが、まず聞かれるのは自分は何に属している人種なのか、要は人のタイプということである。
アジア系なのか、ドイツ系なのか、ユダヤ系なのか、メキシコ系なのか、色々な人種が有る中、彼はそのどこにも合わないため、その他にチェックを入れるのだそうです。
そのたびに彼は自分はその他として存在し、生きていかなければならないことに阻害感を感じることが多い。
だから日本では単純にアメリカ人、または外国人として他の外国人と共に、みんな一緒に自分を受け入れてくれ、生きていけることがとても楽だと感じるのだそうです。

自分がアメリカについて抱く印象として、多民族国家として、人種や個性に対して柔軟性や社交性があり、共に社会を形成しエネルギーが溢れ、自由と平等が良くも悪くも存在しているように感じていましたが、実際のアメリカでは中国人は中国人が固まって町を歩き、インド人はインド人と固まり、スペイン人はスペインの人と固まってしまう。サービス業としての接触でない限り、あまり積極的に他の人に関心や関わり持つこともなければ、街中で挨拶を交わすこともないとのことで、彼から聴く実際のアメリカの事情には違うものがありました。

 今でもアメリカの北部に行けば行くほど、白人社会が強く、モンタナ州やワシントン州などは白人以外のタイプは入ることも気が引けるとのことで以前、彼が奥さまと一緒にレストランに入ると彼は純粋な白人ではなく、奥さまは純粋な白人のため、周囲の方からイヤな視線を受けてしまうとのことです。
 南部のアラバマ州やルイジアナ州には反対に白人はとても入りづらいところだと言います。
 
 なぜそんなに互いを意識する仲が続いてしまうのかお聞きすると、日本と韓国の仲と同じように 日本は韓国のことをそんなに意識することなく、K-POPや食文化を積極的に取り入れているが韓国側は日本をそう思っていない。どうしても許しがたい過去がある。

人は今しか生きられないようで、過去を生きていることが多くあるように思いますが、民族間としての問題としてではなく、人類としての間違いや反省とし、よい教訓として学び合うことで互いを許し、受け入れ、過去から学び、未来へ活かしてほしいと強く望みます。

 現在、中東でも長く続いた権力で国を治めてきた国々が改革の岐路にありますが、20世紀は西洋の国が世界を制圧し植民地化した時代だとすると、21世紀は情報の革新で 西洋の文化と東洋の文化が近づき交わり、違いが無くなってくる時代になるのではと感じますが、これからは色々なタブーやボーダーを乗り越え、互いに受け入れ、尊重し合う、 いわゆる聖徳太子の定めた憲法17条の第1条にある「和を以って貴しとなす」が現実の世界で実現していく時代になるのではないでしょうか。

 また、これからの保育会も子どもの未来のために、様々な立場や価値観の違いを乗り越えて子どもにとって本当の価値を最優先していける社会のために協働的な関わり合いを創造していける社会でありたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「多様性」

2011年3月24日

21世紀に入り、様々な分野で「多様性」という言葉を聞く機会があります。
テレビや雑誌にも、これからは更にグローバルに経済も流通を考えていかなければならないと高々と言われている現状にいつしか慣れ親しんでしまっているのではと感じることがありますが、少し冷静に考えると、このグローバル化はどこかの大国が国内需要に限りがあり、更なる利益拡大をするためのグローバル化を周囲の国々に押し付けているだけなのではないかと思います。

昨年からは太平洋周辺の広い地域の国として日本、中国、東南アジア諸国、オセアニア諸国、アメリカなどが参画し、関税や種目に制限を設けない自由貿易圏を作ろうというTPPの問題も、日本国内では生産農家への影響を強く懸念する討議の様子をよく見ますが、日本の自給率39%余りの現状で自分達の食料を外国から調達するという安易な考えを当たり前とすることはとても危険なことだと感じます。

2008年に原料輸出国であるオーストラリアが干ばつに見舞われたことと、国内の牛乳生産の過剰調正が原因でスーパーマーケットからバターが消え、パニックになったことがありましたが、バター1種目が無くなるというだけであれだけのパニックに陥ることを考えると、国が国としてある根本的な姿をこのグローバル感の強い今こそ、改めて問う必要があるように思います。

女性の社会進出が積極的に進み、女性のライフスタイルに多様化が進んでいる現在、考え方の基盤になっている男女共同参画社会基本法にも同じことが言えるのだと思いますが本来、出産、子育てをする女性が男性の特性を活かした職業にあえて女性として進出することが果たして平等な社会と言えるのか、権利を守る崇高な社会的観念なのかと疑問を抱きますし、働き方の多様化から考えてみても、正社員、パート、アルバイトなど様々な働き方があると思いますが、給料が安定するから正社員、責任を負わなくても済むのでアルバイトなど、本当に働くということが人間の一生の中でどういう意味や価値があるのかから、考えられたものではないように思いますし、大学生の就職難問題からも本来、人間が働くということが人間にとってどういうことなのかを自分の立場からだけではなく、社会全体から、生きる意味やモノや所得の有無だけではない、幸福感から本質的な面で改めて考え直すことが必要な時期にあるのではないでしょうか。

カグヤの社業には子どの人格、個性を尊重していけるような園の環境改善のお手伝いをさせて頂くことが多々ありますが、世の中の社会が本当の意味での個性を発揮して社会の役割を果たせる社会構造を創造する必要があると思います。

もしかすると「多様性」という言葉が社会が肯定され、社会的に受け入れられてしまい、社会の本当の問題をわかりづらく隠されてしまっているのではと疑問を持ち、本当は何が大事なことなのかから立ち返り、カグヤの社業を通じて、自分の存在を世の中に活かし、貢献していけるよう、誰かが作った価値観に流されず自身と向き合い、本当にしたいことを創造していきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「コミュニケーションの復活」

2011年4月 4日

 3月11日にマグニチュード9.0の太平洋沖地震が起きました。
 私どもの東京本社のビルも震度5強の揺れがあり、社内の花瓶や書籍など、立っていたものはことごとく倒れてしまい、東京も地震が多い地域だと認識していましたが、これほどまでの揺れは初めてでした。
 16年前に起こった阪神淡路大震災では、当時私は18歳で広島の実家にいましたが朝方5時ごろ、人生で初めて下から突き上げられる縦揺れを経験しました。
朝が明けると共に事態の深刻さを知ることとなりましたが被災地に血液が不足しているとのことで我が母校にも献血車が駆け付け、授業を中断し緊急で献血したことを覚えています。今回の地震も誰もが想像を超えた被害に言葉を失ったことだと思います。

東京のような高層ビル群の地震ではビルの耐震システム上、振り子の原理で上下左右にビル自身が揺れれることで地震の揺れを吸収しようとすることもあり、実際の震度以上の揺れを実感しますし、私も揺れている間も天井から幾度も埃が降ってきましたが、ビル内から避難するよう指示があったのか、多くの人達で歩道は埋め尽くされ、新宿の多くのお店も閉店し、店員さんも避難したため、歩道に溢れた人達は更に行き場を失い、大混乱でした。
そんな中、皆さん事態を知ろうと携帯を片手に情報を得ていました。また街頭テレビに殺到し食い入るようにテレビを見る群衆の姿はさながら教科書で見た戦後間もないころの日本のようでしたが、普段と一つ違った点は見ず知らずの人同士、現状知り得ている情報を互いに提供し合う様子です。
普段の新宿では多くの人とすれ違いますが、言葉を交わすことも無ければ、知り合う機会も無い街ですが、同じ不安や見通しの無さを共有し合い、互いに話し合う姿はとても新鮮で都市部の人達はコミュニケーションが希薄だと言われていましたが、そんなことはないのだと実感しました。

また都市部の人は日頃の人の多さには慣れているはずですが、この日は停電や電車が止まり、首都高が閉鎖されたことで一般道が大渋滞となり皆さん、家に帰れない焦りや泊る所のない、不安などもあってか、2組もの喧嘩に遭遇し仲裁しました。
喧嘩の原因を当事者によくよくお聞きすると肩が当たったとか、足を踏んだとか些細なことですが、ストレスを溜め込み、きっかけは些細なことですがとんでもないところまで発展してしまいます。
そんな2組も時間をかけてお互いの思いを話しながら冷静さを取り戻し、互いの置かれた状況を理解するととても仲が良くなり、友人のように互いをわかり合う仲になっていました。

 現代はコミュニケーションツールが多様し、昔に比べて劇的に人と話すことに不便の無い時代になりましたが、その便利ツールの存在の陰で例えばmixiのように自分と価値観をわかり合える人としか出会わないようになったり、通勤時には耳には音楽プレーヤーのイヤホンをつけ、目は携帯の画面やポータブルゲーム機を見つめ、電車内ではインフルエンザ防止のマスクが顔の2/3を被い隠し、まさに人を寄せ付けないように感じます。
 多種多様なコミュニケーションツールが人として本当のコミュニケーションの機会を無くしているようでなりません。

 現代人は人との対話が無くなることで互いを知るすべを失い、相手への不安が憶測を作り、思いやりの心を遠ざけ、簡単に人を恨んだり、自分のことは棚に上げ、人へ不満を抱いたりするようになるのだと思います。今回の2組の喧嘩もこれが外交であれば間違いなく戦争へと行きついてしまうのではないか。些細な喧嘩を外交にまで考えることは馬鹿げているとは思いますが、コミュニケーションの取り方一つで互いがよくわかり合い、受け入れ合うこともできれば、互いに誤解し、疑い、憎しみ合うことにもなる。
よりよい社会の根幹にはよりよいコミュニケーション力が問われているように実感した災害になりました。

オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「現実から遅れる」

2011年4月12日

 3月11日に起きた東北沖地震から時が経ち、今回の被害の全貌が明らかになり、東北地方の被災地の状況、被害に遭われた方の数、物資の状況、福島原発の対応と被害状況や推移など、こんなに長い月日を感じたのもなかなか無いのではと感じておりますが、自分が生きている間の日本で3万人ほどの死者が出る事態が起こるとは夢にも思わず未だ、自分の心と現実の差を埋めることで精一杯の日々が続いております。

 今回の東北沖地震で多くの被害者を生み、事前避難された方と津波から逃げ遅れた方との間で生死を
分ける結果となりましたが、三陸沖の方々が決して津波に対して無知であったわけではないと思いますし寧ろ、明治三陸沖地震(明治29年6月被害者約3000人)など、過去の津波の経験から他の地域の方より遥かに問題意識は高い方達だと思いますが、今回の地震災害は現地の方々の想像をはるかに超えた猛威だったことも窺えます。
 
  動画で津波が襲来する様子を見ると、先に高台に避難した人が逃げ遅れた人に対して、何度も呼びかけても、波が目の前まで押し寄せているにも関わらず、車から降りようとしない人や高台に上がろうとしない人達の様子がありました。
違うのかも知れませんがなぜ、急がないのか、頭のどこかで「自分は大丈夫」だという気持ちがあった
のではないかと感じてしまいます。
 今回の地震から報道の中でも、社会心理用語にある「正常性バイアス」という言葉をよく耳にしますが、このバイアスとは偏見を意味し、非常時の情報も何かの間違えではないか、言うほどの影響は他には起きても自分には起きないのではないかとか、自分の日常の生活範囲内として自分の生活には影響がでるほどではなく、これまでの生活を続けていけるのではと、心の平常を保とうとする心理が働いてしまうことが有事の際にはとても怖いことだと言われています。

異常事態の際に落ち着いて行動することは重要なことですが、現実を直視できない「正常性バイアス」
は人災そのものであると思います。
それともう一つ「集団性同調バイアス」という他の多くの人達と同じ行動を取っていれば安全だとする意識も有事の際、正確な判断を妨げてしまう心理であるとのことです。

今回の東北沖地震の2日前のあたる3月9日に三陸沖でマグニチュード7.2の地震が発生し、宮城県北部では震度5弱を計測したにも関わらず、到達した津波は最大0.6mだったことが、今回の津波の対応への油断へと結びつくのか、大きな地震への予兆なのではと考えれるかによって災害への準備に違いがあるのではないでしょうか。

同じ自然災害で言えば、天保の大飢饉(1833年~1837年)を思い出しますが、主な原因は梅雨時期からの長雨やそれに伴う洪水や冷害が全国的に7年も続いた結果、凄まじい状況で、日本全土で多数の餓死者を出し特に東北地方に最も被害が大きかったとされ、大阪では毎日200人ほどの餓死者が出し大塩平八郎の乱へと発展していくこの自然災害も、1833年(天保4年)初夏、当時46歳だった二宮尊徳は朝食に茄子を食した際、秋茄子のようにおいしさだったことに首をかしげ、「初夏には茄子の味あり、秋には秋の茄子の味あり、今この茄子は秋茄子の味あり、これ本来の気候不順なる証なり」として凶作に備えて冷害に強い粟や稗などの作物を植えるよう指示し、しぶしぶ従った農民達も、やがて天保の大飢饉が起こるとその先明に驚き、一人の餓死者も出なかったことに感謝したという逸話があります。

 よく防災訓練として災害時の導線や避難所の確認など行っていますが、改めてどれほどの怖さがあるのか深めていくこと、日常から非常時を想定できる危機感を養うよう意識を防災に向けることで、平時が維持できることを忘れないよう、心がけて生きたいと思います。

今できることを万全に行うことで未来を考える余裕や思考に繋がっていくのだと思いますし、この先を読む力は今をどれほど深く洞察できるかによって養われてくるのではないでしょうか。

オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「大きく無くした分だけ得られること」

2011年4月20日

「大きく無くした分だけ得られること」

今回の地震は震度5弱以上を観測した箇所が全国で745箇所とのことで
限られたエリアで起きたことではないことがわかります。


三陸沖の海岸線に建てられた防波堤や福島の原発問題など様々な立場の方から、
今回の自然災害は想定外だったと話されている様子をよく拝見しますが、
そもそも自然という偉大な存在を人間の力でどうにかしようとする発想自体が
地球上で生きる生命体として傲慢な思考だったのではと感じてしまいます。


どのような世界にも道理があり、自然にも摂理があり、人間社会が自然と
離れたところで営むことで自然をコントロールできると思い始めるのではないでしょうか。


東北沖地震の事態を更に悪化させたことに福島原発の事故がありますが、
原発は問題だと言うのは簡単なことですが、原発に代わるエネルギーとして取り上げ
られる風力発電も国が補助金を出して設置した風力発電所の半分しか稼働していない
ことや、太陽光発電も日本国土のわずかな平地に集中して都市が形成される日本で、
国を支えるほどのソーラーパネルを設置するだけの面積が取れないこと、海底資源の
天然ガスも含め、原子力に代わるほどの新エネルギーは見いだせていないのが現状だと思います。


岩手県盛岡市に生まれ、大船渡高校でサッカーをしていた鹿島アントラーズの小笠原
選手がチャリティーマッチ後のコメントに今日、初めてサッカーは皆に助けられているのだとプレイしながらフィールドで実感じたと話していまいした。
チームを何度も救い優勝に導き、国際舞台での素晴らしい実績のあるプレイヤーでさえ、このような状況が普段気付かないことに気付かされるのだと共感しました。


今回の災害から、経済大国として繁栄してきたこの日本が2011年3月11日14時46分を境に、一日で大きく変わってしまう現実の怖さと、今後この災害は教科書に載り、日本の歴史として受け継がれていくことを考えると、これからどう復活するのかを次の世代へ受け継いでいきたいと思いますし、
88年前の9月1日、神奈川県沖にマグニチュード7.9の地震が発生し、関東大震災が10万人以上の死者を出した災害から復興した民族である誇りを忘れず、これほど
大きな打撃、衝撃を受けたことなく、当たり前だった日常を失ってしまう脅威を感じた日本人がこれからをどう思い、これからをどう生きるのか、自分自身、復興の当事者である自覚を持ち、共に尽力していくことがこの日本を深く愛することができるように
なるのだと思います。


アインシュタインの残した「世界は東洋に始まり東洋に帰る」という言葉を日本に置き換え、世界の中の日本がエネルギー問題やライフスタイルなど先進国のこれからの新たなモデルとして存在感を示してほしいと思います。

カグヤも日本の一企業として、自分も一クルーとして日本の目覚ましい復興のために
本業で貢献していきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


「ブラタノ ~商店街を歩く~」

2011年4月28日

最近、福岡県飯塚市に生活が移り、基本的に徒歩での移動が中心になり、近所を時間をかけて歩くことが多くなったことで、今まで気付けなかった事柄も多くありました。

 江戸時代、飯塚市は鎖国時代に唯一、貿易を許された長崎と行き来するために整備された長崎街道、現在の小倉北区から長崎市まで約230キロ、25の宿場町の一つとしてとして栄え、明治から昭和に入ると近代文明の夜明けと共に日本国内も鉄鋼の需要が高まり、これまでの大量の木材を消費する木炭から江戸時代には福岡藩と小倉藩で開拓されていた石炭へと本格的にシフトし、石油時代の到来まで大規模な炭鉱開発が進んでいかれたことは有名ですが、炭鉱の閉鎖後も大学の誘致もあり、13万人ほどの人口を維持している街です。

そんな飯塚の街には縁あって住んでいますが自分の住んでいた裏手には大きな商店街があります。商店街を歩いてみると、かつての商店街のような活気はなく、人通りも少なく、営業されているお店も5割ほどで正直、寂しさを感じるほどです。


営業されている時計店や洋服店に足を運ぶと、良く言えば昭和を感じさせる雰囲気を醸し出していますが、対局で言えば当時から何も変わっていないとう印象を強く受けます。こうなると人足が遠のき、消費者、お客様のニーズを感じ取る、知り得ることができず見失い、そのうち昔と今とで変わってしまった外側の環境が商売をやりづらくさせてしまったのではと考え始め益々、自助努力が効かなくなってくるのだと思います。


地域社会の変化は戦後の65年の間に著しく変わっていることは間違えの無いことですが、それは世の中誰しも同じ状況の中で営みを継続していることであり、交通事情、生活スタイル、消費者ニーズ、通信販売の拡大の対等など様々な要因が挙げられます。


よく郊外型の大型ショッピングモールを商店街の衰退を一番の理由に挙げられることがありますが、最近、都市部では週末マルシェ(フランス語で市場)が定着し色々な地域でにぎわっているようです。農林水産省が支援しているマルシェジャポン(http://www.marche-japon.org/)では全国8都市で都市住民参加型の市場(マルシェ)として2009年から始まり、全国でにぎわっていますし、地域の生産農業者が集まって自作の農産物を持ち寄り提案型の販売を行うファーマーズマーケット(http://www.farmersmarkets.jp/)など対話型の販売が需要と供給の間でニーズを高めています。

これまで各地元で開かれている朝市と同じようなものですが、生産者や仕入れをされた方との食材を通じて、様々な情報交換を行い、買い物をする、人と人との触れ合い、繋がりが商品に対する価値ではない付加価値を実感していくのだと思います。

 商店街が栄えていたころは皆、生活の中での移動距離が狭く、歩いて買い物を行うような時代だったのではないでしょうか。お米屋さんや八百屋さん、魚屋さんに酒屋さん、全てが馴染みの店で、お店の方は自分の家族構成まで把握されて今晩の夕食のための食材の使いか方のレクチャーや相談などをしながら買い物をしていていたのだと思います。


 
買い物は手に入りにくい珍しいモノを手に入れたり、よりお得意なモノを手に入れることや、より便利で新しいモノを早く手に入れることだけではない、人と人との関わりの中で見出される温かさや受容感、地元への所属意識、日々の単調な生活に潤いを与える会話など地元に根付いた地産・地消が地元を愛し地元を発展し、より良い営みを生んでいくにはまさに、地元の人同士の繋がりが生み出す最大の付加価値だと実感します。


カグヤも企業としての存在価値を全国の先生方と共に深く関わり、今までにない感動的な豊かさを 生み出しながら成長していきたいと思います。
 


オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「見守る食文化」

2011年5月11日

人類のこれまで生きてきた歴史、営みは食の歴史とも言えるのだと思いますが、
日本の食文化を考えるとき、どうしても「発酵」ということを抜かして語ることはできないと思います。


地球の基軸が奇跡的に25度傾いたことで日本の国土に四季が生まれ、温暖多湿な日本の気候風土の中での営みによって食材がよく腐るという反面、「発酵」という知恵と技術で食材を保存するということだけではなく、発酵することで食材は劇的に変化し、全く別のものに生まれ変わり、食材そのものをより美味しく
させてしまいました。


今では当たり前の発酵食品ですが、その文化の創造は人間が火を手に入れたことと
並ぶほどの異業だと言われるほどです。


そのため日本の食文化は世界から発酵王国と呼ばれ、その中でも麹カビが関わる発酵食品が非常に多く、独自の発酵文化を進化させていき、主な発酵食材に、日本酒、酢、醤油、味噌、みりん、鰹節などが直ぐに浮かんできます。日本の食文化は、微生物による発酵食品の文化といってもよく、その恩恵を受け漬物だけでも日本全国で、600種類以上あるといわれています。


「発酵」の歴史は古く、奈良時代初期に書かれた日本最古の歴史書「古事記」には、米を噛んで酒を造った「口噛み酒」の記述があり、唾液中のアミラーゼででんぷんを分解させ、神話の時代から唾液と米を噛みあわせて寝かせておくと酒ができる「発酵」という神秘的な力を認識し利用していたとされます。


お酒も発酵によってできていれば、お酒には欠かせない塩辛や、魚の内臓を塩漬けしたものでアユなら「ウルカ」、ナマコなら「コノワタ」、カツオなら酒盗、全て「発酵」の力によって作られます。


「発酵」という肉眼では見えない微生物の働きを巧みに利用した技術で納豆1gには約20億個の微生物が住み、微生物は有難いことに人間のために不眠不休で体にいい物質を作り出してくれます。私たちの腸内には500~1000種類、100兆~400兆の微生物が棲みついていると言われ、腸内細菌の総重量は、2kg以上とも言われています。人体の総細胞数が60兆個で、そこに共生している微生物は、その100倍以上もいるそうで人間の腸には、全身の免疫の70%の免疫細胞が集中しています。


外国の食文化に目を向けて見てみても例えば米国では、移住という歴史的な背景から広い国土の割りに、人口が不足していたため、早くから農業などに機械化が進み、缶詰や加工食品、冷凍食品などが発達していきました。これらを利用した合理的な食文化が受け継がれ、ハンバーガー、ホットドッグ、フライド・チキン、などの早く手軽に食べられる料理が好まれる傾向があります。


現代では発酵は食品や酒類だけに留まらず、発酵という微生物の持つ性質を使って下水道処理や薬品製造にも大いに微生物達が活躍の場を広げているとのことです。


日本の歴史には農耕型の村社会の中で自然との共生、村人同士との共生を重んじ、農耕を中心とした営みが世界の中で独自の思想や文化を発展させてきたことは言うまでもありませんが、人にはできないことを微生物の持つ能力をお借りして発酵させる。お酒やお醤油、納豆など微生物が発酵作業を進めやすいように気温や湿度など微生物達が呼吸しやすい環境を人間が用意し、微生物を見守り心配りをしています。


そのものの持っている能力を引き出し導くというこの見守る姿勢は以前、学んだ山形県庄内藩の藩校であった致道館の理念である「人はそれぞれ生まれ持った天性が違う。その生まれ持った天性(得意な能力)を伸ばしてやることが教育である」という教えを思い出します。見守ることの本質には互いが尊敬の念を持ち、お互いにできることで力になり、助け合っていくことでもあるのではないでしょうか。


先人達が積み上げてきた世界に誇るべき日本文化を温故知新の思いで学び、次の世代へと引き継いでいきたいと思います。今をどう生きるかでこれまでの過去に価値が見出され、未来に可能性が見出されていくのであれば、今を深めるには過去の歴史を知ること、過去を知ることで未来を予見することになるのだと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「労働の果実」

2011年5月19日

カグヤの社業を通して保育現場で仕事をしていると、保育(教育)の必要性を
迫られる状況が多々あります。
教育の必要性の一つとしては、自立した成人となり、仕事を通して社会貢献して
いけることが目的になるのだとは思いますが、人はこの世に生まれるとなぜ働く
のかという疑問を持つ前に働くということが大前提として当たり前となってしまい
ます。


サラリーマンの語源はラテン語の塩を意味する「sal(サール)」から来ていますが、
労働の対価に当時、貴重だった塩をもらっていたのだとされています。
当時も今も仕事をしなければ必要な収入は得られず、衣食住がままならなくなり、
貧困という過酷な状況に身を置き、多くの自由を得ることが難しくなることは
容易に想像できることですが、だとしても仕事とは強制的なものなのでしょうか。


最近の若い人へなぜ働くのかというアンケート調査を行うと、生活の為という回答が
圧倒的な数を占めるとのことでした。本当に自分が望んでいないことには仕方なく
という言葉が付きまとい、仕事の為に仕方なく朝起きて、仕方なく出勤し、仕方なく
現実を受け入れ、仕方なく自分と折り合いをつける。


そうした仕方なくを受け入れるたびにストレスとして蓄積され、キャパが一杯に
なる前に捨て去ることがストレス解消とされる行動が必要となるのだと思います。


仕事とプライベートを分ける必要のある人とそうではない人の大きな違いには
仕方なくの現状の量だと思います。ストレス解消がうまく行かないと、
仕方ないキャパがいっぱいになり、何かのきっかけで組織の枠を超えた
言動や人の道を逸れることも起きてくるのではないでしょうか。


仕事とは生きる喜びを深めることとし、人が幸福感を感じる4つの要素を
挙げられているのが、日本理化学工業の大山会長が労働の目的、人の幸せとは、
「人に愛され」「人に誉められ」「人の役にたち」「人に必要とされること」の
4つによって得られ、このうち愛されること以外の3つは「働く」ことのなかで
得られると述べられています。


経済社会の中心に考えられるお金や土地、家やビルなどの財産、資産は状況に
よって、時代によって所有権が簡単に代わってしまったり、無くなってしまう。
お金も資産も社会の中で活発に循環するものだとすると、代わらない無くならない
所有権、資産とは何か。それは自分の内面にある生きる姿勢や志、思考力である
のだと思います。人は社会、会社、肩書などに所属することが生きることではなく、
生まれて死ぬまで自分自身に所属し、家族や会社、社会を愛してより良くしようと
思うように、自分自身を愛してより良くしようとすることに生きている時間を
当てていかなければないないこと、国民の財産権を守ることが政府の役割であれば、
生きる上での財産、人権、生きがいを守ることのできる社会でなければならない。


ある国では国民の財産を守るため徴兵制があり、死刑判決が存在しているのだと
思います。


現在、年々自殺者の数が増え続け、正職につけないで困っている若者も
多くなっています。仕事とは自分の中にある資産を持ってより社会を豊かに
していく為に使うこと、そして喜びをより多くの人達と分かち合うこと。


今回の未曾有の災害においても、全てを失った被災直後には現実を真正面から
受け入れられない精神状況が続きその後、何もかもを失ってしまったが、
自分の命は確実に残ったと思える災害後ハピネスという、何とも言えない幸福感が
心から湧き出てそして、自分は五体満足に助かったのだから、何か困っている
人の役に立ちたいとする気持ちが自分も被災した身でありながら、周囲の被災者を
勇気つける言葉をかけ励まし、行動し助ける側へと廻られる。


震災以前は地元でも、今の若い奴らはと大人達から軽蔑され、問題視されていた
中、高校生達も震災後、別人のように自ら人助けに動き出し、大人達が感動する
ということが多く起きているようです。


日頃、執着した物や恩恵を受けている様々な環境が無くなってしまい、
生きるという本質的な思考と向き合わざる負えない状況では、若い人にも自然と
自分の内面にある人様への貢献心に気付き、芽生え、働くという本質的な価値に
近づいているのだと思います。


反対にどんなに生活水準が高く、高価なモノが溢れていても、人に褒められもせず、
認められることもなく、人の役に立っている、人から必要とされているという
実感が持てない人が人の道から外れてしまう。


人の道から外れてしまう人にも必ず何らかの苦しい理由を抱えてしまっている
のだと思います。成熟した社会を育てたいと思う気持ちは漠然としてしまいますが、
成熟した人を育てるということ、成熟した人達が成熟した社会とはどういう姿
なのかを語り、創造し、現実にする為に行動へ移してしていくことだと思います。


カグヤの社業を通じて保育と向き合い、学問の根本、基礎にあたる幼児教育の
重要性を感じ、保育で世界を変えていける可能性は未知数にあるのだと実感して
います。私の生きる目的としている「人はみんな例外なく、幸せになる責任あり、
人を幸せにする義務ある」ことを残り半分の人生を楽しみながら少しでも多くの
貢献に繋げて生きていきたいと思います。

                         オルタナティブコンサルタント
                         田上 貴士


「核という存在を作りだす社会」

2011年5月31日

先日、福岡県で開催されたチェルノブイリ原発事故で被災したパーベル・ブドビチェンコさん(59)を招いた講演会に参加させて頂きました。会場にはカクヤクルー以外にも多くの一般者も参加され、原発事故の悲惨さに耳を傾けました。4月26日にはチェルノブイリ事故発生から25年を迎えたことなどから、脱原発派の市民らで作る実行委が主催されていました。

パーベルさんは原発から約180キロ離れた街で被災したしたが、事故から25年が経ち、地域経済は衰退し、満足な医療も受けられない状態が続いている窮状を報告して下さりましたが事故以来、25年もの長い間、放射能という五感では感じることのできない見えない恐怖と深刻な後遺症に向きあっていたことに、深い悲しみと日本の未来の姿にならないでほしいと強く感じました。
またパーベルさんから、「チェルノブイリ後も他の国では原子力エネルギーには尊敬すべき専門家が当たっているので大惨事はあり得ないと思われている」とも述べられ、「毎年のように飛行機は墜落しているのに核テクノロジーだけは事故はあり得ないと考えるのは自信過剰であり、福島を契機に多くのことを考え直さないといけない」と日本に対して指摘を頂きました。
今、日本国内では福島から疎開して他県へ転校した被災の心が癒えない小学生が差別的ないじめにあっていると報道で知り、広島でも原爆で亡くなった方の苦しみとは別に被爆者として生存した方がその後、生きながらに差別を受け続け、苦しまれたことを思うと、また同じことが起きていることに残念でなりません。
以前、手にした本の冒頭に書かれていた一節に「人は歴史から学ばないことを歴史から学んだ」とあったことを日々の出来事から思い出されます。今回の原発事故から日本という国の宿命のようにも思えますが戦後、日本が定めた非核三原則である「核兵器をもたず、つくらず、もちこませず」という平和への思いが、今回の福島原発の問題でまた違ったところから過去の苦悩を蘇らせてしまったことは、今回の原発事故からもあえて厳しい言葉を選べば戦後の日本国民の民度の問題ではないでしょうか。
先日、フィンランドのオルキオトでのドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」を観ました。
この映画の冒頭では「ある日、人類は新たな火を手に入れた。しかしその火は強力過ぎて消すことができなかった」というコメントから始まる、フンランドでの核処理施設に世界で初めてカメラが入り、プロジェクトの実態を伝えています。

原発から生まれる高濃度の放射性廃棄物は現在、世界には25万トンあると言われていますが、「使用済み放射性廃棄物の埋蔵をめぐって、誰にも保障できない10万年後の安全のため、未来の地球の安全を問いかけるドキュメンタリー映画で、フィンランドで実際に国家プロジェクトとして開始された、放射性廃棄物の最終処分場の建設をめぐって、あれこれ考察されています。

放射性廃棄物を再処理するには今の処理技術では、その過程の中でプルトニウムの流出する可能性が高いこと、放射性廃棄物を水槽で冷やし続けるという方法もありますが、地上では地震や有事など何があるかわからない。海底に沈めるにも生命の母となる海が汚染される危険にさらすわけにはいかないことを考え、
フィンランドのオルキルオトでは世界で初めて、高レベル放射性廃棄物の永久地層処分場の建設が決定し、固い岩を削って作られる地下都市のようなその巨大システムは10万年間、保持されるものとして設計されていますが、その裏付けはオルキオトの地層が約18万年であるという地層学者の見解からきているのだそうです。

廃棄物が一定量に達すると施設は封鎖され、二度と開けられることはない。しかし、誰がそれを保障できるのか。何しろ10万年、地下500メートルに埋蔵された核廃棄物が、無害となる前に掘り返されてはいけない。人間の祖先である現人類「ホモサピエンス」が地球上に誕生したのが15万年前。10万年後、人類は存在しているのだろうか。新たな民族が生まれそこに暮らす人々に、危険性を確実に警告できる方法はあるだろうか。彼らはそれを私たちの時代の遺跡や墓、宝物が隠されている場所だと思うかもしれない。そもそも、未来の彼らは私たちの言語や記号を理解するのだろうか。

最近では原子力関係の本を手にすることも多くなりましたが、そういうたぐいの本に「核産業」という表現をよく目にします。核という脅威を「産業」として捉えていることに世界全体が核に対しての脅威や問題が希薄なことが伺えます。

世界各国から日本は、あの太平洋戦争から立ち直った国として、今回の震災後の復興に何の疑いもないようですが、これからの私たちにはどのような原理が私たちの集合的な生活を律するべきかを定める必要があるのではないでしょうか。

今日までの約30年間、市場勝利主義を向かえ、市場が威信を持って勢いを持ち、市場志向の考えが生活の領域に強い影響を与え続け、不平等の増大、貧富の格差拡大してしまい、グローバル資本主義も成果としては多くのことがありますが各国特有の伝統文化を浸食し、世界規模での社会的混乱の要因ともなっています。

世界は100年に一度と言われる金融危機に見舞われたばかりですが、今回の原発問題も踏まえ、市場主義の終焉を示唆しているのではないでしょうか。
市場経済は多くの意味で生活に豊かさと繁栄をもたらしてくれましたが、その対価として私たちが支払ったことが不平等の増大、格差社会の広がり。
その象徴的な存在として核という脅威に人類は手を伸ばし、依存してきたのだと思います。

先日もGDPで日本が中国に抜かされたことがニュースで大きく報道されていましたが、世界においての経済力の順位は豊かな国家の決定的な問題ではなく、豊かで満足できる社会生活と公共的生活を築いていかなければならない。

日本がアメリカのように市場原理主義が徹底されなかったのは、日本には儒教における「徳」
という人間の道徳性の卓越を求める文化的・歴史的、伝統的な背景から平等主義的な傾向が強く、今回の震災での日本人のその後の行動をみても共感や親しみが深い民族性が伺えます。

毎年、日本の国家予算を国債で賄い、自分達のつけを次世代へ押し付け続けていることと、今回の原発の問題があまりにも似通っているように思います。
自己完結させていける営みと次世代がより良く暮らせるための準備ができる国にしていければと思います。戦争には正義は無く、常に戦争の勝者が正義になる。
太平洋戦争に敗れた日本が戦後、アメリカナイズされてしまいましたがもう一度、本当の日本の取り戻すことが東日本震災後の復興の姿だと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上 貴士


「問われる新たなコミュニケーション能力」

2011年6月 7日

各地域で他園とのオープンな交流が活発になり、様々な方々とのディスカッション、
意見交換の現場が多くなっています。


そのような場に立ち会っていると、いかに他者とのコミュニケーション能力の質が
学びの質に直結しているのかをまじまじと実感します。保育現場の先生方も私と同じで20代や30代前半の若い方が多く、これまでご自身で身に付けられてきたコミュニケーションの質に差が大きくあることを感じます。


私が学生ぐらいのときからコミュニケーションツールが徐々に増えてきました。
学生のころからポケベルに始まり、卒業するころには携帯電話を持つようになり、
インターネットで何でも検索できるまでに時間はかかりませんでした。


今ではMIXI、TWITTER、FACEBOOKなど次から次へとコミュニケーションツールが
生まれ、発展しツールを通じて、いつでもどこでも人との繋がりを持てるように
なった半面、人と直接会って話を深める機会が少なくなり、対人関係は希薄になって
いることが伺え知る現代の状況として、

20代~30代の男女では64%が特定の
パートナーがいないという現状だそうです。


またインターネットの様々な書き込みサイトを閲覧すると、誹謗中傷する投稿が多く
見られますが、新たなコミュニケーションツールを与えられた利用者のモラルが追い
ついていないことを強く感じます。


明治維新以来、近代日本の教育は欧米の様々な知識・技術を日本が導入することから
始まり、江戸後期に日本で盛んにおこなわれていた和算も近代教育には取り入れられ
ませんでした。


教師側は欧米の知識を学生達に伝えることを長い間、重点を置き、学生側もそうした
知識を吸収し、テストでいい点を取ること、立身出世することが勉強や学習の目的と
なってしまう面がありました。


文化的な要因としては、日本を含む東アジアでは、例えば論語における
「子曰く・・・」のように、先生の言われることに従順に従おうという傾向があり、
歌舞伎や能、狂言といった世界でも師から弟子に伝授される関係性が継承されてきま
した。


文化的土壌では学校教育も一方的な知識の伝達に偏りがちであり、議論や対話を行う
といったことの重要性をあまり考えられなかったのだと思います。


平たく言えば直接会って「話す」「聞く」という人としてのコミュニケーションの
基本的な大前提が心を通じ合わすとなると一層、深いものになることではありますが、そこには一定の決まりのようなものがあるのだと思います。それは、他人への礼節や
他者への尊重といった習慣を育てることにあり、お互いの話しをよく聞く、傾聴する
ことが大切なことのようです。


古代ギリシャのソクラテスは人々に無知の知を自覚させたが、同時にそれを自覚させ
られた対話者達から敵視され結果、公開裁判の場でアテネ市民はソクラテスに死刑判
決をくだしその後、ソクラテスは獄中で自ら獄中で毒杯を飲んで死んでしまったこと
を思うと、正義を武器に人を非難し、追い込むことに何の意味も無いこと、人を幸せへと導くことにはならないことに気付かされます。


昨今の世界的な変化を見ても、人類にとってインターネットの普及に伴う情報化社会へ大きな変化が生まれています。情報が国家や権力を超えていくことで、今までは情報の受信者だった人が発信者へと役割が移り、モノが世界的に動くだけのグローバルではなく、本質的なグローバル時代を迎え、急速に異文化や価値観がぶつかり合い、交わっていきます。


「一体どのようにして、世界中のあらゆる地域、異なる文化から来る問題に対して
お互いに学び合い、お互い話を聞き、今後重要になってくる問題に対して、お互いに関心を持つことを可能とするようなグローバルな公民的教育を提供するのか」という問題と言えると思います。


この世の中は人が創っているということから考えれば、情報過多社会になればなる
ほど、結局のところ、人へ尊重、尊敬の念を持って向き合い、意見を交わし合うことに時間を割くことが必要になってきていること。
そこに21世紀の協働的な世界の再構築へと繋がっていくように思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「共感」

2011年6月16日

日頃、多くの園へ訪問させて頂き、先生方のお悩みをお聞きする機会があります。
人それぞれお悩みは様々ですが、お悩みに大小は無く、一人ひとりの重要な
問題であること。


自分にできることはまず、お悩みを深くお聞きすることしかできないこともありますが、
わかった気になっていると相手の気持ちになること、心から相手に寄り添い、
傾聴することもできないことを感じます。


人は自分の立場から考え行動しているので、自分の都合が生まれ、相手の心に
寄り添うということ、共感することが難しくなるのだと思いますが、
きっと自分が感じていることよりも苦しいことを持っていらっしゃるということを
心に留めながら、寄り添っていけるよう、尊敬の念を持ち、敬い、
尊重することが互いの共感への第一歩だと考えます。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「協働する力」

2011年6月27日

カグヤ社内では今、仕事を皆で進めることを大切にしています。
今、自分自身でも気をつけていることですが、誰か一人が担当として
任せるのではなく、自分だけが知っていればよい、自分だけで完結する
ような仕事をして、他の人は知る余地が無く、共有する機会がない仕事の
進め方をしないように心がけています。


仕事を共有すること、各クルーの思いや現状の心境を知ること、
共有、共感するには自ら、積極的に相手の仕事のお世話をすること、
お手伝いをすることで、自分のできることが見え、
自分の活かされる能力を知ることになるのだと思います。


また個人と公人の仕事の進め方、考え方の違いを理解することにも
繋がるのだと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「仕事の心地よさ」

2011年7月 6日

日々の仕事から感じることですが、仕事には心地よい仕事とそうでない
仕事があるように思います。


人と人との間、関係性の中で仕事が生まれ、自分という人間を必要としてもらえる。
自分都合の仕事の考え方、進め方をしてしまえば、一方が苦しくなってしまうの
だと感じます。


心のこもった仕事でなければ作業になり、相手にも自分にも作業からでは
少ない価値しか得られないのだと思います。


どうしても忙しくなると一つひとつの仕事を丁寧に進めていくことが
できなくなり、目の前の仕事をどう効率よく、簡単に時間をかけず、
終わらせるかという思考になり、無意識の中でどんどん粗末な仕事になっていく。


仕事とは傍を楽にすることなどとも言われますが、仕事で苦しむことも
多々ありますが、本来の仕事の持つ豊さから離れないよう、関わる人、
周囲の方への思いやりの心で仕事を通じて表現していきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「継続の中で見出すこと」

2011年7月15日

カグヤでは理念からの実践を継続して取り組んでいることが沢山ありますが、
朝の時間を使った論語の素読もその一つですが、何度も継続する中で
マンネリ化したり、意味を深めることができずに当初の目的から逸脱してしまう
こともあります。


しかし一時的に抱く感情にあまり拘らず、それでも継続することで、
孔子の生きる姿勢を感じ取ることができたり、自分の実践力の無さや、
頭でっかちになってしまっている心の状態に気づけるような、始めた当初は
感じられなかった新な楽しさを見出すことができます。


継続するには良い悪いにあまり囚われることなく、その時その時を楽しみ、
味わう力が必要だと実感します。


始めたからには続かなくてはいけないと気追ってしまうと、続かなかった
ときにはコンプレックスとして抱えてしまい、再びやり直すことが
難しくなったり、その時の一回を終わらせようとすると、作業的になり、
やったかやらなかったという心のこもらない味気ない実践になってしまいます。


折角の大事な一日であり、その一瞬である以上、自分の心の状態をあるがままに
受け入れ、自分と向き合いながら、これからも実践を楽しんでいきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「配慮の難しさ」

2011年7月27日

カグヤでは年間に多くのセミナーを実施、運営しています。

見守る保育の考え方を学びに全国から東京のセミナー会場を目指して
来られますが、特にこの時期は暑い中、慣れない都心の交通機関を使って
会場や見学園まで来られることは、先生方にとっては精神的にも体力的にも、
大変な負担になるのだと思います。


セミナー会場も150名ほど収容される会場になりますので、送風口に席が
近い方や出入口付近、大きな窓側の席など、総合空調のエアコンの効きも席の
場所に寄って温度差があります。


男性と女性でも感度が違ってきますのでひざ掛けを用意したり、休憩中には
出入口の扉を全開し、会場内を換気したりして、温度差を緩和したりと空調
管理一つとっても、ご参加者にできる配慮はたくさんあるのだと感じています。


セミナーを運営する者の立場として、いかに先生方が学びやすく、集中できる
心地よい環境を用意できるのか。


そして見守る保育にもっと興味、関心を深められる貴重な機会になるのかを創造し、
形にしていければと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「ソーシャル・ビジネスについて」

2011年8月 5日

先日、ソーシャル・ビジネスの第一人者であるバングラディッシュのムハマド・ユヌス氏の
来日公演へ参加致しました。ユヌス氏は高利貸しに苦しみ貧困状態から抜け出せない
人々のために無担保小口融資を行うグラミン銀行を立ち上げ、貧困問題解決に取り組まれ、
2006年にはノーベル平和賞を受賞された方です。


ソーシャル・ビジネスのキーワードとなるのが無私、すなわち利他心であり、無私の心は
人間の根源的な性質とも言えるのだと思います。


自分もノーベル平和賞を取られた2006年に初めてユヌス氏の活動を知る機会がありましたが、
その時には途上国に必要な取り組みなのではと思っていました。


しかし先進国である日本にも、権力や格差社会、経済最優先の組織の中で自分を押し
殺している人、自分らしさを失ってしまった人など社会の歪みを見ることが多く、カグヤでの
日々の社業の通じて全国の先生方との関わりの中でも、思いと現実的との違いに苦しまれ
ている方、本音と建て前の狭間で自分自身を見出せない方など多くいらっしゃることを
実感していました。


国としての機能を果たすには利益追求型の会社が法人税を納めることで公共性が保たれて
いくことは大前提ですが、今日までの経済最優先社会の日本では尊い人生を人と比べ
勝ち負けで競い、生活格差を生み、誰かを憎みながら生きる人、自分が生きていく自信の
持てない人など様々です。


国が取り組む福祉事業、各民間団体のNPOやNGOもありますが、そこにもう一つソーシャル・
ビジネスという新たな社会貢献の選択肢、仕事観、生き方が増えたのではないかと感じます。


今回の震災を機にエネルギー問題を取り上げる機会が多くなりましたが、今こそヒューマン
エネルギーを最大限活用できる社会の姿が国としてのあるべき姿だと思います。


もともと、皆一人ひとりが持っている大切な思いがあり、大切な存在であること。
責めず、押し付けず、放任せず、一人ひとりがやりたいこと、望んでいることが叶う社会を
作り上げるために、カグヤの社業と通して目の前の先生方との関わりから社会へ貢献して
いきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「言葉の持つ力」

2011年8月19日

仕事の場面や職場仲間など自分が他者に対して使っている言葉が受けて側の人に
どう捉えられているのかと、考え悩むことが最近よくあります。


世の中にはこういったコミュニケーションの取り方について、コーチングやティーチング、
メンターシップ・・・etc、多岐に渡りますが、世の中の歴史、経済社会、組織、何においても
人同士の関わり合いの中から生まれ、コミュニケーションの積み重ね、紡ぎ合いの結果で
あると思うと、他者と最も簡単にでき、最も頻度の高いコミュニケーションである会話、
言葉の持つ意味合いはとても深いと実感しています。


コミュニケーションの意味、目的を調べると「分かち合うこと」とあります。
誰とでもどの国とでも分かち合えることができていれば、争いなど起こることもなく、
現代社会で起きていることからも、分かち合うことの難しさ、コミュニケーションの
難しさを認めざるをえません。


言葉の選択、表現方法、伝えるタイミングで受け取る側の思いや次の発言、
行動に大きな違いが生まれてきます。


人は言葉そのものに反応するわけではなく、言葉に対する自分の内側にある心で捉え、
解釈することによって自身を動機付させる。


発する言葉、受け止める言葉は他者や自分自身の言霊であり、自分の心そのもので
あることを思うと言葉の持つ怖さ、偉大さを痛感し、だからこそ日々の自分の心の状態を
整えておくことが大切だと感じます。


心を整えることを日々、怠らないようにしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「時代を生きる」

2011年8月30日

夏休みのお盆のころ、8月15日には毎年、靖国神社へ参拝に伺っています。
一年に一度の終戦記念日には、全国から多くの参拝者が靖国に参拝へ来られ、
大変な人出です。


私は広島出身ということもあり、幼いころから夏休みには8月6日の平和記念式典を
自宅のテレビで視聴したり、小学校のころは全校登校日として、平和集会などで過去の
出来事を風化させないよう、受け継いできました。


靖国というと世間的にも色々な歴史解釈が付きまとってきますが、毎年参拝後に靖国神社の
敷地内にある戦時中の様々なものを展示している遊就館へ足を運ぶと、自分の生まれた
この平和な国で過去何があったのか、知れば知るほど今では到底、考えられないことが
現実に起きていたこと、国の為にと犠牲となった尊い命は自分とどこも変わらない普通の
人達だったこと、多くの尊い命の犠牲の上で今の恵まれている自分の生活ができているという
事実を再認識します。


今回の東日本震災の件も同じことが言えるのだと思いますが、これまで日本は戦争だけに
留まらず、地震、洪水など多くの天災に見舞われ、多くの犠牲を出し続けたこと、惨事の中で
生き延びた人たちの苦しさの過中で少しでも国を良くしようと生き抜いたことが時代として
今に色濃く残されたのだと思います。


命の襷を受け継いで今がある。
次世代へ命の襷を引き継げるよう、カグヤの社業を通じて子ども達へ最善を尽くして
いきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「アクティビティゲーム」

2011年9月 8日

自分も含め皆さん、お忙しくされておられると思いますが、仕事に追われ忙しく、
目の前の仕事の効率ばかりに目を向けてしまうと、どうしても職場が殺伐としてしまいます。
カグヤでは会議の前などにアクティビティゲームを皆で楽しみます。


世にあるゲームと聞くと参加者同士が競い合い、順位を決めるような内容を思い浮かべますが、
カグヤでのアクティビティは競うことなく、勝ち負けを決めず、参加者が一つの目標のために、
共に協力し合い、もともと自分の持っている能力で仲間たちに働きかけて助け合います。


とても面白く、楽しいゲームが多いのですが、ゲームを進めて行くうちに、仲間の以外な
能力や感性を発見することもあれば、自分を受け入れてくれている仲間の思いに触れ、
自分の中の自己肯定観が満たされることがよくあります。


また普段の仕事の中で無意識に付けてしまった自分の中の仲間への先入観や偏見の
ようなまなざしにも気づかされ、アクティビティゲームを通して共に関わることの大切さや
豊かさを再確認できます。


皆で関わり、会話を深めながら進めていくことで新たな価値観に気づくことが多々あり、
社内でのアクティビティゲームを継続し、回を重ねることで、理念を深める力にもなるのだと
感じています。 

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「孤食と共食」

2011年9月20日

最近、園に伺うと先生方から食育の問題として孤食を取り上げられます。
経済優先の社会の中で、個人の豊かさを優先した核家族化し共働きが定着し、
家族の生活リズムが異なると家族団らんでの豊かな食事の機会が後回しになり、
各自が別々に食事を取る家庭が増えているとのことです。


孤食には5つのコ食があり、一人で食べる孤食、食べる量が少ない少食、自分の好きな
ものばかり食べる個食、パスタやラーメンなど炭水化物ばかり食べる粉食、決まったメニュー
を繰り返し食べる固食があるとのことです。


食事は1日の中でもとても楽しい時間であり、生命の源でありますが、その楽しい時間を
共に分かち合い、家族としての絆も深まる大切なシーンが無くなったことで食事だけに
留まらない弊害が生まれているとのことです。


カグヤでは月に一度の全体会議の昼食や、来客が来られる日など、様々なシーンで、
社内でクルー全員で食事をつくり食事を分かち合っています。

食材は野菜中心で提携農園から旬の無農薬野菜を取り寄せ、その時期に取れる野菜から
メニューを考え、皆で手分けして作ることで、新宿の真ん中でも季節を感じることができます。
また仕事だけの関係ではなく、調理を通じて互いを改めて深く知ることにもなるため、
セミナー会場での運営面でもチームワークが発揮されているように感じます。


人の営みの基本である食ということを改めて立ち止まり、考えてみるのも良いのではないでしょうか。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「挨拶」

2011年9月30日

毎週木曜日の朝に四書五経の一つである、孔子の弟子曾参作の
「大学」をクルー全員で素読し、学びを深めています。


その大学で「日に新た 日日に新たに、又日に新たならんと。」とあります。
自分にとって、とても勇気つけられる教えでもあります。


日に新たな思い、今日という大事な一日を新たな気持ちで迎えるためにも、
日頃から挨拶に気を付けています。


挨拶と言っても言葉を交わすということに、相手への感謝の気持ちや謙虚な気持ちが
表現されるのだと思いますが社会の中で生きていく中で、この挨拶の深さや大事さを
感じると共に、挨拶にその人の今まで生きてきた深さまで感じさせます。


これからも朝の挨拶や事後のお礼の手紙など、他者の第一歩となる挨拶を心を
使って大事に、丁寧に重ねていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「新総理」

2011年10月12日

野田新内閣は「どじょう内閣」と聞いて、あの方らしいなと思いました。


野田総理は私の住んでいる市を地元にされている方ですが、
民主党が政権を取られるもう何年も前から駅前に毎朝のように立ち、ビラ配りや
駅を利用する人達、お一人おひとりに挨拶されておられました。


野田さんとは毎朝のようにお会いし、挨拶を交わし、たまの時間あるときは立ち止まり、
二言三言お話させてもらっていたことありましたが、今ではテレビの国会中継の中で総理として
所信表明や代表質問の受け答えをされている姿を見ると人間、いつどうなるかわからないものだと
率直に感じます。


これまで何をしてきたかも大事なことですが、これから何ができるのかが問われることが
生きるということに直結していることだと思いますし、自分の存在意義を示すことが
できるのだと思います。


自分の周囲が良くも悪くもどう変化しようとも、自分の心をしっかり持って今日の目の前の
実践を一つひとつ実践し、一つひとつ積み上げていきたいと強く思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「見えない偉大な人達」

2011年10月21日

先日、大相撲9月場所の中日を見に両国国技館へ足を運びました。
毎朝晩の通勤中の電車の中から両国国技館を横目で眺めて、
10年以上経ちますが、今まで足を運んだことが一度もありませんでした。


両国国技館へ入館すると、袴姿に足袋を履かれている佐川急便の飛脚のような格好をされた
出方さんと呼ばれている方々が手にしているメモを見ながら、忙しそうに走り回っていました。
正面入り口から左手に曲がったところに通称・お茶屋通りと呼ばれる相撲茶屋が20件ほど、
ずらっと並ぶ一角があり、多くのお弁当やお土産が所狭しと積み上げられていました。


両国には1500席もの升席があるようですが、お客様を席までご案内したり、お弁当や
お土産を運ぶためにお茶屋さんが忙しくされていたのだと思います。


結びの一番を見終え、国技館を出ると、今日の取り組みの終わりを告げるはね太鼓が
来館下さったお客様への感謝の思いや無事に興業を終えたことへの感謝の思いを
告げているように、いつまでも両国の街に響き渡っていました。


実際に両国へ足を延ばしてみると、想像以上に様々な関係者の方々が多く働かれている
ことに驚きました。


最近の相撲協会の失態もあり、休場する場所もありましたが、ファンは勿論ですが、
多くの人たちが相撲と関わるお仕事をされていることを知り、その中心に存在している
力士としての認識の重要さに気づかされます。


当たり前ですが今回起きている相撲協会での不祥事は力士だけ、自分だけの
問題ではなく、両国国技館で日々、真面目に働かれている人、相撲人気を見えない所で
支えてくれている多くの方々を傷つけているのだと実感しました。


私自身も同じことが言えるのだと思いますが、社会や組織の人間関係の中で働くと
いうことが、どういうことなのか、自分には見えていない方々の存在を大切にしていける
生き方を大事にしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「本末の確認」

2011年11月 1日

先日はリーダー研修が行われ、事務局としてのお仕事をさせて頂きました。
全国の園から主任、クラスリーダーの先生方がご参加頂くセミナーになります。


事務局としての様々な準備がありますが、その中に参加者へ振る舞う
クッキーつくりを前日より取り掛かっておりました。

毎回、セミナー参加者、役員の先生方を含む、全ての方へお渡しできるよう、多くの
クッキーを作りますが、残念なことに忙しさを理由にクッキーを焦がしてしまいました。


感謝の気持ちをクッキーで表現したいと思って始めたクッキーですが、クッキーを
焼きながら、別のセミナー準備をしていた中での出来事でしたが、本来はまごころと
感謝の気持ち表現したクッキーを決められた時間内に決められた枚数のクッキーを
作ることに無意識に意識していたのだと気づかされます。


今回のことからの気づきを一つひとつの仕事は一体何のために行うのか、
価値を守るために何を大事にするのかを確認しながら、仕事を進めていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「整理すること」

2011年11月11日

会社が日々継続している中、どうしても色々なものが増えていきます。
そんな中、最近では社内の環境整理に取り組んでおります。


気を付けなければならないのは仕事が形骸化していくことが働く職場環境にも
顕著に出てしまい、本来あるべき働くための適切な環境が維持できなくなる危険があります。


そうなってしまうと、会社が社員のために一つひとつ用意した仕事の価値を守るために大切な
ものであることを意識しづらくなってしまいます。


職場環境の状態がそこで働く人の心の状態とも言えてしまうこともあるのだと思います。


具体的な収納についても、何がどこにあるのかが一目でわかる状況でないと、
それは無いものと同じこと。
あるものを無いと思い、同じものを買ってしまうとお金も時間も無駄になる。


整理することで今あるものを最大限、活かせることにも繋がり、
探す手間、片づける手間を無くすこと。


備品や消耗品などを正確に補充、必要なモノが常備されていることで仕事の質まで、変えてしまう。


整理する力は活用する力とも言え、仕事上でのスケジューリングや他者の能力を活かす
人事的な面にも繋がる偉大な力のような気さえしてきました。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「仕事の落とし穴」

2011年11月22日

先日、全国から80ヵ園、130名以上の先生方にご参加頂きましたセミナーを無事に終える
ことができました。


社内では継続性を重要視して、事前にセミナー運営についてのテーマや運営に対するアイデアなど
出し合い、準備に時間をかけ、そして開催後にクルー全員で振り返り、次回の改善へと繋げていく。


仕事の継続性が強くなっていくことで、反省を次に活かせることができ、セミナー運営にも様々な
工夫がみられるようになりました。


そんな中、今回の自分の反省は新たな試みに気を取られ、今まで行っていたセミナー会場での
仕事が疎かになってしまったことでした。


このことからもよく耳にする言葉ですが、「当たり前のことを当たり前に行う」ことが、
とても重要なことなのだと実感しました。


一つ仕事ができると、更に新たなことに取り組もうとすることは自然なことですが、
一つひとつに大切な目的があることを忘れず、新しいことばかりに目を向けず、
今ある仕事を大切にしていける力も養っていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「年輪経営」

2011年12月 2日

先日、歴史資料館へ足を運んだ際に、地元で長い間、守り神とされてきた大樹の
切り株の断面が展示してありました。


その展示は切り株の中央から外に向かって矢印が引かれ、約800年の間でどこの年輪が
どの時代だったのかを表示してあり、歴史の経過を年輪で感じさせてもらえるものでした。


また、年輪が詰まっている部分と間が空いている部分の違いに気候の差、寒暖の差が
あるとのことで、年輪が詰まっている何年間はとても寒き年が続いたことが歴史資料にも
残されているとのことでした。


私はこの年輪の展示を見て直ぐに、伊那食品工業の年輪経営を思い浮かべました。
急な成長を求めない、安定した持続可能な会社経営を年輪に例えた経営理念ですが、
カグヤでも同じようなことが言えるのだと思います。


年輪はカグヤで言えば、クルーの成長を意味し、クルーの成長が会社の発展となり、
クルーの成長幅によって会社の展開力となる。


このクルー日記も実践の一つですが日々の実践で気づき、学ぶことで初めて、
園の先生方へ価値として提供していけること。
自分達の実践がカグヤの価値であり、カグヤそのものだと実感します。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「自由のかけ橋」

2011年12月13日

先日、オランダから来日されたリヒテルズ直子さんの「祖国よ、
安心と幸せの国となれ」出版記念講演会「子どもたちの未来のために、
日本再生を考える」にクルー一同参加させて頂きました。


今、日本が直面している原発問題や雇用問題などを、これまでのオランダでは
どのように向き合い、打開してきたのか、具体的な取り組みを基にご紹介頂きながら、
これからの日本のあるべき姿や復興への方向性などを示して頂きました。


最後に参加者からリヒテルズ直子さんへの質問に、どうすれば日本に自由が
得られていくのかとの問いに、先ずは目の前の人の話を聞くことから「自由」が生まれ、
始まるのではないかとのことでした。


リヒテルズ直子さんの返答をお聞きし、すぐに思い浮かべたのが、
「愛されることより愛することを。理解されることよりは理解すること」という
マザーテレサの言葉でした。


自他の区別を無くし、互いを認め合い、支え合える世の中をつくるお手伝いを
これからも、社業を通して行っていきます。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「お伊勢参り」

2011年12月22日

先日、伊勢神宮へ参拝に行きました。
以前から伺おうと思っていながらなかなか、時間が取れず、参拝することは
できませんでしたが、今回、自分の転機を感じるところもあり、無理を押して
参拝させて頂きました。


以前より少し古事記を学んで行きましたが、現在の日本のルーツとなる謂れも多く、
この国の素晴らしさは勿論のこと、この国のまだ知れぬ奥深さを感じました。


現代の日本では生きることへの不安や迷いや恐怖感などが増大する一方で、
鬱々感を覚えます。


今こそ、日本国民としての自分に誇りを取戻し、困難に立ち向かっていかなければと、
何だか元気をもらってきたように感じる、不思議な場所でした。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「見通し力」

2012年1月11日

毎週、仕事の前にカグヤでは論語や大学などの古典を読み、クルー同士で
意味を深め合っています。


古典の教えには現代を見通していたかのようなことが書かれており、
時代は変わっても人の本質は何も変わっていないことを実感させられます。


どんな時代も偉人達は自分の思いを実現していますが計画を立て、
未然にリスクを回避しながら実践し、検証、修正しながら目的を成し遂げる。


今の自分にはなかなかできないことだと感じますが、自然の摂理、人の道徳を
知ることで継続的な営みを得ることができて、営みを見通すことが
できるのだと思います。


見通す力とは普遍的な価値を知ることあるように感じます。
これからも人の道、自然の摂理を深め、実践していきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「今年の一念」

2012年1月20日

こんにちは、田上です。
昨年は多くの方々にお世話になりました。


昨年を振りえると、自分の気持ちとは別に身の回りの
色々なことが動き始めたこと。


日本という次元で振り返っても、3月11日から前と後で区切られてしまうほど、
様々な価値感が見直され、変わってしまいました。


自分としても今年一年の思いを「耕す」とし、これまで経験の中で積み上げてきたつもりの
思考や価値観などを一度ゼロにして、改めて一から積み上げていきたいと思います。


その基本的な考え方に「心・技・体」を基本とし、心は自然の摂理や人としての道徳、
技は仕事上のスキル、体は基本的な体作りとして食生活や運動などに
努めていきたいと思います。


今年は種を蒔く前の大事な準備の年とし、一日一日を丁寧に生きていきたいと思います。

今年度もどうぞ、宜しくお願い致します。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「大掃除の続き」

2012年1月31日

私の家では年末の大掃除が未だに続いております。
11月~12月にかけて大掃除を計画していましたが、色々と思わぬ用事が入ったり、
体調を崩したこともあり、計画通りに進みませんでした。


年明け以降も週末を使い、これまで手を付けてこなかった部分を中心に掃除大改革です。
掃除をする中で、多くのことに気づかされますが、まず物が多いこと。


昨年一年間を振り返っても一度も使っていない物がとても多く、
今ある物を活かさないで、新しい物を買っていることもあります。


情緒的に物を買ってしまうということは消費傾向の強い、お金の使い方にも
問題があるのだと思います。消費傾向が強いのはお金だけではなく、
時間も同じことが言えるのだと思います。


もう一つは日々の中で、掃除が習慣化されていないこと。
日々、少しずつ、掃除をしていればよいのですが、一度にまとめて掃除することになると、
とても大変になります。


そう考えると、日々掃除ができるような環境になっていない、整理整頓がなされてないことに
気づかされます。


毎年、年末に大掃除をするということは、自分の一年を振り返り、自分自身を見つめ直す
時間になるのだと実感しております。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「有り難いことへの思い」

2012年2月 9日

先日、今年度で最後の見守る保育セミナーを無事に終えることができました。
カグヤが事務局として開催させて頂くセミナーは年間で6回ほどありますが、
参加される多くの皆様が全国から来られることもあり、事務局としても参加される
方々の皆様にとって、より良い学びの空間をご用意できればという気持ちで、
ご準備させて頂いております。


残念なことに今回も含め、これまでお世話になっていたセミナー会場が閉鎖されるとのことで、
セミナー終了後にこれまでお世話になったご担当者様へ手作りの玄米クッキーと寄せ書きした
色紙をプレゼントさせて頂きました。


渡されたご担当者の方も思いがけない出来事に大変、驚かれていた様子でした。


セミナー会場の担当者様へ深く感謝しているという自分の心と向き合うと、セミナーを成功させたい、
少しでも全国から来られる参加者の皆様に充実した学びの場を提供したいというセミナー運営への
思いがあるからだということに気づかされます。


生きている中で仕事は毎日続きますが、目の前の一つ一つの仕事に心を込めることがより、
多くの人との関わりに感謝の気持ちが生まれてくること。
そういったことが人生の豊かさに直結していくことを実感しました。


人は人として生まれたから人になるのではなく、「人間」とあるように、人との間で、
他者との関わりの中で生きることで、人となることを思うと、他者に対して心を使うことの
大切さを改めて考えさせられます。


以前、公共広告機構のテレビCMで「『こころ』は誰にも見えないけれど、『心づかい』は見える。
『思い』は見えないけれど、『思いやり』は誰にでも見える」というメッセージを思い出しました。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「結果を生み出すリアル力」

2012年2月20日

セミナー運営や園内研修など、日々の仕事の中で結果が思わしくないときの原因として、
自分の主観、偏見、先入観から創造した世界で仕事に取り組んでいることがよくあります。


自分の中だけでの思考や感覚でスケジュールや進行を決めつけることなく、客観性や事前に
実際に試してみることで、これからの未来をより具体化、具現化していく力、仮説化をしていく力が
自分の中から引き出されてくるのだと思います。


新たなことを進めて行く際にやってみなければわからないという気持ちもありますが、
最大限、リアルさを追求することが的確でより多くの準備、想定を行うことに繋がり、
結果に対する行動の精度を高めていくことができるのだと感じました。


責任ある仕事として取り組むのであれば、自己満足の領域やこの辺りでという妥協とのレベルとの
勝負でもあるように思います。


誰も無責任な仕事がしたいと思って無責任な仕事を行っているのではないと思います。


仕事への責任感を育てていく為にも、自分本位な仕事観、進め方から抜け出し、
結果に対するコミットを明確にし、正確な状況分析と判断、適切な準備を積み重ねに
取り組んで行きたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士


「アクティビティーからの気づき」

2012年2月29日

カグヤでは様々なアクティビティーを日々、開発、実践しております。
先日、マシュマロチャレンジというアクティビティーをクルー全員で行いました。

1グループ5名ほどで2つのグループを作り、各チームに何本かのパスタと限られた量の
マスキンテープと一本のビニール紐を使い、てっぺんにマシュマロを置いた自律型の塔を組み立て、
その塔の高さを計測するという、とてもシンプルな協働的なゲームになります。


19分間の制作時間で行いましたが、制作に取り掛かるにあたり、まずはどんな塔でどれぐらいの
高さの塔を建てるのかを共有しなければ、作りたいもののイメージがバラバラでは協力できません。
話し合いの中で目標を共有するのにも時間がかかってしまいましたが、
制作を進めて行くうちに、時間も無くなり、目標が変わって行きました。


まずは制限時間になったときに塔が立っている状態のものを作ることが最低限の結果では
ないかということになり、まずは塔を自立させてから、残りの時間を使い、高さを求めて行こう
ということになりました。


結果、隣のグループが制作した塔の半分ぐらいの高さに留まりました。


アクティビティー後に自身で振り返ってみると、日頃の自分の思考の中で強く思っていることに、
「失敗しない」ことの優先順位の高さを感じました。


仕事を失敗しない、最低限の経過を保障しながら進めて行きたいと思うのだと感じました。


目標を達成するために何をしなければならないのか、どうすれば目標を達成できるかを
考えることが大切なことだと思いますが今、できることに目標を合わせてしまう思考が強い
ように感じます。責任ある仕事を進めていくにはできることを選択することではなく、
どうすればできるようになるのかに意識を高く持っていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
田上貴士