TOP今日のカグヤクルー日記 > 2011年04月

2011年04月のカグヤクルー日記

「コミュニケーションの復活」

2011年4月 4日

 3月11日にマグニチュード9.0の太平洋沖地震が起きました。
 私どもの東京本社のビルも震度5強の揺れがあり、社内の花瓶や書籍など、立っていたものはことごとく倒れてしまい、東京も地震が多い地域だと認識していましたが、これほどまでの揺れは初めてでした。
 16年前に起こった阪神淡路大震災では、当時私は18歳で広島の実家にいましたが朝方5時ごろ、人生で初めて下から突き上げられる縦揺れを経験しました。
朝が明けると共に事態の深刻さを知ることとなりましたが被災地に血液が不足しているとのことで我が母校にも献血車が駆け付け、授業を中断し緊急で献血したことを覚えています。今回の地震も誰もが想像を超えた被害に言葉を失ったことだと思います。

東京のような高層ビル群の地震ではビルの耐震システム上、振り子の原理で上下左右にビル自身が揺れれることで地震の揺れを吸収しようとすることもあり、実際の震度以上の揺れを実感しますし、私も揺れている間も天井から幾度も埃が降ってきましたが、ビル内から避難するよう指示があったのか、多くの人達で歩道は埋め尽くされ、新宿の多くのお店も閉店し、店員さんも避難したため、歩道に溢れた人達は更に行き場を失い、大混乱でした。
そんな中、皆さん事態を知ろうと携帯を片手に情報を得ていました。また街頭テレビに殺到し食い入るようにテレビを見る群衆の姿はさながら教科書で見た戦後間もないころの日本のようでしたが、普段と一つ違った点は見ず知らずの人同士、現状知り得ている情報を互いに提供し合う様子です。
普段の新宿では多くの人とすれ違いますが、言葉を交わすことも無ければ、知り合う機会も無い街ですが、同じ不安や見通しの無さを共有し合い、互いに話し合う姿はとても新鮮で都市部の人達はコミュニケーションが希薄だと言われていましたが、そんなことはないのだと実感しました。

また都市部の人は日頃の人の多さには慣れているはずですが、この日は停電や電車が止まり、首都高が閉鎖されたことで一般道が大渋滞となり皆さん、家に帰れない焦りや泊る所のない、不安などもあってか、2組もの喧嘩に遭遇し仲裁しました。
喧嘩の原因を当事者によくよくお聞きすると肩が当たったとか、足を踏んだとか些細なことですが、ストレスを溜め込み、きっかけは些細なことですがとんでもないところまで発展してしまいます。
そんな2組も時間をかけてお互いの思いを話しながら冷静さを取り戻し、互いの置かれた状況を理解するととても仲が良くなり、友人のように互いをわかり合う仲になっていました。

 現代はコミュニケーションツールが多様し、昔に比べて劇的に人と話すことに不便の無い時代になりましたが、その便利ツールの存在の陰で例えばmixiのように自分と価値観をわかり合える人としか出会わないようになったり、通勤時には耳には音楽プレーヤーのイヤホンをつけ、目は携帯の画面やポータブルゲーム機を見つめ、電車内ではインフルエンザ防止のマスクが顔の2/3を被い隠し、まさに人を寄せ付けないように感じます。
 多種多様なコミュニケーションツールが人として本当のコミュニケーションの機会を無くしているようでなりません。

 現代人は人との対話が無くなることで互いを知るすべを失い、相手への不安が憶測を作り、思いやりの心を遠ざけ、簡単に人を恨んだり、自分のことは棚に上げ、人へ不満を抱いたりするようになるのだと思います。今回の2組の喧嘩もこれが外交であれば間違いなく戦争へと行きついてしまうのではないか。些細な喧嘩を外交にまで考えることは馬鹿げているとは思いますが、コミュニケーションの取り方一つで互いがよくわかり合い、受け入れ合うこともできれば、互いに誤解し、疑い、憎しみ合うことにもなる。
よりよい社会の根幹にはよりよいコミュニケーション力が問われているように実感した災害になりました。

オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


人災

2011年4月 5日

今回の東日本の大地震により東京でもスーパーでは食料品などが売り切れ、陳列棚は空っぽの状態で、コンビニに行っても同じように食料品の陳列棚は空っぽの状態が数日続きました。
スーパーとコンビニでは異様な光景でした。

今回の震災は海外のニュースでも取り上げられ、日本のことを高く評価しているようです。震災の後、商店から物を奪ったりする人もいないこと。物資の配給は順番をしっかり守っていること。地震で電車が動かなくなり、駅の階段で待つ際に、真ん中に通路を開けて座っている姿など日本人の品格をとても評価されています。
その中、被災地以外で買いだめ行為に走り物資の配給バランスが崩れ、ガソリンスタンドも制限され、流通も遅れている状態が更に、混乱を招いているのではないかと感じました。

東日本の大震災で不安に思うこともあるが、こういう時だからこそ落ち着いて周りのことを考え、必要な分だけ購入して欲しいと感じました。

被災地では、一日に一食しか口にしていない人、体の不自由で自宅から出れず配給を受け取れない人、私たちより困っている人が多くいます。
自分さえよければいいとい考えをやめて、少しでも被災地の人のことを考えて生活をして欲しいと思います。


オルタナティブアドバイザー 
松村武典


「使命」

2011年4月 6日

この度は未曽有の大震災に見舞われました被災地の皆様に心からのお見舞いを申し上げます。

この震災は私たち日本人に今、大きな課題を投げかけているように感じます。

経済合理性や、利便性を追求してきた競争社会に対して、
如何に共存して助け合っていく社会を作っていけるのかということを
投げかけているように感じます。

そのためには、子どものころから、
お互いが助け合う関係性の中で育っていく必要があると思います。

また、助け合うということは、お互いの個性、長所、短所といった違いを
受け入れあう環境が必要であることを感じます。

今の子どもの姿が日本の未来の社会の縮図なのだと考えると、
私たちが関わる仕事のその責任を感じます。

今自分が出来る事の中で、いかに復興に貢献していけるのかを考えたとき、
子ども主体の保育をこの日本に広めていくことを自分の使命のように感じます。

今私が出来ることを、もっともっと深く考えて行動していきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 眞田海


自分で考え決めること

2011年4月 7日

こんにちは。カグヤの宮前です。

今回の原発事故の影響で、
カグヤのクルーや家族、友人等、様々な人と話したり、
沢山の関連情報を収集する日々が続いています。

そんな中、どちらかというと世間より危機感を持った慎重な私の意見に対し、
「そこまでの必要ないでしょ」とか「あんまり煽らないように」や
「疑ったらきりがない」等、言われ・・・

自分との温度差に、心が傷つくこともありました。

しかしこれは、あまりにも政府や一般的なニュースの言っていることと、
ギャップがあるからだろうとも思います。

私は、テレビの情報だけでは、
言葉や数値の表現も分かりづらく、
知りたいと思うことをなかなか知ることができず、

話し方を見ても、どこか歯切れが悪く曖昧で、
一体何を守るために情報発信をしているのかと、不安になりました。

もっと、国民が知りたい情報を、タイムリーに、
子どもでも分かりやすく、正直に伝えてもらいたいと切に願います。

そうでないと、適切な判断をするのは難しく、

本当の情報を取りに行ける環境にある人ならまだしも、
それができない子どもや老人、被災地の方々等は、あまりにもかわいそうです。

また、情報を受け取る側も注意して、

主張の違う2者がいれば、
どちらが本当のことを言っているのか等、
自分で調べることも必要だと感じます。

それが、命に関わることなら、なおさらだと思います。

自分で考え決めることは、面倒ですし、
人のせいにはできないので、大変だということも確かにあると思いますが、

今回問題になっている原発についても、
専門家と言われる人の主張を鵜呑みにして、容認してきたことも、
問題のひとつにあると思うのです。

もう二度と同じような災害で、犠牲者を出さぬようにと、
生きている私たちが、心に決めることが大事だと思います。

命に関わることを人任せにしてしまうことは、本当こわいことです。

勿論カグヤでも、
様々な場面で、自分で考え判断し、決めないといけない場面が多くあります。

私は、何より命を大切にして、
人任せでなく、未来の子ども達を守れるよう、強くありたいと思います。

環境コーディネーター
宮前 奈々子


『子どもたちに伝えて行く事』

2011年4月 8日

こんにちは、カグヤの白土です。

東日本の震災から3週間が経ちました。

今もなお多くの方が被災され不自由な生活を送られている事を考えると

今自分がすべきことを改めて考えさせられます。

又震災後、原発を含め様々な問題が出てきているのは、

誰もが知っている事とは思いますが、

その問題を作り出した原因のほとんどが、

私たち人間であるという事も事実ではないかと思います。

私自身恥ずかしい話ですが、

今回問題が起き初めて原発の事を調べました。

実際に今生活をする中で少なからず関わりがあるという事にも気づかされました。

又何よりもそれを知らずに生活していたことを

見つめなおさなければと思います。


今回の原発の問題からもそうですが、

私たちが日々に生活をしているという事は、

何らかの力を借りて出来ているのだと思います。

しかし今回の問題を経て、

あまりにも自分勝手な生き方ではないかと反省させられます。

今回の問題で地球上の人、自然の動物、植物、土、水、

人が生きていく上で絶対に必要とされるものすべてに

迷惑を掛けてしまっているという事も感じました。


又今回、本来の人間としての役割が一体何かということも考えさせられました。

同時に今回起きている事は逃げる事の出来ない事実であり、

全てを受け止める必要が全国民にあるのではと思います。

確かに問題を引き起こす問題の原因を作ったのは

先人の方かもしれません。

しかし見過ごしてきた人にも同じように責任があるのだと思います。

又、今を見過ごせば同じ苦しみを子どもたちが味わわなければなりません。

私たちの責任は、在りのままの真実をしっかりと伝え、

皆で協力して解決して行く事だと思います。

課題は多いですが日本人としての誇りをしっかりと持ち

全力で向き合っていきたいと思います。

私自身出来る事はほんのわずかな事かもしれません、

しかし子どもたちの為にも、

人として正しく生きるという事を自分なりに伝えて行きたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 白土大樹


「この時期だからこそ感じること」

2011年4月11日

震災による被害に加え、原発の危機と
天は我々にとてつもない課題を与えられた様に思います。

カグヤ社内でも情報収集を行い、何が正しいのか、
どう判断すべきなのかと迫りくる脅威に対して自分自身の
在り方というものを問われている日々が続いております。

通常業務は維持しつつも人の心は通常といくかということは
定かではなく、心穏やかにいくことは出来ません。

親戚や友人、知人とご縁ある方も被害にあった事を聞き、
心配でなりません。

離れたところで何が出来るのかと遣った後にも自己批判が
迫り、人間の無力さを実感致します。

様々に情報も錯綜する中、リテラシー能力というものの必要性、
重要性を今まさに実感しています。

人が極限状態であるからこそ、適切な情報を見分けることも
難しく判断も難しい状況に社会的にも起きているのでは
ないでしょうか

「自分は大丈夫・・・」と安易にも考えていると機を外してしまうことも
あります。その中で自分がどうあるのかということが大事かと思います。
情報が情報で覆いそれを上手く活用する人、悪用する人も
多く存在しています。

この様な時だからこそ、
自分の信念に従うこと、自分に問いかけることが大事であることの
様に思います。

特異な状況だからこそ、周りに翻弄されては本当の自分から下す
判断も出来ません

日ごろからの鍛錬によるものなのかもしれませんが、
忙しい時や苦しい時ほどこそ自分に問いかけることが大事なのでしょう

忙しい時程の目の前の、表面上の自分を優先するのではなく、周囲の人たちや
本当の奥底の自分自身を大事に出来る様にしていきたいと思います。

何より、今自分の命があることは有難いことだと思います。
亡くなった多くの方々のためにも自分を見失うのではなく、「生きる」と
いうことを味わって参りたいと思います。


今は被災地の方のご無事を祈ることと
懸命に原発での作業に対応されている方を応援したいと思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「現実から遅れる」

2011年4月12日

 3月11日に起きた東北沖地震から時が経ち、今回の被害の全貌が明らかになり、東北地方の被災地の状況、被害に遭われた方の数、物資の状況、福島原発の対応と被害状況や推移など、こんなに長い月日を感じたのもなかなか無いのではと感じておりますが、自分が生きている間の日本で3万人ほどの死者が出る事態が起こるとは夢にも思わず未だ、自分の心と現実の差を埋めることで精一杯の日々が続いております。

 今回の東北沖地震で多くの被害者を生み、事前避難された方と津波から逃げ遅れた方との間で生死を
分ける結果となりましたが、三陸沖の方々が決して津波に対して無知であったわけではないと思いますし寧ろ、明治三陸沖地震(明治29年6月被害者約3000人)など、過去の津波の経験から他の地域の方より遥かに問題意識は高い方達だと思いますが、今回の地震災害は現地の方々の想像をはるかに超えた猛威だったことも窺えます。
 
  動画で津波が襲来する様子を見ると、先に高台に避難した人が逃げ遅れた人に対して、何度も呼びかけても、波が目の前まで押し寄せているにも関わらず、車から降りようとしない人や高台に上がろうとしない人達の様子がありました。
違うのかも知れませんがなぜ、急がないのか、頭のどこかで「自分は大丈夫」だという気持ちがあった
のではないかと感じてしまいます。
 今回の地震から報道の中でも、社会心理用語にある「正常性バイアス」という言葉をよく耳にしますが、このバイアスとは偏見を意味し、非常時の情報も何かの間違えではないか、言うほどの影響は他には起きても自分には起きないのではないかとか、自分の日常の生活範囲内として自分の生活には影響がでるほどではなく、これまでの生活を続けていけるのではと、心の平常を保とうとする心理が働いてしまうことが有事の際にはとても怖いことだと言われています。

異常事態の際に落ち着いて行動することは重要なことですが、現実を直視できない「正常性バイアス」
は人災そのものであると思います。
それともう一つ「集団性同調バイアス」という他の多くの人達と同じ行動を取っていれば安全だとする意識も有事の際、正確な判断を妨げてしまう心理であるとのことです。

今回の東北沖地震の2日前のあたる3月9日に三陸沖でマグニチュード7.2の地震が発生し、宮城県北部では震度5弱を計測したにも関わらず、到達した津波は最大0.6mだったことが、今回の津波の対応への油断へと結びつくのか、大きな地震への予兆なのではと考えれるかによって災害への準備に違いがあるのではないでしょうか。

同じ自然災害で言えば、天保の大飢饉(1833年~1837年)を思い出しますが、主な原因は梅雨時期からの長雨やそれに伴う洪水や冷害が全国的に7年も続いた結果、凄まじい状況で、日本全土で多数の餓死者を出し特に東北地方に最も被害が大きかったとされ、大阪では毎日200人ほどの餓死者が出し大塩平八郎の乱へと発展していくこの自然災害も、1833年(天保4年)初夏、当時46歳だった二宮尊徳は朝食に茄子を食した際、秋茄子のようにおいしさだったことに首をかしげ、「初夏には茄子の味あり、秋には秋の茄子の味あり、今この茄子は秋茄子の味あり、これ本来の気候不順なる証なり」として凶作に備えて冷害に強い粟や稗などの作物を植えるよう指示し、しぶしぶ従った農民達も、やがて天保の大飢饉が起こるとその先明に驚き、一人の餓死者も出なかったことに感謝したという逸話があります。

 よく防災訓練として災害時の導線や避難所の確認など行っていますが、改めてどれほどの怖さがあるのか深めていくこと、日常から非常時を想定できる危機感を養うよう意識を防災に向けることで、平時が維持できることを忘れないよう、心がけて生きたいと思います。

今できることを万全に行うことで未来を考える余裕や思考に繋がっていくのだと思いますし、この先を読む力は今をどれほど深く洞察できるかによって養われてくるのではないでしょうか。

オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


人間学と時務学

2011年4月13日

こんにちは、松村です。

先日、致知出版の「20代、30代のための人間力養成講座」というセミナーを受け、特性を
養う人間学の大切さを学んで来ました。

セミナーの中で、「成功する人は自分の環境、人間関係の中に価値を見出し、それを信じ抜く」「成功しない人は、絶えず周りを意識し、周りを求めてしまう。」とセミナーで話していました。
今までの自分は、自分の中に答えがないと思い、外に答えを求めてしまい自分で考えようとしていませんでした。
カグヤに出会い、人間学の大切さに触れ、自分で考え抜き、自分で答えを見出していくこと。そして、実際に行動しなければ何の意味もないことだと感じています。

今回、日にちをあけずに続けてセミナーに参加する機会があり、致知のセミナーとは違いますが、時務学であるビジネスセミナーも学んで来ました。
挨拶の仕方や、名刺の交換の仕方、敬語の使い方、電話の応対の仕方など社会人としてのマナーを学びました。

カグヤで人間学を学ぶ機会は多くありましたが、今回始めて社会人としてのマナーを学び、人間学と時務学どちらも大切であると感じました。

カグヤは思いやりの心を大切にしているので、人間学を養うために毎日論語や、大学を読んでいます。
相手を思いやる心は行動にも自然と現れると思います。
そう思うと、今回人間学と時務学のセミナーを学び、人間学だけを学んでいても社会人としての基礎がなければ成り立たないと思いました。
また、時務学である知識だけを学んでいるだけでは、頭でっかちになり、ただの作業になってしまうのだと感じました。

人間学と時務学のバランスを大切にし、昨日よりも今日、今日よりも明日の方が成長できるように、その場に留まらず日々成長したいと思います。

オルタナティブアドバイザー 
松村武典


「大人」

2011年4月14日

こんにちは、眞田です。

最近、一歳を過ぎた娘を見ていると私や家内が娘にしてあげていることを
同じように娘が私たちに良くします。

食べ物を私や家内に食べさせようとするのですが、
それを見ているとなんて思いやりのある優しい子どもなんだ!
と思ってしまいますが、先日の藤森先生の講演でもあったのですが、
それは自分がされていることを自分でやってみると
どんな気持ちなのかということを知る為の行動であり、
人間の脳内で起こるミラーニューロンの作用、役割交代であるとも
言われているというお話を聞いたことを思い出しました。

自分がやられたことを自分がやってみる。
それは、良いことも悪いこともすべてそのまま
親から子どもに受け継がれることを意味するのだと改めて感じます。

親がモノの扱いを乱暴にしていれば、子どもも同じように扱い、
親が思いやりに欠ける行動をとっていれば、子どもも同じようになっていく。

この時期、親と接することが子どもにとっての発達を促す環境の大部分であることを
考えると、子どものことを思えば思うほど、自分自身がどうあるべきなのかを
問われていることに気づきます。

見守ることや、環境を用意することは、方法論ではなく、自分自身の在り方が大切なのだと
改めて感じます。

自分自身がまずは自律し、大人となり、自分らしく輝いた楽しい人生を存分に満喫していくこと。
そこを大切にしていきたいと思います。

オルタナティブコンサルタント
 眞田海


大切にしたいもの

2011年4月15日

こんにちは。カグヤの宮前です。

春は、出逢いや別れの季節ですが、
カグヤにも4月から新入社員が1名入りました。

実は、2名入社の予定でしたが、1名は内定辞退という形となりました。

半年ほどインターンに来られていたこともあり、寂しくもありますが、
大きく考えたら、良いことだったと感じます。

彼女は、今回の震災によって、
自分が今、何を大切にしているのかが、明確になったといいます。

そして、今までは、自分の意見や意思を表すことはなかったが、
カグヤに出逢い、カグヤで過ごせたから、
自分の気持ちを正直に伝えられたといいます。

私は、少し残念な気持ちもありましたが、
彼女がこの半年間、一生懸命インターンとして働き、
カグヤで大切なことを学んで辞められたことを感じ、嬉しくもありました。

そして、必要な我慢は勿論あると思いますが、
自分が何より大切にしたい価値観や信念を曲げるような我慢は、
望ましくないと感じます。

自分の人生は自分で決められるもので、誰も代わりにはしてくれません。

何を優先させ、守りたいかを自分自身で追求し、
後悔のない人生をおくることは、大切だと思います。

私自身、カグヤへ入社を決める前に、
社長面接で「納得する就職活動」を促されたことが、今でもとても印象深く、

その時に自分で動いて決めたことが、ずっと心の支えにもなっています。

彼女も、就職前にその経験をし、
今後社会に出てからもきっと役立つ「自分の軸」を手に入れたのではないかと思います。

カグヤへの入社はなかったものの、
「見守る保育への想いを諦めたり辞めたりしたわけではなく、
 今後もその想いを温めておく。」といい・・・

場所は違えど、同じ気持ちであることは、大変心強いことです。

同じく自分で決めて入社した強力な新入社員も増え、
これからが楽しみでもありますが、

私も、自分の心の声を聞き逃さず、大切なものを見失わないよう、
流されずにやっていきたいと感じます。


環境コーディネーター
宮前 奈々子


『全員が主役』

2011年4月18日

こんにちは、カグヤの白土です。

4月になりカグヤにも新しいクルーが新たに加わりました。

新卒で入ってきたクルーですので

私自身と一回り以上年齢が離れています。

年上だからとかではなく、

カグヤで仕事を行っている人間として、

今まで以上に刷り込みに会わない実践を大事にしなければと感じます。


又、今回新人研修を福岡にて実施致しました。

全クルーで挑戦した山登り、バーベキュー等盛り沢山でした。

普通の会社であれば、

社長の話があり、それに対し代表で誰かが挨拶を行う。

しかしカグヤではやはりそれぞれが主役なのだと感じる時間でした。

新人だとかベテランという壁を越え、

子どもたちの為にという思いでそれぞれが

思いを伝え又同時に実践を行っていく事、

まだまだ反省すべき点も多い私ですが、

今回改めてこのカグヤという会社で働く事が出来

本当に良かったと感じました。

又今回は参加型の研修であり遣りきる事を目的に研修が出来ました。

何かを気にして途中で諦めるのではなく、

自分の為ではなく仲間の為にやり切れた事、

本当に価値のある事だと感じます。

これから先、多くの課題に私もそして仲間とぶつかるかもしれません。

しかしこれからも子どもたちへの思いを大切にし、

自分にしか出来ない事を貫いていきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 白土大樹


「生きている実感」

2011年4月19日

こんにちはカグヤの瀬口です。

4月に入り、桜も満開な季節が訪れてきました。

全国的に咲くその命の美しさは震災の復興に励む
人たちにも明るさを与えてくれている様にも思います。

この春の季節に今回の震災による人々に与えられた試練は
最早世界規模の震災であり、世界にとって考えさせられる節目と
なっているのではないでしょうか

春には出会いと別れがつきものであり、
環境が変わる人、変わらない人、様々に思いがあるかと思います。
実際に震災があり、多くの人が考えが変わる一つのポイントと
なったのではないでしょうか

考えなくても日々を過ごすことは出来ます。

私は考えなく、只日々を過ごすことに人としての尊厳が損なわれて
しまう事の様に感じていました。
また、日々に忙殺され、本当の自分とは何なのかということも
考える余地が無いところでしか生きることが出来ないことにも
本当にそれでいいのだろうかと考える日々が続いておりました。

考えなくても日々を過ごすことは出来ます。

考えなくても悩まなくても生きる方法はあるかと思います。
この、悩むことが出来るということに自分を試され、
生きている実感がある様に思います。

いつ変わるのか

変わるか変わらないのかは自分の中に在り、
この季節ということも節目に自分の状況の変化ということも節目に
本当の自分探しを続けて参りたいと思います。

考えなくても悩まなくても生きる方法はあるかと思います。
この、悩むことが出来るということに自分を試されているという、
生きている実感がある様に思います。

今、悩めることに感謝して、自分の与えられた役割を
知るためにも人生の旅路を謳歌していきたいと思います。

コンシェルジェ
瀬口拓郎


「大きく無くした分だけ得られること」

2011年4月20日

「大きく無くした分だけ得られること」

今回の地震は震度5弱以上を観測した箇所が全国で745箇所とのことで
限られたエリアで起きたことではないことがわかります。


三陸沖の海岸線に建てられた防波堤や福島の原発問題など様々な立場の方から、
今回の自然災害は想定外だったと話されている様子をよく拝見しますが、
そもそも自然という偉大な存在を人間の力でどうにかしようとする発想自体が
地球上で生きる生命体として傲慢な思考だったのではと感じてしまいます。


どのような世界にも道理があり、自然にも摂理があり、人間社会が自然と
離れたところで営むことで自然をコントロールできると思い始めるのではないでしょうか。


東北沖地震の事態を更に悪化させたことに福島原発の事故がありますが、
原発は問題だと言うのは簡単なことですが、原発に代わるエネルギーとして取り上げ
られる風力発電も国が補助金を出して設置した風力発電所の半分しか稼働していない
ことや、太陽光発電も日本国土のわずかな平地に集中して都市が形成される日本で、
国を支えるほどのソーラーパネルを設置するだけの面積が取れないこと、海底資源の
天然ガスも含め、原子力に代わるほどの新エネルギーは見いだせていないのが現状だと思います。


岩手県盛岡市に生まれ、大船渡高校でサッカーをしていた鹿島アントラーズの小笠原
選手がチャリティーマッチ後のコメントに今日、初めてサッカーは皆に助けられているのだとプレイしながらフィールドで実感じたと話していまいした。
チームを何度も救い優勝に導き、国際舞台での素晴らしい実績のあるプレイヤーでさえ、このような状況が普段気付かないことに気付かされるのだと共感しました。


今回の災害から、経済大国として繁栄してきたこの日本が2011年3月11日14時46分を境に、一日で大きく変わってしまう現実の怖さと、今後この災害は教科書に載り、日本の歴史として受け継がれていくことを考えると、これからどう復活するのかを次の世代へ受け継いでいきたいと思いますし、
88年前の9月1日、神奈川県沖にマグニチュード7.9の地震が発生し、関東大震災が10万人以上の死者を出した災害から復興した民族である誇りを忘れず、これほど
大きな打撃、衝撃を受けたことなく、当たり前だった日常を失ってしまう脅威を感じた日本人がこれからをどう思い、これからをどう生きるのか、自分自身、復興の当事者である自覚を持ち、共に尽力していくことがこの日本を深く愛することができるように
なるのだと思います。


アインシュタインの残した「世界は東洋に始まり東洋に帰る」という言葉を日本に置き換え、世界の中の日本がエネルギー問題やライフスタイルなど先進国のこれからの新たなモデルとして存在感を示してほしいと思います。

カグヤも日本の一企業として、自分も一クルーとして日本の目覚ましい復興のために
本業で貢献していきたいと思います。


オルタナティブコンサルタント
 田上貴士


ご挨拶

2011年4月21日

はじめまして。
4月に入社いたしました奥山と申します。

まず、はじめに今回の震災により被災された皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
皆様の安全と一日も早い被災地の復興を心からお祈り申し上げます。

今回の震災で改めて、人は自然や動物、植物と共存し謙虚に生きていかなければならないと感じました。
自然と離れていく生活は、次代の子どもたちに何を伝え、残すことができるのでしょうか。

私という一人の人間が、役割に気付き、人のお役にたちたいと思い、これから子どもという未来を
創る仕事に携われる喜びを感じております。

カグヤの社員として、恥ずかしくない行動と意見を持った人間に成長したいと思っておりますが、
まだまだ半人前でございます。
社会人として一人歩きしていく成長を、見守っていただければと思っております。

皆様からのご指導お願い申し上げる次第です。何卒よろしくお願い申し上げます。


奥山卓矢


梅とお酒

2011年4月22日

こんにちは、眞田です。

ついに春もやって参りましたね。

家内の実家からは、春の野草を送って頂きましたし、
祖母からは土筆の佃煮を戴きました。

そして、土筆においてはクルー全員で土筆狩りに行き、
沢山の春の芽吹きを感じることが出来ました。

家族でも土筆取りに出かけましたが、私が必死になって土筆を取っている姿を見て、
1歳半の娘が真似をし、見事に土筆を取って私に一生懸命渡してくれる姿に、
親としての感動を覚えた瞬間でした。
まさに、命を感じる季節です。

そして、これから5月を迎えますがこの時期になると
既に私の中では梅酒作りのことが段取りとして入ってきます。

「梅は三毒(水の毒、血の毒、食べ物の毒)を断ち、その日の難をのがれる」

と言われるように、朝に梅干しを食べておくと、
その日一日は災厄から身を守り、病気になることもない、

というような意味で僧侶たちは毎日梅干しを食べていたと言われています。

私の父も、毎年梅干を大量に作っていたので食卓にはいつも自家製の
途轍もなく塩っ辛くて酸っぱい梅干が置かれていました。

何かにつけては梅干を食べさせられた記憶がありますが、
効能を調べてみると、

「ウメの基本的な効能としては、食中毒や細菌性による下痢などに効く抗菌作用、
水虫などの真菌(カビ)を殺す作用、食物アレルギーや急性ジンマ疹に効果を発揮する
抗アレルギー作用などが知られています。 
また、特に慢性の下痢、嘔吐、胸やけ、食欲不振に有効で、広く胃腸病全般に応用されています。
さらに、体力増強、疲労回復、慢性のせき、微熱にも応用されて効果を上げています。」

江戸時代は旅路には欠かせない薬だったようです。

そして、梅酒もまた体に良いと言います。
梅の効能に、酒の効能が合うのでしょうか。

うんちくが過ぎましたが、自家製の梅酒を作る一番の理由は
市販の出来合いでは決して味わうことが出来ない、「育つ」感動と
旨味を味わえることに尽きます。

その年の梅と、その時に一番好きなお酒。
その二つが織り成す味わいは、年数を重ねるごとに変化していき、
楽しみを増やしてくれます。

今年は、どんな梅にしようか、どんなお酒にしようか、
どんな配合で作ろうか、どれだけ最初に寝かせようか。

こうやって、去年の梅酒を呑みながら
空想している時期が一番楽しいのかもしれません。


オルタナティブコンサルタント
 眞田海


安全基地

2011年4月25日

こんにちは。カグヤの宮前です。

先日、お客様である保育園の新園舎完成に伴い、
藤森先生の講演会がありましたので、
クルー一同で、参加致しました。

藤森先生のお話は、やはり理に適ったものばかりで、
自分の刷り込みにも気づかされ、

やはりこの世には、沢山の価値観や役割が存在し、
各々の違いを活かしあうことが大事であり、
また、幸せであるのだと改めて感じました。

また、藤森先生のお話しの中で、

子どもに対する親の役割について、
親は、子どもの「安全基地」である必要がある。
というものがありました。

それは、子どもを信じるということで、

決して「子どもの言うことに嘘がない」と信じることではなく、
嘘をついていても、「何か事情があるのかな」等と、
その嘘を含め、子どもの存在を丸ごと信じる。
ということでした。

これは、幼少期だけでなく、
大人になってもこの「安全基地」があるかないかで、
心の安定感に随分影響があるのを感じます。

私自身、大きくなってからも、親の存在のおかげで、
これまで様々なことにチャレンジできたのも事実です。

そしてまた、このことについては、
親子の関係だけでなくても、存在し得ると思います。

現在は、不安の多い社会だとも言われますが、

自分も少しでも「安全基地」のような存在になれるよう、
愛情を周囲に注ぎ、「見守る」の実践を積み重ねていけたらと思います。


環境コーディネーター
宮前 奈々子


働くことの喜び

2011年4月26日

こんにちは、白土です。

新年度が始まり、これから様々な園様と関わらせて頂く事が出来る事を考えると、

楽しむ・思い遣り・責任・感謝という事を大事にこの1年を遣り抜いていきたいと思います。

その為にも先ずは子ども第一主義を通して、

自らの実践を深めていきたいと思います。

又、今回研修園で園長先生より大変有難い御言葉を頂きました。

園長先生から頂いた言葉とは、

「カグヤさんに出会う事が出来て本当に良かった」という言葉です。

何よりも個人ではなく会社として見て頂いた事、

カグヤという会社の思いが伝わった事に感謝いたします。


私自身園長先生と職員の方々と関わらせて頂き、2年目となりました。

その中で、この1年は会社としても個人としても変化が求められる事が多かったと思います。

コンサル会社としてどう在るべきなのか?

コンサルタントとしてどう在るべきなのか?

日々考えながら過ごしてきました。


又その中で、特にこの1年で感じた事があります。

コンサルを行う上で一番大事なのはスキルではないという事です。

何よりも大事なのは、お客様の事をお客様の気持ちになり、

考え、その中で自分自身と会社としての実践を常に行っていく事です。

そこから出てくるものがコンサルへと繋がる道ではないかと今は思います。

そして今回頂いた言葉は、その道が間違いではなかったという事ではないかと思います。

又先月からクルー全員でどんな会社にしていきたいかを話し合ってきました。

そこで皆で決め出てきたのが、

「カグヤという会社に出会えて良かった」と思って頂けるような会社にしようという事でした。

そして今回、園長先生から頂いた言葉はまさにその言葉でした。

働く事の喜びを全身で感じさせて頂いた言葉でした。


これからも初心を忘れず心を使う事を第一として、

自分の実践としていきたいと思います。

ありがとうございました。

オルタナティブコンサルタント
 白土大樹


自分の信じる自分

2011年4月27日

こんにちはカグヤの瀬口です。

春の季節は人の心を変えるにもその影響は強く
優雅さの中にも暖かさが厳しさにも取れる今日この頃です。

世界を震撼させた今回の震災は人を変えるにも十分足りえたものでは
ないでしょうか

周りの環境や人の意識が変わっていく中で自分と振り返ると

こう、ふと思う様になったのです。
「待っていたって大人になんかなれるわけがない。」

きっと、どこかで今を真面目に生きていれば
いつか立派な大人になるのだろうと希望というより、
願望の目線で見ていたのかもしれません。

そう考えると恥ずかしいものです。

自分がどんな人物になりたいのかをよくよく
イメージし、そこに向かうための道のりを歩まなくては
いけないのだということを考えさせられます。

自分がどうしたらよいか、迷っていた時、
自分の仕事での出来事や現状含めて伝えようと思い、
中々話すことの少ない父に相談すると、思いもかけない言葉が返ってきました。
「悩むことが出来る仕事に就けて良かったな」
と。

衝撃とともに、考えさせられました。

人は悩まなくても今の日常を繰り返すことで生きていくことも
可能な生き物です。

悩み、悩み、その先にどんな光が待っているのか

それは悩み通した人にしかわからない世界なのかもしれません。

この悩めるということは自分の人としての幅を広げるためにも
自分にとっては大変重要なことだとも思うのです。

自分を信じて、自分の選択に間違いは無いと信じて
一つひとつを決めていくことが出来る様に本当の自分を
大事にして、精進して参りたいと思います。


コンシェルジェ
瀬口拓郎


「ブラタノ ~商店街を歩く~」

2011年4月28日

最近、福岡県飯塚市に生活が移り、基本的に徒歩での移動が中心になり、近所を時間をかけて歩くことが多くなったことで、今まで気付けなかった事柄も多くありました。

 江戸時代、飯塚市は鎖国時代に唯一、貿易を許された長崎と行き来するために整備された長崎街道、現在の小倉北区から長崎市まで約230キロ、25の宿場町の一つとしてとして栄え、明治から昭和に入ると近代文明の夜明けと共に日本国内も鉄鋼の需要が高まり、これまでの大量の木材を消費する木炭から江戸時代には福岡藩と小倉藩で開拓されていた石炭へと本格的にシフトし、石油時代の到来まで大規模な炭鉱開発が進んでいかれたことは有名ですが、炭鉱の閉鎖後も大学の誘致もあり、13万人ほどの人口を維持している街です。

そんな飯塚の街には縁あって住んでいますが自分の住んでいた裏手には大きな商店街があります。商店街を歩いてみると、かつての商店街のような活気はなく、人通りも少なく、営業されているお店も5割ほどで正直、寂しさを感じるほどです。


営業されている時計店や洋服店に足を運ぶと、良く言えば昭和を感じさせる雰囲気を醸し出していますが、対局で言えば当時から何も変わっていないとう印象を強く受けます。こうなると人足が遠のき、消費者、お客様のニーズを感じ取る、知り得ることができず見失い、そのうち昔と今とで変わってしまった外側の環境が商売をやりづらくさせてしまったのではと考え始め益々、自助努力が効かなくなってくるのだと思います。


地域社会の変化は戦後の65年の間に著しく変わっていることは間違えの無いことですが、それは世の中誰しも同じ状況の中で営みを継続していることであり、交通事情、生活スタイル、消費者ニーズ、通信販売の拡大の対等など様々な要因が挙げられます。


よく郊外型の大型ショッピングモールを商店街の衰退を一番の理由に挙げられることがありますが、最近、都市部では週末マルシェ(フランス語で市場)が定着し色々な地域でにぎわっているようです。農林水産省が支援しているマルシェジャポン(http://www.marche-japon.org/)では全国8都市で都市住民参加型の市場(マルシェ)として2009年から始まり、全国でにぎわっていますし、地域の生産農業者が集まって自作の農産物を持ち寄り提案型の販売を行うファーマーズマーケット(http://www.farmersmarkets.jp/)など対話型の販売が需要と供給の間でニーズを高めています。

これまで各地元で開かれている朝市と同じようなものですが、生産者や仕入れをされた方との食材を通じて、様々な情報交換を行い、買い物をする、人と人との触れ合い、繋がりが商品に対する価値ではない付加価値を実感していくのだと思います。

 商店街が栄えていたころは皆、生活の中での移動距離が狭く、歩いて買い物を行うような時代だったのではないでしょうか。お米屋さんや八百屋さん、魚屋さんに酒屋さん、全てが馴染みの店で、お店の方は自分の家族構成まで把握されて今晩の夕食のための食材の使いか方のレクチャーや相談などをしながら買い物をしていていたのだと思います。


 
買い物は手に入りにくい珍しいモノを手に入れたり、よりお得意なモノを手に入れることや、より便利で新しいモノを早く手に入れることだけではない、人と人との関わりの中で見出される温かさや受容感、地元への所属意識、日々の単調な生活に潤いを与える会話など地元に根付いた地産・地消が地元を愛し地元を発展し、より良い営みを生んでいくにはまさに、地元の人同士の繋がりが生み出す最大の付加価値だと実感します。


カグヤも企業としての存在価値を全国の先生方と共に深く関わり、今までにない感動的な豊かさを 生み出しながら成長していきたいと思います。
 


オルタナティブコンサルタント
田上貴士