TOP今日のカグヤクルー日記 > 2010年05月

2010年05月のカグヤクルー日記

「プロとして」

2010年5月 6日

こんにちは、瀬口です。

先日、致知出版社による読者の集いに参加してきました。

旭山動物園の小菅園長からのご講演であり、
廃園の危機からどの様にして立てなおす事が出来たのかという内容で、
これまでの実践を通しての考え方を事例を元に分かりやすく説明して頂きました。

言葉のどれもが印象的で気づかされるような内容ばかりでしたので分割して記したいと思います。

小菅園長は動物園に就職した際、
全く知識もなかったので大変な苦労をされたということから
これまでの経過をたどり説明して下さいました。

冒頭にありましたのが
『就職した途端に「プロの飼育係」として見られてしまう』ということ
その時に、最初に教わった飼育係としての大事な点が、
①動物のことは何でも知っている
②難しい動物を健康に長生きさせる
③繁殖の難しい動物に子を産ませて育てること

ということでした。

その中で
「セレノドンと聞かれて答えられなかったら聞いた子どもはどう思う?
がっかりするだろう?」
 
ということにまず考えさせられました。
(ちなみにセレノドンについては調べましたのでこちらを参照下さい)

上記の大事にする点

自分はプロであり、プロとしてどうだろうかということ…


人には様々な生き方がありますし、様々な仕事があります。
自分の選んだ生き方にはそこに向き合うために各々臨むべき姿勢もあるかと思うのです。

飼育員としての姿勢
先生としての姿勢
企業人としての姿勢
コンサルタントとしての姿勢
コンシェルジェとしての姿勢…

そして、
カグヤには『子ども第一主義』という理念があります。

自分が理念を守り、コンシェルジェとしての姿勢を持ち、
子どもの声を聞いてその存在をあるがままに認め、
その子がやりたいことを実現する環境を用意していくこと。
そしてその保育を目指す園の先生方を支えることが出来ているかということ。

これらが出来ているだろうかと考えます・・・

勿論、能力や知識が追い付かないこともあるかと思います。

しかし、
仕事は自分の生き方ですし、そこにはオンもオフも無く、
自分の生き方を大事にすることが良いのではと私は思っています。

どこで誰が見ているかという訳ではありませんが、
自分の決めた道に裏切って、生きるのは自分にとっても本当は辛いことです。

「お天道様が見ている」

とは昔よく言っていましたが、本当の自分を大事にする様に、
裏切らない様にすることを言っていたのかもしれないのではと思いました。

だからこそ、もっとカグヤのコンシェルジェとしての
生き方が出来る様にこれからも励みたいと思います。

                             コンシェルジェ
                             瀬口 拓郎


シリーズ第2段(最終回) 「昴研修~時代は移り変わること~」

2010年5月 7日

こんにちは、田上です。

先日の藤森先生を講師にお招きし実施した
昴研修についての所感をこの場でお伝えしたいと思いましたが
藤森先生がお話下さった内容が一度では書ききれなかったので
2回に分けて書かせて頂きましたが今回は最終回になります。

以前、筑波大学名誉教授の村上和雄博士の
お話をお聞きし著書も拝読させて頂きましたが
科学の世界では2001年ごろから極小世界である
遺伝子研究が進み、DNA細胞の遺伝子数や染色体、
遺伝子情報の解読など様々なことが解明される中の一つに、
ほとんどの人間が自分の潜在能力の2%ほどしか使っておらず、
98%が眠ったままで一生を終えているとのことでした。

時代が進み、科学の力で今まで知る由もなかったことや、
今まで常識とされていたことが間違いだったと新たな解明が生まれています。

藤森先生のお話の中にも、
1970年ごろから脳に対する科学的な考え方が変わってきたことから、
今までは育児過程で子ども自身が色々な能力を身につけていくと考えられていたことが、

現在の脳科学の研究から、
元々赤ちゃんの段階で全ての能力が備わってこの世に生まれおち、
生きていくために使わないであろう能力を減らし、
残った能力を高めていくのではないかということでした。
また成長する過程の中で使わない能力を
うまく減らせない子が多動だったりすることも分かってきたとのことで、
何もできない子という認識ではなく、能力をうまく減らせないという新たな認識があるとのことでした。

今回の藤森先生のお話の中で考えさせられたことの一つに、
藤森先生がギビングツリーで提唱されている
「見守る保育」の概念と必要性を改めて深く認識することになりましたが、
お母さんがわが子へ母乳を与える事例として、
元々子どもは生きる力を持ってこの世に生まれてきたが、
母乳を飲む量は違っても子ども自身が増やす体重は一定しているということ。

母乳をどれだけ飲むかではなく、
身体の成長として体重を増やすことは子どもの主であるのに対して、
大人の考えで決められた時間に決められた量のミルクを飲ませることが主になっていると、
元々の子どもの生きる力である体重を増やすことよりも与えられたミルクを
飲むことに合わせようと変化してしまう。

本来受け継がれてきた人が成長する上での
生きる力がそのときの大人の関わりにより、
子どもは合わせてしまい変わってしまう。

そのせいで子どもはこの先の人生で
苦しむことになってしまうということの怖さを覚えます。

カグヤでは「刷り込み」と呼んでいますが、
子ども自身の自立しようとする力を大人の勝手な偏見や価値観、
思い込みで邪魔しないようにすること。自分を含め、大人が「こう在るべきだ」と
価値観を刷り込むことで子どもの人生を捻じ曲げてしまうことになりかねない。

だからこそ、藤森先生の「見守る保育」の子ども主体の保育観や
カグヤの「子ども第一主義」のような考え方、価値観が重要だと実感しました。

時代はいつの時代も常に移り変わっていきますが、
特に現代はIT環境の構築と共に情報化社会が訪れ、
目まぐるしい変化が起きています。

様々なことが技術躍進し、
新たな発見が繰り返されている中、
「これで良いのだ」「間違いない」という思考は通用しなくなっていると思いますが、
本質からぶれないためにも目の前にいる子どもからの気付きを
大切にしていきたいと思います

最後にカグヤは社内研修の機会が多い会社だと思いますが、
そのたびに上質な場と、クルーの成長を洞察され、
最適なタイミングと最適な講師の方や学びの機会を
用意して頂く代表の野見山には感謝の気持ちでいっぱいです。

このような研修を通して場を他者のために最善の場、
機会を用意する心を自分も大切にし、
日々の自分の仕事でも実践していきたいと思います。

またいつも実感させてもらっていますが、
カグヤの一員として自分の存在を受け入れてもらい、
深い学びと成長させて頂けるカグヤクルー皆さんに感謝です。

                   オルタナティブコンサルタント
                   田上 貴士


「物の豊かさと心の豊かさ」

2010年5月10日

こんにちは、松村です。


気温も高くなり過ごしやすい季節になり、桜の花も綺麗でしたが、
緑の葉も見ていると、心地よいと感じます。

今回のブログでは、私が大切に思っていることを、
子どもたちにも大切にしてもらいたいという気持ちで書かせて頂きました。

先日、久しぶりに友人と会う約束をしていたのですが、
友人の自転車のブレーキが壊れ、修理に出すので遅れるという話になりました。
自転車は、ブレーキワイヤーが切れただけなので、
修理に出しに行く時間も手間もかかるので大変だと思ったので、
お店でブレーキワイヤーを買って修理するということになりました。
友人は「修理できないようなら、古いから買い換える」と話ので、
おもちゃや、本、自転車、バイクなど壊れたら当たり前のように直して使ってきたので、
物を大切にしてきた自分としては、とても残念に思いました。
父が機械に強く、ラジオ、洗濯機、車、スピーカーなど、
壊れた物をよく修理している姿を見ていたせいかもしれないです。

自転車のブレーキワイヤーを買いに、日曜大工用品売り場に行くと、
新品の自転車もそこまで高くない物が並べてあり、
修理したほうが良いのか、それとも新しい自転車を買った方が良いのか、
現代の人は考えてしまうのではないかと思います。
友人と買い物中に、自分が子どもの頃から物を大切にし、
物が壊れたら直してきたことや、物の大切さについての話になりました。
確かに今の時代は、物に溢れ、
お金を出せば容易に何でも買い換えることが出来る時代になっていると思います。
また、物の大切さを感じることが欠けている世の中になっているのではないかという話になりました。
自分としては修理できる物は修理して、大切に使って欲しいと友人に伝えると、
友人も物を大事にすることの大切さを共感してくれました。

物の買い替えが容易になった時代の背景を考えると、
「また買えば良い」、「買ったほうが楽だ」という考えから、
物に対しての愛着がなくなっているのだと自分は考えています。

物を大切にするということは、資源を大切にするということだと思っています。
資源の現状について調べてみると、
石油や石炭が使用されたのは、18世紀の産業革命の頃からだそうです。
産業革命を支えた蒸気機関の発明により、人間の生活はより豊かで便利なものになり、
大量の石油や石炭が消費されるようになりました。
それから約300年を経た現在、発展途上国を中心とした人口の増加と経済発展により、
世界の資源消費量はますます増加しています。
しかし、世界の石油、石炭などの資源には限りがあり、
現在のペースで使い続けると資源は近い将来底をつくと予測されています。
この現状から考えると、世界の人々が生きていくためには、
共存していくことしか選択肢がないのではと感じています。
物の奪い合いではなく、世界で物をシェアしていくことが大切になっていくのだと思い、
子どもたちには物への愛着を持ってもらい、
物を大事に使って欲しいと思います。
そのために、子どもたちのお手本になるために、使える物は壊れるまで使い、
修理できるものは修理して使うように取り組みたいと思います。

                        オルタナティブアドバイザー
                        松村 武典


「モノよりオモイデ」

2010年5月11日

こんにちは、秋山です。

5月の大型連休を使って、
私の母親。
夫の父親。
「ダブル還暦祝い」を行いました。

当初の予定では…
私の両親。夫の両親。私達夫婦。
にて食事をしようと考えていましたが。

記念すべき60年に一度のお祝い。

両家両親が、
アッと驚くような、
サプライズを贈りたい!

そこで考えたことは、
どんな料理や贈り物でもなく、
この食事会を「最幸の時間」にすること。

そこで私達は、
我々の兄弟・姉妹に声を掛け、
当日食事会に参加してもらうことにしました。

おかげさまで、サプライズは大成功!

家族想いの両親が、
手を叩いて喜ぶ姿はもちろん、

「こんな時間が何より幸せですね。」

と両親同士で話す姿を見て、
心の底から幸せな気持ちになりました。

【親孝行】と表現すると大袈裟ですが…

幸せの形には種類があり、
カタチにはならないものの、
大きさを感じることの出来た連休でした。

コンサルティングサポーター
                   秋山 有紀子


「芽吹く命」

2010年5月12日

こんにちは、営業部の眞田です。

GWを過ぎると、風も日差しも夏の匂いに変わり、
暖かな陽気から燦爛と輝く陽気になりました。

日差しが変わり、我が家のベランダの野菜たちも
漸く芽が出始めるようになりました。

実は、以前にブログ「育つということ」で紹介をさせていただきましたが、
自宅のベランダでハイポニカ栽培をしています。

3月下旬から空芯菜とトマトを苗から土を取り、
ハイポニカの環境に設置して始めたのですが、
2週間で枯れてしまいました。

原因は、まだトマトにも空芯菜にも気候が寒すぎたためでした。

今の自宅の気温に合わない不自然な物を持ってきてしまったために
環境を植物に合わせることが出来ずに枯らせてしまった自分の無知さを
知り、反省する機会となりました。

ということで、今回は環境に合う野菜たちを種から育てようと
4月の一か月を費やしました。

トマト、ピーマン、ルッコラ、枝豆、ブロッコリー、イチゴ

それぞれの種をスポンジに入れ、湿らせ新聞紙を掛けて待ちました。

3日、4日、待てど変化は無く、5日目。

やはり発芽温度が低くても大丈夫なルッコラが種から芽を出しました。
100510_142235.jpg

私は野菜を育てるということが人生で初めての経験なので、芽が出るということを
目の当たりにしただけでも、生命の神秘に感動してしまいました。

あんなにもカラカラとした小さな種から、こんなにも生き生きとした芽が出ていることに、
兎に角驚きを感じました。数か月、水分を取らずに袋に入れられていた種たちが、
自分たちに適合する環境になった途端に生命の息吹を取り戻す姿を見ると、
自分の子どもにも、その子に合った環境となってあげたいと切に思います。

また、自分自身のことを考えても、親から頂いたこの命を粗末にすることなく
大切に全うするためにも、自分の命の種が一番伸びる環境を
用意しなければならないと考えさせられました。

今、ベランダには自作のハイポニカ栽培装置をなんとか作り上げて、
その他に発芽した野菜たちを育てていますが、
自然の営みを生から死まで見ることで、人間界が如何に不自然であるかを
知る術となるように感じることが増えてきました。
100510_144313.jpg

子どもたちが自らが持つ種を自然に発芽させ、
育っていけるような環境と私自身がなるために、
自然が持つ本質を学びながら、大切に育てていきたいと思います。

                             オルタナティブコンサルタント
                             眞田 海


「こだわり弁当」

2010年5月13日

こんにちは。宮前です。

今回は、カグヤで頂いている昼ごはん、
「こだわり弁当」についてです。
20100510130426.jpg

そのお弁当は、栃木の青空農園で
有機栽培された玄米、野菜をつかった、
こだわりの玄米菜食弁当です。

農薬、化学肥料は使用していないため、
単においしいだけでなく、
健康も、地球環境も守った
優しいお弁当です。

以前から健康や食事を気にしている私にとって、
こちらのお弁当が社内で頂けることは、
正直、カグヤで働く
大きな魅力の一つでもあります。

食事は、毎日のことで、
自分をつくる大きな要素。

食事の質を変えることが、
体や心、考え方を変えることにつながることは、
理屈で説明できなくとも、
自然なことだと思います。

先日、そちらの店長とお話する機会がありましたが、

玄米菜食という健康的な食を扱いながらも、

「健康によいから、この程度の味で構わない」
という妥協は一切許さず、

「美味しくなければダメ」
ということでした。

そのように味にも本当にこだわっていて、
おかず1品に対し1時間程の仕込時間を要する
とのことで・・・

毎日5~6時間は、
翌日のための仕込みに費やしているようでした。

まさに、時間、手間、愛情のかかった、
「こだわり弁当」です。

そんなプロ意識に対して、
本気の人の誠実さを感じるばかりでした。

そして、
本気の相手に関わるとき、
相手のレベルまで達しないにせよ、
そこに向おうとする姿勢が大事で、

最低限、自分の精一杯のレベルまでは
しっかり考え行動することが、
誠意であると感じました。

本気の相手に失礼の無いよう、
ひとつひとつの事に対して、
自分自身もっと本気で取り組んでいきたいです。

そして、そんな「こだわりお弁当」に
改めて感謝するとともに、
今後もしっかり味わい頂いて、
きちんと社会へ還元していきたいと思います。

環境コーディネーター
宮前 奈々子


「日々の実践」

2010年5月14日

こんにちは、カグヤの白土です。

5月に入り日差しも強くなりGW中少し外に出ただけで日焼けをしてしまいました。

後1ヶ月もすれば梅雨に入りますが、
今年は梅雨のジメジメ感を吹き飛ばすぐらい元気にいきたいと思います。

さて、今回は自分自身が実践から感じたことを書かせていただきたいと思います。
以前にも書いたかもしれませんが、カグヤでは実践を大事にしています。

園内の研修の中でも自分の実践から感じたことや気づいた事を伝える事を大事にしています。
以前であれば、わからないことに対しては、本を読んだり調べたりと行なっていました。
もちろん知識を身に付けることも大事だということも感じています。

しかしもっと大事な事は頭の中で考えると同時に、
自分自身がそれを行うことが大事だということに気づかせていただきました。

特に研修で関わらせていただく中で、
時に自分が発する言葉が先生に悪影響を与えてしまうかもしれない、
と考えるとやはり自分が行なってもない事を伝える事は出来ません。
それくらい実践が大事なのだと改めて感じます。

話はかわりますが、今年になりちょっとしたことに心掛けています。
それは、毎朝手を合わせるということです。
もしかしたら当たり前の事かもしれません、
しかし恥ずかしながらそれが出来ていなかった自分がいます。

最初は会社の上司の実践を聞き、自分もやってみようと思ったのがきっかけでした。
カグヤの中では子どもの中心に物事を考えたり行動する事を大事にしています。
そんな中で最初は子どもたちの為にと手を合わせることを大事にしていました。
しかし実際に朝の少しの時間でその実践を行なう事が大変だと感じました。

それくらい自分の生活に余裕が無く、
自分の事しか考えきれていない自分がいる事に気づかされました。

目を閉じて手を合わせる事だけのことかもしれませんが続ける事が
いかに大変なのかという事を最初は感じました。

そんな中、自分の中で工夫が生まれたのも事実です。
先ずはゆとりを持って朝起きる事、
それだけでも自分の中でのゆとりが出来たように今は感じます。
又最近では手を合わせることで身の回りにいる様々な方の顔が出てきます。
現場の先生、両親、カグヤのクルー、そして私自身を支えて下さっている多くの方・・・

何故か日に日に増えてきているような感じです。
それくらい多くの方との出会いがあり支えていただいている事に
感謝しなければと今は感じています。

又、同時に感じたことがあります。
感謝と同時に一人ではないという事に気づかされ、
とてもあたたかいというか嬉しい気持ちになれている自分もいます。

最近では手を合わせることで自己肯定感があがったのではと思います。
実践という実践ではないかもしれませんが、
頭で考えるよりもそれを行なう事で本当に多くの事を感じることが出来るのだと思います。

まだまだ本当の意味での手を合わせるということには
気づくことが出来ていないかもしれませんがこれからも
一つ一つの実践を大事にしていきたいと思います。

                              オルタナティブコンサルタント 
                              白土 大樹


「変わらないものの中にある変化」

2010年5月17日

こんにちは、瀬口です。

先日の旭山動物園名誉園長、小菅氏の講演により、思った事があります。

小菅氏は「動物園は多くの人たちが人生において3度しか見学しない」
ということに疑念を持たれていました。

1回目は自分が子どもである頃
2回目は自分が親になって子どもを連れていく頃
3回目は自分が祖父母になり、孫を連れていく頃

皆さんは如何ですか?

私も正直これまで
「同じ動物園を何度も見る」
という事をやってきていませんでした。

小菅氏はこう言いました。

「来場者にアンケートを取ると
毎年来ているけどもいつも同じ。
もっと他の動物も見たいという声がありました。」

「見ているのは同じ動物かも知れない。
しかし、動物も人と同じくして、成長し、
年を取り、子が産まれ、環境も変わる。
いつも同じということの中に在る変化を
見る事の方が大事だと思うのです。
『当たり前の方が大事』だと思うのです。」

「動物が動かないから面白くないという意見がありました。
しかし、本当は動物が動く時間は平均2.6秒なんです。
人の方が通り過ぎようとしているから、じっくりと見ようと
していないから動物の動きに気づくことが出来ないんです。」

これらの言葉からも私自身も
目先のものに捉われていた様に思います。
もっとじっくり、ゆったりと『見る』
ということができていなかったのですね。

また、旭山動物園ではかつて入場者を獲得するために
動物園の園内に遊園地を作り、園の改革を行い、変化させ続けたそうです。
しかし、その人気も長くは続きませんでした。

本当に伝えていきたいもの
「動物のことをもっと知ってもらいたい」
という思いを大事にし、今では有名な、アザラシの円注トンネルや
ペンギンの空中プール、ホッキョクグマのダイナミックな飛び込み等
動物の本来持つ能力を如何なく発揮できる環境を作ることで
動物たちの魅力を伝えていくこと
実際に間近で見ることが出来る事に成功しています。

私はお話をお聞きする中で
目先の変化よりも、もっと変わらないものの中に在る
一つひとつの変化を感じ取り、その素晴らしさを
見続けていくことの方が大事なのではと思いました。

以前、お客様より見守る保育の実践園を見学のご案内を差し上げる時に
こんな声がありました。

「○○の園は一度見たので、別の園をお願いします。」

この言葉に私自身もそのままに受け止めてしまい、
また、私自身もそう思っていた節があることを思います。

しかし、今は一つ改めた思いがあります。

『もっと見学し続けて、同じ園の中に在る変化を見る事。』

その変化の中に在るその人の持つ考え方や哲学
問題意識など、そちらを学びに行かなくてはいけない
のではと言う事を思いました。
もちろんそのためにも時間や労力、費用など
多く費やしてしまうこともあるかもしれません。

目先の違いなど見ようと思えばいくらでも見る事が出来ます。
違うものを追い続けていくことはいくらでも出来ます。

しかし、もっと深い
その奥に在る変化値を見る事により
自分自身がこれから実践していく上での
学びにしていきたいことを思いました。

見学する上での、学ぶ上での、姿勢を問われた様に思います。

私は考え直してみると、つい、自分のやりたいことを
横に広げていく様に実施してしまうことがあります。
だからこそ、何でもイイトコ取りを
しようとしてしまうことがあります。

しかし、自分の仕事が何の意味を為しているのか
より考えを見つめ直していかないといけないと言う事を思います。
新しいことに手を出して、広げていくことは出来ます。
それは、今までのことを捨てたということにもなるかもしれません。

今までと同じことをやりながらも
違うものを追い続けることが出来る様に
追い求めて行くことが出来る様に
今までの中に在るもっとより価値のあるものを見定めて
自分の仕事に専念していきたいと思います。

自分の行う事、為す事が
子どもたちのためになることが出来る様に
自分の思いにブレることのない様
追い続けていきたいと思います。

                   コンシェルジェ
                   瀬口 拓郎


「メンターという存在」

2010年5月19日

こんにちは、田上です。

先日(株)アントレプレナーセンター 代表取締役 福島正伸さん
の講演を拝聴させて頂きました。

福島さんはメンターとして多くの第一線で活躍されている方に
関わっていますが、ちなみにメンターという存在のご説明として
国際メンターシップ協会で説明されている言葉をお借りすると、

メンター(Mentor)の語源は、
古代ギリシャ時代の有名な叙述誌
「オデュッセイア(The Odeyssey)」の登場人物である
「メントール(Mentor)」という男性の名前にあります。
メントールと言う男性はオデュッセウス王のかつての親友であり、
王の息子テレマコスの教育を任され、
王が遠征している間息子の良き支援者、指導者、理解者となり
見事にテレマコスに帝王学を身につけさせました。

この由来に基き、今日では、
メンターという言葉は人生経験の豊富な人、支援者、指導者、後見人、
助言者、教育者の役割を全て果たす人を包括的に意味する言葉として
用いられるようになりました。

以前からカグヤ社内でもメンターシップについては
少しずつ学び始めていましたが今回、福島さんの
メンターとしての姿勢や人に対する考え方や関わり方をお聞きし、
今まで自分は他者に対しての関わり方、考え方の未熟さに愕然としました。

その福島さんのメンターとしての言葉にこうありました。

誉めても、叱りつけても
どのように接したとしても
人は、それに応じた育ち方をする
子をみれば、親がわかり
部下をみれば、上司がわかり
社員をみれば、社長がわかる
人が勝手に一人で育つことはない
人は育てたように、育っている
自分のまわりにいる人は、自分の鏡である
相手がそうしているのは、自分がそうしてきたから
相手が本気にならないのは、自分が本気になっていないから
怒らないとやらないのは、怒ってやらせてきたから
まわりが助けてくれないのは、自分がまわりを助けてこなかったから
部下が上司を信頼しないのは、上司が部下を信頼してこなかったから
収入が少ないのは、価値を与えていないから
つまり 得るものを変えるためには、まず与えるものを変えれば良い
他人を変えたければ、自分を変えれば良い
人を育てたければ、自分が育つ姿を見せることである

自分は他者のことをどこまで真剣に関わろうとしてきたのか?
自分都合で関わって来なかったか?
相手にとって最良の人脈になろうと真剣に悩んでいるのか?

自分自身、言葉では共生が必要だとか、一人では生きれないとか、
周りに迷惑をかけてはいけないので、自立しなければならないとか、
一期一会を大切にとか、日々の中で頻繁に飛び交っていますが改めて、
自分自身、何もわかっていなかったと実感させられました。

今、自分があるのも今まで出会い、
関わって頂いた方々の存在があってこその自分であることを
心より感謝、感動し、目の前の人を心から尊敬し
自分にできることを惜しまず関わらせてもらいたいと思います。

その為にも自分自身が人のお役に立てれるだけの実践を積み
実力をつけなければなりません。

日々、自己啓発の努力を進めていきたいと思います。

                 オルタナティブコンサルタント
                 田上 貴士


「実践者から学ぶこと」

2010年5月20日

こんにちは、営業部の松村です。

近頃、社外の講演やセミナーに参加させて頂き
日々実践している方々の話を聞く機会を多く持つ中で
学んでいることがあります。

私はカグヤに入社するまで
講演を「聴く」という経験がなく
また興味・関心が湧くことさえありませんでした。

今まで国語や算数など勉学の知識を身につける努力はしてきました。
しかし、人間とは何なのか、人間が人間として生きるための
学びや人生の豊かさとは一体何なのか。
そのようなことを考えたり、触れる機会はほとんどなく
「人間学」というものの大切さもわかりませんでした。

毎月読んでいる「致知」という月刊誌では
有名無名を問わず、各界各分野で一道を
切り開いた人物の体験談が紹介されています。

実践者の方の物事を肯定的に捉える考え方や体験を知ることで
自分の仕事に取り組む姿勢、日々生活するうえでの姿勢においても
とても得るものがあり勉強になっています。
気付きや学び、人生においてのヒントを得ることで
自分の日々の仕事や生活の中でも取り組めたらと思います。

また「致知」から学んでいることの中で
人が人として一流になるための学問、2つの成人の学である
「人間学」と「時務学」について知りました。

「人間学」とは、徳性を学ぶ学問。
「時務学」とは、知性・技能を学ぶ学問。

人間には両方の学問が必要であり
現在の教育は知識ばかり教えているため
人間性がなくなっているという話のなかで
例えば、ゴミのポイ捨て、赤信号を渡る、など
自分さえよければ良いという大人の姿を子どもが見た時
それが許されることだとマネをしてしまいます。

子どもにとって
大人のモラルの低さにより「人間学」を学ぶ機会を
失わせているのではないかと思うのです。

このように、今まで自分が学んでこれなかった
「人間学」の大切さに気付かされ、人間性を築いていくことの
大切さを感じるようになり、今までの自分にはなかった価値観に出会いました。

感動したこと、気付いたことを
多くの人に知ってもらいたいという思いから
友人や親、親戚にもそんなことを話すようにもなりました。

どの実践者の方も
前向きに考える姿勢が
共通しているように感じ心が動かされました。

一人ひとりやっていることは違いますが
根本にある思いの部分は共通しており
自分のためではなく誰かのために
生きているように感じます。

実践者の方の講演を聞く度に
改めて自己満足の思いやりではなく
相手のためにを思い、行動することの大切さを考えさせられます。

カグヤでは、沢山の気づきや学びがあります。
それは社内に「学べる」環境が用意されているからであり
この学びへの環境を活かすも、活かさないも
自分次第であり、活かしきれていない現状があるので
積極的に学ぶ姿勢を忘れず取り組んでいきたいと思います。

               オルタナティブアドバイザー
               松村武典


「家族との繋がり」

2010年5月21日

こんにちは、秋山です。

カグヤでは月一度のペースで、
社内の実践や出来事を、
新聞にして発行しています。

その名も【竹取新聞】。

元々の送付先は、
「子ども第一主義」を目指す、
全国各地の先生方でしたが…

先月から送付先を追加して、
【クルーの両親】にも、
同じものを届けることを決めました。

どんなに年齢を重ねても、
どんなに遠方に居ようとも、

ここまで育て、
今尚心配を掛けている両親に対して、
「自らの仕事(=生活)」を発信すること。

これは両親に対する、
恩返しのひとつとして、
とても大切な実践だと思っています。

実際に手元に届いた両親から、
「今後も楽しみ。」
と連絡をもらうと…

会社と家族の繋がりを感じ、
今まで以上に、
仕事に対する想いが、
強まったように思います。

これからも、
自分を支えてくれる方々に、
応えられる自分で在れるよう、
力を尽くしていきたいと思います。

       コンサルティングサポーター
               秋山有紀子


「真心の実践」

2010年5月24日

こんにちは、営業部の眞田です。

気温も上がり、汗ばむ陽気も増えてきまた。
夏が大好きな私としては、願ってもない季節の到来です。

夏に移り変わるこの季節の、
天気がよく風が少し強いこの一瞬の時期や
そのあとに訪れる梅雨の匂いなど、
なんだか季節が風に乗ってやってくるように感じられて
楽しい日々を送っています。

そんな最近を振り返ると、
どうも仕事以外の時間を家庭とだけでなく、
私の親・兄弟も一緒に過ごす時間を
多く持つようになったことに気づいたのですが、
その中で、なんとも言えない親の愛を感じた瞬間がありました。

共に時間を過ごす中で、仕事の話や人生の話など
色々と難しい話や深みのある話などをする機会が増えたのですが、
親からの言葉は何時も一貫して「健康」の話。

どんなに遣り甲斐を持って働いているのかや、
何を大事にして生きているのかなどを話し合うと、
完全に受容してくれることも有り難いのですが、
やはり母親が気になるのは健康のこと。

振り返れば一貫して私に対しては
健康のことしか気にしていなかったように思います。

私に対して、色々な要望や希望や思いが
沢山あるのではないかと思ってしまいますが、
言われるのは健康のこと、生活のこと、それだけです。

私はこの母親の姿に心から尊敬してしまいました。

親としての「こうなってほしい」「こんな人間になってほしい」
という親心というものが有るのではないだろうかと思いながらも、
それを押し付けることなく、どんな人間にでもなれるように、
生活習慣や健康を大切にずっと考え続けてくれたこと、
いつも私を見守り続けてくれたことに、気づかせていただきました。

本当に相手のことを思うと、私心は消え、真心だけになる。

そして、それが相手に伝わるのだということを体験させてもらえたことを
心から有り難いと思いました。

常に真心で相手を思うこと。

簡単なようで人は気づけば感情が湧き、人情が包み込み、
一貫することが本当に難しいように思います。

しかし思いが振れはすれど、切らすことの無いように
真心の実践を大切にしていきたいと思います。

                       オルタナティブコンサルタント
                       眞田 海


「理念がカタチに」

2010年5月25日

こんにちは。宮前です。

社内のパーテーションについて、
以前のブログでもお伝えしましたが・・・

今年の2月に、理念がカタチになった
立派なものが完成しました。
00001.jpg

そこで先日、購入会社やイラストレーター、
カグヤ社長、クルーも一緒に、
お披露目会含め、皆で顔合わせを行いました。

今回、パーテーション購入という、
ただの物品購入に終わるのでなく、
このような広がりのある仕事に関われ、
改めて仕事の楽しさも感じました。

思い返せば、昨年事務所が拡張し、
カフェスペースが誕生したものの、
整理がうまくできず、
なかなか片付かなかったスペース。

会社出入口とのスペースを区切り、
しっかり目隠しもされ、
更にそこに理念が現れたらという気持ちで、
仕事に取り組んでいました。

イラストレーターの方が、
社内に度々足を運び、描いて、
実際にできていく過程を共有することで、
より身近な想いの強いものとなり・・・

イラスト完成後には、
弊社社長が尊敬する「吉田松陰の遺訓」と
「カグヤ理念」を筆入れし、
社内で理念に立ち戻れる存在となりました。
00002.jpg


社内の身近なパーテーションから、
初心を忘れないよう、
改めて、日々の仕事を大事にして、
取り組んでいきたいと思います。

環境コーディネーター
宮前 奈々子


「信頼関係」

2010年5月26日

こんにちは、カグヤの白土です。

最近は現場に伺う事と同じく社内で起きていることに対して
クルー間で話を行なう事を大事にしています。
その中で感じたことを今回は書かせていただきたいと思います。

保育現場でも同じかもしれませんが、
特に最近では人と人(仲間、上司)との関わりについて
考える時間を社内で頂いています。

例えば仕事を行なうという中で
一人で何かを行なえる事はほんの一部ではないかと思いますし、
逆に言えばほとんどの事が一人では出来ない事であるということを実感しています。
又、その中で人と関わるという事が大変だと感じていた自分がいたことは
事実ではないかと思います。

今までの私は、人との関わりの中で何かを相手と一緒に行なう際に、
先ずは自分の事を理解してもらうという意識が働いてしまっていました。
もちろん仲間同士で関わる中で自分が何をやりたいのかを伝える事は
当たり前のことかもしれません。
しかし大事な事は、その前提にあるのだという事に気づかされました。

どうしても自分に余裕やゆとりがなくなれば
視野が狭くなってしまいます。
仲間と一緒に進めていることが上手く
進まなくなるという事が起きてしまいます。
又、自分の事をいかにわかってもらうかということばかりに意識が向き、
一番大切な相手の事を解ろうとするという意識が足りなかったのだと思います。

結果的に相手に対しての思いやりや配慮が欠けてしまい、
お互いがやりたいことが出来なくなるという事が起こってしまいます。
改めて信頼関係とは何かという事を考えさせられます。
当たり前のことなのかもしれませんが、
相手がいて、その相手を先ずは認める中で初めて、
信頼は生まれることも今回感じさせていただきました。

今後は自分が何をやりたいのかをしっかりと持ち続けた中で、
相手の事をもっと知りたいという意識を大事にしていきたいと感じます。

又、子どもたちとの関わりも同じではと思います。
私達大人が一方的に何かを伝えるのではなく、
先ずは子どもの気持ちを大切にし、子どもの事をもっと知ろうという
気持ちや意識が必要なんだと感じます。

今後も周りにいる多くの方への感謝を忘れずに、
大切な信頼関係を築いていきたいと思います。

                    オルタナティブコンサルタント
                    白土 大樹



「チームとしての信頼関係」

2010年5月28日

こんにちは、瀬口です。

最近では社内の課題として、仕事を行う際に、
個人で進めるのではなく、チームで進めるという事を特に重要視しています。

カグヤではクルー一人ひとりに
自分の行うべきミッション(使命)が与えられています。
ミッションを行うからこそ、自分の夢や目標を目指すことが出来、
それが社会の発展へと貢献出来ればと思い、社業に務めております。

しかし、ミッションだからと自分の仕事を自分だけのものとしてしまうと、
チームとして動くにも問題が起きてしまいます。
自身を振り返っても忙しさの中でクルーとの共有よりも自分の仕事を優先してしまい、
周囲から見ると、自分が何をやっているのか分からない状態になり、
周りの仲間に対して不安や心配をかけてしまいました。

個人が動いてしまうと、個人で仕事を持ってしまい、
周りが関わる余地を無くし、自分から柵を立ててしまい、
引き籠ってしまう様になってしまいます。

そして、仲間の仕事についても他人事の様に見てしまい、
自分から関わろうともせずに、問題意識を以て臨むということも
できなくなってしまうという事を過去振り返るとしてきてしまったのです。

その時期を乗り越え、現在では、全ての仕事をチームの仕事として捉えて、
自分だけではなく、周りの誰もが出来る様になることを思って実施しています。
ここでも自分を知ってもらおうとするよりも何よりも相手のことを自分のことの様に思い、「自分だったらどう出来るだろうか」と考えて、臨む様にして、一同で取り組み、
実施することを心がけ、訓練しています。

皆で話していると一人がどんなに優秀であろうとも
チームで動く以上は、必要ないのではということを最近では特に思います。

誰かそんな人物がいると、関わり方でも甘えてしまい、
その人に頼ろうとしてしまうのではと思うのです。
最高の人物が一人いるよりも最高のチームを創っていく
ということの方が今は大事に思います。
一人になると大変な時に抱え込んでしまい、
何とかしよう何とかしようと躍起になってしまう体験もあったからです。

自分自身がチームにとっても必要な人材であるという事を素直に認めて、
もっと全体に働きかけることが出来る様にしていきたいと思います。

ヒトは他人がいるからこそ、自分を知ることが出来、
他人の行いから自らの学びとして生きる生き物だと私は思っています。
私はこれまで他人を見ようとはしていなかったのかもしれません。

チームで進めるからこそ、チームとしての成功も在り、失敗も在る。
失敗したとしてもその時の自分たちの力量を図ることが出来、
それを良き成長の糧として出来ればと思って大事に行動
しています。

私たちは社会から仕事を頂いています。
仕事を通して自分の成長を願いますが、
自分だけのものではない、仕事は会社のものであり、社会のもの。

このことを忘れることの無い様に、大事にしていきたいと思います。

                           コンシェルジェ
                           瀬口 拓郎


「水の必要性」

2010年5月31日

こんにちは、営業部の田上です。

先日、友人から体調管理の一環として
一日2リットル程度の水分補給が必要だとアドバイスを頂きました。
人間の体内からの水分排出量は
静かに横たわった状態で一般的な成人男子で、
1日2,3リットルもの水分が何もしなくても
排出されるのがその理由だそうです。

健全な身体の活動を維持するためには
絶えず人間は水分補給し、循環させる必要があり、
水の循環がスムーズにされている間は生命活動が保たれ、
この循環が滞ると生命活動がストップしてしまうということになるそうですが、
日本語にある「瑞々しい」という表現にも関係しているように感じます。

体内での水分の役割はとても重要な存在で
例えば、体内で起こる化学反応はすべて、
水に溶けて初めて進行することや栄養物やホルモンなどを溶かし、
血液などの形で身体全体に運搬するのも水であること、
体温を一定に保つ上でも重要な役割を果たしていることは
よく知られていることだと思います。

人間の身体の60%は水であることは
よく聞く話しですが、身体の部分で説明すれば、
血液の90%が水分、脳の80%が水分、網膜の92%は水分で
成り立っているとのことでこれは人間に限ったことではなく、
トマトであれば90%が水分、リンゴは85%、魚は75%が水分だそうで
人間だけではなく、地球上のすべての生命体に
とって水との関わりの重要さを感じます。

そんな水のことを考えると
今飲んでいる水はどこからきているのか。
地球の表面の3分の2が水に覆われていますが
そのほとんどが海水で、海水は飲料水にも生活水にも適さないため、
つまり3%の水で地球上の68億人の人間の命をうるおしており、
この3%の水も水蒸気や地下深くに沈む地下水、南極や北極の雪や氷など、
ほとんど現実に使用されることのない状態で存在するため、
人間が直接使用できる水はたった全体の0.0001%に過ぎないとされています。

地球の水は太古の時代からほとんど変わることなく、
ただただ地球規模での循環を繰り返しているだけで、
地球に降り注ぐ雨の量もほとんど一定量で、地球誕生と共につくられた水は
20億年程前から現在まで同じ循環を繰り返しているだけなのだとありました。

この貴重な水ですが人は太古の昔から
水辺に生活拠点を置き、水と共に文明や民族の発展を遂げてきました。
現代では水の使用量が文化のバロメーターとして例えられるほど、
文化的な生活になればなるほど、水を多く使用し、
先進国の人が日頃の生活の中で洗面したり、洗濯や食事する
基本的な営みで使用する水の量は235リットルにもなり、
更に高層ビルや大病院、ホテルなどなど水使用量は
都市を構成する重要な要素であることから、
都市環境で使われる水も合わせると
先進国では1人1日あたり400~500リットルの水を
使用していることになるそうです。

WHO(世界保健機構)によれば
発展途上国など人間が人間らしい生活を送るための
最低限の営みに必要な水の量が、1日5リットルだとされています。

友人からのアドバイスを頂き、
水という存在を改めて知っていく上で、
身体にとって水分補給の大切さや、水の質が問われてくること、
発展途上の国々と比べ、大量の水を使用する先進国としての責任も実感します。

そして命の源である水を、
綺麗な水を愛する子ども達へ残してあげるためにもまずは、
自分の生活の中で使用している洗剤やせっけんなど環境に配慮したものを使用し、
自分から離れた水が自然の中でなるべく綺麗なまま循環されるためにも
使い続けたいと思います。

                           オルタナティブコンサルタント 
                           田上 貴士