至誠

今年も無事に山口県の萩にある松蔭神社を参拝することができた。

この一年を振り返り、どれだけ自らの志を養いそして実行できたのかなども松蔭先生の心の故郷の足跡を辿りつつ厳かな憂いを共感していると不思議といつも有難い邂逅が得られている。

色々な時代には環境や価値観が変化し色々な生き方があるけれど、古来、人として不動の在り方としての真心と実践を中心に逝きぬいた方の魂は時を超えていつも私たちの心に甦ってくる。

想えば不器用ながらも激しく実直な人生を送り、その行動力と純粋な感応力により様々な出来事を自分の中に容れ、そこから自らの命を極めて活かしきった人生を学ぶと自然に涙が込上げて来る。

もうすでに私は33歳になりすでに松蔭先生の亡くなった年齢を越えているのだけれど、年々その至純の思いに志の美しさと深い愛を感じて魂が揺さぶられる。

もしも今、この方が生きていたら、何が何でもお会いして色々と子ども達のこと、世界の行く末などを話してみたかったと松下村塾を観照しながら感慨深く思います。

松蔭先生が座右にした言葉の中でかの孟子の一文がある。

「至誠而不動者未之有也
 有也此語高大無辺乃聖
 訓乃連と吾未能之信也此
 度此語の修行仕る積也」 松蔭

解説として、「この上ないまごころを尽くして動かし得ないものは、いまだかつてなかったことである。この言葉は、はてしなく高く大きい聖人の教えではあるが、自分はいまだにこれを理解し信ずることができないでいる。このたびは、この言葉について更に追求し、修行をするつもりでいる。」とある。

この冒頭の一文「至誠にして動かざる者、いまだこれあらざるなり」こそ孟子の遺訓。

松蔭は、この孟子が語るあの「至誠」の一字を自らの人生に於いて明らかに学びたいと欲し様々な艱難の道を独り揺るがない決意で最期まで立ち向かった。

そしていよいよ30歳を迎えそうな時、こういう言葉を書き記している。

「吾れ学問二十年、齢また而立なり。然れども未だ能くこの一語を解する能はず。今茲に関左の行、願わくば身を以て之を験さん、即ち死生の大事の如きは暫く置かん・・」

これは私の解説になるけれど、「私は学問をはじめてよもや20年になる。だけれども私はまだこの至誠の一字をよくよく実践して為し理解することができないでいる。今ここにまた自分にとって二度とないような大きな艱難が待ち受けている。願うなら、至誠を学ぶためにこの身体をもってこの機会を験そう。それを学ぶため、私は生きるや死ぬなどのことは二の次にしよう。」というようなものだろう。

人が生きていく中には「道」がある。

論語にも、「明日に道 をきかば、夕べに死すとも可也」とある。

自らが究めたいその道の先には、生死をも厭わない。
それほど、この学問の20年の中で学問により命が実っているのを私は感じる。

松陰先生は、最期の最期まで自分の真心が天に通じるのか、そうでないかを命を生き切り一期一会に求めた道であったのではないかと私は思う。

学問とは何か?

ここから私は、松蔭先生の本当の示した人間学問への道を気づかせていただけている。

人は、どんな出来事からも道さえあれば、志さえあれば学ぶことが出来る。
私自身、振り返るとまだまだ何も理解しておらず、まだまだその真意すらもよくは腹に落ちていないでいる。

そうやってこの時代を過ごしていても、眼前の子どもたちの危機は変わりはしない。

私自身、何よりもこの孟子にある不動の真心を尽くせるよう常住坐臥に勉めていきたい。何かことがあってからではなく、事があっているときのこそこの不動心が世の人たちを導けるようにどんな出来事にも正対して学問を究明していきたいと思う。

今年の最期にこの松陰先生の「志」で締めくくりたい。

「天地には大いなる徳があり、君父にはこの上もない深いめぐみがある。
 天地間に存する至高の徳に報いるには、まごころをもってすべきであり、
 君父の深いめぐみには、全身を賭して報いるべきである。
 今日という日は再びめぐってこず、この一生も二度とはこない。
 報恩のこと成し終えなければこの身を終えることはできない。」 藤寅

1856年10月23日 吉田松陰 筆

志は、君師への忠孝を以て来年の自らの生き様を鑑みたい。

感謝