お水は薬

薬のことを深めているとお水に辿り着きます。万物全ての薬の根源はお水ということです。そもそもお水は私たちのいのちの源です。お水がなければ私たちはこの生命を維持することもできません。だからこそ、お水が薬となります。そしてお水は単一の存在ではなく、お水は千差万別にあらゆる姿にカタチを変えてその時々のいのちの一部となって私たちの生命を巡ります。

結局、どの薬草もまたお水が土と和合して生成したものであり、その薬草もまた人体に取り込む時にはあらゆるお水と和合して溶け合うものです。お水こそ、私たちの根源ということです。

今年は私の一文字は「水」としていますが、お水の持つ力には驚嘆するばかりです。深めても深めてもその奥が底知れず、好奇心は尽きません。

もともと私はお水を薬として認識したのは、若い時に体調を崩した経験からです。その時は、何も食べれなくなりお水も飲めなくなりました。その時にせっかくだからと日本中のお水を取り寄せ飲み比べていたら飲めるお水があったのです。その時に、お水は一つではなく唯一無二であることを学びました。その時々の体調や心境、精神状態でも和合できるものとできないものがあると。そこからお水にこだわる人生になりました。今でも、料理別にお水も変えますし炭も変えます。お鍋に向くもの、お蕎麦に向くもの、蕎麦湯一つでも飲んだ後の身体の変化はまったくお水で異なるのです。

李氏朝鮮時代の医師、許浚が記した東医宝鑑にお水を分類わけしたものがあります。具具体的には、「井華水(せいかすい)、寒泉水(かんせんすい)、菊花水(きくかすい)、臘雪水(ろうせつすい)、春雨水(しゅんうすい)、秋露水(しゅうろすい)、冬霜(とうそう)、雹(ひょう)、夏氷(かひょう)、方諸水(ほうしょすい)、梅雨水(ばいうすい)、半天河水(はんてんがすい)、屋霤水(おくりゅうすい)、茅屋漏水(ぼうおくろうすい)、玉井水(ぎょくせいすい)、碧海水(へきかいすい)、千里水(せんりすい)、甘爛水(かんらんすい)、逆流水(げきりゅうすい)、順流水(じゅんりゅうすい)、急流水(きゅうりゅうすい)、溫泉(おんせん)、冷泉(れいせん)、漿水(しょうすい)、地漿(ちしょう)、潦水(ろうすい)、生熟湯(せいじゅくとう)、熱湯(ねっとう)、麻沸湯(まふつとう)、繰絲湯(そうしとう)、甑氣水(そうきすい)、銅器上汗(どうきじょうかん)、炊湯(すいとう)」です。

この分類は、お水そのものの化学的違いではなく「どこから来たか」「どのように存在しているか」「どのように変化したか」という観点で水を捉えています。

まずはじめにお水は「天から来るもの」と「地から来るもの」に分けられます。そして春雨水や秋露水、臘雪水などは天からもたらされる水であり、季節や気候の影響を強く受けた「天の気」を帯びるとされました。また井華水や泉水、海水などは地に由来する水でありその土地の性質や環境の影響を受けた「地の気」を持つとされます。お水は天地の間にありますが、そのどこで採取するかで性質が全く異なるとするのです。

そしてお水は「動き」で分けます。順流・逆流・急流といった流水の違いは、水の中に宿る気の巡りや勢いを表し体内の気の流れと対応づけて考えられました。流れるお水がどこを通ってきたかということも大切で、屋根を伝った水や木の中に溜まった水などは、その経路にある物質や環境の影響を受けて性質が変わってしまうとしたのです。

次に甘爛水や生熟湯のように意図的に人が攪拌したり混合したりして作られる水は、すでに「薬」として治療目的に応じて性質が調整されたものとあります。他にも蒸気が凝結した水や器物に付着した水滴、あるいは穀物や土などから生じた水などもあり、お水は他の物質との関係や変化の過程でも変わるとするのです。

お水の変化を的確にとらえ、そのタイミングで性質が変化する。それを薬として用いるとするのです。

お水のことを深く理解することが、薬道の第一義です。私はお水とのご縁が深いので、性質をさらに学び直していきたいと思います。

命根と世根

福岡県飯塚市赤松にある「むかしの五穀田」の田んぼの準備をはじめました。霊山、関の山の吹きおろしの爽やかな風を浴びながらの農作業は格別です。田んぼと共にある古民家和楽の御蔭で、農作業の休憩がとても癒され仲間たちとの時間もさらに豊かになりそうな予感です。ご縁というのは有難くいつも絶妙なタイミングに包まれます。

思い返せば子どもたちのためにと千葉県神崎で自然酒の寺田本家の酒米を一緒につくる農家と冬季湛水の無農薬無肥料で一緒にお米づくりをするご縁から今では故郷で同じ道を続けています。

昨日は、美しい関の山からのお水をこれからどのように管理していくかを調えました。澄み切ったお水があってはじめて美味しいお米になることを再実感しました。

昨年参加してくださった多くの徳積仲間たちが安心してお米づくりができるように色々とこれから場を磨いていきます。

「自然真営道」という著書を遺した江戸時代の人物に安藤昌益さんという方がいます。この方は、自然や人とは何かということを突き詰めた人物です。私は同じ時代の三浦梅園先生を尊敬していますが、この安藤昌益さんのことも尊敬しています。

あまりにも普遍なこと言い、時代的にも進み過ぎている思想を持つ人たちはその時代には認められ受け容れられるものではありません。しかし300年経った今になると、その思想や実践が如何に今の時代に必要なことかがよく分かります。時が真実を証明するのです。

三浦梅園先生の300周年では国東半島にある生家でシンポジウムをして学び直しましたが、むかしの五穀田では安藤昌益先生を改めて仲間たちと学び直してみようと思っています。

まず自然真営道とは何か、これは読んで字のごとくで「自然とは、真実の営みという道である」ということ。では営道とは何か、それは「互生」であるといいます。例えば、天と地、男と女、雄と雌など二つが一つであるということ。つまりお互いがお互いを活かし合って存在になっていることといいました。

原文はこうあります。

めうハ互性ナリ、だうは互性ノかんナリ。是レガ土活眞ノ自行ニシテ、不教ふけう不習ふしふ不増ふぞう不減ふげんひとルナリ。故ニ是レヲ「自然」トフ。

私も同感で、水は二つの性質が一つで水となります。絶対零度で固まるものと固まらない水があるといいます。火も燃えている眼に見えるものと、遠赤外線のような見えないものがあります。二つが調和しあって一つになるところに互生の真理があるのです。

そして安藤昌益先生は、ここから人の互生の道として「直耕」の実践を説きます。

是レ活眞、無始・無終ノ直耕ちよくかうナリ。故ニ轉定くわいじつせいげつ八轉八方横逆ニ運囘うんくわいスル轉定ハ、土活眞ノ全體ぜんたいナリ。

故ニ活眞、自行シテ轉定ヲツクリ、轉定ヲ以テ四體したい四肢しし府藏ふざう神靈しんれい情行じやうかうト爲シ、つね通囘轉つうくわいてん・横囘・逆囘央土ト一極いつきよくシテ、逆發穀ぎやくはつこく、通開男女ヒト、横囘四類、逆立草木ト、生生直耕シテやむコト無シ。

故ニじんぶつ各各かくかくことごとク活眞ノ分體ぶんたいナリ。是レヲ「營道えいだう」ト謂フ。故ニ、八氣互性ハ自然、活眞ハ無二活むにくわつ不住一ふぢゆういつノ自行、じんぶつ、生生ハ營道ナリ

安藤昌益先生は「人はまず自分の食べるものを自分で耕し生産する農を営むことがあってこそはじめて自然となる」としました。その中に人類の真の平等は存在すると言い切りました。自分で耕さなくなると不耕貪食になっていくと。そして直耕し農を実践することで互生を通してお互いに活かしあい真の営道になると説きます。それを「活真人」となるともいいました。

活真人の互生によってのみ自然の世を実現するとしそれが永続してこの地球で仕合せに生きる智慧であるとしたのです。しかしこれをそのまま説くことは、あまりにも本質的過ぎてその時代も、いや今の時代も危険思想や狂人と呼ばれるものかもしれません。

例えば、今でも呼吸さえ調和していればすべての生物の病気は治癒するなどといえば奇人や詐欺だと言われたりするのと同じです。真実というものは、真実であればあるほどに都合が悪いものを浮き出させるものです。

「むかしの五穀田」に話を戻せば、田んぼでは稲を育てます。稲のことを安藤昌益先生は命根(いのちのね)といいます。これを略して命根(いね)です。人は稲の精から生まれ、稲を食して命を養うから、稲は命根(いのちのね)となるとし、またお米のことを世根(よのね)と書いて米(よね)呼びます。人は耕して米をつくり、これを食して人の世をつくることから、米は世根(よのね)となる。

自然真営道を學ぶことは、この命根と世根を創造し共生する社會を甦生することでもあります。私はこの自然真営道をかんながらの道で綴ります。

ということで、これからまた徳積仲間を集めて場をつくります。4月15日には最初の耕耘をはじめ苗床づくりをします。田植えは6月下旬の予定です。今年は、自然農法のお米と自然農のお米、古代米、地域のお米の5種類を育てる予定です。

共に学びたい、また子どもたちのため徳を譲りたいと思うご縁のある方々はそれぞれに準備をお願いします。

桜の徳

樹齢230年の桜を見守っていると、時の流れを感じるものです。最初は小さな苗木から老木と呼ばれるほどの風格を持っています。同じように四季を巡り春には花を咲かせ、今も花を咲かせます。

その花を眺める人は変わっていきますが、花は誰が来ようが来まいが咲かせます。

230年の歳月を考えてみると、人間であれば苗木の時が初代としても少なくても5代目以降の子孫が今の桜を観ることになります。そして同じように200年後にはまた10代目以降の子孫が観るのでしょう。

桜を守るということは、どの代がやってきたのと同じように桜と寄り添い生きていくということでしょう。

私はある意味天命として古民家を甦生しています。それまでの暮らしをお手入れしてそのまま今に温故知新して子孫へと伝承しています。

その中で代が継がれていくというのは、その暮らしや生き方を守っていくということです。代々がそれぞれに桜を見守ってきたように、自分も桜を見守るのです。

もしも自分の方が桜よりも長生きだとしたらどうするでしょうか。もしも自分の寿命が1000年あり、桜が500年だとしたらどうするでしょうか。

きっと、私なら桜の苗木を育て見守るでしょう。それが途絶えないように、また美しい姿で生き続けられるようにと場を調えます。今は桜の方が長生きですから次の人間が現れてくれるように美しい心を育て見守っているのでしょう。

人の心の中にこそ、桜の徳は存在するのです。

結局、関係性いうのはお互いが見守り合いバトンを渡していくように伝承されていきます。

伝える側と、承る側の一生の契りと一期一会です。

美意識というものは徳意識でもあります。

長い歳月の中でどちらかが先にこの世を去ったとしても美しい心の風景を見守り合っていこうとする譲り合い、救い合い、分かち合い、許しあう慈愛の真心です。

桜との出会いを大切に生きる日本人が多いこと、先人たちの真心にただただ感謝です。

節目に思う

本日、50歳の誕生日を迎えます。氣がつけばもう季節の巡りを50回も過ごしてきたのかと実感します。春夏秋冬、季節ごとの物語があり味わい深い記憶ばかりです。すでに亡くなってしまった師友も仲間も家族もいます。そして新しく産まれてくるいのちや今のご縁に恵まれます。

人生の一生というものは、今、何を感じているかの連続です。

結局、年齢は一つの基準でしかなくどう生きてどう死ぬか、つまりは生き方とあり方のようなことだけが一つの人生の姿であるということでしょう。

思い返してみると、私はいつも人に恵まれてきました。色々なご縁をいただき、節目節目には道に導いていただきました。そして場所にも恵まれ、時にも恵まれました。恩恵をいただいているのは誰の御蔭であろうかと想像するとき、これはご先祖様が蒔いてくださったよき種であることがわかります。

永い時間をかけて蒔いてきた種が、子孫の時に花開き実をつけます。私はその一部をいただいているだけですが、それが数々の恩恵をいただける理由になっています。

だからこそ、徳を積むことの大切さに氣づき少しでも今いる場、今の人々、今の時によい種を蒔きたいと願うようになりました。

あとどのくらい生きられるのか、自分にはわかりません。ひょっとしたらあっという間にこの世を去るかもしれませんし、長生きする運命を持っているかもしれません。

今の心境は、いつか英彦山で孤高に咲くあの守静坊の一本桜のようにいつまでも凛とありたいと願うのみです。

人生はどんなに偉い人でも、仙人のような人でも、一般の人でも誰でも平等に終わりが来ます。きっとその時が来たらあっけないものでしょう。しかし、甦生は続きますしいのちは永遠に巡り続けます。だからこそ、今何ができるのか、そしてどうあるのかは与えられた唯一の恩恵に報いる時間になるのです。

ここから先も、自分ができることはほんの小さなことだけかもしれません。しかしそのほんの小さなことも時間が経てば成長し、大きくなるかもしれません。そして多くの人々、子どもたちに徳を遺していけるかもしれません。

いただいている感謝を忘れず、丹精を籠めてこれからの残りの人生を使わせていただきたいと思います。

これまでの数々の恩恵に感謝します。これからもよろしくお願いします。いつもありがとうございます。

生き方の先生~サクラの智慧~

英彦山守静坊の枝垂れ桜がまもなく満開を迎えます。そして満開の後はいよいよ静かに散り始めます。

桜はどうしても満開ばかりを見る機会が多いと思いますが、桜守をしていると最初の咲き始めから終わりまでの散り際をずっと見守っていますからそのどの場面も一期一会を感じて学び直し、感動することばかりです。

特にこの枝垂れ桜の散り際の美しさは、信仰やいのりの場にある桜だからこそ偉大な智慧や教えを味わえます。

もともと日本人の美意識には散り際の美学のようなものがあるといいます。人生の終わりからどう生きるかという死生観のことです。

私たちの先祖たちは「生き方」というものを何よりも大切にしてきました。これは何を人生の初心にして何のために生きるのかという生きる姿勢のことでもあります。

一生懸命に真摯に生き切って、潔く静かに美しく散ってまた新たな甦生の循環となる。

古来から桜にはそのような雰囲気があるものです。

修験道発祥の地、山岳信仰の中心であった英彦山にひっそりと咲く守静坊のいのりの一本桜はまさに今の時代の人間が憧れる生き方の智慧の結晶のようです。

今週末にかけて散っていきますが、2日には満月を迎えます。夜桜の美にもまた智慧が隠れています。この枝垂れ桜は全方向、全時間、全受容、全存在で味わえます。

宿坊の甦生からますます元氣になっている奇跡の彼岸桜から季節の巡りと一緒に心の持ち方も学び直していけるといいですね。

 

 

英彦山枝垂れ桜の物語

英彦山の守静坊の枝垂れ桜は少しずつ開花をはじめています。この唯一無二の枝垂れ桜の物語を少しご紹介してみようと思います。

もともと守静坊のしだれ桜が英彦山の地に植樹されたのは今からちょうど二百三十年年前のことです。この頃の英彦山には約三千人以上の修験者たちが英彦山の中で暮らし宿坊も八百坊ほどあったといわれます。当時の英彦山はとても参拝者で賑わっており、坊家の山伏たちは薬草で仙薬をつくり、信仰者へのお接待やご祈祷や祭祀、護符の授与や生活の知恵の指導などを生業として暮らしていたそうです。

時代の変遷を受け、今はその様子は失われていますがその当時の面影のままに今でも清廉に咲き誇る「しだれ桜」が守静坊の敷地内にあるのです。時代を超えて生き続けている存在の御蔭さまで私も甦生に取り組むことができています。

この守静坊の枝垂れ桜の特徴は、「澄みきった可憐さを持つ花びらと、鳳凰のように羽を広げた姿はまるで今にも飛翔していきそうな姿」です。実際には樹齢二百三十年以上、高さ約十五メートル、幅約二十メートルほどあります。

品種は、「一重白彼岸枝垂桜」といいます。この名前には日本人の自然観と死生観がある象徴的な桜ともいわれています。この「彼岸桜」は、春のお彼岸の頃に咲くことから名付けられ、此岸(この世)と彼岸(あの世)をつなぐ存在として、古くから先祖供養や浄土思想と深く結びついてきました。

そして「枝垂」は枝が下へと流れるように垂れる姿を指し、その形は水や柳を思わせ古来より霊性や神聖さを帯びるものとされ寺社に多く植えられてきたものです。純白の透明感のある「白」は清浄や浄土を象徴する色であり彼岸という概念と重なることでより一層あの世への祈りや鎮魂の意味が入ります。

また「一重」は花びらが簡素で原初的な形であることを示し人の手による装飾性よりも自然そのものの美しさを宿しているともいわれます。これらすべてが重なり合ったという意味で「一重白彼岸枝垂桜」という名前になっています。

この世とあの世の境界に静かに佇み、亡き人への想いをそっと託すような、日本的精神性を体現した桜がこの守静坊の枝垂れ桜なのです。

そして言い伝えでは、江戸時代の文化・文政年間に(1804年~1819年)に当時の守静坊の坊主である守静坊普覚氏が二度ほど、英彦山座主の命を受けて京都御所へ上京しました。その時、京都祇園にあるしだれ桜を株分けしたものを持ち帰りこの英彦山に植樹したといいます。

昨年、故あってちょうど福岡にお越しになっていた平安時代末期から続く公家の家職であり代々宮中の装束を担当してきてこられた若宗家の山科言親様に浮羽の私が甦生している古民家でお会いするご縁をいただきました。その時に「元々は祇園桜の発祥は、京都円山公園にある山科家の宿坊の敷地内にあった枝垂れ桜だったんです」というお話をお聴きしました。その時の出会いの感動は大きく、時代を超えて桜を通して繋がる人々の関係があることに感謝したことを今でも覚えています。

守静坊ではこの枝垂れ桜の開花時期に、英彦山と場にご縁のある方々や檀家さんたちが集まりご先祖さまの供養を行う年中行事その後に行われてきたという伝承があります。それを新たに甦生して、今の時代に本質は変えずに桜を喜ばせるような年中行事「サクラ祭り」として私が実施しています。

昨日も大量の落ち葉を桜の養分にと作務をしていたら何処からか桜を観に来る方やお花見のお電話が入ってきました。どの方々もこの守静坊の枝垂れ桜を観て感動した、魂が震えた、桜との出会いが忘れられずにまた来たいと足を運んでおられました。

桜は凛としてただ自分の花を精一杯に咲かせているだけですが、その姿そのものあるがままの徳が人々の心を癒し清め、繋がりを保ち今でも心を救っています。

私もこの枝垂れ桜のように生きたいと、人生の大先生と慕い桜守をさせていただいているところです。きっと満開と見頃は今週末から来週末くらいまでではないかと思います。

英彦山はちょうど上宮の工事も終え、お山も次第に調ってきました。桜と共に皆様にお会いできるのを心から楽しみにしています。

https://www.crossroadfukuoka.jp/event/15519

お彼岸への伝承

日本の伝統的な行事に「お彼岸」というものがあります。これはインドや中国にはない日本で発展した仏教行事です。盂蘭盆会はインドからのものです。春分と秋分の間にあるのが彼岸で、夏にあるのが盂蘭盆会です。

そもそもお彼岸とは何でしょうか?

お彼岸の「彼岸(ひがん)」は仏教の言葉で「向こう側の世界」といいます。「あの世」ということですね。それに対して私たちのこの世界は「此岸(しがん)」といい「この世」のことです。

春分には太陽がほぼ真東から昇り、ほぼ真西に沈みます。そしてこれは秋分も同様です。この春分・秋分が日没の方向が一年の中でもっとも明快に「西」を意識することができます。

阿弥陀仏の説く極楽浄土は西の方角にあるといい、「阿弥陀の浄土は西方、十万億の仏土を過ぎたところにある」とされてきました。だからこそ西を向くこと自体が、極楽浄土へ心を向ける行為になっていたのです。

春分と秋分の時期は、太陽が真東から昇り真西に沈みます。その瞬間にあの世とこの世が結ばれると先人たちは実体験で味わったのかもしれません。中庸、バランス、調和、あちらとこちらも渾然一体になった時、そこに天地和合心、極楽浄土が観えたのでしょう。

英彦山の守静坊は、祭壇から玄関に向けて西を向いて建っています。私はいつも宿坊に来ると、夕方はいつも夕陽を眺めてはずっと祈ります。西から差し込んでくる澄み切った金色色の柔らかな太陽の光が「真摯に一日、そして一生を終えるいのちのご供養をしている」ように実感するからです。

輪廻転生、何度も循環し巡りくるいのちの調和は誰が何のために行っているのか。私たちはいのちがある御蔭さまでさまざまな体験ができています。それもまたご先祖様が結んで繋いでくださった一期一会のいのちです。

「在る」ものに眼差しを丁寧に向けてみると、感謝の世界が顕現してきます。

極楽浄土は何処にあるのか、それは感謝の中にこそということかもしれません。

人は朝に太陽を拝み、夕陽に太陽に祈ることで感謝の世界を味わえます。世界のいのち、そして人類が平和でありますようにと感謝でお気楽極楽に真心の暮らしを楽しむ。平和とはいつもかくありたいものです。

今日も、英彦山の守静坊ではご縁のある方々と一緒に先人や先祖を偲び、歴史を学び直してみんなで読経してお香を焚いて、しだれ桜のご神木にしめ縄をはります。

お彼岸の有難さに感謝しながら過ごす一日にしていきたいと思います。

場と道

「場が育つ」という言葉があります。植物や動物をはじめすべてのいのちが育つように、場も育ちます。この「育つ」という言葉の語源は、赤ちゃんが産まれることの会意文字でもあり、日本の古語の「生ひ立つ(おひたつ)」が由来だともいいます。つまり「時間をかけて成熟していく」ということです。

植物であれば、最初に土を定めそこに種を蒔きます。すると新芽が出て花が咲き実をつけては種になります。この自然の循環そのものが時間の成熟です。そしてそのいのちのめぐりそのものの働きを場とも呼びます。

場が育つというのは、自然全体で行われている循環が場に凝縮され顕現するのを実感するということです。

そしてその場の中には、人だけでなく風土や暮らし、そして歴史や文化、伝統や伝承などあらゆるものが有機的に結ばれて離れているものがない状態が繋がっています。その分けられていない、一物全体のような境地を「場」と私は呼んでいます。場は言葉で語れるものではなく、場で感じるものです。

場には道があります。

この道とは、歩んできた道のこと、つまりは時間をかけて成熟してきた道のりのことでもあります。人間は、視野を広げ、意識を高め、宇宙をはじめ全体と結ばれ、心を磨いて徳を調えると「道」の存在に氣づくものです。

道を感じるための入り口には、必ず「場」があります。

そして場を感じるのには兆しがあります。この兆しは、木々が清々しい花として変化したり、風や空気感が変化したり、水が綺麗に澄み渡ったり、光が揺らいだりといった自然現象の変化として顕れます。

人間は理想を抱き、謙虚に先人たちの遺徳を継承し、丁寧に誠実に実践を積み重ねるときに場の種は次世代へと蒔かれていくものです。

子どもたちのためにも、脚下の場を調えるような実践を積みかさねていきたいと思います。

ということで、来週は徳積堂(飯塚市有安)のある鳥羽池(八龍権現池)の桜から場を学び、再来週は守静坊(添田町英彦山)の230年の枝垂れ桜から道を辿ります。

この場と道に、ご縁のある方々のご参加を心から楽しみにしています。

むかしの五穀田

先日、故郷でついに農業委員会の許可を経て正式に農業を営む人になりました。そして2026年3月5日、無事に新しくご縁をいただいた田んぼで初心と覚悟を魂串に載せて綱分八幡宮の宮司様と一緒に「地まつり」を行いました。美しい棚田と霊山関の山を仰ぎ、澄み切った風がお山から吹き下ろされ一期一会の清らかで純粋なお時間を過ごすことができました。

このような素晴らしい風景がある場所の田んぼとご縁をいただけたこと、心から地縁神恩に深く感謝しています。

ちょうどこの場所は今から5年前に江戸時代の古民家を甦生した「和楽」(わら)があります。懐かしい未来の和の暮らしを実践する暮らしフルネス道場の一つです。この歴史を生きる古民家和楽とその庭先にある田んぼがきっと子どもたちの未来に確かな徳を智慧を伝承してくれることと信じみんなで予祝をしました。

5月の田植えころには、徳が循環する結づくりのコミュニティの仲間や縁者の皆様といにしえから続く音や楽、そして食や幸福を感じる神事を実施する予定にしています。

思い返せば、私が無肥料無農薬のお米づくりをはじめたのは2011年の東日本大震災の時です。もうすぐ3月11日、いつまでも大切なことを決して忘れない日と決めているこの日が近づいてきました。あの震災を私は東京で被災し、多くの犠牲者がでて天災と人災の違い、悲しみから犠牲者の追悼をしました。今でもあの体験を、あのメッセージを受け取った一人として忘れないぞという覚悟で田んぼに向き合ってきました。

そこから千葉県神崎にある神崎神社の麓にある田んぼをお借りして14年間無肥料無農薬でお米づくりを自然酒の寺田本家の酒米をつくっていた見事な農家さんと共に歩んできました。そして昨年、福岡県朝倉にある大己貴神社の麓にある田んぼをお借りしそこで仲間たちにお声がけして一緒に無肥料無農薬で手植え手刈り稲架かけでお米をつくりました。そしていよいよ本年から福岡県飯塚市(旧庄内町)にて田んぼを取得しこれまでの集大成としてこの場を天命と定めました。

田んぼの命名は「むかしの五穀田」としました。

これはこの地域の氏神様が五穀神社であることからです。

この五穀は古来、日本の食文化の根幹をなし、米を中心に麦・粟・豆・黍(稗)などが挙げられました。日本人の精神の真髄その根源には常に『五穀豊穣を祈る』文化があります。

むかしとは、懐かしい心の風景のことをいいます。

古代より今まで私たちは生きるために食べてきました。食べるというのは、ただ食事をすることをいいません。共に仕合せに生きるために、共につくり、共に生き、共に助け合い、共に笑い合い、共に暮らす、共生と幸福の原点をいいます。

むかしから変わらないもの、変えてはならないもの、それを守ることが、子孫やこの地球の人々の過去と未来と今を見守ることにもなります。

世界が渾沌として戦争前夜のような重苦しい空気の中であっても、どう生きるか、どういう生きざまをするかは自分で決めることができます。

日本には「和合」という言葉があり、「和楽」という生き方もあります。

和をもって尊しとなすといった、聖徳太子、そして和の系譜を生きた尊敬する先人たちの先達者たち。その方々に恥じない生き方ができるようにこれから私も人事を盡して天命を喜ばせていきたいと思います。

これから「むかしの五穀田」を甦生して日子山を中心とする大和のクニから続く願いと祈りをしめ縄のように結っていきます。

皆様のご参加、賛同を心から楽しみにお待ちしています。

 

修行の本懐

忘己利他という言葉があります。これは天台宗の開祖、最澄様の残した言葉と生き方です。簡単に言えば、「自己を忘れ、他者の利益や幸福を第一に考えること」(山家学生式)そして最も目指す慈悲の極みこそが、この言葉であるともいいます。

原文ではこう記されます。「悪事は己に向かえ、好事は他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。」と。現代語訳にすれば、「どんな悪事も嫌なこともすべては自分が引き受けるといい、そして善いことであれば他者と分かち合え与えるのがいい。我欲や自我や自分などは忘れてしまい、人によかれと思うことをしつくしなさい。まさにそれこそが慈悲や思いやりの極みです。」と。

この反対の行為は我欲自利でしょうか。反対のことを書いてみればすぐにわかります。「嫌なことからすぐに逃げ、悪事はすべて他人のせいにし、善いことや手柄はすべて自分の力だと吹聴する。自分の利益だけを追求し、他者には一切それを分かち合おうとしない。目先の我欲や自我に呑まれ、執着を手放せず周囲に迷惑をかけつづける。それが無慈悲の極みである」

人間というものは、あっという間に初心や理念を見失うと道に迷うものです。道に迷わないようにするために、常に謙虚に内省を続け、素直にすべての人の話に耳を傾けて心を澄ましていき反省をしていきます。実践というものは、素直に自分の至らなさや誠が濁っていないかを確認しそれをすぐに改めることでもあります。

論語の中にこういう一説があります。

「子曰わく、君子重からざれば、則ち威あらず。学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ。過てば則ち改むるに憚ること勿かれ。」

これは意訳ですがこうです。「孔子は言われた、君子は軽々しい態度をとると威厳がなくなります。学んでいる人は謙虚になり頑固にはならない。真心を盡そうと精進することこそを最も大切な初心とし、自分よりも劣っている人たちを集めて囲われ、自分の気分がいいからとそれらの人たちを友達にしてはいけない。もしも過ちに気づいたのならすぐに改めることに遠慮などはいらない、間違いはすぐに直せばいいのだ。それが人として生き方である」と。

困難から逃げると嫌なことを逃げる人ばかりが集まってきます。困難を引き受けると、周囲は心の負担が軽くなり心安らかになっていきます。そして幸福や喜びを分かち合い、深い信頼関係と絆を得ることができます。それが恩恵を分かち合うことであり、忘己利他の極みなのかもしれません。

人は自分の利益のみを追い求めると、自利に走っていきます。自利とは自分勝手な欲望に呑まれることです。最澄様はまず自分勝手な欲望を手放すこと、それが修行の本懐であると言ったのかもしれません。

時代が変わっても人間の本質や性分はなかなか変わらないからこそ、自戒を持って歩んでいきましょうという今でも大切な道の生き方としての遺誡の一つになったのかもしれません。

私もかんながらの道の一人、そして目指す聴福人として、心で聴き対話を忘れない実践を続けていきたいと思います。