月心

昨日は中秋の名月で夜が神々しく輝いていました。特に、水面やススキ、そのほかの植物たちに反射して全体が照らされ暗闇が一層優しく映りました。この中秋の名月は、いつの時代からみんなで眺めるようになったのかと思いを馳せました。

あくまで空想ですが、縄文時代の人たちやまだ電気などがなかった時代、夜というのはどう感じていたのか。そしてその中にある月をどう観ていたのか。夜に静かになっていく空を見上げて、何を思っていたのか。

きっと現代とは、まったく異なる見え方をしていたように思います。月は観る人の心を映し出します。ある人は、大きいと観えたり、またある人は蒼いと観えたり、またある人はウサギがいるように観えたり、人によって観る心境を鏡のように映しだします。

千人いれば、千通りの観え方があります。

よく考えてみると、人の目は同じものはありません。私たちが太陽や月、そして色などもなんとなく共通したものを観ては同じだろうと認識していますがそれが本当に全く同じかというと怪しいものです。なぜなら、人間の目には非常に微細で通常には感じられないようなものを観ているものもあります。

それに心は、観える世界を変えていきますから同じものであるはずはありません。私たちが中秋の名月を眺めるとき、なぜ美しいと感じるのか。それはその心の中にある、微細なゆらぎを味わう感性と結ばれていることからのように私は感じるのです。

その証拠に、月を眺めたときに感じるものは色々と変化します。音も色も、味も、月をよく眺めたらその感覚が変わっていくのを感じるのです。そしてこの変化こそ、心の中の変化であることがわかります。

私たちは毎日、月を観ても、月は同じことはありません。月も変化し続けているのです。その変化を観ては、自分の心の中に移る観念を変化させていく。そこに無常の喜びや仕合せも、または心の住処もあるように思います。

中秋の名月をあとどのくらい眺めることができるのか。人生は一期一会です、仲間たちやご縁ある方々と共に月と共に心を清め磨き歩んでいきたいと思います。

お山の甦生

昨日は、英彦山でお山のお手入れをしてきました。水気が多く、澄んだ風に心身が安らぎます。この霊峰英彦山の味わいは、この風と水にあるというのが私がお山に棲んでみての感想です。

また守静坊はとても静寂です。夜は、鹿の甲高い音と虫たちの音が響き渡ります。朝になれば、鳥たちがさえずり、昼間は風で木々が揺れる音、また柿の実や栗の実が落ちてくる音が聴こえてきます。

このお山がもともと信仰の場であったことは、このお山の安らぎによって実感します。

人は安らぎを求めては、お山に来るのです。そのお山を大切にお手入れすることで、人々は心から救われます。そのお手伝いをするところこそ、お山に棲む人たちの大切な役割だったのではないかと思うのです。

どの時代も、どの世の中も、人々は苦しみや不安、焦燥や悩みをたくさん抱えるものです。時には、その苦労や心配が増えて命を絶つ人もいたでしょう。そういう人たちがどこに救いを求めてきたか、それがお山だったのです。

人がお山に入るのは、救いを求めるためです。その救いの形とは、安らぎであり、安心できる場としての心のふるさとの存在なのです。

ではなぜ、お山にいると心が安らぐのか。それは言葉にするのは難しいのですが、敢えて選べば浄化されるからでしょう。色々な垢や穢れ、他にも染みついたものや背中に乗っているものなどがお掃除されていくからです。お山が引き受けて、吞み込んでくれるからです。

とはいえ、そのお山の存在に気づいて気づかせる存在があることがとても重要なことだと思います。岩をみてもただの岩にしかみえない、お山をみてもただの山にしかみえない、海も、そして滝も物質としてのそれしか感じられないでは気づくことも少ないように思います。

それをちゃんとその存在を丸ごとを感じる人の手と声などによって、人は何かに気づくものです。その橋渡しをする存在こそが、本来の山伏ではなかったか、あるいは宗教者ではないかとも私か勝手に感じています。

私はどこの宗教宗派にも属さず、ただ礼を盡すだけで祈ります。しかしそれぞれの宗派がもっている文化は尊敬していて、信仰の実践には感じるものがあります。

元々の道の元は何だったのか。

これからもそれを突き詰めて、本来のお山の甦生に取り組んでいきたいと思います。

挑戦が目標

人生には壮大な目標があるのとないのでは、日々の暮らし方が変わってきます。もともと目標を辞書でひくと「ある物事をなし遂げたり、ある地点まで行きついたりするための目印。 めあて。」と書かれています。

似たものに道標というものもあります。登山するときや巡礼をするときに一つの目印にもなります。

そもそも、最初の道を切り拓く人たちはどのような目標をもって歩んだのでしょうか。未開の地や前人未到の地を歩む人たちにとっての道標や目標は何だったのか。

私も今、ブロックチェーンを使って徳積循環経済で変わる新しい経世済民の講を創造していますがこれはまだ誰かが実現したものではありません。自分なりに試行錯誤し、毎日のようにあの手この手で実践していますがどこがゴールなのか、そしてその登頂の景色が観えません。ひょっとしたら自分の代では実現しないかもしれないという気持ちさえもします。

しかし、誰かがやらなければ子どもたちや未来世代への徳を推譲していくことができません。もし私が尊敬する先人であれば、観て見ぬふりなどはできずきっとそれぞれにいのちを懸けて取り組んだはずです。当世代を生きる使命があるから、諦めるわけにもいかずあるようなないような目標や道標を歩くたびにその時々に配置しながら振り返りながら歩んでいます。

自分のなかでのこだわりや囚われが邪魔をしては、心を曇らせることがあります。その都度、祈り目覚めで暮らしをやり直すという具合に一歩一歩歩んでいきます。

大切なのは挑戦することで、挑戦することこそ目標であるということでしょう。

諦めずに日々に努力を続ける先にこそ、目標は顕れ続けます。目標を追い求めていく人生というのはおかしなことかもしれませんが好奇心というのはそういう苦労を追い求めているのかもしれません。

子孫のためにも悔いのないように、安らかに精進していきたいと思います。

一期一会の人生

フォレスト・ガンプ一期一会という映画がありました。主人公は、トムハンクスが演じていましたがとても好きな映画の一つです。あまり知能指数は高くなく、勉強ができる方ではありませんでしたが素直に自分の考えを大切に生ききるものです。

幼い時に、お母さんが教えてくれた人生哲学や大事な教えを守りその後もずっとそれをお守りに歩んでいきます。これは知識ではなく、知恵を大切にして生きたということです。

判断がすぐにできる能力の高い人が、幸福になるとは限りません。あくまで人生は知恵の集大成であり、その知恵の使い方のところに知識があるのです。

現代では、頭がいい人、知識が豊富な人、権威ある学者や権力者などが優秀といわれ評価されます。しかし人生を生きるとき、もっとも活用しているものは知恵であることは間違いのないことです。

人生は思っていること、願望などがありますがその通りにいくことが幸福とも限りません。毎日、奇跡は起きていてそれに気づく感性がある人は思っていないことに遭遇し、願望を超えた祈りのような境地に出会うことがあります。そしてそれは思い出や記憶として、自分の一期一会の人生を彩ります。

この映画は、そういうメッセージがたくさん込められています。例えば、セリフの中にもあります。

「Life was like a box of chocolates. You never know what you’re gonna get.(人生はチョコレートの箱のようなもの。開けてみないと分からない。)」

「You have to do the best with what God gave you.(神様からの贈り物を使って、ベストを尽くすのよ。)」

「I don’t know if we each have a destiny, or if we’re all just floating around accidental-like on a breeze(ぼくらにはみんな運命があるのか、ただ風に吹かれているだけなのか、分からない。)」

周りが決めたり先に思い込んだりするのではなく、その時々の出会いを大切にしながらその時々に自分はどうするのかを決めていく人生。知識で判断するのではなく、知恵で決心する人生。それは心で生きて、頭を使い行動するという生き方です。

人生は寄り道をすればするほどに運命を感じるものです。不思議なことですが、運命と奇跡は表裏一体です。それを一期一会ともいうのでしょう。

私の座右もまた一期一会です。ある意味、私は一期一会に救われる日々を送っています。

心は一つの奇跡を信じ歩み続けていますが、毎日膨大な判断をしては寄り道ばかりです。

子どもたちには、せっかくこの世に生を得ていますから素直に自分にしかない唯一無二の人生を歩んでほしいと思います。

市長との別れ

昨日、飯塚市の片峯市長がお亡くなりになりました。ブロックチェーンストリート構想をはじめ、色々と故郷を復古起新していくために一緒に尽力してきたのもあり志半ばでこの世を去ることになり心中如何ほどだろうかと思います。

最初にお会いした時は、同じテーマである教育の話で花が咲き、私が場をつくることの大切さを説き、片峯さんは国際化やICT化などの新しい教育環境の必要性を説いていました。教育に力を入れることは夢があることで、子どもたちが安心して学べる環境をどう用意していけばいいかなど示唆のある話で盛り上がりました。また、実際にその後に故郷の地方創生などで関わった方々が片峯市長の教員時代の生徒だった方も多く、その多くが市のため貢献したいと取り組んでおられたのが印象的でした。

また私が甦生した古民家に、東京からの移住者を受け容れる際にもわざわざ忙しい時間をさいてきていただき「こんな素晴らしい方に飯塚市民になっていただきありがとうございます」と握手をされておられました。

リップサービスも多い方でしたが、そのどれもが相手を喜ばせよう、気持ちよくなってもらおうと配慮したものばかりでした。そういう心のあたたかい方でしたので、きっと市政の難局や厳しいかじ取りに心を砕くことが多かったのかもしれません。

本当に、たくさんお世話になりました。今はただ、心安らかに穏やかにお休みいただきたいと祈ります。

これからの道の続きは、私たちで結んでいきます。最初の大変な道を拓いていただくのにご一緒できたことを幸せに思います。目を閉じると、笑顔で「よろしくお願いします」という声が聴こえてきます。

人はいつかこの世を去る時がきます。論語の子在川上曰、逝者如斯夫、不舎晝夜とあるように光陰矢の如し、時は瞬く間に過ぎ去っていきます。ご縁をいただいているからこそ、その時に報いていきたいと思うばかりです。

これからはいただいたものを故郷の子どもたちに橋渡していこうと思います。

月の心

この季節は、夜空の月をよく眺めるものです。夜半に目が覚めれば、家の隅々に月の光が差し込んできます。この月の光が強すぎては、気になってなかなか眠れません。この月の光は街灯のネオンなどとは違って、清らかに反射する真鏡の光のようです。

もともとこの中秋の名月はなぜ美しいかというと、秋の空気と月の適度な高さが関係しているといいます。この時期の空気は、水分量が春や夏に比べて少なく乾燥しています。それに月の位置も冬に近づくほど空の高い位置を通り、夏は低い位置を通ります。そして春は地上の埃などで月本来の明るさが霞んで綺麗にはみえません。月の通る高さと空気の水分量がより美しく観える条件になっているともいいます。それに加え闇夜に入っていく時間帯、またススキにはじまり枯れていく樹木や草たちがより光を反射させます。またものさみしく弱弱しく鳴いているコオロギや鈴虫、また水鳥たちの声の風情がより月を引き立てます。

この季節の月というのは、どこか日本の懐かしい原情緒や侘びさびを感じさせるものがあります。古来から月で詠まれた和歌がたくさんありますが、寂しさやせつなさを詠うものが多いのもその理由かもしれません。

私がその中でも月の詩でもっとも好きで肌身離さず手帳にはさんでいるものがあります。それは菅原道真公の詩です。

海ならず たたへる水の底までに きよき心は月ぞてらさむ

これは京都から九州へと向かうときに詠まれたものといいます。月の光が深い海の底も照らすように、曇りなき澄んだ心を照らしてくれるだろうという私心なき姿を詠まれたものです。

月の光というのは、私にとっては澄んでいるものの代名詞です。月の光は月そのものです。そして夜空の光のなかでもっとも私たちを見守っているのも月です。私は月の生き方に憧れ、社名もカグヤにしていますし、常に陰徳に憧れています。

月は私の心そのもの。

いつの日か、子どもたちに月を観ては心を澄ますような美しい場を譲り遺していきたいと思います。

人口の問題

世界は人口が80億人を超え、このままいけば2100年頃には160億人にまでなると予想されています。世界は先進国と発展途上国という言い方をしますが、先進国になっているということはそれだけ経済的にも裕福になっているということでそれは人口が増えているということになります。

例えば、現在はアフリカなども急速に発展を遂げ、最短で先進国入りをする勢いで経済を伸ばしています。インフラも、医療も、あらゆるものが先進国に追いつく追い越せのスピードで導入されて発展しています。

この背景には、資本主義経済によって未開拓のところを開発することで得られる利益があるゆえに競争しては未開の地を発展させていきます。結局、植民地支配を広げるのと似ていてそれが経済という仕組みで今も行われています。

ただ本来は、そういう経済とは無縁な自然と調和しているような小さな場所やそのままにしておけば特に問題もないような場所まで色々な理由をつけては先進国と同じ道を歩むように干渉していきます。

すると問題は、今の人口爆発につながっていきます。医療も食事も栄養もあっという間に便利に短期間で改善されるので人口も増えるのです。しかしこれはあくまで短期手的なもので長期的には人口は減っていきます。地球には限られた資源しかありませんから、人数が増えたら食べ物がなくなります。お金でどこかのものを買っても、それを作る人たちがいなくなれば食べ物は増えません。

小さな畑や田んぼしかないのに急激に大家族になった人数を養おうと思えば、どこか外から持ってくるしかありません。あるいは、工業化して大量生産する仕組みを考えるしかありません。

結局は、今の大量生産大量消費の仕組みはこの植民地化経済を世界の果てまで追い続けるのをやめないから発生しているともいえます。そして人口爆発は、その副産物でもあります。

だからどちらも両輪になっていきます。アフリカからすれば、飢饉もなくなり病気もなくなるのは有難いことです。子どもは家族を守る大切な労働者の一人として多子多産を続けていきますから、経済が発展するまで産み続けます。そうやって増えたら、今度は子どもを養うために経済をさらに追いかけるようになります。

そもそも何千年も同じように暮らしてきた場所に、別の価値観を入れたらもとに戻ることはできません。自然や野生の生き物を飼育するのと同じで、一度飼育してしまえば元の野生や山には戻せません。適応してきた力をなくしてしまうからです。

私たちはそういう意味では自然と共生し調和してきた力を捨ててきました。今さら元に戻れといわれても、身体も精神もそして社会も簡単に適応できません。

これは果たして本来の発展と呼べるものなのか、みんなで気づかなくなっていますがそれは子孫が証明することになります。発展と呼んでいるものこそ、実際には減退であり、科学を進化していると思っていることこそ、不自然を積み重ねているのかもしれません。

子孫のためにも、バランスを保ち続けられるよう本来の経済のあり方から換えていきたいと思います。

休み方

人は無意識に疲労を蓄積しているものです。疲労は休むことによって回復していきますが、忙しい現代において休むことができない人が増えているように思います。そういう私もいつも全身全霊で生きていますからつい休むことを忘れてやりきってしまいます。

しかし運動と同じように、過剰に走れば休まなければ走り続けることができません。全力ばかりだと、長くは走れませんから時折上手に休憩が必要になります。走り方ばかりを学び、そして走らされることばかりを教え込まれてきていますから休み方を学ぶということがとても大切なように思います。

世の中には休み方改革といってGWやお盆や冬休みといったの長期休暇と重ならないよう、各社や地方自治体が定期的に休みを確保できるような施策を図り、有給休暇の取得を促す官民一体の取り組みがあります。そこには具体的には、有給休暇の取得率向上や、休暇と絡めた地域創生、休暇の分散化による交通機関の混雑緩和などがありますがこれは本来の生き方に対しての休み方かというと違うように思います。

生き方を質量ともに大切に磨かれている人は、休み方も同様に質量ともに充実するということ。質量ともにメリハリがあり、生き方も休み方も一致するような暮らし方ができているということだと思います。

私たちが取り組んでいる暮らしフルネスには、この休み方というものも大切だと色々と取り組んでいます。心の静養をはじめ、いのちが喜ぶような時間、身体が安らぐような感覚、あらゆる休み方を磨きます。

私自身も、まだまだこの辺はバランスがととのわずに過去の頑張りで無理をしたツケが出ていることが多くあります。子どもたちが一生涯、道を健康に歩んでいくように改善を進めていきたいと思います。

ご縁の節目

ドイツでご縁のあった方が昨日から来庵しています。人の成長はあっという間で、見違えるほどで顔も身長も変わっていてはじめてお会いしたような感じでした。その時は、私の息子も一緒にお伺いしたのですがお互いに成長していて驚いているようでした。

子どもの頃の5年や10年は、まるで見た目は別のように変わってしまいます。それが大人になって年齢を経ていくと、20年も合わなければ色々とまた変わっていきます。

例えば、30年ぶりなどの方にお会いするとお互いに何が変わって今どうなっているのかを確認しあうだけで話はつきません。

不思議なことですが、一緒に変わり続けていく家族や仲間もあれば遠く離れてしまった友人たちもあります。時には、最後の別れになったようなものもあります。人生のなかで、出会いというのは本当に一期一会を感じます。

昨日は、息子たちは一緒に近況を語り合っていましたが見た目は違っても興味や関心などはそんなに違いがありませんでした。学校の話や成績の話、または趣味やスポーツ、音楽、アニメのことなど盛り上がっていました。お互いの国の違いはあっても、共通する感覚は似たようなものです。

自分の留学のころを思い出すと、顔も目の色も肌の色も体系も文化も異なるのに同世代というのは同じようなものに興味を持っているものです。またそういう話では意気投合して盛り上がります。お国別の変なルールや仁義はありましたが、みんな社会で思いやり生きるためにそれぞれの配慮やマナー、また楽しみ方などを交換しました。

お互いの文化を尊重しあいながら、対話をしていくのは居心地もよく、有難いご縁であったなと過去のことを思い出しました。

みんな持ちつ持たれつ人は、お互いに支え合い暮らしているものです。

子どもたちの将来を楽しみにしながら、子どもたちが安心して暮らせる世の中になるように取り組んでいきたいと思います。

場の創造

現在、学校という場所の役割が多様化しています。単なる知識を習得する場所だけではなく、多様化した社会に適応するように国家全体からあらゆるニーズが求められています。しかし、専門分野に特化して分類分けしてきた専門家集団によって形成されている学校が専門外のことを突然要求されるというのは大変な柔軟性が必要になるものです。

事実、学校で働く教員の負担はあまりにも膨大で一般的な公務員の仕事と比べても激務です。特に責任のある立場になると、それが余計に顕著になります。精神疾患が増えたりするのもこれらの環境をもっと国家全体で見直す必要がありますがそれを見直す官僚が同じような激務で似たような働き方をしているので常識が変わることがありません。

そもそもキャリア教育というものがあります。これはむかしでいう進路指導などとも呼ばれていたものに近いものですが、一生涯の進路を子どもたちが決めるのに寄り添う大切な役割があります。

現在、学校はとにかく就職に向けてどれだけいい大学に入れるかと知識を詰め込み、また学生たちも成績を上げていい学校に入れることだけを目標に目先の課題に没頭しています。働き方をどうしたいかや、何のために働くのか、世界ではどのようなモデルがあるのかなどをほとんど事前に考えないで気が付いたら平均の枠から取り残されないような状態にいることで安心していたりもします。

実際に、キャリア教育というものの本質は「一生楽しく働くことができるか」という問いに対して、とのような働き方のモデルがあるのかを探求していくことだと私は思います。

私自身のことを振り返っても、就職や起業するなどのモチベーションはテレビでみた有名人や偉人伝、成功者と呼ばれる人や親や先生の感想などから培われていきました。子どもながらに必死で情報を集めましたがたいした情報があったわけではなく、私の場合は幸運にも交通事故に遭い、受験期間がリハビリに追われ留学することにしたことで世界を自分で見て感じたことで視野が変わりました。

どんなこともやっていいという感覚はその時に直観したものです。そして周囲に仕事を心から楽しんでいる人たちとの出会いによって私のキャリア教育は充実していったように思います。

周囲の大人の働き方というのは、子どもたちに大きな影響を与えます。特に、地域に遺りたいという子どもたちこそです。現在は、漠然と遠くにいってみたいや都会の大学にやテレビでよく聞く大手企業にと憧れます。しかし実際にいってみると、その憧れでは長くは続かず自分自身がなんのために働くのかということに向き合い始めていきます。

だからこそ、地域こそ子どもたちが将来、どういう働き方をしていきたいのかに寄り添い、それはどの場所でもできることを証明していく必要を感じます。私が今、取り組んでいることも同じで大切なのは生き方についての場の創造です。

私なりにこの場から発信していきたいと思います。