洗脳からの解放

パソコンを扱うのにOSがあります。これは基本ソフトウェアです。それを最初にインストールされていると、その機能が中心になります。私たちの思考や脳も、最初に何がインストールされているかというものがあります。

その一つは本能というものがあります。生まれながらに身に着けていることであり、最初から持っているものです。それは昆虫にしても、そして植物、バクテリアに至るまで持っています。

その最初にインプットされたものを発揮していのちをもってこの世で役割を全うしていきます。地球や宇宙も同様に、それぞれの役割を全うします。

しかし人間は、これとは別のものをインストールしていきます。言い換えれば、刷り込みや洗脳というものです。思い込みや価値観、そして先入観や想像など脳にインプットしたものでこの世界を認識していきます。そこは自然にあったものと切り離され、人間だけでイメージする世界に住んでいるようなものです。

気が付けば、地球の資源を使いつくすようになり、本来の自然の役割を果たさなくなり、人間の思い通りに世界を書き換えて塗り替えていきました。その結果、本来の洗脳や刷り込まれていない自然からメッセージがたくさん訪れて目覚める人も増えました。

この自然災害をはじめ、あらゆる気候変動や日々の身近な生物たちの絶滅は私たちにその仮想の思い込みによってできた世界が本来のものとずれていることを証明していきます。

どんなにOSにインストールしてみても、電気がパソコンに届かなければその機械はどうしようもありません。私たちが地球のエネルギーを活用し、人間の好きなように世界をつくってきましたがエネルギーが枯渇すれば電気のない世界に急になってしまうように、本来の自然がどうだったかの元の状態に戻ります。その時、人はどのような光景を目にするのか。

廃墟となってただのガラクタになった建造物や道具などが散乱した姿を見ることになります。子どもたちは、なぜこんなになるまで先人たちは使いつくしたのかと思うかもしれません。

脳の発達だけを優先して、目に見える世界だけに突き進むとどうなるのかということはある程度はわかってきました。そしてこの先に待ち構えているどうにもならない制度設計が破壊されるまで今のOSの機能と新しい機能を探してギリギリまでいのちや資源を削り取っていくのでしょう。

だからこそ、人類は時として電気を切る勇気も必要だと感じます。明かりを消してみると、暗闇の中に星々も火もそしてぬくもりを感じるものです。

子どもたちに、そういう体験や知恵が残せるように色々と試行錯誤して伝承していきたいと思います。

未来世代への思いやり

昨日は、赤村の光明八幡宮でお掃除やお手入れ、歌枕を実践してきました。朝からみんなでお掃除をしますが、みんな主体的で真摯に取り組んでいるため隅々まで美しく綺麗に整います。やらされている掃除とは異なり、みんなが主体的なので積極的に普段はしないようなところまで丁寧に取り組んでいきます。

その土地への配慮や、先人たちの遺徳に感謝するのは心地よく、お互いを思いやりながら場を磨いていきます。こういう縦のつながりを感じながら取り組んでいくことは、私たちがこれまでどうやって暮らしてきたのか、そして今、なぜ自分があるのかなどを実感できる機会になります。

スピード社会のなかで、忘れがちな立ち止まる時間、そして自己を振り返る時間は尊いことで生きている喜びや実感、そして感謝があります。

先人たちが子孫へ向けて放ってくるメッセージを受け取る感性というのは、受け取る側の力量によります。これは文字だけではなく、生き方もまた同じです。私も先祖の一人になる人間ですが、子孫へどのような真心や思いやりを以って今の世代を使命を果たしていくのか。

同じ思いで取り組んだときこそ、先人たちのやさしさや祈り、その真心が共感できます。みんな未来世代のために、自分の世代をどうととのえていけばいいかを真摯に向き合ってこられました。

現代は、今だけ金だけ自分だけという風潮で目先のことに追われては何かと先送りすることが是とされている世の中ですが先送りしたものは未来世代のツケとして残っていきます。

未来世代は、なんでこんなことをしたのだろうと先祖になる私たちの世代のことをどう思うのでしょうか。たまに、うちの祖父の代がどうしようもなくてなどといっている孫世代の愚痴を地域で聞くこともありますがそのツケがあまりにも大きいと苦しい気持ちになるものです。

例えば、ダムの問題をはじめとした環境問題や、バブル景気のときにやった観光事業が廃墟の建物ばかりで景観がボロボロになっていたり、風土の伝統文化を捨てて都会のコピーになり衰退していたり、これを目の当たりにした子孫たちは先祖に対してなぜだろうと思うのです。

本来、これは子孫のためにならないと思えば判断しなかったり、未来の世代にツケを残すと思うと敢えて別の道を残してくれたおかげで今の世代が恩恵をいただいているものもあります。それはその世代や個人は多少損をしたと感じても、長い目で長期的な視点に立てばそれは損にはならず子孫繁栄の礎になっているものです。

現代は視野も狭く、短期的目線で個人や世代のメリットを優先して短絡的な判断をしているものが多いように思います。特に経済においても、すぐにリターンがないものを選ぶのは愚かなことのように思われます。余裕もゆとりもないといいますが、それはそうではなく目的に対して長期的に取り組んでいこうとする気持ちが定まっていないからのように思います。

私は活動をするのに、長い時間を設定していきます。目的がはっきりしていますから、休み休みであってもそれは時間をかけて取り組みます。そうすると、そのうちに目的が近づいてきて本懐を遂げることができるようになります。

未来世代のことを考える仕事というのは、長い目で、私心を取り除き、お金を気にせずに純粋に取り組んでいくものでしょう。そしてそこに後からついてくると信じて勇気を出してやっていくことです。

この後からついてくるというのは、子孫の恩恵と共に増えていくという意味です。

後世のために、子孫のために、あとに続いていく人たちのためにと喜び勇んで実践していきたいと思います。