挑戦が目標

人生には壮大な目標があるのとないのでは、日々の暮らし方が変わってきます。もともと目標を辞書でひくと「ある物事をなし遂げたり、ある地点まで行きついたりするための目印。 めあて。」と書かれています。

似たものに道標というものもあります。登山するときや巡礼をするときに一つの目印にもなります。

そもそも、最初の道を切り拓く人たちはどのような目標をもって歩んだのでしょうか。未開の地や前人未到の地を歩む人たちにとっての道標や目標は何だったのか。

私も今、ブロックチェーンを使って徳積循環経済で変わる新しい経世済民の講を創造していますがこれはまだ誰かが実現したものではありません。自分なりに試行錯誤し、毎日のようにあの手この手で実践していますがどこがゴールなのか、そしてその登頂の景色が観えません。ひょっとしたら自分の代では実現しないかもしれないという気持ちさえもします。

しかし、誰かがやらなければ子どもたちや未来世代への徳を推譲していくことができません。もし私が尊敬する先人であれば、観て見ぬふりなどはできずきっとそれぞれにいのちを懸けて取り組んだはずです。当世代を生きる使命があるから、諦めるわけにもいかずあるようなないような目標や道標を歩くたびにその時々に配置しながら振り返りながら歩んでいます。

自分のなかでのこだわりや囚われが邪魔をしては、心を曇らせることがあります。その都度、祈り目覚めで暮らしをやり直すという具合に一歩一歩歩んでいきます。

大切なのは挑戦することで、挑戦することこそ目標であるということでしょう。

諦めずに日々に努力を続ける先にこそ、目標は顕れ続けます。目標を追い求めていく人生というのはおかしなことかもしれませんが好奇心というのはそういう苦労を追い求めているのかもしれません。

子孫のためにも悔いのないように、安らかに精進していきたいと思います。