百姓の定義

昨日は、地域の農家さんたちと一緒にため池周辺などの草刈りを行いました。現代は機械化も進み、農家の人も減ってきています。草刈りする範囲も広く、高齢化が進めばなかなか難しい作業です。

田舎のあちこちでは似たようなことが起こっています。農作業に限らず、年中行事やお祭りなども担い手が不足してかつての規模では開催できません。若い人がほとんど参加せず高齢者ばかりです。

これはむかしの地域で自給自足するような経済が破綻していることを意味しています。むかしは、百姓といって社会の土台を担ってきた“生活者・生産者・共同体の担い手がたくさんいました。なんとなく百姓のイメージは農民ですが、これは単なる農家のことを指すのではなく、村に根ざして暮らしを成り立たせる人々の総称でした。

村に根差すというのはどういうことか、これは大きな視野で洞察すると消費文明の中の消費者ではなく、自然循環の中の生産者であったということです。自然の循環の中で、他の自然物と共に暮らし、身土不二の生態系を守ってきた存在ともいえます。

日本で百姓が、農奴っぽいイメージになったのは年貢を納める百姓一揆や身分制度の中の小作人などの存在です。そもそも今とは異なりその当時はお米が金融でしたから、それを納める人はみんな百姓だったということでしょう。農が中心の世の中においては、税金を納める=農家でありそれが百姓ということになりました。

しかし本来、百姓は農民だけを指すのではなくあらゆる職業の民衆のことを指しました。例えば村では村の水利、山林、祭礼、相互扶助、労働交換を支えていました。時代背景が変わり、今では百姓とは言わなくなっています。では百姓は不在になったのかというとそうではありません。

今では半農半X、里山暮らし、地域起業、ローカル経済、自給的ライフスタイルで生きている人が百姓を語る人が多いです。会社や市場に完全依存せず、自然と共に生き食べ物・仕事・つながり・地域をつくるような消費よりも生産を意識しながら豊かな暮らしを調える人たちだと言えます。

百姓という言葉の定義は時代と共に変化します。

新しい時代の百姓は、どのようなことをするものか。私の暮らしフルネスでの百姓を色々と再定義し、子どもたちに生き方で伝承していきたいと思います。

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