無一物中無尽蔵の銀杏拾い

現代は何でもお金の価値に換算して購入する時代です。特に産業革命以降、大量生産大量消費を実現してから人々から手仕事が消え、人と人、人と自然との関係性も減退していきました。誰がどこでどのように、何を守り育て、そして分け合い助け合いそのものが自分の手元に来たのかなどは考えず、もっぱら他の商品や海外の輸入品と比較して高いか安いかの判断価値基準しかありあません。

例えば、お米であっても機械で改良されたお米を大量生産をするようになりそれが農協に集められ他のお米と混ざられてブランド米として市場で販売される。田んぼがどうなっているかや誰がどのようにしてどのような思いで、そして場との関係性などは知る必要もなくなっています。

本来は、ご縁と関係がなければ譲ってもらえないものですから場に関わり、一緒に働き、手伝い、分け合い、譲り合い、思いや心などの日頃の結びつきがあってはじめて手元に入ってきた存在でした。これはお米に限らず、すべてのことがご縁で結ばれた「暮らし」の中で営まれてきたものです。

今週の日曜日は古民家和樂で銀杏拾いを行います。

今では便利にスーパーなどに行けば銀杏は安価で購入できます。誰かが拾ったのか、どこのどのような環境の銀杏かなどは、関係もなく購入して食べればどれも同じようなものでしょう。

しかし一年間、感謝して銀杏と暮らし、銀杏拾いのために丁寧に下準備をして銀杏が傷まないようにシートをかけ、拾ったものの果肉を井戸水で丁寧に洗い、一つ一つを秋の澄んだ太陽の光で天日干しをする。数十粒つくるのにも大変な手間暇と真心を使います。

この銀杏のご神木は、百年以上ずっと故郷の関の山から吹いてくる山風を受け、棚田の栄養豊富な地下水脈を得て古民家の懐かしい風景と一体になって地域を守っている銀杏の木。この暮らしと銀杏の木の御蔭で、この季節は私たちの活動を一緒にしてきた人たちと銀杏を食べて心安まる憩いの場になっています。

便利な時代、何でもサービスでもお金で解決します。しかしご縁も関係性もないお金中心のお金の残高ばかりを気にする生活は疲れます。暮らしや関係性の残高をよくよく観つめ、私たちが実践しているような暮らしフルネスを学べば何もない中に本来の仕合せや喜びがあることに氣づき直せるものです。

まさに銀杏の木そのものが「無一物中無尽蔵」の世界を教えてくれます。

心の奥底にある偉大な豊かさに触れるご縁を銀杏と拾いに来ませんか?

 

育つ場

暮らしというと、日々の生活のことを指します。しかしこの暮らしという言葉はそれぞれの認識で異なります。言葉というものは、その人の経験や観念、価値観などでも意味が異なります。深さも広さも認識も異なりますから実際にはきちんと共通理解することができません。あくまで文字は脳が理解の入り口としてイメージできる範囲で道具として用いられます。

しかし共通理解は、同体験などを通して深まります。そこで言葉の定義や意味も後から追いついてくるものです。理念というものを用意し、それをみんなが日々の実践や行動と振り返りを通して学んでいけばその体験したもの同士は理解が深まり言葉の意味も変わってきます。

そのうち、理念の一歩先へと成熟していくのが「場」です。

いちいち言葉にしなくても、また誰かがいなくても、それは「場」によって理解されます。場ができてくるというのは、文化になるということでもあります。

文化ができれば、場がはたらき、それまでの本質やご縁や関係性が結ばれていきます。そして文化ができるには、それが連綿と続けられる循環が必要です。そうやって悠久の流れが循環してきた道の跡が文化になるのです。

現代は文化財だけ残して関係性が消えてしまったものがたくさん増えています。

使われなくなった寺社仏閣、古民家などもそうです、休耕田やかつての信仰のお山。路傍にある石像や井戸なども同じです。

かつて「育つ場」があったものが、分断され役割が失われ伝統や伝承、文化が途絶えました。

本来、人が育つというのはどういうことか。

これは「じねん」といって、人間の計画することよりも先に動いている育つ力があるということです。

つまりその場に元々あったご縁やはたらき、あるいは神はからいに対して人間も一緒に結ばれその徳がより発揮できるように調えるということ。

そう考えてみると、暮らしの喪失とはじねんの喪失なのです。

私が子どもたちのために徳積循環をいのり行動している理由もその一点です。理念を場に置き換えるというのは、じねん本来の役割を発揮させるためであり子どもたちのじねんを見守りよりよい人類の未来のために流れを途絶えさせずに次へその恩徳を還していくためです。

時代の変わり目、心のふるさと、かんながらの道に氣づいた人たちと育つ場を創っていきたいと思います。

山人合一

「日常茶飯」という言葉があります。これはもともと茶を飲み、飯を食べるという、毎日のごく当たり前の営みのことをいいます。調べてみると最近できた言葉のようですが、実際にこの言葉ができた背景には中国の禅で用いられた「尋常茶飯」や「家常茶飯」という言葉が由来だと言われます。むかしから禅では、悟りや修行を特別な場所や特別な行為の中だけに求めるのではなく日々の暮らし、つまり食事をする、掃除をする、水を汲む、人と語るといった実践こそが修行であると言われてきました。

日本でもハレとケといって特別な出来事(ハレ)に価値を求め、何気ない毎日(ケ)を「ただの日常」と区別したりします。しかしこの何でもない日常こそが、本来の生き方の中心でありお茶を飲むときには本気でお茶を飲み、ご飯を食べるときには真剣にご飯を食べる。その一つひとつに心を丸ごと尽くし、今ここにある暮らしの営みに全身全霊を傾ける。つまり暮らしが道そのものと、敢えて「区別しない」ということの境地であったように私は思います。

暮らしフルネスも同じで、日々に場を調える。自然(じねん)と循環(リズム)を大切にして内省しながら一期一会に来縁したものをすべて引き受ける。その中に真の喜びも道もあるという考え方です。

最近、親友のご縁から九州出身の大智禅師という方を知りました。

この方の詩には、深く共感して今の英彦山での暮らしの参考になります。

万象之中独露身
更於何処著根塵
回首独倚枯藤立
人見山兮山見人

すべての森羅万象のただ中にあって本来の身(自己)はありありと顕現している。ならば六根と六塵という主客の分別を、いったいどこに付け加える余地があるだろうか。ふと振り返り内省し、ひとり枯藤の杖に寄りかかって立ってみると、人は山を見、山もまた人を見ている。

終日搬柴運水中
分明顕露主人公
三千日月観成敗
坐断須弥第一峯

一日じゅう薪を運び水を汲む、その営みのただ中で渾然一体になるとき本来の自己は明々白々に現れている。三千世界の天地が成り、また滅びてゆくさまを観じ、須弥山の最高峰さえも坐り切る。

この日常茶飯の中にこそ、この暮らしの本質である主人公とじねんと徳循環の妙があるという真理。暮らしというものの根源や本質をここまでそぎ落として磨き上げた人がいるでしょうか。もしも今、生きておられたら一緒に参禅したいと願う理想の師です。

道は普遍、今もここに在ります。だからこそ今、与えられているご縁と場所こそ私の天命。それぞれに運命があり同じにはなりませんが、同じいのりと同じ道を歩んでいけることに無常無窮の仕合せを感じます。

引き続きお山から學び直し、かんながらの道を結んでいきます。

開山の心

最近、守静坊には全国各地で山を開く「開山」する人たちが訪ねてきてその方々の法螺貝を創っています。

開山を辞書でひくと「寺院を初めて開くことや、その寺院を開いた僧侶を指す」とあります。仏教においては、そこから開創した僧侶を「開祖」と呼びます。他にもある物事の創始者や、初めて成し遂げた人を指します。

つまり開山とは一般的な山を人間の都合に合わせて切り拓くことをいうのではなく、もともとその山に具わっている験力や聖性、神秘を発見し、人がそこへ入っていく道を開くことをいうように思います。

守静坊に遺っている木製の護符を確認すると、役行者の瑜伽者であると記されています。この瑜伽者(ゆがしゃ)とは、瑜伽(ヨーガ)を実践する人、つまり心と身体を調え、修行を通して自己と神仏・宇宙の真理との一致を目指す人のことをいいます。「瑜伽」とはサンスクリット語の yoga の音写で、もともと「結ぶ・つなぐ・一つになる」という意味になります。つまり瑜伽者とは、自らを調え、天地自然や神仏の働きと相応し、一体となることを実践する人という意味になります。

そして役行者はそれを顕現させた人物です。修験道の開祖は役行者であるといわれます。この人物はお山にて自らの心身を自然や神仏の働きと調和させていく「瑜伽者」であったということです。

役行者が各地の霊山を「開いた」と伝えられるのは、お山そのものの霊性を発見し、ある時は滝を行場として見出し、またある時は岩や洞窟に神仏の気配を感じ、峰や尾根や谷を修行の道として境界線を越えさせ、お山と人との関係性を結びました。

かつて二宮尊徳が人間の心を変えることを「心田開発」ともいいましたが役行者の修験道の開山もまさに同じ意味であろうと私は思います。

つまり「お山の中で心を修める。」

このシンプルで当たり前なことが修験道の要諦ではないかと私は思います。心というものは、人間のことです。開山というのは、お山の話ではなくお山の中で人間が何に氣づくのかということです。

私は鞍馬寺にご縁があり約20年ほど貫主様にご指導いただきましたが、その中心は「お山の心」でした。お山の心がどうなっているのか観えるかと、常に自問自答をいただきました。

結えあっていまは英彦山にて場をいただき、お山に触れさせていただいていますが心の在処や心の循環、またいのちとの関係性を結び直す日々を法螺貝と共に暮らしています。

明日からまた法螺貝講習ですが、この辺のお話を少し英彦山の歴史を兼ねてしていこうと思います。大勢参加されますがどうかご道中、お氣をつけてお越しください。

山武志の生き方

今日から英彦山で大地の再生の仕組みを使って宿坊周辺からお山のお手入れをはじめます。先人たちがやっていたように、もう一度、お山の暮らしからお山全体で起きていることを通して地球全体のことを洞察していきます。

自然は末端で行われていることが全体になり、全体は末端に現れるともいいます。以前、末梢血液を診断する治療を受けたことがありますが血液の先がどのようになっているのかを顕微鏡で観察すると自分の体内の血液にどのような汚れなどが溜まっているのかなどを見る機会がありました。海のゴミのように流れ着いたどころのゴミが健康状態を知らせます。

現在は、1950年ごろに人工的に開発された化合物、PFASの影響で環境が汚染されています。このPFASは非常に安定した性質を持ち、自然界でほとんど分解されません。人体や生物の体内に蓄積しやすく長距離を移動するという特徴があり土壌などの環境中に残留し、人の健康や動植物の生息・生育に大変な悪影響を与えます。

ゴミ問題と掃除の関係は、人類最大のテーマです。

掃除をするようにお手入れをしていかないと、この世の中はゴミの山のようになります。ゴミを増やして自然の分解もできないようなものをつくり、最後は人間が住める場所が次第に細くなっていく現実。これは環境問題でじわりじわりとその日が近づいてきているのを実感するばかりです。

実感するからと何もしないでいたら、さらに環境は悪化していきます。だからこそ、小さなお手入れをみんなでやること、お掃除をみんなで取り組むことで環境は調っていくものです。

場が調ってくれば、自然の分解や快復力、免疫力が向上して循環が促進されます。これは人体でも同じことです。人体を調えていけば、循環がスムーズになり健康が保たれます。自然の仕組みも同様です。

だからこそ、小さなことだから意味がないではなく小さなことから取り組んでいこうとすることが自然の循環やリズムと共に生きるということです。

経済活動でそれどころではないと後回しにしているのかもしれませんが、大病になればさらに多額のお金を出費するし、対処療法は副作用や後遺症が甚大です。

体質改善というのは、日々の暮らしの中で行うものですから先人の智慧に倣い誰でもできますから最初の一歩を踏み出してほしいものです。

ということで、本日も有志で取り組みます。

お山を知り、お山を学び、お山をいのり、お山と共生していくのは山武志の生き方です。愉快に豊かに毎月取り組み、この場所から世界を易えていきたいと思います。

根源の要諦

むかしの五穀田は、無肥料無農薬の自然農で取り組んでいるためたくさんの生き物たちが田んぼで生活しています。日々に田んぼの見回りをしていると、あらゆる昆虫たちや水中生物たちに遭遇します。多種多様なもの、また大小さまざまなものがいて生き物観察が大好きな自分には好奇心の宝庫です。

昨日は、掌ほどのショウジョウバッタやゲンゴロウの幼虫、ミズスマシなどを見かけました。お水をかけ流して循環を保つ工夫をしましたが、御蔭でたくさんの生き物たちが増えていきました。

ゲンゴロウなどは現代では絶滅種になり、当たり前にいるはずだった田んぼでも最近では見かけなくなっています。その理由は、農薬や人工的な田んぼの環境が影響を与えたといわれます。

単に昆虫たちや生物は農薬が田んぼに入ったから生きものが生きられなくなるわけではありません。毒によって生き物全てが全滅するイメージもありますが、ある特定の生き物にだけ作用する毒であったり、植物には影響がないような仕組みでつくられている農薬もあります。

しかしなぜ農薬を用いたら田んぼの生態系があっという間に貧しくなるのか、その理由をよく洞察するとその行為が生命の循環を途絶えさせ、いのちのつながり分断するところに原因があることがわかります。田んぼではまず藻や微生物を小さな生きものが食べ、その小さな生きものをヤゴやゲンゴロウが食べ、さらにカエルや鳥へとつながる、無数の関係によって成り立ちます。

そこに農薬が入ると、まず薬剤に感受性の高い昆虫、甲殻類、藻類などから減っていきます。すると、それらを餌にしていた生きものも生きにくくなります。さらに捕食者が減れば、今度は一部の生きものだけが増えていき田んぼ全体の均衡が崩れはじめます。つまり特定の虫を駆除したつもりが、お互いに共生しあっている生き物たちの生命のつながりを断裂させてしまうことになるのです。

生態系というのは、「すべて共生と貢献で循環」をしています。その象徴としての田んぼは、多くの生きものがそれぞれの役割を果たすことで自ら均衡を保つ場です。その一部が失われると次の生命へ渡されていたものが渡らなくなり、循環そのものが細くなって最後には関係が失われます。この関係性の消失が絶滅の本質です。

人間の一部の都合によって、特定の自然の循環の何かを止めてしまう。それが小さな分断や生命のつながりを弱くして関係が終わる。無縁社会とも私が呼ぶものです。人間社會もまた、これと似たようなことが起きているように感じるのは私だけではないはずです。

だからこそ、生き方として子どもたちにどのような未来や環境を譲り遺していきたいかを真摯に正対すると自然の田んぼの中で一緒に生態系の関係性を甦生させていきたいとこの「むかしの五穀田の甦生」に取り組んでいるということです。

短期的にみて恩恵を受けるということはたくさんあります。しかしその短期的な恩恵は、結局は視野狭窄にし短絡的に今だけ乗り切ればという発想になり対処療法の連続になります。

田んぼであれば、人間にとってデメリットが出たらすぐに対処療法しているうちに田んぼの生態系が自然に保ってくれていた均衡が崩壊して、その対策に必要なお金だけが不自然に大量にかかるという状態になるのに似ています。

自然に任せるというのは、余計なことをしないということです。

余計なことというのは「循環を切らない」ということです。

そろそろ人類は、環境問題をはじめ社会問題の本質に氣づくタイミングであろうと思います。関係性というものは、今を見直し身近な小さなところからも甦生できるものです。

こんな一つの田んぼの小さな改善ごときで人類や世界の何が変わるのかと思うかもしれませんが、循環というのは誰でもはじめはみんなほんの小さな関係性の甦生からはじめていくのです。

保育の領域も、場の領域も関係性を調えてこそいのちが健全に育つもの、つまり循環の根源の要諦は一つです。

引き続き、身近なむかしの五穀田の甦生を通して學びに来る方々と共に実践を通して世界を豊かに愉快に易えていきたいと思います。

自然の場の甦生

自然と書いて「じねん」と呼ぶ言葉があります。現在、自然はしぜんと呼ばれ欧米のnatureの意味が強く使われますが東洋では本来、自然はじねんと呼び「おのずからしかり」という意味で用いられてきました。

これは老子の「道法自然」から由来します。これは道は自然を法とするとし、道とはおのずからそうなる働きに則るものだという意味です。全文は、「人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る」です。また日本では、浄土真宗の開祖、親鸞が「自然法爾(じねんほうに)」という言葉を用いました。この「法爾」の「爾」も「そのようである、あるがまま」という意味です。おのずからしかりとして、人のはからいを離れたところではたらいているものにすべて丸ごと信じて任せるという生き方です。

まず前提として、何が自然で何が不自然かという問いがあります。自然が分かるというのは何か、不自然とは何かということが観えるかというものです。

現代は、あらゆる自然災害が発生します。そこに対して、環境改善や自然保護などという人間の意識もありますがそれは少し離れてみると傲慢ではないかと感じるものもあります。謙虚に静かに自然災害をみつめていたら何が自然なのか、何が不自然なのかが洞察できるものです。

自ずから然りとは、神はからいとも言えます。

何をしようとしているのか、どうしたいのか、自然の法理や宇宙の働きにすべてお任せしていると人間がどうあるべきか、何をすることが自然体であるかに氣づきます。

親祖をはじめ先人たちは人間が自然と共に道を歩むことを智慧として伝承してきました。それを「暮らし」と呼びます。例えば、場が調っていくようにし、いのちが循環できるように調え、多様な生き物たちが生を全うして持ち味を活かせるように見守り、季節の巡りにあわせていのり、日々、供養をして感謝し謙虚に心身を静かに調えていきました。その自ずから然りの実践こそが「暮らし」の本義であったのです。

宇宙をはじめ地球は常に調和を保つようにはたらきます。人間がそのはたらきを阻害して循環を滞らせれば自然はそれに応えます。縁起と関係性によってはたらくのです。滞るのをまた流そうとして自然ははたらきますから、そのはたらきにあわせて人間もまた滞らないようにしていくことがはたらきに任せることになります。

はたらきに任せるというのは、何もしないことではありません。

人間も一緒に「じねん」になることです。

それが暮らしを調えていくことです。

私が実践する暮らしフルネスの根源は此処にあります。

自然のリズムで生きることや、自然のお手入れをすること、自然の循環の邪魔をしないことや、子どもが子どものままあるがままであることや発達を邪魔しないことなどもすべてこの道法自然の意識を保つ智慧と工夫です。

「かんながらの道」という日記もまた、この「じねん」の意識の醸成と習慣、つまり暮らしの一部としての実践なのです。

残された私のいのちはすべて、この「自然の場の甦生」に使い切ります。

いつも一期一会の師の絶妙な声掛けと道しるべに心から感謝しています。

流れと螺旋

中国最古の医書『黄帝内経』には「正氣内に存すれば、邪干すべからず」(体の正しい働きが保たれていれば、病邪は容易に侵入できない)」という言葉があります。そして現代では有名な「未病」(みびょう)という言葉もまたこの『黄帝内経』で初めて使用された言葉です。

そこには「聖人は既病を治すのではなく、未病を治す」とあります。これに対して既病とは、既に症状が出ている状態のことをいいます。未病とはまだ病気が表面に現れていない状態のことをいいます。

現代では、病気は病院が治すもののようになり病気になってからはじめて人は病気を認識します。そして病院もまた病気になってから診療を受ける場所になっています。

本来は病気というものは、生命を支えている循環の何らかの流れが滞り、流れなくなって循環しなくなったことをいいます。

自然治癒を洞察するとそれはすぐに察知できるものです。自然界も同様に、循環や流れが滞ると問題が発生してきます。スムーズに静かに流れていれば、自然も穏やかです。しかしそこに何らかの澱みや流れの滞りが起こればそれが災害となっていきます。

つまり自然は常に「調和」するために流れや循環を已まないようにしているのです。

そして人間の身体もこれを同じです。

人間の身体では、血液やリンパ、呼吸や腸内や神経などあらゆるものが流れています。それが疲れや感情や自立神経の乱れ、食べ物の片寄りや睡眠や運動不足などで流れが滞ってくると病気が表層に出てきます。

誰しもが調和している状態を健康であると知っているのは、この「流れ」というものを自明しているからともいえます。

流れが澱み、滞れば不調和が産まれ調和に戻そうと自己免疫力が働きます。それが自然治癒です。つまり自然治癒というのは、流れを取り戻そうとする根源力のことです。

これは人体だけでなく宇宙も同様の真理で働いています。

場の道場では、薬草をはじめ太陽や月のリズム、そして呼吸法、滝行や坐禅、自然農や発酵などあらゆることを体験を通して場づくりを学びます。これは未病を実践するためです。

つまり未病の場というものは、流れが澱まない場であるということ。言い換えれば、循環しようとするのを邪魔せず、自然の流れになるように調えるということです。

これを私は場づくりの中心に据えています。

そしてその養生法が暮らしフルネスということになります。

氣は風、いのちは水、この風水によって流れ(螺旋)は常に循環するのです。

自然治癒の学びを深めつつ、螺旋の真理を甦生していきたいと思います。

 

大地と徳治

昨日、熊本で大きな地震があり私のいる場所も大きく長く揺れました。東日本大震災の時の揺れを思い出し、あの時、受け取った自然からのメッセージを振り返りました。暮らしフルネスに取り組む今があるのは、あの地震からの声をいただき、初心を忘れないようにしてきたからです。

中国の思想に「天人合一」(天人相関)という思想があります。これは紀元前二世紀、中国・前漢の時代に生きた儒学者の董仲舒(とうちゅうじょ)という人物が人類に投げかけた問いの思想です。

当時の中国では、法律によって国を治める法家、自然に任せる道家など、さまざまな思想が競い合っていました。その中で董仲舒は、「国は力ではなく徳によって治まる」と説きました。その理由は、人間は自然の外側に立つ存在ではなく、天地とともに生きる一つの生命であるとしすべては相関関係と因果によって為ると直観しました。つまり空を流れる雲も、山を吹き抜ける風も、川の流れも、月や太陽の光も、大地の震えも、人間とは無関係に存在するものではなく、同じ宇宙の理によって結ばれていると見立てたのです。

つまり天と人も自然の一部であり分かれているものではない。だからこそ人間社会が私欲によって乱れれば、その歪みは自然との調和を失い、やがて社会全体の苦しみとなって現れると説きました。

そして為政者こそ、自然のメッセージを真摯に受けとり自らを省みる鏡にせよといいました。そしてその政治の実践のことを「徳治」と定義し、まず国を導く者自身が徳を積み、人を敬い、自然を敬い、その姿によって人々を導くことが政治の根本であるとしたのです。それを当時の漢の武帝によって国家の理念として採用され、その思想がのちに日本にも渡来し、聖徳太子の「和をもって貴しとなす」、熊沢蕃山の治山治水、二宮尊徳の「天道に従う」、西郷隆盛の「敬天愛人」など、日本の思想の根底にも、天地を敬い、人を敬い、自らを正すという和の系譜が脈々と受け継がれたといいます。

どんなにお金があっても、便利な文明を築いても、科学技術が発展しても、驕れるもの必ず滅びるものです。平安末期の鴨長明の時代も大地震がありました。そして彼が遺した書物『方丈記』にあるように、大地が震えればこの世に絶対に安全などというものは存在しない、万物は変化して已まないし無常。人間の傲慢さはいつかは必ず天人合一に現れると氣づくのです。

今の世界に響き渡る大地の声は私たちへの偉大な問いかけではないかと感じます。そして為政者こそ災害の時に自らを省み、改心して徳を積み人々の心を治めよと聴こえてきます。

人類全体が謙虚にならなければ、すべてのいのちの幸福はない。

今こそ、徳治覚醒の刻です。

今日は、これから英彦山の宿坊で大地座禅と初心を深め禊をしてご祈祷して過ごします。

今夜の満月の心が、どうか穏やかに人々の内省を調えていただけますように。

お水

四千年前の中国最古といわれる夏王朝に禹王という人物がいます。この方は、水土の理を深く理解し、水の道に従って天下を治めた聖王、そして水神とも呼ばれ民衆に称えられます。

この禹王の時代は天下は大洪水に苦しんでいました。川はあふれ、田畑は水に沈み、人々は住む場所と食べ物を失っていました。そして暮らし消え、村が崩れ、国も乱れました。

むかしは水を治めることは、川だけを治めることではなく、人々の命と暮らしを治めることです。この禹王の父である鯀は、国家の命運をかけて水を堤防で囲い込み、力によって押さえようとしましたが力によって水は抑え込めずに行き場を失った水は力を増し、ついには堤防を破り、さらに大きな洪水となってあふれました。そして処罰されいのちを失いました。

その父の失敗を受け継いだ禹王は、まったく反対の道を選びます。水を力で抑え込むのではなく、流す。そして水が本来向かう道を拓くという考え方によって治水を実現しました。そして、国家を同様に見事に治めていきます。

この禹王の治水を「禹の水を治むるは、水の道なり」と孟子はいいました。

この禹王が行ったのは、もともと水土の中にある道を読み取り、流れを塞いでいるものを取り除き、水が本来の働きを取り戻せるように調えて治めたのです。治めるとは、支配することではなく、本来の働きが自然に現れるように調えたということ。

最近、流域という言葉をよく聴きます。流域は、お水が集まりそこで数々の生命が結ばれ繁栄していく場のことです。そして水土は、その土地がその土地らしく育つ場ができることです。

私は徳積循環に関心がありますから、この水土に強く惹かれます。この水土は、風土と似ていますが明らかに水の道のことを示唆します。

お水を知るには、その土地の水土を知ることからはじまります。つまりお水の源流、上流のお山からです。お山を知ることが下流を知ることにつながります。そしてお山を知るには、先人たちが続けてきたお山の暮らし(智慧)を実践することからです。

私が英彦山の宿坊でお山の暮らしを甦生するのは、水土を學び直すためです。水土こそいのちの甦生の要諦ともいえます。どのようにいのちが循環しているか、どうすれば甦生するのかを観るのです。

お水が喜び廻れば、人の心も癒され喜び廻ります。お水が土と人を結ぶのです。

古代の中国では「善く国を治める者は、まず水を治める」とし、為政者の徳目第一とされました。「治める」のは、力の支配ではなく「徳を活かす」ことだと定義していたのです。

最後に作者不明の有名なお水の徳目、「水五訓」で締めくくります。

一 常に己の進路を求めてやまず自ら動いて他を動かすは水なり

二 如何なる障害にも屈せず巌(いわ)をも透す力を蓄えながらよく方円の器にも従い和合の性を兼ね備えるは水なり

三 自ら清くして他の汚れを洗い清濁合わせ容れるの量あるは水なり

四 力となり光となり生産と生活に無限の奉仕を行い何ら報いを求めざるは水なり

五 洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霰(あられ)と化し凝(ぎょう)しては玲瓏(れいろう)たる鏡となりたえるもその性を失わざるは水なり

今年の私のテーマは「お水」です。

一緒にお水を先生に学び直していきましょう。