「場が育つ」という言葉があります。植物や動物をはじめすべてのいのちが育つように、場も育ちます。この「育つ」という言葉の語源は、赤ちゃんが産まれることの会意文字でもあり、日本の古語の「生ひ立つ(おひたつ)」が由来だともいいます。つまり「時間をかけて成熟していく」ということです。
植物であれば、最初に土を定めそこに種を蒔きます。すると新芽が出て花が咲き実をつけては種になります。この自然の循環そのものが時間の成熟です。そしてそのいのちのめぐりそのものの働きを場とも呼びます。
場が育つというのは、自然全体で行われている循環が場に凝縮され顕現するのを実感するということです。
そしてその場の中には、人だけでなく風土や暮らし、そして歴史や文化、伝統や伝承などあらゆるものが有機的に結ばれて離れているものがない状態が繋がっています。その分けられていない、一物全体のような境地を「場」と私は呼んでいます。場は言葉で語れるものではなく、場で感じるものです。
場には道があります。
この道とは、歩んできた道のこと、つまりは時間をかけて成熟してきた道のりのことでもあります。人間は、視野を広げ、意識を高め、宇宙をはじめ全体と結ばれ、心を磨いて徳を調えると「道」の存在に氣づくものです。
道を感じるための入り口には、必ず「場」があります。
そして場を感じるのには兆しがあります。この兆しは、木々が清々しい花として変化したり、風や空気感が変化したり、水が綺麗に澄み渡ったり、光が揺らいだりといった自然現象の変化として顕れます。
人間は理想を抱き、謙虚に先人たちの遺徳を継承し、丁寧に誠実に実践を積み重ねるときに場の種は次世代へと蒔かれていくものです。
子どもたちのためにも、脚下の場を調えるような実践を積みかさねていきたいと思います。
ということで、来週は徳積堂(飯塚市有安)のある鳥羽池(八龍権現池)の桜から場を学び、再来週は守静坊(添田町英彦山)の230年の枝垂れ桜から道を辿ります。
この場と道に、ご縁のある方々のご参加を心から楽しみにしています。
