本物の経済とは

私たちは、商売を通して生計を立てていますから経済に関係しているとも言えます。しかし現在の経済は、本来の経世済民の意味から遠ざかり世の中が偏ってきているようにも思います。

この経世済民は、本来は二つの熟語から構成されていて「世の中をうまく治めることを意味する”経世”」と、「人々を救うことを意味する”済民”」から成り立っています。ここから経世済民は「世を治め、人々を苦しみから救うこと」になっていたのです。

本来の経済の本質が時代の変遷と共に変わってきています。特に明治を過ぎたくらいから、経済の意味は変わってきました。19世紀前半の思想家である正司考祺の「経済問答秘録」に「今 世間に貨殖興利を以て經濟と云ふは謬なり」と記されています。このころより「経済」=「貨殖興利」となったと言っているのです。

つまりは世を治め、民を苦しみから救うではなく単に利益だけを増やし続ける活動が経済になったということです。現代の経済学も、徳の話や治世の話ではなく単なる経済現象だけを学ぶものになってしまっているように思います。

経済学者、18世紀後半のイギリスの経済学者であるアルフレッド・マーシャルは、「経済学を学ぶにはクール・ヘッド(冷静な頭脳)とウォーム・ハート(温かい心)が必要だ」と言っています。弱者に対する温かい心がなければ、経済学をいくら学んでも意味がないとも。そして同じイギリスの経済学者ケインズの『人物評伝』にはこう記されます。

「クールヘッド(冷静な頭脳)とウォームハート(温かい心情)を兼ね備え、社会的苦悩に取り組むために最善の能力を進んでささげようと志して自らの力の及ぶかぎり努力しないことにはいられない人々の数をいっそう多くすることこそが私の念願なのです」と。

経済の本質を知る人は、その意味を理解しています。現在、ブロックチェーンをはじめ様々な新しい技術が新しい経済を築こうとします。しかしその根本にある思いやりや真心、先ほどの経世済民の祈りや願いのないところに本物の経済はありません。

本物の経済を願い育ててきた日本の先人たち、先輩たちの生き方に倣い、子どもたちのために今できること、自分の生き方で示していきたいと思います。

世界人類の心の洗濯

横井小楠は、世界の中で日本という国の在り方をつねに見つめていたように思います。自国だけがよくなることを考えていたのではなく、如何に世界が善くなるかをこの自分の足元を変えることで実現しようとしていたように思います。

その志は、遺った言葉の中に垣間見ることができます。例えば、

「西洋の学はただ事業上の学にて、心徳上の学にあらず。心徳の学無きがゆえに人情にわたることを知らず。交易談判も事実約束を詰めるまでにて、詰まるところ遂に戦争となる。戦争となりても事実を詰めてまた賞金和好となる。人情を知らば戦争も停むべき道あるべし。事実の学にて心徳の学なくしては、西洋列強戦争の止むべき日なし」

「和とか戦いとかいっても結局偏した意見であって、時に応じ勢いにしたがって、そのよろしきを得るのが真の道理である。信義をもって応接し、我が国に義があれば、万国を敵に回すようなことはない」

私の意訳ですが、まずモラルがあって学を活かさなければ人類は平和にはならない。そして偏らず常に中庸であることが善きものになるのが道理。だからこそ常に信義を大切にしていくのなら敵はいないのである。

このように日本的で、日本人らしく、日本から世界に何を発信するかということを深く掘り下げて理念をもって国家の未来を創造していきました。横井小楠は、幼いころから努力の人物で13歳の時にその理念の主軸である「経世済民」に出会います。政治の根本に気づき、それを世界人類国家の本来の姿について真実を確信するのです。

私も現在、ゆえあってまちづくりに関わり始めていますがその根本はこの経世済民の思想です。今の時代はエコノミーといった経済ばかりが優先され、かつての経世済民の意味ではなくなってきています。しかし本来政治とは何か、それを深く理解していなければ世界の中で日本という国を役立てていくことが難しくなるのです。

歴史の偉人たちが言う独立自尊というのは、日本人が日本人らしい政治を実現して世界の模範になることです。そしてその世界の模範になることで、世界に影響を与え人類すべてにその思想を共有していくことに私たちの風土文化の意義があるように私は思います。

横井小楠はこうもいいます。

「堯舜孔子の道を明らかにし 西洋器械の術を尽くす  なんぞ富国に止まらん なんぞ強兵に止まらん  大義を四海に布かんのみ 」

日本国は尭舜や孔子の実現しようとした道を明らかに示し、さらに西洋の科学技術を学びそれを使いこなすこと。それは単なる富国や強兵にとどまるのではなく、その独立自尊した日本の姿を見せることで世界に本来の人類としての大義を示すことが本当の使命であるのだと。

まさに、日本は世界の手本になるべきであると喝破するのです。この言葉を聴いた当時の維新の志士たちは魂が揺さぶられたことは間違いありません。私たちが創ろうとする日本人の純粋無垢な真心の政治、そして真の強さと優しさを兼ね備えた生き方を世界に示そうとしたのです。武士の鑑である楠正成を尊敬し、自分もまた日本人の鑑しての生き方をしようとしたのです。

改めて偉大な人物であることに感銘を受けました。

最後に、横井小楠がもっとも言葉にした一文を噛みしめたいと思います。

「天下一統人心洗濯希うところなり」

この横井小楠の大義、世界の人たちの心の洗濯こそ目指すところであるという願いはこれからもずっと私たちの生き方に影響を与えていくのでしょう。子どもたちにツケを残さなくていいように、今を洗濯して洗浄し譲り渡していきたいと思います。

日本人らしい政治~有徳の政治~

明治維新にはじまった日本の行政は、西洋を参考にしてそのまま真似をして取り入れて構築されてきたものです。それが時代の変遷と共に、行政の在り方も変化し、それぞれの国の伝統や文化を参考にしながら各国で行政改革が行われています。

私たちの日本もまた、伝統や文化がありますが現在の社会構造や仕組みはイギリスやアメリカのモデルを追従しているだけであまり個性のあるものではありません。特に今までの日本人の思想には合わないものであっても、西洋のものが優れていると信じ込まされる教育を施されてきていますから無条件で西洋のものは進歩しているとしてすぐになんでも鵜呑みにしてしまいます。

しかしかつての日本人には、世界を自分の五感や六感で味わい、世界の動静を見極め、自分はどうするかといった本質的な見識を持つ人物たちが自分たちの政治の在り方を見極め、西洋のものも参考にしながらも独自の在り方を構築しようとしていました。

その代表的な人物に、横井小楠がいます。

この横井小楠は文化6年に熊本で生まれました。「小楠」と号したのは、楠木正成に因んだものです。もともと大楠公と仰がれる楠木正成は、日本人の模範として最も広く尊敬された人物でした。

坂本龍馬の船中八策や、大政奉還などもこの横井小楠のアイデアであったといいます。この人物は、まさに日本の風土が生んだ伝統的な日本人でありながら国際人でありその戦略と思考、生き方すべてにおいて世界一流の人物の一人です。吉田松陰も、この人物に深く学んでいます。

その横井小楠はこういいます。

「万国を該談するの器量ありて始めて日本国を治むべく、日本国を統摂する器量ありて始めて一国を治むべく、一国を管轄する器量ありて一職を治むべきは道理」

「天皇のもとに天下を統一し、人材を広く登用して、議会政治を実現すべし」

そのころ、西洋の考え方が流入してきてわけもわからない状態だった日本の人たちの眼を見開かせ、本物の政治を行うことを説きました。その本質は私は王道政治という言葉で語っているのではないかと感じます。

その王道政治は、徳を重んじる「有徳国家」であると定義しました。ここに、日本の独立自尊の生き方、日本人にしかできない、日本人らしい政治の姿の理念を語るのです。まさに私もここに共感をして、政治に希望を持ちました。

今は政治が陳腐化して、八方ふさがりの状態です。このままでは子どもたちや次世代に多大なツケを残し、日本はより一層、世界の中で持ち味を発揮することが難しくなるかもしれません。だからこそ、今、ここでやるしかないのです。

最後に横井小楠の言葉です。

「西洋の帝国主義は覇道を目指すものであるとし、日本は王道政治で徳を重んじる有徳国家を目指すべし」

これから、未来の子どもたちのためにも横井小楠の思想を改めて学び直してみたいと思います。

神徳の意味

日本は古来より、八百万の神々といってすべてのものには神々が宿っていると信じられてきました。そして様々なものに接するのに神様に接するかのように敬い祀ってきたのは歴史を見れば明らかです。

例えば、日本には珍しい神社がいくかあります。天気予報などの気象神社、他にも航空安全の飛行神社、頭と神の神社の御髪神社、電気、電波の神様を祀った雷電宮などがあります。

日本人は形のないものであっても、そこに何かしらの意味を持たせます。それがご縁であったり、勿体ないという言葉であったり、縁起担ぎであったりと、暮らしの様々な場面でそれが顕れます。

つまり無意識にも、私たちは目には見えないものを観てそれを感じて共に生きているのです。

不思議ですが、包丁を使うとき包丁を大切に扱っているとその包丁で切れるものは切り口が傷みませんし食事も美味しくなります。私はむかしのたたら製鉄の伝統包丁を研ぐのですが、研いだあとの切れ味や磨かれた美しさには感動するばかりです。

すっと切れるその切り口が料理をおいしくし、使い手の心を澄ませていきます。そこにはまるで包丁の神様が宿っているかのようです。

そのように私たちは宿っていると感じながら接すること、まるで依り代のように存在するそのいのちに寄り添いそのものと一体になる感覚があることでそのものの存在の有難さと同時にそのものの持ち味や魅力を尊敬しているのです。

人や道具を活かすというのは、相手を神様のように敬い接するということに似ています。人間が人間として力を発揮するのには、モラル(徳)が必要です。その徳をもった人が徳をもって接することで、そのものの徳が磨かれ引き出されていくのです。

神社にお祀りするその道具や意味たちもまた、モラルや徳の顕現を示すものです。どのような姿勢でそのものに取り組むか、その道具でどのように生きるか。自分たちの生き方を見つめ、正し、本来のあるべきように気づかせるのがこれらの神社の神徳なのかもしれません。

引き続き、子どもたちに先人の智慧を伝承できるようにご縁を味わいながら本来の意味や価値を深めてみたいと思います。

暮らしの本質と本懐

現在の世の中は、物を捨てることが当たり前の世の中になっています。大量生産大量消費で経済を循環させていく仕組みは、作っては捨てて、捨ててはまた作るという循環です。そのサイクルは早くなるばかりで、地球の資源もまた長い時間を経て成形してきた材料もあっという間に壊されては大量消費の循環に消えていきます。

現在の循環に対して、持続可能な循環を言う人たちも増えてきました。しかし同じ循環といっても現在の世の中が、大量消費の循環による経済の定義で動いていますからそれとは反対に回転する循環を創造することは大変なことです。

しかし時代時代にこの循環の往来も繰り返すように私たちは学び直して人間の中にある我と無我のバランスを往来してきました。

人間は本来、心豊かに生きていくことを望んでいる生きものです。懐かしい暮らしの中には、心を癒し安らぐものが充ちています。その暮らしこそ、大量消費の循環を逆回転させる鍵になると私は確信しています。

少し損をする生活、足るを知る生活、四季折々の変化を味わい自然の時間と共にゆっくりと暮らすこと。これは決して与捨て人になるのではなく、新しい時代を切り拓く人になるということです。そしてみんなでその暮らしを実現できるようにしていくのなら、そこに新しい循環、新しい経済、温故知新された時代のカタチが観えてくるように感じるからです。

一見、田舎で古民家で暮らしながらITの最先端や時代の潮流を先取りして挑戦することは変人のように観えるかもしれません。しかし、本来、私たちは心の暮らしを優先しながら世界に対して自分のオリジナリティを追求することで個性を発揮して世の中に貢献していくものです。

人間の持つ使命や、人類との共生、貢献の歴史は、同様にその時代時代の本質を守り、時代を切り拓いてきた伝統と文化の集積によって行われてきたのです。まちづくりも地域振興もまた、根源はこの本質を深堀り、本懐を遂げる覚悟があってはじまるように思います。

子どもたちの未来に確かな個性を伝承できるように自分のやるべきことに集中していきたいと思います。

縁起物

先日、聴福庵の玄関に「慈姑(くわい)」を桶鉢にいれて飾りました。桶はそのままでは水を溜めるので一般的な植物では根腐れしてしまいます。しかしこの慈姑は、もともと水生多年草であることから水を溜めていた方がいい桶の性質との相性がよく元気に芽が出ています。

このくわいは、縁起がよい植物として古来から愛されてきました。特に、むかしからおせち料理に使われ丸い実の部分(塊茎)から数cmの芽が伸びていてその「芽(目)が出る」という姿から縁起物とされてきたのです。くわいという名前は芽が鍬に似ていることが鍬芋とも呼ばれたそうです。

他にも縁起のよさではこのオモダカは「勝ち草」と呼ばれることもあり、戦国武将や大名家でオモダカの葉を意匠化した沢瀉紋が家紋として使用されてきました。豊臣氏や木下氏、福島氏があり、毛利氏も副紋として使用したともいいます。それに徳川家譜代の家臣水野氏、一般的に広まった家紋としての十大家紋の一つとされます。

慈姑の歴史は、もともとは中国産で日本へは平安時代には伝わっていたようです。平安時代の書物「本草和名」には「烏芋(くわい)」の項で「於毛多加(おもだか)」「久呂久和為(くろくわい)」と記されています。また貝原益軒の「菜譜」にも、くわいの栽培方法や食べ方についての紹介があります。

日本は湿地帯が多いため、この水生植物も多様にあります。日本人は植物を様々な縁起物として大切に尊敬し扱ってきました。今回、聴福庵の玄関の隣に飾ったこの慈姑もまた芽が出てきたという縁起を顕すものです。

これからどのような展開が待っているのか、子どもたちがすくすくと幸せにつながる子縁の社會の実現に向けてとても楽しみにしています。

 

手入れ

「手入れ」という思想があります。これは一般的には、よい状態に保つために、整えたりつくろったりして、手を掛けることをいいますが私にとっては「磨く」ということと同じだと定義しています。

人はどんなことでも「磨く」ことで愛着が湧き、さらに磨く面白さがわかっていきます。この磨く面白さは、手入れの面白さなのです。少しずつ手入れをしていくうちに、取り組んでいることの本質を知ったり、そのものの価値を学び直したり、さらには関係性の中でお互いに尊敬、尊重しあったりすることができます。

これは人と物との関係もですが、人と人との関係もまた同様です。手入れをしていくことは、それ自体が関係性を結んでいくことであり、お互いのご縁の存在を磨き光らせていくのです。

磨くために大切なこと、手入れのためにもっとも重要なことはそのものの存在を深く知ることからはじまります。五感を総動員し、また第六感までも使い、そのものの存在に触れていきます。そうすると、そのものが何の役に立ちたがっているのか、なぜこの存在が生まれたのか、どこで活かすことができるのかが少しずつ見えてきます。

そして場数を経ることで次第に、お互いの善さがもっとも引き出し合える場所を見つけることができます。その場所を大切に守り、それをいつまでも手入れし続けることでさらに関係が磨かれ珠玉の輝きを発揮しだします。

だからこそ手入れを怠らないようにすることが、人間が人間らしく生きていくための智慧になるのは間違いありません。

一人一人が手入れをし、磨き続ければこの世はそれぞれが光り輝いていきます。そうやって輝いていく人が増えていけば、この世は明るく平和になっていきます。手入れすること、磨くことは、私の人生の大テーマです。

引き続き、子どもたちに手入れや磨くことを伝承していくために私自身が楽しく豊かに磨きを楽しんでいきたいと思います。

与贈循環の場

一緒に働く仲間が「与贈」についてブログで紹介してくれていました。私もこの言葉を知ったのは数週間前です。彼の説明では「自らの一切の利益を求めず、自らのいのちを何かのために使うこと。」、私はこれを真心とも呼びます。

私の思う真心は、一般的に言う頭と心の心ではありません。この真心は、自他一体の境地のことでありそのものと同化している状態、地球そのもの、宇宙そのものに同化している境地の時に出てくる心のことをいいます。

例えば、自分と境界線を分けているものが取り払われたとき私たちはその場と一体になっています。場が自分であるのか、自分が場になったのか、それはわからないほどに自然一体になります。この自然一体の状態のときのことを私は、「かんながら」と呼びます。

つまりは、まるで神様の依り代になったかのように純粋な心、そこには自他の別もなく、空と海が混じり合ったような透明な存在になっていきます。

私たちはなんでも名前をつけては物事の認識していきます。そして文字を書いてはそのものを説明していくようになりました。しかし、この世にあるものはすべて何かが変化した仮の姿でありその元はすべて同源のものです。

目の前にあるすべての道具も、自分の体も、そして天地自然界にあるすべてのものも、さらにはこの意識であったり、宇宙であってもそれは同源だったものが変化して形として顕れたものです。それに名前をつけていくら別のものにしたとしても、その本質は無であるのです。

この無が循環するところに場が生まれます。この無とは、有る無しの無を言うのではありません。元は同じであるという同源という意味、もしくは原点でもいい、その元のままという意味での無のことを言っています。

私たちがなぜ物を大切にする必要があるのか、そして如何に善きものを循環させていく必要があるのか、それは変化に偉大な影響を与え合っている存在であるからです。この善きものこそが、魂の故郷が住んでいる場所であり、その懐かしい「場」に出会うことで人々はいのちの本体に出会います。

私が家を直すのも、子ども心を守るのも、人類の智慧を伝承しようとするのもまた、この与贈循環を「場」によって顕現させていのちの安らぎやよろこび、しあわせの道を伝道していこうとしているからです。

徳が循環する世の中こそが、私たちの永続的な未来を保障するのです。

引き続き、一期一会に自分の人生を全うしていきたいと思います。

 

道徳経済一致

人類の創造する世の中は、道徳と経済のバランスによって保たれているともいえます。時代に時代によって、何を優先しているかで世の中のバランスが崩れていきます。今の時代は経済を優先し、道徳を後にしています。

二宮尊徳は、道徳と経済の一致を説きました。これは本来の道徳こそ経済であり、経済が道徳であってこそ本物の経済であるといいました。つまり道徳経済というものはすべて本来は一体のものであり無二であるということです。

それが今では、経済は道徳から離れた経済になり、道徳もまた経済から離れた道徳になっています。企業CSRを言われていますが、これは本来、どういう意味であるかということをそれぞれが深め直すことが大切だと私は思います。

だからこそまず取り組むことは、「徳」から考えなければなりません。徳とは、道徳と経済が一致した言葉です。この徳を磨き徳を高めることで、有徳の人たちが増えていきます。

有徳の人物が増えていくからこと、経済は富、道徳も豊かになるのです。まさにこれが富者有徳の原則なのです。

今の時代、これらのことが観えなくなっているかもしれません。しかし歴史を鑑みれば、藩政改革を行って成功した上杉鷹山もまたこの富者有徳の理念で人々を導きました。二宮尊徳もまた、心田開発といって人々から徳を引き出して徳の治世を目指しました。渋沢栄一もまた論語と算盤という言い方をしました。これは聖徳太子や、菅原道真、日本を創り上げてきた本質的な偉人たちみんなに共通するものです。

縁あって、金融の事にかかわっていますが私が本来、使命を感じるのはこの子縁といった子種、人類の子孫たちへの願いと祈りです。

引き続き、子ども第一義の理念で道徳経済一致を目指していきたいと思います。

大切にしたい文化~暮らしのひとこま~

昨日、インターンシップにきている学生がこれからカンボジアでボランティアを通して新たな学びにいくための「はなむけ」としてみんなでお餞別を渡す機会がありました。その内容は、現地で必要になりそうな非常食であったり、常備薬であったり、お手紙や手作りの玄米クッキーであったり、また路銀としてお金も集めて渡しましたがとてもあたたかい気持ちになりました。

日本では、むかしから旅に出る人や大切な門出にこれらのはなむけやお餞別を贈るという文化があります。これも大切な徳の一つで、離れていてもいつまでもこのご縁を結んでいることを実感して絆を深めていたのです。

昨日も「離れていてもいつも一緒ですよ」や、「またお便りをくださいね」や、「何かあったらいつでも連絡してね」や、「どんな学びがあったかまた共有してね」など、ご縁をいつまでも大切にしていきたいという思いが伝わってきました。

この「はなむけ」という言葉は、「《昔、旅に出る人の道中の無事を祈って、乗る馬の鼻をその行く先へ向けてやったところから》旅立つ人の安全を祈り、前途を祝して、酒食をもてなしたり、品物を贈ったりすること。」(コトバンク)とあります。平安時代の土佐日記にうまのはなむけと出てきますからかなり昔から続いている文化であることがわかります。

昔は特に交通機関が未発達だったでしょうから遠出の旅行には苦難や困難がつきものだったと思います。そんな時、仲間や家族は旅に出る大切な人の安全を祈願し物品や金銭や詩歌を贈ったり、宴を催したのです。人を大切にし、みんなでその人のことを祈る思いやりや愛、徳がこの文化の生まれるきっかけだったのかもしれません。

またお餞別のほかにも旅につきものである「お土産」は元々「宮笥〔みやげ〕」といい、寺院や神社に参拝した際の神の恩恵を、お守りやお札等の仏や神にまつわる物品と共に近所や親しくしている人々に分けようとしたのが本来の意味だったそうです。

「路銀」については、昔は村落で旅行費用の積み立てを行ったところもあったといいます。旅行者は村の代表として、村人から集めたお金で遠くの寺社に参拝し、帰郷の際には旅費の代わりに神仏の恩恵(お守りやお札など)と共に土産話を聞かせたといいます。村人たちは普段耳にすることのない異国の話を聞き、知見を広げたのです。みんなで費用を出し合ってその人がお土産を持って帰ってくる、無事であったことに安堵し感謝し、道中の様々な体験を共有できることで村のみんなで喜びや仕合せを分かち合ったのです。

むかしはみんな「暮らし」を大切にしていましたから家族のように接していたように思います。その家族が旅に出るのですから、みんなその家族の未来の幸運を祈り、みんなで自分の事ように寄り添って心の豊かさを分け合っていたように思います。

時代が変わっても、大切にしたい文化はこの日本にはたくさんあります。子どもたちがいつまでもこの国や歴史、先人たちの生き方に美しさを感じ、それが誇りになり伝承されていくように私たちも暮らしを大切にしながら子ども第一義の理念を実践していきたいと思います。