農の道

田んぼのお水管理をしていますが、私の場合は先に知識を入れず田んぼと稲を見ながら取り組むため他の田んぼとは異なる農法になります。なので毎回、感覚が試され、何が自然で何が不自然かということと向き合うことばかりです。

今年は、暦や月のリズムなどを暮らしに取り入れて生活をしています。明日は新月ですが、法螺貝を立て田んぼにいのりを捧げます。英彦山の弁財天と関係性を結び、ご祈祷して取り組んでいますから巳の日にもこだわります。

お水を深める一年にしていますから、田んぼや稲はとてもお水を學ぶのに偉大な先生になっています。どの時間帯のお水か、どの場所からお水か、水量をどうするかなど、興味は尽きません。

以前、注ぎ師の方にお水の注ぎ方で味がまったく変わることを教わる機会がありました。お水は私たちの意識にも感応しますし、どのようにお水を尊敬するかでその変化は無限に異なります。

人間の体で考えてみてもお水がどのように働いているかを考えればすぐにお水の性質を発見します。

私たちは口からお水を空気と共に吸収します。酸素は血液の中に呼吸で溶け込み、それを吸収して二酸化炭素を排出します。また飲めばそれを内蔵が吸収し全身を循環して糞尿として排出されます。これは自然界も同様の仕組みです。

お水は呼吸と一体になって動きます。

田んぼもまた同様に、風が田んぼを揺らすことでお水は循環します。これは息をするのと同じです。土は酸素を吸収して栄養を取り込みます。これは人間の腸と同じです。お水を飲み過ぎば循環が澱み、少なすぎても乾きます。人間の身体であれば、小まめにお水を飲む方が身体によいといわれます。運動している時は、お水をがぶ飲みしても返って吸収するのが難しくなります。休息と共にゆっくりとお水を飲めば、内臓が穏やかにお水を吸収します。

太陽が出ている間は、植物たちは必死に光合成をし疲れます。そして夜になり月が出れば、月の引力に導かれ成長していきます。その時に、穏やかなお水があれば稲は休息ができ治癒します。

呼吸をするようにすべてのいのちは、活動と休息を繰り返します。それを助けるのが太陽や月や大地です。大地は体そのものです。その大地とどう接していくか、その大地が健康であるようにどう関係性を築いていくか。

農の道の妙味はここにあります。

何が自然で何が不自然か、そして何が健康で何が不健康か、刷り込みのない澄んだお水のような心で学び直していきたいと思います。暮らしフルネスの場にとって、田んぼはまさに先達です。

徳が循環する世界を見守れるように実践を続けていきたいと思います。

徳積循環の理

古来より、「時は流れる」という表現をします。これは万物は変化するということを示します。変化とは何か、それは言い換えれば流れ続けるということです。

水が流れ続けるように、いのちも流れ続けます。すべての存在は関係性のなかで変わり続けるのがこの世の真理です。変わらないものはありません。だからこそ先人たちはそれを受け容れて変わらないものを変化そのものとしました。変化する中で、形を変えても変化しないものを守り続けたのです。人間であれば、初心を守るということも同様です。

時が変化し、あらゆる状況が変わっても、自分で定めた初心を守るために自分自身の変化を喜んで受け容れていくということ。これは産まれてから老化して死ぬまでの間にも何度もその初心を内省し、向き合い、その都度に初心が守れるように変化していく。流れを止めないでいる、敢えて流れることで守るのです。

変化の書『易経』には「窮すれば変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し。」

という言葉があります。行き詰まれば変化が生まれ、変化すれば流れが生まれ、流れがあれば長く続くという意味です。

そう考えてみると、この世で最もこの変化を産み促している存在は「お水」です。

今年の私の一文字は「水」でしたが、水を深めれば深めるほど変化のこと、循環のこと、そして徳に回帰します。

レオナルドダヴィンチは、「Water is the driving force of all nature.」ともいいました。お水が自然の偉大な原動力であるとも。

原動力とは、「流れる」ということです。流れるものが動力であり、流れている最中こそ動力が活動している状態ということです。そしていのちは、そのとき、全体のいのちと一体になって躍動していきます。

だからこそ停滞、澱み、循環しなくなればいのちは弱ります。変化できないというのは、流れなくなるということです。

医書「黄帝内経」には「通ぜざれば則ち痛む」(不通則痛)とあります。

つまり流れなければ痛みとなる。これは人体ですが、自然環境でも同様です。痛みとは、自然災害によって引き起こされます。

健康を維持するとは、きちんと呼吸をし氣が巡っていることです。自然であれば、風水が流れているということです。

そして人類はそれを「暮らし」によって調えてきました。これを養生ともいいます。自然もいのちも健康もまずは養生の実践からです。養生の実践は、徳の循環に由ります。

引き続き、徳積循環の実践を弘めていきたいと思います。

 

元氣の甦生

元氣というものがあります。これは「氣の元」とも言えます。私たちは空氣を吸っては吐き、息をしていのちを保ちます。呼吸していなければ生きていくことはできません。食べ物がなくなってもしばらく生きられますが、呼吸できなくなれば生きることはできません。

この呼吸は、氣の交換でもあります。私たちのいのちは、いつも交換しながら循環し流れては調和しています。別のいのちと交換しながら全体のいのちを育みます。私たちは全体調和のなかでいのちを生きる、まさに全体と一体になって存在している部分の一つです。

その中心的なものがこの「氣」というものです。この世のすべては空氣で結ばれています。この世のすべてのものは氣を通して呼吸しています。これは無機質のものに至るまで、呼吸しないものはありません。だからこそ、氣がどうなっているのかをよく観察し洞察すれば病気の根源も認知できるものです。

「養生訓」を記した貝原益軒が巻第一「総論上」の中でこう記しています。

「素問に、怒れば気上(のぼ)る。喜べば気緩(ゆる)まる。悲めば気消ゆ。恐るれば気めぐらず。寒ければ気とづ。暑ければ気泄(も)る。驚けば気乱る。労すれば気へる。思へば気結(むすぼ)るといへり。百病は皆気より生ず。病とは気やむ也。故に養生の道は気を調(ととの)るにあり。調るは気を和らぎ、平(たいらか)にする也。凡そ気を養ふ道は、気をへらさざると、ふさがざるにあり。気を和らげ、平らかにすれば、此二つのうれひなし。」

意訳すれば、「中国最古の医学書『黄帝内経・素問』には怒ると、気は上へとのぼる。喜びすぎると、気はゆるみ、締まりを失う。悲しみすぎると、気は消耗する。恐れると、気の巡りが悪くなる。寒さにあたると、気は閉じこもる。暑さにあたると、気は外へ漏れ出る。驚くと、気は乱れる。働きすぎると、気は減ってしまう。あれこれと思い悩みすぎると、気は滞ってしまう。このように、あらゆる病は気の乱れから生じるのである。「病」とは、まさに気が病んだ状態をいう。だから、養生の根本は、氣を調えることにある。「氣を調えるとは、氣を穏やかにし、偏りのない平静な状態に保つことである。」そもそも氣を養う方法は、二つしかない。一つは、氣をむやみに減らさないこと。もう一つは、氣を滞らせないこと。氣が穏やかで、偏りなく、よく巡る状態を保っていれば、この二つの心配はなくなり、病になる原因も少なくなるのである。」と。

ここでの要諦は、病気は氣から起こる。氣を調えていれば病気の心配はない。氣の養生は、二つしかない。氣を滞らせずに循環すること、氣をむやみに減らさない、平氣でいることであると。

氣の持ちようは、健康を司る大きな鍵です。元氣は、いつも元氣であるように暮らしを調えることからはじまります。では元氣な暮らしとは何か、それは孟子の浩然の氣にこそヒントがあるのではないかと私は思います。

『孟子』公孫丑上の中で孟子は弟子との対話でこう言います。

「我善く吾が浩然の氣を養う。」

弟子が「浩然の氣とは何ですか。」と尋ねると、孟子は答えます。

「至大至剛にして、直きをもって養いて害することなければ、天地の間に塞がる。」

これは弟子との問答の中で、浩然の氣は、義を積み重ね、道にかなった生き方を続けることで育つということを諭します。浩然とは、広大で、のびのびと満ちあふれた状態のことをいいます。これは私は「元氣」のことだと定義しています。

つまり元氣でいるというのは、浩然の氣を養うこと。養生とは、この浩然の氣のことです。そして浩然の氣は、直き心、素直さ、義の心、そして徳を積むことで養われるというのです。

暮らしフルネスの実践は、この「元氣の甦生」にこそあります。

畢竟、短い人生の中で何が遺せるか。それは生き方や生きざま、そして実践です。実践を遺せば、後に続くものたちの道になる。徳と氣は表裏一体なのです。

道は元氣の甦生からというのが、私が場道家として場づくりをする理由です。

子どもたちに初心伝承できるように、精進していきたいと思います。

徳の循環

式年遷宮というものがあります。これは20年ごとに社殿を建て替える伝承の取り組みです。今は63回目、次回は2033年に64回目になります。見事に甦生され、いつ拝見しても新しく若々しく瑞々しさが保たれています。まさに永遠の象徴です。

この式年遷宮は、人は変わっても同じ精神・技術・形を何度も新しく活かすという仕組みです。この20年というのが絶妙な期間で、これが100年になれば職人たちも不在になり失われてしまいます。20年に一度というのは、職人の人生であれば3回は立ち会えます。最初の1回目の若い頃は年配のベテランの技術者や宮司はじめ神社関係者に指導されます。2回目、3回目は今度はそれを指導する側として同じことを取り組みます。

いくら同じ精神、技術、形があっても材料も人の環境も気候も価値観もすべて異なります。

それでも永続して初心を守ろうと取り組むところに、甦生の本質があります。

此の世の真理として死なないものは一つもありません。誰もが産まれては老い、死にます。死なない存在はありません。それがこの世の摂理です。だからこそ、人は死なないことを永遠とするのではなく「循環」することを永遠と定義したのでしょう。

循環し続けても、本質は守り続けるという実践。

日本にある老舗はみんなそれを守っています。式年遷宮と同じことをずっと繰り返しているのです。私の友人の会社や寺院も何世代も続いているところがあります。今でも何百年前のままに老舗を経営しています。

時代は廻ります。

たとえば、戦争の時もあれば平和な時もある、あらゆる天災人災に遭います。しかしそうであってもその時々の人が初心を守り本質を維持していたから今でも元氣に若々しく経営を続けています。それはそれぞれの老舗が「循環」を守ってきたからです。そしてこの循環には思いやりが必要で、次世代のためにと生きた先人たちの存在が不可欠です。

それを私は「徳」と呼びます。

徳が循環するというのは、永遠に甦生するという知恵の伝承なのです。

引き続き、人類、および子どもたちが安心して暮らしていける世の中になるように残りの人生も真摯に働いていきたいと思います。

草莽の志 ~暮らしと場づくり~

吉田松陰の遺した言葉に「事を論ずるには、当に己れの地、己れの身より見を起こすべし、乃ち着実と為す」というものがあります。

意訳ですが、「世の中のことを色々と論じる前に、まずは自分が暮らしている場所と、自分の立場からよく考察して実践する。それこそが着実に世の中を易えることになる」ということです。

色々言う前に、知行合一にまずは自分の「場」で試行錯誤するのが一番だということです。そこで松下村塾を実践したのが吉田松陰です。

日本を変えるための議論ばかりを知識で頭でっかちに戦わせるのではなく、まさに今いる自分の暮らしと場を変えることが日本を変えることだと弟子の久坂玄瑞に諭したといいます。

このやり取りは私も深く共感します。

自分の暮らしを変えるということは、それだけ世の中を変える偉大な影響力を持つということです。それは「場」が変わることからはじまります。

この場づくりとは土づくりに似ています。

場は、特定の偉い人だけで変えられるものではありません。吉田松陰の言うように「草莽崛起」によって変わります。この草莽とは、もともと野に生える草や茂みを指していました。語源は中国の古典『史記』や『漢書』に遡り、在野の英雄や庶民が時代を動かす存在として描かれてている言葉です。

つまり肩書が世の中を変えるのではなく、氣づいた人が暮らしを見直し場を易えて世の中が変わっていくという真理を指します。

ほんの微細な小さな実践であっても、人の意識は変わります。そして人の意識が変わればその意識に共感した周囲が変わります。

つまり「人は育つ」ということです。それが人間です。

だからこそ、社會を易えようと志す人たちは自分の身のまわりの場の実践から取り組むのです。

私が場の道場を創り、暮らしフルネスの実践に取り組むのは草莽の志があってのことです。ただの趣味や変人のように思われるかもしれませんが、在野であることの喜びを味わいながら楽しく好きに場づくりに取り組んでいます。

子どもたちの未来に、何が譲り遺せるか、試行錯誤を進めていきたいと思います。

 

心の結

田んぼにお水が入り、田植えの準備がはじまりました。周辺の田んぼは田植え機で行っていますが私たちのむかしの五穀田はすべて手植えで行います。同じ田んぼであっても、見た目が同じでも実は全く別のことを行っているということは多々あります。

これは暮らしも同様です。

私はすでに自然に遵って徳を磨く農の場づくりを東日本大震災以降から15年間取り組んできました。本来の人間性を磨き、徳を養う修養道場のような場づくりをしてきました。

田んぼの中でいのちが活き活きする場を観て、自立する元氣な稲と触れ、太陽や月や雨、風や光や音などが育つ場をつくることを学んできました。

いのちが育つ場とはどのような場なのか、それを只管に追及してきました。

その中で、自然のリズムを学び、仲間を学び、自分を学び、感謝を学び、見守ることを学び、一緒に生きることを学び、いのちの循環を学びました。

本来、人間性が甦生するための修養の場とはどのようなものでしょうか?

それは単に知識を増やすことではなく、技術を身につけることでもなく、むかしは自分の心身を整えることや、人格や徳を磨くこと、天地自然との調和を学ぶことだったのではないでしょうか?

そのような場づくりをしたいと、古民家和楽と田んぼの場で取り組んでいくのが暮らしフルネスの人づくりなのかもしれません。

暮らしフルネスの人づくりは、「人と自然と共同体を再び結び直し、人間の本来性を甦生させるための場づくり」でもあります。

これは英彦山で行っている日子山仙螺講などと同じで、「結」という日本人のもつ真心や思いやりの天分や天稟、徳が喜び合うような場にしていこうと実践実験していこうとする試みです。

一期一会の田植えには、一期一会の結があります。

心の結でつながることは、安心と人が育つ大切な土台や基礎を育みます。

私が一生で取り組んできた、いのちが見守り合う喜びもそこにあります。

ご縁とご参加を楽しみにしています。

 

 

成長と成熟~自我との折り合い~

人間は人格が磨かれないと自我との折り合いがつきません。自我とは調和であり、自然体の姿でもあります。これは一人の人格の中に二人の人がいるような感覚です。神経では、交感神経と副交感神経との関係に似ています。

通常、成長成熟は人間的にも才能的にも技術にも完璧になった人のように語られます。地位も名誉も人格も身に着いた人物のように言われます。

しかし実際には、良寛さんやあるいは名も知られずとも地位がなくても見事な生き方をした僧侶や医師がいたりします。最近では、ウルグアイのホセ・ヒムカ氏などもそうです。

艱難辛苦がその人の自我を調え、見事に調和した「一人」になっておられました。つまり自我が調い、真の人間性を生きることができたということです。

そこから逆説として、では何が成長成熟なのかということを洞察してみると人間はどのような状況でも自己を深く探求し学問を続けることができるということ。また人間の理解が深まり、何が未熟であるのかがわかるということ。そしてどのような状況かであってもどう生きるかという生き方を磨いていくということが真の人格、自我との調和には関係していることがわかります。

人生は一度切りですが、生き方はそれぞれが決めるものです。

そして真の資質とは、その人がどのような状況でも本質が保てるかということに他なりません。

本質を学び、本質のままでいることは人格を高めることです。同時に、本質を守る人の周りには同じく人格を磨きたい人が集まってくるものです。孔子の一生が十五にして学を志し、七十にして心の欲するところ矩をこえずといったのは、本質を学び続けて遂に自然体の一人になれたということでしょう。

本質を保とうとすれば必ず苦労は訪れます。

残りの人生も、意味を味わいながら自我の調和を暮らしの中で調えていきたいと思います。

現代文明の困窮

現代文明の困窮とは何か、それは人間性の減退と発達の未成熟により徳を切断・分断し循環しなくなったことが大きいように私は思います。

人間が徳の循環から離れたらこの世の中は、単なるいのちではない物質を利用する人間が征服する世界があるだけです。西洋文明の本質は、自然を支配し人間の思い通りにしていく未来をつくることでしょう。そこに人間性の成熟を見失えばどうなるか、それが現代文明の病巣として数々の問題を引き起こしています。犯罪、テロ、麻薬、戦争、宗教対立、民族対立も、人間が「自分だけ」「自国だけ」「自宗教だけ」「自民族だけ」「今だけ」を守ろうとし、いのち全体の循環から切り離された時にこそ発生するものです。

全体の循環を止める、そして離すという行為が如何に目先の利益だけを追い求めることになるのか。それは現代の経済や医療、そして教育を洞察すればすぐに観えてきます。目先の経済のために自然を破壊し、対処療法で切る焼く毒を入れても病気は増える一方、そして即席ラーメンのようにすぐに使える人間の育成、それはすべて全体調和や全体循環を歪めるものです。

人類は今、もう一度問い直し具体的な実践を変えていく時機を迎えています。そうしないと、困窮がさらに進み戦争をはじめ環境破壊をはじめ、この地球の生態系を滅ぼし、最後はその生態系の循環から除外されてしまいます。

「何のため」を問う、つまり生き方の再編集が必要なのかもしれません。

何のために発展し、何のために生き、何のために存在するのか。

目先の困りごとは、その奥に真の困りごとが隠れています。目先の困りごとの解決は、全体が調和し循環することで真に解決するものです。いつまでも目先の困りごとが解決できないのもまた真の困りごとが動かないからです。真の困りごとを動かす人たちが増えてこそ、目先の困りごとの解決も進みます。

大事な節目に、どうこの人類の困りごとを転じて福にしていくか。

色々と私の場づくりを通して試行錯誤していきたいと思います。

螺旋の道

明日は、英彦山守静坊で法螺貝を七神お渡しする儀式をします。誓願した法螺の五百羅漢を目指し、いま七十四羅漢になりました。ますます法螺を通した波動は揺れ螺旋の繋がりが広がりより中心への思いの結びつきは強くなります。

法螺の意味は、「螺旋の真理」という意味です。ではこの螺旋の真理とは何かということです。螺旋というものは、宇宙の姿であり、星々の姿であり、意識や生命の姿です。そして分子や量子の姿でもあります。波動は揺れていますが、それを纏めているのが螺旋です。

つまり波動がカタチになったものが螺旋ということです。

例えば、空気中の風は揺れています。しかしそれが纏まるとき、台風や竜巻になります。海や川などの水も同様です。流れがありそれが揺らぎ螺旋になることで調います。時が動けば波動、空間や場が螺旋です。

最近は、脳科学でも螺旋波というものが見つかり私たちの脳の認知や意識は螺旋上に信号を送ることで纏まるといわれます。心臓も単なるポンプをするのではなく、螺旋状に包まれた筋束が螺旋のように呼吸をして血液や酸素を全身に巡らせているというものです。つまり螺旋はマクロ宇宙からミクロ宇宙まで全て網羅しているあらゆる真理の姿です。

此の世の全ての神秘には、波動や螺旋が深く関わっています。古代より人々は螺旋の力を発見し、紋様をはじめあらゆる暮らしの中心に螺旋を取り入れてきました。ある部族は、蛇を象った螺旋の踊りをすることでいのちを蓄えました。またある宗教では螺旋はすべての神人合一の象徴としました。陰陽道やタオといった道もまた、波動と螺旋が顕現したものとされました。

法螺貝を持つということは、螺旋の道を実践するということでもあります。

人は日々の生活の中で様々な感情を持ち心を調えます。この瞬間瞬間の一期一会には、波動と螺旋が深く結びついています。微細な揺れから大きな揺れ、それを自己内省によって螺旋にして調えます。

私たちが「調っている」という状態は、螺旋になっているということです。そして調うとは、成長すること変化すること、シンプルに言えば「旅をする」ということです。宇宙を太陽系の星々と共に螺旋しながら旅をするように、私たちのいのちは螺旋の道と一緒に歩みます。

法螺貝を吹くとき、私たちは螺旋になります。

螺旋になるということは、あらゆるものを一円和合して成長して真に自己に氣づくことを繰り返すということです。

何度も何度も繰り返し同じことをしても、必ず前と同じ円ではなく螺旋となるという法則。そこに絶対的安心を直観するから今でも法螺貝は人々と共に旅を導く存在として大切に守られ人類のお導きの存在、宝ものになっているのでしょう。

宇宙自然、全体調和、波動の中で旅をし、螺旋の道を究めていきたいと思います。

英彦山枝垂れ桜の物語

英彦山の守静坊の枝垂れ桜は少しずつ開花をはじめています。この唯一無二の枝垂れ桜の物語を少しご紹介してみようと思います。

もともと守静坊のしだれ桜が英彦山の地に植樹されたのは今からちょうど二百三十年年前のことです。この頃の英彦山には約三千人以上の修験者たちが英彦山の中で暮らし宿坊も八百坊ほどあったといわれます。当時の英彦山はとても参拝者で賑わっており、坊家の山伏たちは薬草で仙薬をつくり、信仰者へのお接待やご祈祷や祭祀、護符の授与や生活の知恵の指導などを生業として暮らしていたそうです。

時代の変遷を受け、今はその様子は失われていますがその当時の面影のままに今でも清廉に咲き誇る「しだれ桜」が守静坊の敷地内にあるのです。時代を超えて生き続けている存在の御蔭さまで私も甦生に取り組むことができています。

この守静坊の枝垂れ桜の特徴は、「澄みきった可憐さを持つ花びらと、鳳凰のように羽を広げた姿はまるで今にも飛翔していきそうな姿」です。実際には樹齢二百三十年以上、高さ約十五メートル、幅約二十メートルほどあります。

品種は、「一重白彼岸枝垂桜」といいます。この名前には日本人の自然観と死生観がある象徴的な桜ともいわれています。この「彼岸桜」は、春のお彼岸の頃に咲くことから名付けられ、此岸(この世)と彼岸(あの世)をつなぐ存在として、古くから先祖供養や浄土思想と深く結びついてきました。

そして「枝垂」は枝が下へと流れるように垂れる姿を指し、その形は水や柳を思わせ古来より霊性や神聖さを帯びるものとされ寺社に多く植えられてきたものです。純白の透明感のある「白」は清浄や浄土を象徴する色であり彼岸という概念と重なることでより一層あの世への祈りや鎮魂の意味が入ります。

また「一重」は花びらが簡素で原初的な形であることを示し人の手による装飾性よりも自然そのものの美しさを宿しているともいわれます。これらすべてが重なり合ったという意味で「一重白彼岸枝垂桜」という名前になっています。

この世とあの世の境界に静かに佇み、亡き人への想いをそっと託すような、日本的精神性を体現した桜がこの守静坊の枝垂れ桜なのです。

そして言い伝えでは、江戸時代の文化・文政年間に(1804年~1819年)に当時の守静坊の坊主である守静坊普覚氏が二度ほど、英彦山座主の命を受けて京都御所へ上京しました。その時、京都祇園にあるしだれ桜を株分けしたものを持ち帰りこの英彦山に植樹したといいます。

昨年、故あってちょうど福岡にお越しになっていた平安時代末期から続く公家の家職であり代々宮中の装束を担当してきてこられた若宗家の山科言親様に浮羽の私が甦生している古民家でお会いするご縁をいただきました。その時に「元々は祇園桜の発祥は、京都円山公園にある山科家の宿坊の敷地内にあった枝垂れ桜だったんです」というお話をお聴きしました。その時の出会いの感動は大きく、時代を超えて桜を通して繋がる人々の関係があることに感謝したことを今でも覚えています。

守静坊ではこの枝垂れ桜の開花時期に、英彦山と場にご縁のある方々や檀家さんたちが集まりご先祖さまの供養を行う年中行事その後に行われてきたという伝承があります。それを新たに甦生して、今の時代に本質は変えずに桜を喜ばせるような年中行事「サクラ祭り」として私が実施しています。

昨日も大量の落ち葉を桜の養分にと作務をしていたら何処からか桜を観に来る方やお花見のお電話が入ってきました。どの方々もこの守静坊の枝垂れ桜を観て感動した、魂が震えた、桜との出会いが忘れられずにまた来たいと足を運んでおられました。

桜は凛としてただ自分の花を精一杯に咲かせているだけですが、その姿そのものあるがままの徳が人々の心を癒し清め、繋がりを保ち今でも心を救っています。

私もこの枝垂れ桜のように生きたいと、人生の大先生と慕い桜守をさせていただいているところです。きっと満開と見頃は今週末から来週末くらいまでではないかと思います。

英彦山はちょうど上宮の工事も終え、お山も次第に調ってきました。桜と共に皆様にお会いできるのを心から楽しみにしています。

https://www.crossroadfukuoka.jp/event/15519