尺度

四季を通じて様々な生き物たちが生長をし活動しています。つい都市で働き時間に合わせて生きていると、身のまわりの植物たちや魚や鳥などの生長には気づかないものです。ある時、ふと立ち止まり周りの声に耳を傾けていると次第に季節がどうなっているのか、周りの生き物たちがどのように伸びているのか、また何が増えて減ったのかといった自然の景色が観えてくるものです。

自然界とは別に人間は「時間」というモノサシをつくりました。ひとつの基準として昔は星時計、そして日時計、今では分刻み秒単位でデジタル時計が出てきています。これは人間の間で御互いにモノサシを持つことで、一つの基準を定めたと言えます。このモノサシとは尺度のことで、言い換えるのなら人間の価値基準ということです。

この価値基準というものを疑わず、もともとそういう価値だからとその価値観の中に囚われてしまうことを刷り込みとも言います。物事の本質を捉えず、周りの価値観を真実だと思い込めばそれ以外の世界は見えなくなります。

先ほどの景色も同じく自分の刷り込みや思い込み、価値観の尺度ばかりの中にいれば自然界のことは分かりません。人が自分の尺度を観直すとき、それは自然界の中にある実相を観るときに行われるように思います。

宇宙も同じく計り様のないものを計っても計ったところまでしかわからないのが人間の尺度でもあります。この尺度をどの尺度で観ているかが、その人の世界観を決めています。

歴史の尺度、宇宙の尺度、自然の尺度、いのちの尺度、いろいろな尺度を持つことができることが思い込みや刷り込みを外していくためのコツかもしれません。常に本質は変わらないからこそ、本当は何かといった尺度を磨くための実践を積み重ねていきたいと思います。

近代史から学び直すこと

明治のことを調べていると、そこには近代日本に向けてどのように変革が行われてきたのかが観えてきます。開国を迫られ、不平等条約を結び貿易をする中で如何に西洋が持っている技術を自分たちが取り容れて対等に貿易をしようかと急速な変化を優先した結果がその当時の様子に見てとることが出来ます。

西洋の持つ人工的な科学力、その文明を真似て自分たちのものにしようと貪欲に学びこんだ人たちが近代化を促進したのです。それまでに築いた循環型の暮らしを手放し、西洋と同じく消費型の暮らしに変わったのもこのころからだったように思います。

ちょうど明治に入ったころ、「御雇い外国人」という人たちがいました。約数千人の御雇い外国人を世界から招き学校をつくり様々な教育を行い技術者を育てていきました。

その中の一人に「大日本」を記した英国のヘンリー・ダイヤーがいます。この方は工部省工学寮(東京大学工学部の前身)の教頭に任命され多くの日本人に技術を教育してくださった方です。近代技術工学の父と呼ばれ、エンジニアリングとは何かということを常に優先して指導に当たったそうです。著書「大日本」では東洋の小国がわずか30年で近代化を果たした原動力は何かを解き明かしています。

彼の指導を受けて建築家の辰野金吾やアドレナリンを発見する高峰譲吉、土木技術者、工学者の田邉朔郎など多くの人材を輩出します。

「理論に実践が伴って初めて工学の価値が生じる」という信念を持ち、理論よりも実践を重んじ大学在学中の5年間の中の2年間は常に現場で場数を踏ませて学ばせることを重んじました。さらに、社會を換えるもっとも影響があるのは「ものづくり」をすることで改革されるとし、エンジニアとは社會を変革する人物でもあるとしました。

そのヘンリー・ダイアーはこういう言葉を遺しています。

「これまでさんざん言い古されてきた、『日本人は非常にモノマネが巧みだが、独創性もなければ偉大なことを成し遂げる忍耐力もない』といった見方は、余りにも時代遅れというものである。」(ヘンリー・ダイアー著『大日本』より)

実際に指導にあたったヘンリー・ダイアーは、この逆を見ていたということです。日本人はあっという間に西洋の技術を自分たちのものに変換していきました。実際に日本に来て次々と形にしていく技術者の姿に如何にその評価が間違っていたのかを記しています。

また指導にあたり日本人の特徴や特性も見抜いています。

「日本の学生は、何でも本から学ぼうとし、それよりもはるかに大切な観察と経験を疎かにする傾向がある。・・・工学に携わる人は、どんなに立派な理論を知っていても、知識だけの人にはなってはいけないし、また、どんなに器用でも、無知であってはならない。」(明治 第二集 模倣と独創~外国人が見た日本~ 2005.4.16 番組内の説明より抜粋)

知識だけの人に成ってはならない、器用でも無知ではならないと言います。つまり経験と場数を踏んで現場から学ぶことの方が本よりも価値があると言います。理論より実践を伝えてくれた教師だったからこそ、日本の近代化は進んだとも言えます。

しかしヘンリー・ダイアーは晩年に日本の未来を憂い下記のようなことを記しています。

「日本人は自分たちの国をすばらしいものにし、国民の生活を充実させるためには、西洋の科学と文明を利用すべきだが、同時に、日本人の生活と品性の特性を持ち続け、その個性を失わないようにすべきである。みずからの過去を忘れ、独自の特質とを棄ててしまうような国民には、真に偉大な国民となる資格がないし、またなれるものではないのである」

そしてこうも言います。

「日本は強大であるだけでなく、善良な国でもあることを示してほしい。」

その後、理念なき成長が軍事大国へ向かうことになり戦後の今の日本があります。今も昔も何よりも大切なのは、日本人らしい日本人としての成長であってその理念や理想を優先して日本人の徳性や品格、その歴史や個性を失わないことです。

近代史は、直近に先祖たちによって行われた私たちの歴史です。その歴史をよくよく検証し学び直しこれからどのようにかじ取りをしていけばいいかを決めるのは今の私たちの使命であり未来の子ども達の為にも私たちが向き合わなければならないことです。

引き続き、暮らしの再生を通して譲っていきたいもの遺していきたいものを深めていきたいと思います。

観光の本質

時代と共に言葉の意味は変わっていきます。それはその時代の人たちの価値観によって言葉は変化していくからです。かつて使われていた言葉が、かつてと同じように使われていなければ同じ言葉でもそれは全く異なる言葉になってしまいます。

何かを深めていくとき、その言葉がどこからはじまったのか、その語源が何かということを調べることはとても大切なことです。それはその意味を自分なりに深め、なぜ今のような言葉になったのかの経過を知ることになり、そのものの本質を再確認することが出来るからです。

例えば、「観光」という言葉があります。この言葉は本来、中国にある「易経」の「観国之光」から抜粋された言葉です。意味は、直訳すると「他の国へ行って、良い点を見て学んでくる」ことになります。

この言葉が日本で使われるようになったのはちょうど幕末の頃、アメリカと条約を結ぶための使節団が乗った船に「観光丸」と名付けたことが、日本で「観光」という言葉が使われた起源であるとも言われています。そして大正以降、「tourism(ツーリズム)」の訳として用いられるようになり、昭和に入り観光は旅行や娯楽、遊興、物見遊山や見物のように使われています。平成になると、娯楽、遊興、余暇や余興を楽しむことのようにその意味は変わっています。

本来、この観光の意味する観るのは光、この光とは文化のこと。正確には「観國光」という意味であり、言い換えるのならクニに暮らす人々の精神性、生き方、生き様、さらにはその国の持ち味、徳性、美点、善いところなどを見極めることが観光の醍醐味でもあります。

人々がその土地に行き、観光をするというのはその土地の大切な文化を学び直すことです。そしてその風土の文化に触れて、その文化の美点を吸収し、善いところをたくさん学ぶために行う学問の実践ということです。

同じ言葉であっても今の時代の観光とかつての人々が行った観光が異なるのは言葉を見れば明白です。だからこそ、その土地や風土の観光を考える人たちは本来の意味での観光を見つめ直さなければならないと私は思います。

なんでも経済とばかり結びつけてしまうと、儲けることばかりや儲かることばかりで営利を優先して本来の観光からかけ離れてしまうこともあります。以前、ある観光地へ訪問したときその場所でお店を出している人たちはみんな都会から商売のためだけに週末にきて稼いで帰る人たちばかりで地元の人たちはほとんど誰もいませんでした。

いくら観光名所にしたいからと、本来の意義や目的が変わってしまえばそれは単なる娯楽場所で終わり行楽は流行がありますからいずれは廃れるのが目に見えています。その土地の文化、その美点をいつまでも錆びさせないように磨き続けて光らせ続けるのが私が思う観光の本質です。

古民家の再生をしながら、家をただただ磨き続けていますがその磨き続ける先に強度の未来が光ってくるようにも感じます。子ども達に美点や良い点、また徳性や風土歴史の素晴らしさを伝承していけるように暮らしの再生を実践していきたいと思います。

他力

人は思い通りになったことを良しとし思い通りにならないことを悪いと思うと感謝の気持ちが薄れていくものです。本来、思い通りになるということは自分の思っている世界の中で自分の思うとおりになっただけの話で目を見開いて大きく視野を広げれば思った以上のことが起きていることに気づくものです。

この思った以上のことが起きていると感じるチカラというのは、他力のチカラを観ることに似ています。他力本願という言葉も、思った通りになることを良しとすれば他人がなにかをしてくれるのを期待するように誤解されるのでしょうが思った以上のことが起きていると自覚するのなら本来の意味で理解できるようになると私は思います。

自分の周りでは、自然界が循環して已まないようにあらゆるものが御縁で循環しています。自分の一挙一動が与える影響は大きいもので、それが全体に大きな影響を与えています。自分の思った通りというのは、たまたま目に見えた状況がそうであって実際は目には観えないところではまったく別の真実が発生しているのです。

だからこそ全体を観る人は常に他力を観ることを忘れないようにするのです。そこから思っている以上のことがどのように起きてくるのかを注意深く観察するのです。よく泰然自若している人をみると、別に度胸が据わっているだけではなく自然に最終的にはどうなるのかを直感するのです。

それはただ全力を盡せばいいのではなく、もちろん人事を盡すことは大事なことですが自分が何を実践していれば最終的にはどのように他力が働くのかを知っているのです。

例えば自然農でいえば、相乗効果を発揮して見守り育てた作物が実をつけます。これは直接的に何かをするだけではなく、間接的に自分が行っている実践をも加味して全体で関わります。自分だけの力で育てられるはずがなく、そこには自分以外のチカラが働いてその作用で育つのです。

こういう見守りを感じるチカラというのは、他力を感じるチカラと同じです。信じるということも同じく、他力を引き出す大切な要諦になっているように思います。そうやって間接的なチカラを信じることを「運」とも言います。

この運を伸ばすことをどのようにするのかは、日々のその人の過ごし方や信じ方に懸っています。思った以上の日々を生きることは幸福に満ちています、引き続き子ども達の未来を信じて実践を大切に積み重ねていきたいと思います。

暮らしの再生

昨年より「暮らし」について考える機会が増えています。この暮らしとは何かといえば、私の定義では生き方のことで道のことです。どのような道を歩むのかが暮らしの本質であり、道があるから暮らしがあります。道なきところに暮らしはなく、どのような道を歩むかが暮らしの再生とも言うように思います。

昔は人々が歩いていくところに道ができました。山野にいけば、獣道というものがあります。自然農の畑にも、雑草の合間に小さな道ができています。そこを通っている動物たちが何度も何度も行き来するうちに次第に道ができてくるのです。今は道をアスファルトで固めてしまっていますから、通ろうが通るまいが道ができたままで存在していますがかつては通らない道はなくなっていったのです。

つまり何度も往来するからこそ道ができ、その道が絶えないのはそこに歩んだ暮らしがあったということです。

例えば今はあまり神社に参拝する機会が少なくなったように思います。古来から私たちの先祖は受けた恩徳を忘れずに感謝の心で謙虚に暮らしていました。そのことから神社への参道はその往来の中で真心が洗い清められ清々しく澄んだ空気が道に宿ります。

それをある時期から宗教だと分別され、本来の暮らしの中にあった神道も今では暮らしから引き離されたところで理解されていることも増えているように思います。古来のかんながらの道には、常に御縁を信じて御縁に活かされその天恩や徳恵、御蔭様を忘れずに暮らしてきた様子が随所に遺っています。

遺っているものを省みると、その時代時代に生きた人たちの生き様が道として顕れます。その道とは「暮らし」のことで、その暮らしが受け継がれてきたことで道は存続してきたとも言えます。

その道が変わってしまうということは、暮らしが変わってしまうということです。暮らしは生き方でもありますから、生き方が変われば生き様もまた変わります。日本人としての生き方、日本人としての生き様、世界は多様性を発揮する時代に入っていますから私たちの個性の大元である日本の真心がなくなれば世界で活躍できることが少なくなるかもしれません。

子ども達は今のような答えのない時代、さらに発展すれば近い将来にはそれぞれの持ち味を活かして世界に貢献していくことになるのでしょう。その時に如何に多様性を持つかは国家の存続と大いに関わっています。日本人が世界で活躍できるように私たちは暮らしを持つ必要があります。暮らしの再生とは、日本人らしくあることの再生でもあります。

引き続き子ども達のためにも暮らしを見つめ直し、道を歩んでいきたいと思います。

内省の実践

人はどうありたいかを決めたら実践し近づいていくしかありません。自分の理想とする自分に近づくことは夢をカタチにしていくことでもあります。その時、もっとも大きな課題は自分に打ち克つことができるかということになってきます。

自分自身の心情のコントロールができるようになることが実践の意義のようにも思います。例えば、したくないなと思うことを敢えてやることや、先延ばしできることを今やること、また面倒だなと思うことを丁寧にやること、こういう一つ一つの実践の中に実践の醍醐味があるとも言えます。

先日、理念の話の中で忙しくなって余裕がなくなると理念から離れてしまうという相談を受ける機会がありました。その際、理念ができるかできないかよりも忙しいけれど忙しくしないことや余裕がないけれど余裕がないようにしないことが実践であることを話しました。

つまりは、「ふり」をすることも大切な実践であるということを言いました。この「ふり」というのは「振る舞い」のことです。これは先ほどでいえば忙しくないふりをすることや余裕があるふりをすること、他にも愉しそうなふりをしたり、笑顔を絶やさないふりをすること、この振る舞いは行動のことであり、実際の心情とは異なっていても行動の方を変えてみることです。

実際に自分の心情に嘘をつかないとそのままであればそれが自分の目指す姿から遠ざかったり周りに悪影響を与えることがあります。そんなときは振る舞いを直して自分自身、己との対話をして己に打ち克つしかありません。そうやって振る舞いという行動を変えていくことが実践であり、これらの実践を積むことで次第に日常の自分自身も次第にその振る舞いの心情になってきて平常心が醸成されていくように思います。

そして実践を続けてたら、自ずから自分自身の振る舞いのおかしさに気づき、「ふり」を正すことができます。それが続けば、「他人のふり見て我がふり直せ」という 工夫ができるようになります。人は結局は己自身との向き合いによって変化するものだから、みんな自分自身と正対していくしかなく、そこに実践することの必要性が出てくるのです。

また我がふり直す内省を通して己自身の中に感謝の心や御蔭様を忘れていたことを知り、反省して振る舞いを変えていきます。振る舞いが変われば心情も変わり、次第に謙虚で素直な自分に近づいていきます。

実践の大切さは、我がふり直す内省に気づけることです。

子ども達のためにも引き続き、内省の実践を積み重ねていきたいと思います。

愛着

町家の修理を行っていく中で愛着ということを考える機会がありました。現在、一つ一つの古いものをリメイクし修理して価値を再定義し今の時代の暮らしに甦らせています。

業者に頼んでリフォームというものもありますが、自分自身の手で一つ一つリメイクするとその道具に愛着が湧いてくるのです。愛着を辞書で調べると『[名](スル)なれ親しんだものに深く心が引かれること。あいじゃく。「愛着がわく」「愛着を深める」「古いしきたりに愛着する」 』とあります。

慣れ親しむもの、これは馴染むとも似ていて次第に自分のカラダの一部になってくる感覚のことだろうと私は思います。何度も何度も使っているうちにその場数によってそれが自分と一体になった感覚を持つということです。

人は何度も何度も活用しそのものを大切にすることによって愛着が湧いてきます。この「愛着が湧く」というのは、泉から滾々と湧き出てくる水のように湧き上がってくる状態になるということです。

人の心というものや人の情というものは、慣れ親しみ馴染むたびにどこからか心情が豊かになっていくものです。豊かな心情を持つ人はみな、この愛情を注がれ愛情を感じ、愛情と接していくなかで育ってきたものです。

子ども達は愛情いっぱいの中で育てば自ずから愛着を持つようになります。しかしその愛着は、大切にすることや愛情を注ぐこと、そして丁寧に丹精を籠めてそのものと対話し接する中で生じてくるものです。

現在のように使い捨てが優先されていく世の中においては愛着はなかなか生じにくいかもしれません。永く使ったもの、ずっと一緒に活かし合ってきたもの、そして暮らしの中で伴に生きてきたものには魂が宿っています。滾々と湧き出る愛情は滾々と注ぎ込まれ滾々とまた愛情の輪を循環し湧きだすのです。

その魂を慈しむように味わい、その魂と触れるように接することが愛着を生じさせていくのでしょう。愛を注がれて愛を纏っている魂は、仕合わせそうな雰囲気を醸し出します。そしてその醸し出す雰囲気が人から可愛がられさらに愛が深まっていきます。愛着を持つ人はいつも愛の中に在って愛の循環を通してさらに仕合わせに生きていけるのです。

自分自身がどれだけ慣れ親しみ馴染み愛着を持つのか、それは暮らしの再生と深く関わっているように私は思います。引き続き、将来の子ども達が深くあたたかい愛着をもって仕合わせに育っていけるように私自身の実践を深めていきたいと思います。

光には反射というものがあります。反射するものを観ては光を感じますが、太陽からの光は同じであっでも反射するものによっては同じ光ではありません。水も光も透過する力があり、私たちはその透過を通してそのものの本質を直感します。

例えば、ピカピカに光るといっても新品で真っ新なものが光るのと、古いものを丹精を籠めて丁寧に磨き上げ光るのでは同じ光ではありません。前者は無垢の光であり、後者は経年変化した光です。

私たちはこの同じ光を通して新しい光と古い光とを見分けています。しかしよく考えてみればわかると思いますが、新品は必ず時間とともにくすんでいきます。そのままにしていたら古いものになっていきます。そうして磨き上げることを怠ればそれは朽ちて廃れていきます。そのものから光は消え光が反射することもありません。

よく古いものを無価値だと思い込み、ただ同然で捨てている人がいますがそれは磨いていないから朽ちて要らないものだと勘違いするのです。もしもそれを丹精を籠めて丁寧に磨くのならそれは宝石のような光を放ちます。

つまり光の反射をまた受けて甦り輝き出すのです。私たちは光を浴びてその反射で光ります、すべての物体は目と光との反射作用によってカタチを現します。もしも漆黒の闇の中に入れば、光が目に反射することもなく物体は完全に消えてしまうのです。闇夜の灯りが周囲を照らす瞬間に物体の本質が顕れるのもまた、その光を受けてはじめて顕現するのです。

光はその物質の本性を見せてくれます。磨けば光るのもそのためであり、そのものの本質を光が投射投映するのです。光は歴史を顕し、そのものの経過をも透過します。そして光が経過を透過するときそのものの徳が顕現します。

私たちは磨けば光る原石でもあります。それは全ての物質物体において言えるものです。そこには光がとても深く関わっているからです。宇宙や太陽が照らすのは私たちの本性です。

引き続き子ども達のためにも磨いて光ることの安心感と、光ることの本質を伝承するためにも学問を深め、子ども第一義を伝承していきたいと思います。

奥ゆきのある暮らし

「奥ゆき」という言葉があります。奥ゆかしいという言い方もしますが、これは表から奥までの距離が深いときに使われるものです。またこれを人に例えると、知識・思慮・人柄の奥深さで使われます。この奥ゆかしさというのは、慎み深さになり日本人の大切にしている心とされてきました。

この奥ゆかしさというのは、町家の再生を通して何度も感じ直します。特に町家は、繊細なつくりで奥行きがあります。今、復古創新している聴福庵も間口を入った隣から部屋から一列に三室あり、その奥に庭がある造りになっています。奥に光が差し込み明暗が織り連なる様子はまるで神社の杜のように物静かで落ち着きます。

この「奥ゆかしい」とは何か、少し深めてみたいと思います。

この奥ゆかしさの「ゆかしい」は、「行く」の形容詞化したもので心がそちらにひかれるさまを言います。他にも慕わしく心ひかれるさまにも使います。決して派手ではなくても深み懐かしさを持っているさまの意で人にも自然や感覚的事象などにも用いられる表現です。

この奥ゆかしさというのは、穏やかという言葉と共に用いられることが多く人柄や雰囲気の中に和の心があるということでしょう。この穏かで奥ゆかしい人とはどのような人物であるか、それは謙虚な人物ということだと私は思います。

つまり徳を磨く精進を怠らず、克己復礼に自らを高め続けている人物とも言えます。そういう人物は自ずから次第に品格というものが備わってきます。そこから上品であること、謙虚であること、慎み深い穏かな人物像が出てきます。世間では、控えめで出しゃばらないことを奥ゆかしいと勘違いしている人もいますが、実際の奥ゆかしさとは隠れた日々の鍛練と実践によって磨かれて薫るものです。

この町家の中の奥ゆかしさは、日々に家を手入れし怠らず日々の暮らしを丁寧に生きている人たちの情緒深さ、また奥にいけばいくほど魅力があることを感じます。表面上ばかりをよくみせて中身がない建物というものは、奥ゆかしさを感じません。それよりも表面はシンプルで質素であっても、中に入ってみたい、奥行きを感じてみたい、好奇心から奥がどのようになっているのかを知りたいと感じられることが奥ゆかしさの価値だと私は思います。

そしてそのように奥ゆかしさを引き出すことができるのは、その人物や家に「思いやり」があるからです。表面上の対話ではなく、深く相手を思いやっている人はその思いやりの中に奥行きがあります。聴福庵の目指す聴福人の姿もこの奥行きのことで、対話を通して「きっとこの方にも私には分からない何か大切なことがあるんだろう」と傾聴すること、そしてきっとまだ奥があると共感し受容すること、最後はその真心に感謝するということを実践目録としています。

奥ゆきのある暮らし、奥ゆきのある人々、奥ゆかしい生き方を子ども達には譲っていきたいと思います。引き続き、復古創新をしつつ日本人としての暮らし方を観直していきたいとおもいます。

お祭りの真価

昨日、地元の神社の宮司からお話をお聴きする機会がありました。現在、過疎化や高齢化が進み神社での活動を維持することが難しくなってきています。かつては氏子という神社のある地域で暮らしていた人々が地域の発展に貢献し、祭祀を神職の人々ともに執り行ってきました。

例えばお祭りなども祭祀の一つで、日本では古来よりお祭りを通して地域の人々の心の穢れを祓い清め、仲睦まじく暮らしていくことを実践していたとも言えます。これは海外でいうイベントではなく、日本伝統的に古来より伝承した神事です。

このイベントというものは、主催者がいて新しく始めるものであり、それに対し祭りは昔からの風習であったり何かを祀るものがある際に使われる言葉であるといいます。なぜ今はイベントになってしまうのか、それは経済効果を狙って企画者がイベントサービスを通して提供者と受給者が分かれてしまうところに由ります。しかしお祭りは本来地域の人々と一緒一体になって行われるものであり、そこに提供者と受給者が分かれません。

つまりは皆が主体的に自発的に参加するからこそお祭りになるのであり、そのお祭りを通して人間関係を円満に保ち、先祖たちや祖霊への感謝の心を取り戻し己に負けないようにみんなで精進してきた実践でもあります。

今では神社でのお祭りも宗教だとされることもあり、宗教の自由を名目にお祭りを廃止させたり参加を禁じたりする人もいるとのことです。

昨日、宮司の言葉でとても印象的だったのが、「地域の神社の荒廃こそが、その地域の荒廃そのものになる。祭りがなくなれば地域がなくなる」と仰っていたことです。地域の祭りがあればコミュニティが発生し犯罪率も下がっていくという統計があります。祭りが地域を繋ぎ、祭りが助け合いの文化を醸成するのです。

今年は祭りを深めていますが、祭りの持つ本来の意味を考え直してみたいと思います。古来から私たちの先祖は祭祀を通して謙虚であること、素直であることを優先していこうと皆で助け合って暮らしを実現してきました。

暮らしが消失してきている今では、次第に地域での祭りも失われてきています。イベントは長続きせずその場限りで終わってしまいますが、人々の心の中にある感謝の心が祭りを継承し伝承させていきます。

もちろん地球温暖化とか、世界経済の悪化とか世界に目を向けることも大切ですがその足元にある地域のことを考えずに世界を語ってもそれは本質的に改善改革をしているわけではありません。

地域の文化、町並み風景などから切り離され繋がりや絆がなくなると人々は生き甲斐を失い急速に衰えていくといいます。今の日本がどこか元気がなくなり、挑戦する気風が衰退するのは地域が弱っているからではないかと私は感じました。

暮らしの再生は地域の再生でもあります。

目に見えない価値が分からなくなってきている今の時代、損得勘定では測ることができない徳の価値を再定義し、目に見えない価値を可視化していくことは私たちが古来から安心し勇気づけられた付加価値に気づき直すことです。

引き続き、子ども達のためにも何を伝承していくのか真摯に向き合い見つめていこうと思います。