ブロックチェーンアウェイクニング

飯塚にはブロックチェーンアウェイクニング(BA)場があります。ここにはブロックチェーン技術を見守りお祀りする妙見神社もあり、マインドフルネスをはじめ心身が調う環境が用意されています。

もともとこの場所は、私の先祖代々の土地ですが遠くには龍王山を望み近くには八龍権現池があり、高台にあるため風の通りがよく広大な空が眺められるようなところです。

このブロックチェーンアウェイクニングというのは、ブロックチェーンの目覚めという意味です。これは単なる技術だけを磨く場所ではなく、その在り方や生き方、その本筋を見極めようとする意味があってその名前にしています。

世間でよく評されているブロックチェーンは、一般的には分散型か中央集権型かと比較される技術ですが私はそのどちらかではなく、中庸でありいのちが輝くような全体快適なものであると感じています。白か黒かではなく宇宙のような発想ですが、そもそも目に観えないものをどう技術で可視化していくかが科学技術の発展ですから目に観えないものを語っても何ら問題はないはずです。

そしてこの目には観えないものを観えるようにするのに「場」が必要なのです。場とは、技術の粋を究めた場所であり思想を顕現させた技術です。

私はいつもご縁やタイミングに導かれることが多く、この場所は盟友で同志の故高橋剛さんの遺志を継いで創設したところです。彼は、心のあるブロックチェーンエンジニアで教育者でした。彼は、プログラムを打ち込む指先から自分の心がシステムに入るとよく言い真心で取り組むことを後輩たちに語り続けていました。また、技術者である前に教育者でありこの技術の在り方や真摯に取り組む姿勢を重んじました。今でも、彼の遺志は後輩に受け継がれています。

私はブロックチェーンエンジニアではありませんが、教育者という面もあります。彼の遺志を継いで、その思想や生き方、そして技術者たちにどうあることが日本や世界に真心を実践していくのかをこの場(BA)で磨いています。

一見すると経済活動とは無縁のような徳を積む活動ばかりを勤しんでいるように見られますが、実際には経世済民のど真ん中を愚直に深めて磨いています。ブロックチェーンを使った徳積帳というものを開発して、この場から教育を発信しています。

新しいものは、別に目新しいから新しいのではありません。温故知新、懐かしいものを尊重して、その大切な中心をしっかりと捉えてこの時代にどうそれを伝承していくのかということの中にこそあります。

つまり懐かしいものが新しいものに転換されていくのです。

私の取り組む場(BA)には、それがあります。時間をかけることや、次世代のことを考えること、また宇宙や地球の全体を鑑みてどう全体快適にしていくか。まだまだ道は途中ですが、場を丁寧に磨き上げていきたいと思います。

心のふるさと

家庭教育というものがあります。そもそもこの家庭教育はいつからはじまったかといえば、人類が始まった時からとも言えます。その時から代々、その家の家風や文化が産まれていきました。それは色々な体験や経験を通して、大切なことを親から子へと伝承していくのです。

つまりは家庭教育の本質は、伝承教育ということでしょう。

その伝承は暮らしの中で行われてきました。これを徳育ともいいます。私たちは徳を暮らしから学び、その徳が伝承していくことで代々の家は守られ持続してきました。私たちが生きていく上で、これは生き残れると思えるもの、自然界の中で許された生きるための仕組みを智慧として取り込んできたのです。

これは人間だけに限ったものではありません。鶏がもつ秩序であったり、虫たちがもつ本能であったりと、見た目は違ってみえてもそれぞれに家庭教育がありその一つの顕現した姿としての今の生きざまがあるのです。

人類は、その家庭教育をそれぞれの小さな単位の家からその周囲の家にまで広げていきました。親子で伝承してきたものを、その地域で伝承していくようになりました。善いものの智慧は、善いものとしてみんなで分かち合ったのです。助け合いの仕組みもまた地域の伝承の一つです。地域ぐるみでみんなで伝承してきたからこそ、その地域が豊かに発展し、存続してきたともいえます。

それが現代は破壊されてきています。地域の共同体も歪んだ個人主義により失われ、家庭教育も核家族化などによって環境が劣化していきました。今だけ金だけ自分だけという空気を吸い、家庭教育は学校任せです。こうなってくると、人類は今まで生き残ってきた力を失っていくことになります。

つまり生きる力の喪失です。生きる力が失われることは、私たちは心のふるさとを失うことでもあります。心のふるさとは、この代々の伝承のことでありそこをいつまでも持っているから故郷の心も守られます。

次世代のことを思うと、今の環境を変革すべきだと危機感を感じます。そしてそれは何処からかといえば、家庭教育の甦生からというのは間違いありません。家庭教育を国家などに任せず、それぞれが暮らしを丁寧に紡ぎ、地域の方々と一緒にかつての先人たちや両親、祖父母からいただいたものをみんなで分け合い守り続ける活動をしていくことだと私は思います。

私が故郷で行っているすべての事業もまた、その心のふるさとを甦生することに関係しています。保育という仕事に関わってきたからこそ、到達した境地です。

子どもたちのためにも、保育の先生方を支えるためにも信念をもって家庭教育を遣りきっていきたいと思います。

美味しいご縁

今、私は故郷の伝統在来種の高菜をリブランドし「日子鷹菜」としてこれから世の中へと広げる活動をはじめています。最初に在来種の高菜の種とお漬物の菌を譲り受けて16年目になるでしょうか。そろそろ頃合いかなとも感じての今の活動です。

人とのご縁があるように、種とのご縁というものもあります。私たちは何かのご縁で結ばれ今があります。そのご縁は大切にしていると発展していくように、出会いも広がっていくものです。

例えば、種と出会うと畑との出会いが結ばれます、同時にその畑に関わる人との出会いが生れます。そして場になり、その場でたくさんの物語に出会います。その場の中には、虫たち、植物たち、あらゆる周辺の生態系、そして町の人々、自分の思いや実践、その熱量などすべてと結ばれます。16年も経つと、写真を見ないと思い出さないようなこともたくさん増えました。しかし、その歳月で得られた智慧や技術、経験などは決して忘れることはなく全て染み付いています。そしてこれが私の高菜への信頼であり、自信と誇りになりました。

今では、どこに出してもまったく恥ずかしくない正直に取り組んできた全てを丸ごと公開できます。当然、肥料も農薬も一切撒かず、塩も故郷の天然天日塩、お水も地下水のみで木樽で家の裏の杜の発酵場で見守っているものです。むかしから変わらない先人の智慧通りのお塩と樽と菌のみの熟成。あとは、定期的にお漬物と対話しながらお塩や石の重みの塩梅をきかすだけです。

それを自分が毎日食べ、色々なこの高菜にしかない魅力や味を引き出してきました。他とは比べず、この高菜にしかない長所、善さを暮らしの中で発見し続けてきました。そうして、いよいよ家族や仲間から他の人たちへ食べていただく段階に入ったということでしょう。そこまでで16年、お金儲けのためではなく純粋に高菜と共に暮らしてきた有難いご縁の歳月でした。

これから世の中に出ていけば、色々な人たちや評論家などにこの高菜の値打ちが語られるように思います。人は色々なことを言いますから、他と比べて酷い評価をつける人もいるかもしれません。今の民主主義は、大人数が正義ですから大勢言えば真実ともなり悪い評判を出されればあっという間にダメになります。いい評判も、本当に心の底から私たちが感じているような美味しさを感じて出したものではない便利なものも出てくるでしょう。

結局のところ、真の値打ちは自分で育てて、自分を育てて、畑を見守り、畑で見守られ、共に暮らしを磨き、食べて慈愛や滋養を循環しあう関係で得た味わいは唯一無二でそれはその人たちにしか感じられないものということでしょう。

世の中にこれから出ていく日子鷹菜は、この先にたとえどのような評価が出たとしてもその真の値打ちは私が一番誰よりもよく知っています。だからこそ世の中にその美味しいご縁をリブランドしたいと思ったのです。過去や他人の評価などはどこ吹く風だと、この場で誕生した新たなご縁を信じてさらにもう一歩広げていきたいと思います。

子孫や故郷の未来に、この美味しいご縁を丹誠を籠めて結んでいきたいと思います。

心を活かす生き方

中村天風先生という方がいます。この方は今から約150年前に誕生されのちに天風会というものを創設し心身統一法というものを生み出して多くの方々に影響を与えました。

私もはじめて志のため海外へ留学する際には、自分の弱い心を奮い立たせようと座右の書として何回も読み直しました。その後は、就職して営業職についてからもいつも名刺の中に中村天風先生の言葉をメモし仕事の合間の車内の中で何回も言葉に出して発していたことを覚えています。

その中で最も私が影響を受けたのは、積極思考というものでした。これは、消極的な生き方をしないということ。病気も弱い心もすべてはこの自分の中にある消極的な思考が引き寄せているというものです。

例えば、病気になるとだるいやきつい、熱があるなどから不安になったり心配事が増えて、そのうち治りも悪いと不平や不満ばかりがでてきます。本来は、その病気は自分の免疫をつけてくださっている大切なものであったり、自分を見つめ内省する機会いなったり、あるいは病気の治癒に専念できる有難い周囲の方々や両親をはじめ会社の人たちなどの存在があっているのです。不平や不満や不安や不信などが、消極的な生き方を育て、そのことによって永遠に病気の根源が治癒しないのです。それを積極思考にして絶対安心の境地に入る時、不思議なことに私たちは病気そのものの根源が絶たれるともいいます。

これは「生きる姿勢」の話でもあり、「心の在り方」でもあり、どんな今でも真摯に生き切ったかといういのちの根源との繋がりの話です。

天風先生はこう言います。「絶対に消極的な言葉は使わないこと。否定的な言葉は口から出さないこと。悲観的な言葉なんか、断然もう自分の言葉の中にはないんだと考えるぐらいな厳格さを、持っていなければだめなんですよ。」

消極的精神に対してのどうあることが積極的精神であるか、こういいます。

「どんな目にあっても、どんな苦しい目、どんな思いがけない大事にあっても、日常と少しも違わない、平然としてこれに対処する。これが私の言う積極的精神なんであります。」

常に平然と平常心で対処していく、それがまず積極的な精神を持つということです。そしてこうもいいます。

「運命だって、心の力が勝れば、運命は心の支配下になるんです。」

どんな状態であったとしても心の力が消極的なものの打ち克てば運命すらも心が支配できるというのです。そして心についてはこう言います。

「心も身体も道具である。」

道具のように大切に使い使いこなしていけば、いいというのです。だらこそ常に人生に対して、心と体を心身統一していこうといいます。

最後にこうもいいます。

「人生は生かされてるんじゃない。生きる人生でなきゃいけない。」と。

頭で知識で理解することができても、それを自分のものにするには常に日々の自己を磨き続けなければなりません。日々に様々な出来事が発生しても、それをどのように受け取り、心と身体を使って感謝や歓喜に換えていくのか。人生の醍醐味というのは、この小さな体験をどれだけ厚く豊かにしていくかということかもしれません。

子どもたちや子孫の仕合せのためにも、先人たちが人生をかけて遺してくださった生き方や知恵を実践で伝承していきたいと思います。

ふるさとの宝

私たちの暮らしている場所にはそれぞれに固有の風土があります。この風土とは、その地域の自然環境のことです。しかしその自然の中には、単なる気候や土や環境のようなものとは別にその地域の人々の気質や生活文化、そして醸成されてきた性格を含めて様々なものが混淆しています。これらを括って風土ともいいます。

その風土が生んだものの一つに特産品というものがあります。これはその地域でしかできない、その地域固有の個性です。食文化などもその影響を大きく受けています。私たちが観光である地域を訪れ、その地域の素晴らしさを実感するときにその地域の特産品をその場所で食べると驚くほどに美味しく感じ、その地域の魅力に深く魅了されます。

私もかつて旅行でその地域の特産品を食べて感動して、それを持ち帰ったり東京で食べたりしましたがあまりその時のような感動がありませんでした。その「風土の中で」というのが最も重要だったことがわかります。風土には、人物空間、歴史や伝統などありとあらゆるものが混然一体になっているということでそれを深く味わえるのです。

この特産品の「特」というのは、特別の特のことです。この「特」の字はもともと古代中国の象形文字です。元々は牛に関する特別な印を示す意味で、牛をさしていたとされています。それだけ他とは異なる最も優れたものが牛だったということでしょう。特許や特有などといってむかしから大切なものの総称としても使われます。

そしてこの特産品は辞書で引くと「ある特定の国や地域でのみ生産 されたり、収穫 される物品のことでその地域を代表しその土地の気候風土を生かした物品のこと」とあります。

似た言葉に名品、名産品というものがあります。これは「その土地でしか作られないわけではない」ものです。その地域で売れていたり有名なものが名産品です。

しかし不思議なことにこれだけ重要な名産や特産の違いはあまり気にされず、言葉の意味や使い分けの部分は曖昧なままに偽物が年々増えているように思います。産地偽装や原材料の不透明化、さらには加工している時に大量の化学添加物を入れたりその土地の人や道具、あるいはプロセスなども無視したものでもまるで本物のように出回ります。世間では原材料も一部は違っても100パーセントと言っていいとかの規制緩和があったりして?ですし、他にも色々と調べれはきりがないほど「グレーゾーン」な部分が増えるのが当たり前で世の中は誤魔化しばかりです。それこそDAOの技術であるブロックチェーン技術も今は偽装を防ぐためばかりに使われています。

海外ではブランド品が模倣され様々な問題になっています。信じて買ってみたら、実際には偽装されたものだったとなれば売る方も買う方も悲しい気持ちになります。そうならないようにと、色々と対策を立ててはいますが売り買いする方も見た目ばかりを誤魔化して販売してきたことで、本物を見分ける力も失われているものです。

例えば、食に関する特産品であれば生産から加工販売まで全てを正直に自分で取り組んでいる人は偽装はしません。首尾一貫して本物にこだわり、伝統文化を守り風土と共に生きる人は偽装できません。それを「現場に見に行けば」すぐに本物かどうかは見分けがつきます。ただ、儲けに目が眩んで正直に取り組まなくなれば品質は下がります。

農業であれば、農薬や肥料をつかい機械化し大量生産をし種を改良しとすれば本来の風土の味が劣化していきます。加工でも便利なものを使い時短をし添加物などで誤魔化せば味が劣化します。また販売する方も、見た目ばかりで消費者が買いそうなものにデザインし流通にのるように価格をコントロールすることでさらに味が劣化します。

つまり正直に取り組まないから味が劣化するわけで、正直に取り組んでいれば味はその風土を体現するような本物の磨かれた味わいが出てきます。味に出るから本来は誤魔化せないはずなのですが、味を目や脳みその思い込みで食べている時代はなかなか本物を見分ける本能や感性も劣化してしまうものです。

話を戻せば、特産品というものは本来は「ふるさとの宝」です。このふるさとの宝をどう甦生して、そのふるさとの魅力を開発していくかはその志事に関わる人たちの大切な使命であるはずです。

それに気づいている人たちが地域の宝を守り、その宝を守る時にブランド化するということでしょう。みんなで守ろうとしなければブランドはできません。まず何が地域の宝なのか、そしてその宝をどう守るのか、それが将来の子どもたちや子孫へ何を譲り遺せるかにかかってきます。私が取り組む古民家甦生もですが、現在の消費優先の利益吸い上げ型の仕組みに気づき宝を磨いて守っていくような経世済民型の仕組みに転換していく必要性を感じています。

核心は常にこの宝を何にするかにかかっています。

引き続き、人類の本当の宝を磨いていきたいと思います。

徳の根源

懐徳堂の学問を深めていくと、「孝」が中心になっていることがわかります。この孝とは、中国の孝経が由来で孔子が弟子の曾子に孝こそが徳の根源と語ったものから由来します。

孝経の中で「身体髪膚之を父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始なり」とあります。これは自分の身体は元々は父母からいただいたもの、その身体を大切にして傷つけないようにすることが最初の孝行であると。そこからずっと辿っていけば、ご先祖様からいただいたこの大切な身体を真心で大切にしていくことが孝行であるといいます。

そもそも「徳の根源」というものはどのようなものか、私の解釈ではそれは生まれる前から私たちに具わっているというもののことです。これは人間に限らずあらゆる生き物にも等しくいえます。

生まれたばかりの鶏でも本能があり、誰も何を教えてなくても餌の食べ方や遊び方、水の飲み方からその体の使い方や鳴き声が具わっています。親は子を守り、子は親を信頼します。これは自分が勝手に得たものではなく、父母をはじめ先祖からの徳の根源の存在があるからです。

自分の身体と共に生きている存在に感謝してそれに孝行することは先祖に孝行することと同じとも言えます。その気持ちをもって実際の父母を自分と同じように孝行をし、そして同時にその先のご先祖様たちの存在にも感謝を忘れないで暮らしていくことができればそれは徳を積んでいるのと同様であるということでしょう。実際には、その孝行を盡すのを広げて他にも国家の主や上司や先輩にも仕えていくことを忠孝ともいいました。明治維新以降はこの忠孝という言葉が戦争に使われ戦後はこの忠孝を忘れるような教育が入り家の概念も薄れて失われていきました。今では歪んだ個人主義が蔓延し、忠孝はパワハラや押し付けともなっています。

本来、この忠孝は「徳」の存在を感じるものであり、身近な徳を理解し実践するのに何よりも近道になっているものだったように思います。自分を大切に見守ってくださっている存在を自分と同じかそれ以上に深く思いやり愛することによって私たちは徳の根源にいつも出会うということでしょう。

懐徳堂もその教義の中で、「孝」「悌」をまず第一の徳目として掲げていたといいます。具体的には「父母によくお仕えするのを孝といい、年長者によくお仕えするのを悌と名付ける」とあります。そして「孝悌の二字は日夜心がけて、一生忘れてはならない」ともいい學問の道に導いていました。

同じく近江聖人と呼ばれた中江藤樹先生は、「父母の恩徳は天よりも高く、海よりも深し」といい同じく孝を第一義に実践をされ徳のことをあるがままに伝承されました。また孝行にならないものとして「にせの学問は、博学のほまれを専らとし、まされる人をねたみ、おのれが名をたかくせんとのみ、高満の心をまなことし、孝行にも忠節にも心がけず、只ひたすら記誦詞章の芸ばかりをつとむる故に、おほくするほど心だて行儀あしくなれり」ともいいました。つまり孝行や忠節がなくなると、人は父母の恩徳を忘れているということでしょう。自分の代のことばかりを憂いて夢ばかりを追いかけていると志が損なわれていくのはいつの時代も同じです。

懐徳堂の代々學主の生き方をはじめ、三浦梅園先生、麻田剛立先生など道なき道を拓き子孫へと徳を伝承された方々は共通して静かに隠棲し名誉や地位や権力やお金など私利私欲よりも公や天下万民、あるいは子孫たちの真に豊かな未来のためにと生涯を盡されておられたことが生きざまから観えてきます。この根本には、常に共通して「孝」があると実感します。

これから盂蘭盆会の時節ですが、ご先祖様のことをずっと感じ続けるこの期間はとても仕合せを覚えます。落雁をつくりお供えし、献花し香や火を絶やさずお水を添えてお祈りをする。父母の恩徳や家の有難さを最も感じる場です。

長い目で観れば最も子どもたちに伝承したいのはこの「孝の心と実践」です。引き続き、自らが恥ずかしくないように心身を調えて心穏やかに恩徳に報いていきたいと思います。

古今を懐かしみ真の今に至る大切さ

昨年、三浦梅園生誕300周年記念シンポジウムを開催したことのご縁からその學朋で同志の天文学者、麻田剛立のことを知りました。麻田剛立を知って大坂にある町人による學問所、「懐徳堂」にご縁が結ばれました。私が取り組む「徳積堂」に名前が似ていてすぐに関心が湧き、どのような「場」であったのかを深めました。

懐徳堂は今から300年前の江戸時代、五人の町人有志が出資して創設されその後も町人有志により運営された私塾ということがわかりました。そしてその學風も自由で寛容、自律や自助、そして貴賤貧富は関係がなく、謝礼も貧苦の方々は受けずまた聴くだけでもいいとあります。この当時、世界のなかでもこれだけ開かれ純粋に學問に取り組める場はありません。

最初の學主は、三宅石庵といい万年先生と呼ばれていました。朱子学を始め、陽明学、古義学、医学等々の諸学の善いところ取りをするから周囲から鵺学問といわれたそうです。鵺とは伝説の妖怪の総称です。鵺の見た目はサルの顔にタヌキの胴体、さらにはトラの手足に尻尾はヘビのようになっていてここから鵺学問とは得体のしれない不思議ではっきりしない人物や学問だといわれたということです。現代でも似たようなもので、分類わけできないものは得体のしれないものとして評価されないのと同じです。しかし本来はこの鵺のように、真の學問は「分かれていない」ところにあるものです。一物全体ともいい、一円融合ともいい、真の実践者たちは自然体で丸ごと自由に學び問い続けます。この懐徳堂の學風は、この鵺学問の実践がその後に偉大な影響を与えます。

その初代學主、三宅石庵はこの私塾創設の理念や初心に「人の道」を掲げます。

『扨学ト云ヘルハ、何ヲ学ブモノゾ、道ヲ学ブコト也、何ヲカ道ト云フ、人ノ道也、人ニアラザレバ各別、人ト生レタルモノハ、人ノ道ヲ学ハ子バナラヌ也。(學とは何を学ぶのか、それは道を学ぶのである。道とは何か。それは人の道のことである。人と生まれたからには人の道を学ばなければならない。)』

學=道=人だと言います。つまり人は道を學ぶことが誠の人になることだと、そしてこう続きます。

『シカルニ気質ノ偏ガ有ツタリ、耳目ノ欲ガアリテ、フト我ガ生レツキテヲル道ヲトリ失フナリ、ソレヲ失ナハズ、生レノママナルガ聖人也、学トハソレヲマナブ也。(現実には性格の偏りや情報の刷り込みや目先の欲望によって人は自分の生まれつきの道を失うことがある。それを決して失わないままでいることが聖人である。學とはこの聖人になる道のことである。)』

これは人=聖=徳であり、自分が生来もっている「徳」をいつまでも失なわずに存分に発揮できることが聖人でありそうあり続けるように學び続けることが道徳であると。

畢竟、人の道は「徳」に尽きるのでしょう。

懐徳とは、その徳の意味を心に深く省みて生きようとする生き方のことです。ご縁あって今月の8月25日に「徳積堂と場の道場」で「懐徳堂300周年供養祭×徳が循環する未来の甦生シンポジウム×ブロックチェーン経済」を開催することになり、先んじて先人たちのご遺徳を偲び墓前にご焼香と献花とご念仏をお供えしてきました。また旧懐徳堂跡の「懐徳堂旧阯の碑」でも一緒に登壇する禅僧、星覚さんと法螺貝奉納をはじめ供養祭をしてきました。大阪の今を眺めつつ、日本人の和の系譜に思いを馳せる善い機会になりました。

この今は普遍的な道を生きた方々への懐かしさがあってこそ真の今になると私は信じています。今を生きる私たちは子孫として先人たちの遺徳をよくよく顕彰し伝承し、その後の道を歩む一人として真摯に學問を心の中で磨き続けていくことが大切なのではないでしょうか。懐徳堂を知り、明治以前にあった思想は、私たちの思想の根源と結ばれていることに氣づきます。明治のころに歴史が消失し分断されましたが今一度、懐かしく徳を結び直して道を続けていきたいと思います。

古今を懐かしみ真の今に至る大切さを忘れないで300周年のご供養といたします。

懐徳堂の代々の學主、創設者の方々。またご縁を結んでいただいた方々。懐徳堂が144年間、塾生たちが学んだ場所跡。

三宅石庵
中井甃庵
三宅春楼
中井竹山
中井蕉園
中井履軒
中井桐園
並河寒泉
五井蘭洲
五井持軒
富永仲基
山片蟠桃
長崎黙淵
中村良斎
井上赤水
麻田剛立
緒方洪庵
緒方八重

誠の道

富永仲基は、江戸中期の思想家であり大坂の町人の儒者で懐徳堂に学び、形骸化している神儒仏を批判して本来の「誠の道」という道徳実践をその著書で説いた人物です。

その生涯たるは独立不羈であり、32歳で亡くなりましたがその遺した著書が後世の人たちに大きな影響を与えます。三浦梅園の時もでしたが、その時代に発見されていなくてもその遠大で普遍的で私心のない思想に人々は魂が揺さぶられるのでしょう。

そのように数百年以上などの時を経ても今でも燦然と光を放つ人物は、普遍的な道理、つまりは富永仲基の言葉を借りると「誠の道」の上におられたのでしょう。その誠の道とは何か、これは現代にこそみんなで学び直す必要があるのではないかと私は思います。

富永仲基は翁の文の中で誠の道は「あたりまへより出来たる事」と書き記します。

「天よりくだりたるにもあらず。地より出たるにもあらず。只今日の人の上にて、かくすれば、人もこれを悦び、己もこころよく、始終さはる所なふ、よくおさまりゆき、又かくせざれば、人もこれをにくみ、己もこころよからず、物事さはりがちに、とどこほりのみおほくなりゆけば、かくせざればかなはざる、人のあたりまへより出来たる事にて、これを又人のわざとたばかりて、かりにつくり出たることにもあらず。」

私の解釈では人は日常の暮らしの中で日常的に当たり前に道徳実践をする存在であるといいます。本来の道徳とは、誰かが定めた何かをすることではなくそれぞれが自然に多様な暮らしの中に存在するものであるといいます。

この暮らしの中に当たり前があると、高尚な文章の中ではなく日々の実践こそ誠の道と説いたように思います。二宮尊徳が、かつて弟子になった儒者の富田高慶に君は学者だそうだが豆というものを知っているかと尋ね、豆という字を書いたところその豆は馬は食べるかと答えます。そして自分の育てた豆を持ってきて自分の豆は馬も食べると言った逸話があります。

何をすることが誠の道で、何をすることが道徳実践であるかを実感する話です。

私はそれを「暮らしフルネス」の実践の中で取り組んでいます。そもそも暮らしというのは、人間がこれまで生きてきた全てです。私はその暮らしを通してはじめて人は道徳が発揮されていくとも思います。

日々の暮らしの中でどのように道徳実践をするのか、真に世のため人のために我を捨てて志をもって生きていくためにはこの「あたりまへ」のことから何よりも一番に取り組む必要を感じます。

そしてそれは今の学問の在り方をもう一度、見つめ直すという原点回帰の姿です。現代は、富永仲基のいうようなことがほとんど語り合うことがありません。むかしはとか今とかを議論する前に、古今普遍的に最も大切にしてきた暮らしを見つめていくとこうなります。

『もろもろのあしきことをなさず、もろもろのよき事を行うを、誠の道という』

空気や水や太陽も当たり前になってしまうとその価値がわからなくなります。この人としての誠の道もまた同様に気付かなくなるのでしょう。至誠こそ全てと実践してきた先人たちは、それぞれ己の徳を活かし誠を盡しました。

時代が変わっても、学問の根源はこの己の徳を深く心に省みて今を素直に生き切るということでしょう。日本人に流れる和の系譜、かんながらの道を邁進していきたいと思います。

懐徳堂の甦生

昨日から懐徳堂の代々堂主や先生方のご供養をしにそれぞれのお墓参りをしてきました。いくつかのお墓にはその方の人生がどうであったかが文字で刻まれ、徳が顕彰されていました。

実際に歴史を省みるとき、現地に赴きそれぞれの遺した跡を辿ることで知識として得ている情報が実際に感じられるものに変わります。そこには、場の不思議があり場にはいつまでも徳の余韻が残るものです。

それぞれの墓前で、ご冥福をお祈りし献花、焼香をし、お経をあげて現状の世の中のこと、私の志、また行く末や未来について報告してきました。

先人たちはどのような未来を画いてその時代を生きておられたか、その思いに心を合わせる時間になりました。

そもそも人が何かをするとき、そこに志があります。懐徳堂であれば、最初に五同志が資金を持ち寄り設立するときにその志を定めて開堂します。そして道なき道を切り拓き、その道の最中に志ある方々がその場所でその志を同志や同胞、仲間と磨き合い精進して道をさらに結んでいくのです。

懐徳堂の玄関柱には中井竹山の筆になる竹製の聯が玄関柱にかけられこう文字が刻まれていたといいます。

「学に努めて以て己を修め、言を立てて以て人を修む」

そして懐徳堂が明治維新後に体制が変わりその144年の歴史に幕をおろし閉堂する際に学主となった並河寒泉は一首したため門前に下記を詠み掲げました。

「百余り四十路四とせのふみの宿 けふを限りとみかへりて出ず」

しかし、その後も同志や有志が何度も懐徳堂の徳が顕彰され甦生を続けて今に至ります。

道というものは、最初切り拓いてからそのうち誰も通らなくなると草や木が生え鬱蒼とした森になります。しかしその誰かが通った道を、改めて歩み直して調えているとその遺徳の道が永遠に場にあり今でも見事に甦生するのを感じます。

先人たちの歩んでこられた道は、失われることはなく今でもその続きを私たちが歩んでいるともいえます。改めて、志を持ち、同志の理想の未来を共に歩むと心に深くその士魂が響いてきます。

懐徳堂がはじまり300年が経ち、大坂をはじめ日本は経済大国としてどのように振舞っていくのか。何をもって経済大国であり、何が私たちの先人たちが目指した経済の本質であるか。今一度、原点に帰り懐徳堂から学び直していきたいと思います。

魂の詩

私をずっと支えてくださっていた恩人の詩があります。その恩人はいつも一行詩を私に贈ってくれました。いつまでも心に薫り続けるのが詩です。今思えば、詩を贈ってくださった真心に涙がでます。

もうこの世では、お電話することも詩を贈ることもできませんが心の中で詩と共にいつも一緒にこの先も歩んでいきたいと思います。

詩「暮らしフルネス」

「かつて日本には自然と一体となった

モノにも礼儀を正す循環型の美しい暮らしがあった

その象徴が藁葺家

自然と共生し

仕事と暮らしを一体化するかんながらの道

暮らし方を変えることが

働き方を変えることになり

新しい豊かな社會を創造する

子どもも大人も育つはたらき方

和の文化と場の文化の甦生

仕事場は仕合せ場

日々を新たに 心を磨く それが 暮らしフルネス 」

清水義晴

ご冥福を心からお祈りしています。変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから、決して奢らず謙虚に素直に憧れた背中をこれからも歩み続けていきたいと思います。

魂の詩、ありがとうございました。