知恵風の知識

ソクラテスという人物がいます。わかっている範囲だと、古代ギリシアの哲学者。アテネに生まれる。自分自身の「魂」(pschē)をたいせつにすることの必要を説き、自分自身にとってもっともたいせつなものは何かを問うて、毎日、町の人々と哲学的対話を交わすことを仕事とした人とあります。

有名な名言に、「無知の知」や「徳は知である」などがあります。特にこの「無知の知」(または「不知の自覚」)は自分に知識がないことを自覚するという概念のことです。

これは「自分に知識がないことに気づいた者は、それに気づかない者よりも賢い」という意味です。これはある日、友人のカイレポンから「アテナイにはソクラテスより賢い者はいない」と神託があったことを知り、自分が一番の知者であるはずがないと思っていたソクラテスはその真意を確かめるためにアテナイの知識人たちに問いかけを繰り返していきます。そしてその中で「知恵があるとされる者が、必ずしも本物の知恵があるわけではない。知らないことを自覚している自分の方が彼らよりは知恵がある」と気づいたという話です。

私はこれは知識の中には知恵はなく、知恵の中にこそ真の知識がある。みんなが知識と思っているものの中には知恵がなかったということでしょう。

これは現代の風潮をみてもわかります。最近は特に、自分で体験せずに知識を得たい人が増えています。実践も体験もせず、気づいたこともなく、気づいた気になれるもの、わかった気になれるもののためにお金を払って知識を購入しています。

お金持ちは時間がもったいないと思い、体験しなくてもその知恵をお金で買おうとします。しかしその知恵は、知恵と思い込んでいるもので本当の知恵ではなく知識です。知識を知恵と勘違いしているからそういうことをしようとします。

オンラインでの講習会や、流行りの講演にいっても知恵のように知識を話していますがその知識は使おうとすると知恵が必要です。しかし知識が知恵になることはなく、知恵だけが知恵になるものです。知恵は知識にはなりますが、それはあくまで知恵を知識にしただけで知恵ではありません。

なので知恵者とは、徳のある人物のことであり、徳を生きるものです。これは世の中のハタラキそのものが知恵であるから使えています。

例えば、二宮尊徳はある知識のある知識人が訪ねてきたときに「お前は豆の字は知っているか」と尋ねた。それでその知識人は紙に豆の字を書くと、尊徳は「おまえの豆は馬は食わぬが、私の豆は馬が食う」と答えたという逸話があります。

これは知恵についての同じ話です。

私は本来の革命は、知識で起こすものではなく知恵がハタラクものであると思います。人類を真に導くには、文字や文章、言葉ではなく知恵が必要なのです。知恵風では真に世界は変革しないと私は経験から感じています。私が「暮らしフルネス」にこだわるのもここがあるからでもあります。

生き方と働き方というのは、単に知識で理解するものではありません。体験して気づき実感して真似ることで得られます。子どもたちのためにも、今日も実践を味わっていきたいと思います。

足半の知恵

昨日は、足半(あしなか)を履いて英彦山を歩いていたら声をかけられました。この足半の草履は、日本人の先人の知恵の一つでいつまでも伝承したい道具です。

そもそもこの足半(あしなか)は一般的な草履の半分くらいの長さしかありません。つまり踵部分がありません。鎌倉時代の文献にも記されていて蒙古襲来のときに九州に来てこの足半を見て鎌倉武士たちの間で流行ったとも伝え聞きます。なので、それ以前からあったということは平安時代くらいから、もしくはもっと以前からあったものかもしれません。

有名なのは、織田信長がこの足半を履いているものが接見の条件になっていたり家臣に褒美として与えたりした話が残っていること。他には西郷隆盛も愛用していたといいます。合理的で知恵を重視した人たちが愛用してきた、日本人の足元を支えた大切な草履だったことがわかります。最近では実業家で民俗学者だった渋沢栄一の孫の渋沢敬三さんが、戦前各地を歩いて足半を300点以上集め研究されていたことも有名です。

よく考えてみると、現代の靴を履くようになったのも明治以降です。まだ100年そこいらでそれまではずっと草履や裸足のようなものでした。私たちは、足の裏から大地のエネルギーを感じていたともいわれます。たまに今でも靴を脱いで直接、大地や土や草原などを歩いていると足元から様々な情報が身体に伝わってきます。

都会ではアスファルトでしかもこの時期は暑すぎて足をやけどするかもしれませんが、山歩きをはじめ田畑などはとても草履や裸足は心地よく感じます。

むかしある方に、歩く健康のことを教わったことがあります。人間が健康を保つには歩くことが一番だということです。地球の重力でバランスがととのい、足裏からの刺激で内臓をふくめ全身がととのっていくというのです。

これは足半を履いて歩くとその価値はすぐにわかります。

日本人はどうしたら健康で長生きし、そしてもっとも自然の身体感覚を得られるかということに非常に長けていた民族です。この民族の知恵は、現代文明の中で消えかけていますが本来はこの知恵こそいつ訪れるかもしれない自然災害などに対する危機への備えになったはずです。

生きる力と教育ではいいますが、本来は生き延びる力だったのは間違いありません。今では生き死になどどこか遠い話、自分とは関係がないようになっていますが野生のものたちは常に生死は隣り合わせです。だからこそ、常に感覚を研ぎ澄ませ、自然のリズムや状態を確認いるように思います。

そしてそれが元氣さを増し、逞しくイキイキといのちを輝かせたのでしょう。今の時代、文明に少し偏っていますが文化や知恵も同じくらい大切にしていくことが子孫を守ることだと私は思います。

子どもたちにもこの足半の知恵をつないでいきたいと思います。

 

英彦山守静坊の甦生 感謝祭

明日は、いよいよ英彦山の守静坊の甦生感謝祭を行います。振り返ってみたら、本当に多くの方々に見守られ無事に宿坊を甦生することができました。結に参加してくださった方々のことを一生忘れません。この場をお借りして、改めて深く感謝しています。

思い返してみたら、今回の宿坊の甦生は困難の連続でした。工事に取り組み始めてからも何十回、もしくは何百回も神様に真摯に拝み、尽力することはやりつくすのでどうかお力をおかしくださいと祈り続けました。少し進んだと思うと、大きく後退し、善いことが起きたと思ったら八方ふさがりのような状態に陥ったり、一喜一憂してばかりの日々を過ごしてきました。

そんな中でも、本当に有難かったのは身近でいつも支えてくれたスタッフや家族、どんな時でも丸ごと信じて応援してくれた叔父さん。そしていつも見守ってくれていた仲間たち、結に参加してくれて見返りを求めずに徳を一緒に積んでくださった同朋のみなさま。小さなお気遣いから、大きな思いやり、取り組みに深い関心を寄せてくださった方々に心を支えていただいていました。

今回の宿坊の甦生で、故長野先生はじめこの宿坊に関わったこられた歴史の先人の皆様。そして英彦山に少しでも御恩返しすることはできたでしょうか。喜んでくださっているでしょうか、もしもそうなら努力が報われた想いになります。

私たち徳積財団、及び結の仲間は宗教組織ではありません。むかしの先人たちが暮らしのなかで信仰していたように、お山を拝み、お水を拝み、いのちを大切にし、お祈りを実践し、生活を助け合うなかで心をむすぶために信じあう仲間たちの結(ゆい)です。この結というのは、つながりや結びつきの中で暮らしていくという古来からの日本人の知恵の一つで「和」ともいいます。

私は、和が永続することを「平和」だと思っています。そしてそれは徳を積むことで得られると信じています。この徳を積むというのは、自分の喜びがみんなの喜びになり、みんなの喜びが自分の喜びになるという意味です。自然をお手本にして、全体のいのちが充実していくように、暮らしを充実させていくことです。それが暮らしフルネスの実践であり、徳が循環していく安心の世の中にすることです。

今の私たちは歴史を生き続けている存在です。終わった歴史ではなく、これは今も私たちが結び続ける責任を生きています。今までの先人たちの徳の集積を、さらに磨いてこの先の子どもたちに繋いでいくのが今の世代を生きる私たちの本当の使命です。

最後に、感謝祭に来てくださってお祝いをしてくださる友人たちがむかしの家族的な雰囲気で舞や唄を披露してくれます。この宿坊の谷は、弁財天さまの谷で弁財天は芸能の神様でもあります。むかしのように囲炉裏を囲み、みんなで一緒に同じ釜の飯を食べ、笑い、踊り、唄を歌う。心地よい法螺貝の音色が宿坊全体に広がっていくように豊かで仕合せなひと時を皆様と一緒に過ごせたらこれ以上の喜びはありません。

これから親友で同志のエバレットブラウンさんが、宿坊に滞在し英彦山の徳を出版や湿版写真等で伝承してくれます。そして私は、一人ひとりの徳を尊重し合い磨き合う場として仙人倶楽部というものをこれから徳積堂にてはじめます。私が心から尊敬する師の一人、二宮尊徳はこれを万象具徳といい、それを顕現させるのが報徳ともいい、その思想を一円観といいました。私はこれを現代にも甦生させ、「平和が永続する知恵」を子どもたちに伝承していきたいと思っています。

本日がその一つの節目になります。このひと時を永遠の今にしていけるように皆様と祈りをカタチにし、懐かしい未来を味わいたいと思います。

ここまで本当にありがとうございました、そしてこれからもどうぞよろしくお願いします。

出会いの哲学

昨日、久しぶりに恩師の一人である吉川宗男先生が訪ねてきてくださいました。コロナもですが、色々なことがありなかなかお会いできなくて本当に久しぶりでした。思い返せば、まだ20代のときに同じような生き方を目指している先生に出会うことで私のインスピレーションも膨らみました。

今、場の道場を始めたきっかけも宗男先生とのご縁でした。その当時、先生からは、伝統的日本の文化である「場と間と和」の話を聞かせてもらい、ありとあらゆるものがメビウス上につながっているというメビウス理論を学び心が震えました。

先生の著書には5つの知の統合こそが人間力の知(HQ : Humanity Quotient)だといわれます。①知力、ヘッドナレッジ、IQ(Intelligence Quotient)頭で知る力。②感力、ハートナレッジ、EQ(Emotion Quotient)心で知る、観る、感じる力。心眼知。③行力、ボディナレッジ、BQ(Body or Behavior Quotient)身体の力。身についた技能。身体知。④活力、シナジーナレッジ、SQ(Synergy Quotient)そして上記の三力を源泉として生まれる生命力・活力・共生力。⑤場力、フィールドナレッジ、FQ(Field Quotient)場の暗黙知を感知し、場にライブ感を創り出す力。

このトータルな人間力の知は「全人格人間力の知」と定義しています。

昨日も、私が暮らしフルネスで創造した場の石風呂に入りながら色々とお話を伺いました。「味わう」ということの大切さ、そして出会いを哲学する人生をずっと歩んでこられたこの今の姿からも改めて生き方を学ばせてもらうことばかりでした。

人間は何歳になっても、出会いは無限です。

出会いに対して純粋な姿、ご縁を結びそのご縁を深く味わい余すところなくそれを好奇心で追い求めていく道を歩む姿勢。メビウス理論や場と間と和のどの話も、宗男先生と一緒に体験していく中で得られる知恵そものです。

説明ももちろんわかりやすく、非常に言葉も磨かれておられますがもっとも磨かれておられるのはその純粋なありのままの出会いの哲学です。

ちょうど色々と私も悩んでいた時期、遠方より師が来るで元氣をたくさんいただきました。大切なことを忘れずに、一期一会の人生を歩み切っていきたいと思います。

ありがとうございます。

甦生の道を精進していく

物事は小さくはじめて大きく育てていく方が自然に近いように思います。最初から大きくしようとすると、確かに注目されて目立ちはしますがじっくり味わい取り組んでいくことができません。

現代はすぐに結果重視で、なんでも派手に目新しいことを探します。そして一度、見てしまえばわかってしまったと安心して飽きてしまいます。わかることが目的になっているからです。しかしわかるというのは、そう簡単なことではありません。なぜなら知ったことと、真にわかることは別のことだからです。

わかるというのは、本当はとても奥深く時間が必要です。しかし今の時代は、時間をかけることを嫌がります。時間をかけずにすぐに結果が欲しいと思うのです。だから、わかりにくいものを毛嫌いします。わかりづらいと文句をいったりします。

しかし本当はそれは真にわかろうとしない人の意見であることがほとんどです。ちゃんと理解しようとする人たちは、何度も通い、体験をし、その深い意味や味わいを感じ取ります。一度ではわからないから何度も通うのです。

私も今までわからないことを真にわかろうとして、何度も通い続けているものがあります。ひょっとすると死ぬまで通いながら学ぶのではないかとさえ思います。他には、法螺貝などもそうですが練習してもしてもわかりません。わからないから、もっと練習しますがそれでもわかりません。先日、先輩たちの会合で練習風景を見学しましたが何十年とやっていてもまだわからないとみんな目をキラキラさせています。

人が何かをわかるというのは、道を究めるということです。

道を究める志があるからわからないのであり、それがわかるというのは道がわかるということです。知識ばかりが増えて、なんとなくわかったらそれでもう終わりというのは冷めた感情だなと思う時があります。ワクワクドキドキし、好奇心を発揮させ、面白い世界を学び、まだ見ぬ世界の広さや深さを学ぶことは人生を真に豊かにしていきます。

わかってもらおうと思う自分への焦りも捨てて、滋味にじっくりと地道に甦生の道を精進していきたいと思います。

和紙とは何か

英彦山の宿坊、守静坊の甦生のクラウドファウンディングの返礼品を用意するために和紙の準備に入っています。和紙の定義は、現在では西洋から伝わった製法の木材原料を主とする洋紙に対して、むかしながらの製法でつくっているのが和紙と言われます。他にも手漉き和紙のみが本来の和紙という定義もあります。また最近では原料に三椏や楮が100%使われたり、機械でも手すきに近いものも和紙と定義されたりしています。

何が和紙というのかは、それは個々人の受け止め方ですから厳粛に何が和紙かということはわからなくなってきています。以前、伝統のイグサで畳をつくっている農家さんからイグサは加工品ではなく生産品であるという話を聞きました。つまりいのちあるものとして生きているものだということです。

私にとっての和の定義は、いのちがあるものということになります。そういう意味で和紙は、私にとってはいのちのあるものでつくっているものという意味です。それでは何がいのちがあるのかということになります。

もともと日本の和紙作りの三大原材料として使われているものは楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)です。この植物を収穫し、丁寧に扱って和紙の原料をつくっていきます。それを和紙職人が、一枚ずつ手で漉いていきます。私もその場面を何度も観ましたが、とても神秘的で神々しい様子です。

その和紙は機械ではでない風合いがあります。これは手漉きだけではなく、最初からずっと完成するまで日本の伝統的精神でつくられているからです。

和というのは何か。

この問いは私にとっては明確な定義があります。それは日本の心でであるということです。日本の心とは何か、それは思いやりのことです。思いやりを忘れない、すべての主体をいのちとして主人公としていのちをすべて全うできるように配慮や尊重があること。

そうやってつくられたものだからこそ、和であり和紙になるのです。

だから自然の篩にかけられても長持ちし、何百年、もしくは千年を超える時間を維持することができるのです。そういういのちを入れるものだからこそ、むかしはお札にも使われていて人々の暮らしを守ったのでしょう。

返礼品は、このいのちをそのままお届けしたいと思います。

英彦山の守静坊から思いやりを伝承していきたいと思います。

徳治の世

自分らしさというものがあります。これは個性でもあり、その人にしかない天命というものもあります。誰かと比較してではなく、その人がその人にしか与えられていないいのちを最大限発揮していくということです。それが自由でもあり自立でもあります。そしてそれが社会の役に立つようになれば人類の仕合せもあります。

社会で役に立つようにするには、みんなでお互いの自分らしさを尊重し合うような寛容な世の中である必要があります。それぞれがお互いに反省し合い、そして認め合う世の中にしていくことです。

誰かが正しい、誰かが間違っているとなっていがみ合えばいつまでも対立構造が変わらず争いが絶えません。しかしお互いに尊重し合うようになれば、自分も正しい、みんなも正しいという具合にそれぞれの違いを認め合えるようになります。

そのためにどうお互いに折り合いをつけるのかを対話するのが人類の叡智です。

人類は、太古のむかしから真の豊かさとは何か、そして真に平和な世界は何かということを何度も何度も反省しては築こうと努力してきました。そして徳による政治を行うことを孔子は説きました。つまり徳治の世にするということです。

自然界というものは、弱肉強食と教えられます。しかし果たしてそうでしょうか。サバンナやアマゾンをみていても、お互いに自制し合い、尊重し合いながら自然の摂理に従ってお互いのいのちを精いっぱい発揮しています。自然界はまさに自分らしくあります。弱肉強食は、何度も立場が入れ替わりますからお互い様ということです。

人間はその自然の尊重し合う仕組みを捨てて、一方的に権力や権威で集団をまとめようとしていきました。その方が、都合もよく実は時代が変わってもこの辺はあまり変化していません。しかし、この時代、情報化も進み、人類も世界と結ばれ、国境もなくなってきました。人類としてどう生きるのか、どう自分らしさによって真の豊かさに近づけていくのかをみんなで対話する時が近づいているように思うのです。

そのモデルをどの国の誰がやってみせるのか、そして深く静かに実践することで形どっていくのか。今、人類は試練の時です。だからこそ、子どもたちのために徳積財団を立ち上げ、徳治の世を実現しようと挑戦をはじめたともいえます。

いよいよ、宿坊の甦生もひと段落して本懐であった徳積堂の運営をはじめていきます。子どもたちに譲り遺していきたい懐かしい未来を今、この時代に甦生して実践していきたいと思います。

伝統固定種の甦生

昨日は、自然農の畑で伝統固定種の堀池高菜の種どりをいつも親しくしている情報工学の学生さんや友人のご家族と一緒に行いました。新緑のいい風が吹いていて、今年は特に種をたくさん収穫することが目的でしたからしっかりと種どりを行いました。

もともと高菜というのは、漬物にすることで有名です。日本三大漬け菜として「高菜漬け」「野沢菜漬け」「広島菜付け」があります。そして九州を代表する漬物がこの高菜なのです。

高菜というのは、前にもブログで書きしましたが平安時代くらいに種が日本にも入ったといわれています。平安時代は8世紀末ですから1200年以上前からずっと日本で育ってきたということになります。日本の風土に根付いて、日本の味になり、さらに九州の風土の各地に根付き、それぞれの美味しさに進化してきました。

調べると西暦892年発刊の『新選字鏡』には高菜の事を「太加奈」と記載してあるといいます。明治時代には中国四川省から高菜の在来種というべき青菜が日本伝わり九州・東海地方に伝わったといいます。そこで九州では紫高菜、柳川高菜、相知高菜となり高菜漬に適した三池高菜になったそうです。もともと筑豊地域の高菜漬けはとても美味しかったと年配の方々からよくお聴きすることがあります。

炭鉱の時代、炭鉱夫はお腹を空かせてたくさんのお米を食べたことでしょう。その時、もっとも食卓でご飯の友として食べられたのがこの高菜だったことは簡単に想像できます。それが今では、飯塚のほとんどの農家さんが積極的に高菜を作っていません。

その理由は、やってみるとわかるのですが重労働にもかかわらず見合う収入が得られないということがほとんどです。高菜は安いわりに大変な労力がかかるのです。よくラーメン屋にいけば無料で高菜がついていたりします。他にもスーパーなどで販売していますが、どれも安いことが分かります。高菜イメージが安いというものでできていますから、それが高いと売れないという理由もあって農家さんの収入の役に立ちませんでした。

そういうことがあり農家さんの高菜離れが拍車がかかり今ではほとんど作らくなったということです。さらに福岡には三池高菜があり、その有名な高菜を種をもらい筑豊でも三池高菜の種を植えるようになりました。他にも大手種メーカーで自由に高菜の種を買えますからそれを植えています。そうするとそれまであった地元の伝統固定種と交雑しますし、さらには農薬や化学肥料をつかうことで本来の味わいも落ちていき形状も変わっていきました。

本来の伝統固定種というものが失われていくのは、こういった消費優先の経済活動によってそれまで醸成されてきた1200年の文化ともいえる進化が消失するのです。

よく考えてみたらわかりますが、今もむかしも重労働であったのは1200年間変わっていません。それでも人気だったのは、郷土の知恵料理であり、懐かしいふるさとの味を子どもたちにつないで残していこうとした先人の想いや願いもあったことがわかります。

それが今、安易に生活できないからという理由や便利さを優先し簡単に変化し守る努力を諦めてやめてしまえばそれまでの歴史も潰えてしまうのです。時代が変わっても流行で価値観が変わっても、変えてはいけないものがあると私は思います。それが未来への宝になり、子孫たちへの与贈になるのです。

必ず時が経てば、本当の価値や真実は時間と共に明るみになります。希少価値とはそういうものです。しかしその時にやろうとしても種が残っていなく栽培できる環境がなく、消えてしまってはあまりにも悔いが残ります。これを新しいテクノロジーを活用し温故知新して新たなものにし、新たな価値に乗せて守り育てていきたいと改めて感じる一日になりました。

手触りや手入れは、心とつながっていますから目的や初心を忘れることはありません。人間に寄り添うテクノロジーを私は突き詰めていきたいと思います。伝統と歴史、地域や風土、人、物、心の和合、堀池高菜からはじまる伝統固定種の甦生を楽しみにしています。

大切な一歩

日本には古来から今まで続く伝統の精神があります。これはずっと先祖代々、親祖から今まで大事にしてきた心であり私たちの基礎や土台になっている重要な文化の源泉でもあります。

つまり何を大切にするかということを、代々、伝承して磨いてきた私たちに備わっている精神文化です。これは空気のように当たり前になっていて気づきにくいものですが、それぞれの民族にはそれまで連綿と続いてきた伝統が必ずあります。伝統とは、伝承されてきた歴史のことです。

この歴史は、風土の影響を受け、或いは、ご縁の影響を受け、また或いは偉大な先人の確立した哲学や実践の影響を受けたものかもしれません。私たち日本人が、よく感じている空気感、場や間、和などもまた日本的精神文化であることは間違いないことです。

ここから何が分かるかと言えば、一つは八百万の神々という言い方があるように多くの神様の意見を集めること。八意思兼神を私も邸内社でお祀りしていますがこの神様は神々のファシリテーターのような役目で一円観を持つ偉大な先祖でした。

もう一つは、徳を重んじることです。自分の主体性を発揮し、自分らしくイキイキと楽しみ喜びながら周囲の喜びになっていくという姿。日本人の仕事観は、本来は「ハタラキ」といって自然のように自分自身を主体的に発揮してみんなのお役に立っているということです。つまり、みんなの働きにみんなで感謝しているという状態。いつも働いてくれてありがとうとすべての存在に感謝しているということです。

さらに一つは、繋がりの中に生きているということです。常に一緒に生きているという存在として思いやりを忘れていません。和の心とは、調和のことですべてのご縁を大切にして繋がっていることを忘れないという生き方です。このつながりに何か大切な意味があるとし、そのご縁の糸を丁寧に丹精を籠めてつなぎます。ご縁をみんなで尊重し合うのです。

日本人は、本来、そういう精神文化の土台の中であらゆる世界の文化を取り入れてj文たちの文化の上に重ねてきました。土台があるから、器があるからそこに盛ることができるのであってそれがなくなればただ散らかっている部屋のようになってしまいます。

今の世の中の問題を眺めてみたら散らかし放題で片付ける人もいなくなっているように感じるのは私だけでしょうか。子どもたちはその散らかった部屋で居場所がなく、あちこちとさ迷ってしまいます。

先人たちの今までの生き方を見つめるとみんな子どもたちにその伝統精神をどう譲っていくかを苦心して努力してきた存在であったことがわかります。

その証拠に、行事や御祭りをしたり伝統的な暮らしをととのえていく場をたくさん用意して反省を続けた形跡があります。

この時代は世界の文化が混じり合っている世紀ですがだからこそ自分たちの文化をちゃんと学び直す必要があると私は思うのです。私の暮らしフルネスは小さな一歩かもしれませんが、先人たちが紡いできた長い道のりの大切な一歩です。

真摯に子どもたちのために、自分の天命をやり切っていきたいと思います。ありがとうございます。

清らかな生き方

先日、清々しい人にお会いしました。この清々しいというのは、けがれがなく気持ちのよいさまだと辞書にはあります。「清」の字には、水が綺麗で澄んでいることや、心や行いにけがれがないこと、気分が良い意味です。そしてこの「清々しい」は、この「清」の字を重ねることでより一層清らかさや爽やかさを表現する言葉です。

その清々しいの対義語は、気が塞いで晴れ晴れしない、あるいは気持ちがよくないという意味で「鬱陶しい」「鬱屈した」「不快」「気持ちが悪い」「癪に障る」「邪魔」という言葉があるといいます。

この清々しいのことを調べていると、お金に対して清々しいという言葉とお金に汚いという言葉のことを知りました。お金に対して清々しいや綺麗という人はどのような人なのか。

以前、悪いことをして得たお金を貰いたくないという人に会ったことがあります。あるいは、自分だけが得をして独占するようなことをしたくないという人にも会ったことがあります。または、いつもお金に助けてもらっていると感謝して使っているという人にも会ったことがあります。そして托鉢や浄財によって暮らしをととのえている人たちにも会ったことがあります。

そういう人にお会いすると、清々しい気持ちになった記憶もあります。これはお金のことを感じたのではなく、その人の生き方のことを感じたのです。

人間は、どうしても自己中心的です。そして道具や物を自分の都合のよいように使うものです。しかし、その使われる道具もどのようなことに使われるかで使い手の人柄が道具に現れます。みんなが喜ぶように、また仕合せになるようにと願いながら使う道具にはどこか徳が具備されていきます。しかしその反対に、戦争や不幸の傍で使われるものはどこか殺伐としてきます。

不思議なことですが、同じことをやる道具にしてもそこに清々しさや汚さやケガレのようなものがあるのです。私が尊敬しているむかしの侍は、道徳規範を持ち、大義や忠義を重んじ、人として恥ずかしいことをしないという生き方を示した人たちがいました。

その清々しさというのは、いつまでも心の規範として心に宿っているものです。どの時代でも、生き方を磨いて清々しくしていくことはできるものです。透明な水のように清らかな人に会うと、心もまた清らかになっていきます。

そんな生き方を学び、子どもたちにも清らかな環境をととのえていきたいと思います。