すべてに優先~思いやりの道~

人は目的を忘れてしまうと自分に固執しがちになるものです。優先順位をしっかりと持ち、それに向かって自分を変え続けていれば柔軟性は発揮されていきますが自分を強く握ってしまえば利己に入ってしまうものです。

如何に自分を超えた理念や目的に自分を合わせて変化させていくかは、日々の優先する実践に懸かっているともいえます。

何のためにそれをやるのかということを強く意識している人は、自分のやっていることの意味を常に感じられているものです。常に目的に合わせて照準を合わせている人は変化を恐れず楽しみます。

しかしその中で時折、優先順位を切り替えるときもあるように思います。あまりにも優先順位に固執して完璧にやろうとすると、大事なものまで守れなくなってきます。大事なものを守るためには、妥協することもあります。この妥協とは何か、辞書には「対立した事柄について、双方が 譲り合って一致点を見いだし、おだやかに解決すること。」(goo国語辞書)とあります。

大切な目的のための妥協というのは、敢えて対立を生むようなぶつかりを発生させるわけではなく双方が譲り合い穏やかにするための方法論でもあります。妥協を悪い意味で使う人がおいのですが、それは目的のためというものがない妥協のことです。目的もなくただ妥協するのは、双方が思いやり納得し譲り合ったのではないからです。

優先順位を変えるというのは、目的のためには妥協しないけれど思いやりをもって妥協するということだと私は感じます。つまりは優先順位のもっとも高いものは思いやりだということです。

お互いに思いやりを持って協力していく中にこそ、本質的な妥協があるように思います。天道地理義理人情のすべての法理は、思いやりが最優先ということです。

引き続き、子どもたちの憧れる会社を目指していくためにも思いやりを優先できる強さと優しさを磨き直していきたいと思います。

場の醸成

伝統文化の伝承について考えるとき、私は幼少期の体験がとても大切な意味を持つように思います。どのような環境下で育ったか、それが文化の伝承には必要だと感じるからです。

例えば、私が実践する自然農であっても自然養鶏であっても自然に沿ってそのものの特性に合わせて環境を用意していきます。繰り返し年数を積み重ねていく中で、確かな文化が醸成されていきます。生まれたときから、本来あるべき自然の環境があってそのものは遺伝子的にも覚醒して先祖からの智慧を伝承します。

しかし「刷り込み」の例えもあるように、生まれたての雛がコンクリートの風も通らない部屋で、草もなく虫もなく、調合された飼料だけを人間から与えられればそういうものだを信じ込みます。幼少期にそういう環境下を過ごせば大人になっても草も虫も怖がり、人間から与えられたものしか食べなくなるものです。通常なら行う大好きな土浴びもせず、風に羽を靡かせて風を身体に通すこともしなくなります。病気になっても抗生物質を与えられ本来のいのちが充実することはありません。

そう考えてみると、私たちは知識とは別のものがあり、智慧ともいうような先祖からいただいている進化の過程で得た財産を受け継いでいるともいえます。このような体になったのも、このような性格になっているのもまた、そこには先祖が積み重ねてきた経験の集積によって得られたとも言えます。そしてそれはヨーロッパであればヨーロッパに、アフリカであればアフリカに、アラスカであればアラスカに、その環境下によって文化は息づいているのです。

その環境を変えてしまうということは、その環境下で得た文化を否定するということです。確かに便利な世の中になり、どの場所でもどの人種でも、都市のようなものを創り、環境をすべて同一にし人間にとって快適にしていきましたが同時に文化は受け継がれなくなってきました。

伝承文化というのは、決して環境から切り離されるものではなくむしろ環境によって醸成され育まれ続けていくものです。だからこそ、子どもたちにどのような環境を譲り遺していくのか、そしてその環境下で得られた智慧や道具たちをどのように伝承に活かしていくかを私たちは今の時代の文化の担い手としてよく考えなければならないように思います。

日本の気候風土に合った暮らしと生活は、文化を育て文化を継承させていきます。

引き続き、教えないことによって文化を伝道し、子どもたちの直観によって文化を高めていくような場を醸成していきたいと思います。

 

手入れ

先日も自然農の田んぼの草刈りを行いました。この時期は、稲だけでなく稗や粟など周囲の草草も一斉に伸びる時期なので稲の周りの草刈りが大変です。

周りの田んぼを見ていたら除草剤などで稲以外の草は全く生えていませんが、自然農の場合は農薬を使いませんから草だらけです。ちょっと目を離せば、すぐに他の草が所狭しと生えてくる。それをまた草刈りをして稲を見守るという具合に、何度も何度も手入れをしては稲の生育を助けます。

本来はこのように自分が育てる作物を見守り、そのものが自分で育つところを見届けるまでつかず離れずに寄り添い育成する。そして稲のいのちが充実しているかどうかを確認しながら同時に自分もそのいのちに寄り添いながらいのちを充実させていくという考え方です。

当然、田んぼでの作業は重労働で疲れますしあまりにも草が多くなったところを片付けに入るのは勇気が必要です。掃除も同じく、日ごろから手入れをしていればちょっとずつやるから大変ではないのですが少しでも怠るとあっという間に手を出せないほどになります。

塵も積もれば山となるという諺にあるように、たとえ小さなことであっても気づいたときにやらなかったら後で大変になるよという教えでもあります。

私のように出張が多く、しかもやっていることが多い場合は創意工夫や智慧を用いて草を抑制したり、なるべく少し離れてもいいように環境を整えたりという仕組みでやっていますがそれでも手入れを怠ればすぐに元の状態に戻ります。

草刈りも掃除もすべては手入れです。手入れはその同義語に、世話をする、面倒をみる、他にも修繕や修理、取り繕う、復元や、復旧などの意味があります。

私が取り組んでいる古民家甦生も自然農もそのすべてはこの手入れからはじまります。

自然物と接する私もまた自然物だからこそ、手入れを怠らないことで維持していくことができます。この手入れの技術を磨き上げ、手入れ上手になれるように一つひとつのことから学び直していきたいと思います。

心に寄り添う

昨日、熊本にある多種複数の福祉施設を運営する法人の理事長との理念面談の中で「心に寄り添う」ことについて話を深める機会がありました。この「寄り添う」というのは、心に寄り添うことです。この寄り添うは見守ると似ていて、本人が自らの力で人生を生きていくことを信じるということでもあり、自立を支援するときの一つの境地であるとも言えます。

「寄り添う」というのを辞書でひくと、「ぴったりとそばに寄る」と書かれています。適切な距離感で相手と一緒に連れ添う、寄り添うという感じになります。いつも一緒にいる距離感、相手を信じて見守る距離感でいるということにもなります。

心に寄り添われれば、人は安心して自分自身の力を発揮して自立していけるようになります。分かってもらえる人がいる、隣でいつも見守ってくれている存在がいる、親心を感じることで人は挑戦する気持ちや困難に立ち向かおうとする勇気が出てくるものです。心に寄り添ってもらった経験はいつも今の自分を支えてくれます。

しかしこの心に寄り添うというのはとても難しいことで、自分の思い込みや先入観、自分の我を優先してしまう人にはできないものです。その人の立場になりきり、その人を自分だと思って思いやれるには自分自身の価値観や自分のバイアスをかけた色眼鏡でみてもそれは寄り添ったわけではないからです。

きっととか、だろうとかいった自分の考えを入れずに、心のままに相手に寄り添う。自我や私欲を無にして、相手そのものの心と一体になって心配するということでその時、相手が自分であり自分は相手であるという姿、相手を自分事にして共感しているときに心の寄り添いがはじまります。

つまり心に寄り添うというのは、頭で考えることではないということです。

自分の心に寄り添うときであっても、自分はこう思っているだろうとか、きっと自分はこれがしたいのだという推察で理解するのではなく、自分の心に素直になって自分の心と対話をするとき、心に寄り添ったという境地に入ります。つまりは私利私欲が我を通り抜けて自分の心の声に従うことで素直な自分になり心はピタリと自分と一緒一体になります。

相手の立場になって思いやるというのは、相手のことを思い込むのとは違いますから、まずは自分の心を近づけて心でその人そのものの存在を丸ごと認めて感じなければなりません。

私たちの実践する聴福人も、傾聴、共感、受容、感謝の順に心を近づけていきますがそれはまずその人そのものの心の声を聴くために取り組む実践徳目なのです。

心に寄り添うことは心の声を聴くことです。

引き続き、子どもたちのためにもいただいたご縁を活かして子どもの憧れる生き方を弘めていきたいと思います。

心の味

どんなことでも長続きしなければそこで終わってしまいます。この長続きするためにという発想はとても自然なことで、短期集中は確かに遣り甲斐も遣った感じもありますが一時的に結果が出ただけで本来の成果とは異なります。

それに人はわかりやすいものが好きですから、お金にしても結果にしてもすぐに目に見える形が出て信じるものです。その短い期間に出した結果は、それが長続きしないものであればそれは失敗ではないかと私は思います。

なぜなら物事はプロセスこそが本当の結果であり、プロセスの積み重ねの中にしか本物の成果が出てこないからです。

では長続きさせるコツは何か、これは掃除道の実践者の鍵山秀三郎氏はこう言います。

「成功のコツは2つ。それは「コツコツ」。」と。

コツで終わりではなく、さらにコツコツと続けていくこと。一日も休まずに続けることこそがコツコツの意味であろうと思います。私のこのブログもそうですが他にも日々の日課がありますが、決して一日も欠かしたことも忘れたこともありません。先延ばしもせず後に戻ることもなく、ただ今コツコツを維持するのです。

鍵山氏はこうもいいます。

「継続するためには、たえず工夫改善して進歩させることです。そのうえで、コツコツ努力することです。少しでも進歩すれば、楽しくなります。楽しくなると、続けたくなります。」

ただコツコツやっていてもマンネリ化してつまらなくなっていきます。如何に日々の自分の心の変化や成長と対話しつつ工夫改善をしていけばそれが進歩になります。進んでいる実感はとても楽しく豊かです。コツコツのさらにコツは、自分自身が学んで高まっていく実感、学問が深まりわからないことがわかるようになってきた実感、観えないものが観えてきては御蔭様に感謝できるような実感ではないかと私は思います。

そのように日々の感動を感じる力があればいいのですが、すぐに人は心を使おうとはせずに頭で考えて処理しようとします。鍵山氏も、「感動する人は疲れを知らない」といういい方をしますが私も同感です。

身体は疲れますが、心が疲れませんからまた一晩寝れば翌日にはエネルギーが充填されているのです。しかしどのようにして、長続きすればいいか。その最初の難関はあまり急いで成果を期待しないことのようにも私は思います。古語にも、焦らずにしかし休まずにという言葉もあるようにコツコツを止めなければいいのです。鍵山氏はこう言います。

「何にも成果を得られないことをやるぐらい、たいへんなことはありません。しかし、そこにこそ喜びが生まれてくるのです。」

やってもやってもいつになったらと感じる時があります。それでもコツコツ続けることは、根気が必要です。時折、大変だとその苦労に打ちひしがれそうなこともあります。しかしこの見返りもなく、期待もなく、なんの得にもならないと思う中に一種の妙味が隠れているように感じるのです。

それが心の味です。

心の味を知っている人は、長続きする価値を知っている人です。そういう実践者の周りには、豊かさや仕合せがあふれています。

引き続き、子どもたちのためにも理念の実践の尊さと、それを実現していくための楽しさ、対話の喜び、心の豊かさを伝道伝承していきたいと思います。

祇園祭と暮らし

この時期は全国各地で祇園祭が行われています。郷里の神社でも祇園祭がありますから、その準備として須佐神社のお社や境内を清掃してきました。この須佐神社の祭神は素戔嗚尊です。

そもそもこの祇園祭「祇園」とは古代インドの初期仏教の5つの精舎(寺院)の1つ「祇園精舎」が由来です。このインドの祇園精舎の守護神が牛頭天王で、日本では神仏習合により牛頭天王=素戔嗚尊となったといいます。

私の会社の近くにも、津島神社がありそこには素戔嗚尊が天王さんと呼ばれお祀りされています。

祇園祭りの縁起物としては粽(ちまき)があります。これは素戔嗚尊が旅の途中、貧しい蘇民将来の家で一晩温かなもてなしを受けたお礼に、その子孫を疫病から守る約束をし、目印として茅の輪を腰に着けさせたといいます。この「茅巻(ちまき)」が粽の由来といいます。玄関や門口に粽を飾り厄払いをするのもここからきています。

また他には、獅子舞があります。この獅子舞は、16世紀の初め、室町時代に伊勢の国で飢饉や疫病を追い払うため、お正月に獅子舞を舞ったのが始まりといわれています。そこからこの梅雨明けに五穀豊穣と飢饉や疫病退散、悪魔祓いとして獅子舞が氏子の家々をまわります。

この獅子舞が頭をかむのは、「獅子舞が噛み付くと神が付く」という縁起かつぎもあるそうですがその人についた邪気を獅子が食べてくれるということもあります。私も小さい頃に何度か噛み付かれたことがありますが、大きな獅子に頭を噛まれるドキドキ感は今でも思い出に残っています。

今では飽食の時代で、医療も発達し飢饉や疫病とはあまり縁がなくなりました。昔は、この梅雨の長雨で水害が起きたり、太陽を浴びれないことから病気になったり、精神的に辛くなったりしたこともあったかもしれません。

しかしそれをお祭りによってお祓いし、それぞれが楽しく豊かにこの時期をみんなで一緒に乗り越えていこうとする和の心があったのかもしれません。

京都では何度も戦乱に巻き込まれ一時祇園祭を中断することもあったそうです。しかしそれでも町衆たちが、苦しい中でもみんなで祇園祭を守り続けて山鉾も復活し、今では全国でも有数な大きな祭りとしてたくさんの人たちを京都に集めて一緒に豊かに祈念しています。

暮らしの甦生をしていますが、夏越しの祭りなどこの時季ならではの風物詩があります。そこに神様が深くかかわっておられ、改めて日本人の先祖たちがどのようにこの季節を過ごしてきたのかが垣間見れます。

引き続き、暮らしの甦生を楽しみながら子どもたちのためにも日本文化の甦生、日本的精神の復古創新に取り組んでいきたいと思います。

丸ごと認めていく方を

人間関係には、傷つけあう中で理解していくものもあるように思います。なぜ自分がと思うようなことでも、実は見えないところで知らないうちに自分が相手を傷つけてしまっていることがあります。

後になってみれば、そして理由を聞いてみると自分が相手を傷つけたことを知り深く反省することがあります。お互いに悪気がなくても、受け止め方は本人次第ですからその言葉によって傷つくこともあります。

だからこそ思いやりを欠かさずに耳を傾ける努力が必要であると改めて感じます。聴福人を目指している以上、未熟な自分を責めるのではなくもっと思いやりや真心で接する人になるために努力したいと思うのです。いくら義憤があったにせよ、自分の正論や正義によって相手を説得しようと思うところには思いやりはありません。

正しいことは実践ですればいいことで、正義を武器にしてはならないと感じます。かの坂本龍馬にこういう言葉が遺っています。

「相手を説得する場合、激しい言葉をつかってはならぬ。結局は恨まれるだけで物事が成就できない。」

幕末でみんなが日本のためにと義憤を思いぶつかり合う中で、あの薩長同盟を実現させた坂本龍馬はこのことがわかっていたのかもしれません。お互いの持ち味を活かしていくためにも、ぶつかり合うのではなく同じ方向を向いて語り合って仲良く和していこうとする互譲関係を築くことがあって大きな力を纏めていきました。

また坂本龍馬はこうも言います。

「俺は議論はしない、議論に勝っても、人の生き方は変えられぬ。」

正論を通し議論することに意味はなく、そんなことをしたからと人の生き方は変わりません。だからこそ、自分がどうあるべきかと考えなければならないのです。

最後に同時代に生きた吉田松陰先生の言葉にそのヒントがあります。

「自分の価値観で人を責めない。一つの失敗で全て否定しない。長所を見て短所を見ない。心を見て結果を見ない。そうすれば人は必ず集まってくる。」

自分が先に理解しようとし、自分が先に尊敬し、先に得意を認めて助けてもらえればそこには敵は生じません。本当にやりたいことがあるのなら、自分の価値観からくる主義主張などたいしたものではなく、それを通すよりも謙虚に反省し続けて感謝に転換してまるごと認めていく方が楽しいように思います。

恩返しの道はまだはじまったばかり、自分が何を反省し何を学ばなければならないのかを改めて感じました。引き続き、雑にならず丁寧に初心を貫いていきたいと思います。

 

心の清掃

昨日、郷里の神社の境内の清掃と手水舎の洗浄を行う機会がありました。朝早くからクルーたちと一緒に掃除をしましたが綺麗に枯れ葉が片付いてもともとあった土が出てくる様子や、雑草を抜いて平らになった様子をみていたら心も洗われてきます。

そのほか、お社や狛犬、燈篭にいたるまで掃き掃除や拭き掃除をやっていくと清々しくそのものが光り始めます。

掃除の功徳というのはとても偉大で、実践していくと次第に心が整ってきます。最近は都会の社会で情緒不安定になったり、感情の浮き沈みが激しい人も増えてきていますが掃除を行うことでそういうこともまた治まってきます。

日本を美しくする会を主催する鍵山秀三郎氏は掃除の功徳についてこういいます。

1、自分の心が清められる
2、他人の心まで清めることができる
3、周囲の環境が活き活きしてくる
4、周囲の人の心も物事も整ってくる
5、死後、必ず天上に生を受ける

これはお釈迦様の言ったことを解釈されたそうですが、掃除をしているとまさにこれを実感します。掃除や清掃は心身を健やかにし、さらには自分自身の魂を磨くことができるように思います。

今、させていただいている古民家甦生もそうですが私にとってのおもてなしの基本は掃除です。来客がある際、何をもっともはじめに取り組むか、それを掃除にしています。

人は清浄な場に来ると、心が和みます。それはそのものたちが清掃することによって働き始めるからです。

例えば、清掃しながらどこが汚れているか、何がちらかっているか、そしてどこに配置するといいか、一つ一つを片付けながらそれが観えてきます。本来あるべきところに配置されたものはその場に和みます。そしてチリや埃をとって磨かれて光るものはその場で輝きます。さらには、整ったあとにそこを飾ることによって豊かさは増幅していきます。

あとは静かに穏やかな心でお客様をお迎えすればお互いに心豊かです。

このお互いに心豊かというものの中に一期一会の出会いが演出されるのです。

鍵山秀三郎氏は掃除道を通して境地を得ています。

「人間の心は、そう簡単に
磨けるものではありません。

ましてや、心を取り出して
磨くことなどということはできません。

心を磨くには、とりあえず、
目の前に見える物を
磨ききれいにすることです。

とくに、人のいやがる
トイレをきれいにすると、
心も美しくなる。

人は、いつも見ているものに
心も似てきます。」

そして掃除を実践する大切さについて説きます。

「一つや二つ拾ったってしょうがないじゃないか。という考えではなく、一つでも二つでも拾えば、それだけ世の中がきれいになる。そういう考えです。」

心が荒んで乱れているとき、心田を耕すには荒れたものを美しくしていくしかありません。衰退して乱れていく場所や、その生活を立て直し甦生にするには荒れた場所に一人入り、そこを開墾して人道が働き始める場所を創造しなければなりません。そのためには、大言壮語をいうことよりも必要なのは脚下の実践であろうと私は思います。

最後に、自戒を籠めて鍵山氏の言葉で締めくくります。

「足元のゴミひとつ拾えぬほどの人間に、何ができましょうか。」

理念を実践し、本業を成就させ、子どもの憧れるような社會を譲っていくためにも一つ一つを苦労しながら味わい楽しんで歩んでいきたいと思います。

徳の経営 ~日本的経営~

出光興産の出光佐三は、日本的経営を実践していた方です。和の精神を尊び、人間尊重を第一に本来の日本人であるとはどういうことかを生き方や生き様でやり通した方です。

ここにきて世界の中で如何に日本が役に立ち、日本人が如何に世界で自分たちの文化を背景に活躍していくか、一つの世界に向けて大事な局面を迎えているように思います。そういう時だからこそ、改めて私たちは日本とは何か、日本人とは何かということを考えなければなりません。

2011年6月20日に出光興産の100周年を迎えた際に、新聞広告に下記のようなメッセージが発信されました。

『「日本人にかえれ。」
これは、創業者出光 佐三のことばです。

日本人が古くから大切にしてきた和の精神・互譲互助の精神、自分たちの利益ばかりを追求するのではなく、世のため人のためにことを成す。
佐三の信念によって、出光はいまも、そうした日本人らしさを心に活動しています。

東日本大震災に襲われた日本に向け、海外から届いたたくさんの励ましの言葉。
その中にも、佐三が大切に考えていた日本人らしさを称賛するものがありました。
その数々の言葉によって、私たちは勇気づけられ、日本人であることの誇りをあらためて認識することができました。

一方で、震災を経たいま、本当のゆたかさとは何か、私たちは何を大切にして生きていくべきなのか、これからの日本人のあるべき姿はどのような姿か、一度ゆっくり立ち止まって、向き合う必要があるのではないでしょうか。

本日、出光は創業100周年を迎えました。
これからの100年、私たちに何ができるのか。
世界が日本に注目するいま、私たちはこれまでの歩みを振り返り、新たな一歩を踏み出し、次の100年の社会づくりに貢献する企業を目指してまいります。
私たちは、日本人のエネルギーを信じています。』

出光佐三は、逆境の中で苦しい時に資金面でも精神面でも支えてくれた人がいます。その人の名は、日田重太郎といいますが親族や家族の反対を押し切って出光佐三に全財産を預けて応援します。いよいよお金がなくなり困窮した時も、自分の家を売ればいい、やれるだけやりなさいと応援します。

資金提供の約束としては、一つは従業員を身内だと考え、良好な関係で付く合っていく事。そして一つは、自らの考えを最後まで曲げない事。最後は、日田が資金を提供した事を他人に言わない事。この3つだったといいます。

出光佐三は金儲けのために働いたのではないことは、「出光の仕事は金儲けにあらず、人間を作ること、経営の原点は「人間尊重」です。」という言葉や、「金や物や組織に引きずられちゃいかん。そういう奴を、僕は金の奴隷、物の奴隷、組織の奴隷と言うて攻撃しているんだ。」、「黄金の奴隷たるなかれ」という言葉に残っています。

この出光佐三の日本人的な気質、その人間尊重の和の生き方に惚れ込み、ここまでした日田重太郎氏もまた日本人の精神をもっていたのかもしれません。

最後に、出光佐三が亡くなるときに昭和天皇が和歌を詠みました。

「国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思ふ」

国のために一心に真心を尽くして生きた出光佐三がいなくなることを寂しく思うというものです。

私もこの出光佐三に、深く共感しこのような方が郷里にいらしたことを誇らしく思います。同じ日本人として、和の心をどこまで高め磨き上げられるか。徳の経営ともいうこの日本的経営を子どもたちに譲れるように挑戦していきたいと思います。

 

和の経営

出光興産の創業者に、出光佐三がいます。昨年、海賊と呼ばれた男の映画のモデルとして登場しましたがその生き方に共感した方が多かったといいます。私の郷里の近く、宗像郡赤間出身で唐津街道の赤間宿に生家があり生涯を通して宗像大社への信仰がとても篤かったとしても知られています。

その経営理念は、「人間尊重」であり出光には「出勤簿が無い。労働組合がない、首切り、定年制がない」という「人間尊重の経営」をしていました。『人こそ事業の根本である』と主張し貫かれていました。一つの物語に、戦後に海外から1000人もの社員が引き上げてきた時も、彼は一人も首を切らなかったといいます。そして「1000人が乞食になるなら私もなる。」、「会社がいよいよ駄目になったら、みんなと一緒に乞食をするまでだ。」、「君たち、店員(従業員)を何と思っておるのか。店員と会社はひとつだ。家計が苦しいからと、家族を追い出すようなことができるか!」といいきって社員と共に会社を守り抜かれたといいます。

その出光佐三の経営者像は、まさに日本的精神であり本人も「私は日本人として生まれ、日本人として育てられ、そして日本人として経営をしている。」と言っています。

その根本に据えたのが人間尊重の理念です。

「人間社会は人間が支配している。その中で一番大きな働きをするのが、信頼と尊敬で結ばれた、真の和の人間集団の働きだ」

「事業を行うにはまず人材を養成しなければならない。人材はどうして養成するか。それは尊重すべき人間になれということである。自分から見て尊重すべき人間というのは,良心の強い,真の個人である。これらの人々がお互い尊重し合うところに,真の団結がある」

「独立不羈(どくりつふき)の精神の根本は、人間尊重であり、自己尊重であり、他人尊重である。」

和の人間集団や、お互いに尊重し合うところの真の団結といういい方もしました。お互いの違いを尊重し合い、そのうえで真の個人を打ち立てること。そして独立不羈の人格を磨くことを目指しました。この独立不羈とは、他からの束縛を全く受けないこと。他から制御されることなく、みずからの考えで事を行うことをいいます。

つまりお互いを尊重し合いながら、自分自身を立てるという和の精神、人間を尊重し合う社會の実現を目指したのです。

郷里に生き方の先輩があることに誇らしく思え、またここから改めて学ばせてもらうことばかりです。その出光佐三が神社の甦生において遺した言葉があるのでご紹介します。

「私の育った町は特殊な土地柄で、宗像神社という有名な神社があった。私はその御神徳を受けたと考えている。私はいま神社の復興をやっているが、神というものを今の人はバカにしている。私どもにはバカにできない事実がたくさんある。私の会社は災害を一度も被っていない。理屈は色々つくかもしれないが、社員は神の御加護と信じているのだからしょうがない。また信じないわけにはいかないだろう。」

剛毅な印象がありますが、病弱で逆境が続く中で苦労をして感謝を忘れなかった人物像が観えてきます。古今の経営に通じる大切な生き方が、出光佐三の足跡から学べます。

引き続き、子どもたちのためにも一つ一つの出来事から学び直して深めていきたいと思います。