道に迷う

人間は忙しくなると心をおざなりにしていくものです。言い換えれば、現実の速度に心が着いてこれないと心が消えてしまい妄念や妄想ばかりが増えていくものです。この心とは初心のことで、「何のために」ということを思い出せなくなっていくという具合です。

この「何のために」ということがしっかりしている人は、あまり日々の現象に対して道から外れるようなことが少なく実践を着実に積み重ねて本来の目的に向かって歩んでいきます。

しかしこの道に迷いが出てくると、不安や恐怖などが押し寄せて心が落ち着いて行動することができなくなってきます。感情ばかりに左右され、感情に呑まれていたら心は消えて忙しい状態になるからです。心が忙しくならない方法の一つが、そもそも何のためにはじめたのかと常に初心に帰っていくことのように思います。

また道を共に歩んでいる同志や仲間に心を見守ってもらうことも方法の一つです。自分のことを過信せず、いつも命綱を信頼できる人に預けながら崖っぷちを歩んでいくように導いてくれる人に自分の心を委ねながら歩む具合です。この関係は、自分自身との信頼関係の築き方と同じです。自己の調和やバランスもこの信頼関係が結ばれて実現していくように思います。

「何のために」という動機は、すべての根源ですからそれさえ忘れなければ心は自分から離れることはありません。道に迷う時には深呼吸をして、一体何のために自分はこれをやるのかと改めて自分自身を省みて目的を忘れていなかったと思い出せば心は寄り添ってきます。

私の場合は現実的に方向音痴で都会や屋内ではすぐに道に迷います。道に迷うということを自覚していますから、迷ったらすぐに人に聴くようにしています。周りはみんな親切な方ばかりでいつも間違いを指摘してくれます。時折、よくわからない指摘もありますがわからなければまた他の人に聴き直します。まあ、よく間違いますから自覚していることで救われているのかもしれません。

自分が間違っているのではないかと自覚することは、人の話をちゃんと聴いているだろうかと反省することと同じです。自分の解釈で独善的に間違っていないと固執するときほど、大きな間違いをする可能性があります。間違っていないはず、あっているはずとこの「はず」がつくとき、人が自分を過信し傲慢さが膨らんでいくからです。

姿勢として、何か間違っていませんかと人生の答え合わせをし続けて最終的に合っているということが道に生かされたということかもしれません。導師は常に一心一体です。

大切な人が道に迷ったとき、手助けできる距離で見守れるように自分自身を襟を正して精進を地道に続けていきたいと思います。

 

道を怠らない

先日、稲盛和夫氏の言葉で「謙虚は魔除け」という言葉を知りました。これはとても感じ入り、すぐにノートにメモを取りました。確かに、謙虚であるときは不思議と福が集まり好転する循環が発生してきます。しかしこれが傲慢になるとき、ありとあらゆる魔が差し込んでくるものです。

その「魔」とは何か、少し深めてみようと思います。

この「魔」は辞書には、「人を迷わすもの。修行をさまたげ、善事を害する悪神。人間わざでない、不思議な力をもち、悪をなすもの」と書かれています。ブリタニカ国際大百科事典には「古くは摩,磨とも書いたが梁の武帝のとき,魔にしたのが始りといわれる。しかし,武帝以前に魔の字は存在したらしい。魔はサンスクリット語 māraの音写,魔羅の略語で,殺すものという意味。翻訳語に殺者,奪命,悪魔などがあるが,人の生命を奪い,善事を妨げる悪い鬼神をさす。仏教では魔の内観的意味として,煩悩など衆生を悩ますものを魔といい,自己の身心から生じる障礙を内魔,外界から加わる障礙を外魔という。」と紹介されています。

つまりシンプルに言えば、人間修養の妨げになるものであり人間の煩悩のことを言うように思います。人間には誰しも己の中に魔が住んでいるといいます。これを「己心の魔」とも言います。己の中から湧き出てくる魔を如何に払い除いていくかに「福」が関わっているということでしょう。

この己心の魔は、自分自身に宿る煩悩や欲望で仏教では五欲や十悪などと言われますが人それぞれに非常に多くの煩悩が存在します。人間としてどう生きていくかと向き合い取り組みはじめても常にその煩悩が邪魔をしてくるのです。この「邪魔」とは文字通り、道を歩む妨げになるものです。

その「魔」を除けることで道を安心して歩んでいくことができます。神社では御守りやお札などで魔除けをします。同様に生きる上で心がける御守りを持つということは、様々な自戒をもって歩んでいくことに似ています。その一つに、謙虚というものがあるのです。

中道を歩みバランスを崩さずに歩んでいくことはとても難しいものです。一度、己心の魔に呑まれたら都合よく解釈をして自分がズレていることにも気づきません。そうならないように常に自己を正しく反省するために、物差しになるのは同じように修行をしている謙虚な人々の生き方を学び直したり、その人たちに触れたり、諫言や叱ってくださるようなアドバイスを自ら学んだりという素直さが必要です。

そして素直になれば、自分の傲慢さで自分の魔に打ち克つ謙遜があります。本物の自分でいるか、あるがままの自分を自覚しているかと確かめていくのです。自分の心が澄んでいないのではないかと常に確認している人は、常に今を善き心にしようとします。このように生きている人は、まさに「謙ゆえに福、虚ゆえに幸」なのでしょう。

道を歩む心構えを歪めないように、日々に深く反省し子どもたちや大切な人たちを見守れるように私自身の精進を怠らず謙虚を魔除けにして努めていきたいと思います。

ずっと一緒に居たい人たち

人間は自分に本当の自信があると謙虚でいられるものです。自分の存在がすべてに満ちていて同時に他人も同様にすべてが満ちていると思う人は感謝の心を忘れることはありません。

もっともっととないものねだりをしては、今に不満足、自分に不満足であれば自信を持つことができず人間関係にも綻びが出てくるものです。自分に自信を持つというのは単に自分で納得できる能力を持てばいいのでもなく、周囲から評価されることの実績を出せばいいのでもなく、自分のあるがままを認め、他人のあるがままを認める強さがあってはじめて持てるのかもしれません。

幼い頃からの教育で、ないものばかりを指摘され減点法で平均より高い成績を出すようにと刷り込まれてくると自分は不完全であるように思いこんでしまうものです。そのため完全であることを求めては不平不満や言い訳などで現実を誤魔化すようになっていきます。

そうすると現実が仕合せでないから自信がさらに失われ、余計に他人の自信を奪ってしまうような生き方をしてしまうものです。本来、等身大のあるがままの自分を認めることができるのなら人はないものを求めずにあるものに感謝できるようになります。

向上心という名の自己否定は自信を奪うだけでかえって思いやりや感謝から遠ざけてしまうように思います。さらに拍車をかけて、忙しさや疲れや余裕のなさが蔓延るとお互いに傷つけあうような世知辛い社会をつくってしまいます。その悪循環はさらに自信を奪い合う連鎖を助長してしまうのです。

それを断ち切るには、まず自他をゆるす必要があるのかもしれません。自分をゆるせるのは自分を肯定することができるからです。そして同様に相手がゆるせるのも相手を肯定することでできるからです。

自己肯定ができて自他肯定ができるという具合に、大前提として自分はそのままでいい、あなたのままでいい、自分のままでいいとあるがままの価値を認めることです。そのままの魅力をどう活かすか、欠点もまた魅力になるほどにどう磨くか、そういう生き方が自己肯定感をより高めて本物の自信に近づきます。

自分の苦手なところもちゃんと自覚しつつ、それを信頼する人たちに助けてもらう。そして自分の得意なところでみんなに貢献していくという具合に、あるものを活かしないものもまたそれも人間関係を築くための魅力にしていけばいいのでしょう。

全部できなくてもできないところは仲間がカバーしてくれることで自分のことも活かせ周囲も活かせます。共生と貢献の関係を築くのです。そして全部自分ひとりでやるのではなく、できない自分をゆるし、できない周囲をゆるし、一緒に生きていこうとすることです。

「一緒に」生きるというのは、仲間がいるということで仕合せに生きていくことを選ぶということです。そしてずっと一緒に居たい人たちとは、どんな状況でも「お互いの価値を認め合える人たち」のことです。

そのような仲間に巡り合える人生の仕合せは格別なものです。

まさにパートナーとは、存在価値を肯定してくれる人ということなのでしょう。引き続き今の閉塞感の満ちた日本の社会で、子どもたちが自己否定するのを当然だと思ってしまわないように社業を通して仕事を通してイノベーションに貢献していきたいと思います。

 

心の中の平和

昨日、ある園の理念研修で「一人ひとりの中に心の平和をつくる」という理念を学び直すことができました。乳幼児期は人格形成の基礎だからこそ、何よりも重要だという動機から初代の方が開設してから約70年の歳月が経っています。

この心の中の平和という言葉を思う時、ユネスコ憲章の理念を思い出します。

「戦争は人間の心の中で生まれるものであるから、人間の心の中に平和の砦を築かなければならない」

平和を願う人々はみんな心の中にある平和を築こうと世界に発信していくものです。戦争を産出す原因は、心の中で戦争が続いていくからです。その戦争は、比較競争や差別や格差などから発生する疑心暗鬼が原因になっているように思います。お互いを信じ合い道徳を守り助け合い協力しよういう心が失われていきます。そのためにも、感謝や信頼、協力や尊重などということを学ぶ必要が出てきます。

人間は、それぞれ生まれた環境も育った環境も異なりますが人間としてどうあることが心の平和を築いていけるか深めていけばその方法が観えてくるものです。

私が実践し提案する一円対話も、協働も初心の内省も徳報酬もすべてはこの一点「心の中の平和」を創るために広げていこうとしているものです。人々の中に心の平和ができるのなら、そこには平和な社會や未来が築けて徳世が築けます。

何度も何度も戦争を繰り返し、人類は一体どこに辿り着こうとしているのか。今を生きる私たちはもう一度それを深く見つめる必要があるように思います。

そして今まで過去の歴史になかった新たなパラダイムが誕生が求められます。

子どもたちのためにも、自分にできることを脚下の実践をもって努めていきたいと思います。

100年後の遺徳

戦前の教科書に「稲むら火」という話が紹介されていました。これは今から150年前に起きた安政の南海地震の実話でありヤマサ醤油7代目である濱口儀兵衛の34歳の時の話です。

『「これはただ事ではない」とつぶやきながら、五兵衛は家から出てきた。今の地震は、別に烈しいというほどのものではなかった。しかし、長いゆったりとしたゆれ方と、うなるような地鳴りとは、老いた五兵衛に、今まで経験したことのない不気味なものであった。 五兵衛は、自分の家の庭から、心配げに下の村を見下ろした。村では豊年を祝う宵祭りの支度に心を取られて、さっきの地震には一向に気が付かないもののようである。村から海へ移した五兵衛の目は、たちまちそこに吸いつけられてしまった。風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、みるみる海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れてきた。「大変だ。津波がやってくるに違いない」と、五兵衛は思った。
このままにしておいたら、四百の命が、村もろとも一のみにやられてしまう。もう一刻も猶予はできない。「よし」と叫んで、家に駆け込んだ五兵衛は、大きな松明を持って飛び出してきた。そこには取り入れるばかりになっているたくさんの稲束が積んであった。「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ」と、五兵衛は、いきなりその稲むらのひとつに火を移した。風にあおられて、火の手がぱっと上がった。一つ又一つ、五兵衛は夢中で走った。こうして、自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまうと、松明を捨てた。まるで失神したように、彼はそこに突っ立ったまま、沖の方を眺めていた。日はすでに没して、あたりがだんだん薄暗くなってきた。稲むらの火は天をこがした。山寺では、この火を見て早鐘をつき出した。「火事だ。庄屋さんの家だ」と、村の若い者は、急いで山手へ駆け出した。続いて、老人も、女も、子供も、若者の後を追うように駆け出した。高台から見下ろしている五兵衛の目には、それが蟻の歩みのように、もどかしく思われた。やっと二十人程の若者が、かけ上がってきた。彼等は、すぐ火を消しにかかろうとする。五兵衛は大声で言った。「うっちゃっておけ。ーー大変だ。村中の人に来てもらうんだ。」村中の人は、おいおい集まってきた。五兵衛は、後から後から上がってくる老幼男女を一人一人数えた。集まってきた人々は、もえている稲むらと五兵衛の顔とを、代わる代わる見比べた。その時、五兵衛は力いっぱいの声で叫んだ。 「見ろ。やってきたぞ」たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指差す方向を一同は見た。遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。その線は見る見る太くなった。広くなった。非常な速さで押し寄せてきた。「津波だ」と、誰かが叫んだ。海水が、絶壁のように目の前に迫ったかと思うと、山がのしかかって来たような重さと、百雷の一時に落ちたようなとどろきとをもって、陸にぶつかった。人々は、我を忘れて後ろへ飛びのいた。雲のように山手へ突進してきた水煙の外は何物も見えなかった。人々は、自分などの村の上を荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。二度三度、村の上を海は進み又退いた。高台では、しばらく何の話し声もなかった。一同は波にえぐりとられてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下ろしていた。稲むらの火は、風にあおられて又もえ上がり、夕やみに包まれたあたりを明るくした。はじめて我にかえった村人は、この火によって救われたのだと気がつくと、無言のまま五兵衛の前にひざまづいてしまった。』

こののち濱口儀兵衛は、直ちに救済、復興対策(橋梁、堤防構築、失業対策等)に奔走し、100年後のふるさとを守るためにとそれから4年の歳月で延べ人員56,736人、銀94貫の私財を費やして全長600m、幅20m、高さ5mの大防波堤「広村堤防」を築きました。これは津波で職を失った人を助けるとともに、1946年(昭和21年)に発生した昭和の南海地震津波から住民を守り抜いたのです。他にもこの方は、江戸で燃失した種痘所なども再建しています。

長い目で観て、何を信じ、行動することが未来の子どもたちや国を守ることか。それを見極めて取り組まれた徳のある人物であったことは歴史が証明しています。100年後の未来を見据えることこそ徳を実践することかもしれません。

最後に、濱口儀兵衛の言葉です。

「財は末なり、信は本なり、よろしく本末を明らかにすべし 」

意訳ですがよくよく物事の本末を間違えてはならない、お金や財力あくまで末のことであり、すべての本は「信じる」ことによるのである。100年後を信じる人たちに見守られて私たちが暮らしていることを忘れてはいけません。その遺徳を顕彰していきたいと思います。

 

聴福庵

「炭鉱のカナリア」という慣用句があります。これは炭鉱においてときおり発生するメタンや一酸化炭素といった窒息ガスや毒ガス早期発見のための警報としてカナリアという鳥が活用されたことが由来です。鉱山以外でも、戦場や犯罪捜査の現場で用いられたりします。また金融の世界では、株価の急落や景気変調のリスクを示すシグナルの意味で使われたりもします。

このカナリアはつねにさえずっているので、異常発生に先駆けまずは鳴き声が止みます。そうやってカナリアが危険を察知して騒ぎ立てることで、人々のいのちを救ったのです。ここから身を捨てて多くの人々を救うという意味でも用いられました。

聴福庵は、筑豊炭鉱の中心地にありかつての炭鉱王伊藤伝右衛門邸の正面にあります。この炭鉱はかつては日本の産業革命の際の全エネルギーのほとんどをこの地の石炭で賄ったほどに貢献してきた土地です。つまりひとつ前の時代の変化の礎になってきた歴史を持っている場所に建っています。

世界の進む方向が大量生産大量消費のグローバリゼーションの席巻で自然を覆いつくすほどの市場を拡大していく中で、大勢の人々が自転車操業的に資本主義経済の激流に流されるまま流されているだけでこのままでは危ないと気づいていても進む方向を誰も変えることができなくなっています。歴史に学べばこのまま進めば人類はかつてないほどの危機に晒されることになります。この濁流に柵をかける人たちがどれくらいいるかわかりませんし、崩壊しないように楔を打つ人がいつでてくるのかもわかりません。

世の中の道とはまるで逆走するかのように聴福庵はその反対の方へと孤軍奮闘しながら前進して小さな鳴き声で危機を発信していますがまるで「炭鉱のカナリア」そのもののようです。

人類が滅亡の危険になるとき、自然災害などの異常が発生する予兆、そして時代の変化の時に身を捨ててでも人々を守ろうとするカナリアです。これはまさか自画自賛をしたいのではありません、まさにもう心身もボロボロの満身創痍の状態で薄氷の上を戦々恐々として歩む心境ゆえにそう自称したのです。

こういう時、西条八十の童謡「かなりや」を心を頼りに歩んでいるのです。

「歌を忘れたカナリヤは後ろの山に棄てましょか

いえいえ それはなりませぬ

歌を忘れたカナリヤは背戸の小薮に埋めましょか

いえいえ それはなりませぬ

歌を忘れたカナリヤは柳の鞭でぶちましょか

いえいえ それはかわいそう

歌を忘れたカナリヤは象牙の舟に銀のかい

月夜の海に浮かべれば 忘れた歌を思い出す」

これは西条八十が詩を捨てようかどうかと思い悩むときに作詞したものだといいます。居場所を見つけて美しい詩を奏でられるという希望を子どもたちに伝えようと謳ったものだと言います。人間の愛や美しさを信じるからこそ唄を忘れることはありません。

聴福庵の声を私がもしも世界へと届けるのなら、「炭鉱のカナリア」の遺志を伝えるのみです。いよいよ聴福庵は、始動を開始するうぶ声をあげはじめました。しっかりと見守り共に歩んでいきたいと思います。

 

 

 

試練と挑戦~通る道~

人は何かに新しく挑戦しようとするとき、避けては通れない試練と向き合うことがあります。知らないからこそ何でもできることもありますが、知らないからこそそれ相応の試練が用意されているのです。

先にわかっていればと悔やまれることも、やってみなければわからずやっていく中で失敗を通して学んでいきその体験を次に活かすことができるのです。成長の実感や人生の充実も常に挑戦し続けているからこそ得られるものです。

しかしその時に受ける精神的ダメージや苦痛は大きく、眠れない夜を何度も過ごし食べ物も一切喉を通らず、激しい頭痛や吐き気、倦怠感など心身共に強烈な影響を受けてしまいます。もちろん新しい挑戦する気持ちの中で知らないのだから悪気もなく、善意でやっていたとしても知識や経験の浅さから誰かに迷惑をかけてしまえばそれだけ自分の思いやりが足らなかったと反省も深くなります。

通常ならそこで諦めて辞めてしまったり、もう無理だと逃げたりするのでしょうがそれ以上に未来に希望を持っているのであればその経験を糧にして成長するために前進するしかありません。物事には良い面と同時に悪い面が発生しますから、どれだけ善い方を意識し、物事を転じていくかですべてを福に換えていくことができるからです。

そのためには一つの体験の咀嚼を丁寧に味わい、その体験を自分の人生のすべての経験に加味していく必要があります。学問が深まっていくというのは、単なる知識が増えていきそれが明瞭になることではなく泥臭い生々しい体験の中で深く反省しそれが知識から智慧に転換されたときに深まっていきます。

学問を深めるというのは、人格を高めることであるのは学び方=生き方であるからなのでしょう。

人間は転んでしまうのは仕方がありません、上手く歩けないヨチヨチ歩きの子どもから始まり何度も何度もこけては立ち上がり歩くのが上手くなっていきます。コケたら痛くて情けなくて何回も涙しますが、それでも歩きたいと立ち上がりまた歩くのは子どもが成長したいと心根から思っているからです。

子どもたちは、転んでも立ち上がりまた歩くのはそれが人間の人生を示しています。子どもの姿から見て学ぶことは、転んでも立ち上がることでしょう。そしてその子どもの親や大人から学ぶことは見守ることです。子ども同士は成長し合いたいと願っていますから時としてヨチヨチ歩きの子ども同士が歩いていて道でぶつかってお互いに怪我をしてもそれはお互い様です。そして転んだら手を取り合って助け合うのは御蔭様です。それを見守り間にいるの思いやりや優しさといった慈悲です。

自分の正論を振りかざして思い込みで相手を裁くよりも、自分が未熟だったと深く反省し明日への挑戦の糧にしていきたいと思います。

いい循環

世の中には「いい会社」というものがあります。そのいい会社とは何か、それを話し合い定義しなければいい会社が何かはわからないものです。たとえば、成功している会社とか、成長する会社とか、給与や休みが多い会社とか、自由な会社とかいろいろとあるものです。

実際に人間にはそれぞれに価値観もあり、自分に都合のよいものをいいと言いますからいい会社も多種多様に存在するものです。実際にいい会社とは何か、それを定義するものがなければ人はいい会社のこともまたわかりません。

しかしいい会社と呼ばれる会社には、本来普遍的に流れている一つのものがあるように思います。それは「徳」というものです。これは会社に限らず、人も同様に「いい人」とは何かということの定義も同じです。

この「いい」とは「徳」のことを指すのです。

この徳のことは最近は誤解されていることが多いように思います。一つは、何かお得な人物や特別な能力がある人を徳があるといったり、もしくは聖人君子みたいない人物が徳のある人などと言われます。しかしそんな人は最初から徳があるわけではなく、生まれつきの個性だったりもします。

本来の徳は、後天的に精進して磨いていくものです。それは人間として大切な道徳心を磨くこと。たとえば、誠実であること、約束を守ること、生き方を貫くこと、真心を盡すことなどによって徳を積んでいくのです。

徳を積んでいけば、次第に「いい人」になっていきますし、徳を積む人たちが増えれば「いい会社「になる、そしていい会社が増えれば当然日本は「いい国」になり、徳が日本に増えれば「いい世界」になるのです。

徳を積む人たちの背中から私たちは徳の本体を学び、その徳を守り自分もまた徳を積んでいくことで「いい循環」はつながり永続的にその徳は天の蔵に貯金されて子孫たちの繁栄と発展に寄与していくのです。

「いい会社」になることがゴールではなく、徳を積んでいくことがゴールなのです。

いい会社かどうかを査定したり比較したりする前に、何のために「いいこと」をするのかを定義することが大切だと私は思います。

引き続き、私も子どもたちにとっていい人、いい会社になるためにも常識に囚われず至誠を貫いていきたいと思います。

 

自分の選んだ道

人生は生き方で決まるものです。その人がどのような生き方をすると決めたか、それがまずすべてにおいて先でありその後に結果としてどのようなことを為したかが追いかけてくるものです。

結果を出したから生き方が決まったのではなく、生き方が決まっているから結果もまた出てくるということです。その結果とは何か、それは単なる世間的な成功などというものではありません。生き方が現れるというのは、その人が死んだときに生前の人柄や生き様の価値が人々の心を通して世の中に顕現してくるのです。

生き方は常に心の中にあるということでしょう。

しかしその生き方を選ぶには、日ごろから自分の中で定めた初心や覚悟を常に優先していこうとする心の作法が必要になります。

一般的には人間は職業上の立場や肩書、世間体などを気にして自分の行動を決めたりするものです。世の中の常識に従っていることで身の安全も保障されますし、周囲の偏見や差別に受けなくなります。しかし、それは生き方を選んだのではなく無難な方を選んだということです。

人生の挑戦とは何か、それは何も巨大な敵に挑むことでもなく、まったくやったことがないことに挑むことでもなく、未知なことに手を出すということでもありません。

人生の挑戦とは、生き方を貫くと決めることなのです。

生き方を貫くと決めた時から、後悔しない人生を歩むためにありとあらゆる日々の決断や決心を自分の心に問いかけて行動に移していく必要があります。それがたとえ世間から「狂っている」と言われようと、「馬鹿げている」と笑われようと、それは生き方だから自信をもって歩んでいくのです。

そうやって一人一人がその生き方の背中を子どもたちに見せていくのなら、いつかきっと世界はお互いを真に尊重できる平等で誰しもが納得できる平和な世の中になっていくでしょう。

日々は生き方の連続ですから、決して油断はできません。常に自分を磨き上げ、生き方を貫けるように自分の選んだ道に誇りを持ち続けたいと思います。

人生訓~戦う心~

先日、永六輔さんを深めていたら下記の文章を見つけました。文章のどれもがとても人生訓になり、ここから何かを感じる人が多いのではないかと思い紹介します。

【あ】「ありがとう」は何度言っても良いこと
【い】「忙しい」と言う人は頼りにならないこと
【う】運を引き寄せるためには努力し続けること
【え】笑顔は最大の武器であること
【お】お礼はすぐにすること
【か】学生時代の友人を大切にすること
【き】今日から始めること
【く】苦しいときこそ諦めないこと
【け】健康を当たり前と思ってはいけないこと
【こ】心を鍛えるには体を鍛えること
【さ】最低限のお金がないと自信を失うこと
【し】叱られるのは20代の特権であること
【す】素直になること
【せ】成功談よりも失敗談から学ぶこと
【そ】外に目を向けること
【た】他人の意見は無責任であること
【ち】小さなことで大騒ぎしないこと
【つ】強がらなくて良いこと
【て】できないと言う人は必要ない人であること
【と】どんな状況でも家族は裏切らないこと
【な】涙を流すのは恥ずかしくないこと
【に】人間は弱いこと
【ぬ】抜かりなく準備すること
【ね】熱意があれば、人は動いてくれること
【の】残り時間を意識すること
【は】早く失敗して、早く改善すること
【ひ】一人で頑張るのには限界があること
【ふ】プライドなんて持っても意味がないこと
【へ】偏見に出会ったら断固として戦うこと
【ほ】本当にやりたいことに集中すること
【ま】迷ったらすぐにやってみること
【み】みんなという言葉に安心しないこと
【む】群れずに「違い」を意識すること
【め】目上の人に甘えてもいいこと
【も】目的がない行動は無駄であること
【や】やり直すのに遅いことはないこと
【ゆ】勇気は体験から生まれること
【よ】余裕がないと人を傷つけること
【ら】ライバルがいたほうが良いこと
【り】リラックスを心がけること
【る】ルールを破っても良いこと
【れ】冷静になって考えること
【ろ】ロマンを忘れないこと
【わ】わかっているのとできるのは違うこと

(20代からの自分を強くする「あかさたなはまやらわ」の法則、田口 久人著より抜粋)

自分と向き合い、自分の弱さを知り、自分を仕上げ続けて転んでも起き上がり続けた人物像が観えてきます。何度も立ち上がること、立ち直り歩み続ける大切さを共に歩む仲間に語り掛けておられたのではないかとも感じます。

人々が自分を毀し乗り越えていくための原動力、一緒に戦おうと励ましてくださっているかのようです。私も永六輔さんのように仲間の力になれる自分でいたいと強く感じました。

最後に、永六輔さんの最期の言葉で締めくくります。

淋しさには耐えられる
悲しみにも耐えてみよう
苦しさにも耐えてみて
耐えて耐えて
耐えられないのは虚しさ
虚しさ 空しさ
虚しさが 耐えられるのは
ともだち あなた 戦う心

歩み続ける意志を子どもたちに伝承していきたいと思います。