自分の選んだ道

人生は生き方で決まるものです。その人がどのような生き方をすると決めたか、それがまずすべてにおいて先でありその後に結果としてどのようなことを為したかが追いかけてくるものです。

結果を出したから生き方が決まったのではなく、生き方が決まっているから結果もまた出てくるということです。その結果とは何か、それは単なる世間的な成功などというものではありません。生き方が現れるというのは、その人が死んだときに生前の人柄や生き様の価値が人々の心を通して世の中に顕現してくるのです。

生き方は常に心の中にあるということでしょう。

しかしその生き方を選ぶには、日ごろから自分の中で定めた初心や覚悟を常に優先していこうとする心の作法が必要になります。

一般的には人間は職業上の立場や肩書、世間体などを気にして自分の行動を決めたりするものです。世の中の常識に従っていることで身の安全も保障されますし、周囲の偏見や差別に受けなくなります。しかし、それは生き方を選んだのではなく無難な方を選んだということです。

人生の挑戦とは何か、それは何も巨大な敵に挑むことでもなく、まったくやったことがないことに挑むことでもなく、未知なことに手を出すということでもありません。

人生の挑戦とは、生き方を貫くと決めることなのです。

生き方を貫くと決めた時から、後悔しない人生を歩むためにありとあらゆる日々の決断や決心を自分の心に問いかけて行動に移していく必要があります。それがたとえ世間から「狂っている」と言われようと、「馬鹿げている」と笑われようと、それは生き方だから自信をもって歩んでいくのです。

そうやって一人一人がその生き方の背中を子どもたちに見せていくのなら、いつかきっと世界はお互いを真に尊重できる平等で誰しもが納得できる平和な世の中になっていくでしょう。

日々は生き方の連続ですから、決して油断はできません。常に自分を磨き上げ、生き方を貫けるように自分の選んだ道に誇りを持ち続けたいと思います。

  1. コメント

    「無難な方を選ぶ」というのは、何事においても「その場しのぎ」にしかならず、結局、何も変わりません。同様に、「無難な人生」を歩むというのは、何も生まないでしょう。自分の人生を歩むには、「自分の生き方は自分で選べる」ということを知ることです。そして、実際に「自分の選んだ道を優先する」ということでしょう。「志が万事の源になっているかどうか?!」そこを常に自問したいと思います。

  2. コメント

    人間、いざという時に最もその人の真の姿があらわれるように思います。ある意味ではそれは日頃の生き方の結果なのかもしれませんし、それと関係なく生まれ持ったものなのかもしれません。お互いが我を貫くのではなく、その真の姿の方を守れるよう日々の生き方を大事にしていきたいと思います。

  3. コメント

    「イエスマン」という映画がありましたが、それまでノーばかりだった青年が、イエスということで人生を好転させていました。好転させるにはある種の法則的なものを感じますが、人生を定め、生き方を貫いていくためには、強烈な想いが必要なように感じます。そして、同時にその想い自分で育て続けるのが挑戦なのかもしれないと感じます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です