信仰の甦生

古代信仰というものがあります。これはまだ宗教などと表現される前からあった原初の信仰のことです。私も日々、かんながらの道を歩んでいますがこれも今でも続く古代信仰の根源とも言えます。

そもそも生活即信仰という言葉もありますが、暮らしは信仰そのものであったものです。朝に太陽を拝んで一日がはじまり、夕にまた太陽を拝んで一日を終える。この最もシンプルな暮らしの中に真の仕合せはあるものです。

古代の人たちは自然と共に生き、自然と共に死に、いつも自然体で生きていました。すると、この古代の信仰は自然に続けられるものです。それがいつのころからか、国家や社會を管理統制するための信仰に換わり現代信仰のように変化していったのでしょう。

むかしに思いを馳せると人々は何に拝んだか、何を最も感謝していたか考えてみるとすぐに自明するものがあります。先ほどの太陽をはじめ、あらゆる自然に対する感謝です。宇宙をはじめ精霊といわれるものから重力や引力、そして身近では山や川、田んぼ、そして食物といったもの。これらを「いのち」として崇めていのりを忘れませんでした。

自分の存在そのものが偉大な循環に生かされていることを忘れずに、壮大な調和そのものに溶け込んでいくのです。

人は部分最適ばかりを追いかけていると、全体最適や全体快適が見えなくなるものです。それくらい人の視野というものは利己的で狭くなるものです。そうならないようにと、先覚者たちが道を歩み後人たちへと道しるべを用意していきました。それが今では各地の郷土信仰とも結ばれているように思います。

私は信仰を甦生するのは、暮らしからだと確信しています。暮らしとは、信仰のように生きることでありそれは自然との共生を感謝と共に歩むというという道の実践のことです。

引き続き、かんながらの道を歩みながら暮らしフルネスを求道していきたいと思います。

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