英彦山で、満月の日に不老不死の妙薬、不老園を煎じています。これをお茶にしてみんなでいただきます。お茶は本来、薬でしたからむかしながらの薬の摂取方法ということです。
もともと霊山には澄み切ったお水が流れ、あらゆる薬草が生えてきます。その力を使って治療をすることが修験者たちの一つの生業でした。これが衰退したのは、明治のころの山伏禁止令により山伏がいなくなったこと、近代医学が普及し制度ができて公的な医療から排除されたこと、また経済的理由からお山で暮らす人たちがいなくなったこと、そして宿坊文化が失われたことなどが考えられます。
もともと修験道では宿坊が、修行者を受け入れるだけでなく、薬草を育て、薬を調合し、病人を看る拠点でもありました。その宿坊そのものが減少してその土地ならではの秘薬や薬湯、養生法も消失しました。養生思想も同時に消え、治療中心の医療、対処療法が社会の中心になりました。不老不死の妙薬もまた、お山から消えていきました。
もともと修験道において「薬」とは、丸薬や煎じ薬だけではありませんでした。お山の湧水、薬草、発酵食、温泉、呼吸法、滝行、山歩き、祈り、四季の食生活まで含めた「養生」そのものが薬としてきました。
英彦山にも玉屋窟から不老長寿の霊水が湧いていますし、行場はお山のあちこちに遺っています。
私が宿坊の甦生で、石風呂やサウナ、薬草園、治水、発酵食、薬味、座禅、水垢離、滝行や法螺貝をつくるのはこれらの日本で失われた宿坊文化を甦生するためです。そこにこの不老不死の妙薬、不老園は欠かすことはできない大切な先人の智慧です。
そもそも修験道が目指したのはお山の恵みをいただき、心身を整え、生命の流れを取り戻すことでした。だからこそ不老園が英彦山のご神体を想像する大切な存在だったように私は思います。
他の修験のお山ではどうなっているでしょうか?それを少し深めてみます。
奈良県の吉野・大峯山には、日本を代表する修験道の霊薬「陀羅尼助丸」は役行者が発祥で、主原料のキハダ(黄柏)を用いた胃腸薬として約1300年にわたり受け継がれてきたものがあります。長野県の木曽御嶽山の、「百草丸」も同様です。他には、山形県の出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)では、宿坊ごとに独自の霊薬や薬湯があるといいます。薬草酒や薬湯などを用い、修行と養生を一体のものとして実践しているといいます。石川県・岐阜県にまたがる白山では、白山修験の山伏たちが山の薬草や霊水を活用し、「白山霊薬」や「延命水」があります。富山県の立山では、立山修験の薬草文化が、後に全国へ広まった富山のあの薬売りとも深く関わっているといいます。和歌山県の高野山では、真言密教の医学と修験文化が融合し、「高野山陀羅尼助」などの寺院薬が今でもあります。滋賀県の比叡山では、天台宗の僧侶たちが医術や薬学を学び、人々へ施薬を行う「施薬院」が産まれました。和歌山県の熊野三山では、熊野修験の山伏が薬草を用いた霊薬や薬湯を伝えています。愛媛県の石鎚山では、石鎚修験の行者が薬草酒や薬餅などを養生に用い、そして山陰地方の伯耆大山でも独自の山伏薬が伝承されています。
修験の霊山には必ず妙薬があり、そう考えてみると修験道発祥の地、霊峰英彦山の不老園は1500年以上前から存在した可能でもあります。修験の霊山による修験者たちのお山の暮らしこそが、薬草文化そのものを調えたのでしょう。暮らしと薬は一体だったのです。
まだまだ時間はかかりますが、子孫たちのためにも宿坊文化や先人たちの知恵を一つ一つ丁寧に甦生していきたいと思います。文化の伝承はみんなで今でも使い続け、活かし続けることで生き続けていきます。失われたものではなく、継続し続けるものとして不老園を養生の暮らしに取り入れて頂きたいと思います。
ご協力をよろしくお願いします。
