人生の学び直し

日々というものは静かに速やかに移ろっていきます。一つのことがあれば、一つのことからたくさん学び、その学が何だったかということにのちに気づけます。人は失敗しても、その失敗を感情的に経験するだけではなく学びにすることで人間的に成長成熟していくことができるものです。

そういう意味でも、失敗がよくないとか、成功がいいではなく、何を学んだかということがもっとも大切なことであるということでしょう。

つまり人間は何をする生き物かと問われたら、學ぶものともいえます。學問というのは、どのような状況でも諦めずに根気強く、素直な澄んだ心で実践し続けてこそ意味があります。

此の世に産まれてきてから、此の世を去るまで、學問の連続です。

今回の体験や経験は何を学んだか、そして今まで学んだことで今、何をさらに学びを結んでいるか。人生は、学びの連続とその集積が集大成として生き方に顕れてきます。

自分の生き方を、そして初心を守ってさえいれば、学はいつまでも自分から離れることはありません。

一期一会というのは、ご縁のことですがどのようなことから学ぶ人生は豊かで仕合わせなことです。

もうすぐ私は齢五十歳を迎えますが、学問の齢は二歳くらいほどでしょうか。

刺激が大きいことばかりですが、一つ一つを丹誠を籠めて学び直していきたいと思います。

  1. コメント

    先生、いつも温かく深い洞察をありがとうございます。先生のお言葉から、日々の学びの連続性、そして失敗や経験を通じて成長する人間の可能性を改めて実感し、大きな救いを得ています。
    そこで、私なりに「救いとは何か」を考え、返答させていただきます。
    救いは、“可能性として開かれる”ものだ。
    問いとは、閉じた世界を、もう一度開けるための働きである。
    だからこそ、閉じてしまった問いを、もう一度開くのだ。
    世界が「閉じる」とは、日常の慣習や予断に囚われ、可能性が失われる状態。
    そこに問いを投げかけることで、救いが訪れる——それは、単なる解決ではなく、新たな地平の開け方である。
    人生の危機や絶望の中で、「なぜ?」と問う瞬間が、救いの始まりになる。
    閉じた問い(「これは運命だ」と決めつけ)を再び開くことで、選択肢が生まれ、自由が回復する。だからこそ、私たちは繰り返し問うのです。
    先生の教えのように、私の人生も学びの積み重ねです。日々を一つ一つ丹誠を込めて向き合い、問い続けていきたいと思います。先生からの救いが、私の道を照らしてくれています。どうかこれからもご指導ください。

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