杣と仙

山のお手入れをする人たちを「杣」(そま)と呼びます。この杣という語はもともと木を植え付けて材木をとる山そのものという意味になります。

古来から人間社会において建築用の木材が大量に必要なときに、木を伐採する必要があります。そのためには、その伐採するための重要な木材を管理する場所が必要です。それを「杣山」(そまやま)といいました。

そこで採れる木を杣木(そまぎ)といい、その杣によって生業とする人たちと杣人(そまびと、そまうど)と呼びました。

この杣は、古来よりお山を守る大切な生業の一つでした。自然と共生し、お山の暮らしを支えた大切な存在です。樵(きこり)とも呼ばれますが、神様が宿る依り代としての木を尊敬し丁寧に扱い、お山のお手入れを通してお山を中心にできた地域の伝統的な暮らしが穏やかに伝承され安心できるようにしてきました。今ではその存在はほとんど見かけません。お山は放置されるか観光地化しゴミを捨てる人たちによって汚れ、荒れ果ててここ数年の水害で土砂崩れが頻発しています。お山で暮らすのは、金銭的にもできないということでお山を捨てて都市に移動した結果、杣人もいなくなりました。当然、山伏などもほとんど暮らしていません。

現在、私も英彦山の守静坊からお山のお手入れをしていますがまるでやっているのはこのかつての杣人と同じです。かつての杣人たちは、霊峰や杜のなかで暮らし、木々や森林資源を活かして生活していました。お山と一体になっていたのです。

枯れ木や倒木を片付けて燃料にしたり、木材を加工して生活文化に必要な道具をつくったり、炭焼きや薬草の採取などお山で自然と調和する暮らしを守っていました。その調和する暮らしそのものが、自然への畏敬や感謝に溢れておりそれが地域の伝統文化や行事、神事、そして智慧を守ってきました。それを山岳信仰と呼ぶのでしょう。

現代では区別や分業化が進み林業となって、お金のための森林伐採がメインになっていますがかつての杣人たちはお山の仙人のような風格があったようにも直感します。

お山にいるとお山の恵みを感じない日はありません。美しく澄んだ空氣に、清らかなお水、またあらゆる動植物や昆虫まで多様に活き活きと生活をして循環を支えます。このお山の恩恵を大切に見守っていこうとするのが杣人、そして仙人の役割ではないかと私は思います。

私が今、取り組んでいるお山の甦生はまさにこの杣人や仙人の暮らしを甦生することです。すでに薬草が増え、炭焼き、法螺貝づくり、お山のご神木を見守る神事や山岳の智慧の伝承など活氣づいています。

子孫たちに如何に自然の恩恵を譲り渡していくか。現代文明が終焉に入り、歪んだ物質至上主義の世の中もちらほらと綻びはじめています。コロナをはじめ感染症の背景にあるもの、食料危機という名の拝金主義、田んぼを農薬で汚し新築ばかりを建てては智慧を捨てていく現状。

子どもたちのためにもそろそろ氣づいて行動していく時節ではないかと私は思いますが皆さんはどう思われますか?

暮らしフルネスと私が提唱のは、むやみに危機感を煽りたいのではなく本来は暮らすだけで仕合せだった古来からの智慧に原点回帰した方が喜びも仕合せも増えますよという意味でもあります。みんな自然と共生していたころの懐かしい未来に憧れていたものです。いつの時代も心の豊かさは自然との共生の中にこそ存在します。

杣から学び直し、仙からやり直していけたらいいですね。

 

日子山仙螺

私の手でつくる鳴動法螺貝の数も次第に増えてきました。一つ一つにいのりといのちを籠めてつくりますが、どの法螺貝にもその法螺貝の音や徳性がありその波動や鳴動には感動するばかりです。

英彦山の守静坊で、弁財天と英彦山三所権現、瀬織津姫や造化三神に供物を捧げ法螺貝を安置して祈祷します。そのあと、全てが調ってから唄口を合わせて調律し唯一無二の鳴動法螺貝をつくりこみます。

一つつくるのにかなりの心身のエネルギーを使うので、大量生産はできません。しかし、一つできるとその鳴動は持ち主の人生を守ります。

かつて法螺貝は、龍の一種であり貝の中には龍が潜んでいると信じられていた伝承があります。龍宮に棲み、海の中で寿命を全うしその後に鳴動し昇天するものとして信じられてきました。つまり、龍の抜け殻ともいえます。そこから雨乞いや水に関係する神様として様々な厄災を祓い清め、その振動によって様々な病気などを快癒していったともいわれます。

現代の科学では振動するものや周波数、また波動が場や身体に影響を与えることが少しずつ解明されてきました。

この法螺貝の神秘は、まさにいにしえの伝説の龍と深い関係があるのです。

私が手掛ける法螺貝には命名をすることにしました。

その名は「日子山仙螺」(ひこさんせんら)です。霊峰日子山の場でいのり法螺貝を甦生させ、仙人の霊力を持つ貝にしていこうという覚悟からです。

お山の暮らしを丁寧に守り、場をととのえ、縁者たちのいのちを仙人のお山から見守ることは徳を磨くことにもなるでしょう。

法螺貝が人一人を変え、そして真の平和な時代をつくることを信じて一つ一つ真心を籠めて手を入れていきたいと思います。

貝の神秘~法螺貝の学び~

昨日は、法螺貝を三神ほどつくりました。それぞれに個性や癖があり、作業は大変疲れます。特に硬い殻を切ったり削ったり磨いたりする作業は、どれも繊細ながら力が要ります。夜寝る時には、手の感覚が強すぎてなかなか眠れず、肩こりや眼精疲労、また筋肉痛やだるさもあります。しかしエネルギーを使っているからか、食欲はあります。

音の吹込みは、何十回、何百回としながら調律していきますがそれもまたどの音がこの貝の音かを感覚で近づいていきますがそれは自分の中にある調和でしかわかりません。感覚としては「しっくりくる」、あるいは「感動して音と魂が震える」、あるいは「音や波動の余韻や貝が喜んでいる」というものです。

これは言葉では説明できず、感覚の世界ですから一緒に法螺貝を制作していたらわかるかもしれませんしわからないかもしれません。よく調理や料理をするときに、自然農で育った野菜を丁寧に蒸したり炭火で煮込むとき透明になることがあります。その食材が熱と水と調和して透明になった瞬間、もっともそのお野菜が美味しくなりいのちが輝きます。

このいのちが輝いた瞬間を逃さず、そのまま石膏をつかって加工するのです。この石膏という素材もまた扱いが難しく、鍛錬と修練が要ります。

そもそも石膏というのは、硫酸カルシウムが主な成分の鉱物のことです。似ているものにセメントがありますが、あれは石灰岩です。どちらも鉱物を粉にし、水と混ざることで固まります。セメントは数時間ありますが、石膏は数分で固まります。この数分で固まるのですが、実際は固まり出してからは数十秒が勝負です。

その短い時間に最適な位置で、音を確かめながら設置しなければなりません。しかも固まってしまえば調律できませんからまた壊してやり直しです。焦ったら手元が狂いますし、時間をかけたらいいわけではなくここというイメージで一気に取り付けていきます。

巻貝をはじめ貝は地球の影響を受けてらせん状になります。貝は元々は捕食される弱い生き物でしたが、そこに鎧を持つようになり身を守ってきました。また成長の過程で、その身を大きくしていくなかで何度も貝を作り替えて進化していきました。巻貝は、上に伸び、巻くことで内部の成長に余裕を持たせました。その大きさになるには、海の状況、食べ物が豊富にあるかも決定付けます。

手元にある法螺貝も、海の場所が異なりますから一つとして同じものはなく巻き方も螺旋もその貝が成長しようとした姿になっています。

どのように成長してきた貝なのか、それは加工していると実感できます。さらに、時代や年数で硬さや柔軟性も異なります。若いものは、柔らかく化石ほどになっているものは硬くて脆いですが音は響きます。

音を通して、貝と対話しその貝がどのような生き方をしてきた貝か、そして生きざまがどうだったのかまで洞察できるものです。貝から學ぶことはたくさんあります。

丁寧に根気強く、貝と共に徳を積んでいきたいと思います。

主食の甦生

私たちが日ごろ食べているお米にはとても長い歴史があります。特に近代においては、収量の確保からあらゆる食味がいいお米が多数開発されて私たちの食卓のお米の味は数々に進化してきました。

コシヒカリという銘柄があります。この開発の歴史も、収量重視から品質重視への転換でその当時の人々によって開発されてきたものです。最初は欠陥品種として病気の弱さや倒れやすさなども指摘されましたが、それを栽培方法などを工夫することで改善し、今では新潟のお米の代表となっています。そこにも関わった人たちの歴史があり、特に魚沼では風土と一体になってコシヒカリを見守り現在では日本の農家の約40パーセントがこのコシヒカリを栽培しているともいいます。

このコシヒカリという名前は、越前、越中、越後などの国々を指す「越の国」と「光」の字から「越の国に光かがやく」ことを願って付けられたといいます。その名付け親である元旧新潟県農業試験場長の国武正彦(福岡県出身)が「木枯らしが吹けば色なき越の国 せめて光れや稲越光」(冬には雪に閉ざされてしまう越の国にあってコシヒカリが越の国を輝かせる光となりますようにの意)」と和歌に詠んだことによるといいます。

同じ福岡県出身で、これから私たちがエミタタワ(笑みたわわ)の新たな品種の発展に取り組むのにとても参考になる人物であり、その生きざまや生き方にもこれからどのように日本のお米に取り組んでいけばいいかということも直観します。

もともと私も震災後から会社で無肥料無農薬でお米づくりに関わってきました。収量を気にせず、子どもたちの憧れるような生き方や働き方を目指し田んぼでの暮らしを充実させていきました。一般的に国が定めるような食味とは異なりますが、その美味しさは格別で今ではたくさんのファンがいて喜んでくださっています。

今回、福岡県朝倉市で復古起新してお米づくりに関わることにも深いご縁を感じます。

このエミタワワ(笑みたわわ)は、私の叔父さんが名付け親です。まず平成27年、農研機構との共同開発で研究段階にあった「羽919」という品種改良に着手し収穫1年目から羽919には他のお米にはない粘性・膨らみ・おいしさがあることに気づきます。そして翌年には「西海307号」へと名称を更新し、その後も改良を重ね続け、令和元年10月に農水省の品種申請の受理のもと「笑みたわわ」として誕生します。それを農薬・化学肥料一切不使用の安心でおいしいお米で、笑みがたわわに実りますようにと今まさにその志が世の中に出ていく黎明期です。

日本は、農家に対する政策を失敗してきた国だと私は思います。現在では、農家の担い手も減り、田んぼは化学薬品で傷み、現在の米騒動にあるように民衆の怨嗟の声も出ています。海外からのお米がこれから大量に流入してくるのも予測できます。

だからこそ、本来の日本人として私たちの主食をどのように大切にするかが問われる時代でもあります。子どもたちのためにも、今まで取り組んできたことをさらに磨き上げ、主食の甦生に挑んでいきたいと思います。

道徳とは何か

この二日間、仲間と共に遊行を行いました。中国や台湾からの方も参加して、お山を歩き、いのりを味わいました。一期一会のめぐりあわせに豊かさと仕合せを感じました。

人はそれぞれの道をそれぞれに歩むものです。

しかしその時、一瞬のズレもなく絶妙に出会います。お互いに必要なタイミングで最幸の瞬間に邂逅するのです。それをご縁ともいいます。ご縁は、人とだけではなく場とも出会います。天候、光の加減、星の運行、つながる歴史、とても書ききれないほどの膨大な奇跡の連続です。

それを感じて生きる人は、常に一期一会の生き方をしているともいえます。そもそも修験道をはじめ、すべての道は生き方のことです。どのような生き方をしているか、その実践や実践者たちの背中には學びの原点や根源があるものです。

そしてそれは同じ場、同じ時、同じご縁を味わい盡す時にこそ顕現するものです。

道をどのように歩むのか、それが學ぶということの本質です。

そして徳というのは、その歩み方のなかで何を最も大切にするかということです。

例えば、素直であること、謙虚であること、正直であること、思いやること、助け合うこと、真心でいること、心身を清め続けることなどが徳になります。

道徳というのは、本来は言葉や単語で理解し説明するものではなく実践を通して學び続けていく人間のいのちのいのりです。

いのちのいのりには、答えはなく生き方があるだけです。

生き方を學ぶ人たちが、いつの時代にも道を結んで螺旋のように歩んでいきます。

一期一会は、真の幸福の道ということでしょう。

このまま丁寧な暮らしを続けて、最期の瞬間まで人間らしく生きていきたいと思います。

お水の権現

今朝はBAの前にある鳥羽池(八龍権現池)には冬の風物詩でもある蒸気霧が発生しました。ここ数日の寒さは特に厳しく、この桜の時季に初冬の景色が重なりとても幻想的です。

毎朝、この場から八木山の龍王山と合わせてこの八龍権現池を拝んでいますがこの蒸気霧は一期一会です。この霧の特徴は冷気が温かい水面上に流れてきたときにできる霧で発生条件も空気と水の気温差が15度以上あり風があまり吹いておらず晴れていることが必要です。

よく考えてみると、私たちはお水に包まれてはじめて暮らしていくことができます。地球もお水に包まれ、自然も身体もお水に包まれます。お水はあらゆる形に姿を変えては常に循環を已みません。このあらゆる姿は決して雲や霧のような水蒸気や海や川などの液体のようなものだけではありません。ある時は、花になり、ある時は虫になり、またある時は菌になり、ある時は石などの物体にもなります。そして雪になりお湯になり、光にもなります。

今日は私の誕生日で人生を振り返っていますがこれまで道のりもまたずっとお水に守られてきたものでした。辰年の辰の刻に産まれ、龗神の多田の鎮座する妙見神社のお汐井川で遊び、氏神様でお水の親祖でもある水祖神社の境内で育ちました。大切な人生の節目は、お水の関係することばかりに導かれました。気が付くと、お水の湧くお山を守る活動をするようになり、井戸も5本ほど甦生させていただく機会に恵まれました。ここ数年では、滝行をはじめ石風呂サウナをつくりこれから薬草蒸気風呂の甦生に挑みます。日常では鉄瓶で炭火で沸かしたお湯を飲み、よく蕎麦打ちをして蕎麦を食べています。邸内社や自宅、宿坊のお供えのお水を換えることは欠かしません。

有難いことに、生まれてからこれまでずっとお水に見守られてきた人生でした。

この見守ってくださっているお水のことを私は総称して「龍神」と呼びます。

龍は単なる蛇のような鰐のようなドラゴンではなく、私たちのいのちの本体、「いのちのお水権現」です。

そしてお水は、自分の意識次第でどのようにも波動が変化します。変化の象徴もまたお水であり、あらゆるものに姿を変えることができ常に寄り添い離れないものもまたお水です。

誕生日を迎えた朝、鞍馬山の恩師の言葉を思い出しました。

「お水さんありがとう」

これからも残された刻をみおやの龍神と一緒に修行を続け、太古のむかしからの生きた智慧の伝承を子孫へと結んでいきたいと思います。

日日是試煉日

何かがはじまるとき、試練(試煉)が訪れます。つまり試練とは、正対することであり、実践するということであり、挑戦するということです。

試練(試煉)のことを辞書でひくと、「信仰・決心のかたさや実力などを厳しくためすこと、能力や信仰、気持ちの強さなどを厳しく試すこと。また、その時の苦難。」とも書かれます。

この試練(試煉)の字にある「練」には「繰り返し行う」「精練する」「磨く」という意味があります。「煉」には、金属や心身をきたえることやねり固めることを表します。練習、練磨、鍛錬、修練、そして煉瓦や洗煉などもあります。

練は、煉の書き換え字で使われますが共通するものはどちらも「磨く、鍛える、溶かす、ねり固める」などの意味になります。

「試」の方は、言ったことをはじめるという意味です。試験なども試みる、確かめるというイメージです。有名なものに「試金石」というものがあります。これは貴金属の純度を調べるのに用いる黒色緻密ちみつな玄武岩やケイ質の岩石のことをいいます。この石にこすりつけて条痕色を既知のものと比較して金・銀の純度を試験したことから言われます。

つまり「純度」を試し確かめるのです。

何かをはじめるには、根源としての「純度」がいります。その人の覚悟や決心が試されます。純度がどれくらい澄んでいるのか、純度がどれくらい濃密であるか、純度が玉のように美しいかどうか、真善美が試されそれはもはや信仰とも呼べるほどにです。

試練が来たというのは、純度を磨き上げる時が来たとも言い換えられます。

この世に私たちが誕生し、生き続けるというのは試練の真っただ中にいるということです。だからこそ、誰にでも「生き方」というものが何よりも優先され大切になるのでしょう。

どのような試練を迎えて、どのような生き方を実践するか。

純度が全てです。

私たちは有難いことに、親祖より今に至るまで先祖代々からずっと純度を磨き煉りあげてきました。終わりはなく、永遠に続く道の途上です。

日日是試煉日と、心の持ち方を味わって歩んでいきたいと思います。

聴されて聴く

徳の真髄の一つに「聴されて聴く」というものがあります。この聴く(きく)は、聴す(ゆるす)とも呼びます。私は、聴福庵という庵を結び、聴福人という実践をしています。この実践は、あるがままを認め尊重して聴くという意味と共に自然にゆるされているという徳が循環するいのちを聴すというものです。

私が創造した一円対話という仕組みは、この聴く聴すという生き方をみんなで一緒に取り組んでいこうとしたものです。

そもそも私たちのいるすべては分かれているものはありません。人類は言葉の発明から文字が誕生し、文字を使うことで複雑に無限に分けて整理していくことで知識を得てきました。本来の言葉は、言霊であり精霊や霊性、つまりは自然あるがままでした。

自然からいのちや霊性を切り離して分析し、単なる物質や知識として認識することによって私たちはこの世の仕組みや真理を分かるようになりました。しかし同時に分かることによって本当のことが分からなく、あるいは分かった気になるようになりました。この分けるという手法は、分断の手法です。本来、和合したものを分けて理解する。しかし分けたものは元に戻りません。なぜならそもそも分かれていないものを分けているからです。そのことで、人類は争い続け、お互いを認め合えず尊重できず苦しみや憎しみが増えていきました。

例えば、ご縁というものも分かれていたり切れるものではありません。最初から永遠に結ばれ続けていてあらゆるご縁の導きによって今の私たちは生きています。つまり最初から分かれているものはこの世には存在しないのです。それを仏教では、羅網という道具で示したりもします。私はそれをブロックチェーンや自律分散の仕組みで示します。

私がこの聴すという言葉に最初に出会ったのは、高田山にある親鸞さんの手帳のメモ書きです。そこには、「しんじてきく、ゆるされてきく」と書かれていました。

これは何をいうものなのか、全身全霊に衝撃を受け感動し、そこから「聴」というのを真摯に深め続けて今があります。この聴は、聞くとは違います。徳に耳があります。よく自然や天や自分の内面の深い声を聴くことを意味します。

人類が平和になるには、聴くことです。聴けばほとんどのことは自然に解決します。何かきっと自分にもわからない深い理由があると心で認めるとき、お互いを深く尊重しあうことができます。それが「聴す」なのです。

私の故郷にある聴福庵には、その聴で溢れています。そして徳積堂では、その聴福人の実践、一円対話を場で実現しています。

百聞は一見に如かずです。真剣に対話に興味のある仲間は訪ねてほしいと思います。

最後に、「聴福人とは聴くことは福であり、それが人である」という意味です。

子どもたちがこの先もずっと人になり幸福を味わいゆるされていることに感謝して道を歩んでいける人生を歩んでいけることを祈ります。

いのちへのいのり

古今、人は何を學ぶのかと問われればそれは道を學ぶと応えます。この道とは何かと言えば今では生き方のことです。生き方を學ぶためには、誠である必要があります。この誠とは、文字通り言うことと実践することを一致させるということです。しかしこれはなかなか簡単なことではありません。

人は言葉を喋るようになり、あるいは文字を持つことによって言行一致することが難しくなりました。自分の血肉になっていないものを簡単に語り、自己を含め人心を惑わします。また実践は終わりなく、磨いても完成はありません。常に自己修養の連続でその最中に人に教えていてもその教えはまだ途上です。結局は、未熟さを知れば知るほどに人に教えることはできません。

神人合一という言葉もありますが、この意味は言行一致と似ています。もしもこの世を素直に謙虚に生きるのなら自らの徳を省みて日々の生活を信仰の境地で調えていくのが何よりも和合することになります。

生活即信仰という言葉があります。

これは日々の暮らしが祈りそのものになっているということです。私は古民家甦生を通してこのことを學びました。むかしの井戸をはじめ、古い道具や建物にはいのちが宿ります。そのいのちに接する時、頭で計算して簡単に使えるものはなくどれも真心を使います。日々の生活の中で真心を使うことが増えることで、頭よりも心が大きくなってきます。頭の一部として心があるのではなく、人は心の一部として人であるのです。

心を盡していく生き方は誠の道につながります。

私は法螺貝を日々に立てますが、これは暮らしの一部になっているものです。お山に入ればお山にご挨拶をし、神様にご挨拶をし、自分の身体にご挨拶をし、場にご挨拶をし、貝にご挨拶をし、太陽にご挨拶をし、お水にご挨拶をし、ご縁にご挨拶をしと、永遠にご挨拶をし続けます。またご挨拶には清々しい気持ちで、いただいているすべてに丸ごと感謝していのり呼吸を吹くのです。

もともと暮らしの中にいつもご挨拶がありいつも感謝があります。それは呼吸をするように吐いて謙虚にご挨拶をし吸って素直に感謝をします。それが暮らしです。

暮らしフルネスというのは人の生きる道の実践です。親孝行も、今いる場を調えるのも、周囲の徳を活かすのも暮らしあってこそです。暮らしの中に色々なことがあり、その一つには仕事があったり、その一つにはお野菜づくりやお漬物づくりなど生きていくために必要な糧をえる活動があります。

当たり前の暮らしの中で、当たり前にどれだけいのちへのいのりがあるか。常にこの世で私たちが試されるのは人間性や人間らしさを磨いているかということかもしれません。

今日も一期一会のご縁に感謝して暮らしフルネスを実践していきたいと思います。

徳の伝承

私たち人間は本来は自然の一部でした。自然の一部であるときは、自然の中にいて自然に守られてきました。しかし自然から離れてしまうことで、自然の外に出ていきました。そのことで、自然の一部ではなく自然を人間の一部にしてしまいました。人間の一部になれば、人間のために自然はあるわけですから自然をどうにでも管理していくことを正しいことだと思うようになったのです。

例えば、都市部などはまさに人間が住むための設計されたものでそこでの自然は街路樹や公園くらいです。どれもが管理され人間の生活が快適になるように用いられます。都市部では人間にとって便利であるものであふれかえります。それを支えているのはお金です。

このお金というものは、本来は物の交換手段として使われてきました。あるいは、最古の貨幣のトークンにあるように預かりの信用の証明として使われてきました。しかし現代は、お金は別の機能として増産され発行されゲームのように使われています。人間界でのお金は、自然とはまったく何も関係がありません。もはやお金が世界を席巻し、自然を呑み込みました。人間はもうお金の一部になってしまうのもそんなに遠い先のことではありません。

私たちはどこからがズレてきたのか。それは自然から離れたところというのは間違いない事実です。ではいつこんなに離れたのか。私は古民家甦生を通して懐かしい暮らしを学び、新しいとは何かを深めてきました。その中で、徳を積み、いのちを循環させる暮らしをしていた先人たちの知恵にたくさん触れました。

伝統という名のつくものや、伝承されてきた道の中には自然の一部であることを忘れていない人々の生きざまが垣間見れました。そこには自然とは離れないという確かな遺志を感じるものばかりでした。

私が今、暮らしフルネスをしているのはこのように先人たちの遺志や思いを受け継いできたからです。別に人間界での便利な暮らしを丁寧にしても人間の一部として自然を扱っているのではミイラ取りがミイラになるだけで資本主義の助長の一部になっていくだけです。

だからこそ、何をすることが今は最も自然の一部として生きていけるのかを考え抜いて取り組む必要を感じるのです。道はまだ途上ですが、徳が循環する出会いのなかで少しずつ自然の一部としての自分を取り戻してきています。暮らしフルネスの真の目的はこの一点であり、子どもたちに譲り遺していきたい未来は徳の伝承です。

真摯に学び直して、志を磨き、日々を精進していきたいと思います。