侍の精神

昨日は日本の「天下の三大揃え」の一つ、秋月の鎧揃えに法螺貝役としてお役目をいただき勤めてきました。秋月和紙の侍、井上さんとのご縁で参加してからはや五年目になります。

もともとこの鎧揃えは江戸時代の秋月藩における年中行事の一つであり、寛永14年(1637年)の島原の乱に際して初代藩主「黒田長興」(黒田長政の三男)が家中に命じて正月三日に鎧揃え(軍事演習)を行ったことが起源です。

その後は明治維新とその後の廃藩置県で秋月藩は消滅し、残された士族たちによって細々と続けられていた鎧揃えも昭和20年代には一度途絶えます。それから60年余りの時が流れ、平成21年(2009年)に地元有志により『秋月鎧揃え保存会』が結成され現代に鎧揃えを甦生しました。

この鎧揃えが生まれた背景を調べてみると江戸時代に入り最後の関ケ原の戦いが終わってから38年ほど経ち、武士たちも平和が続き平和ボケしていたといいます。実践経験のない武士たちはとても弱く、島原の乱に対応できず実践経験がある古参の武将たちがその時、とても重宝したといいます。平和ボケした武士は戦おうともせず、鎮圧もなかなかできず、一揆などがおき反乱する状況になるまで初期の対応もしなかった藩にも問題がありました。

つまり平和に油断していたことで被害が大きくなったのです。

この鎧揃えの年中行事の目的は、易経、孔子の『 安くして危うきを忘れず(安而不忘危) 存して亡ぶるを忘れず(存而不忘亡) 治まりて乱るるを忘れず(治而不忘乱)』の意味もあります。

これは安泰な時であっても危機を忘れず、存続している時も亡びる事を忘れず、治まっている時も乱れる事を忘れないこと。どのような時でも、油断してはならないという先人からの遺訓であり智慧の一つです。

そう考えて観ると、ただ伝統は繰り返し行っているわけではありません。この本質を守り続けようとする意志を伝承したものが行っている大切な実践であるのです。

現代ではどうでしょうか?

政治の無関心や先送り、そのうちなんとかなるだろうと何も主体的に動くことがなく、忙しさとお金儲けや目先のことで精いっぱい、誰かがやるだろうと他人任せにしては油断していないでしょうか。

今、もしも食糧危機が来たらどうするのか、もし近隣の戦争に巻き込まれたらどうするのか、もし大災害や金融危機が来たらどうするのか、ちゃんと対策はできているでしょうか。

私は暮らしフルネスの実践を通して、いつも危機に備えた暮らしをしています。自然と離れずに循環の中で食料や燃料やお水を確保し、徳を中心に据えた講のコミュニティをつくり、伝統の智慧を継承し、古民家を甦生しています。そして子どもたちの主体性を見守る環境をつくり広げ、最先端技術を温故知新しています。それでも油断してないかと色々と挑戦をしています。

武士道とは何か、商人道とは何か、日本人が大切にしてきた精神を守ることが治に居て乱を忘れずという実践ではないでしょうか。

引き続き、子孫のために志士たちの真心を紡ぎながら侍の精神を守り続けていきたいと思います。

古民家和楽

昨日は、古民家和楽で二回目の銀杏拾いの会を行いました。たくさんのご家族や友人、仲間たちが集まり和気藹々と懐かしい時間を過ごすことができました。はじめて銀杏拾いをする大人も多くいて、子どもたち以上に楽しく喜んでいるのが印象的でした。

自然農の自家製のお米を銀杏と一緒に土鍋で炊き込みました。それをみんなでおむすびにします。また秋の味覚としてきのこ汁をたくさんつくり、備長炭で炒り立ての銀杏と一緒に食べます。

この古民家和楽の最大の魅力と徳は、お庭にご鎮座する銀杏のご神木であることをみんなで実感する時間です。一年に一度、銀杏の木の下にはたくさんのご縁のある方々が集まり笑い合います。自然の恵みをみんなで分け合うということにここまで安心するのは、そうやって人類は長い間暮らしてきたからではないかとも思います。

現代はすぐにお金で買うようになりましたが、そのお金で買っているものはすべて自然がつくってくれるものです。大地や太陽や風やお水、あらゆるものの中にいのちがありそのいのちがみのり私たちはそのみのったいのちをいただきます。そのいのちに見守られながらいのちに活かされるという体験の安心感は一生涯持続するものです。

たくさんの子どもたちと色々な家庭が古民家の中で一緒に食べてお話をして遊ぶ。昨年はスリランカの方々が来られていましたが、この雰囲気にとても感動され日本に来て一番の体験になったと喜んでいたのが印象的でした。

時代が変わっても、環境さえあればかつての日本人たちが大切にしていた暮らしは伝承していけるものです。

引き続き、暮らしフルネスの場を通していのちを活かしいのちに活かされるという体験を子どもたちに譲り遺していきたいと思います。

いのち宣言

昨日は、大阪万博のいのちの宣言に参加してきました。今年の2月、いのち会議が飯塚の聴福庵とBAで開催されてからそのご縁でこの貴重な機会をいただきました。人のご縁によって導かれていくというもの、まさにこれも「いのち耀く」仕組みであると私は感じています。

そもそも日本人の暮らしの中の神様は「八百万の神々」といい、そして仏様は「山川草木悉皆成仏」といいました。つまり一神教ではなく、すべてには「いのち」が存在しているという「いのちのつながり」の中ですべてのご縁と物事を感受してきたということでしょう。

その証拠に大和言葉や日本の言霊は、自然の中で繋がりながら生きているからこそ産まれたものであり西洋のように自然と人を分けたり、神と人を分けている意識では誕生することもありません。雨にも色々な雨があり、黒にも色々な黒がある。日本人の使う美しい言葉はこのいのちの象徴です。

世界ではこの分けるという便利な思考方法によって様々なものを分類してきました。その結果、思い込みや刷り込まれたものをを真実のように勘違いをしては現実から目を逸らせてそれぞれが本質的ないのちを生きることを忘れて元氣がなくなってきました。ますます世界から元氣は失われているように思います。

この元氣というのは、自然あるがままのことです。そしてそれをかつての日本人は「かんながら」と呼びました。これはいのちの道ともいい、いのち耀く生き方を実践するという意味です。

いのち宣言ではそれぞれの発表するいのちの話をたくさん拝聴してきました。ちょうど、その前日、私は「いのち輝く」を理念にしている鞍馬寺にて2日間過ごし、本堂にてご祈祷と法螺貝奉納をしてきました。鞍馬山はお山の場にいるだけで元氣が湧いてくる。まさに鞍馬山は太古のむかしから今も「場」によっていのちを顕現している信仰の実践道場です。

そして私は現在、九州の霊峰、英彦山の宿坊を中心に法螺貝をつくりその法螺貝を吹き、一人でも多く覚醒していく人を増やすいのちの甦生活動をしています。この10年で500人と定め、場を調えて暮らしを実践しています。

人類は、思い込みや刷り込みからどのように目覚めていくか。謙虚というものは、実践のただ現実の真っただ中にこそ存在します。かつて古代中国の殷の湯王が「苟日新、日日新、又日新」と洗面器に刻み毎日、顔を洗って実践をしていたことが礼記に書かれていました。徳を磨き続ける覚悟があってこそ、いのちは輝き続けるのかもしれません。

私にとって徳を積むというのは、いのち耀くということと同義です。

引き続き、神仏といのちのご縁とお導きに感謝しながら謙虚と素直の両輪でかんながらの道を歩んでいきたいと思います。

ありがとうございました。

 

法螺貝の甦生

現在、英彦山で法螺貝を甦生していますがせっかくなので甦生の特徴というものを整理してみたいと思います。

まずはじめに、法螺貝を持つためには法螺貝とのご縁が必要です。基本的には、法螺貝の甦生はすでに法螺貝をお持ちのご紹介者を通してか直接、英彦山に来てお話をさせていただく方しか受け付けていません。その理由も、顔や波動を観てご縁を確認してから理想の法螺貝を探していくからです。またすでに何らかの理由で法螺貝とのご縁がありお持ち込みの方も受け付けています。ただし、他の方が手掛けたものは甦生できないものもありお断りすることもあります。

流れは下記のようになります。

① 霊峰英彦山の守静坊にて吉日を選び法螺貝を安置し地下から湧くお水で清め光を当てて龍音によりご祈祷をする。

② 丁寧に洗い法螺貝の先端を切断し削りその貝の個性を見定めて螺旋の息が通るように調整する。

③ 手作りの唄口を天然の地下水と麻炭を使い石膏でつくりこむ。

④ 唄口を法螺貝に取り付け調律をし、その法螺貝の唯一無二の音を確認したらそれを立てて天地に調和する。

⑤ 完成のご祈祷をし、木の中に安置する。サイズや重さ、証明書と手引書を用意する。

⑥ 英彦山の守静坊にて法螺貝を磨きお手入れをし息を吹き入れ音と和す儀式をする。

⑦ 希望者には法螺貝の網袋の講習を実施し、英彦山遊行や法螺貝講習、仙螺講への登録をご案内する。

⑧ 定期的にメンテナンスをして、法螺貝の成熟を見守る。

ここまでで法螺貝を甦生したことになります。

この法螺貝の甦生とは単に音がなる楽器をつくったのではなく法螺貝が新たないのちを得て独立自尊し、一期一会の主人と調和し結ばれ、日々の暮らしを通して寿命をのばし幸運をもたらす存在になることを言います。ただのモノではなく、新たないのちの法具として人の一生を円満に見守る存在になります。

また時には修繕や供養も行います。修繕は、お手入れをして法螺貝の成熟に合わせて調えていくこと。供養は長く大切にしてきた存在の魂を慰め労い癒すこと。法螺貝の甦生とは別に、手掛けた法螺貝のお手入れや追善をします。

講習会では、お手入れの仕方をはじめ法螺貝の吹き方、法螺道の実践事例などもご案内します。時にはお山に一緒に入り、三省をし六根清浄をしながら法螺貝を立てます。また時には、法螺貝の網袋づくりを通して瞑想や見守り、寄り添いなどの心の在り方を学び合います。宇佐の大仙龍(大先達)の立螺師にも定期的に来ていただき、法螺貝の具体的な指導や講習会もあります。

お支払いは、法螺貝の仕入れ原価、唄口と石膏、加工の原価をいただきます。それ以外は、徳積循環のご喜捨とお布施を「徳積帳」というブロックチェーンを使って開発したシステムにて奉納いただきます。

納期は約1か月ほどいただいていますが、吉日次第では納期がかなり延びる可能性もあります。大量生産はできませんので、丁寧に一つひとつ甦生していきます。

現在も、制作中ですが一生の御守りや魔除けになり音がその人の波動を磨き、唯一無二の光の存在になっていくように手掛けていきます。

最後に最も大きな特徴は「調和」を何よりも優先して法螺貝を甦生しているということです。私が手掛けるものは調和の法螺貝です。それをご理解いただく方のみ、ご連絡をいただきたいと思います。

法螺の道

昨日は、英彦山守静坊にて法螺道仙人の仙人苦楽部を開催しました。30名以上の法螺貝仲間が参加して、みんなで法螺道を学び合いました。法螺の道の面白さや楽しさは言葉では説明できず、生き方や実践から氣づくものです。私もまだまだその入り口のほんの少し先にいるくらいですが、法螺貝のお導きや奥深さに感動と感謝、そして感銘を受けることばかりの発見の日々です。

法螺貝の魅力は、とても語りつくすことができません。そして法螺貝を通して出てくる音の世界、そして波動の場は神秘な領域です。いのちが調うだけでなく、場が調い、宇宙を感じます。

目に見える世界と目に観えない世界、耳に聞こえる世界と耳に聴こえない世界があり、その境界をも取り払うことできるのが法螺貝の道の一つです。別の言い方では常識を超越するのです。

私が尊敬している大仙龍(大先達)と一緒に法螺の道を語っている最中も法螺貝の楽しさと喜びと豊かさで早く法螺貝を吹きたくてうずうずしワクワクします。人生の中で自分の唯一無二の音や一期一会の法螺貝に出会えた奇蹟を仲間たちと一緒に味わいたい、その純粋な思いや、平和への願いが法螺道を弘めていく理由です。

法螺貝と関係が深い仏教では聖者のことをかつて羅漢と呼びました。聖者とは高い精神性を持ち、実践を通して人々を導いていく存在です。日本でも五百羅漢というものが有名ですが、これは仏陀に最初に付き従った五百人の聖者のことです。今年の初めに、スリランカで最初の仏典結集の場所を見てきましたが、その場所こそ五百羅漢がはじめて集まった場所でした。

時代が変わっても、高い精神性を持ち実践をし、宇宙の真理に覚醒して本来の人間性とは何かということに目覚め伝道する人たちは常に出てくるものです。それが調和の本質であり自然なことです。

英彦山から法螺道を歩む羅漢たちが五百人集まれば、九州から日本、そして世界を変えていけるようにも感じます。私も法螺貝の鳴動が、真の人間性を回復させあらゆるものと調和する存在になっていけるように引き続きお山で徳を磨き精進していきます。

私たちが目指す温故知新する新たに甦生する講の姿は、徳積循環です。それぞれがあるがままの自分らしい唯一無二の音で透明な波動を輝かせます。自らの喜びがみんなの喜びになる徳積がめぐる世界。

これから徳を積む法螺吹き羅漢が五百人、真心を解き放ち愉快痛快に新たな夢に向かって挑戦していきたいと思います。

立志の人

昨日、来客がありその方は吉田松陰先生を尊敬しておられ萩に古民家を借りて勉強会などを開催しているとのことでした。久しぶりに吉田松陰先生繋がりのご縁があり、懐かしい不思議な感覚になりました。

14年前に、似たような出会いがありその方と意気投合して私のメンターになりそれから一緒に会社の運営をお手伝いいただきました。気が付けば、もう私もそろそろ50歳を迎えます。人間は年齢ではありませんが、役割交代といって若い人たちに色々な経験の智慧を伝承したり、見守ったりする季節に入ってきたのかもしれません。

以前、私は吉田松陰先生に憧れ先生が29歳で亡くなる歳まで同じように生きようと、毎年先生のその歳で書いた書物や文章から学び精進していました。卓越した情熱と成熟した精神と人間性に強く惹かれ、一つの目標にして同じように自分に挑戦していました。しかし、自分が29歳を迎えたときの留魂録を最期にその書物も終わってしまい、この後何を参考にしたらいいかと真剣に悩みました。

その時から吉田松陰先生を見ることはなくなり、吉田松陰先生が観ていた方を観るようになりました。そこできっぱりと先生は外側に存在する憧れの人ではなくなり、共に目指す理想や志を分かち合い共に歩む同志になったのです。

私は他にも様々なメンターがいます。今では亡くなった人もいて、困難な時、問題意識をもって深めるとき、その人がもし生きていたらと思う時もあります。きっとこういっただろうなという具合で空想で対話をします。例えば自分がその人だったらどうするかとその人の理想や志から考えます。そのうち一体になって自分そのものがその人になります。同志は私の志の一部になり今も生きているのです。直接話すことはできなくても、一緒に歩んでいるのです。

昨日の方は、吉田松陰先生の大河ドラマを見てあるシーンに感銘を受けて傾倒していったそうです。どこですかと尋ねると、「あなたの志はなんですか、君はどうしますか?」という問いのシーンだったそうです。まさにこれが自分の人生で志と正対するということだったのでしょう。自分はどうしたいのかと自分と向き合う。「覚悟を決める」ことの真価を直観したのでしょう。

私は思えば、今、この瞬間も、自分の初心は何か、そして自分はどうするかと自問自答を続けています。これを会社の理念経営にも活かし、日々の暮らしフルネスにも活かしています。

畢竟、人は覚悟があるのみです。覚悟さえあれば理想は失われません。常に自分に志を問うことが理想を生きることです。

でも人間はそんなにも強くありません。覚悟が揺らぎそうになることもあります。そんな時、前を歩んでくれた理想の聖賢や偉人、あるいは尊敬する先達がもしも自分ならどうするかと生き方を問うのです。そして生き方を磨くのです。そして志からブレなくなり志が堅固になり自立する。それが志を立てるということだと私は思います。それによって唯一無二の自分の人生の道が拓き、その人の一生がその人にしかない一期一会の光になって輝くのです。それがきっと松下村塾の教育方針だったのではないかと私は直観します。

だからこそ吉田松陰先生は、すべては志を立てることこそが万物の根源であると断言します。

つまりあなたは道を歩んでいますか、道を実践していますか、ちゃんと道を内省していますか、と途中を自分に問うのです。まさに仏陀の自燈明法燈明の境地と同じです。

純粋な心、素直な心、精錬な心、誠の心でもしも自己を省みるなら自分はどう行動するのかと、そしてそれこそが真の學問であるとしたのではないでしょうか。學とは、問うことだとしたのです。

私が吉田松陰先生を好きな理由は、この自分の志を立てようと純粋無垢に精進し続ける學問の姿勢。そして至誠を盡し、神人合一に今を生き切りいのちを完全燃焼させた生き方に憧れたのです。

もう先生が亡くなってから20年以上私は長く生きています。もしも先生が今も生きて今の歳になっていたら、どうなっているでしょうか。時代も環境も、そして周囲の仲間も国の状況も異なりますがきっと変わらない覚悟で理想を追いかける青年のように「立志」を生きているのでしょう。その安心感こそが後人を見守ってくださっているのでしょう。師友たちはみんなそれぞれの場所で育っています。

これからも一緒に道中を味わい、初心や目的を忘れずに覚悟を内省し、一期一会の今の季節を過ごしていきたいと思います。

ご縁に感謝しています。

講という信仰

この二日間、大阪で歴史のある修験道の講のお手伝いをする機会がありました。英彦山を先導して歩き、私が感じる信仰の場所をご案内し共に修行し、共に笑い、共に食べ、共に歩き、共によき時間を過ごしました。

私は講というものは、三浦梅園先生の慈悲無尽講から学んでいましたが実際に歴史のある講の方々をご接待することで講の本質を垣間見ることができました。

そもそも修験道とは何かということにおいては、験を修める道とありますから読んで字の通りでしょう。では講とは何かということです。私は、この講とは別に「結」というものを宿坊の茅葺の葺き替えで学びました。宿坊は、機械や重機など何も入れないような場所にあるので200人の人の手でみんなでバケツリレーのようにして2000本ほど萱を運びました。みんなが力を合わせて助け合い生きていく仕組み、まさにそこに結の智慧を感じました。

この結に近いものがあるのが講ですが、講の方がもっと強い信仰を持っているように感じます。現代では、推し活動(おし活)というものがあります。先日も、ある若いピアニストをみんなで推して支えようと活動をしている人とお会いしました。その方々はそのピアニストのために全力で推して経済的にも精神的にも全身全霊で応援して支えておられました。各地のコンサートには駆けつけ、練習風景はSNSで発信し、まるで家族の一員のように見守っていました。

信仰というものは、人間が生きる支えになるものです。信仰があるから人は元氣になり、若々しくも瑞々しくもなり青春をし続けていきます。まさに信仰とは、好きであることです。

好きなことがあることは、人生を真に豊かにします。それは好きな人いることでも同じですし、好きなことをしている人も同様です。好きなことが同じ人が集まると、そこには自由闊達な集団が誕生します。

本来、無理をして組織などつくらなくても人は好きなことで集団をつくるものです。私の周りには、左官集団などの伝統職人集団や、音楽関係集団、波動を学ぶ集団、またあらゆる分野のオタク集団があります。どの集団も、自然発生的に集まっていてとても自由です。そして同じ目的で集まった人たちは、共感しあい助け合う場ができます。

時代が変わっても、人の本質は変わりません。

暮らしの中で信仰があること好きなことがあることはとても仕合せなことです。私もあまり現代の組織論や集団、外部から評価される信仰や宗教などに惑わされず、好きに遊行を生きていきたいと思います。

ありがとうございます。

暮らしが神事

昨日は、夏至祭を行いました。宿坊をはじめその周辺の片付けをし、場を調えました。宿坊周辺は、先日の暴風で枝木や落ち葉が散乱して大変な荒れようでした。いくつかの場所では落石もあり、直系80センチほどの丸い岩が上から転がっている場所もありました。また古くなった大木も折れていたりと、自然の間引きとその威力にはいつも驚かされます。お山が大きいのと放置期間が長いため、片づけても片づけても片づけることばかりです。

古木の守静坊のしだれ桜が心配でしたが、一つも折れている枝がなく旺盛な葉をつけてはいまずがしなやかに風をいなしたのでしょう。桜とは一緒に見守り合う関係になってはや4年目ですが、植物や木々はとても正直です。お互いに思いやれば、それに応え合います。この世は、関係性によって信頼が生まれ、そして信用や信仰が醸成されます。

信じあうということや、見守り合うということはお互いが「信じる」という絆を持つために大切な行為であり人間の徳の原点かもしれません。

現代、信仰というとすぐに宗教を思い浮かべます。しかし私は真の宗教は、暮らしや文化、生活習慣に渾然一体となって根付いているものではないかと感じます。例えば、食事の時に感謝で手を合わせることや、お互いにご挨拶をしてお辞儀をすること、お布団を畳んだり、靴をそろえたり、またはもったいないやありがたい、おもてなしなどの日々に使う言葉の中にも信仰を感じます。

信仰というと、何が正しくて何が正しくないかなどすぐに対立構造や両義性ばかりが語られます。お互い様や御蔭様というものがなければ、世界の紛争や戦争はなくなることはありません。個人のレベルでさえ、人間は欲望や煩悩、権威や権力、お金の力によっていつまでも禍根を増やしていきます。

本来、それぞれが日々に丁寧に自分自身の暮らしを調えていく中で信仰の実践をしていればそこに禍根や争いは発生せず、お互いに心穏やかにいられるものです。宿坊周辺を調えたあとは、土地や場所、お山の神様、そして太陽に深く祈ります。ご供物を捧げ、いただいている恩恵や恩徳に感謝します。ご先祖様に御礼をして、お水をはじめ火や土などの精霊にも感謝します。夏至の太陽の光は、雲に隠れて穏やかでしたが確かに太陽の見守りを感じてみんなで喜びを分かち合いました。

優しい光と風が吹き抜けて、心身が調うのを実感しました。有難い静かなひと時は、いつも日常の暮らしの中の一期一会に存在します。

また沈んでいく太陽を眺める間は人生を振り返ることに似ています。この一日をどのように過ごしてきたか、どれだけたくさんの存在に助けられているか。美しいもの、善いもの、循環する徳に包まれていることなどを深く感じられます。

畢竟、私が人生で取り組んでいるのは、暮らしの中の神事です。そもそも暮らしが神事なのです。その神事は宗教ではなく、まさに暮らしそのものを神事のように生きることです。暮らしフルネスは、暮らしを神事として実行し実践することです。

今日は、これから新たな田んぼで仲間たちとお田植祭です。伝承してきた古来からの祝詞をみんなと一緒に捧げ、唄いながら、笑いながら、田んぼの元氣をいただきながら一日を暮らします。千葉の田んぼや一緒に生きる仲間たちのことを思いながら稲を一本、一本手植えしていきます。

忙しい日々の中でも、太陽や月や土を忘れず丁寧に暮らしは誰にでもできます。

さあ、これから準備万端、田のかみさぁと英彦山ガラガラをもって田んぼと遊びます。

おめでとうございます。

杣と仙

山のお手入れをする人たちを「杣」(そま)と呼びます。この杣という語はもともと木を植え付けて材木をとる山そのものという意味になります。

古来から人間社会において建築用の木材が大量に必要なときに、木を伐採する必要があります。そのためには、その伐採するための重要な木材を管理する場所が必要です。それを「杣山」(そまやま)といいました。

そこで採れる木を杣木(そまぎ)といい、その杣によって生業とする人たちと杣人(そまびと、そまうど)と呼びました。

この杣は、古来よりお山を守る大切な生業の一つでした。自然と共生し、お山の暮らしを支えた大切な存在です。樵(きこり)とも呼ばれますが、神様が宿る依り代としての木を尊敬し丁寧に扱い、お山のお手入れを通してお山を中心にできた地域の伝統的な暮らしが穏やかに伝承され安心できるようにしてきました。今ではその存在はほとんど見かけません。お山は放置されるか観光地化しゴミを捨てる人たちによって汚れ、荒れ果ててここ数年の水害で土砂崩れが頻発しています。お山で暮らすのは、金銭的にもできないということでお山を捨てて都市に移動した結果、杣人もいなくなりました。当然、山伏などもほとんど暮らしていません。

現在、私も英彦山の守静坊からお山のお手入れをしていますがまるでやっているのはこのかつての杣人と同じです。かつての杣人たちは、霊峰や杜のなかで暮らし、木々や森林資源を活かして生活していました。お山と一体になっていたのです。

枯れ木や倒木を片付けて燃料にしたり、木材を加工して生活文化に必要な道具をつくったり、炭焼きや薬草の採取などお山で自然と調和する暮らしを守っていました。その調和する暮らしそのものが、自然への畏敬や感謝に溢れておりそれが地域の伝統文化や行事、神事、そして智慧を守ってきました。それを山岳信仰と呼ぶのでしょう。

現代では区別や分業化が進み林業となって、お金のための森林伐採がメインになっていますがかつての杣人たちはお山の仙人のような風格があったようにも直感します。

お山にいるとお山の恵みを感じない日はありません。美しく澄んだ空氣に、清らかなお水、またあらゆる動植物や昆虫まで多様に活き活きと生活をして循環を支えます。このお山の恩恵を大切に見守っていこうとするのが杣人、そして仙人の役割ではないかと私は思います。

私が今、取り組んでいるお山の甦生はまさにこの杣人や仙人の暮らしを甦生することです。すでに薬草が増え、炭焼き、法螺貝づくり、お山のご神木を見守る神事や山岳の智慧の伝承など活氣づいています。

子孫たちに如何に自然の恩恵を譲り渡していくか。現代文明が終焉に入り、歪んだ物質至上主義の世の中もちらほらと綻びはじめています。コロナをはじめ感染症の背景にあるもの、食料危機という名の拝金主義、田んぼを農薬で汚し新築ばかりを建てては智慧を捨てていく現状。

子どもたちのためにもそろそろ氣づいて行動していく時節ではないかと私は思いますが皆さんはどう思われますか?

暮らしフルネスと私が提唱のは、むやみに危機感を煽りたいのではなく本来は暮らすだけで仕合せだった古来からの智慧に原点回帰した方が喜びも仕合せも増えますよという意味でもあります。みんな自然と共生していたころの懐かしい未来に憧れていたものです。いつの時代も心の豊かさは自然との共生の中にこそ存在します。

杣から学び直し、仙からやり直していけたらいいですね。

 

日子山仙螺

私の手でつくる鳴動法螺貝の数も次第に増えてきました。一つ一つにいのりといのちを籠めてつくりますが、どの法螺貝にもその法螺貝の音や徳性がありその波動や鳴動には感動するばかりです。

英彦山の守静坊で、弁財天と英彦山三所権現、瀬織津姫や造化三神に供物を捧げ法螺貝を安置して祈祷します。そのあと、全てが調ってから唄口を合わせて調律し唯一無二の鳴動法螺貝をつくりこみます。

一つつくるのにかなりの心身のエネルギーを使うので、大量生産はできません。しかし、一つできるとその鳴動は持ち主の人生を守ります。

かつて法螺貝は、龍の一種であり貝の中には龍が潜んでいると信じられていた伝承があります。龍宮に棲み、海の中で寿命を全うしその後に鳴動し昇天するものとして信じられてきました。つまり、龍の抜け殻ともいえます。そこから雨乞いや水に関係する神様として様々な厄災を祓い清め、その振動によって様々な病気などを快癒していったともいわれます。

現代の科学では振動するものや周波数、また波動が場や身体に影響を与えることが少しずつ解明されてきました。

この法螺貝の神秘は、まさにいにしえの伝説の龍と深い関係があるのです。

私が手掛ける法螺貝には命名をすることにしました。

その名は「日子山仙螺」(ひこさんせんら)です。霊峰日子山の場でいのり法螺貝を甦生させ、仙人の霊力を持つ貝にしていこうという覚悟からです。

お山の暮らしを丁寧に守り、場をととのえ、縁者たちのいのちを仙人のお山から見守ることは徳を磨くことにもなるでしょう。

法螺貝が人一人を変え、そして真の平和な時代をつくることを信じて一つ一つ真心を籠めて手を入れていきたいと思います。