変化の本質

時代の変化というのは人々の意識の変化ともいえます。意識が変わっていくことで価値観も変化し、それまでの常識というものが変わります。同じような日々を歩んでいるようでも、新しい出来事が発生しその中で新たな意識が誕生します。意識というものは目には見えませんが、人々の間でいつも往来していて育っているものです。

10年前に通用したことが、今では全く通じなくなる。自分の強みがかえって負けになっていくということは歴史を見ても往々にしてあることです。それだけ変化というものにどれだけ自分の意識が磨かれているかは重要になります。

本来、普遍的なものや根源的なものは変わることはありません。本質はいつまでも変化はしません。しかしその本質に対しての理解の仕方、やり方などは意識の変化に応じて変え続ける必要があります。その理由は、普遍的なものが次第にくすんでいくからです。まるで塵が積もっていくように、あるいは手入れを怠ることで色あせていくように隠れていくのです。

その隠れているものをどのように磨き直すか。それが掃除であり、お手入れであることは間違いありません。意識というものが増えていくことは、普遍的なものを覆い隠していくのと似ているのです。

そういうものを常に取り払うためには、普遍的な砥石によって磨いて研ぎ澄ませ続ける実践が必要になるのです。私が甦生をするなかで特に大切にしているのはその部分であり、今でも普遍的なものや本質からブレずに丁寧にお手入れを続けているから意識の変化に応じて今を調和していくことを精進しています。

最も危険なことは意識の変化に気づかなくなることです。正解を求めてはあの手この手でやり方ばかりを変えていくことを変化だと勘違いすることです。そうではなく、その時々の味わい方や感じ方、そして正解ではなくすべてのことに一理あるとし一円観で丸ごと受け止めていくことから内省し謙虚で素直であり続けることです。

それはいつも理念や初心に立ち返ること、目的を忘れないで自らと今をさらに善いものにしていこうと努力を怠らず変え続けること。これは中国の古典、殷の湯王の自戒、「苟日新、日日新、又日新」の境地で実践することであろうと思います。

本来、何をやるべきかを他人に委ねてはならないように思います。自らの主人、自らの心に問いかけ、私も日々に新たに聴福人の生き方をする聴福人であることを忘れないでいたいと思います。

1000年の暮らし

私たちが自立という言葉を使う時は、社会の中でということが前提になっています。自然界ではそもそも自立していないものはなく、すべてにいのちを精いっぱい輝かせて活かしあい生きています。これは循環のことを指しています。私たちが自立するには、循環の中にいる必要があるからです。

しかし実際の人間の社会では分断の連続で循環しなくなってきています。そうなると自立ではなく、依存や孤立、特に今の個人主義という思想による利己や自利によって本来の自立とは程遠くなってきています。

自分を大切にの意味も本来の意味とは異なってきています。他にも自己管理の意味も自分を閉鎖し、無理をし我慢することのようにもなっています。

自由の意味も拘束の中の自由となり、鎖に繋がれた範囲での自由を目指して結局は本来の自由を知りません。

自然界の持っている開放感は、何をやっても許されるという安心感です。そこには、自立というルールがあり協力し合うことで喜びを感じ合えるという仕合せに満ちています。

本来の循環は水のようなものです。すべての生き物、いのちを通って海に流れそして雲になりまた雨となって山に降り注ぎます。その途中も経過もすべて水はそのいのちを透過していきます。それを遮断するとどうなるか、ダムなどを見ても明らかです。水が澱めばいのちの循環途切れます。途切れれば、不自然なことが様々に発生します。例えば、その分何かの生物だけが無理を強いられたり元氣をいただくことができず弱っていきます。

つまり真の循環というのは遍くすべてと分け合うときに実現するものなのです。空気も同じく、海も同じく、遍くものに循環をしてはじめて真の豊かな自然は実現するのです。

人間の言う循環は、本来の循環ではありません。特に資本主義の循環などは循環とはもっとも程遠いものです。しかしだとしても人間が長い年月で暮らしてきた歴史は、真の循環の時もあります。これは人間の心の循環も同じです。何度も途切れたり繋いだりしながら3歩進んで2歩下がるような一進一退ですがそれでも人格が磨かれ徳が積まれていけばいつの日か、真の循環に近づいていくと信じてもいます。時代の流行もまた真実ですから、どちらかを否定するのではなく今あるものを使いどう徳を磨くかということが大切だと私も感じています。

子どもたちのお手本になるような生き方、人生の味わい方をバトンとしてさらに善いものにして渡していけるように1000年先を祈り実践していきたいと思います。

生き方と働き方

人生には生き方というものがあります。いろいろな人がいるようにいろいろな生き方があるなかで、それを自分で決めることができます。生き方を換えて人生が変わった人もたくさんお会いしてきました。今の自分をどのように変化させていくのか、それは生き方次第です。

しかし生き方を換えようとして様々な事例に取り組んでもなかなか思うようにはいかないものです。その人の生き方の癖があり、なかなかその癖が抜けないからです。人間は、幼い頃より持っている習慣、それは環境においてや、生まれつきのもの、あとは我などの欲、トラウマなども関係します。そういうものが邪魔をするので、楽な方へ、慣れている方へと引き戻されます。

これを頭で考えて無理にやらせようとするとその反動でますます嫌になってしまいます。何でも無理にやろうとすると壊れますから時間をかけてじっくりとゆっくりと変えていくのが自然です。

ではそれをどのようにしていけばいいのか、そこには意識で味わうというような全身全霊を使った行為が効果があります。例えば、一日の暮らしの過ごし方の中にあります。

朝起きて、夜寝るまでの一日にどれだけ今を味わうような暮らし方をしたかということです。私は暮らしフルネスの実践をしていますが、自分自身も生き方の癖があり周囲や環境、流されることがよくあります。心も疲れ、身体も疲れます。するとそこにまた癖が出ています。そうなると静かに瞑想をしたり、一人で向き合う時間、このブログもですが毎日を内省して自分の心をととのえていきます。

しかし実際には暮らしは日々の食べるという行為、お掃除というお手入れ、祈りという実践、一期一会のご縁を味わうことなど他にも多種多様にあります。そういうものを大切にして、初心を忘れず、何のために取り組むのかを学ぶことで人は次第に生き方を味わうことを楽しむことができてきます。

楽な方に流されるのではなく、楽しむように精進すること。

人生は一度キリですから、如何に大変なことでも正対して味わうかということに尽きるようにも思います。味わい尽くすことは、生きている実感になるものです。生き方は生きている実感、働き方もまた働いている実感を得られるということでしょう。

どの時代にも環境に流されずに大切なことを忘れないように日々を過ごしていきたいと思います。

 

仙人の知恵を学ぶ

この一年は、音を扱う芸術家や波動を学ぶ方、知恵を持っている人たちにたくさん出会いました。倍音の持つ魅力や、波動が持つ不思議な力、また仙人のような暮らしの中で得てきたセンスなどを磨いている人たちです。

そういう人たちが集まると、自然に会話も似たような話になります。その話その物が倍音であり波動であり、知恵になります。

仙人苦楽部をはじめて4ヶ月くらい経ちましたが、とても学びが多く毎回、新たな発見ばかりです。

世の中というものはよくよく深めてみると不思議で神秘的なものしかありません。私たちが生活するために得ている知識というものはほんのその一端に過ぎず、ほぼすべてのことはまだまだ解明されていません。

なぜ貝があの形になっているのか、なぜ炭が浄化するのか、科学的にはほんの少しだけこうではないかという事実を突き止めますがそれはほんのちょっとの真実に触れただけです。

人間の社会の中では、知っていればいいという知識と知らなくても実践できるという知恵があります。知識は知っていても、それができなかったら知恵になりません。知恵を先に得た人たちが、その知識を語ればその知識は知恵に転換するための材料にもなります。

人生の中で、自分の人生に知恵を得たいと思えば、実際に生活で知恵を活かす人たちに倣い、それを真似るなかで近づいていけるものです。

私たちは太古の時代から、そうやって知恵を伝承して子孫へと学びを活かしてきたように思います。この時代、情報や知識は無尽蔵に入ってきます。しかし知恵はといえば、ほとんど触れることがありません。コンピューターに任せきりです。

だからこそ人間として人間にしかできないものを磨いていくことが大切だと私は思います。仙人の知恵を磨いている人たちが集まる場を増やして、さらに子孫へとその願いや祈りを伝承していきたいと思います。

むかしの人々

英彦山のむかしの山伏の道を歩いていると、岩窟や仏像、墓石などが谷の深いところにたくさんあります。今は木々が鬱蒼としていて、廃墟のようになっている場所にも石垣があったり石板があったりとむかしは宿坊だった気配があります。むかしはどのような景色だったのだろうかと思うと、色々と感じるものがあります。

守静坊の甦生をするときに、2階からむかしの山伏たちの道具がたくさん出てきました。薬研であったり、お札をつくる木版であったり、陶器や漆器、他にも山の暮らしで使うものが出てきました。

その道具たちを見ていたら、むかしはたくさんの人たちが往来していたのだろうと感じるものばかりです。食器の数も、お膳もお札の数も、薬研の大きさも関わる方々のために用意されたものです。

英彦山は3000人の山伏と800の宿坊があったといいます。この山では谷も深くお米もできませんから、食べ物はどうしていたのだろうかと感じます。これだけの宿坊があり、家族もいますから山の中だけでは食べ物は確保できません。実際に、宿坊にいるとそんなに作物が育てられるような場所も畑もありません。きっと、里の方々、檀家の方々をお守りしお布施として成り立っていたのでしょう。

宿坊には、他にも立派な御神鏡や扁額、欄間などがあります。貧しくもなく、そして派手でもない。しかしとても裕福な暮らし、仕合せをつくるお仕事をなさっていたことを感じます。

庭には、柿の木やゆずの木があります。そして220年の枝垂れ桜があります。足るを知る暮らしを静かに営み、祈りと里の人々の平安を見守るような日々を感じます。

英彦山、お山という存在は人々にとってどのような場所であったのか。

日々に疲れやすい心を癒し、身体を健康にしていくための故郷だったのではないか。今ではそう感じます。お山は誰かのものではなく、みんなのものです。そのみんなのものを大切に守ろうとされてきた方々によってみんなの故郷も守られてきました。今ではほとんど宿坊もなくなり、山伏もいませんがその精神や心、魂はお山の中に遺っています。

この遺ったものを感じ、自分なりにお手入れをしながらむかしの人々の生き方を学んでみたいと思います。

イワの信仰

先日、国東の両子寺にお伺いするご縁がありました。美しい参道とあわせて、岩窟があり両子権現がお祀りされていました。英彦山に関わってから、たくさんの岩窟に巡り会いました。この岩窟とは何なのか、少し深めてみようと思います。

そもそも岩(イワ)という言葉を調べてみると少し見えてきます。この岩は、山が連なったという象形文字です。ヤマという言葉もまた、山の上に岩々が連なった様子のことを指します。つまり石で連なった場所のことを岩(イワ)と呼んだのがはじまりではないかと思います。

そしてこのイワは、一説によれば「イワ」は、神を意味するヘブライ語の子音 (yhwh)に任意の母音をつけて、日本流の「神」の呼び名「イワ」となったともあります。つまり巨石で連なったものを古代の人たちは、何者か偉大な神が宿っていると直観しそこから岩の信仰がはじまったのではないかと感じています。これは古代においては、仏教や神道、道教などあらゆる信仰が始まる前からあった日本の源流の信仰のカタチだったように思います。修験道のはじまりではないかと私は感じます。

このイワには、「イワクラ(磐座・石位・石坐・岩座)」「イワヤ(石屋・岩屋)」「イワサカ(磐境)」「イシガミ・イワガミ(石神・岩神)」というものがあります。「イワクラ」は「神が依りつき宿る岩石への信仰」といい、「イワヤ」は「神が依りつき、籠る岩窟への信仰」といい、「イワサカ」は「神を迎え、祀るための区切られた岩石空間への信仰」といい、「イシガミ・イワガミ」は「岩石そのものを神として祀る信仰」といいます。

イワを中心に、神様が依り代になる場所と信じられそこで信仰が行われました。世界にはストーンヘンジやピラミッドをはじめ、岩が中心になった信仰の形跡があちこちに遺っています。

むかしはイワの力で病を治していたのでしょう。岩窟に入ると、とても静かであり不思議なぬくもりを感じます。同時に、偉大な何かが繋がっている感じもします。最近では、岩窟から出てくる湧き水にシリカやケイ素という成分がありそれが寿命を伸ばしたり健康を保つ薬になったということもいわれています。他にも精神疾患や、心の状態を穏やかにする、あるいは穢れを祓う力もあったと思います。

そもそも信仰の原点は、私は病を治すことだと直観しています。そして修験者たちは、本来はその病を癒すための道を示したものです。心身を健康に保つためには、自分のことを深く理解する必要があります。自己との対話を通して、身体や心を深く学びます。そうして学んだ知恵をもって、人々を救う仕組みが産まれたのです。

現代は、物理的、科学的に病気を捉えていますがそもそも病気になるような生活をしていますから健康というものもわからなくなってきています。だからこそ、本来はどうだったのか、古代はどうだったのかと温故知新することの大事さを感じています。

子どもたちのためにも、古代から続く知恵を甦生し未来のために伝承していきたいと思います。

治療の仕組み

日本の地方ではどこも過疎化や空き家の問題などが進んでいます。国の主導の仕組みでやってきたことのほとんどが地方では結果、裏目に出たという状態としか思えません。現実や現場を観ずに、上から降ろしていくような政策というのは歴史をみてもほとんどうまくいっていないものです。

延命治療ばかりを続けているうちに、最後は打つ手がなくなりあとは最期を待つばかりというのは治療の方法自体に問題があることを気づく必要があります。しかし実際には、今の補助金や予算のつけかたでは目先の問題で症状が出た所への対処療法にしか対応できずかえってその延命治療の幅を広げるばかりです。

本来は延命治療をやめるという選択肢を持つべきですが、現在の選挙も票もあるいは仕組みがそうさせませんからどうしようもありません。いよいよという時に、その土地の人たちがみんなで自立して根源的に治療していこうと向き合っていくことではじめて延命治療は終わるようにも思います。

病気というたとえは、人間の欲の中にも存在します。質素倹約、適度な運動、一汁一菜、地産地消、身土不二、心の平安、瞑想、など、食や運動、ストレス大切にし健康を保つためにみんなで工夫した生活をおくればあまり病気になることはありません。

現代はその当たり前のことができなくなっていますから、健康をお金で買うような世の中にあり、ストレスの解消や心の不安もお金でなんとかしようとする仕組みにもなっています。

お金にならないものはやらないとしていると、問題があってもお金がないからやらないということになります。お金があるかどうかで問題を観ていると、次第に本来の大切なものにもお金次第でかけられないということになります。これでは、先ほどお対処療法や延命治療が伸びるばかりです。

根源治療というのは、原点回帰でもあります。

本来は、どうだったのか、最初はどのようにしてきたのか。先人への配慮や思いやりを忘れずに、みんなで大切なことを思い出そうという活動に取り組んでいくことです。そうしているうちに時代の価値観から目覚め、永続する仕組みや根源的なものの存在に気づき感謝できるようになるものです。

子どもたちや子孫に借金を残すのではなく、次世代のために少しでも善いものにして譲渡していくような生き方をしていきたいと思います。

醫験合一

修験道のことを深めていると、医に中ります。この「医」はもともとは「醫」の略字です。会意兼形声文字でできていて(殹+酉)からなります。これを漢字漢和辞典で調べると、「エイッというおまじないの声を示す擬声語(隠す箱・矢・木のつえを持つ象形)」と「酒器の象形」から、薬草酒等を使って「病気を治す人」を意味する「医」という漢字が成り立ったとあります。

もともと医療の起源、古代は加持祈祷によって病気を治したということがわかっています。それが現在の科学技術によって病気を治すことになっていますがその変遷をみると、如何に病気に対して医者が変化してきたかということもわかります。

中国から仏教が伝来するとき同時に医療技術、漢方などが入ってきます。針、灸をはじめ湯薬、湯治などもそうです。それを用いて僧侶が病を観るようになっていきます。当然、身体だけではなく心の病気というものもあります。心と体は繋がっていますから同時に看病していく必要があります。病によるどうにもならない苦しみや辛さに、仏陀の知恵が役にたってきたようにも思います。

今もですが、病気は治るものとどうしようもないものもあります。そんな時、人々は神にすがるものです。真摯に修行を積んだ僧侶が、心身合一して磨き切った心身元氣の妙法を何かしらの巫術などで治癒したこともあったかもしれません。

英彦山の中興の祖の法蓮上人もまた、そのような医術をもった人物であったといわれます。国東の六郷満山もまた仁聞菩薩によって同様な医術を持ち布施により聖地が醸成されたとあります。

近代になって大きく医療が変化したのは明治以降の西洋的な医療が優先されてからです。江戸時代までは和漢、またオランダからの医療が調和していましたが現代ではもっぱら西洋医学の方が信頼されています。今ではようやく未病が必要ではないかと、予防医学に取り組みはじめています。ウェルビーイングなどもですが、病気にならないような暮らし方などもはじまっています。

医の歴史には、修験者の歴史も同時に鑑みることができます。

改めて、修験道のルーツを辿ってみたいと思います。

二つで一つ

日本には元々、二つのものをもって一つであるという思想があります。無双原理や反観合一などという言い方もあります。どの思想家、哲学者もこの二つが合わさったものの中にすべての元があると説きました。

これは万物が円球体であるということの証明でもあります。二宮尊徳はこれを一円観という言い方をしました。すべてが渾然一体になって融和しているのが私たちの根源の元氣ということになります。

よく考えてみると、一つのものを二つにするところから分別というものははじまっていきます。時空というものでさえ、時間と空間とを分けて理解することから取り組みます。

本来はこれは二つで一つですが、この二つというのは単に二個のことではないことはすぐにわかります。水と空気でも同じく、混じり合って存在していますしそのさらに奥には地球がありその奥には宇宙があります。ありとあらゆるものは本来は一つであり、それを分けるという行為が現在の学問を体系化したようにも思います。

私は、炭が大好きですから炭の火を感じながら水を味わいます。水を味わうのには火があるとよく、火を味わうには水があるといいのです。他にも、木と石が調和するとお互いの活力が引き出され、闇と光が重なりあうことでほのかな安らぎが満ちていきます。

この世は、何かが混じり合うときに一つの元氣が誕生します。その元氣が四方八方に放たれることでまた別の元氣と結びついて新たな元氣が誕生します。こうやって無限に元氣を分け合いながらこの世は存在するのです。

そしてこの思想こそ、日本の神話から今にまで続く私たちの民族の価値観でありそれが生き様として歴史を象っていきます。この歴史というものと今の私たちの生命というものも、二つで一つになったものです。

直観的に人間は、この元氣の間を往来する存在ともいえます。静かに今を見つめたら、この今を元氣に生きることが仕合せや豊かさをもたらします。

当たり前なことがわからないほど勉強してきましたが、本来の根源的なもの、中心は何かということを自覚し悟ってこそ人生の妙味を直観できるように思います。時折、初心を忘れないように同じように生きた方々の余韻に触れたいものです。

子どもたちにもその余韻が伝承できるように場をととのえていきたいと思います。

芸の道

昨日から神奈川県相模原にある水眠亭に来ています。英彦山の守静坊でお茶を立てていただきその生き方に感銘を受けて生き様を拝見したいと思いようやく念願叶って訪ねることができました。

この水眠亭は、川のほとりに眠っているように見えた江戸時代の古民家をみて名付けられたそうです。ご主人の山崎史朗さんが彫金・工芸・デザイン・音楽・俳句・食文化、茶室を含め一期一会に直観とご縁があったものをご自分で手掛けられている唯一無二の完全にオリジナルの空間と場が存在しています。

自分の目と手で確信したご自分の美意識によって本物をつくるため、すべての制作の工程を他人に委ねずに自らで手掛けられます。この場にあるすべての道具や家、庭園にいたるまでほぼすべてご自身で見立て納得いくまで手掛け磨き上げられたものです。

どのものを拝見しても自分の信じた美意識を徹底的に追求し磨き上げていく姿に、その覚悟を感じます。まさによく言葉に出てくる「一線を超えよ」ということの意味を実感することができました。

もっとも感動したものの一つである手作りの茶室はまさに総合芸術の粋を極めておられ、そこで立てられるお茶はまるで千利休が今の時代に甦ったのではないかと思えるほどの佇まいと気配です。ご自身でゼロから茶室をつくることを通して、なぜそうなったのかを自分なりに突き止めておられます。つまり利休の心を建物から学び取られています。そして利休が目指した心、また日本人の心とはどういうものだったのか、利休が追及したものと同じように自分なりに辿り着かれておられます。

本来、誰かの真似をしたり先人のやってきたことをそのまま学ぶのではその人の求めたものとは別のものになってきます。釈迦も利休も自分が亡くなったあとは必ず廃れるという言葉を遺しています。「古人の跡を求めず 古人の求めしところを求めよ」という言葉に出会ったことを改めてここで思い出しました。これは先達や師の真似や後ばかりを追いかけるのではなく先達や師が何を求めたのかを自分も同じように求めてこそそのものと同じになるといったのでしょう。先日お伺いした三大薄皮饅頭の柏屋さんでもその家訓に「代々初代」というものがあることを教わりました。「代を継いでいるのではなく常に自分が初代になることだ」ということでしたがこれも同じ意味でしょう。

歴史を鑑みると、中興の祖という存在が顕現して道がまた甦生していくことの繰り返しです。

現代は、マニュアルや作法のことをまるで道そのものかのように呼び、本来の本物の道は単なるテクニックや事例のように扱われます。大衆に蔓延る権威や権力、権利が真の道を覆い隠します。まるでこの世は道の終焉の様相です。しかし真の道というものは、誰かに教わり真似をするのではなくまさに自らの覚悟で一人、自学自悟していくものです。

「時代の川の流れを眺めながら一人、静かに道を極める。」

まさに水眠亭の徳を感じる一期一会のご縁になりました。それに茶室、「海庵」のすごさ。この川の阿はいつか海になり空となる。日本人の忘れてはならない深い魂に共感することができました。

人の生き方というものはやはり覚悟が決めるものです。

覚悟のある生き方は真に豊かであり仕合せを醸成していくものです。自分が好きになったのを極めるのではなく、好きを極めるから好きになる。本当に好きならすべてを丸ごと好きになるということ。この人生を丸ごと深く味わい好きになることこそ、真の芸道ではないかと直観しました。

私が取り組むことと同質のことに先に挑まれている先人にご縁をいただいたことで、私も生き方の勇気と自信になりました。まだ道ははじまったばかり、子どもたちの喜びや仕合せを未来へ結び続けられるようにこれからも切磋琢磨していきたいと思います。

出会いに心から感謝しています、ありがとうございました。