薬草の歴史

現在、英彦山で薬草文化を甦生させていますがそもそも薬草は縄文時代より前から先人たちは身近な薬として利用してきました。世界中の古代の遺跡にも薬草が使われた形跡があります。

そもそも人間が最初に薬草を摂取するようになったのはいつかを思うとき、私は幼い時に飼育していた犬が散歩中に特定の草を食べているのを見てなぜわかるのだろうかと疑問に思った思い出があります。

また他の野生動物たちも季節を分けて、草や樹皮を食べにきます。鹿などは宿坊の周辺の草を特定の時季に摂取しています。これは季節の巡りと体質の変化に合わせて、薬草を本能で見極めて取り入れているのです。

私たち人間も、春は苦味を取りたくなり野草が美味しく感じます。今の時季は、筍をはじめイタドリやドクダミ、ヨモギなども美味しく感じます。医食同源とも言いますが、自然の一部としての身体を維持するために私たちは自然の叡智に肖って暮らしを調えて健康を保ちます。

健康とはバランスが取れた状態そのものであり、そのバランスを保つように周囲の自然の変化があります。日本では日本の四季があるように、海外ではその国々の四季があります。その巡りにあわせて薬草もまた変化していきます。

日本に来た薬草は、日本に合わせて変化していきます。

以前、日本にある野菜の種を中国に持ち込み植えてみたことがありましたが味も形もまったく変わってしまいました。植物たちはその場所でその場所の力を得て変化を已みません。

私たちは土から化けたものを摂取することで、その土地を食べていきます。その土地を食べることでその土地に漲る様々な薬効を摂取することができるともいえます。

薬草文化が栄える場所というのは、そもそもその場所がかなりのパワースポットであるということです。

英彦山は現在は、国定公園になってしまい薬草の採集もできなくなっていますが本来のお山の徳は薬草と共にありました。庭の一部でどこまで薬草が甦生できるかわかりませんが、色々と試行錯誤してみたいと思います。

お水は薬

薬のことを深めているとお水に辿り着きます。万物全ての薬の根源はお水ということです。そもそもお水は私たちのいのちの源です。お水がなければ私たちはこの生命を維持することもできません。だからこそ、お水が薬となります。そしてお水は単一の存在ではなく、お水は千差万別にあらゆる姿にカタチを変えてその時々のいのちの一部となって私たちの生命を巡ります。

結局、どの薬草もまたお水が土と和合して生成したものであり、その薬草もまた人体に取り込む時にはあらゆるお水と和合して溶け合うものです。お水こそ、私たちの根源ということです。

今年は私の一文字は「水」としていますが、お水の持つ力には驚嘆するばかりです。深めても深めてもその奥が底知れず、好奇心は尽きません。

もともと私はお水を薬として認識したのは、若い時に体調を崩した経験からです。その時は、何も食べれなくなりお水も飲めなくなりました。その時にせっかくだからと日本中のお水を取り寄せ飲み比べていたら飲めるお水があったのです。その時に、お水は一つではなく唯一無二であることを学びました。その時々の体調や心境、精神状態でも和合できるものとできないものがあると。そこからお水にこだわる人生になりました。今でも、料理別にお水も変えますし炭も変えます。お鍋に向くもの、お蕎麦に向くもの、蕎麦湯一つでも飲んだ後の身体の変化はまったくお水で異なるのです。

李氏朝鮮時代の医師、許浚が記した東医宝鑑にお水を分類わけしたものがあります。具具体的には、「井華水(せいかすい)、寒泉水(かんせんすい)、菊花水(きくかすい)、臘雪水(ろうせつすい)、春雨水(しゅんうすい)、秋露水(しゅうろすい)、冬霜(とうそう)、雹(ひょう)、夏氷(かひょう)、方諸水(ほうしょすい)、梅雨水(ばいうすい)、半天河水(はんてんがすい)、屋霤水(おくりゅうすい)、茅屋漏水(ぼうおくろうすい)、玉井水(ぎょくせいすい)、碧海水(へきかいすい)、千里水(せんりすい)、甘爛水(かんらんすい)、逆流水(げきりゅうすい)、順流水(じゅんりゅうすい)、急流水(きゅうりゅうすい)、溫泉(おんせん)、冷泉(れいせん)、漿水(しょうすい)、地漿(ちしょう)、潦水(ろうすい)、生熟湯(せいじゅくとう)、熱湯(ねっとう)、麻沸湯(まふつとう)、繰絲湯(そうしとう)、甑氣水(そうきすい)、銅器上汗(どうきじょうかん)、炊湯(すいとう)」です。

この分類は、お水そのものの化学的違いではなく「どこから来たか」「どのように存在しているか」「どのように変化したか」という観点で水を捉えています。

まずはじめにお水は「天から来るもの」と「地から来るもの」に分けられます。そして春雨水や秋露水、臘雪水などは天からもたらされる水であり、季節や気候の影響を強く受けた「天の気」を帯びるとされました。また井華水や泉水、海水などは地に由来する水でありその土地の性質や環境の影響を受けた「地の気」を持つとされます。お水は天地の間にありますが、そのどこで採取するかで性質が全く異なるとするのです。

そしてお水は「動き」で分けます。順流・逆流・急流といった流水の違いは、水の中に宿る気の巡りや勢いを表し体内の気の流れと対応づけて考えられました。流れるお水がどこを通ってきたかということも大切で、屋根を伝った水や木の中に溜まった水などは、その経路にある物質や環境の影響を受けて性質が変わってしまうとしたのです。

次に甘爛水や生熟湯のように意図的に人が攪拌したり混合したりして作られる水は、すでに「薬」として治療目的に応じて性質が調整されたものとあります。他にも蒸気が凝結した水や器物に付着した水滴、あるいは穀物や土などから生じた水などもあり、お水は他の物質との関係や変化の過程でも変わるとするのです。

お水の変化を的確にとらえ、そのタイミングで性質が変化する。それを薬として用いるとするのです。

お水のことを深く理解することが、薬道の第一義です。私はお水とのご縁が深いので、性質をさらに学び直していきたいと思います。

医療のかたち

現在の医療のかたちは昔と比べて大幅に変化しています。科学的な薬や外科手術などで対処療法することで道具や機械も発展していきました。遺伝子治療をはじめ、新しい医療技術はますます進化しています。

その背景には病気が増えたこともあります。日本全国にはドラッグストアがあり、病院の数もコンビニを超えています。医療費の負担も世界のかなりの高い水準です。

よくよく洞察してみると病気の種類が大きく変わってきたことを感じます。

むかしから病気というものはありました。不治の病というものもありました。今ではワクチンや手術によって回復するものもできました。現在では、病気の原因を特定することで病気を恐れなくなりました。しかし本来、病気は不自然なこととして恐れられたものです。

そしてその原因の特定も、病気という患部だけをみるのではなくその人の背景、あるいは国家の状態なども含めてむかしは探していきました。

分析する手法は、細分化を促進していきます。時間が経ち分析が増えれば細分化は多くなります。しかし、そうなると全体最適が観えなくなるものです。

かつての日本は、山に住む山伏たちも医療に携わっていました。そのころは、病は怨霊の影響を受けていること、疫病は国家の経営の影響を受けていることなどが常識でした。江戸時代になっても、病気になればまず山伏を呼び祈祷をして、その後に医師を読んで治療をしていたといいます。

今では心療内科などが増え、メンタルの病気と身体の病気などを分けられていますがむかしは分かれていなかったのです。だからこそ、診断も難しく誰でも気軽に治療を受けることも難しかったように思います。

そんな時代は、病院も薬も治療もありませんからみんなで病気にならないような未病の暮らしを実践していきました。また民間療法といって、医師がいなくても民間で協力し合って治療していく仕組みを増やしていきました。

薬草を用いるのも、坐禅や瞑想も、場を調えることもまた病気にならないための智恵として先人たちは研究し残してくださっているのです。それが今はあまり重宝されなくなり、伝承も途絶えてきました。

これだけ病院も増えて薬も多いし、遺伝子治療で病気が撲滅できるという人も増えていますが実際にはコロナウイルス一つでも対応ができずパンデミックになりました。それに経済が破綻すれば病院も薬も機械も停止します。その時はどうするかということです。医療の危機に備えることと、先人の智慧を伝承することは同一です。まだまだ残っている大切な暮らしの知恵や医療のかたちを学び直し、子どもたちに伝承していきたいと思います。

 

韓国の大医

韓国の医療について深めていますが、韓国三大名医の一人に許浚(ホ・ジュン、1539年 – 1615年)がいます。この人物は李氏朝鮮時代の著名な医師であり、医学書『東医宝鑑』の著者です。

伝統医療というのは、伝統文化と同じく先人たちの知恵と努力の結晶です。今の韓国の薬草文化が暮らしの中で取り入れられたのはこの著書の影響が大きいことがわかります。

許浚の一生はとても魅力あふれる人生を送っています。まず武官の官僚の子として生まれながらも母が側室であったために「庶子」という不利な立場に置かれていましたがその制約を乗り越え、医術の道へ進み、やがて王の主治医にまでに出生していきます。

そして著書に関係する話では王の宣祖が許浚に朝鮮独自の医学書を編纂するよう命じたのは、1596年のころです。この頃の朝鮮では中国の明医学が主流で、明から輸入される漢方が多用されていましたが1592年に勃発した壬辰倭乱(イムジンウェラン=文禄の役)などで国内情勢は不安定になり、明医学の薬の輸入が難しくなりました。そこで山野草を含めた治療法を確立させる必要がありました。また明医学では朝鮮半島の環境や病理に適さない部分もあり朝鮮独自の医療の必要性を迫られていました。しかし1608年に宣祖が崩御し、許浚はその責任を取らされ志半ばで流刑になります。それでも境遇に腐ったりせず、諦めずに真摯に使命に取り組み1610年に全25巻の『東医宝鑑』を完成させるのです。

許浚の『東医宝鑑』の御蔭でそれまで一部の特権階級に限られていた医療知識が世の中の一般人にまで広く開放され伝わりました。この書物は病気ごとの対症療法のことではなく「人間の身体そのもの」を中心に据え体質や生活、自然との関係まで含めて体系的にまとめられました。つまり単なる病気ではなく、「人を治す」本質的な書物としてのものです。むかしから諺で大医は国を治すといいますが、まさにこの人物は「国家の大医」だったのでしょう。

また「人は自然の一部であり、健康とはその調和の中にある」という思想を持ち「薬草は山にあり、治療は日常の中にあり、最も優れた医者とは病気になる前にそれを防ぐ者である」とも言いました。現代でいう予防医学や個別医療の基礎になる思想です。

来週訪問する韓国の霊峰智異山は、薬草の宝庫といわれるお山です。霊峰英彦山と通じるものがまだたくさん息づいています。この「山の知恵」つまり、お山に蓄積された自然の知恵、薬草の知識、そして人間と自然の関係そのものが今でも遺り、誰でも使えるものにも体系化されています。お山と医学の関係は、この数年の英彦山守静坊の暮らしの甦生で発見することばかりです。

現代こそ、このお山の知恵を活かす時代ではないかと私は直感します。

今回の訪韓でどのようにお山を通じた智慧の交流があるのか、子どもたちや子孫のために学び直していきたいと思います。

法螺貝祭り

昨日は、北九州市若松区乙丸の貴船神社の法螺貝祭りに参加してきました。この法螺貝祭りは日本では唯一無二に伝承される貴重なお祭りです。毎年、4月15日に開催され200年前からこの行事を続けているといいます。

現在ではわずか四十数軒ほどの小さな集落ですが、ご神体である寿命貝(法螺貝)を大切にお祀りして地域で伝統を守り続けています。

祭典では、神職がご祈祷をして祝詞を奏上します。その後は、寿命貝にお神酒を注ぎ参拝者たちに振舞われます。この法螺貝を通していただけるお神酒は薬となりその法螺貝に肖り長寿になるとも信じられてきました。また神饌の一部を直来で頂戴します。

法螺貝は年代物で、数百年経っている雰囲気をもっていました。直接、それを法具で吹くことはありませんが有志の龍螺師たちが法螺貝を立てます。私も法螺貝を奏上して、地域の法螺貝への報恩感謝をしました。

神主さまからは、本来、神事やお祭りが地域の最も大切な楽しみの一つでした。現代になって各地で娯楽イベントがありますがこの小さな集落でなぜこれだけ長くこの神事が続いているのか、そこに大切なヒントがあるというお話もありました。子どもたちもたくさん集まり、丁寧にお話をして伝承をなさっておられました。年配の方々もこの場所を大切にされているのが伝わってきました。

歴史というのは、人の繋がりです。

最初にこの場所の切っ掛けとなった不老長寿の法螺貝を食べた630歳の海女の女性。そこから人々が、その伝承を大切に守りつなげてきて今があります。

伝統や伝承は智慧と一体です。

竹取物語が今も受け継がれているように、その伝承にはいのちが宿っています。法螺貝の神秘性や不老長寿の話、不思議で奇跡のような物語は妄想ではなくそこに事実があったという真実。

改めて法螺貝の徳と可能性を感じる一日になりました。

法螺貝を伝承する一人として初心を忘れずに学び続けていきたいと思います。

お茶文化の甦生

英彦山の守静坊の敷地内には、お茶の古木がたくさんまだ残っています。冬の間は鹿にほとんど食べられますが春になるととても美しい新緑の茶葉が出てきます。もともと山伏たちにとってこのお茶は、暮らしを支える大切な存在でした。現代でも、お茶は私たちの暮らしを支えていますが少しお茶のことを深めてみようと思います。

北部九州にお茶が広がったのは栄西の影響が大きいといいます。この栄西は平安末期から鎌倉時代にかけて活躍した僧で、中国に渡って禅を学び、それを日本に伝えた人物です。

日本では禅だけでなく、茶を健康に役立つものとして紹介し『喫茶養生記』を著してその効能を説きました。仏教が日本で荒廃していたのをみて、本物の修行を甦生したいと心と体を整えるための実践的な手段と禅の修行を支える重要な道具でもあったこのお茶を通して心を調えることを弘めていきました。

喫茶養生記には「茶は養生の仙薬なり、延齢の妙術なり」と記されます。具体的には、

「凡そ人は心を本とす心弱ければ万病生ず」

といいます。これは心(心臓)が病気をつくる、心が強いと病を防ぎやすいと。しかしこうもいいます。

「世人多く苦味を嫌う然れども心は苦味を好む」。

世の中の人は甘いものなどは好きで苦いものは嫌う、しかし心は苦いものが効能がある。そしてこういいます。

「苦を以て心を養い、茶を以て身を調う」

お茶が心を養生し、そのことで心身が調うのであると。つまり人間の体は、心(しん)を中心であり、この心とは単なる精神ではなく、体の働きの中心でもあり、ここが乱れるとさまざまな病気が生じていく。お茶の苦味こそが心身の調和をする。そしてお茶葉他にも、眠気を防ぎ、意識をはっきりとさせ、疲れを取り除き、体内の滞りを流す働きもあり健康を保ち、寿命を延ばすための優れた方法であるとします。

日常的に暮らしにお茶を導入することで、心身の乱れを予防し大きな病気を防ぎ健康になる。自然に無理をせずに健康になることが日々の修行になるとします。

今でも古い寺院では、苦いお茶をいただくことがあります。静けさと苦味は、心を静かに調えます。

英彦山の標高の高い場所で、たくさんの水氣を浴びて穏やかに育つお茶の木を守り、新たなお茶文化の甦生に挑戦してみようと思います。

薬草と暮らし

韓国の薬草文化を深めていると色々と気になることがあります。例えば、韓国と言えば焼肉というようにあまり薬草のイメージがありません。改めて食文化がどのように発展してきたのかを調べていると面白いことが分かってきます。

例えば、韓国は1900年くらいまではほとんど肉食をしていません。戦後にタンパク不足や栄養が必要ということで、高度経済成長の発展と共に肉を食べるようになってきます。焼肉は、日本と韓国で融合した食文化で日本ではタレで食べ、韓国では保存用のタレに漬けた肉を食べます。これが今では融合してどちらも食べられます。

本来、日本も明治以前までは牛肉などは食べていません。ほとんどが菜食の暮らしです。私たちが今当たり前に食べている食文化は、ほとんどが70年くらいしか経っていない新しい文化ということにんります。

最近では、肉を食べていない日がないのではないかというほどにどの食事にも肉が入ってきます。先日、オランダからビーガンの方が来て旬の焼き野菜やきのこなどでおもてなししましたが日本に来てからあまり外食で食べるものがなくて困っているという話もありました。

そもそも薬草は昔は特別なものではなく、当たり前の暮らしの中に存在していたものです。それが経済成長というお金中心の世の名になってきたことで、人気がなくなり、都市化して周囲に薬草を採集する場所がなくなり今に至ります。スーパーなどでも薬草が売られていることはほとんどありません。一部の道の駅や田舎でたまに見かけるほどです。医療が西洋化し、自己免疫や自然治癒ではなく薬や外科手術等により治療することが当たり前になってから余計に薬草は消えていきました。

かつてはそんな医療もありませんでしたから、日頃から免疫を下げないよう、また自然治癒力が高まるように医食同源として食文化に心身が調うものを取り入れてきました。

たとえば、食べることで体を温めるもの、冷ますもの、気を巡らせるもの、血を補うもの、消化を助けるもの、毒を抜くものというふうに食材を見ては組み合わせて調理するのです。

ただ美味しいだけではなく、どのように心身に影響を与えるかを検証するのです。むかしの味覚は、薬を判別する大切な感覚だったのでしょう。

苦いものは解毒・調整、香りが強いものは巡らせる、粘りは潤し、辛いものは 発散させる、根菜は補う、支える力があるとされました。そしてその自然の素材を最大限活かし、毒を調和し薬にするために、茹でる蒸す干す発酵させる煎じる漬ける砕く和えるという仕組みで調理しました。その調理方法一つで、毒が薬になったのです。

日頃から、気候の変化、心身の調子をよくよく観察しながら病気にならないような暮らしをしていく。まさに食文化とは先人が生き残るために工夫してきた智慧の結晶でもあります。

食べたいものを食べる時代、薬草は調理も面倒だし美味しくないもののように扱われます。しかしそうやって疎遠にしておいて病気になって、大金を支払って身体をめちゃくちゃにしていくのでは本末転倒です。

先人の知恵を子孫へと繋ぎ、バトンを渡すためには私たちが食文化として暮らしの中で日頃から薬草に親しむことが大切です。

薬草の持つ徳を味わいながら、子どもたちに伝承していきたいと思います。

薬草文化と智異山

韓国にはナムルというものがあります。日本でいえばおひたしのような調理ででてくる野菜です。よくモヤシやホウレンソウ、人参などがごま油で和えてあるようなものが多く食べたことがある人が多いと思います。

ちょうど英彦山で野草文化を深めていますが、韓国には高麗人参をはじめ数多くの薬用のある食文化があり参考になることが多くあります。

ご縁があって来週から英彦山に酷似している霊峰智異山にいきますがその前に薬草について少し整理していきたいと思います。

そもそも英彦山もですが智異山もお水が滾々と湧き出す薬草の宝庫の山です。むかしの人は、薬の聖地のような霊山を探してはそこで薬草を採取して日々の未病や病気の治癒に役立ててきました。今のようにドラッグストアや病院がなかった時代、それぞれで人々は病気に向き合い民間で協力しながら治療をしていました。

現在は春ですがこの時季は春の野草たちがたくさん食生活に入ってきます。冬の間に溜め込んだ毒を解毒するために、苦みのある野草を食べることで身体を調えます。昨日は、イタドリを天ぷらにして食べ、お昼はこれから蓬餅を食べます。特段、薬を飲むというような行為をするわけではなく日常に野草を取り入れるのがむかしの暮らしの知恵だったのでしょう。

暮らしフルネスの食を私は実践し、提供しますがそのどれもが旬のもの、発酵、あるいは地産地消、在来種、山野草やスパイスなども自然由来の共生関係や循環を活かした内容で行います。

これも先人たちの知恵であり、暮らしを真に豊かにするための仕組みの一つです。

話をナムルに戻せば、本来、韓国ではナムルは今のように野菜を中心にではなく野草が中心であったといいます。都会で生活をして野草が手に入りにくくなったりしたことや、野草は採集してすぐに調理なので鮮度が保ちにくいこと、保存食にする工夫はしていますがなるべく日々に摂取できるように現代のような状態になっています。

韓国の食文化は、キムチにあるようににんにくや生姜などもたくさん摂取します。またサムゲタンやビビンバなども高麗ニンジンや野草、ニンニク、ゴマの葉など苦みがあるもので彩られます。

医食同源といいますが、食文化そのものが野草と繋がっているという意味では多くのことを学び直すことができます。

信仰とも深くつながる智異山の食文化を学び直してきたいと思います。

信頼関係と人徳

人間関係の信頼関係は目的に対して磨かれていくものです。何のためにそれをやるのかということがしっかりと基本になっている人は、お互いに信頼関係を築きやすくなります。もしも何のためにがなければ、単に自分のためにや目先の損得のためにとなると不信や疑心暗鬼の材料になるものです。

また遠い将来や、子孫や世の中全体のためになどと大きなビジョンを持っていると行動は判断基準はそれに相応しいものになります。傍目にみて一見、変なことをしているように見えても、損をしているようにみえてもそれは理念や目的に対して正直に取り組んでいることがあったりもします。

私は老舗の研究や、あるいは色々な会社や歴史を學ぶときまず最初に確認するのはこの目的や理念です。それを初心ともいいます。

初心をお互いに忘れていない人は、信頼関係が築けます。自分は何のためにこれをやるのか、そして自分は何を信じて取り組み、何をしないのかを確認します。

そうやってお互いが自分の初心に素直に正直に誠実に取り組んでいることが砥石となり、信頼関係を磨いていくことができるのです。

そして信頼とはどのように積み重ねていくか、それは徳を積むことと似ています。自分の初心に忠実に覚悟を持って日々に生きる実践を貫徹していくこと。それを続けていることで周囲はその徳を信頼するようになります。それをむかしは「人徳」とも呼びました。人望を高めるには、自分の初心を生きる努力と覚悟があってこそなのでしょう。

現在はあまり人徳などといわれることはありませんが、本来は信頼関係を磨いていく人たちが人徳が高いということなのでしょう。

仕事であっても、そうではなくても、徳を積み初心を澄ませご縁を磨いていきたいと思います。

世界の法螺貝

法螺貝というものは、とても不思議な存在です。法螺道を深めていると、新たな発見ばかりで興味が全く尽きません。私は炭も深めていて今でもその奥深さに感動することばかりですが法螺貝も同様に感動ばかりです。

そもそも法螺貝というものは、不思議な法具です。海の姿が貝になり、螺旋で宇宙の真理を顕し、空洞空間に息を吹き込めばその音が場を調え響きは風になります。人間が言葉を発する前に、この法具に息を吹き込めばそれが自然の声として世界全体に共鳴し波動を放ちます。

法螺貝の世界各地の伝説を色々と調べてみるとわかってくるものがあります。インドでは宇宙秩序と戦の号令、仏教では法の響き、ハワイでは首長や儀礼の到来、中南米では風と創造、ギリシャでは海の制御なども法螺貝が行います。

各地の神話に登場し、昨年訪問したスリランカではアーユルヴェーダの祖であるダナワンタリも法螺貝を手に持ち、不老不死の妙薬をつくりました。まさにいのちの根源に法螺貝を用います。

インドや日本では軍貝として戦に使われてきました。これは単なる号令や合図だけではないことがわかります。法螺貝で心を調えていのちのやり取りをするという神聖な音でもあったはずです。かつて戦国武将たちが八幡大菩薩や毘沙門天などを旗や鎧に掲げて戦をするように正義や真理と向き合うのに法螺貝が使われたのです。そして戦が終われた鎮魂の法螺を吹き、神霊を供養しました。

また仏教では真理に氣づかせる法音、驚覚の法具とし無明の眠りから衆生を目覚めさせるものとして法螺貝が用いられます。つまり覚醒の象徴とされたのです。宇宙の実体を正しく回転する宇宙秩序として法螺貝がその顕現した存在となったのでしょう。

他にはハワイ・ポリネシアの法螺貝は「海と王権」の象徴となっていました。海から到来し、貝の音としてその振動や波動、共鳴に畏敬の念を持つ。法螺貝がなれば、海の王の到来として神話の時代を懐かしみ静かに受け容れるのです。

そして中南米やギリシャでは、法螺貝は「風・創造・地下世界」の象徴ともなります。アステカの風神エエカトルやトリトンが法螺貝を持ちます。これは風の神が顕現したものが法螺貝であるということです。ひとたび、空洞の殻に息を通すと風になる地下世界・風・創世神話ときれいに結びつくというものです。

法螺貝は、太古の人類にとってはまさに自然の神秘そのものを扱える至高の道具であり神具でした。だからこそ、悠久の歳月にこの智慧は今の人々の間に遺って伝承されてきたのです。

日本の山伏が法螺貝を立て、お山で吹くのはその名残なのです。

英彦山で法螺貝を創り、仙螺講を実践していますがこれらのご縁を持つ子孫たちが結集してくるのを感じます。ご縁は不思議で、法螺貝が導くように法音も広がっていきます。

子どもたちや子孫たちが先祖の智慧がいつまでも使い続けることができるように自分の使命も役割も全うしていきます。