悠久の流れと命の輝き

いつも心を定めてふと気がつくと身の周りにはいろいろな便利なものがたくさんある。

情報化が進み、経済が発展し、モノが豊富になりすぐに手に入るものばかりが埋め尽くしている。

食べ物からはじまり、生活のすべてにそれは侵食している。

たとえば、食べ物では一つ一つが生きている生き物を殺してそれを加工し食べるものばかり、生き物は命をいただくのではなく餌となる。うまいかどうか、手軽かどうか、空腹を満たすかどうかだけで命が使われる。

そして生活などでは、たとえば自分の寝ているお布団から枕まですべてはひとつひとつ誰かの手によってそこに営みがあり時間をかけて作られたものなのに当たり前に加工品となっている。ブランドがどうかや見た目がどうか、必要かどうかだけで営みが取捨される。

人間はお金を使い何でも便利にすぐに手に入るものばかりを求めているうちに、いつも目先に囚われるようになり、心を失い何でもすぐに焦り急いで進めようとしてしまうようになった。

そういうものになっているから悠久の流れを感じている暇などもなく、日々を早く早くとせっかちに駆け足で取りかかっていく。

病気になれば、治療のことばかり、年齢を重ねれば、早く行事を終わらせることばかり、仕事をすれば早く成功させることばかり、、、

早く早くと自分の社会からの責任を取り除きたいと恐怖から逃げるように次々に目の前の出来事を処理していく日々を過ごしている。

せっかく生まれてきて命があるのに、それを何のために使っているのかと思うと本当にもったいないと思う。

私がいる現場は幼児期の子どもたちがたくさんいる。

それぞれをよく観ていると、唯一無二の掛け替えのないその人の命がそこにある。

それをどのように自らを発掘し自分の心に遵い使い切るのかを思うとき、現在の大人がそれをどのように日々使っているのかを見ると将来への希望、その生きる力というのはいったい何のか?と子どもたちも疑問を持つのは至極当然だと思う。

大人が自らの命の実践と生き方のモデルを示さずに、子どもに夢と希望を持てというのは片腹痛いと思う。

大人が眼前の欲望ばかりに執着するのではなく、人間を学び修めていくことや一生涯かけて自らの徳性明徳を明らかにしていこうと勤めなければ、自らの天命を畏れ恭しくすることもなくなり、いろいろなことに出会い邂逅を得て気づくことも少なくなる。

昔、子どもの頃は当たり前にできていた自然の姿に感動することがなくなり、今の便利な環境に完全に刷り込まれてしまうことになる。

こういう時代は経済云々よりもやはり何よりも「教育」というものをもう一度見直し、人が何のために生きるのか、そして命とはどういうものなのかということを社会全体で時間をしっかりと確保し、学を通じてみんなで助け合い協力し体得していくことが必要なのだろうと私は思う。

先日、御縁あった鞍馬寺の館長より素晴らしいお話を伺った。

「何でも急いではいけません、ゆっくり深く命の輝きを感じることで悠久の流れと大いなる移り変わりを体現することに価値があるのです」

と。

命というのものは、移り変わる。
その営みをよくよく深くゆっくりと観察してみる。

そうすると、そこに偉大な悠久の流れを噛み締め味わうことができる。

感謝や感動、そして命の輝きと光を観ることができる。

それぞれにはそれぞれの天から与えられた変わることがない大切な流れがあるのだと私は思う。
その流れを観ずに、何を流されているのだろうと思う。

受け継ぐもの引き継ぎもの、その間にあってもっとも偉大で大切にしていること。

 「命の輝き。」

私の前にいる、あの美しく光り輝く子どもたちが、その命の輝きを決して粗末にせずに生きる力をつけ最期まで自分らしく生きていけるような社会を創るために私の命の光を以て歩みを強めていきたい。

子どもの未来は、私たちの今にかかっているのだから。

諦めず焦らず、誤魔化さず、すべてを受け容れて本気で挑んでいくことを誓う。

建てるということ

先日、私たちのオルタナティブパートナーズの幼稚園の研修を行った。

ご縁は本当に不思議なもので心で強く思えば、同じような志、そして価値観を持ち、本気で命を懸けて色々なことに挑まれている人物との邂逅がある。

その真心と情熱まるで青年であり、広大な立志と使命を持つ方々に出会う。

世間の競争原理や市場優先主義などではなく、経済と道徳の一致を実践しようと強い思いで目先にある大いなる矛盾に向き合い、遠くを見て脚下を踏みしめ逃げずに歩んでいこうとする姿には勇気をいただけるし感動する。

理想と建前に逃げるのではなく、そのものの本質を究めていくことで深めていき、自らを律して実践を積んでいくことで必ず得られると、日々信念を醸成していくことを優先できるのは本当に素晴らしいことだと思う。

人に志があるのかないのかは、そのものの取り組みに対してまったく異なるものを引き出していくし引き寄せていく。

万物一切の道理というものは、刷り込まれた頭で考えるのではなく「とらわれない心」によりはじめて観えてくるものだと思う。

これからまたこのパートナー園が、数年後に咲かせる大輪の花を観ることができるのがとても楽しみだし、子どもたちが理念の中で見守られ健やかに自分らしくすくすくと育っていくのを感じるといつも無量の感謝と喜びを感じる。

一期一会の邂逅に改めて深い感謝をします。
引き合わせていただいた故人の導きに心から感謝しています。

たとえば理念というものの概念に対して、建物の話がある。
これは師匠も仰っていたのだが、建築というものにも本質と道理がある。

何でもすぐにお金があるからと、手頃な方法で便利さを追求して早く建物を建てようとすることがある。または、お金がないからと外装や見た目のところばかり取り繕うほうに力を入れてしまう人がいる。

しかし、そういうことから取り組んでいるとそのうち、取り繕いが取り繕いを呼び込み、気がつくといくつかの大切な柱を抜いたり、土台を軽く済ませたり、よく考えずにその辺の見つけたものを便利にもってきたりしてしまう。

すると何か震災や災害など問題があった時にすぐに壊れてしまう。

以前もニュースであったけれど、建物を偽装するということは、少し先の未来にはすぐにばれるし、そんなものは中にいる人を本当に幸せにすることはない。たとえ外から見える立派な家だと騙せても、土台や柱、その他のものが即席で乗り切ったハリボテであれば永続性があるはずもなく、心の安住や安心して生活することもできない。

人間でもそう、すぐに建物を建てて満足する人に限って人間の育成や自己の修養なども即席で便利に建てようとする傾向がある。

人を育てる教育や保育者が、そんなに簡単に建てるものばかりを求めていいのだろうかといつも思う。

何でもそうだが建てるというのは、「ちゃんと建てる」ということ、立てるというのはちゃんと立てるということが何よりも必要なのだと私は思う。

そしてこれはオルタナティブパートナーズの最初の関わりになるけれど、まずはきちんとした設計を立てる必要がある。

そして、その設計にあわせてどのようにしていくのかをよく見聞を広め、そして話し合い、理想をビジョンとともに創意工夫して省みながら建てていく。

どこにもサボらず、そして手抜かず、怠らず、丁寧に一つ一つ土台を造り、柱を入れていくということ。

私が考える理念というものの設計の定義もそういうものだとしている。

目に見えないものを観える可するというのは、設計士自身がそういうものをたくさん観てきたことやその専門性がいる。日々学び続けて、世の中に必要さとされる園を求め続けて学び続けることがいる。

様々な園長や経営者の特性や性質、その本質、また施設、地域、環境、人等々など多くのものの中からどのような建物かを知り、それを自らで具現化する支援をするということ。

人間にはできないことはない、できないことをやらないだけだと思う。

そしてそれはまた私も主体的に建てたいものがあるからできるのだと思う。

子どもを真中に置いてすべての物事をとらわれない心で丁寧に修めていけば、どのような園が世界でもっとも価値のある園になるのかは観えてくるものだ。

自立を思うとき、一隅を照らすということ、そしてその一隅の至宝の意味や邂逅の有難さに照らせば使命や志から尽心するというのは人として光ってくるための最初の一歩なのだと思う。

何でも丁寧に長い年月をかけて心をこめて大切に育てていく。

私自身、せっかちな性格で何をするにもすぐに急いでしまう本当に良くない癖がある。

しかし、本質であるがままを忘れずに建てるものはちゃんと建てて、一隅を照らす無量光そのものを目指し努めていきたい。

パートナーとの邂逅に感謝し、真理原則などをよく鑑みながら子どもたちの明日へ誠心誠意まごころをもって関わっていこうと思う。

余裕とゆとり

先日、ある園で私がファシリテーションして職員会議を行った。

園の職員会議では様々な議題が出る中で、それぞれが余裕がなくなっているのをよく見かける。余裕を持つというと、すぐに世間では休みをたくさん取ればいいや仕事をしなければいい、量を減らすといいと安直に考えるけれど現実はそうはいかない。

誰しも無意識に自分の仕事というのは自分で領域を決めて行っている。他人から下りてきた仕事だからや、突然ふってきた仕事だとかいう人もいるけれど本当の質量は自分自身がそれを決めている。特に実作業などに追われていると、目線が小さくなり大事な理念やその意味などが観えなくなることもある。

余裕がなくなると本質的な仕事はできなくなる。特に人間とコミュニケーションをする保育や教育にとって余裕というのは何よりも優先する重要なことだと私は思う。

余裕というのは私が考えるものにはいくつかある。

たとえば、物理的にも時間的に忙しいときに求めている必要な余裕だったり、自分に自信がなくなった時に求めている必要な余裕だったり、感情などで刷り込みの渦中にいる時に求めている必要な余裕。等々

余裕がなくなるとそういうこともあえて考えていることはほとんどない。

しかし本当に余裕がないとみんなが思っているなら余裕についての職員会議をすればいいのにそういうことに時間をあえて使われることはほとんどない。

だいたい余裕のない人とは、私の定義では「余裕」ということを自分の頭でちゃんと考えない人のことをいうのではないかと思う。その余裕がないことをいいこことにそれ自体を考えずに外側だけの現象で安易に決めつけ忙しくし、終始何かに依存していると余裕がなくなるのは当然のことだとも思う。

働き甲斐や遣り甲斐、自分が成長するということに失敗も成功もない、すべては無駄がなく人生そのものということに気づいていない。

話を戻す。

特に私がよく見かける園の保育現場ではいつも混沌とした忙しさを持っている。それは保育士だけではなく、主任など管理職もみんな余裕がない。

そういうところは本質的なチームでの話し合いが少ない。そして忙しくなり視野が狭くなり、自分以外の誰かの悪いところばかりが見えてくる。そうなると、心の余裕もなくなりイライラしてくる。さらにそういうものから不安や焦りが次第に増えてきて、自分に自信を失っていく。そういう状態だと物事の本質がまったくが観えなくなり、目先のことばかりに腐心して日々疲れてくる。そして、最後には意欲が下がり精神的に病んできたりするものだ。

そういう状態をカンフル剤的にケアするといっても、そこまで追い込まれていると何をやっても対処療法のようなもので一時的にしのげても、時間がたてばすぐに殺伐としてきたり、何となくしらけた緊張感が漂っていたり、元気のない職場の風景にまた逆戻りするようになってしまうものだ。

またそういう園では決められた会議の時間などもあまり取れていない。コミュニケーションも本質的なものは少ない。さらにみんなが忙しい中せっかく集まった会議でも目先の問題の解決や行事の段取りや危機管理など業務系だけで最初から最後まで緊張したまま使い切ってしまう。

もちろんそれがいけないと言っているわけではない、しかしそんなことばかりをいつまでも繰り返していることがもし会議なら、段々会議が苦痛になるのは当然だと思う。続けることは大事なことだけれど、効果のことも少しは考えるというのは大事なことだ。

見守るというのは、正しい「ゆとり」がまず保障されているからこそ情緒が安定する条件になるのだと私は思う。会議なども本当は、理念を中心にゆとりの時間が持てるから本質的な暗黙知や形式知の共通理解をすることができるのだと思う。

「ゆとりがある人」は、また会社が、組織が、そして自分が一体何のために働くのか、そして何のために此処に居て皆が集まったのかの理由を忘れることはない。そして力がある人は、あえて通常は眼に観えないものや内面の方を話し合うことに時間を使えるものだ。

私たちがパートナーとして入る園では、理念を中心にそれをひも解いている。

時間がかかるけれど次第に理念に沿って、余裕という「ゆとり」を持てると会議はとても豊かで楽しい上質な時間に変わってくる。

「今」というものに感謝できるようになり、働き甲斐や遣り甲斐、またその喜びなども次第に広がり人生がより良く観えてゆき、心身ともに元気が出てくるものだ。

この園でも、私たちと同じように理念を中心に時間配分もマネジメントの仕方もがらりと変わることに決まった。

私たちも見守るという環境の援助をお手伝いするコンサルティング企業として、自分たちの日々を顧みて、本質で仕事を行い、正しい考えと理念と一体になる実践によりゆとりを持てる豊かで穏やかな職場環境を創造していくように心がけ子どもたちが素直に学び合い成長できるよう努めていきたい。

マネジメントは形だけでは実行が難しく、愛のある本当の行動とは、優しさと厳しさの本質を理解してジャッジするということだと改めて自らを律していきたい。

正気の詩とかんながら

以前、このかんながらの道ブログで浩然の気ということを書いた。
あれから、気というものそのものについて深く考える時間が取れた。

昨年末、鞍馬山とご縁があり、その浩然の気についての深い邂逅を得た。
天地自然の中にあり、至正至大に満ちる霊気とも言うのだろうか。

こういうことを話すと何か、世間からは宗教っぽいと言われるのだろうが、思想深きところで語れば、そもそも気があるから私たちは存在できる。

この間(ハザマ)にあって、目には観えない何かの存在はあまりにも当然すぎて語られることもないだけで、然るべきをもって本当はその存在を語り合うことこそ、生死の間にある人間としてのあるべきようだとも私は思っている。

今年は、そしてこの「気」というものを探求する機会が得られるような予感がする。

中国の南宋の文天祥に「正気の歌」がある。 

 天地に正気有り
 雑然として流形を賦えらる
 下は則ち河嶽と為り
 上は則ち日星と為る
 人に於いては浩然と曰い
 沛乎として蒼冥に塞<つ (天地には正しい気がある。それは雑然としていて様々な形を与えている。例えば大地に下れば大河や山となって、そして天に上れば太陽や星となる。これを人に作用すればそれは「浩然」と呼ばれみるみるうちに広がって大空、宇宙に広がっていくものだ。) とある。 自然界の不可思議に満ちる霊気というものの存在。 時代が変わる際に、そして環境が変化するとき、その目には観えない霊気というものをどれだけ捉えているのかということでその生気の価値を享受され感じ得ることかというもの。 自然界すべては、その霊気を受けずに生きることはできず、人もその気となす所以や根元を知らなければ、その生気力を発奮して天道を鑑み照らすこともできやしない。 色々と調べてみると吉田松陰先生にも同韻の字を用いて作った「正気の歌」と詠んだものがある。 「正気天地に塞がる。聖人唯形を践む。その次の不朽なる者は、亦光を日星と争う」 これは、自釈だが、故人の偉人や聖人、突如世界の中で現れる歴史が証す偉大な聖賢や人物の存在は、この正気の発現によるものだということ、そしてこれは人智を超えた大宇宙観のことを言うのだと思う。 大宇宙観というものを捉えるとき、この霊気というもので語ることでその雄大な流れの中での自分の布置を観て生気力に還るというものにもその意味の普遍性を感じる。 そしてそれを太古古来よりこの日本では、その存在自体を「神」御霊とし、祀り、そしてそれが顕現していくものを「かんながら」と歌い、その広大無辺の大慈悲心という字に託してその心を引き継いできたように思う。 私たちの太古の祖先は、そういう宇宙観の中で日常生活を営み、その霊気によって国を開いた「かんながらの民」だったということになる。 私たちはその霊気を受け、その霊気を神主や巫女を通じて言霊にかえ、民衆を救い導くことで今を築きあげてきた民族だったのだと私は勝手に解釈している。 清き明き、そして直き心、清明心とは、その宇宙の霊気を受けるために自らを律してきた清廉潔白で透徹した厳美の伝統だったのだとも思う。 この今の時代は、我が国の伝統文化を蔑にし俗欲に撒かせて忘却されることで、その天地の霊気を浴びることも過度に少なくなり、人々は刷り込みに流され、穢れて暗き、歪んだ心になり、私たちの民族の力は色々なところで大幅に削がれてきているのかもしれない。 ここにきて、本当に必要なものはそういうものを思い出すことなのかもしれないと私は真摯に思っている。 また、どのようなものがそのようなものなのかは修養如何によるもの。 新しい時代、新しい流れの中、これからも理と向き合い、意味を感じ尽くしていきたいと思う。明日からまた仕事はじめになる。心機一転、この休養を糧に一期一会の出逢いを楽しんでいきたいと思う。 感謝。

起業のキッカケ

今年の正月は、ゆったりと読書に耽ることができている。

今年の始まりは改めて吉田松陰先生の遺した遺訓や教えなどを読み直すことができた。

元々、松陰先生との最初の出会いは私の中学の頃だろうか、うっすらとだが記憶がある。自ら高い理想を掲げてどのように生きればいいのかを悩んでいた時、「孟子」の解釈の一部を安岡正篤氏の著書の中で吉田松陰の言葉や遺訓を引用してあったことで知ったことがキッカケだったように思う。

それから、何かに突き動かされるように吉田松陰先生のことを知りたくなり、そののち図書館で借りたその生きざまが書いてある伝記や物語、また啓発書などからその教育観や理念に感銘を受け、より深く先生のことを知りたいとずっと興味を持つようになった。

そして高校卒業後、中国へ行く決断をし、留学をした時も、その傍らには吉田松陰先生の本をたくさん持って渡航した思い出がある。

時折、無理に自信過剰に夢に振舞う反面、自分に自信がなく、情けなく、これからどう生きるべきかを思い悩み、不甲斐なさにそして迷い惑い、酷く落胆しているとき、この松陰先生の遺した生き様や言葉がそういう自分の心胆に突き刺さり癒し、再び向上心を発奮し頑張っていたように思う。

今思えば自分が立志する一期一会を頂いたのは、この吉田松陰先生だったのだろうと思う。私自身にとってその御恩、何分遠大にして、今更ながら毎年の松陰神社参拝でも深い感謝と情熱が年々こみ上げてくる。

私にとって此処に以前、こんなに素晴らしい教育者がいたこと、そしてかんながらの道を示してくれたこと、この日本には本当に素晴らしい文化伝統があり、立派な人を創る歴史と風土があったのだと思うと何よりも先祖への深い感謝と世界の中でこれから平和のために貢献し活躍することになる未来の大和魂への自信が湧いてくる。

そして、私には忘れもしない会社起業のキッカケになる思い出がある。私がカグヤを起業するキッカケとなった出会いもまた、この吉田松陰先生から頂いたご縁だったからだ。

ちょうど私が24歳くらいの頃だろうか、仕事で青森県弘前市へ出張した際、同行者とともに養生幼稚園という場所へ伺った。用件を済ませ私が少し時間があったのでその幼稚園の近くにあるあまり目立たない草庵のような場所があったので散歩も兼ねてふらりとそこへ立ち寄ってみた。

その日は平日の夕方で誰ひとりそこにはなく、気配もなく、たそがれた夕暮れに私一人だけが存在し、とても静謐な雰囲気があった。

そして門は開いていたのでその草庵の中に引き寄せられるように入るとすぐに愕然とする出会いがあった。

そこには小さな古い和室が一室あり、そこに吉田松陰先生の書や絵がずらりと飾ってあったのだ。

なぜこんなところにに先生の絵や書が?と中に入り、書いているものを色々と読んでみた。

すると1815年頃、親友の熊本藩士宮部鼎蔵とともに今の山口県から弘前まで明徳立志のための学問の旅をし、そこにいた伊藤梅軒氏の話を聞きにきたとのことが書かれてあった。そこは、松陰先生が東北歴訪で訪れた伊藤梅軒氏の旧宅だった。

そして私が何よりも衝撃を受けたのは、その時、松陰先生がまだ齢23歳の時だったということ、その当時の私よりも若く、学問を実学を通して道を切り開こうとなさっていた軌跡が存分に残っていたこと。

そこで私は激しい感銘を受けて、その当時の松陰先生の気持ちになって感じ入り涙が止まらなくなるほど心に深い感動を受けた。そしてその当時、自分が流されていること、逃げていること、決心していないこと、自分が不甲斐ないこと、何をやっているのだと拳を握り締め自分自身の命に、またその念に檄を打った。

そして、その日感動のままに眠れず、深夜未明に目が覚め、起業をする揺るがない決意をして幼児教育への思い、そして自分の為すべきことのため、今の会社カグヤと私のミッションとの邂逅があった。今なら少し理解できるが、私は私のやることで天地の間でしっかり自立をするんだと改めて誓った瞬間だったのだろうと思う。

こうやって物思いにふけり、過去の起点を思い出すのも松陰先生の生き方を学ぶご縁があったからだと思うと本当に師との廻りあわせというものに人生の有難きを感じる。

松陰先生は、この歴訪のあと、名前を寅次郎から松陰と改名することになる。
私は、松陰先生の本質としてこの歴訪から自らを称し、実学の決意新たに自らの遺した詩でとても意味深く好きなものがある。

 『松下陰深きところ更に人有り。』(安政六年五月頃の詩)

私の勝手な解釈だけれども、この国にはまだまだ素晴らしい逸材や師はまだたくさん発掘できる。そしてその人たちは皆皆、大機を待ち、日々粛々と律しながら脚下の実践を行い、自らを修養していること。そうして、普遍的な道の上を歩み、その悠久の流れの中で故人と対話し、今に生き切るもの。

遠大な志を持つ人は、どんな時も知行合一を目指しているもの。
それは真に知る者はそれを行うものだという何よりも実践を第一義とする本質的に生きようとするものの定めた真理なのだとも私は思う。

もうあれから8年になるが振り返りどれだけ至誠の実践ができたのだろうか。

こうやって省みると、道未だ始まったばかり。

これからもまた大義と本気で生きる人たちとのの一期一会の学問と自らの修養により、ブレない勇気と研鑽により初志貫徹していきたいと心を引き締める。

有難い悠久の時間と、この出会いに改めて感謝。

二〇〇九年のテーマ

今年もいよいよ本日からスタートすることになる。

昨年を振り返っても、本当に色々な人たちにお世話になり、そして出会いあり、感動あり、感謝ありと、有難いご縁をたくさん頂いた年だった。

そして、人を信じるということ、信じようとするのではなく、信じるということを深く学び、見守るということを実践を通して言葉に換えてきた一年だったように思う。

人生の神妙さ、そして秘境のようなこの世界。
本当に不可思議なことに満ちているし、改めて語ると言葉にならない。

もし、あの時、あの瞬間に、あの方と出逢っていなければ・・・
もし、あの時、あの瞬間に、あの決断をしていなければ・・・
もし、あの時、あの瞬間に、あの別れがなかったならば・・・

この私が存在する「今」はここにはない。

もう二度と戻れないということに宇宙自然からの寛容で厳粛な命の輝きが観える。

そして私が在るこの今がこんなにも強い志に燃え、そして世界と信念と対話できるのは全ての邂逅の御蔭であり、命の集大成だと改めて真摯に実感することができる。

どんなに無垢な季節の中でも一日一日は決して粗末にすることはあってはならない。

大事に生きるとは、人生を「本気で生きる」こと。

つい、人はモノが溢れ、欲望が満たされ、情報が過多になっていく過程で本気で生きるということを忘れてしまう。

昨今、刷り込みのない心の眼で歴史に照らし世間大衆の人との関係を見渡せば、さして命を懸けるようなこともなく、死が遠くにあり、さして深く潜り探るような心の修養の手本も少なくなり、認める社会から疑う社会になり、人間関係もつまらない浅いところでのみ関わり、人助けがサービス精神と勘違いされ、バランスが壊れ心を病んで孤独を感じている人なども多い。

国も世界も、受け身では生きてはいけないのにいつまでも受け身に自分の人生を他人に預けて自らの脚で立とうとはしようとしない。

教育と理念なき社会は、こうも人間を怠惰にするのかと思うと心痛に堪えない。

そして、こういう時、いつの時代もその最初の犠牲になるのは弱い立場の人たちや子どもたちになる。

人生、もう二度とないのだから大事なもののために優先順位をよく鑑み勇気をもって決断して個々が仁愛の精神で自立していくことがいつの時代も必要なのだ。

義憤は、謙虚に自らを慎む脚下の実践により静かに価値を磨いて一円融合していくことで私は自立を目指したい。

さて、昨年も、師に人生のテーマをいただいてそれに向かって一心不乱に取り組んきた。しかし、軌跡を省みると、深さはまだ底が知れず、高さも天を仰ぐ回数ごとに意味があり、とても昨年のみで終わるテーマでもないこともよく気づいている。

しかし人生の慶びに際し、新たに今年もまた師と歩む楽しみをいただくことができた。

今年は、「自分を必要とされる人に、必要で返せる真の深さを持つこと」となった。

今までは、利用される人へ対して答えていればそれだけである程度は良かったしお互いに満足することもできた。それはサービスでもそうだし、人間関係でもそのような感じだった。そして自分の思いだけで進めてそれを突破していればある程度すべてはなんとなかった。

しかし、ひとたび、本気で生きる人との真剣な学び合いや崇高な築き合いに於いては、しっかりと自らに返せるものがなければ至誠を貫くことができなくなる。本質的な学びをより一層深めて、思想と哲学のようなものから技術や智慧を磨き抜くことにしようと思う。

私の仕事は、今の子どもたちを守ること。

この「子ども」という定義の大きさや深さから広大な世の中を観て悠久に易えたいと願う魂の一念。

新たに出会う真のパートナーとともに、初志貫徹を改めて目指していこうと思う。

最後に、本当に今があることに心から感謝します。
そして、そういうご縁を頂いた方々すべての幸せを心から祈念しています。

感謝再拝 一期一会  

二〇〇九年元旦