建てるということ

先日、私たちのオルタナティブパートナーズの幼稚園の研修を行った。

ご縁は本当に不思議なもので心で強く思えば、同じような志、そして価値観を持ち、本気で命を懸けて色々なことに挑まれている人物との邂逅がある。

その真心と情熱まるで青年であり、広大な立志と使命を持つ方々に出会う。

世間の競争原理や市場優先主義などではなく、経済と道徳の一致を実践しようと強い思いで目先にある大いなる矛盾に向き合い、遠くを見て脚下を踏みしめ逃げずに歩んでいこうとする姿には勇気をいただけるし感動する。

理想と建前に逃げるのではなく、そのものの本質を究めていくことで深めていき、自らを律して実践を積んでいくことで必ず得られると、日々信念を醸成していくことを優先できるのは本当に素晴らしいことだと思う。

人に志があるのかないのかは、そのものの取り組みに対してまったく異なるものを引き出していくし引き寄せていく。

万物一切の道理というものは、刷り込まれた頭で考えるのではなく「とらわれない心」によりはじめて観えてくるものだと思う。

これからまたこのパートナー園が、数年後に咲かせる大輪の花を観ることができるのがとても楽しみだし、子どもたちが理念の中で見守られ健やかに自分らしくすくすくと育っていくのを感じるといつも無量の感謝と喜びを感じる。

一期一会の邂逅に改めて深い感謝をします。
引き合わせていただいた故人の導きに心から感謝しています。

たとえば理念というものの概念に対して、建物の話がある。
これは師匠も仰っていたのだが、建築というものにも本質と道理がある。

何でもすぐにお金があるからと、手頃な方法で便利さを追求して早く建物を建てようとすることがある。または、お金がないからと外装や見た目のところばかり取り繕うほうに力を入れてしまう人がいる。

しかし、そういうことから取り組んでいるとそのうち、取り繕いが取り繕いを呼び込み、気がつくといくつかの大切な柱を抜いたり、土台を軽く済ませたり、よく考えずにその辺の見つけたものを便利にもってきたりしてしまう。

すると何か震災や災害など問題があった時にすぐに壊れてしまう。

以前もニュースであったけれど、建物を偽装するということは、少し先の未来にはすぐにばれるし、そんなものは中にいる人を本当に幸せにすることはない。たとえ外から見える立派な家だと騙せても、土台や柱、その他のものが即席で乗り切ったハリボテであれば永続性があるはずもなく、心の安住や安心して生活することもできない。

人間でもそう、すぐに建物を建てて満足する人に限って人間の育成や自己の修養なども即席で便利に建てようとする傾向がある。

人を育てる教育や保育者が、そんなに簡単に建てるものばかりを求めていいのだろうかといつも思う。

何でもそうだが建てるというのは、「ちゃんと建てる」ということ、立てるというのはちゃんと立てるということが何よりも必要なのだと私は思う。

そしてこれはオルタナティブパートナーズの最初の関わりになるけれど、まずはきちんとした設計を立てる必要がある。

そして、その設計にあわせてどのようにしていくのかをよく見聞を広め、そして話し合い、理想をビジョンとともに創意工夫して省みながら建てていく。

どこにもサボらず、そして手抜かず、怠らず、丁寧に一つ一つ土台を造り、柱を入れていくということ。

私が考える理念というものの設計の定義もそういうものだとしている。

目に見えないものを観える可するというのは、設計士自身がそういうものをたくさん観てきたことやその専門性がいる。日々学び続けて、世の中に必要さとされる園を求め続けて学び続けることがいる。

様々な園長や経営者の特性や性質、その本質、また施設、地域、環境、人等々など多くのものの中からどのような建物かを知り、それを自らで具現化する支援をするということ。

人間にはできないことはない、できないことをやらないだけだと思う。

そしてそれはまた私も主体的に建てたいものがあるからできるのだと思う。

子どもを真中に置いてすべての物事をとらわれない心で丁寧に修めていけば、どのような園が世界でもっとも価値のある園になるのかは観えてくるものだ。

自立を思うとき、一隅を照らすということ、そしてその一隅の至宝の意味や邂逅の有難さに照らせば使命や志から尽心するというのは人として光ってくるための最初の一歩なのだと思う。

何でも丁寧に長い年月をかけて心をこめて大切に育てていく。

私自身、せっかちな性格で何をするにもすぐに急いでしまう本当に良くない癖がある。

しかし、本質であるがままを忘れずに建てるものはちゃんと建てて、一隅を照らす無量光そのものを目指し努めていきたい。

パートナーとの邂逅に感謝し、真理原則などをよく鑑みながら子どもたちの明日へ誠心誠意まごころをもって関わっていこうと思う。