御光様

今年を振り返ってみると、人生の節目になるような大きな出会いがいくつもありました。人間は出会いがあることでお互いに大きな影響を与えます。自分がそうであったように、自分もまた同じように出会いによって影響を与えるようになるのです。

以前、御蔭様と同じように御光様というものがあるとお聴きしたことがあります。

陰ながら見守ってくださっている存在への感謝が御蔭様だとしたのなら、この御光様はたくさんの光を浴びせてくれた存在への感謝になると思います。

今年は、ずっと師事していた鞍馬寺の貫主様がご逝去されました。十五年間、ずっと振り返りを一緒にしていただきご報告していた存在がなくなるのは言葉にはできないほどです。

しかしその15年間のいただいた言葉をもう一度、整理して纏めていたらその言葉がその生き方が自分の中に存在して生きているのを実感します。私はずっと貫主様の御光様をいただいてきたのがこの時初めて実感できたのです。この有難さもまた言葉にはできません。

だからこそ今度は、その御光様をこれからは別の方々に与えていくのが私の役割ではないかと感じたのです。そうやって御光様を意識して与え続けているとき、自分と一緒一体になって子孫のため人類のため、このいのち輝く世界のために実践している実感があります。

人は出会いによってその御光様を与えあう存在なのかもしれません。自分の中にある御光を無償で見返りもなく与えるとき、徳が育ちます。みんなそうやって誰かのために、そしてみんなのためにと助け合い支え合うことで生きてきたのです。

これからもこのいただいた御光様と出会いを大切にして、残りの人生を悔いのなきように初心を貫いていきたいと思います。本年も一期一会のご縁をいただき感謝しています。来年もよろしくお願いします。

免疫を調える

昨日からインフルエンザのようなものに感染して高熱が出ています。寒気からはじまり急激に体温を上げていくと、体中が痛くなり倦怠感も出てきます。幼少期から何度も体験してきましたが、大人になっても辛いものは辛いものです。

この高熱が出るというのは、免疫細胞が活性化するからです。この免疫細胞とは、白血球など含め体に異物が侵入した時に排除する細胞たちのことです。私たちが日ごろ元氣でいられるのは、これらの免疫細胞が人知れずにウイルスや病原菌などを退治してくれているということになります。傷ができても自然に治っていくように、同様に免疫細胞が病気を退治してくれています。

免疫には自然免疫といって、最初から備わっているもの。そして獲得免疫といって後天的に備わるものがあります。ウイルスも形を変えていきますから、それに応じて獲得免疫を得ていくということになります。免疫細胞たちの絶妙なチームプレーで病気を退散させていくということです。

その免疫細胞を活性化させ、元氣にするには睡眠やストレスフリーなども環境も必要ですが腸内を調えることがもっとも効果的だといわれます。腸にはなんと人間の身体の70パーセントの免疫細胞が集結しています。日々の食生活をはじめ、外敵から常に身を守るために腸は常に全力で働いているともいえます。

この腸は一般的には食べ物を消化吸収するものと思われていますが、実際には人間の体全体の免疫を司るという重要な役割を果たしています。腸内の免疫細胞は、腸内細菌の状態に左右されるといいます。この腸内細菌は1,000種、100兆個を超えるといわれ腸内細菌のバランスを整えることで免疫細胞が活性化し免疫力が向上する仕組みになっているのです。

まずは、免疫を高めるためには腸の環境を善くしていくしかありません。動物性の食品や砂糖などのお菓子を控え、植物性や、酵素や玄米など腸によいものを摂取していくことからです。

年末年始は、飲み会なども増えて食生活が乱れる時機でもあります。暮らしを丁寧にととのえて恢復につとめていきたいと思います。

 

心の甦生

先日、仲間たちと一緒に無農薬のもち米で餅つきをし鏡餅をつくりました。その鏡餅を、それぞれのお祀りする場所へ調えていきました。年々、ご縁を戴くところが増えて御餅の数も増えていきます。しかし一年に一度、感謝を忘れないように改めて祈りを実践するのは有難い機会になります。

それは道具にも同じことがいえます。お餅つきや鏡餅をするときに出番がくる道具たちです。日ごろは仕舞われたり、別の役割を果たしています。その道具が、活躍する日でもあります。

例えば、木臼や杵というものがあります。これは5年前にご縁があってうちにやってきたものですが、非常に古い歴史を持っている木臼と杵です。この木臼は神様の木としても有名な欅が使われています。この欅は古名で「ツキの木」とも呼ばれていてこれは神様が依り代になる聖なる樹といういわれがありました。神社のご神木に欅が多いのはこのためです。

その神様が依り代になるような木臼はむかしからとても大事に祀らてきたといいます。私も聴福庵ではいつも目につくところに配置していて、その存在をいつも確かめてお餅つきが来るのを楽しみにしています。

この木臼ですが、桶谷町の文化財保護委員である伊藤源治氏が分かりやすくご紹介されています。要約すると、この臼や木は弥生時代から存在し、あらゆる雑穀の製粉脱穀精白に使われました。暮らしの中で、なくてはならない道具であり今のガス、水道、電気と同じくらい日常的な役割を果たしたものです。その臼と杵は家を象徴するもので、冠婚葬祭でも用いられたといいます、たとえば、葬儀では出棺のときに空臼を搗きます。故人の、この世の家からの永遠の別れを意味したそうです。そして日常で空臼を搗くことは縁起が悪く、禁忌とされました。他にも、結婚式では餅を搗きます。嫁ぎ先の家の土間に臼を二つ並べ、その花嫁が重い臼を退け困難を乗り越えて婚家に入るという儀式もあったといいます。このような臼と杵ですから、暮らしの中では特に大切に取り扱いしめ縄をし雨ざらしなどさせず、上に物を置く事などもせず、常に伏せて置いたといいます。そして最後に使えなくなった野に捨たりゴミのように燃すことはなく、供養をし家中のかまどで燃すか、一族で分けたとあります。常にこの臼と杵は神の宿る、聖なる道具と意識されて使われたそうです。

よく考えてみると、鏡餅もまた神様が宿るものです。お米にも宿ります。すべて神様が宿っていると意識してお餅つきは行われたのでしょう。今の時代、自動餅つき機があったり便利に大量生産されています。しかし、そこに神様は宿るのでしょうか?私たちが神様と意識することで神様が宿るというのは、すでに量子の世界でも事実が明らかになってきています。

私たちの意識は、単なる妄想ではなく心というものが存在する証拠でもあります。真心を籠めて取り組んだことは、不思議ですが心を通じて伝わっていくものです。むかしの人たちを理解するには、心を尋ね、心を学ぶ必要があるように思います。

心を甦生して、子孫たちへ大切な知恵を伝承していきたいと思います。

今と歩みを振り返る

昨日は、英彦山守静坊の煤払いや室礼をしてご祈祷したのち氏神様の宗像神社へご参拝してきました。朝から100年以上前の杵と木臼、また木製のせいろも大活躍でみんなで和気あいあいとお餅つきをしたものを鏡餅にしました。お米も自然農法でつくれたもので、安心、美味しくできたお米です。

心をととのえていくなかで、一年間の感謝や御礼をあらゆる人や物へと心を運びます。日々の出来事には、複雑な執着やご縁もありご迷惑をおかけしたものや人への思い出、あるいは助けて頂いた思い出、数々のことを教えていただいたことなども脳裏をよぎります。その一つ一つを、福に転じていこうとするところに素直に伸びていこうとする活力が芽生えます。

人はいろいろな人に出会うことで、数々の生き方を省みることができます。あの人はこう生きるのか、この人はこう生きるのかと、それぞれの生き方が参考になります。そして自分はどう生きるのかと向き合えるものです。

人間は誰しも平等に生き方というものを決めていくことができます。運命や宿命に対して、どのような使命を生きるかはそれぞれの自由です。どれだけ過酷な状況下であっても、普遍的な生き方をする人もいます。あるいは、恵まれ過ぎた環境に漬け込まれ流行に流されるような生き方もあります。それに人には生き方の癖というものがあり、その癖があるから体験方法もそれぞれに異なります。

そういう時、有難いと深く感じるのは先祖を実感するときです。御先祖様というものは、私たちが今に生きるまでずっと繋がっている存在です。この今も、心を見つめると一緒に先祖が語り掛けてくるものです。その声に従って生きているとき、私たちはあらゆるものが同時に重なりあって生きていることを実感します。おかしな話ですが、色々な人生を同時に生きている状態になっているのです。

私たちは網の目のようにあらゆる人生が場に重なりあって存在しているものです。それが見事に結び、絡み合い、時には絆になりながら時を進めていきます。眼に見えるものや、頭で理解できるもの以外にそこには一つの答えがあり答えを生きる自分があるのです。

年末に自らが静かに振り返り瞑想をするのは、そういう自分というものが今何処にいて何をしようとしているのかを味わう時間でもあります。この一年の節目に、出会いを整理して歩みを深めていきたいと思います。

故郷の徳を磨く

昨日は、私の母校の庄内中学校の生徒たちと鳥羽池のお手入れ、ゴミ拾いを行いました。前回は、バスケットボール部が中心に行いましたが今回は生徒会が中心に声掛けをして80名以上の有志が集まりお掃除を行いました。

休みの日の初日に、これだけの生徒が集まってみんなで主体的に掃除をしましたからその熱気や熱意は相当なものでした。私たちは、ゴミ袋に入らないようなものを軽トラックで伴走しながらお手伝いしましたが普段拾うことがないような工業ゴミや自転車、タイヤなどの粗大ごみもたくさん拾うことができました。

この池は、ブラックバスが良く釣れるということで釣りの人たちがたくさん来ます。ルアーをはじめあらゆる釣り具が捨ててありましたがそれで怪我をして生徒もいました。きっとすべての釣り人が捨てているわけではなく、一部の人たちによって全体の釣り人の評判が下がるのはとても残念なことです。自然を愛する人たちは、自然を汚したりゴミを捨てたりすることはしないように思います。みんなが気持ちよく、自然を楽しめるように配慮していただけると鳥羽池も喜んでくれるように思います。

ゴミで多かったのは空き缶など、そのほかには生活ごみです。ゴミ箱に捨てるのが面倒だったのか、それとも捨て方がわからなかったのかその辺に投げ捨てているものがほとんどです。粗大ごみにいたっては、きっとお金がかかるとか面倒という理由で池に投げ捨てたのでしょう。冬の間に水を抜くことで、ゴミが捨ててあることに気づきます。

この池は、冬鳥たちや渡り鳥がたくさんきます。年中、色々な鳥たちが憩いの場になっています。魚をはじめ亀なども多く、小春日和や秋の夕暮れなどは幻想的で自然の美しさにうっとりします。自分の故郷や町にこのような場所があることで、心のゆとりや余裕もうまれます。朝夕、散歩の老夫婦をはじめランニングをする方々もたくさんいます。私の父も、桜を守っていて蔓などが桜を枯らさないように見守っています。

みんなが愛した場所は、愛したように場所が美しくなっていきます。

場というものは、本来はみんなでお手入れして守っていくものです。お手入れとは、心のお手入れでありそして場所のお手入れです。このお手入れとは、いつの日か必ずこの世から存在が消えてしまうものだからこそ勿体ないと丁寧に少しでも寿命が長く持てるように愛していくことです。

そうやって愛されたものは、そのままにその愛を周囲に恩返ししていきます。私は古民家甦生をしていますから、それがよくわかります。古く長く大切にされてきたものは、みんなから愛されてきたものがほとんどだからです。

生徒たちが中心になってこのような活動を故郷で行っていくことは本当に素晴らしいことと思います。こういう活動がいつまでも続き、そしてその生徒の姿をみて大人たちがもっと変わっていけばいいなとも感じます。子どもたちに恥ずかしくないような大人でありたいと思います。

これからも故郷の徳を磨いていきたいと思います。

ヨガの妙味

昨日、ご縁あってBAでヨガに参加する機会がありました。瞑想の中でなんどかヨガのような体験をしたことがありましたが現代、流行しているヨガには参加したことがなかったこともありとても豊かな時間を過ごすことができました。少しヨガのことを深めてみようと思います。

そもそもヨガのはじまりを調べると、紀元前2500年頃のインダス文明の頃にはヨガの起源があるといわれます。世界遺産のモヘンジョ・ダロには陶器でできたあらゆるポーズを取る像があり、坐禅を組み瞑想する神像なども見つかったことからそういわれます。

その後は、紀元前1000年頃にウパニシャッド聖典に「ヨーガ」という言葉が出てきて400年頃にはヨガの教典である「ヨーガ・スートラ」が現れます。ここでヨガの定義を「ヨーガとは心の作用を止滅すること」とされます。それを実践するために八支則というものを定めます。そして1300年頃になると「ハタ・ヨーガ」が大成され、この頃から現在のヨガのポーズなどを中心に展開されます。これが現代のヨガ教室などの原型になっているそうです。そして1600年頃までにはそれが体系化し世界へヨガが広がったといいます。

日本には806年に空海が唐より帰国した頃の「瑜伽」が最初に入ってきたものといいます。現代のヨガが日本に広がったのは1919年中村天風によるものだったといいます。そして沖正弘氏がヨガ協会などを設立して広め、日本でのヨガブームをつくりだしたそうです。現代の日本では、ホットヨガというものがブームになっています。これは体の柔軟性が高まる温度、湿度のなかで気持ちよく行うことができるヨガのこといい女性に特に人気があるそうです。ダイエットやデトックスが中心でこれはもともとはインド人のビクラム・チョードリー氏が約40年前に始めたものだといいます。一般的な日常生活ではあまり体験できないくらいの汗をかいて老廃物の排出を促進させるのが特徴だといわれます。

ヨガはこの100年くらいでインドの修行僧の一部の瞑想方法から世界中でマインドフルネスやウェルビーイング、あるいはトレーニングなどに取り入れられ新しいものになっていきました。

しかし本来の原点は、瞑想によって心を調え、身体を調えることから心身を穏やかにするための知恵であることがわかります。今の時代は、特に自然から離れ時間を忙しくすることで心を止揚し続けていることが難しくなっています。

あらゆる方法でもその道に入り、取り組む機会が増えていくのは素晴らしいことと思います。商用のヨガではなく、本来のヨガの原型の初心を忘れないようにしながら取り組んでいきたいと思います。

 

循環の妙

英彦山と関わりだしてから山への感覚が深くなってきました。もともと山とは何だったのか、それを深めていると海とは何かということに辿り着きます。この山と海の存在はもともと一体であり分けることができません。川はその山と海をつなぐ存在であり、この川も元々は山と海が一体であることを証明するものです。

私たちは便利な言葉を用いることで、あらゆるものを分別していきました。本来は全体が一体であることが前提になった分別ならまだいいのですが、分別したものを集めて全体にしようとなったときにそのものの本質が分からなくなっていったのでしょう。

その弊害が、あらゆる自然環境の破壊につながり、人類の知恵を消失させている理由になっています。教え方が問題というか、人工的なものだけですべてを理解できると思い違いしたことに一つの理由があるように思います。野生的なもの、本能的なもの、自然的なものとのバランスが崩れると人間は歪んだ方向へと進んでいきます。

神代や古代は、そうならないように指導者やカミという人類を守る存在があってバランスを調えていきました。どうしても目先の欲望や、近視眼的になってしまう宿命がありますからそれをそうならないようにする仕組みを保っていたのでしょう。

山に住む山伏たちやその暮らしもまた、本来は指導者や守る人としての役割を果たしたのでしょうが現代はそういう人たちは特殊な生き方をしている人たちとしてあまり身近に存在も感じません。人間社会でのバランスも職業や商品、商売なっていますから山もその商品の一つになっていくのでしょう。

今の時代は、人工的な世界の方が常識ですからその人工的な知識を優先にした山の理解や海の理解が歪な環境改善をさらに促進しより深い断絶を増やしているように思います。

本来、山は山の養分が川に流れ、その川が海にいくことで生命は潤います。水というものは触媒であり、無色透明であらゆるいのちを通過していきます。つまり循環のいのちの根源はこの水ということになります。この水が何を運ぶのか、それはいのちの元を運びます。それぞれの生命が、それぞれのいのちを充実させ結実したものを運ぶのです。それは目には見えませんが、見える分を養分とも呼びます。人間でいえば、糞尿なども養分といいます。

こういうものが自然に流されますが、それは単に栄養素だけが流れるのではなく充実したという証が流れます。それが海に到達するころには山から地上のあらゆる生命の養分が渾然一体となって海に到達します。

その海に到達したものがさらなる新たないのちを掻き混ぜていきます。以前、貝磨きをする方と一緒に貝を深めたことがありますが貝はこの養分を得ていのちを守る存在として顕現してきます。

私たちは、美しい貝を観てはいのちの辿る道やいのちの本体を直観してきました。私は法螺貝を吹いていますが、法螺貝はそのいのちの結晶の一つです。山で法螺貝を吹くとその音色が山に響きます。

山の養分が海にいき、そして貝になる。

その貝が山に還り、山で音を立てると山が喜んでいく。こうやっていのちは、真に豊かに廻ることで徳は永遠に磨かれるのです。

自然環境の改善は、いのちのリサイクルの仕組みが必要です。私の天命も近づいてkました。世界に人類の新たな道筋を示し、子どもたちに普遍的な循環の妙を伝承していきたいと思います。

条理の道

今年を振り返ってみてとても大きなご縁になったのは国東半島の三浦梅園です。この人物は享保8年(1723)に生まれた人です。本名は三浦晋(すすむ)といいます。この梅園とは、後に彼をしたって各地から集まった者たちの塾を『梅園塾』と呼んだことに由来しています。

紹介文を読むと、「梅園は『日は東より出て、西に入る』といった転地万物の営みを当たり前とせず、その事実に強い疑問を抱き続けた。そして独学のすえ、『天地万物はみな一つの根本から現れているもので、その現れ方には決まった条理(筋道)がある』という哲学体系『条理学』を構築した。」とあります。

雪を見て雪と見ない、太陽を見ても太陽と見ない、なぜ音が聴こえるのか、なぜ目は見えるのか、呼吸はどうして行うのかというそもそもの根源を探求して真理を学び続けた人物だったことがわかります。

私も知識を増やす喜びはありますがそれはほどほどにして、本来の真理や自然、直観的に洞察する深淵により興味が魅かれます。みんなの言う真理や自然は果たして本当に真理や自然なのか。そこを疑うのです。そもそも不思議なことはほとんど解明されていないことがわかります。

例えば、重力一つでもこの重力が何かというものも解明はできていません。多少科学で少しは理解が進んでも、それを使いこなすことはできません。UFOなども写真が増えてきましたがあの飛行の様子から想像してみたら、重力を操作しているのがすぐに直観できます。他にも、波動というものや音というもの。音とは何かということもまだ奥深いところがわかっていないのです。つまりこの世には科学がまだまだ追いつけないものばかりです。だとしたら、誰かが言ったことを鵜呑みにして信じていたら洗脳と同じでしょう。そんな仮想で見たこともない世界を信じるくらいなら、自分で学問を探求したいと思うようになるのです。

私も同様に何が本当の自然だったのかを自らの直観と五感と体験と自学自悟していくなかでその根幹に触れて普遍的なものを理解していきます。すると今の時代の価値観や人々の心が観えてくるようになります。

普遍的なものへの興味関心というものは、どこからやってくるのか。それは本能的にいのちは仕合せになりたいと思っているのであり、それが真の豊かさや徳への関心になっていきます。聖人と呼ばれる人はきっと、その最初の心、あるいは原始的ないのちの求める道を知りたかったのかもしれません。

私が徳積みというものに深い関心を持つようになったのも、二宮尊徳や中江藤樹など日本の先人たちの生き方に触れて仕合せに憧れたからです。この人物たちは、その土地で産まれその土地そのものに顕現しました。風土そのものに無為自然に生きた人たちになりたいと憧れたのです。

三浦梅園は、その生涯において普遍的なものからブレずに生涯を過ごしました。一度しかない人生をどう生きるのか、それは生き方が決めます。私が目指す、徳積み循環経済は本来は当たり前のものでした。それが今の時代は、特別なことになってしまったこと、そして私の活動はオルタナティブで少数な風変わりなものに思われるのもまた時代がそういう時代だからなのは仕方がありません。

しかし子孫のことを思えば火を絶やすことはできず、道統や和の系譜は守り続けていかなければなりません。英彦山のご縁からさらに深くその道は入っていきますが、学ぶことの仕合せを噛みしめながら歩んでいきたいと思います。

場を育てる

「場」をつくるなかで大切なのは、主語はどこになっているかということがあります。人はすぐに自分というものを主語にして語りますが、本質を突き詰めていくと自分というものが邪魔になることがあります。それはなぜかというと、本物を求めているうちにモノや他との境界線が消えていきそのものと一体になるからです。

これを私は自他一体の境地と呼んでいます。相手が自分であり相手も自分になるというものです。それだけ一体に同化している状態になっているというものです。これを私は「場」と呼びます。私のいう「場」は元々は、分かれていないものです。そこには例えば、過去からずっと今も生きている歴史の場であったり、あるいはすべてのものが関わり繋がりあって網の目のような場であったり、またあるいはみんなで心を一つにあわせて一緒に取り組む場であったりします。それくらい分かれていないところにあるのが本来の「場」ということになります。

その場を醸成するためには、あまり他人軸の自分やエゴが強すぎると育たないものです。無私や無我に近い方が、場は良く育ちます。

例えば、場に喜んでもらおうとすることや、みんなの喜びが自分の喜びになっているような実践や取り組みをする方がいいという具合です。

自然界というもの、宇宙に至るまですべては自分というものはありません。生命であれば細胞にいたるまですべてが繋がり結び合って存在します。この世に孤立しているものなどは一つもありません。そういうものを理解していることが重要で、そのうえで自立するということが命題でもあります。この自立というものは、独立自尊の時の自立であり協力し合うという共生の中の自立です。つまり、助け合い、持ちつ持たれつ、御蔭様といわれているすべてと活かしあうときの自立です。

「場」には、その自立や調和、共生などあり方や生き方が問われます。そしてこれはテクニックではなく、まさに自覚と実践によって行うものです。

最近では、場というものが便利に知識的に理解されほとんど表面上の浅いものになっています。場もいのちのある生き物ですから、その場を守るための精進も必要ですし、お手入れが欠かせません。

私が取り組む場の道場では、その辺を実践によって知恵を伝承していくものです。子どもたちに先人からの知恵や真心の道が繋がっていくように丁寧に場を育てていきたいと思います。

日本人の原型

日本人の原型というものがどのようなものであったのか、それは日本人の心の原型を探っていくと直観できるものです。その一つに万葉集というものがあります。万葉集は、むかしのやまとのクニがあったころの人たちがどのように生きて、暮らしたいたのかの余韻を味わえるものです。

この余韻は、心の余韻です。素直にその土地でその場所でその出来事や事実において心情をそのままに詠んだもの、それが万葉集です。詠み人知らずのようなものがたくさんあり、当時の人たちの心がそのまま言葉に乗っています。

それを味わい、思い出すことで心の原風景を省みているとそのどれもが物事を常に楽天的に捉え、全てを受け容れてそれを味わい仕合せを求めた姿があります。あるいは、あまりにも受け入れがたいものはそのままに心を伝えているものもあります。私たちがその万葉集の言葉を詠むとき、その出来事の供養にもなりその人の心を慰めるものでもあります。

人生というものはいろいろな体験を通して一生を終えます。その一生は悲喜こもごもにあらゆる感情も心も揺さぶられ味わうものです。生きていくのは大変ですが、それでも体験したいというのがいのちの本体ですから様々な姿に顕れてはそのすべてを感じて味わっていのちは充実していきます。

先人たちはどのようにいのちを充実させてきたのか、そしてこの世でいのちそのものの味わいを楽しんだのか。それもまた万葉集の中に遺されています。こうやって生き方を継いでいくことは本当は何ものにも代えがたい知恵であり希望です。

子孫たちは先人がいることで安心し、そして先人もその子孫のことを深く思いやります。連綿と続いていく歴史の中で、何が譲り遺していけるのか。いつか土に還る私たちは、土から出てきて地上の楽園を謳歌します。その土の上を歩き、踏み固めていきますが歴史は土の中に埋もれていきます。

いつまでも新しい芽が出てきますが、その新しい芽は希望の芽です。

万葉人のやまと心には、仕合せの原型があります。暮らしフルネスにおいてこの仕合せというのは物事のすべての中心です。引き続き子どもたちのためにも、暮らしの豊かさ、子孫の仕合せを願い、あべこべの時代の価値観のなかでも本質を貫き、1000年後の未来のために今できることにいのちを懸けて集中していきたいと思います。