場の例大祭 2024辰年

今年も有難いご縁にたくさん恵まれ、場の道場にある妙見神社(ブロックチェーン神社)の例大祭を執り行うことができました。前日から降り続けた強い雨でどうなることかと心配していましたが例大祭中は雨も降らず気温も上がり晴れ間も出て美しい夕陽と竜雲、彩雲が顕れご参列の皆様もとても感動していたのが印象的でした。

ここに神社を建立してから5年目になりますが、何かに導かれるように様々なご縁をいただいてきました。この期間に無二の仲間たちとも出会い、奇跡のような徳積の活動を実践することができました。自分で考えていた以上に、考えてもいなかった素晴らしい御蔭様と豊かさにずっと支えられていました。

この節分から立春という廻りは、春の兆しをたくさん感じます。冬の厳しい寒さと春の柔らかい温かさが交互に空に顕れ、また大地を潤します。寒暖差の中に水や風が揺らぎ場に澄み切った空気感を醸し出してきます。

今回、例大祭では昨年ご縁があった即興ピアニストの今井てつさんに奉納をお願いしました。共通のご縁は、自然農の故川口由一先生です。私もかんながらの道を歩んでいますが、いのちや生きものがいっぱいの自然風景を心に響かせる生き方をしています。今井てつさんの音楽もまた同様な自然の響きを奏でています。

私たちは心に映る風景を、それぞれの思いの波動を通して全体に響かせることができます。その響きは、音楽のように奏でて消えるのではなくそれぞれの場所や意識に影響を与えてその中で一体化して永遠に活き続けていきます。ご縁も音も、そして響きも波動も消えるということはなく食べもののいのちのように身体や精神、心に和合して意識を変化させる素となるのです。

いい人に巡り会うことは、いい人の生き方を宿すことでもあります。同時にいい音に巡り会うことは、いい波動を宿すことでもあります。そしてそれをどう表現するか、感動するかで人と人の間に感動はさらに広がり、その美しい種がまた新たに人々の心や場に蒔かれていきます。これが人徳の魅力です。

そうやって思いの種は最初は小さな種であっても、蒔かれていけばそのうち花が咲き広大なお花畑のようになることもあるのです。自然の有難さというのは、いつも自然があるということでしょう。その芽出度さは日本人の心でもあります。日本人の先人たちは暮らしの中でいつも自然を忘れず自然に感謝して自然と共に歩んできました。今年の例大祭ではよりその自然への畏敬を味わうことができた素晴らしいものでした。

最後に舞の奉納をしてくださった全さきさん、彌樹さん、母娘。それに直来で美味しい料理を準備してくれたまどかさん、お手伝いの恵輔さん。暮らしの音楽を奏でてくれた祐輔さんと晃輔さん、そして雅さん。節分祭から場を一緒に調えてくださった星覚さん、全体を調え石笛奉納までしてくださった奈々子さん。何よりいつもお手伝いを気持ちよく協力してくださる素敵な仲間たちに心から感謝しています。

予祝としての思いに、おめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

畜の意味

最近、社畜という言葉を改めて気にする機会がありました。なんとなく世の中で使っている言葉の響きが不愉快だったので調べると家畜を参照して作成された言葉のようです。社畜の意味は辞書を参照すると「日本では社員として勤めている会社に飼い慣らされ、自分の意思と良心を放棄し、サービス残業や転勤もいとわない奴隷と化した賃金労働者の状態を揶揄、あるいは自嘲する言葉」とあります。また家畜を調べると「ヒト(人間)がその生活に役立つよう、野生動物であったものを馴化させ、飼養し、繁殖させ、品種改良したもの」とあります。さらに社員ではなくアルバイトの場合はバ畜と呼ばれ「アルバイトをする学生がバイトに多くの時間と労力を割いてしまう状況を表す言葉」だそうです。

この「畜」という文字の語源は、会意文字で「玄(黒い)+田」の意味で栄養分をたくわえて作物を養い育てる黒い土のことをいいます。この発酵した黒い土がある御蔭で、植物や生き物たちの健康は守られます。

私は自宅で烏骨鶏や犬を飼っていますが、家畜といっても無理やり卵をたくさん産ませようとしたり犬をこき使って働かせようとは思ったことはありません。他にも自然農や田んぼをやっていますが、無理に作物を育てませんしその土を大切にするために農薬なども使ったことはありません。高菜のお漬物もつくっていますが、在来種の種を大切に自家採取してはまたそれを蒔き育て、その高菜で採れる分だけで木樽に寝かせて林の中でお漬物にしています。

私にとっての家畜は、大切な家族で共にこの世で生きていくためのパートナーです。家畜というものを悪いことのようにいうのは違和感があり、その流れで社畜というのはもっと違和感があります。

私は会社の社員のみんなを親戚や家族のように思っています。毎日、顔を合わせては健康の心配、子どもたちや家族や親せきの状態、仕事のこと、暮らしのことを気にしては一緒に語り合い助け合います。みんなで尊重しあえるように話を聴く時間を工夫して確保し、丁寧に一緒に生活の改善を続けています。飼いならすというよりは、みんなで協力しあって暮らしを創っているという感じです。大切にしている畜土(場)は、会社の文化であり、それは連綿と毎日続けて受け継がれてきたみんなの生き方や働き方の歴史が醸成されたものです。社畜という言葉がなぜ悪く言われるのだろうかと不思議でなりません。

結局、この言葉の意味の変遷は時代的な価値観として「いい会社かどうか、いい家庭かどうか」のその話をしているということでしょう。悪い意味でつかわれる家畜も社畜もバ畜も、まるで人間がいのちのない単なる物体のように扱われ、一人ひとりが尊重されない環境のなかで主体性を放棄した状態ということになります。そういうように動物たちや植物などの家畜を扱い、そういうように人間も扱うようになったということでしょう。一方的な奴隷化、搾取、それを飼いならされた状態というのでしょう。

実際にうちの烏骨鶏でいえば、柵も鳥小屋もあるのは野生動物や蛇などの天敵から守るために設けるものです。それに広さを十分に確保し、止まり木があり、発酵土を設け、泥浴びができるようにし、風通しのよい日陰で新鮮な空気があり目が届く場所に設置するのは奴隷化するために飼育しているのではありません。犬も同じく、綱があるのは車社会で飛び出すと危険であることや保健所に連れていかれて殺処分されたり、犬に乱暴に扱う人たちがいることから守るためでもあります。飼いならすことと守ることは違います。大切ないのちを守ろうとするからこそ「畜」はあるのです。

「畜う」という字は、「やしなう」とも読めます。つまりは、大切に育て養い守るということです。そして見守られている側もきっとそれに気づいて安心して育つはずです。そうやって「お互いにやしないあう=見守り合う」ことで私たちはいのちの寿命をのばして仕合せになるように思います。

言葉の使い方の中に、時代の価値観や人々や民衆の感じる不信や不満がでてきます。全部がそうではなく、そしてそうではない生き方の人たちの実践もあることにももっと目を向けて子どもたちのために将来がどうあってほしいかよく考えて今を生きる大人として取り組んでほしいと思います。

私たちも引き続き、子ども第一義、私たちの道を拓いていきたいと思います。

親友の仕合せ

幼馴染がはじめて家族と一緒に聴福庵に来てくれました。小学校5年生の時からの友人で色々なことを星を観ながら毎晩のように語り合った仲です。転校してきたのですが最初からとても気が合い、お互いにタイプも異なることもありとても尊敬していました。

音楽が好きでアコースティックギターを弾き、また工作が好きで半田鏝を使い近くのパチンコ屋さんの廃材で色々なものをつくっていました。他にもパソコンが得意でプログラムなどもかいていました。私はどちらかというと野生児のように自然派でしたからとても理知的で新鮮でした。

中学では同じ部活に入り、レギュラーを競いバンドを組んでは一緒にライブなどを行っていました。塾も一緒で成績でも競い、その御蔭で勉強もできるようになりました。思い返せば、尊敬しあい好敵手という関係だったように思います。

高校卒業後は、私は中国に留学し彼は岡山の大学に行きました。そして社会人になって一緒に起業をして今の会社を立ち上げる頃にまた合流しました。毎日、寝る時間を惜しみ休みもなく働き努力して会社を軌道に乗せました。私の右腕であり、苦楽を共にするパートナーでした。しかし、その後、お互いに頑張りすぎたり結婚をはじめ色々な新しいご縁が出てきてメンタルの不調や社員間の人間関係の問題、過去のトラウマや祖父母の死別など様々な理由が見事に重なり別れることになりました。

そこからは孤独に新たな道をそれぞれに歩むことになりました。もっとも辛い時に、お互いにそれぞれで乗り越えなければならないという苦しみは忘れることはありません。あれから20年ぶりにお互いの親友の通夜で再会してまた語り合うことができています。

離れてみて再会してわかることは、その空白の20年のことを何も知らないということです。当たり前のことを言っているように思いますが、その間にお互いに何があったのか、伝えようにも関係者や周囲がお互いの知らない人ばかりになっていてどこか他所の他人の話になります。私たちの知り合いは20年前に止まったままでその頃の人たちももうほとんど今ではあまり連絡を取っていません。

人のご縁というのは、一緒にいることで折り重なり記憶を共にするものです。同じ空間を持つ関係というのは、同じ記憶を綴り続けている関係ということです。喜怒哀楽、苦楽を共にするときお互いのことが理解しあい存在が深まるからです。

今では、親友は新しい家族を築き子どもたちも健やかで素敵な奥さんとも結ばれて仕合せそうでした。20年たって、一番嬉しかったのは彼が今、仕合せであることでした。

そう思うと、最も自分が望んでいるものが何かということに気づかされました。私が一番望むのは、私に出会った人たちがその後に仕合せになっていくことです。だからこそ、真心を籠めて一期一会に自分を尽力していきたいと思うのです。

いつまでも一緒にいる関係とは、仕合せを与えあう関係でありたいと思うことかもしれません。親友との再会は、心が安心し嬉しさで満たされました。苦労の末に掴んだ彼の仕合せに感謝と誇りに思いました。

善い一年のはじまりになりました、ご縁に心から感謝しています。

循環の宇宙で

今年を振り返ってみると幼馴染の親友との死別が一番の出来事でした。今でも時間差で思い出しては心にふと空白が宿りますが彼の存在の有難さに感謝することが増えました。私たちは本来、「存在」によって心を支えているものです。大事なものは、何か自分にとっての用が足せたり能力が便利だからというもので感じているのではありません。自分が何かをするときに助けてもらえる、或いはわかってくれているという心の繋がりや関係によって深いところの自分を支えられているものです。

その本体は一体何なのか、これは愛ともいい慈悲ともいいます。私たちはご縁によって出会い喜びがあり、別れによって悲しみが来ます。他にも出会いによって感動があり、別れによって激動もあります。どちらにせよ、私たちはその苦楽の苦という感情と結ばれそのことによって悲喜こもごもな執着や感情が入り混じります。

しかしこの入り混じる感情が人生の旅路のなかではとても大切な記憶になり、私たちに人間らしさや生きている実感を与えます。過ぎ去っていく日々の中で、記憶だけは蓄積していきその記憶と共に自分という存在がまた新しくなります。それが生きているということで循環しているということです。

私たちはこの記憶というものの真実を知り、記憶こそが自分を生きていることに気づくものです。その記憶は永遠にもなり、また同時に新しくもなります。だからこそ、私たちは変化に対して止まっていることはできず前に進むしかありません。

変化とはある人は、捨てていくことといい、またある人は、執着しないこと、またある人は受けたもうとすること、それぞれに言い方があります。しかしそのどれもはすべて、「歩みを止めるな」というメッセージを帯びているのはわかります。だからこそその感情を敢えて手放すというのは、常に変化を已めるなということを意味するからでしょう。

止まることのない循環の宇宙のなかでいつまでも私たちは巡り会いまた結ばれます。

それが生命の神秘であり、記憶の真実です。

この一年は、私にとっては「忍耐」の年でした。忍耐とは、これでいいと信じぬくための努力であり、それでいいと思えるように取り組み続ける己磨きの精進でした。年末は骨折をして思うように生活ができなくなり、体の不調が次々と湧き出てきました。ここ数年の頑張りすぎたことが疲れとして出てきたのかもしれません。蓄積した疲労が回復するまで安静にせよとの天の声も入っているように思います。

直観を信じてここまで来ましたが、天命はいつも自分の都合とは別のタイミングで降りてきます。龍の水を得るかの如くになるには、まだまだ時間がかかりそうです。臥龍のままに澄んだ水に光を浴びて呑気に気楽に極楽のような場を醸成して、忘れた頃にやってくるような安心立命を歩みたいものです。

孔子、五十にして天命を知るとありますが先達を見倣い、人間らしく愉快痛快に歩んでいきたいと思います。本年も、本当にお世話になりました。来年が皆様にとって一期一会の青春多き美しい一年になることを祈念しています。

ありがとうございました。

本来の事業

昨日は、故郷の庄内中学校の生徒たちの有志が集まり鳥羽池のお手入れを行いました。具体的にはゴミ拾いや廃棄物の回収ですが一年でまたここまで溜まるのかというほどのゴミが溢れていました。生徒たちは明るくなんでこんなものを捨てるのだろうかと口々に話しながら清々しく片付けてくれて本当に有難い気持ちになりました。

ゴミの中には、かなりの大きさのものも多くよくこんなものをと思うほどの粗大ゴミもありました。私はもともと古民家甦生をはじめ、お山の周辺のお手入れもやっていますからゴミは慣れています。それにゴミをよく見つめることも多く、それが綺麗に片付いている景色も見慣れていますからそこまでの抵抗はありません。しかし子どもたちが誰かが捨てたゴミを真摯に片づけているのを見るとありがたい気持ちが先に出ますが同時にいたたまれない恥ずかしい気持ちも出てきます。

大人たちがやってきたことがゴミとして発生します。池をはじめ自然は黙ってすべてを受け容れてくれていますがそこには魚や鳥たちをはじめ様々な生態系が存在しています。なぜこんなものを生み出してしまうのか、そしてなぜゴミになってしまうのか、そこに今の人類が追い求めている価値を感じます。

2時間ほどみんなでお手入れしたあと、集まって少しお話をしました。

一つは、捨てた人がただ悪いではなくこのゴミを観てこれをつくったものづくりに関わる人たちは何を思うだろうかという話をしました。二つ目は、ゴミ拾いのメリットとして自分を磨くことの大切さ、観える世界が変わることで自分が変わることを話しました。三つ目は、故郷と繋がり結ばれる感覚、池が喜んでいることや故郷が善くなっていくことなども話しました。また桜の時期になると美しい景色があること、改めてみんなで取り組めたことに感謝しました。

今回のお手入れを一人でやったら3か月近くかかります。それを大勢いで取り組むから一日で終わります。自分たちの故郷の大切な場所を、みんなで守っていこうとする心に故郷の徳がますます醸成されていくのです。

子どもたちが取り組むことは小さな一歩ではありますが、大きな未来がある一歩です。

本来の事業というものはどういうものか、それは単に利益や売り上げが上がることや経済活動が拡大することや雇用が促進され税金が集まることなどではありません。むかしの日本の先人たちが行った事業とは、「子孫のために何を遺せるか」というものが本来の事業であったのです。今では名事業家と呼ばれる人たちは、効率的にお金儲けが上手い賢い人たちの代名詞になっています。しかし実際の事業家とは、徳を積む人たちの代名詞であったはずです。

時代が変われば価値観も変わり、言葉の表した意味も変わります。しかし時代が変わっても徳は変わらずいつまでも燦然と輝き、道をまた探り歩けば光が当たるものです。

引き続き、故郷の徳に見守られながら丹誠を籠めて事業に取り組んでいきたいと思います。

当たり前を拝む暮らし

昨日は、朝から会社の仲間たちと一年を振り返り昼からは結の方々と共に暮らしの中で冬至の時間を過ごしました。また夕方からは祐徳石風呂サウナに入り音楽を味わい直来で備長炭で煮込んだおでんを食べ団欒しました。みんなで持ち寄った「ん」のつく食べ物を発表したり、昨年のことを思い出してみんなで語り合い、来年の予祝をしておめでとうをし運気を上昇させました。

私は、何かのイベントのように物事を行うのが苦手であまり好きではありません。刹那的なものは何か人間の作為的なものを感じてしまいます。もちろん、好き嫌いというだけで悪いことではないので時折それもありますが苦手ということです。

例えば、昨日は冬至で日の入りをみんなで眺めて拝みました。奇跡的に日の入りの瞬間に冬の厚い雲の間から差し込んできた神々しい光に包まれました。お祈りをして法螺貝を奉納したあとさらに光が増し振り返ると一緒に拝んでいる友人たちの顔が光で真っ白になっていました。その神々しさにまた拝みたくなり感謝しました。

私たちは何かを拝もうとするとき、何かの建物越しに拝んだり、あるいは石像やあるいはお経などを通して祈ろうとします。しかし、本来の神々しいものはもっと自然的なものやいつもある当たり前の存在にたいして拝んだ方が深い感動や多幸感が得られるものです。

これは自然であり、人為的ではなく作為もないからです。

古来より私たちの先祖は、自然に太陽や月や水や空気、星空をはじめあらゆる存在の偉大さに気づく感受性を持っていました。だからこそ、当たり前の中に足るを知り真の豊かさや喜びを味わっていたのです。

何かと比較することもなく、何かに勝ち負けもなく、効率や効果なども一切とらわれない、ただそこにあるものに感動していたのではないかと私は思います。

その証拠に、私たちの感受性の中には自然を美しいと感じる調和の心が具わり、同時に五感や六感というような感覚が反応するからです。人間の脳みそで構成された世界ではなく、本来の自然として刷り込みも囚われもない赤子のような心があるのです。

そしてその感性や調和を優先して生きることが、本物の暮らしであり私たちがこの世で許されたいのちの尊厳でもあります。

自然を尊重する生き方は、余計なことをなるべくしないという生き方でもあります。それはあるものを観ては、足るを知り、真の豊かさを謳歌するという一期一会の日々を生きるということでしょう。

子孫のためにどのような暮らしを遺していけるか、そして今にその暮らしをどう甦生して伝承を続けていくか、遠大な理想にむけて日々は小さな暮らしの連続です。この日を大切にして、次回の立春に向けて暮らしを調えていきたいと思います。

三浦梅園先生の生誕300年のご報告

御蔭様で無事に三浦梅園先生の旧宅で生誕300年の行事を実施することができました。素晴らしい天候に恵まれ、この時期としては最も過ごしやすく穏やかな気候で心も体も深く癒されました。今朝から雨が降っていますが、改めて奇跡のような一日であったと感謝に包まれています。

遠方から多くの仲間たちが前入りしたり早朝からも駆けつけてくださってお手伝いをいただきました。また現地でも時間をかけてお手伝いいただいた方々やこの日のために準備を調えてくださった方々も参加し家族のような雰囲気でした。

行事がはじまると、みんなで三浦梅園先生と代々のお墓の清掃や旧宅のお手入れを行いました。人数が多いこともあり、あっという間に美しく綺麗に調いました。そして英彦山の古文書から甦生した伝説の和漢方不老園をみんなでお茶にして飲んで寛ぎ、三浦梅園先生の菩提寺である両子寺の寺田豪淳さんと300年の法要を行いました。宗派などを超えて暮らしのなかでみんなで遺徳を偲ぶ時間が懐かしく、緩やかな時間と一緒に般若心経を唱える調和に有難い気持ちになりました。250年前から吹き続けられた懐かしい法螺貝を吹いて奉納しました。

その後は、シンポジウムと移りました。改めて300年前、三浦梅園先生が過ごしたこの場でむかしの梅園塾のように30名の仲間たちが語り合い、学び合い、生き方を磨き合いました。

まず各々三浦梅園先生のことをどう感じるかを話し、信条を伝え取り組みを話しました。先生の条理学、自然観、生き方、そのあとは、真の経済ということをテーマに「価原」という先生の著書から学んだことを議論しました。登壇者からは、現代の貨幣経済の問題、時間泥棒のこと、限界集落や相互扶助の大切さ、懐かしい経済について語り合いました。また参加者からも格差経済のこと、連携経済のこと、協働創造のことなど、多岐に及び、時間があっという間に過ぎてしまいました。そして最後は、三浦梅園先生の慈悲無尽講を現代に甦生させるための挑戦を有志でやろうとなりその場でブロックチェーンの徳積帳を使い結に参加し両子山、両子寺周辺の自然環境や行事、お祭り、経世済民を実践するためにみんなで徳の積みたてに参加してくれました。内省シートを記入し、それぞれに気づきや知恵を書いていただき、来春にまたこの場で集まることを約束しシンポジウムを終えました。

お昼は、持参した自家製のむかしのお米をつかった酵素玄米のおむすびを火鉢を囲んでみんなで食べました。また友人の高橋剛さんのお父さんからもパンの差し入れがあり、みかんやお菓子などを食べて心温まる時間を過ごせました。その後は、親友の雲水、星覚さんが中心になってみんなで三浦梅園先生の里で「遊行」を行いました。ぶらぶらと目的を持たずに、先導する杖に委ねて歩くのです。私が先月の遊行中に骨折をして歩けなくなり、歩くことを一時中断することになってはじめて気づいたことなどを伝え、その歩くことの意味や感覚をみなさんで味わっていただきました。法螺貝が里に響き渡り、地域の方々もたくさん出てきてくださって賑やかさに喜んでいただきました。

最後は、みんなでまた生家に帰り一日を振り返り感想を伝えあいました。懐かしい未来、一期一会の場にこうやって一緒に過ごせたことに深い感謝がありました。ご挨拶をして、再会を楽しみにみんなでお別れしました。感謝の余韻の残る、かけがえのない一日になりました。

人生というのは、一度きりです。何を最も大切に生きていくかは、その人の心が決めます。真の豊かさとは、心の中にこそ存在します。真に豊かに生きておられた三浦梅園先生の生き方の余韻や空氣を存分に味わうことで私たちの心にもその片鱗が宿りました。

遺された人生、先祖代々の遺徳に感謝して丁寧に使わせていただき300年後の子孫のために今日も大切に使っていきたいと思います。

ありがとうございました、これからもよろしくお願いします。

歩こうとすること

先日の遊行を通して歩くということを改めて考え直しています。現代は交通機関が発達し田舎でも車社会になってほとんど歩くことはありません。この歩くというのは、単に二本足で移動するということのほかに、自然に帰るということがあるように思います。呼吸をするように、本来は人間は歩く動物です。犬も猫も、あらゆる生き物はそれぞれに歩くことを已めません。歩くというのは、生きるということであり道を歩むということもあります。

例えば、私たちの身体は重力によって支えられています。無重力で歩けとなると今のように歩くことはできません。そう考えてみれば、私たちは歩くことで筋肉や骨、血液からあらゆる肉体の機能が活動し調うようにできています。

じっと動かずに寝ていたら人間は筋肉が固まってきます。寝返りも打たなければそのままでは問題がでてきます。つまりいつも体はこの地球の重力と連動して今の状態を保っているということになります。

よく変な姿勢を続けたり、座り続けたりするとのちに神経痛や骨格の病気になったりします。これも歩くことで調えていれば予防できるようにも思います。

つまりは私たちは静止しているよりも、歩くことの方が本来の中庸を保ち、自然の一部になりやすいということになるのではないかと思うのです。

また歩くことで呼吸も整い、歩くことで全身の筋肉をほぐしていきます。その調和の状態は当然、脳にも心にも大きな影響を与えるように思います。そしてその時、私たちは脳で考えるのではなく身体で考えるようになるのです。

身体で感じたことを頭で気づくときに、人は全身全霊で妙智にたどりつくものです。歩くというのは、歩こうとしないと歩けません。この歩こうというのは、考えようと思うことです。この考えようとするのは、真理や本質に辿り着こうとするものです。

歩くというのは、それだけ考えることと一体でありその中で感じ合うものかもしれません。引き続き、遊行を通してさらに一歩ずつ丹精を籠めて歩いていきたいと思います。

捨聖の甦生

空也上人の生き方に憧れて遊行を実践した人物に、一遍上人がいます。この人物は鎌倉時代の方ですから空也上人が逝去されてから270年後の人物になります。一遍上人特に止住する寺をもたず、一生涯全国を巡り、衆生済度のため民衆に踊り念仏をすすめ、遊行上人(ゆぎょうしょうにん)、捨聖(すてひじり)といわれた方です。

その一遍上人が門人への説法で空也上人がどういう人物であったかを語られています。そこには、こうあります。

「また上人、空也上人は吾が先達なりとて、かの御詞を心にそめて口ずさび給ひき。空也の御詞に云(いわく)『心無所縁(中略)譲四儀於菩提《心に所縁なければ、日の暮るるに随つて止まり、身に所住なければ、夜の明くるに随つて去る。忍辱の衣厚ければ杖木瓦石を痛しとせず。慈悲の室深ければ、罵詈誹謗を聞かず。口に信(まか)する三昧なれば、市中もこれ道場。声に随ふ見仏なれば、息精即ち念珠なり。夜々の仏の来迎を待ち、朝々最後の近づくを喜ぶ。三業を天運に任せ、四儀を菩提に譲る》』と。

木造空也上人像にある、口から迸る六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若)の実践とはこのような遊行の姿を示されたことがわかります。暮らしの中で、生き方として念仏の生き方を実践されたことが何よりも尊いと感じます。遊行のなかで如何に暮らしの徳を磨いていくか、まるで仏陀のような生きざまに感銘を受けます。

またこうもいいます。

『求名領衆(中略)更盗賊怖《名を求め衆を領すれば身心疲れ、功を積み善を修すれば希望多し。孤独にして境界なきにはしかず。称名して万事を抛(なげう)つにはしかず。間居の隠士は貧を楽とし、禅観の幽室は静なるを友とす。藤衣・紙の衾はこれ浄服、求め易くして、さらに盗賊の怖れなしと》』

閑居で暮らせば貧も楽しく、座禅のように暮らせば静寂であることが仕合せである。シンプルな衣装や紙の袋は手に入りやすく清浄である、それに盗賊に奪われるものもないとあります。

「上人これらの法語によりて、身命を山野に捨て、居住を風雲にまかせ、機縁に随て徒衆を領し給ふといへども、心に諸縁を遠離し、身に一塵もたくはへず、絹帛の類を膚にふれず、金銀の具を手に取る事なく、酒肉五辛をたちて、十重の戒珠をみがき給へりと云々。」

このように空也上人は、いのちは山野に捨て居住を持たず云々とあります。つまりは、色々なものを手放してそぎ落とされて顕現した徳そのものの姿があったように思います。

今の時代でも空也上人のような生き方ができるでしょうか。この時代のことに思いを馳せてみると、政治的な宗教が盛んな世の中で民衆の中で何も持たずにただ遊行している姿で歩んでいく僧がいる。

文字も読めず学識もそんなにない民衆に、さらにいうなら言葉も異なり地域の特殊な文化があるなかで普遍的な徳の生き方を伝道し伝承していく、ただ南無阿弥陀仏と唱えるだけでいいと。そして上記のような、六波羅蜜の姿を体現してみせること。

そぎ落とした先にあったのがこの念仏だったと思うと、今の時代でもこれはとても大切なことがわかります。知識をつけて、みんな言葉も文化も理解している世の中ですが苦しみは相変わらず増え、さらに執着や欲望や争いは際限なく拡大を続けています。

手放したりそぎ落としていくというのは、私の言葉では「磨く」といいます。磨いてシンプルにしていくことは、足るを知る暮らしを甦生することになり一人一人が徳に目覚める生き方になっていくように思います。

先人の遺徳を偲び、その道を後から踏みしめながら道を甦生させていきたいと思います。

 

遊行の源流

暮らしの中の遊行巡礼をはじめると、空也上人とのご縁が出てきました。もともとこの空也上人という方は平安時代中期に活躍した念仏僧で、阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)、市上人(いちのしょうにん)とも呼ばれています。生れは延喜3年(903)とされ、醍醐天皇の皇子とも言われています。

もともと空也上人は、「優婆塞」と呼ばれ、「俗聖(ぞくひじり)」とも呼ばれていました。得度しても僧名の光勝を名乗らず自らは空也の沙弥(しゃみ)を名乗っていたといいます。

「南無阿弥陀仏」の名号を唱えながら道路や橋、井戸や寺院をつくり町中を遊行して乞食し、布施を得れば貧者や病人に施したと伝承されています。そして遊行のありさまは絵画や彫刻にあるように短い衣を脛高(はぎだか)に着て草鞋(わらじ)を履き、胸に鉦鼓(しょうこ)台をつけて鉦(かね)を下げ、手に撞木(しゅもく)と鹿角杖(わさづえ)を持ち行われていたといいます。この遊行の鑑のような生き方をなさっておられた方でその後の一遍上人などにも多大な影響を与えています。

有名なものに木造空也上人立像があります。死後250年以上経ってから制作されたものですがまるで、目の前にいるかのような一度見ると忘れられない像です。これは運慶の四男 康勝の作といわれます。一様に首から鉦(かね)を下げ、鉦を叩くための撞木(しゅもく)と鹿の角のついた杖をもち、草鞋履きで遊行する姿です。6体の阿弥陀仏の小像を針金で繋ぎ、開いた口元から吐き出すように取り付けられています。

これは「南無阿弥陀仏」の6文字を唱えると、空也上人が阿弥陀如来の姿に変わったという伝承を表しているからだといいます。

六波羅蜜を遊行を通して実践し、それがその時代の人々の心を癒し苦しみを安らげ、心魂を鎮めたのかもしれません。

また私は鞍馬寺に深いご縁がありますが、空也上人が鞍馬山に閑居されていた話も知りました。その閑居していたときに、いつも鳴いている鹿を愛していましたが定盛という猟師が射殺しました。これを知った空也は大変悲しみ、その皮と角を請い受け、皮を皮衣とし、角を杖頭につけて生涯離さなかったといいます。また、鹿を射殺した定盛も自らの殺生を悔いて空也の弟子となったともあります。これは英彦山の伝説とも似ていて共通点があります。そのことから鞍馬寺は浄土教の聖地として発展したといいます。鞍馬山にはその旧跡という「空也の平」という名の場所もあるそうです。

大分では国東に空也上人の開基した興満山興導寺というお寺もあります。また九重町の宝泉寺では空也上人が諸国遊行の途中この場所に経ちより農家に宿泊したお礼として持っていた杖を大地に立てたといいます。その杖がのちの大杉となり、天禄三年(972)この地に大地震がありその大杉が倒れたあと根元より突然温泉が湧出したといいます。そこで驚いた村人たちは、わき出る温泉のほとりに一宇の寺院を建立して空也上人が宝の泉を下さったということで寺を平原山宝泉寺と定 め本尊に空也上人と大日如来を安置したという伝承もあります。

歩きはじめて、まさかのご縁がこの空也上人でした。てっきり法連上人かと思い込んでいましたから、道はやはり歩いてみなければわかりません。引き続き、遊行を深めながら知恵を学び直していきたいと思います。