和魂洋才

オランダでの2週間以上に及ぶ海外視察が本日で終了した。

本当にたくさんの邂逅が得られ、また多くの貴重な体験と見聞することができた。
これもすべてリヒテルズ直子さんの見事な段取りの御蔭で本当に心から感謝しています。

オランダは、日本がヨーロッパで一番古く交流を持つ国。
約400年以上も国交を持ち、様々な文化が九州から全国へ伝播して今でも文化の中に様々な形で組み込まれ残っている。

オランダ人の印象はあまり偏った宗教観はなく、フラットにそしてストレートにオープンに相手の意見を受け入れてそのものの意味を大事に捉えて考える民族。

今の日本がまさにこれから近い未来に学ぶ必要があるものがここオランダにはすでにある。

明治維新の頃、激動の国際環境の中でこの日本がどう世界と向き合っていけばいいかを真剣に考えた人たちがいたから今の日本はこれだけの大国になった。

その時、多くの志士たちがそして深い使命感を帯びた人たち一人ひとりが壮大な危機感を持って、この国をどうしていくのかを語り合い、議論し、憂い、行動に移した。

そして世界から学び日本としてそれをどう受け容れるかを文字通り命がけで取り組んだ。

アジアをどう引っ張っていくのか、アジアをどう守るのか、その頃の日本は本当に大事な意味と役割を20世紀に果たしていた。もちろん戦争は絶対にいけないし正当化する気はまったくないが、その深い使命感に帯びた人たちが世界の平和を願っていたからこそ今の日本があるのではないかと私は思う。

21世紀に入り、また国際社会の俯瞰図バランスが変わりつつある。強大国アメリカが衰退のサイクルに入り、国家の興隆や経済の潮流が中東やインド、中国へ移りはじめ、EU欧州の統合連合により、世界の均衡はより微細なバランスの上で保たれるようになっていく。

そしてそれは一つの時代の終わりを告げ、新しい時代の始まりを意味している。歴史とは、過ぎているときに知っていてはもう遅く、今まさに何処にいて何処に向かうのかを理解しているからこそ歴史を洞察する意味があるのだ。

歴史は動き、人も変わる。
価値観が揺れ動き、これから宿命的に世界がもう一つ先の波乱を呼び起こす。

そういう世界においての日本の役割とは一体何だろうか?今のままでそれは与えられるのだろうか?これから私たちはどこへ運ばれてしまうのだろうか?そんな受け身でいいのだろうか?私たちの先祖が願っているもの、そしてそれを受け継いだはずの私たちの若い世代がこれから担っていくものは本当は何なのだろうか?今、本当に我が国がやるべきことは一体何なのだろうか?

それを知っている私は本当は一体何をすることが最善なのだろうか?

それを思うとき、如何に我々は正しく世界から学び続けることの絶対的大切さを思う。

日本人は日本語圏のみの島国に育ち、教育で視野を狭まらせ、官僚的な癒着と昔ながらの村的根性で粘着して富を中心に価値観を単一化しようとする。

世界は、もう開いていて今こそ私たちの和魂が世界へ飛び出し、それぞれが西洋のもっとも優れた部分を吸収してそれをアジアを中心に改革して調和を担うべきではないか。

和魂洋才とは、本来、聖徳太子から引き継がれた大切な我が国の創始理念「大和」の心と精神性を忘れずに世界の立役者としての使命を果たすことではないかと思う。

私自身、何をすれば最も良いかなどはっきりいって大きすぎてわからない。

だからこそ自分にしかできないこと、そして「已まぬ已まれぬ大和魂」を頼りに和魂洋才の民の血を信じてできる限りのことを遣り尽くしていきたいと思う。

大和の心を幼い子どもたちに少しでも推譲していけることを祈念して一歩一歩噛み締めながら流されないように歩んでいこうと誓う。

一人ひとりの力

昨日は、Barendrechtにあるリーン氏の3つ目の学校と一法人で4施設運営する保育園を視察した。

まずリーン氏の学校だが、子どもがそれぞれに自分のやりたいことをやりながらも落ち着いて自らの見立て見通しを立てることができるように工夫していたのがつぶさに観えた。

特にワールドオリエンテーションでは、思考のプロセスや思考の広がりを大切にし、世界観、宗教観、歴史観、死生観など子どもをひとりの人間として受け止めて日本では保護者がアアダコウダ言いそうな問題にも平然と向き合って素直にオープンにディスカッションしている。

どんな子どもたちも自分たちの創る未来と社会なのだから、それを尊重して自分たちがそれをやるという自覚が育っていくという意味では本当に素晴らしい小学校だと感じた。

もちろん、校長の理念が明確で人間というものを深く認めているからこそできるのだが、こんな仕組みや教材、そしてやり方の小学校が日本にもたくさんあれば日本の大和魂を引き継ぐ子どもたちが世界をリードしてくれるのにと思えた。

今は、一人ひとりが押さえつけられ個々の個性を蔑にされて、大人が大人目線で好き勝手にやりたい放題自分たちの主観を正しいと強引に認めさせるため、日々大人同士で陰湿な喧嘩ばかり・・・いつの時代も反省もせず有権者が正義正義とやっているうちに子どもをホッタラカスのは一体どうゆうことだろうか?ノブリスオブリージェ(高貴な人が持つ使命と責任)を忘れてしまったらもうそこでそこに居てはいけないのだ。

離れてみればみるほど、悔しさと情けなさで人間の持つ欲が織り成す無常観に苛まれる。勝ち負けを争い、奪いあい、生きていく、それもまた逃れることはできない生きる者が持つ生きる業。しかし人間には、それを乗り越えてそれ以上のものを創り出す叡智も理性もまたある。

どちらを選ぶかはその人の人生だが、やはり私は後者を選びたい。

子どもたちにはそんな当然生物が生きていたら感じてしまう業ばかりに対処する方法を教えるよりも、より人間らしくニンゲンとして豊かにそれぞれが幸せを感じられるようなことを共に学んでいく関係と環境を用意してあげたい。

この小学校で見たもの聞いたもの感じたものは、自分の人生に於いて帰国後も明確な照準を定め必ずそのビジョンを達成すると強く念じる。

本当に有難い機会に恵まれたことを改めて感謝します。

また次の保育園の視察では、今、オランダでも待機児童が増えていて保育施設が足りずどんどんできているとのこと。現在は5施設目を作っている最中とのことで設計図も見せていただいた。

ここは昔の農家のイメージで保育施設を作り高い天井と大きな部屋、そして木のぬくもりなどを大切にして家庭的な雰囲気をつくろうとしていた。

100人の施設に保育士が約20名弱で朝7時〜夜7時まで預かっている。この国ではワークシェアリングが大変進んでいて、日本と違ってゆったりと保育ができる環境を国や制度が守ってくれる。そういう意味では、日本で起きるような問題は少ないように思える。

ただ、やはり長時間その部屋にこもって保育をしている様子を見ると、保育士の質や学ぶ時間、そして環境を用意する専門性などはどこも同じで向上しにくいようにも感じた。

その質と量の判断は園長の理念に直接左右されるのは世界どこでも同じ。園経営運営はとても難しい業務で、補助金があるにしろないにしろ園長が教育と経営に精通しているのといないのではまったく外見も中身も異なってくる。

ここの園では、その辺がとてもしっかりしていて見通しも見立てもうまく地域や保護者からも大変人気があるように感じた。

職業というのは面白いもので、どんなに文化、人種が異なっていても似ているものは似ているし、陥るワナも同じなのだと思う。

保育園視察は、日本でもライフワークみたいになってしまっているけれど今回も相違、同異、方位など、たくさんのことに気づくキッカケになった。

最後に、私が尊敬する吉田松陰が明治維新の原動力として大和へ放った言葉に『草莾崛起』(そうもうくっき)という言葉がある。

松陰先生は、一民間人としてまだ20歳前後でひたすら命がけで高い問題意識と危機感で山鹿流兵術等の戦略を学び、そして頼まれてもいないのに日本中でどこが外国攻められたら危ないかなどをつぶさに自らの足で見て回り、ただの長州藩の一下級武士の立場であっても自らの国のために自分が信じる道を誰がなんといおうが構わず遣り抜き、最期まで忠と誠を貫いた第一級の人物だった。

その行動力から鑑みれるのは、「政治が幕府がなにするものぞ、国を創るのは自分たち一人ひとりだ、国がなにをしてくれると期待するのではなく、自分が国に何ができるのかを問へ」というような生き様だった。

いつも私が本当に辛く苦しい時、心の支えになってくれる師匠の一人だ。

    『草莾崛起』

この『草莾崛起』(そうもうくっき)とは民間人がみんなで何ができるかを考え立ち上がっていくこと。草の根が、天地自然の水や太陽、その志を得るとき、その根が大きく広がり世界を変えていくこと。

時代を超えてもやるべきことはいつの時代も同じということだ。

これからも私は自信をなくして依存して精神が病んでいるような悲しい現在の祖国の環境に対して、無限の可能性を持つ雑草のひとつになり、自らができることで自らにしかできないことをやっていけるような勇気を与えるモデルと行動をとっていくぞと新たに心に誓う。

教育と社会

本日は、午前中にJASのコンサルタントで3つのイエナプラン校の校長を兼任するリーン氏のRidderkerkにある学校の2つを視察させてもらった。また午後から、近くのBarendrechtにある保育園で話を伺い、その後、ダルトンスクールの中学校へ訪問した充実した一日になった。

まず、イエナプランの学校は藤森平司先生がやっている園と同じように子ども一人ひとりの発達にあわせて、自主的な選択が保障され、またそれぞれの子どもが自然に学べるようにゾーンやコーナーなどの環境が整備されていた。

やはり世界標準の教育はこれなのだと確認できたのは、子ども一人ひとりがとても落ち着いていて自らの課題に対して自ら進んで取り組んでいること。またそこの教師が、ちょうど良い距離感で子どもを見守っていること。そして教室がとても穏やかに落ち着いた雰囲気が出ていることだった。

子どもの存在のすべてを認めるというのは理念が必要なのだと改めて感じた。

話をしていると、地域ではとても良い学校として大変人気があるので他校区からもたくさん先生方が見学に来るそうだが、その時にはいつもコーナーや環境、教材等々のコピーばかりをとっていくのだそうだ。「それではないのにね」と笑っていたのが印象にも残った。

ある程度経験が豊富で自分に自信がついてきた教員というのは、なぜいつも子どもを見ないのかと本当に不思議に思うが世界でもそうなのである意味で私たちの存在意義に改めて安心することができた。

日本では、GTで活動を共にする先生方はほとんど同じ方向でやっているけれど小学校でそれを普通にやっているのを見て改めて愕然とした。

日本は、ちゃんと子どもの人権を保障しないで上から押さえつける官僚体質をいつまでも続けていたら日本では通用しても世界では通用しない子どもを無意識に刷り込んでいるかもしれないから気をつけないといけない。

21世紀の社会は、多国籍の人たちが手に手を携えて力をあわせて地球の問題について向き合っていく時代になる。

そういう時代に日本の大切な魂を持つ子どもが国際人になれないなどとはしたくないなと改めて自分の仕事の不足さに震えが来た。帰国したら改めて気を引き締めて邁進していこうと思う。

さて、話は戻す。

午後からは0歳児から4歳児までを預かる個性的な保育園へ伺った。日本とそっくりでたくさんの保育士さんがいて、子どもを保育していた。この国ではバウチャー制度が実施されていて保護者に補助金が支払われるそうだが、保育料を支払わない親がいて大変困っているそうだ。

なんだかどの国も、同じでちゃんと子どものことを考えていく体制をもっと周囲が用意しないと規律やルール、罰則ばかりで良い人たちと苦しめるのだから考えないといけないと思う。

3つ目に拝見したダルトン方式の中学校は、現在社会の変化に伴い「自らで課題を設定して自らで解決する」方式で日本の大学と同じように単位制で運営されている。今、オランダでもダルトンはとても人気があるそうだ。

子どもたちは常に社会経済にあうように教育を親が選択していく。お金の流れに左右されながらも本当の良い教育が受けられるようにしていく良心がこの業界には大切なのだと思う。

最後に、離れていても同じように子どもを思えば同じようなカタチになっていくのが人間なのだと思う。すべての生き物は思いやりを忘れて傲慢に自分中心になっていくと社会も悲しいものにしていくことになる。

常に豊かさとは何か?なぜ生きるのか?そういう生きていく上で結果よりももっと大切な意味を実感して自らを尽くせ、本来の在るがままにそれぞれがみんなで幸せになるような社会になることを心から祈る。

フラットな社会性

昨日はJASのコンサルタントでもあり、3校のイエナプラン学校校長を兼任するリーン氏の研修に参加させてもらった。研修のテーマは、「通知表とポートフォリオ」について行われていた。後半には、ダンスをテーマにしたワークショップなどもあった。

オランダでは、研修を毎月水曜日の午後から取れるように午前中授業で学校は終わり、午後からの時間にそれぞれの先生が自らで選択した研修を受けたり、また学校内で主催する研修に参加したりしてスキルを磨いている。

このイエナプランでは、2年間の研修を通して受講した先生にイエナプランの認定資格を出している。参加している人たちは、一回に15名から25名ほどだそうだ。

研修のやり方などは子どもを中心にイエナプラン校で教える方法と同じやり方を取り、サークル対話からはじまり一人ひとりを受容しながら子ども中心の考え方についてともに学び合っていくというもの。

リーン氏はとても優しい眼差しと共感、受容ができていて研修ではみんな安心してコミュニケーションができているようだった。

オランダでも、子ども中心でやりたいのに他のベテランの先生や校長が一斉教育をやっていて自分だけが学校で孤立して苦しい立場にあると涙している先生がいたり、校長や教頭とあわずにやりたいことがやらせてもらえずにストレスを抱えているなどの相談も出たりしていた。

ある意味で、世界はどこでも同じで先生というのは一人でクラスを持って子どもを見ているといっぱいいっぱいになってシンドイのだろうと思う。真剣になりすぎたり目標や理想が高すぎるのもあるのだろう。それに責任感が強いのも教師の特徴だ。だからこそそういう状況にあってもこのコースを受けている仲間たちで励ましたりしてみんなで子ども中心の教育を信じようと努力していた。

EUでも子どもの人権重視と当然浸透しているし詠ってはいても実質はどこか大人目線になっていてそれに気付かずにそのままにしている学校がほとんどだし、オルタナティブと呼ばれる学校が特殊で少数派で大半の多数の学校は伝統的な昔のやり方で正しいと暗黙的に意識されている。

どんなに外側の環境が変わっても、本質的に自分が変わろうとしなければ結局人は変わったことにはならないだろうと改めて感じた。

気づきのキッカケを用意するというのは、本当に理念がいるし信念が求められることなのだろうと思う。

イエナプランの強みは、GTと同じで実践重視のところだ。

GTでも藤森先生の保育実践を通して、如何に子ども主体を実現しているかのモデルを示すことができてそれが「書かざる経書経文」のように肌を通して感化されていく。

いくら具体的に理論がいくらあっても実践がなければ伝わらない。理論が先か後かについては広がっていく段階で求められているだけなのだろうと改めて感じた。

やはり私が感じる普遍的に大事なことは理念を固めることであり、それがなくてはどんなに形式で学んでも本質的に子どもの声を体現できるまでにはいかないのだと思う。

最後に、とても参考になったのは協同的学びのバリエーションの多さだ。日本ではずっと上下の関係は開発されてきたけれど左右の横同士で課題を発展的に解決していく方法などはあまり研究されていない。

この国は民主主義の源流が深く流れているだけに、とてもフラットなみんなと一緒にやっていくためのノウハウとデータベースが構築されている。その考え方ややり方などの工夫をして円滑にいくように努めているのには流石だなと思った。

子ども同士の関係性を創造して場と機会を提供していく環境のお手伝いをするカグヤとしてもこれからはもっとその辺を調査研究して日本の実践現場にあうものを構築していきたいと思う。

大同小異

昨日は、10時にハーグ市内のイエナプラン校へ訪問し、2歳半からの就学前教育の教室と4−6歳の幼児クラスを視察して、13時から同じくハーグ市内のモンテッソーリ校の観察。その後、15時からハーグの教育サポートセンターHCO(http://www.hco.nl)を訪ね、ハーグ市内で行われている様々な就学前教育の支援内容などについて話を伺った。

まず午前中のイエナプラン校では、サークル対話を中心に子どもが自らで主体的に判断できる能力を身につけるために様々なコーナーや動機付け、キッカケ出しなどを多くの選択肢の中で保障している環境を用意していた。

先生もそれぞれに子どもの特性を大事にしているのが分かる立ち位置に立っていて、それぞれの子どもの必要なだけの援助を行っているのが印象的だった。

日本ではギビングツリーの保育では、そのような環境が標準だと私たちは思っているので特に驚くことはなかったのだが小学校でもそのままの環境を保証しそれが発展しているのを見ると、やはりEU諸国の方が人権でも民主主義でもしっかりと議論されてそういう環境になっているのだろうと感じることができた。

この学校のもう一つの特徴は、移民が多いこと。学校全体の子どもの半数以上がトルコやモロッコイスラム圏やアジア圏、アフリカなどからの移民で成り立っていること。写真を撮っていたらまるでどこかのアニメで見たような様々な国の人の顔があって、世界市民という言葉を否が応でも感じずにはおれないような環境があった。

ひょっとすると21世紀は文化文明、言語や価値観などのボーダーも超えてそれぞれが地球の一市民としてどうやって力をあわせて危機を乗り越えていくかを市民レベルでもやっていく時代が来るのかもしれないと彷彿させるような視察になった。

ここでは、言語がまったく通用しない子どもが半数以上あり、これからどうやって言葉を習得してもらうか、また保護者との会話や文化の違いをどう認め合うかなど相当な難題に対して官民一体になって乗り越えている感じがした。

日本では、コンビニなどもそうだが中国人や韓国人の方々もたくさん入ってきている。アジア系は見た目が変わらないのでそんなに気にしていないが、ちゃんとそれぞれの宗教観、文明観、価値観などをそのままいい加減にやっているとそのうち大変な歪みが発生して危険な事件が起きるのではないかと心配になる。

日本人は島国で日本人しかいないところで育ってきたので、その辺を曖昧にしたいのだろうが移民が日本人と同じくらいの数になったらきっと大変になるだろうなと思う。

長くなるので次の学校に移る。

次の学校は、完全なるモンテッソーリの学校になる。先週もアンネフランクのモンテッソーリ学校を視察したのだが教材の種類の多さに本当に驚かされる。また、それぞれが自分の課題を選択して同じことを違うアプローチで到達させるやり方もよくここまで増やせたものだと感心できる。

日本では、個々で一人引き籠って学ぶ方法がたくさん用意されている。宿題だって大変な量毎日出るし、基本的には一斉画一なのだからほとんど自分でやるしかない方法を選択させられている。日本では、やっぱりみんなで関係性を大事にするような方をもっとしっかりと充実するのが先ではないかと改めて考えさせられる機会になった。

関係性という意味では、この学校でもサークル対話などを充実させていて関係性を大事にする協同的なものも最近ではたくさん増やしているのだそうだ。

最後に、ハーグ教育センターに訪問して幼児教育の専門家とアドバイザーの2名にどのようなことをやっているのかなどを伺った。

日本では研修は、教育、保育団体などが行政より委託を受けてやることがほとんどになっている。ここでは、そういう団体が民間化されていて、それぞれの地域の学校のサポート研修やコーチング、指導などを行っている。

この国では、そういう指導を受けていなければ補助金を受け取れない制度になっていて研修は必須になっている。

ただその研修の中身は選べるようになっていて、そこにそれぞれのサポート機関が入り込み提供するようになっている。

ただほとんど行政側のニーズを中心に動いているので、本当の意味での現場が困っている目を向けたくない教育者が陥りがちな人為的ミスや人間関係ストレス、その他、理念やマネジメントなどの複雑なものには触っていないような感じがした。

たとえば、学校教材の方向を決めたり、業者が持っている遊具やその他の情報を提供してあげたり、全体の親へ対して子育ての重要性を広報したりなど教育団体と同じように全体へ向かってのニーズにこたえているような感じの機関だった。

一日を通して実感したことは、お金の流れに沿ってそれぞれのやることの範囲がある程度決まってくる。昨日のように行政の管理までも逃れて自由にしたいのならばお金をもらうことはできない。

お金をもらうことである程度、全体に対しての国家としての教育とそれぞれの学校が持つ理念としての運営との狭間にいろいろな機関や企業がある。

私たちも、それぞれの持つそれぞれの本質的な良さや質を高めながら日本の子どもたちにもっとも効果的な方法を提供提案できるように、これからも和魂洋才の感覚を大事に帰国後もしっかりと取り組んでいこうと思う。

このような幅広い内容の視察へ導いてくれたリヒテルズ直子さんに深い感謝。

大和

昨日は、午前中にEarthgames社(http://www.earthgames.nl)のAnne Mijkeさんを訪ね、午後から国から補助金を一切受けずに独自で開校し運営する学校Aventurijnを視察した。

まずアースゲーム社は、世界から80種類以上もの協同的な学びを体験できるゲームを輸入開発したり学校現場でワークショップなどを行っている。

日本でもそういう遊びを通して、体験するようなゲームやワークショップはあるけれど日本の会社や講師が行うものとは今回のオランダのものとは成熟度が異なるように感じた。

特に感動したのは、軽度発達障がいの子どもたちがそのゲームを通して学んだり居場所を得て安心して落ち着いたりできるものが多いということだった。

競争するゲームならいつも同じ人が勝ってしまっていろいろとできない子どもはいつも嫌な思いをしたりついていけなかったりする。しかし助け合いを元に造られたゲームだとそういう日頃できない子どもたちが活躍してくれてみんなを気づかせてくれるとのことだった。

つい学校も家庭でも、身の周りにあるものは競争させたりすることで如何に抜きん出るかばかりを楽しませるようなものが多い。しかし、平和な社会を世界で実現しようと思ったら如何にみんなで助けあって豊かな気持ちでお互いを支えあえることを喜べるようなものを増やしていくことも大事なことだと思う。

私は、見守るほいくプラスを開発したときなぜ人は多数を優先して健常児と定義し障害を抱える子どもを隔離するのか、それは本当に子どもの立場へ立った優しさなのかと深く考えて開発をすることにした。

いつの時代も社会にとって弱い立場の人たちを蔑にして見ないように蓋をして「平和な社会だ」なんて言うのはおかしいことだと私は思う。

もともと人間は目に見える外見だけではなくて、その個性や心情などの内面もみんなそれぞれにまったく違うのだから特にその差が激しい子どもがいるからこそ、大事にしてあげて受け止めてあげる必要がある。そしてそのような差が激しい集団の中でどのように保育をマネージメントしていく必要があるのかを考えたり出会ったりするキッカケになればと願い作られたものだ。

ここからが本当に子どもたちのために学んでいくところになっているのに、日本ではすぐに解決する方ばかりに気を奪われその大切なプロセスや意味をつい素通ししてしまう傾向があるから気をつけないといけない。

今回、ゲームという考え方で様々なマネージメントやワークショップ、また自発的キッカケ出しをやっているのを拝見して私たちカグヤでもたくさんの要素を取り入れてこれからやっていきたいと思う。

また、午後から視察した学校は、行政と裁判までして自らの信条を貫き理想の学校を実現させているシュタイナー教育のようなものをやっている学校だ。こういう学校はオランダに7500校ある中でも6校ほどしかないそうだ。

ここでは、4歳から18歳までの子どもを育てていて全員でも20人弱しか生徒のいない学校だった。授業料も他の学校に比べて10倍近くこちらの方が高い。

教育や保育の中身は、本物重視で自然をもとに体験を通じて学ばせていくということを大事にしている。とても家庭的で細かい配慮をしていて、その子どもの持つ特性を伸ばすことに絞り込みそこを育てていくとのことだった。

日本では偏った子どもたちや不登校の子どもを預かるような学校はあるけれど、ここではそうではなくてむしろ独自性を存分に発揮する特殊なエリートのような子どもを育てようとするような感じがした。

これから日本では、国の補助金が削減されていく中で格差が広がり様々な教育が世間で正しいと乱立していくことが容易に予想される。競争原理の中で、どれだけの人たちが「不易側の変化」と「流行側の変化」の本質を見抜き対応していけるのかと思うと今からとても心配になる。

何でもそうだが、カタチだけを見て時代が変わっているのを忘れてしまったり、死んだ人たちに確認もできないのにきっと正しいと盲目に信じきったするのはどうなのだろうかと私は思う。

ないものをないとして、あるものをどう生きている人たちで一緒に考えてそのものの本質を守るために補っていけばいいのかというのは日本的な「モッタイナイ」でもあり、そしてそれはできないからやってあげればいいのではなくて、できることを「ミマモル」ことでもあるのだと思う。

これからも時代の流れの中でカグヤはいつも不易側の真理を追究しながら、理念を軸に国を支え世界を支え、子どもたちがみんなと助け合え学び合える豊かな社会を目指して貢献していきたいと改めて誓う。

それぞれがそれぞれで調和するかんながらの文明、大和の魂を大事にしていきたい。

一期一会

私はこの5月という季節がとても好きだ。

毎年、冬から春を経て夏に移っていくこの季節の風が光がそして透明に澄んだ空気を心から楽しんでいる。

人は心の状態が穏やかでなければ本当の風を感じることもないし、精神が安らかでなければ本当に澄んだ空気を楽しめることはない。

どんなに日々の喧騒に追われてしまっていたとしても、時折すべてから止まって安息に無限の宇宙の恩恵を喜んでみることも必要なのだと思う。

大きな問題意識を抱えていて、今にも押しつぶされそうになるときもある。
大きな危機感を育てていて、余裕すらもなくなってしまいそうなときもある。

そういうものは他人には見えないし、他の誰にもわかってもらえない。

そういう孤独を感じる時、本当に何もかもが嫌になってしまうこともある。

しかし、自分にはその道しかないと前向きに諦めるとき、身の回りにそういう自分を支えてくれる多くの出会いがあることに気づく。

人生本気で生きていれば、いつも一期一会に出会っているということだ。
そして逆に本気でなければ、そういう出会いも気づくことがない。

そう思うとき、人は選ばれているや選んでいるなどとは関係のない別の次元で本当の意味で「なんだ、やっぱり人間は誰しも平等なのだ」と思い心が静かになっていく。

特別な人などいない。選ばれている人などもいない。それぞれ好き勝手自分勝手にやっただけのこと。それを自分が思っているだけのことなのだ。

だからこそ、そこにゆったりと見守っていくファジーさがある、ゆらぎがある。

大事なことは、子どもの持つ心、素直さ、豊かさ、好奇心、世界へ眼を向けたやむにやまれぬ成長の魂をそのままに汚れた大人の刷り込みから守ってあげることでその特性が引き出されていくことのモデルを示すこと。

カグヤのやっている仕事は何だとよく人に聴かれる。

いろいろとああだこうだと細かく業務を説明してもどれもしっくりこない。

だから私は「世直し行です。」と言う。

こういう言葉を先日、箱根での円会イベントを行った福住旅館で聴いた。
福住正兄氏の父が、医者になりたいと願う息子を二宮尊徳に弟子入りさせるときに語った言葉だ。

『医者には、大医、中医、小医がある。小医は病を癒し、中医は人を癒し、大医は国を癒す。また大医は、その人が生まれた時から死ぬまで、健やかに豊かにその人の生涯を安心立命に過ごしていくことができるように見守る医者のことを言うのだ。』

真の教育者とは、まるで大医のようなもの。
私の尊敬する師匠はそういう人だからこそ、本気で自らを尽くしていくことができる。

常に、一期一会の念を心に抱き自分にしかできないことを貫いていきたい。そして世界に育つ立派な子どもたちのモデルとなるような本当に愛に溢れる子どものままの大人でいたいと思う。

いつも社会の中で弱い立場の人たちをどれだけ大事にしていくかは、私たちの心根の穏やかさ静かさが無限の優しさ安らぎにつながっていくことを忘れてはいけない。弱い立場の人たちを守っていけるような、世界に通用する本当の力をつけていきたい。

オープンモデル

今日は、JASのイングリットさんがコンサルティングする学校へ同行してその実践現場を拝見させてもらった。

オランダでは、学校だけではなく企業や地元の研修施設も自由化されさまざまなカタチでの産学連携ができるようになっている。

この学校はあのアンネフランクが幼い時に通ったモンテッソーリスクールになる。(http://www.annefrank-montessori.nl/)オランダではかつてマリアモンテッソーリが住んでいたこともありモンテッソーリ教育は深く学校方針の中に浸透している。

ここでのイングリットさんの役割は、コーチングしている先生の個別の観察とミーティング、そして管理職の指導と全体会議などでの方向性のチェックなどになっている。日頃の判断や子どもへの対応が大人主導で大人主体の安直なマニュアル的な決議決定などにならないようにJASのコンサルタントがアドバイスをしたりマネージメントのモデルを示していくようなこともやっている。

印象的だったのは総合的学習をどう進めていくかについて、考え方が画一化しないように様々なイエナプランのツールなどを駆使してアドバイスをしていたところなどだった。

まだ日本では、コーチングなどというのは職人的なもので外見的な浅い分野でしかないのにオランダではより深いところのコーチングをできるようにシステムがとても理論的に構築されている。

それにこちらでは、多様性のある教育方針の中でも質を維持するというポリシーが国家に存在していて、モンテッソーリであろうが、ダルトンやフレネであろうが、それぞれの持っている良さを生かしながらそれぞれの専門家がチームを組んでより協働して質を高めていこうとするような文化がある。

寛容と自由の中に、本来人間が人間らしくみんなで助け合って生きていくという姿勢がその風土文化となって民主主義の利点を活かしさまざまなところへ反映されている。

オランダ人の人柄は一言でいえば国土と同じように大変「フラット」で、縦社会にはない横の文化がとても成熟しているように感じる。人間関係なども、お互いのことを「ストレート」に言葉にしてぶつかりながらもお互いを尊重し協働しながら進めていこうという粘り強い意志が個々人の性質にあるように感じた。

これは今の日本には体験できないことでそれを今回、自らの目と耳と肌で実際に感じたものが私にとっては大変参考になった。

これがこの先の日本や世界、人間の進む方向を見立てていくのに大事な邂逅になる。

お互いの国が抱えている問題とは、時差があったり場所が違うなどがあるけれど人間社会で抱える問題とはどれもほとんど同じものだ。

人間が生きるというのは、お互いのことをどれだけ必要として共に認めあう自立した関係を創っていくかというテーマからは逃げることはできないからだ。

今回の訪問ではそれぞれの国が本当に豊かに、世界の平和のために貢献していくために力を出し合い助け合うというのは21世紀には当然の課題になると確信することができた。

最後に、私がイエナプランにとても興味を抱いた中に「オープンモデル」という言葉がある。イエナプランはそのオープンモデルの理念を特に大事にしながら、実践と研修という繰り返す中庸の真理を通して本質を学ぶという方法を第一に取る。

そしてそのオープンモデルとは、グローバルな視野でより大きいものを含有しながらも自分という狭い範囲の自己満足だけにあまり執着せず世界の子どもたちの未来にともに手を携え自分勝手な執着を乗り越えて偉大に貢献していくということが大事なのだということを私は感じる。

これからカグヤもそして日本にいるパートナーも、それぞれの唯一無二のミッションをあわせて、お互いの目指す最良の人間が創るより素晴らしい社会の実現へ向けて偉大な理念設計をリーダシップを存分に発揮しながら組み立てていきたいと誓う。

研修の大本

本日は、イエナプランのビデオコーチングの研修に参加した。

これは教師の資質を向上するために、日頃の教育現場、保育現場をビデオで撮影してどの部分を改善していけばいいかなどをコーチングしていくものだ。

もちろん、誰かの主観でのアドバイスにはなるもののその本質はイエナプランの20の原則(子ども中心で子どもの個性を尊重した内容)に沿って、自らに気づかせて変化を促していくという手法だ。

今回は様々な学校から、イエナプランのビデオコーチングの資格を取得するための研修を受けている人たちが集まっていた。

人は物事を日ごろから自分の内面で判断しているからこそ、気づいているようで気づいていないのが外から自分がどう観えているかという客観的様相だ。それを見せることで、自分の内面の認識とのズレを本人が看取っていき、本来のあるべきように近づけたい本人の意思を尊重しながらそこへアドバイスすることで安心して内外のバランスを取れるようにしていくということだ。

これは野球でも何でもそうだが、職人的な人間的能力を発揮するためにもその微細な感覚の劣化を防いだり問題を発掘したりしながら如何に自らのベストを引き出していくかをコーチする方法なのだと思う。

それにあわせて子どもから先生がどう観えるかを子どもの視点で撮影していくことで子どもになりきる訓練にもなる。

クラスで担任などを持って、一つの場所で毎日過ごしているとそういう自分と子どもとの認識のズレがどうおきないようにしていくかは世界各国どの教師でも苦心しているところなのだろうと改めて思う。チームや異年齢、そしてさまざまなマネージメントがある国でもそれが必要なのだから日本では当然それが不足している。しかし日本ではほとんどそれを「見られたくない」「テストみたい」などの理由で広がらないのだろう。

何でも続けていくとその中にある本質が理解できるようになっていき、最初の感覚よりも人間はより深いところのことが修得できるようになる。

ビデオコーチングも最初は嫌でも続けていることで、それで自分が修正されることを知りセルフマネージメントをする力を得ることで本来の素直で正しい自信と柔軟性のある謙虚さなどが教員に持てるようになるものだ。

カグヤでも今後、GTの理念に沿って保育環境を観察する手法のひとつとして参考にしていこうと思う。

最後に、教育者や保育者というのは人間がどうであれ色々と職業的な柵やクセのようなものに囚われて無意識に意識的に自分勝手に偏っていくものだ。

たくさんの人たちを一斉に育てているのだからそういう子どもたちに自分がやりたいこと、または世界や社会、そして国家から要求されている子ども像の最低基準は確保できるようにそれぞれで研修の主要課題は常に明確にしていく必要があると思う。

平和教育も人権教育もそもそも形骸化しているマニュアルのようなものではなく、人間としてどう生きるかということを子どもたちとともに協働しながら考えていくことの方がより大事なことなのだ。

日本の職員研修はどうしてもコンセプトが受け手側に伝わっておらず、そして与え手側も何をどこまで保障したらいいかが明確になっていない。

そんな無概念で何をお互いが考えて学び合うことができるのか?

研修とは「研磨して修正する」ことだが、そのもの何に対して自分と他者をそうするのかを明瞭になっていないのに何が共にやることができるのだろうと私は思う。

そういう日頃の安直な上から一歩的にやったやってないという誰にでも分かるトップダウンのタテ社会官僚体制の姿勢が、子どもとのタテ社会イイカゲン環境管理になっていくのだ。私たちはそこに関わる仕事をしているからこそ文句を言っている場合ではなく本当に気をつけないといけないと改めて自社のスキルを含め戒める良いキッカケになった。

これからカグヤでもその辺の理論を整理して、なぜそうなるかなどを科学的に証明しながら先生方のサポートやアドバイスを的確にしていけるように取り組んでいきたいと思う。

世界市民

昨日は、JASのトップコンサルタントのヒュバート氏と同行してイエナプランを行う学校へ視察を行った。

この学校とのかかわりは、4ヶ月前にオランダの教育監督庁から職員の資質や学力の低下傾向があることを指摘され(だいぶ本質は異なるが日本では第3者評価機関のようなもの=日本のものよりも道理が子どもや社会に適っている物差しでの評価)即座に改善することが求められ、その学校の校長から「もう一人では改善は難しい・・」とJASが直接ヘルプを請けて学校を新生するコンサルティングを行っているとのことだ。

そこでは教職員間の人間関係や、現場の共通理解不足などどうしても学校現場で起きる様々な人的環境ストレスをどう整理していけばいいかや、そもそものマネージメント上の問題、また既存の刷り込みなどをJASがイエナプランのツールを用いて洞察分析して、適切なアドバイスとパートナーシップ、リーダーシップを発揮して子ども中心の教育ができるように支援していっているとのこと。

まず話を聞くと、そこでは校長が職場の人間関係や教育や保育の悩みに対して具体的な発想ができずいろいろとやってみてはいるもののうまくはいかずに孤独に精神的に疲れていたものがだいぶ落ち着いてきているとのこと。

それにいろいろと関係がうまくいかずに問題になっていた教職員が毎週水曜日に終日をかけていろいろと問題を解決するためにファシリテーションすることでJASのコンサルタントの方へ閉ざされていた心を開き周囲も本人も少しずつ変わってきて今ではとても雰囲気の良い学校になってきているとのことだった。

私が伺った時も、コーヒーブレイク中でそれぞれがゆったりしていて日本での保育事情などを私とそれぞれで話しながら如何に業務省力化と子ども中心をやっていくのかについて楽しく議論などの話をした。(ドイツだけではなくここオランダでも見守るソフトとプラスを紹介すると大変現場からは好評だった。)

これは日本でも私たちカグヤが現在取り組んでいることと同じで、どうしても子ども中心に園をよくしていこうとしたら今までのいろいろな外部の圧力や刷り込み、またそういう考え方に触れて学んでもいない人たちへそれぞれの発達や状況にあわせてコーチングや援助をしていくようなものが必要になるのだろう。

一昔前のようにできないものを立て直すという企業的なコンサルティングよりも、一緒にゴールに向かって寄り添いながらパートナーシップで関わっていくという21世型の成熟した共進関係を創ることがJASでもカグヤでも取り組んでいる目下の課題になっている。

世界でもどこでも学校という現場は、どうしても先生だけですべてを抱え込もうとすると無理がある。なぜなら、外に出る機会も少なく、一部の限られた環境の中で様々な大きな課題に向き合い、子どもの最善の利益のために時間を相当工夫しながら自分の人生も豊かなモデルを示していくとなるとそれはもうとんでもない創意工夫や環境の整備が求められる。

現実問題、それが自校や自園だけでやるなんていうのは私たちから観るとほとんど不可能に近いのではないかとも思える。それだけ難しい理想の高い仕事が保育であり教育なのだと思う。

やはり世界ではこれからどうやって学校や園と企業、いわゆる新しいカタチでの産学連携を行っていくかは少子高齢化と価値観の多様化する急進的に成熟化している人間社会においては必須になっていくのだろう。

日本人はどうしても、上下関係の刷り込みや、年齢や経験歴の刷り込み、男女の刷り込みや、曲った平等の刷り込みなどのせいで人間として協働でパートナーシップを結んで何かをともに行うというのが苦手なのだと思う。

本当に効果的で発展的な自由闊達な幸福感に包まれた螺旋成長できる組織とは、社長と社員や上司と部下というようなタテ割的な短絡的な封建ぽい思想ではなく「フレンドリーだけど心から尊敬し認めあっているパートナー」のような深い信頼関係をどれだけきちんと構築できるかによるのだと思う。

それは揺るがないシンプルな理念を中心に造っていくしかないし、それをするためにともに働く仲間としても遠慮忌憚なく言いたいことはフラットにどんどん言い合う「お互いが自立している本当の関係」ができていないと、また作ろうとみんなでやっていかないと助け合い支えあう本質的な共生ができないのだと思う。

やはりチームの本質とは、理念を中心に仲間と本気でぶつかり合い、本音で遣り合い、価値観を共闘しながらもそれぞれのもっているその人らしさやミッションを融合統合しながら唯一無二の叡智を引き出していくものだろう。

人は一人では生きてはいないのだから、まさに誰かと何かをやることでしか本当の自己実現も成功も手に入らないのだから、そういう上質なコミュニケーションを取れないと世界でも通用する一級の人材とは言えないのだと思う。

オランダはとてもフラットでストレートな文化を持つ一人ひとりが国を造っているという自覚と自己責任による決定意思を重んじて個々の自立を尊重する素晴らしい国。

日本もなんとなく依存と無責任に塗れた閉塞感ある社会から脱却していくためにも、自ら律して自らが立つという大人のモデルを示していくことが次世代の子どもたちへ素晴らしいものを推譲できる今後の基盤になっていくのだと思う。

まだまだこの国で観て聴いて帰るものはたくさんあり世界標準ということがどれだけ世界の中の世界市民の一人として大事なのかを定義するまでしっかりと議論していきたいと思う。

今日は、イエナプラン学校でのJASのトップコンサルタントのビデオコーチングの現場視察する。